|
渡邊医師は「自傷行為があっても、全ての者が他害行為をする訳ではないので、野津純一に根性焼きがあったとしても、他害までは予見できないし、する必要もない」と主張しました。野津純一は、退院教室で「ストレス解消は散歩」と言っていたので、「散歩を止めるとストレスが高まるのでできない。従って病院に過失はない」と主張しました。精神科医師のための入門書(研修医のための精神医療入門、P.17〜18、星和書店)には「患者に自傷他害の症状のある場合、法的にある種の保護的な処置を執らざるを得ないと率直に告知すべきである。患者が納得してないときも告知は行う。患者及び周囲の関係者の生命の保護を優先すべきは言うまでもない」という記述があります。精神科医師としては入門レベルの基本的な過失です。 渡邊医師は「外出制限、保護室、隔離等の行動制限は少なくとも精神運動興奮による他害の可能性が認められなければ、精神保健福祉法違反となる可能性が高い」と主張しました。渡邊医師は法の理解をねじ曲げて、精神科臨床医療を実行していました。渡邊医師は、患者である野津純一に対して善良な医師としての治療を行わず、債務不履行を行いました。自傷行為を見逃して、外出許可を出したことは、野津純一を適切に保護していなかった事実を示します。精神科臨床医療の現場で患者の顔面を観察しないことは基本的な過失です。渡邊医師は「入院時点から顔にはひっかき傷のようなものがあった、その傷は時にはよく見えないときがあった」と裁判で証言しましたがその記録はありません。カルテに医療記録を残さないことで過失責任に問われないとしたら、精神科臨床医療が改善されません。 4、歯科のレセプト不正請求(1)、歯科が診断していた他害の危険性いわき病院は精神科専門病院ですが、歯科が併設されております。私どもは、いわき病院に処方された薬を確認するために、野津純一のレセプトを請求しました。すると回答書の中に野津純一が歯科で受診したレセプトがあり、そこには「統合失調症で、受診中に暴れて危険があった事実」を記載してありました。いわき病院は、野津純一の「他害の可能性」や「暴力行動がある可能性」を全て否定して、外出中に他害行為を行う可能性を予見する必要はない」という主張です。それで、「いわき病院の歯科が診断できたことを、精神科専門医が診断できないことは矛盾である」と指摘しました。本来、この指摘は沢山ある問題の中の一部であり、それ程重要ではありませんでした。 (2)、歯科における拘束帯の使用いわき病院歯科のレセプトには「危険のため、拘束帯を使用」と記述されています。「野津純一が治療中に痛みのため不用意に暴れると本人の身体が危険であるので、暴れないように拘束帯を使用した」と思われます。しかし渡邊いわき病院長は「いわき病院の歯科は拘束帯を所持していない」「野津純一は暴れることがない、安全な患者である」と主張しました。その上で、「患者が暴れて危険なので拘束帯を使用したと記述すれば、レセプト請求点数が高くなるので、通常行っている便宜的な記述である」と主張しました。いわき病院長の「事実はない、公金不正請求という反社会行為をした」という証言です。 いわき病院長は、「反社会的人格障害を診断できず、患者が他害行為をする可能性に対応しなかった過失責任」よりも、「歯科の、レセプト不正請求は軽い問題」と考えたのでしょうか。いわき病院歯科の野津純一の診察にかかる全てのカルテ等や医療記録を提出するように請求しましたが「倉庫からカルテを見つけだすのに手間取っている」という回答がありました。いわき病院歯科から見れば、とんでも無いとばっちりでしょう。渡邊いわき病院長は「野津純一の他害行為の危険性を無視したか」それとも「レセプトの不正請求をしたか」という、抱え込まなくても良い二者択一の問題を背負ったのです。 (3)、障害者年金申請時の不正記載渡邊医師は、野津純一の一級障害者年金の更新時に「衝動的に暴力をふるう」と記述してありましたが、これは「年金をもらうための方便であり、事実とは異なる」と主張しました。渡邊医師は、重ねて、野津純一には「衝動的に暴力をふるう」可能性はない、と主張しました。渡邊医師は、年金申請書の不正記載(反社会行為)か、もしくは、本件裁判で偽証をしたか、いずれかに該当します。 5、精神障害診断の確定証言(1)、統合失調症渡邊医師はこれまでの警察や検察における陳述や証言また本件裁判における準備書面の記述では「野津純一が統合失調所症であるか否か」に関する診断で、証言が一定していなかった事実があります。今回の法廷における人証で「野津純一は当初から統合失調症であると診断していた」と明言しました。これこそ私たちが求めていた確定証言です。 渡邊医師は引き続いて「野津純一は回復基調にあった」と主張しました。「回復基調にあったから、抗精神病薬の定期処方を中断して、頓服で対応した」という主張です。議論の焦点は「中学1年の3学期に発病して、20年以上継続した慢性統合失調症の患者に対する抗精神病薬の中断が適切であったか否か、過失はなかったか」という問題となります。 (2)、反社会的人格障害の診断渡邊医師は、野津純一には、事件前に反社会的人格障害の兆候は見られなかった、と主張しました。事件前に看護師が、反社会的人格障害に関して看護記録に記述してある事を原告側が指摘しましたが「それは看護師が統合失調症患者に関して勉強した一般論を備忘録的に看護記録に記述したものであり、野津純一の反社会的人格障害の事実を記述したものではない」と主張しました。渡邊医師は、刑事裁判におけるS鑑定で反社会的人格障害と診断された事を否定しました。渡邊医師は、精神科医師として「野津純一を反社会的人格障害と診断することはできない」と主張しました。これで渡邊医師が野津純一は「反社会性人格障害でない」と確定証言したことになりました。 (3)、野津純一主張の意味渡邊医師は、野津純一の発言や症状の訴えの中で、都合が悪い事は「野津純一は統合失調症患者で刑事裁判でも心神耗弱と認定されているので信用できない」と主張しました。ところが野津純一の主張の中で、渡邊医師にとって都合が良いことは、「野津純一は『病院に対して感謝している』と述べた」等と引用して根拠として主張しました。渡邊医師の論理には、本質的に野津純一には発言権が存在しない、また反論不能という状況が組み込まれています。これは、精神障害者である野津純一の人権を踏みにじる姿勢です。 (研修医のための精神医療入門、P.18、星和書店)によれば「患者の言葉の内容と行動の間に矛盾・不一致・反対の行動などが見られることがある。しばしば言葉よりも行動に真の思考や感情が反映されている」と記述されています。渡邊医師の主張は、臨床精神科医師の教科書の記述にも反する、ご都合主義の暴論です。 (4)、証拠文献の否定と記録変更渡邊医師は、カルテ、看護記録、刑事事件調書等の記録で、渡邊医師に都合が悪いものを否定しました。また、自分自身が供述して署名押印した文書であっても、都合が悪ければ、その内容を否定しました。その反面、渡邊医師にとって都合が良い記録や記述は、自らの主張を証明する材料として針小棒大に主張しました。この様な論理では、渡邊医師と、共通の文献や共通の証拠の上に立った、共通の理解を得ることは、不可能に近いことです。 (5)、医師の裁量権統合失調症、強迫性人格障害および反社会的人格障害の診断には客観的な生理学的データは存在しません。国際診断基準(ICD-10、DSM-IV)に基づき診断要素を客観化する努力が行われていますが、診断に至るまでには医師の観察という個性と主観等の要素に大きく左右されます。渡邊医師は「反社会的人格障害の診断に関する刑事裁判のS精神鑑定書は間違っている」と主張しました。渡邊医師の論理を普遍すれば、いかなる鑑定書が提出されても、渡邊医師は「見解の相違」として反論することが予想されます。原告は「渡邊医師の極端な診察診断の論理が、患者である野津純一の症状を無視した、いわき病院の精神科臨床医療として実現して、野津純一を苦しめる結果になった」と指摘します。渡邊医師は、野津純一に対する診断で間違いを犯したという過失を行いましたが、本人は、自らの論理で「間違っていない」と主張しており、双方の主張は平行線です。 精神障害者は診断を通して医師の裁量権に支配されており、医療契約で精神科医師は「善意に基づいて、最善ではないとしても、適切な治療を行う義務」を負います。渡邊医師は、抗精神病薬の中断を含む重大な処方変更を行った際に、緊急時の包括的な指示を行いましたが、この包括的指示はそもそも違法です。包括的指示のもとで、看護師が指示を実行すれば非医師の医療行為で医師法違反です。他方、渡邊医師は看護師からの診察要請に応えず、緊急時の対応を行うチャンスを見逃すという怠慢を行いました。渡邊医師は、患者の状況に応じて外出制限をする、もしくは、閉鎖処遇にする、などの適切な処置をとりませんでした。渡邊医師は、本法廷で事実の解明に非協力的で、否定の論理に固執しています。 渡邊医師は、精神科専門医としての裁量権で、野津純一に対する診断を、適切に行わず、事実とその証拠を否定しました。この精神科主治医の行為は、精神障害の診断を通して入院治療を支配されている精神障害者には深刻な人権の問題が付随します。渡邊医師は精神保健指定医であり、患者の治療に関連して大幅な裁量権があります。しかしながら渡邊医師が野津純一の治療で行った治療行為には、患者に対する重大な背信があります。渡邊医師は、野津純一の病状を的確な時に適切に診察をしませんでした。渡邊医師は、真剣に治療に当たらず、最善の治療ではないまでも病状に応じた対応を怠りました。渡邊医師は、善良な態度で診察治療を行わず、野津純一の診察要請に適宜に応えておりません。渡邊医師が、自らを正確に表現できない精神障害者の立場に立っていないことは、法廷における証言姿勢からも明らかです。 6、抗精神病薬の中断(1)、抗精神病薬(プロピタン)を中断した理由私たちが抗精神病薬の中断を決意した理由として「野津純一の自閉的な傾向を『陰性症状ではなくて、病前の性格と捉えたこと』が統合失調症はごく軽いと考えた理由ではないか」と質問したことに対して、渡邊医師は「そんなことはない」と答えました。 原告が、平成17年10月27日の方針「ドプスを増やしてプロピタンを変更する」に関連して「この後でプロピタンを中止したのでは?」と質問したことに「ジプレキサとセロクエルを試すつもりだった」と答えました。診療録の記録によれば、27日より「ドプスは増量しました」が、「ジプレキサとセロクエルは処方しておりません」。従って、渡邊医師の主張には、裏付けられる事実がありません。遡って、8月の時点でも同様のことがあり、渡邊医師は「プロピタンとリスパダール」また「プロピタンとセロクエル」の2剤同時処方を試みましたが、野津純一のムズムズが酷くなり、失敗しました。ジプレキサも使用を試みようとしましたが、野津純一が拒否しました。渡邊医師は、この経過を思い出して、ジプレキサとセロクエルを使うのを止めて、プロピタン中止を選択したのではないかと推察されます。 (2)、抗精神病薬(プロピタン)の中断と言えるか渡邊医師は「プロピタンの定期処方は中断したが、頓服の与薬と緊急時の注射を指示してあり、抗精神病薬の中断ではない」、また「野津純一に12月7日の拘束後にプロピタンを28日分処方したのは、抗精神病薬中断の間違いを認めたからではない、警察に拘留されている間には、頓服の与薬と注射ができないから、その代わりとしてプロピタンを処方した」と主張しました。渡邊医師は「低力価のプロピタン50mgを1日3錠の投与で、野津純一には幻聴などが出ず、抗精神病薬がごく少量で効いているから統合失調症は軽い。本人が欲しい時だけの頓服を与えるだけで足りる」と証言しました。
7、診察拒否と過失責任(1)、外来患者より軽い統合失調症渡邊医師は「野津純一は重篤な統合失調症患者ではなかった」と主張しました。渡邊医師は、野津純一の母親の証言を使って「野津純一は特に悪くなったわけではないが、毎日注射に行かなければならず、家族が大変になったので入院した」と主張しました。渡邊医師は、自らの診察と診断ではなくて、野津純一の母親の意見に左右されて、病状を証言した可能性があります。 野津純一の入院治療の目的が頻繁な注射からの改善であり、統合失調症の症状が軽かったのであれば、速やかに対策を講じて、入院治療を終えるべきでした。渡邊医師が野津純一の入院理由とした、頻繁な注射を軽減するための治療を始めたのは、入院後1年1ヶ月を過ぎた平成17年11月23日からであり、治療事実と主張の間に整合性はありません。渡邊医師は「野津純一は12月の時点では退院は困難である(第2準備書面P.7)」と主張しましたが、人証では「12月6日の時点で外来患者よりも軽症であり、本人からの要請があっても緊急に診察する必要はない」と主張しました。いわき病院の主張に基づけば、外来患者よりも統合失調症症状が軽度の症状の野津純一を1年2ヶ月入院させていた、ことになり不正です。 私たち原告が「統合失調症に重度の強迫神経性障害を伴う場合には特に予後が悪いとメルクマニュアルに出ていますが」と質問したところ、渡邊医師は「そんなこともあります」と答えました。 参考)(統合失調症の薬物療法100のQ&A、P.179、星和書店)には「強迫症状を合併する症例ほど重症度は重い傾向があるという報告が多く、特に慢性期になるほどその傾向が強くなる」と記載されています。野津純一は統合失調症に重度の強迫症状を合併して、発病後22年を経過した慢性統合失調症であり、重症度は重いと言えます。 渡邊医師は、20年以上経過した統合失調患者で、酷いアカシジアで苦しみ、前日には37.4度の発熱をしていた入院患者である野津純一を、外来患者より軽症と主張する事にこだわりました。現実の野津純一の統合失調症の症状は重く(S鑑定)、渡邊医師はこれに対して適切な治療を行うことができず増悪させましたが、渡邊医師は「軽症だった」と固執しています。この診断の錯誤が、本件で渡邊医師に過失が存在する理由であり、矢野真木人殺人事件では未必の故意があります。 (2)、野津純一の病状悪化渡邊医師は、患者を診察もしないで「病状の悪化はなかった」と言い切りました。この主張は、根性焼きの瘢痕を発見しない医療という現実の前では、患者を見ない医療です。 渡邊医師は、11月23日のカルテに不穏時として「振るえた時、不安焦燥時、幻覚強い時」が出現する可能性を自ら予告しており、病状の悪化を予想しておりました。原告が抗精神病薬を中断していた間の野津純一の病状の判断に関連して、「右方向から聞こえてきた幻聴」「父親の悪口を言っていると憤怒をつのらせた被害妄想」「誰かが喫煙の邪魔をするという被害関係念慮」は「S鑑定では『統合失調症が増悪』と記載されている」と指摘したことに、渡邊医師は「そのようなこともある」と答えました。 渡邊医師は看護師からの診察要請に関連して12月6日には診察をしないで「このような症状は、よくあることで、特に問題としない」と判断しているように思われました。患者の病状の変化を無視して「診察は必要ない」という姿勢です。診察しないで前週と同じ治療(処方)を続ける決定は無診察治療で医師法第20条(無診察治療等の禁止)で禁止されています。しかし、野津純一の病状に関する診断では、渡邊医師が「同意や同調や、理解を示すこと」は期待できないと思われます。野津純一の病状が悪化していた事実を渡邊医師は全面否定します。 (3)、12月6日の診察拒否野津純一はいわき病院の入院患者でした。1年2ヶ月以上の間、入院を継続させていた事実には責任が伴います。また、野津純一が事件を引き起こした時点では、結果論として「外来患者より重篤である」事実が判明しました。しかし渡邊医師は、この事実確認も否定しています。渡邊医師には、少なくとも判断(診断)しようとしなかったミスがあります。12月6日の朝10時には、判断の機会を失った責任があります。渡邊医師は「振るえた時、不安焦燥時、幻覚強い時」が野津純一に出現する可能性がある「不穏時」として自ら11月23日の処方変更を実行した初日に予告しており、それ以降は患者からの診察要請には必ず応える義務がありました。渡邊医師は「野津純一は重篤でない」と主張しますが、同時に「自ら必要な注射ができないので12月中には退院できない」と主張しました。入院患者の診察要請には「診察する」または「代替案を示す」義務があり、病棟看護師から診察要請が伝えられた時点で、主治医は診察を拒否することはできない筈です。渡邊医師は、いわき病院長であり、他の医師に指示できる立場にあります。それをせずに、「診察をしない決定をした」不作為の責任は重い筈です。野津純一に「診察の予定(意図)」が明確に伝わってなかったこと」が重大な過失です。渡邊医師は野津純一を診察できなかった理由として、母親の訪問をあげていますが、不穏時が発生した可能性を診断しませんでした。「患者の求めに応じて診察義務を果たすという意思がなかった」ことは明白です。 (4)、処方変更後の診察怠慢渡邊医師は、平成17年11月22日に基本的でまた重大な処方変更をした後で「11月30日と12月3日に野津純一を診察した」と主張しておりました。しかし、12月3日の診察記録は11月30日のものと日付を変更しました。渡邊医師は「12月3日にも診察した」と主張するだけで、カルテの記録が存在しないことになりました。医師法第24条(診療録)違反です。処方変更の後では、主治医は自らの眼で患者の状況の変化を随時確認する義務があります。渡邊医師は患者の状態を自ら確認しておりません。これは重大な過失です。渡邊医師はスタッフからの報告がないので異常や不穏時の発生はなかったと主張しており、主治医として極めて無責任です。第2病棟看護師長は「抗精神病薬の中断を知っていたか」と質問されて「カルテを見て中断を知った」と応えました。また「抗精神病薬の中断でアカシジア症状が悪化する可能性をドクターから聞いていたか」の質問には「聞いていない」と応えました。渡邊医師はスタッフに「処方変更」と「症状の悪化の可能性」を伝えていなかったことは過失です。 (5)、入院患者に対する診察拒否渡邊医師は「野津純一は入院患者ではあったが、統合失調症は外来患者より軽症で、優先的に診察しなければならない患者ではなかった」と主張しました。「入院患者は外来患者より症状が重いのだから、緊急要請には応える義務がある」との原告の意見に対して、いわき病院代理人から「異議あり!」「野津は外来患者より軽症だった」「入院患者より外来患者が重症の場合もある」と主張して、原告の発言を止めました。一般論として論理的には、一部の患者に例外はあるとしても、入院患者は外来患者よりも重篤であるはずです。また、入院患者が異常を伝え、病棟スタッフがそれを認めている状況では、症状の悪化を疑い、優先的な対処を行うことは、当然の入院医療の常識です。ましてや、野津純一は重大な薬事処方変更を受けており慎重に経過観察をするべき患者でした。 入院患者からの診察要請に対する診察拒否は「入院医療契約の債務不履行」に相当し、民法第400条(善管注意義務)、同第415条(債務不履行)違反です。渡邊医師は、11月22日と30日のカルテに「振るえた時、不安焦燥時、幻覚強い時」が出現する可能性を自ら予告しており、診察要請には必ず応える義務がありました。野津純一は入院患者であり、主治医は毎日の変化を観察する義務があります。入院患者の診察は通院患者と同じレベルではありません。 (6)、統合失調症の重篤度と他害の危険性一般的に統合失調症が重篤であることは、必ずしも他害行為の危険性が高まっていることにはなりません。あくまでも、統合失調症患者としての治療の優先度および必要性の問題です。渡邊医師は、統合失調症が「重篤=他害の危険度が亢進する」という論理を用心していると推察されます。野津純一の場合は、人格崩壊(S鑑定では破瓜型統合失調症の要素とされている)と自傷行為である根性焼きを繰り返していた時期に当たり、他害の危険性が高まっていたことは事実です。渡邊医師は11月23日から重大な薬事処方を変更していたのであり、野津純一は渡邊医師が予見した不穏時の症状であるアカシジア(イライラとムズムズ)で苦しんで根性焼きという自傷行為を繰り返していたので、12月6日に患者からの診察要請があったにもかかわらず診察拒否をしたことは過失に当たります。 (7)、違法な包括指示渡邊医師が「11月23日に、異常発生時の指示を出しており責任はない」と主張していることは、包括的指示で違法です。医師法第19条の「診療義務等」または第20条「無診察治療等の禁止」に違反します。仮に方針をカルテに記載してあっても、医師は経過観察を行わなければなりません。「カルテで対応を指示してあった」は違法な主張です。病棟看護師から伝えられた診察要請を、無視して診察拒否をしました。渡邊医師は「本当に異常が発生しておれば看護師からの連絡で医師が診察する予定だった」と主張する可能性がありますが、そもそも、12月6日に診察をしておらず、無効な主張です。異常発生時の判断を看護師がしても、主治医が診察もせずに「従前と同じ」と否定しては、そもそも異常発生時の対応という主張が無意味です。 8、外出許可(1)、2時間以内の外出許可野津純一に対しては、外出許可はその都度行うものではなく、包括的に与えられていました。渡邊医師は「外出の時は、ナースステーション内にいる看護師に、外出簿を出してもらわないと記入できない、看護師はナースステーションに常駐している」と主張しました。いわき病院は「2時間以内の外出は全て、ナースステーション前に置かれた外出簿に記録されている」と主張しました。しかしながら、12月6日の野津純一の外出では、帰院時間が記入してありませんでした。従って、病棟看護師の確実な確認は行われておりませんでした。いわき病院はこのような患者の記録不備があっても、翌日には外出させていました。患者の外出管理ができていないことは明白です。 「野津純一は12月の7日間だけでも4回外出している。1年2ヶ月の間の外出は40回ではなくずっと多いはずなのに、40回の外出というのか」との質問に、渡邊医師は「『問題がなかった40回以上の外出』という発言は、40回以上であり、80回でも120回でも同じ事」と主張しました。答弁には明らかな詭弁性が認められました。渡邊医師は「野津純一が入院していた期間の全てに渡る外出記録簿を証拠提出する」と言いました。その結果入院期間中の野津純一の「2時間以内の外出」は111回でした。野津純一は自分が望んだ時にはいつでも自由に外出していたというのが実態です。いわき病院は自由放任で患者の外出管理はできておりませんでした。 (2)、ストレス発散と外出渡邊医師は、野津純一のストレス発散は「散歩」なので、散歩を止めるとストレスがたまるから止められない、と供述しました。(研修医のための精神医療入門、P.17〜18、星和書店)には「ストレス解消の散歩も自傷の症状があれば、保護的措置となる」と記述されており、ストレス解消であれば、自傷他害の可能性を検討しなくて良いものではありません。渡邊医師は、入院患者にストレスが蓄積している事を認めた上で、ストレスによる危険度の向上の可能性を考慮せず危機管理意識がない、精神科臨床医療を実施していたことになります。 (3)、退院を迫られたストレス渡邊医師は「野津純一には退院を迫られているストレスはあったのか」との質問に「いいえ」と答えました。しかしながら、渡邊医師には入院時には1351点の保険点数が1年を過ぎれば800点にまで下がるので退院を迫る理由がありました。渡邊医師は警察調書でも野津純一が殺人した原因を問われて「思いつくことは退院のこと」と答えてありました。また11月30日に変更した12月3日のカルテにも「退院し、1人で生活には…」と記述してあり、野津純一に退院のストレスを与えていたことは明白です。 9、社会的責任(1)、根性焼き偽証
(2)、法的責任
(3)、反社会的行為
(4)、医師裁量権の乱用
第2部 原告側の人証平成22年9月13日(月)に原告の矢野啓司、矢野千恵および野津父親は高松地方裁判所民事法廷の人証で証言しました。 1、治療と他害行為質問1: あなた方は、事件後本を出版したりしましたが、協力者がいたのですか。 証言: 事件後から沢山に方に協力や支援また助言をしていただき、そのおかげでここまでこられました。「凶刃」は出版社の協力で、犯人に精神鑑定結果が出て起訴不起訴の決定がある前の出版を目指して大急ぎで執筆しました。この他にも、精神医療や法律の専門家などからも沢山の助言をいただきました。この人達に大変感謝しています。 質問2: 「凶刃」のP.206には「病気の人をちゃんと診療して治療すればこんなことは先ず起こらない。また、(加害者は)突然刺すという行為に出るわけではない。多くの場合、数週間前から症状は悪化している。きちんとした医者ならそれに気付くのではないか。追求されるべきは、この加害者がどういう治療をされていたかだろう。」という新聞に掲載された専門家の意見が掲載されていますが、どのように思いますか。 証言: この裁判を開始して私たちはいわき病院の野津純一に対する治療の実態を調べました。そして分かったことは、この指摘の通りであった事実です。いわき病院は野津純一に対する抗精神病薬の投与を平成17年11月23日から中断したと言っておりますが12月6日の事件の一ヶ月以上前から中断していたという内部情報もあります。野津純一の症状の悪化は12月1日以降に顕著であったことが看護記録を見れば明らかです。野津純一はイライラやムズムズなどのアカシジアの症状で苦しめられたにもかかわらず、主治医の渡邊医師に治療を放棄された状態で、自分で顔にタバコの火を当てて根性焼きの瘢痕をつくって自傷行為を行っていました。いわき病院は渡邊院長も第2病棟看護師も誰も野津純一の顔面を正視しない医療と看護を行っていたことは明白です。いわき病院は野津純一に対する精神科医療で過失があったと確信します。 質問3: 「凶刃」の同じP.206には福祉専門家の意見として「福祉関係者の一人は、「どうにも、ふに落ちない」と首をかしげる。詳細は分からないけれど、と前置きしながらも、患者はきっとサインを出していたはず。それを見落としたのが悔やまれるというのだ。「患者は、自分の状態が良くないから入院を希望して治療を託した。何人ものスタッフが関わっていて見落としたのであれば、病院の責任は重いと思う」とも話す。(中略)「患者一人ひとりに向き合った上質の医療が提供できていたか」(医療関係者)については疑問も残る。「しっかり向き合っていれば、患者からの何らかのサインに気付くことができたのではないか」(福祉関係者)の指摘も重い。精神科病院の治療の在り方とともに、再発防止のための原因究明が求められている。」と言う意見も掲載してありますが、どのように考えますか。 証言: この専門家が指摘している「患者はきっとサインを出していたはず。それを見落としたのが悔やまれる」の事実関係はいわき病院が野津純一の根性焼きを見逃していたことで代表されます。顔面にある瘢痕を見逃すという精神科の診察と看護とは何でしょう。そんな事実があったことすら信じられない思いです。患者の立場になってみれば、医師や看護師から相手にされず、冷たく放置された状態で、不安感も高かったと想像します。また「患者は、自分の状態が良くないから入院を希望して治療を託した」という意見も重要です。野津純一は渡邊医師が薬事処方の重大な変更をしてからいわき病院の主張によれば2回しか診察を受けておりません。しかし、そのうちの12月3日の診察はカルテの日付が変更されましたので「診察した事実の記録がない診療」です。本当に診察を受けたのかそうでなかったのか、それすら確認できません。そして12月6日の事件の朝には診察を願い出たのに拒否されました。この専門家は「患者一人ひとりに向き合った上質の医療が提供できていたか」とも言っておりましたが、「野津純一と向き合った最低限の医療すら提供されていなかった」ことは確かです。 2、根性焼き質問1: 野津純一の根性焼きを問題にしておりますが、そもそも根性焼きとは何ですか。 証言: 根性焼きの言葉を私たちは最初に検事さんから聞きました。「根性焼き」と言われて意味が分からず「それは何ですか?」と説明を求めたほどです。「タバコの火を自分の頬に当てて行う火傷の自傷行為」と聞いて信じられない思いでした。そんなことをする人を想像すらできませんでした。検事さんに「それは公式の言葉ですか」と質問して「犯人が自分で言っている表現」と言われて、その時には犯人の実像を想像して恐怖感を覚えました。タバコの火で自分の顔面を焼くという行為が実際にあるとは、私には想像もつきませんでした。 質問2: 根性焼きは病状悪化のサインですか。 証言: 野津純一はイライラとムズムズに耐えきれなくなって、火傷の痛みで代替してこらえようとしたのだと推察できますので、病状は悪化しておりました。刑事裁判の時のS鑑定でも病状増悪と書いてありました。自傷行為は措置入院の要件で、野津純一の病状は悪化しておりました。いわき病院は当然外出禁止の措置を取る義務がありました。 質問3: 抗精神病薬中断の時期はともかく、事件当日の病状は悪化していたのでしょうか。 証言: 野津純一は病室を出てナースステーションまでの間に、はっきり「声が聞こえたところ」と明記した供述をしています。エアコンの音が人の声に聞こえるなどの普段の幻聴とは異なる、父親の悪口を言っている幻聴で、病状が悪化していた証拠です。野津純一が外出簿に記載するときにナースステーションの担当者が「幻聴の聞き取り」や「患者の様子の観察」もしくは「声かけ」などを行っていたら異常を発見することができて外出禁止になっていたかも知れません。精神障害者の観察は日常のわずかな兆候の変化を見ることが重要です。渡邊医師が言うように「暴れていない限り外出禁止をしない」では患者を外出管理する意味がありません。 質問4: いわき病院は「野津純一の顔面にタバコの火傷の根性焼きができているとしたら12月7日にいわき病院を外出した後でつくられたものだ。いわき病院内では自傷していない」と言っていますがそうでしょうか? 証言: 私たちはテレビで放送された野津純一が12月7日に警察に拘束されたときの映像から撮影した写真を証拠として法廷に提出しました。この写真には野津純一の左頬に沢山の瘢痕が写っています。仮に一番新しい瘢痕はいわき病院が主張した病院から外出後に自傷したものであったとしても、沢山ある他の瘢痕は明らかに治癒が進んでおり、1時間以内の瘢痕ではないことは明白です。素人目ですが、瘢痕は数日経過したものが沢山あります。 質問5: あなたたちは根性焼きの目撃者を捜しましたか。 証言: 警察は、ショッピングセンターで聞き取りして、12月6日に野津純一が100円ショップで万能包丁を購入したときには顔面に既に小豆大の瘢痕があったとして手配して、手配通り顔面左頬に傷がある野津純一を逮捕しました。それで、私たちはいわき病院の前から道路をショッピングセンターの入り口まで歩いてみました。途中の道路は住宅街で、人目を避けて顔面にタバコで自傷する場所はどこにもありませんでした。私たちの徒歩で15分の距離でしたので、野津純一は病室からショッピングセンターの中までは20分近くかかったと思います。野津純一はいわき病院を出て75分後に拘束されましたので、大判焼きを食べたり、ショッピングセンター内をぶらぶらしたりの時間を考えれば、根性焼きを自傷する時間はなかったはずです。 ショッピングセンターの中の100円ショップの店員に自己紹介をして12月6日の目撃者の店員を探しました。当時勤務していた店員はおり「12月7日に野津純一の顔面にあった酷い瘢痕の傷を見た」と言いましたが、6日に目撃した店員は既に退職しており、店に聞いても現在の所在を確認することができませんでした。野津純一は大判焼きを食べたことになっておりますので、大判焼きの甘味ショップを尋ねました。ショップの夫婦は「酷い傷だった。あんな傷は短時間ではつくれない。1時間以内ではあり得ない」と言いましたが、目撃したのは12月7日でした。この説明により、渡邊医師の「いわき病院を出てから逮捕されるまでに自傷した」という証言は虚偽である蓋然性は高いと判断しましたが、「素人の観察」であり、12月6日に根性焼きがあったとする証拠にはならないと判断しました。 質問6: 野津純一の根性焼きを1月25日の医療刑務所で人証した時に確認しましたか? 証言: 人証の時に私たちは野津純一の顔面を何度も注視しました。いい加減な観察で終わってはいけないと、瘢痕はあるか、傷の跡や影はあるか等チェック項目を頭で描きながら、野津純一が発言して顔や筋肉を動かす状況の変化で根性焼きが見えてこないかを慎重に観察しました。しかし野津純一の顔面左頬には黒子が一個あるだけで、根性焼きがかつてあった兆候は何も見当たりませんでした。 私たちは刑事裁判の時にも野津純一の顔面を観察しましたが、4月の公判開始時点では確かに火傷が完全に治癒した跡の色素沈着を見る事ができました。しかし6月末の判決時点では既に消えておりました。このことから類推すれば野津純一の根性焼きは6ヶ月で跡形無く消える火傷であったと確認できます。 渡邊医師が主張した長期間継続的に持続する火傷は深達成II度(2b度)熱傷もしくはIII度以上の熱傷です。しかし、野津純一がタバコの火で自傷する場合、必ずより過酷な熱傷を負うべく行動するという必然性はありません。通常の行動様式では、火傷を自傷しても、浅達成II度(2a度)熱傷以下に手加減することが自然です。野津純一の根性焼きは浅い火傷である「2a度」程度の火傷であったと推察します。外見的には水疱やびらんが生じる程度でしょうが、12月7日には水疱は観察されておりません。また潰瘍が生じる程深い傷でもありませんでした。野津純一が自傷した火傷はおおむね1〜2週間程度で治癒した瘢痕であったと思われます。野津純一は、自傷の程度を制御して、重大な損傷にならない程度で根性焼きをしていたと思われます。 質問7: 渡邊医師は「逮捕されたときに根性焼きの瘢痕があったのであれば、いわき病院を出てから逮捕されるまでの間に、院外で自傷したのだろう」と主張しましたが、どう思いますか。 証言: 先ほども言いましたが、野津純一が病室を出てから逮捕されるまでの75分程度では自傷行為をする時間は無かったと思います。いわき病院からの道路は住宅街であり、途中の道路は交通多数です。あの日には沢山の報道関係者が取材しておりましたし、殺人事件に衝撃を受けて集まった野次馬もいたはずです。現にショッピングセンターの職員は私たちの事情聴取に「(12月7日に)見た、すごかった」と発言しました。しかしその日、タバコで火傷を自傷している男の姿を見た人間はおりません。野津純一の顔面には、いわき病院から外出した時には既に複数の根性焼きの瘢痕があったのであり、外出後に短時間にまた目立たない方法で自傷することは不可能だった筈です。 3、精神医学的知識の入手方法質問1: あなたたちはこれまで随分と精神医学的な判断を主張してきました。どのようにして専門知識を入手しましたか? 証言: 私どもは事件後に大量の本を買い込んで精神医学の勉強をしました。また精神障害者の犯罪に関連するシンポジウムには積極的に参加して情報収集しました。また、ロゼッタストーン社から「凶刃」を出版し、同社のホームページで意見公開をしており、いわき病院関係者、精神科医療関係者、精神障害者自身、精神障害者の家族、精神障害者による犯罪被害者等から沢山のコンタクトがありました。これらの方々とは、メール交換をすると共に、面会もして情報を得ると共に現実を学びました。これらの方々との接触を通して、精神障害者が直面している現実を知ることができました。 質問2: 精神科医臨床医のアドバイスもありましたか。 証言: 私たちに助言してくださった精神科医師は沢山おります。事件直後には私たちは精神的ショックが大きく、鬱の症状がありましたので、精神科クリニックで治療を受けました。その際に精神科医師からも、本件裁判に関係する精神医学的な問題及びいわき病院の臨床医療の問題に関して、貴重な意見をいただきました。例えば、私たちが指摘した「CPK値でアカシジアを診断した問題」は最初精神科クリニックで「いわき病院のカルテに記述があった」と言ったところ、医師に「あり得ない!」と驚かれて問題の本質を私たちも理解しました。また薬剤性アカシジアにドプスを処方していた問題も「ええ? アカシジアにドプス?」と言われて、渡邊医師が普通の精神科医師であれば行わない治療を野津純一に対して実行していた事実を知りました。 質問3: 高度な精神医療専門家からも意見をもらいましたか。 証言: 元大学助教授の精神科医にもカルテや看護記録を見ていただいて「殺人事件につながる犯人のイライラはアカシジアのため」というご意見をいただきました。アカシジアを良くしようとして、原因である抗精神病薬の中断や急激な減量を行うと、かえってアカシジア(イライラやムズムズ)が酷くなるというもので、離脱性アカシジアといいます。離脱性アカシジアには抗コリン剤(アキネトン、タスモリン等)が有効です。渡邊医師は生理食塩水が有効だと言って、アキネトンを生理食塩水の注射に変え、タスモリンも中止していたことが第10準備書面で明らかになりました。離脱性アカシジアが酷くなるにまかせたのです。なお、この医師はいわき病院が変更する前の日付のカルテを見て「12月3日(改訂後は11月30日)の渡邊医師の診察が鍵である」と指摘しました。渡邊医師は12月3日に診察したのであれば、看護記録とも合わせれば、遅くともこの日までには野津純一の異変の兆候に気付くべきでした。 質問4: 原告の精神医学的な主張は、原告夫妻が考えたものでしょうか? 証言: 私たちがこれまで提出した精神医学的な指摘や主張は全て日本人の精神科医師に助言や眼を通していただいており、原告だけの見解で主張したものはありません。しかし、残念ながら、私たちに助言してくださった精神科医師はどなたにもお名前を表に出すことには同意していただけません。医師の立場と生活がありますので、私たちも無理は要求しないことにしています。今日の日本の精神医学界の中では、他の医師の過失責任を自らの名前を表に出して指摘することは極めて大きな勇気が必要なことであると認識します。 質問5: あなた方に助言した精神科医師の中にいわき病院の実情を知っている人はおりましたか。 証言: 出版社ロゼッタストーンのホープページで情報を公開している関係から、いわき病院の関係者は複数の医師以外にも、沢山の職種の方から情報をいただきました。私たちはその勇気に心から感謝しております。その人たちから、抗精神病薬の一ヶ月以上の中断とか、野津純一が苦しんでいた様子を聞きました。この人達は「渡邊院長に患者の状況を報告しても聞いてくれない。言えばしかられる」といっておりました。この人達は今ではいわき病院で働いていない人がほとんどです。しかし、実名を公表したり、この裁判で証言してもらうとなると、香川県内では医師や専門職として働くには障害が発生する可能性があります。 いわき病院の内部関係者ではない医師からも情報をいただきました。ある医師は「いわき病院で主治医が渡邊医師だった患者さんを診察することがある。過去の治療歴が悪くて、いわき病院で病状が悪化した患者さんがいて驚いた。渡邊医師の治療には間違いが多く、問題があります、責任を問い、是正されなければなりません」と言いました。しかし、この医師も実名は公表できません。 4、診察拒否質問: 12月6日に野津純一は診察拒否を受けたと考えますか。証言: 野津純一はいわき病院の入院患者でした。12月6日の朝には看護師を通して診察も仕込みをしましたが、渡邊医師に診察を拒否されました。第4準備書面(P.7)には「外来診察を中止し、緊急に野津を診察しない判断をした。これは医師として間違った判断ではない」と主張した事実があります。渡邊医師は「後から診察するつもりだった」と主張しますが、野津純一にはその意図が伝わっていなかったことは確かです。いわき病院は野津純一を診察する義務があったことは確かだと考えます。 5、野津純一といわき病院の責任質問: あなたは刑事裁判の第一回公判後の記者会見で「野津純一は殺意に関して嘘を証言した」また「100%責任能力がある」と発言した報道があります。野津純一に完全責任能力があれば、いわき病院の責任は問えないのではありませんか。証言: 刑事事件の第一回公判の時には確かに「完全責任能力がある」と発言しました。あの時点で私たちは「犯人に可能な限り重い刑罰を科す」にはどうするかという課題に直面しておりました。裁判官に被害者遺族の意見を伝えられる方法は新聞とテレビの報道です。「完全責任能力」の発言は「重い罪に付けて下さい、犯人は矢野真木人を故意で殺人しました」という私たちの意図的なメッセージでした。記者会見では「単純で明確な言葉で発言しなければ、私たちの意図は伝わらない」と考えた、誇張の要素があります。 私たち夫婦は検察官に対しても最初から「完全責任能力」を主張しておりませんでした。私たちは刑事裁判が開始される前から「野津純一といわき病院を比較すれば、いわき病院の責任がより重い」と考えておりました。その意見は野津夫妻にもあらかじめ明確に伝えました。それで野津純一の「心神耗弱」に異議を差し挟みませんでした。そもそも「病院の責任論と殺人犯の刑罰は質が異なる問題」と考えます。しかし、犯人に完全責任能力を主張すると、病院から「病院には責任はない」と反論されたときに議論が複雑になると考えました。「野津純一に死刑以外の可能な限り重い罪を科し、同時に、いわき病院の責任を追及する」これが私たちの最初からの目的です。 私たちはいわき病院の責任がどうすればより明確になるかを考えて、野津夫妻に民事裁判を一緒に提訴することを刑事裁判前から提案しておりました。その結果が現在の民事裁判で私ども夫婦と野津夫妻が原告になっている形態として実現しました。 6、カルテ日付変更と渡邊医師の診察質問1: 渡邊医師は11月30日と12月3日に診察しました。6日には診察するつもりでした。いわき病院は野津純一を十分に診察していたと言えるのではありませんか。証言: 渡邊医師はカルテの記録から日付を変更しましたので、処方変更後に診察した記録は11月30日のみです。12月3日にも診察したと主張しますが記録がありません。渡邊医師の人証時の発言はカルテ記載という裏付けがありません。これは医師法第24条(診療録)違反です。渡邊医師は人証で、野津純一は3日以後病状が改善していたかのような発言をしましたが、医療記録の裏付けがありません。 渡邊医師は処方変更をしてから矢野真木人が殺人されるまでの14日間に1回の診察記録しか残しておりません。また12月6日には診察拒否をしました。渡邊医師は6日の朝に診察を要請されたときに、「後から診察する」という明確なメッセージを野津純一に伝えてありませんでした。また「診察しようとしたら、母親が訪問していたので診察できなかった」と主張しましたが、診察をしない理由にはなりません。渡邊医師は12月7日の午前中に野津純一を診察するそぶりもありませんでした。重大な処方変更をした後で二週間の間に、主治医が一回しか診察した記録を残していないことは明白です。しかも、渡邊医師の主張によれば診察したとする11月30日と12月3日とも午後7時以降の診察です。これでは、とても適宜適切に診察したとは言えません。 質問2: 渡邊医師が野津純一を診察しておれば、危険回避は可能だったのでしょうか。 証言: 私たちに助言して下さった精神科医師は「12月3日付のカルテの記述が『山』になる」と言いました。しかし、その日付は今回の変更で11月30日となりました。そもそも、12月3日に渡邊医師が診察していた事実は確認できません。渡邊医師は野津純一の病状が悪化してから患者の病状の変化に注目して真面目に診察をしたとは到底言えません。いわき病院は唐突にも裁判が開始されて4年を経過した後に、カルテに記載されていた12月3日の記録を11月30日に変更しましたので、カルテ記載事実の信用性が損なわれました。今回のカルテ記載日変更により、12月3日に診察が実際に行われたことを裏付けるカルテの記録が失われました。渡邊医師は「3日にも診察した」と言っているだけです。医療事実の証明がない証言です。 渡邊医師はこれまで「12月3日の診察は夜7時から外来診察室で30分以上の時間をかけて行った」と主張しました。12月3日は土曜日であり、夜7時から外来診察室で診察を行うために必要なスタッフ配置を考えるとあり得ません。看護記録によれば、野津純一は12月2日に「内服薬が変わってから調子悪いなあ・・院長先生が(薬を)整理しましょうと言って一方的に決めたんや」と発言し、3日にも「調子悪いです」と言いました。そして、4日には硬い表情でアキネトンを疑っていました。渡邊師は11月30日の診察で野津純一にムズムズと幻聴を確認しておりましたので、12月3日の土曜日には日中の時間帯に野津純一の病状の変化を詳細に診察する必然性がありました。また本当に診察していたのであれば、病状の悪化に気付くべき必然性がありました。 渡邊医師は薬事処方変更をした後で、診察した記録は一回しかありません。12月3日には30分以上時間をかけて診察したと主張しますが、診察した記録がありません。11月30日と12月3日に仮に診察していたとしても、真剣性に欠ける態度で診察をしていたことは明白です。渡邊医師は抗精神病薬プロピタンの定期処方を中断していたのですから、野津純一のアカシジアに特に注目した丁寧な診察を頻繁に行う義務がありました。渡邊医師が真面目に義務を果たしておれば危機回避は可能でした。 質問3: いわき病院がカルテ日付を変更したことをどのように思いますか。 証言: 渡邊医師は「外来診察を診た後、野津純一を診察室で診察した」と繰り返し主張しました。医師が外来患者を10人〜20人診察すると、その度にその日の日付を真っ先にカルテに記載します。入院患者を外来患者の後で診察したのですから、日付を間違えて書くなどと言うことは考えられません。ましてや2回続けて同じ患者さんのカルテだけ日付を間違えて書く訳がありません。 外来患者の診察では次の来院日の決定などがあるため、診察室には必ずカレンダーがあります。診察日にその日の日付を間違えることはあり得ません。裁判が4年も経過した後でカルテ日付を書き換えるというのは、カルテに記載された診察等の記録が後から書き加えられた可能性が高いことを強く示唆します。 7、矢野千恵は薬剤師ですか質問1: 原告矢野千恵は薬剤師ですか、現在薬剤師として仕事をしておりますか。これまでに精神科の仕事をしたことがありますか。証言: 私は薬剤師です。静岡県立静岡薬科大学を卒業し、英国のリバプール市立ジョンモア大学薬学部に研究生として留学した経験があります。職歴は病院薬剤師としては内科・外科病院の経験があります。現在はドラッグ・ストアチェーンの管理薬剤師であると同時に、高知大学教育学部付属養護学校の学校薬剤師として知的障害等の障害児童の健康問題に関係しています。 本件裁判では精神薬理学を専門的に勉強し、「凶刃」のP.110に紹介してある英国ブリストル大学臨床精神科准教授で精神薬理学のサイモン・デイビース医博とも意見交換をして課題を探求してきました。また日本人の精神科医師とも意見交換をして、精神薬理学の臨床と専門書の記述の関係を確認しております。私は被害者の母親であり、重大な関心を持っていわき病院の診断や薬事処方に大きな問題があることを発見し、この点で事実関係の追求と解明を積極的に行いました。私が解明した事実関係は私たち原告に助言してくださる精神科医師には毎度具体的に情報を提供して、意見と判断をいただいております。薬剤師矢野千恵の努力と精神科医師の協力で、これまでの原告の主張は構成されました。 質問2: 渡邊医師は「病院スタッフの報告で薬事処方変更の効果判定は有効に行っていた、また異常は報告されていない」と主張しておりますが、意見がありますか。 証言: 渡邊医師は処方を変更した後の経過観察を、看護師、作業療法士また金銭管理担当者の報告に頼り「異常はなかった」と主張しましたが、その証拠となる報告書がありません。また渡邊医師は病院スタッフに「重大な処方変更をした」という周知および注意喚起をしておりません。このことは、第2病棟看護師長が「カルテを見て抗精神病薬の中断を知った」また「病状悪化の可能性は知らされていなかった」と証言したことからも明らかです。渡邊医師が証言した職種の職員は薬事処方の効果判定に関しては無資格者です。無資格者から報告が無いことをもって処方変更の効果判定をすることはできません。医師法第17条違反です。 質問3: いわき病院の薬処方に何か意見がありますか。 証言: 私は、いわき病院のカルテに「4月以降の処置等の清書はしない」という記載があり、カルテ記述内容を判断しづらかったので、平成17年11月以降の薬処方内容を確認する質問をしました。すると最初の回答が平成19年8月20日付けでありました。この日は我が子真木人の誕生日であり、命日以上に辛い日で、忘れることができません。その回答書では「抗精神病薬は12月6日の殺人事件当日まで投薬された」ことになっておりました。ところがいわき病院は翌日訂正回答を提出し「抗精神病薬の中断は11月23日から」となっておりました。この二つの主張はカルテとも内容が異なり、この時点で3種類の処方が存在したことになります。 渡邊医師は人証で「いわき病院の薬処方はコンピュータ管理されていて、記録を変更した場合は全て変更者と変更日時が記載され、記録保全は完璧である」と主張しましたが、渡邊医師の薬事処方の書き換えはできないという主張は信用できません。コンピュータに記録されたはずの薬処方を正確に申告できないことが、いわき病院が説明した薬処方管理方式が事件当日の事実ではなかったことを示しています。薬処方に関する渡邊医師の主張は事件当時の事実を発現しておりません。 今回の訂正まで、いわき病院の薬事処方の申告から3年が経過しました。また裁判所が争点整理案を作成して内容の確認を訴訟関係者に求めてから8ヶ月が経過し、その間に何回か内容の変更と書き換えも行われました。その間、いわき病院は何も訂正申し込みをせず、人証の直前になって抗パーキンソン薬と抗うつ剤(タスモリン、ドプス、パキシル)の処方を変更しました。私たちは争点整理案に記述された処方で質問の準備をしておりましたので、大変困惑しました。いわき病院から提出された処方はこれで4種類になりました。「文書を提出した直後に訂正の準備書面を出すと、直前の分には公的効力がない」と弁護士さんから聞きました。しかし一旦は「抗精神病薬を12月6日まで継続して出していたとする処方」を提出した事実が持つ意味は、法律家はごまかせても、薬剤師である私を騙すことはできません。 8、いわき病院の責任質問1: いわき病院に責任があると思いますか。証言(矢野千恵): いわき病院には責任があると思います。最初から病院には責任があると確信していました。犯人は精神障害で入院しており、いわき病院で12月6日まで野津純一は根性焼きの火傷の瘢痕を顔面に付けていましたが、いわき病院の看護師は発見しておりません。毎日検温と血圧測定をしても顔の異常を発見できなかったとは驚きです。犯行当日から、夕食と次の朝食も食べず、いつもは会うのに面会に来た母親を追い返して、数々の異常が見られたにもかかわらず気がつきませんでした。犯行日の帰院時間の記載が無いのに翌日も血のついた同じ服装で外出させ服装チェックを行っておりません。いわき病院が患者の外出管理を行っていないことは明白です。治療と看護を放棄されたような状態で、いわき病院に入院していた野津純一は哀れと表現するしかない状態でした。 質問2: いわき病院には矢野真木人さんの殺人に責任があると思いますか。 証言(矢野啓司) いわき病院には野津純一を治療する責任がありました。いわき病院は野津純一の治療責任を果たさなかった過失があり、その上で、野津純一の矢野真木人殺人に対して過失責任が問われなければなりません。いわき病院は野津純一に対して必要最小限の医療を行うどころか、錯誤に満ちた治療を行い、看護を放棄した状態でした。当然のこととして野津純一に対して過失責任があります。また野津純一の自傷行為を見逃して外出させたことは重大な過失です。自傷と他害は精神医学的に密接な関連がある行為であり、その危険性を考慮しないいわき病院の医療には過失責任があります。矢野真木人殺人は偶然発生した結果ですが「殺人行為を予見しなかったこと」また「予見することを無視したこと」がいわき病院の責任です。 9、精神犯罪に関する考え方質問1: 精神科治療により、精神障害者による殺人事件は減らせると思いますか。証言: 精神科医療をきちんと行えば、精神障害者による殺人事件は減らせると思います。100%とは言えないまでもかなり減らせると思います。現在の精神科医療をきちんと受けて、抗精神病薬を服薬すれば、多くの精神障害者は社会復帰できるようになっています。刑法第39条は100年以上前に起草された法律ですが、今日の精神科医療は100年前とは異なります。統合失調症は病状が悪化したときに暴力がでることがある病気です。しかし、抗精神病薬の継続投与などの病状管理により精神障害者による殺人事件は減らせます。 質問2: これからの希望はどういうものですか。 証言: 矢野真木人は何の落ち度もなく生きる権利を奪われました。事件直後から私たちは心神喪失で犯人が罪に問われない可能性が高いことに悩まされ続けました。私たちが最も怖れたことは「犯人が心神喪失とされた場合には、事件の本質が解明されず、矢野真木人が命を奪われた教訓が社会に活かされることがない」そして「矢野真木人に命が無駄死に終わる」という喪失感と絶望です。 矢野真木人は日本人であり、英国人です。矢野真木人には日本の国内法の規定にかかわらず英国籍がありました。英国では仮に犯人が心神喪失で罪に問われない場合でも、事件は事件として、殺人事件が発生した場合には地域行政の手で専門家による原因究明は行われ、その結果が公表されます。どうして日本ではそれが行われないのでしょうか。私たちは持てる知識と友人の協力などによりここまでいわき病院の精神科医療の怠慢を究明してきました。大切な息子の命を奪われた被害者だからこそ頑張れました。しかし、私たちの努力には膨大な時間、労力と資金、そして多種多様な分野の友人の支援も必要でした。とても、誰もができることではありません。 心神喪失と裁判で認定されたなら、悲惨な事件が無かったのではありません。心神喪失の裏で涙を流す、無残にも命を奪われた被害者がおり、それを悲しむ被害者遺族がおります。規則に基づいた社会的処分の如何に関わらず、事件には重大な社会問題があります。どうして社会の努力としてそれを改善しようとしないのでしょうか。心神喪失で罪に問わないことで事件が放置されることは、被害者にとって最大の悲しみです。この精神障害者の犯罪に対する無作為が日本の現実です。正直にまた真っ当に生きて社会生活を行い、納税の義務を果たす普通の市民の人権が守られておりません。本当にこれが日本なのかとも思います。 精神障害者には、まともな治療を受ける権利があります。あれだけ処方変更をしてもその後の経過を十分に観察せず診察拒否をする医師の態度は他科では考えられないことです。「精神科病院や精神科医療の前では精神障害者には本質的に人権が無い」と言わざるを得ません。人権が無視されています。精神障害者の全てが真っ当な治療を受けて、矢野真木人のような理不尽な死がこの日本から減ることを心から願います。 10、野津父親の証言証言台には野津純一の父親だけが立ちました。父親は「根性焼きに気がついていたか」と質問されて「根性焼きの言葉は事件まで知らなかった」また「母親から『6日より前に顔面に真新しい痣のような瘢痕があった』ことを聞いている」しかし「自分自身は、父親であり、あまり息子の顔を見つめるようなことはしないので、全く気がつかなかった、それは父親としては普通のことではないだろうか、理解して下さい」、更に「母親は11月28日から30日までの帰宅の際には、生々しい火傷の傷は見ておりません」と述べました。 野津純一の心が12月6日に不安定だったことに関連して、「いつもは土日に家に帰ってもらい月曜日に病院に返していました。この時はたまたま夫婦で週末の小旅行をしたので、純一を病院に泊めたままにしました。もし連れ帰っていたら、殺人事件を引き起こすまでには至らなかったのではないかと考えます」また「純一は言いたいことが沢山心の中で渦巻いていても、うまく言葉で表すことができません。そんな純一が『咽の痛みと頭痛』と言ったのはようやく言葉をしぼり出してやっとのこと言ったのです。そんな患者である純一に渡邊先生はもっと愛情を持って接して欲しかった、主治医には愛情が足りなかった」と言い、父親は証言台の上で涙を流しました。 上記に関連して事件直後に野津父親が渡邊医師に「あなたがもっとしっかりして、ちゃんと純一を治療してくれていたら、こんな事件は発生しなかった」と泣いて訴えたという話を、野津純一がいわき病院に転院する前の主治医だったY医師が私たちに話してくれました。なお、いわき病院の入院治療に関して父親は多くの意見と不満を発言したい様子でしたが、「質問外である」として制止されて不服の顔でした。父親は殺人事件を引き起こした我が子の人生の不幸を背負い、真面目な態度で質問に答え、証言を行いました。私たちは開廷前に父親と挨拶を交わしましたが、この時に母親からの「12月6日には、息子純一の顔面に火傷の瘢痕を見ました」という手紙を渡されました。野津両親は息子の責任を背負い、息子に代わって贖罪をしておりました。 第3部 終局に向けた裁判の展望私たちは単純に民事法廷で勝訴することが目的であれば、これまで行ってきて今回も行っている裁判レポートを書き続けることは判決という結果に対しては有利な行動とは言えません。私たちは目的意識を持つ裁判後の課題を実現するために、情報公開をします。 1、決め手は根性焼き根性焼きは、野津純一を任意入院から措置入院に切り替える理由となる自傷行為です。「野津純一は任意入院であり、外出規制をすることは違法である」と渡邊医師は主張しました。野津純一は包括的に許可されていた2時間以内の外出中に矢野真木人を刺殺しましたので、そもそも任意入院としたいわき病院の診断が間違っておれば、いわき病院は発生した重大な殺人事件に対して責任を負うことになります。 これまでの証言でいわき病院長の渡邊医師と第2病棟看護師長は「いわき病院に入院中に野津純一の顔面には根性焼きの瘢痕は無かった」と確定証言をしました。従って、12月6日までに根性焼きが野津純一の顔面に存在したことが証明されたならば「いわき病院の診療と看護は患者の顔面に発生した重大な異変を見逃した杜撰なものであった」ことが確定します。それはいわき病院が行った全ての主張を根底から崩すほどの事実です。 いわき病院は、野津純一の母親が「12月6日に顔に痣があった」と根性焼きを目撃して警察証言をしていた事実に気がついてなかったと思われます。それで「確定的な証拠がない原告の主張」と言い切りました。今後の法廷では「根性焼きが殺人事件前にあったという確証」を裁判官に与えられるか否かが鍵となります。 2、精神薬理学いわき病院と渡邊医師の精神科医療過誤の本質は精神薬理学的な過失です。渡邊医師が記述した薬事処方はカルテ、平成19年8月20日、平成19年8月21日(訂正)、および平成22年8月9日、と4種類あります。カルテから8月21日(訂正)までの3種類の処方から渡邊医師の診断と過失責任に関する思考の変化を読むことができます。しかし、裁判の判断は平成22年8月9日の第10準備書面の主張に基づきます。 渡邊医師は統合失調症と確定証言した慢性統合失調症の患者である野津純一に抗精神病薬を中断して頓服による不規則投与をしました。野津純一のアカシジア(イライラとむずむず) に対しては抗パーキンソン薬(アキネトンとタスモリン)を中断して生理食塩水を筋肉注射しました。また野津純一をパーキンソン病と誤診してドプスを投与しました。更に、抗不安薬のベンゾジアゼピン系薬剤(レキソタン)を最大常用薬用量の倍以上の大量投与しておりましたが、奇異反応(脱抑制)が発現する可能性を全く予見しておりませんでした。 渡邊医師の一連の薬事処方には、間違いと錯誤がありますが、過失責任を問えるか否か重要な問題です。この側面では、精神科医師の裁量権の問題が関係します。精神科医療の診断は、血液検査値などの客観的なデータは存在せず、医師の裁量権の幅は無限とも言えるほどです。渡邊医師は「そう考えない」とか「そのようなこともあります」などと「見解の相違」を持ち出して「責任を認めない」か「過失までには至らない、事情の範囲」という主張をします。このような状況の中で過失責任を問うという課題があります。 精神科医師の感情と感覚として「渡邊医師は藪医者だ、しかし藪医者の診断と薬処方に過失責任を問うと、過失責任論に関する法廷判断が容易に拡大して、優秀な医者の意欲的な医療にまで責任を問われ、結果として精神科医療の停滞を招く可能性があり、望ましくない」という見解も伝わります。いわき病院と渡邊医師の怠慢と錯誤による精神薬理学的過失に責任を問わないことが、精神医学の健全な発展を約束する事になるのでしょうか。 3、医療契約と法的責任渡邊医師は薬事処方変更に伴う注意事項を看護師他の医療スタッフには明確に告げておらず、第2病棟看護師長は「カルテを見て処方変更を知った」と証言しました。ところが、渡邊医師は「病院スタッフから報告がないので、野津純一には異常がなかった、薬事処方変更の効果判定は行った」と無資格者の観察を根拠にしました。渡邊医師の主張には違法性がありますが、杜撰な医療であるために、違法と過失を証明する記録も完全ではありません。 渡邊医師は「任意入院患者に外出制限は違法である」と主張しました。いわき病院歯科では「保険点数が上がるので抑制帯を使用した治療を行っていたとレセプト請求で嘘を記述した」と主張しました。渡邊医師の論理の前では、法律も社会規範も医師の手前勝手な都合に隷属します。また、いわき病院と渡邊医師は野津純一との医療契約で善良な契約当事者としての義務を果たしておりません。渡邊医師は野津純一の度重なる診察要請を無視して対応しておらず、債務不履行です。いわき病院は医療契約を全うしておらず、責任を追及されてしかるべきです。民事裁判で問われるのは、その社会的な判断です。 野津純一はいわき病院の入院患者でした。野津純一とその両親は「野津純一の精神症状に病的な問題があると認めていわき病院に入院を要請」し、いわき病院も「入院治療を行うことが適当であると認めた事実がある」ために、平成16年10月から1年2ヶ月以上の間、入院治療を行っていました。渡邊医師は「野津純一の統合失調症は軽快していた」と主張します。しかし、仮に病気が改善していたとしても、病状の変動は常にあることであり、患者が自らの異変を申告して、担当看護師がそれを取り次ぐ場合には、主治医は速やかに対応することが医療契約上の義務です。渡邊医師は「野津純一を優先的に診察する義務」がありました。これが出来ない理由がある場合には「他の医師による代理診察」をするか「後から診察するので待機するように指示をする」などの対応を行う義務がありました。渡邊医師は「外来診察の後で野津純一を病室に訪ねた」と主張しますが、病室に待機するように指示した記録が無く、また渡邊医師が病室を尋ねた記録もありません。 日本の精神科病院ではいわき病院が野津純一に対して行ったような医療義務上の不作為と怠慢は一般的ではないとしても、珍しくない事例であるようです。「野津純一の事例でいわき病院に過失責任が問われると影響が大きいので、病院に過失責任を問うことは間違い」という主張があります。この意見が「精神医学界の世論の大勢」であるようです。医療契約は医師のためにあるのか、それとも患者と医師の共通の利益を確認するためにあるのかが問われます。契約当事者の片方の不正義や、過剰で常規を逸脱した請求の暴走等に歯止めかかからない場合には、健全な医療は崩壊します。健全な精神科医療を期待するからこそ、私たちは野津夫妻が原告となるように説得しました。野津純一に対するいわき病院の医療が珍しくない事例であるのであれば、日本の精神科医療は改善されなければならないと確信します。 4、診察拒否渡邊医師に過失責任が問われるポイントは平成22年12月1日以降の主治医の診察の怠慢と、平成22年12月6日の朝10時の診察拒否とその後の対応です。渡邊医師は「咽の痛みと微熱という風邪症状だけでは、診察することはできない」と証言しました。渡邊医師は看護師から伝えられた「その時の一時的な症状」だけで「精神障害者である野津純一の体調と精神の状態の連続的な変化を考慮に入れることなく」診察拒否をしました。看護師が咽の痛みと頭痛が前日に処方された風邪薬で良くなると判断しておれば「風邪薬も出ているし、もう一日様子を見ましょう」と言ったはずです。「風邪薬ではどうも駄目らしい」と判断したからこそ看護師は診察要請をしたと考えられます。渡邊医師は看護師の判断を信じなかったのです。これに関連して事件直後の事情聴取で「院長に患者の異常を報告すると怒られる」と言った看護師(12月6日朝の看護師とは別人)がおりました。 渡邊医師は11月23日から野津純一の薬処方を大幅に変更しておりました。中でも慢性統合失調症の患者に抗精神病薬の継続投与を中断したことは重大な処方変更であり、慎重に経過観察をする義務がありました。渡邊医師が薬処方の変更をした理由はアカシジア(イライラとムズムズ)であり、渡邊医師は特にこの点に注目した観察と診断を行う義務がありました。渡邊医師は11月30日から日付変更した23日のカルテにも「振るえた時」「不安焦燥時」「幻覚強い時」をあげて野津純一の兆候の変化で注目するべき不穏時の症状を指定しています。また12月3日から日付を変更した11月30日の診察記録でも渡邊医師は野津純一に「振るえた時」と「幻覚と妄想」に気付いておりましたので不穏時の兆候がありました。看護記録によれば野津純一は12月1日以降アカシジア(イライラとムズムズ)の症状が頻発しておりました。そのような状況の中での12月6日の野津純一の診察要請でした。診察拒否をしたことは、医療契約違反および診察義務違反です。 渡邊医師は「診察するかしないかは医師としての判断である」「医師として野津純一の12月6日の状況には緊急に診察する必要性を判断しなかった」と医師の裁量権を主張します。しかし、いわき病院と渡邊医師は12月6日に既に野津純一の顔面左頬にあった根性焼きの瘢痕を見逃しておりました。顔面の瘢痕を見逃すほど、いわき病院と渡邊医師の診療と看護には怠慢がありました。渡邊医師は患者の状況を正確に把握する義務を果たさずに「野津純一は診察しなければならない状況にはなかった」と主張しているだけです。この主張には根拠がありません。渡邊医師は診察拒否をする正当な理由がないにもかかわらず、主治医として受け持っている患者の診察拒否をしました。 5、矢野真木人に対する責任いわき病院と渡邊医師は「野津純一が包丁を購入して、矢野真木人を特定して殺害することまでは予見できない」と主張します。そもそもそこまで特定して、未来を予想または予見することは万人に不可能です。いわき病院と渡邊医師は「非現実的な無理難題」を主張して、過失責任からの回避を意図しました。 統合失調症の患者が自傷を行う場合には、他害行為の危険性が切迫している可能性を予見することは精神科医師であれば基本的な義務です。野津純一は顔面に誰にでも容易に判別できる火傷の瘢痕をたくさん自傷しておりました。また野津純一が苦しんでいたアカシジア(イライラとムズムズ)は自傷他害行為を誘発する症状であることも精神科医師の常識です。渡邊医師は精神保健指定医であり、自傷他害行為が発生する可能性を予見することは職務上の義務です。 殺人された被害者が矢野真木人であったことは結果論です。矢野真木人は野津純一の名前を知らずに死にました。野津純一は矢野真木人を視認して数秒後に矢野真木人を刺殺しました。野津純一の矢野真木人選択が偶然であったことをもって、いわき病院と渡邊医師の過失責任が消滅する論理はありません。矢野真木人の死はいわき病院の未必の故意の結果であり、いわき病院には矢野真木人の理不尽な死に対する過失責任があります。いわき病院の論理が通用するならば、日本で今日多発している無関係な他人の殺害に関連した社会問題に対策を立てることも不可能になります。 終わりに渡邊医師が「野津純一は珍しい患者で、こんな行動に出るなんて予想が付かなかった・・・野津純一は本当に珍しい患者です」と弁明したところに、野津純一による矢野真木人殺人事件を未然に防ぐことが出来なかった理由があります。今になってもこのよう論理を持つ渡邊医師には精神保健指定医として問題があります。何故このような専門知識に欠ける医師が高度な精神医療専門家であるはずの精神保健指定医に指定され、249床の精神科病院長を務めることが許されるのでしょうか。日本の精神科医療と制度が改善されるべき課題がここに現れております。 矢野真木人が殺害された3日後の葬儀で、喪主の挨拶で「事件の本質は、精神科病院の医療の怠慢にある。必ず責任を追及します」と述べました。「渡邊医師は、会葬者の列の中にいて、聞いていた」という確認を得ています。野津夫妻は1月8日に訪問して来ました。私たちは事件から33日後に野津夫妻に対して「一緒に、民事裁判を戦いませんか」という問いかけを始めました。私たちは野津夫妻と共にいわき病院と渡邊医師の責任を題材として、日本の精神科医療が抱えている問題を指摘しています。また、この問題に介在する刑法第39条の社会的実現を通して、日本の法曹界のあり方にも課題を指摘しております。 裁判は裁判官が判断する勝敗の世界です。現実問題としては真っ黒でなければ過失責任は認定されません。私たちがいくら問題点を指摘しても、裁判官が「極めて黒い灰色である」と判断した場合には、裁判後にはいわき病院は「真っ白であった」と弁明するでしょう。私たちは裁判の結果をそれほど楽観しておりません。そして、判決の如何に関わらず、何を未来に繋げ、何を社会に問い続けるかを考えてこの民事裁判に対応しています。私たちは、矢野真木人の命の代償として、私たちの命ある限り課題を問い続けます。それは健常者と精神障害者が享受する共に等しい人権の実現です。 9月13日の原告人証の後で傍聴者に声をかけられました。「家族がいわき病院に入院しています。この裁判に興味を持って、傍聴しました」という自己紹介でした。「ああ、この人も裁判の参加者なのだ・・」という出会い。私たちには精神障害者による殺人被害者遺族からも接触があります。また、それよりも多い数で、悩みを抱えている精神障害者の家族とも交流があります。 この訴訟に対しては精神科病院に措置入院していて生涯回復する見込みがない成人した不幸な子を抱えた医師から「裁判の議論は必ず日本の精神科医療の発展に貢献します。最後まで頑張って欲しい」という励ましのお言葉をいただきました。この医師とは学生時代に知り合いました。それから40年を経て、お互いに茨の道を歩む親の共感です。 「我こそ!」と思われる精神科医師に、ご理解とご協力とご支援をお願いします。 【参考】カルテと看護記録による野津純一の状況
(いわき病院が平成22年8月9日に訂正した日付と処方に基づく)
|
上に戻る |