WEB連載

出版物の案内

会社案内

いわき病院裁判の原告人証で準備した想定問


平成22年9月19日
矢野啓司・矢野千恵


私たち夫婦と野津夫妻が原告となっており、医療法人社団以和貴会いわき病院と渡邊朋之医師を被告する医療裁判で、平成22年9月13日に私たち原告は人証という法廷における尋問を受けました。その報告は別途行いますが、その人証に当たっての私たちの想定問答集を公開します。裁判の現時点における争点をご理解いただけると思います。なお、個人名は原告と被告以外はマスキングしてあります。


【目次】
I、著書「凶刃」に関連する質問
II、精神医学的見解の根拠
III、テレビで放映された根性焼き
IV、病院及び渡邊医師の野津純一に対する診療と患者管理上の問題点

I、著書「凶刃」に関連する質問

1、出版と意見を公開する目的

(1)、「凶刃」を出版した目的


質問:  あなた方は、事件後に「凶刃」を出版しました。また本件裁判では膨大な意見陳述書も提出しました。その動機は何ですか?

回答:  一言で言えば、社会正義の実現です。私たちは矢野真木人が殺害されるまで、刑法第39条に記されている「心神喪失者の行為は、罰しない」という規定に関する知識はおぼろげにしか持ちませんでした。しかし、現実に矢野真木人が殺害されて、刑事裁判の過程で「誰でも良いから人を殺す」として確信犯で殺人行為を実行した野津純一が罪に問われない可能性があることに驚きました。また野津純一が入院していたいわき病院の治療が随分といい加減であることにも驚きました。そして、事件の背景には日本の精神科医療に普遍的に内在する社会的な課題があると確信しました。このことが、私たちが民事裁判を提訴して、私たちの意見を社会に公表して意義を問う行動をとる理由です。


(2)、裁判の経過報告をする目的


質問:  あなた方はロゼッタストーン社のHPで裁判の経過を報告していますが、どうしてですか?

回答:  私たちが意識している課題は民意裁判の勝敗だけではありません。これはごく一部であり、私たちが真に課題とするのは健常者と精神障害者の人権に関する歴史的な評価です。現在の民事裁判は、その第一歩であり、可能な限りの事実を記録して、日本の基本的人権の課題として未来の更なる改革にゆだねる考えです。私たちは、民事裁判の結果が何であれ、日本の精神医療と精神障害者の状況が改善される将来に変化を期待します。ひいては、日本で平等な健常者と精神障害者の人権が実態として実現することを願います。
  ロゼッタストーン社は、私たちに言論の側面で協力していただいております。更に、私どもの法廷活動に興味を持って特集報道をしていただいているTV局もあり、心強く感じております。私たちは情報の公開を通して精神障害者の社会参加が確実に促進され、実現することになると確信します。



2、刑法第39条といわき病院の責任

(1)、刑法第39条と病院の責任


質問:  あなた達は、病院の責任を追及するには、野津純一に軽い罪を求めていたのではありませんか?「凶刃」のP.68に、原告矢野啓司の言葉として、「真木人の死を社会問題化するには、犯人が不起訴になった方が良いと思います。不起訴となることは、検察が心神喪失であったと認めたことになります。ところが、いわき病院は社会再適応訓練で付添人もなく犯人を外に出しました。心神喪失者の管理が不適切だったことが、検察判断として公的に認められたことになります」と記述してあります。野津純一には懲役25年が確定しましたので、あなたの論理によれば、そもそも、いわき病院の責任を追求することは不要ではありませんか?

回答:  当時は、刑法第39条の私自身の理解に関して、「心神喪失=重症の精神障害」という考え方にとらわれていました。このため、「野津純一の罪が重ければ、いわき病院の過失責任は少ない」と推論して、「野津純一の罪」と「いわき病院の治療上の過失」について二立相反する問題として考えておりました。ところが、引用してあるN弁護士の助言があり、「野津純一の罪の重さ」と「いわき病院の治療上の過失」を全く別個の問題として考えを改めました。
  「野津純一が心神喪失で不起訴になれば、野津純一は無罪無垢の人間になり、警察の取り調べ調書や、いわき病院のカルテや看護記録も手に入らず、いわき病院相手の民事裁判では必ず負ける、野津純一を罪につけないと民事裁判も負ける」と知りました。このため、私たちは起訴決定前に本を出版し、新聞、放送局の協力を得るよう努力し、野津純一が精神障害者であっても殺人犯罪者として起訴されるようにアピールしました。


(2)、野津純一の刑罰と病院の責任


質問:  「野津純一に懲役25年が確定したので、野津純一の治療は効果があったことになる」といわき病院は主張しています。病院には責任は無いことになるのでしょうか?

回答:  「野津純一の殺人行為の責任」は刑法第39条に基づいて、野津純一の心神の状態を勘案して、責任の程度と刑罰の軽重は裁判所により判断されるものです。野津純一は心神耗弱が認定されて、罪が軽減された上で懲役25年が確定しました。
  他方、「いわき病院の治療上の過失責任」の問題と刑法第39条は論理的にも全く関係がない問題です。いわき病院の過失責任は精神科医療および精神医学の問題として解明されるべき課題です。いわき病院の精神科医療には錯誤と未必の故意に相当する怠慢がありました。いわき病院が真っ当な医療を野津純一に行っていたならば、野津純一に殺人衝動が生じる可能性は低かったと考えます。またいわき病院は野津純一の自傷行為が転じて、極めて重大な他害行為を行う可能性を未然に防ぐことが可能であったと思われます。
  懲役刑の軽重は賠償責任とは別個の異質な問題です。懲役25年が確定したからと言って、賠償責任が減殺されるものではありません。



3、いわき病院が過失責任を負う対象

(1)、いわき病院が責任を持つ対象


質問:  「凶刃」のP.80には、仮にいわき病院に過失があったとしても、いわき病院が謝る対象は直接治療を受けていた野津純一であり、矢野真木人さんの両親ではないという趣旨の専門家の意見が書かれています。野津純一は自らの責任を懲役刑で償っているのであり、矢野さんがいわき病院に責任を追及するのは、筋違いではありませんか?

回答:  矢野真木人を殺人した野津純一は完全責任能力で殺人行為を行ったのではなく、心神耗弱すなわち、不完全責任能力で殺人行為を行いました。論理的には野津純一以外にも責任の所在を追求できるという事であり、この場合は、野津純一の治療に錯誤と怠慢という過失があったいわき病院と主治医に責任があるという事です。
自傷行為を行う精神障害者の場合は、他害行為を行う危険性が高いことは精神科医師であれば当然認識するべき状況の展開です。野津純一が矢野真木人を殺害したことは、偶然の展開の結果です。しかし、不特定であっても他人に危害を加える可能性が高まっていたことに関しては、主治医の精神科医師と病院には責任があります。従って、矢野真木人の遺族は病院に損害賠償を請求する権利があります。


(2)、いわき病院の矢野真木人に対する責任


質問:  それでも、第一義的にはいわき病院は野津純一に対して責任を負うのではありませんか?

回答:  私たちは、いわき病院は患者である野津純一に対する責任と、殺人被害者である矢野真木人の双方に責任があると考えます。このため、野津純一の両親を説得して本件裁判で、共同原告になること提案して、現在の訴訟の形態が成立しました。野津ご夫妻が提訴した勇気に感謝しております。
  刑事裁判で認定された野津純一の「誰でも良いから人を殺す」という「通り魔殺人をした殺意」が発生した原因は、いわき病院及び主治医渡邊医師の、精神科医療の錯誤および精神薬理学的な過失と怠慢でした。野津純一はアカシジアと遅発性ジスキネジアで苦しめられた上に、これに伴う薬処方の間違いおよび処方変更後の診察の怠慢及び診察拒否により、殺人を行うという発想を持ちました。これらの危険性に関しては、精神医学の教科書にも記述があり、いわき病院の医療過誤です。
  矢野真木人は命を失い、野津純一は社会的生命を失いました。いわき病院は野津純一に対しても責任がありますし、「通り魔殺人の被害者」にも責任があります。その上で、生命の損失は最大の人権侵害であり、いわき病院に請求する賠償金額も必然的に大きくなります。なお、野津純一は自ら罪を償っており、私たちは本人に対して大きな金額を請求するつもりはありません。



4、社会復帰訓練と精神障害者の社会参加

(1)、社会参加と刑罰


質問:  「凶刃」のP.85には、「もし、社会復帰訓練途中の精神病患者には法的責任能力はないとするならば、社会復帰訓練は行われるべきではありません。」と記述してあります。あなたは「精神科病院が行う社会復帰訓練」に反対して「精神障害者の社会参加」に異議を唱えているのですか?

回答:  ちがいます。私どもは、精神障害者の社会参加は促進されることが必要であると考えております。日本では精神科病院患者数が人口1万人当たり約30人という高い水準ですが、この数値は少なくともEU並に半減することが目標であると考えます。
  健常者も精神障害者も、大多数の人間は社会生活を行って他人に危害を及ぼすことがない善良な市民であると考えます。しかし健常者であっても精神障害者であっても、ごく一部の者には他害行為を犯す人間が存在することは厳然とした事実です。そして重大な犯罪を行った者は処罰して強制的に罪を償わせ、本人の行動を矯正する事が社会の基本ルールです。精神障害者の社会参加と相反する問題ではありません。


(2)、精神障害者の自立


質問:  精神障害者は、医師や精神科病院が保護することが基本ではありませんか?

回答:  私どもは、大多数の精神障害者は他人に危害を及ぼす可能性が無い普通の市民であり、退院して社会参加の道が開かれることが正しい、と考えます。この場合、成年後見人制度などにより法的権利を保護される人もいると思いますが、精神障害の既往歴がある人でも可能な限り多数の人に自らの意思に基づく法的権利は全て守られなければなりません。「精神障害があれば、自動的に法的権利が制限される」という考え方があるとすれば、精神障害者の社会参加が抑制されることになると、「凶刃」では指摘してあります。
  精神障害者の治療は精神科医師や精神科病院で「その時代の最善の治療」ではないとしても「望ましい、最低限の基準をクリアした適切な治療が行われることが必然である」と考えます。この場合、精神障害者の人権判断が主治医の恣意に任される要素があれば、必ずしも人権が守られない場合が発生する可能性が高いことを指摘できるでしょう。日本で精神科入院患者数がEUの倍以上の水準であり続けるところに、医療的保護という名目により造られた日本の現実に改善の必要性を指摘できます。



5、社会復帰訓練と「過去40回以上の外出」

(1)、外出訓練を促進する精神科医療


質問:  あなた方は、実質的に野津純一に対する外出訓練に反対しているのでしょう。「凶刃」のP.92には、『病院は「過去40回の外出では何の問題もなかった」と発言しました。すなわち、過去の外出でも「問題点を見逃した」可能性が大きいのです。いわき病院は「何の問題もなかった」と言っていますが「何の問題も気付かなかった」のだと考えます。この病院の「問題点を見逃す」過失は、「犯人の異常行動の前兆を見逃した」という医療過失につながります。』と記述してあります。あまり細かなことを「問題だ、問題だ」と言っていると、実質的に「外出訓練反対の意見」になります。

回答:  私どもは、野津純一に外出訓練を行ったことがそもそも間違いだったとは主張しておりません。精神科病院に入院している全ての患者は推定社会参加が可能である人間であると考えております。このために、可能であれば、全員に社会復帰訓練の外出が許されるべきであると考えます。
  しかしながら、その場合にあっても、精神科病院及び主治医は、現代精神医学の最善の医療を実行する義務はありませんが、善良な管理者として適切な精神科医療を実現することが求められます。渡邊医師は野津純一に対して適切な診断をして、間違っていない薬事処方を行い、また必要十分な観察と診断を行う必要がありました。その上で、野津純一の状況に応じた外出訓練を行う必要がありました。この状況に応じた外出訓練を行うということは、野津純一の状況が良くないときには一時的に外出を控えさせるという外出制限も含まれます。
  渡邊医師は、「任意入院患者に外出制限をすることはそもそも違法である」と主張しました。そもそも、渡邊医師は「患者の状況を観察して、外出許可を行う」という視点がありませんでした。また「40回以上の外出で問題がなかった人」と主張しましたが、この「40回以上の外出」は全て、自宅への許可外出および院外の診察などの外出であり、単独の外出ではありませんでした。従って、いわき病院は野津純一の単独外出に問題がなかったという証明はしておりません。


(2)、大義名分と病院の責任


質問:  あなた方は、精神科医療の現実を知らないで、理想にかぶれた空理空論を言っているのではありませんか?

回答:  私たちが精神科病院の運営の実態に触れた経験が限られていることは確かです。それで、私たちは精神科医師や社会生活技能訓練や作業療法の専門家にも意見を伺い助言を求めてこれまでの主張を取りまとめました。
  私たちが指摘していることは、精神障害者の外出訓練という大義名分があれば、全ての怠慢や違法や不法行為が許されるとでも言うような行き過ぎを、いわき病院が主張している負の側面の反社会性です。一つの大義名分があれば、付随して引き起こされる弊害に眼をつむっても良いとする論理はありません。精神障害者の社会復帰はあくまでも倫理的かつ合理的に行われなければなりません。そうすれば、社会の理解と支持が拡大して、精神障害者の社会進出が拡大する結果につながるものと確信します。



6、加害者の家族も被害者

(1)、精神障害者の他害におびえる家族


質問:  精神障害者の家族も被害者とはどういう意味でしょうか?
「凶刃」のP.95から、「加害者の家族も被害者」という記述があり、P.99には「私どもには、犯人Aの両親以外で、精神障害者を家族に抱えて、そのうちに自分の家族も殺人犯になってしまうのではないかと心配している人の情報も集まるようになりました。」とありますが、これはどういうことでしょうか。

回答:  私たちは、精神障害者による殺人被疑者遺族としてインターネット等で情報を提供しています。そこで、私どもに連絡してくる関係者のかなりの数が、野津ご両親のような精神障害者である家族を抱えた方々です。これに比べると、私どもと同じような精神障害者による犯罪被害者遺族からの連絡は少ないのです。裁判の証言であっても、どこの誰という情報は一切申し上げられませんが、精神障害者の中でも他害傾向が強い家族を抱えておられる人々が特に苦悩しており、家族の治療促進と治癒を願うと同時に、自らの生命の危険におびえている姿に接します。
  精神障害者が他害行為をする場合、そのほとんどは家族や医療関係者であり、矢野真木人のような見ず知らずの他人を犠牲にすることは希です。精神障害者の他害行為特に殺人行為の被害を未然に防ぐことは、実は他害の可能性が高い精神障害者を抱えた家族の切実な願いであると承知します。


(2)、被害者側と加害者側の協力


質問:  「加害者の家族の苦悩」を知ったことは、野津両親と共同原告になった理由ですか?

回答:  私たちは、日本の精神科医療の現実に対して改善を迫るインパクトある裁判とするには被害者側と加害者側の協力が必要条件であると考えました。私たちは野津純一のご両親に、いわき病院に対する民事裁判では私たちと同じ原告として裁判に参加するようにお願いしました。民事裁判が開始されてから2年を経過して、野津ご両親が原告としていわき病院を訴えていただいたことに、心から感謝しております。
  現実問題として、野津ご両親が民事裁判を訴えて以後、私たちには、精神科医師その他医療関係者から「驚いた」という反響が伝わりました。現実に私たちに直接コンタクトを取ってきた方もおります。そこから、私たちは野津ご両親の訴えに大きな社会的な意味があったと知りました。他方、野津ご両親に対する精神医療関係者の批判には強いものがあります。私どもは野津ご両親の勇気に心から感謝を申し上げます。



7、刑法第39条で完全犯罪が可能という見解について

(1)、法的無責任能力と精神障害


質問:  あなた方は、完全犯罪という言葉を使って刑法第39条を批判しているのですか?
「凶刃」のP.144には、
  なんてことだ、この日本では完全犯罪がいとも簡単に仕組めるではないか。私はこれまで、完全犯罪とは推理小説にあるような、犯罪の証拠を残さずに警察の追及から逃げ通せる知的な犯罪だと考えていた。しかし、犯罪を犯しても、法の下で罪にならない、無罪となるものがあるのであれば、それを完全犯罪と言わずして何と言うのだろう。

  刑法第第39条は次のように書いている。
   一項 心神喪失者の行為は、罰しない。
   二項 心神耗弱者の行為は、その刑を減軽する。
  そうなのだ、罪を犯しても心神喪失者であれば罰せられないのだ、無罪なのだ。完全犯罪が成立するのだ。
と記述されていますが、あなたは刑法第39条を否定するのですか?

回答:  私たちは、刑法第39条の基本理念である「法的無責任能力」の考え方を支持しており、間違っているとか異を唱えておりません。しかし精神障害であることは自動的に「心神喪失」ないし「心神耗弱」ではないと確信します。刑法第39条も心神の状態に関して記述してあり、精神障害であるか否かという問題には言及がありません。またこの法律の条文は明治40年に起草されており、100年前と現代では精神医学が治療可能な状況に質的な変化がありました。現在では各種の向精神薬が開発されており、精神障害は治療して寛解をすることが可能な病気になっております。ある意味では、薬を飲み続けることで健康な生活を維持できる生活習慣病と近い状況が出来ています。


(2)、刑法第39条の改正?


質問:  あなた方は「凶刃」P.193で「刑法第39条の改正」に言及しています。その主張の方便として本件民事裁判を提訴したのではありませんか?

回答:  私たちは、「刑法第39条の精神は間違っていない」と確信します。しかし、精神障害者であれば積極的に心神喪失を認定するという考え方や判例が我が国に多数あり、このことは「心神喪失でない故意犯までも心神喪失として罪に問わない現実を形作っており」残念に思います。そこで、罪に問われないと言う意味で「完全犯罪がいとも簡単に仕組める」と表現しました。故意犯が罪を逃れる事例があるとされる現実を指摘したものです。そこには、刑法第39条の条文の書き方とその後の変化に、時代にそぐわない部分が事実として形成された可能性を認識しており、その意味で法律の改正の必要性に言及しました。これは本質的には法律運用上の問題かも知れませんが、刑法第39条を持ち出して重大犯罪者が罪を逃れることがこの日本で可能であるとしたら、そこには対応すべき課題があると指摘します。



9、ローマ法の精神

質問:  あなた達は「ローマ法の精神」として、古代ローマ皇帝マルクス・アウレリウスの言葉を持ち出しましたが、まるで的はずれな議論ではありませんか?

回答:  私たちが「野津純一に懲役25年が確定した」また「精神障害であることは自動的に心神喪失と認定される要件ではない」という発言をすると、犯罪被害者支援活動をしている弁護士からも「2000年継続した、崇高な古代ローマ法の精神から逸脱した、無知なる者の暴論である」という指摘を受けました。また本件裁判でも被告いわき会は「心神喪失者等医療観察法が制定された現在では、精神障害があれば積極的に心神喪失として罪に問わないことが正しい法的処分である」とも主張しました。

私たちは、古代ローマ皇帝マルクス・アウレリウス(AD.121-180)の書簡{ローマ法大全、(ユスティニアヌス法典)学説彙纂(Digesta)「D. 1, 18, 14」}「塩野七生、ローマ人の物語30、終わりの始まり(中)、新潮文庫、p.103-105」を引用してあります。
  塩野七生によれば、古代ローマ皇帝は「最高裁長官」の機能も持っており、「最高裁長官として精神障害者の殺人事件に関連して、ローマ法の判例になる判決を行った」そうです。それによれば、以下の1〜7の基本的な考え方が整理され、現代でも参考になる諸点が論じられています。古代ローマの法秩序論理から、現代日本は学ぶべき点があると思われます。日本における精神障害者の犯罪に関する論理の多くは情緒的であり、現在でも、古代ローマ人の智慧に学べる所があると確信します。

  1. 自らの言動についての最低の制御能力さへも欠き、行為の善悪に対しての判断力が無い、狂人(精神障害者)は罪に問うことができない。
  2. 狂人(精神障害者)を装っている者は処罰される。
  3. 狂人(精神障害者)は、判決は無罪でも、即放免ではない。厳重な監視の下で保護される。
  4. 狂人(精神障害者)の保護は罰ではない。その人物の近くにいる人間を保護するためである。
  5. 狂人(精神障害者)であっても、頭に理性がもどっているときの犯行であれば心神薄弱(耗弱)を理由にして無罪判決の対象にならない。
  6. 狂人(精神障害者)の犯行が、世話をしていた人の怠慢に帰することが実証されたならば、義務不履行の罪で、これらに人々は処罰される。
  7. 法を司る者が心することは、重罪を犯した狂人(精神障害者)の処罰に留まらず、他の多くの人々が狂人(精神障害者)の犯罪の犠牲になることを防ぐことにある。


II、精神医学的見解の根拠

1、精神医学的知識の入手方法

質問:  精神医学的見解についてはどのように知識を入手しましたか?

回答:  私どもは精神医学を事件後から勉強しました。また精神医学および精神障害者の犯罪に関する本は大量に買い込みました。更に、精神障害者の犯罪に関連するシンポジウムには積極的に参加して、情報を収集すると共に、シンポジウムの会場で販売されている専門書も、目に付いたものは手当たり次第買い込みました。
  私たちはロゼッタストーン社から「凶刃」を出版し、同社のホームページを使わせていただいている関係から、いわき病院関係者、精神科医療関係者、精神障害者自身、精神障害者の家族、精神障害者による犯罪被害者等から沢山のコンタクトがありました。これらの方々とは、メール交換をすると共に、面会もして情報を得ると共に現実を学びました。これらの方々との接触を通して、精神障害者が直面している現実を知ることができました。



2、精神科医の意見

(1)、高度専門家のアドバイス


質問:  何人かの精神科医の意見も多く入っていますか?

回答:  私たちに助言してくださった精神科医師は沢山おりますが、残念ながら日本の精神科医師は誰も、助言はしてくれますが、名前を出すことには同意してくれません。唯一名前を出すことに同意した精神科医師は英国ブリストル大学臨床精神科準教授のサイモン・デイビース医師(オックスフォード大学・精神薬理学博士)です。なお、サイモン・デイビース医師は「凶刃」P.110の写真右端の人物です。


(2)、臨床家の助言


質問:  臨床医師の助言はありましたか?

回答:  事件直後には私たちは精神的ショックが大きく、鬱の症状がありましたので、精神科クリニックで治療を受けました。その際に精神科医師からも、本件裁判に関係する精神医学的な問題及びいわき病院の臨床医療の問題に関して、貴重な意見をいただきました。この経験が本件裁判で、精神医学的な問題を掘り起こす上で、重要な役割を果たしました。例えば、私たちが指摘した「CPK値でアカシジアを診断した問題」は最初精神科クリニックで「いわき病院のカルテに記述があった」と言ったところ、医師に「あり得ない!」と驚かれて問題の本質を私たちも理解しました。また薬剤性アカシジアにドプスを処方していた問題も「ええ? アカシジアにドプス?」と言われて、非常識な処方を渡邊医師が行っていた事実を知りました。


(3)、精神科医療の国際標準


質問:  いわき病院は、裁判の初期に精神科医療の国際標準を持ち出しましたが、これについては、いかがですか?

回答:  いわき病院が主張した国際標準の問題は、自分に都合良く解釈した手前勝手の論理だと考えます。例えば、パレンスパトリエと言う言葉を持ち出しましたが、「原告は理解できないだろう」という思い上がりの姿勢があると感じました。またいわき病院が「パレンスパトリエの論理に基づくべきである」と主張した裏には、「医師の裁量権は絶対だ」また「医師の責任を追及してはならない」という論理の歪曲があると観察しました。
  サイモン・デイビース医師は、精神医学的な助言を事件直後から私たちに下さっており、本件事件の精神医学的な問題点や渡邊医師の論点の間違い等を教授いただきました。また本件の問題が刑法第39条や精神保健福祉法などが関連する問題や日本の現実を、国際的な視点で再考する情報や論理的な観点などをサイモン・デイビース医師にはご指導いただいております。私どもは本件事件に関する捜査資料、精神鑑定書、刑事裁判の判決文、いわき病院のカルテおよび看護記録などの基本的な資料は英訳してサイモン・デイビース医師に提供してあります。更に、サイモン・デイビース医師とは本件裁判が結審した後に、本件事件の全体像を、精神医学、精神法医学の側面から総合的に分析して、英語で学問的な研究報告をしていただくと共に、問題点と課題を世界に周知してその上で日本の精神医学と精神法医学に改善を促すために、報告書を英語で出版することで同意しております。


(4)、素人の意見ではありませんか

質問:  原告の精神医学的な主張は、原告夫妻が考えたものでしょうか?

回答:  私たちがこれまで提出した精神医学的な指摘や主張は全て日本人の精神科医師に助言や眼を通していただいており、原告だけの見解で主張したものはありません。しかし、残念ながら、私たちに助言してくださった精神科医師はどなたにもお名前を表に出すことには同意していただけません。ここにこの裁判の特殊性があると考えます。
  今日の精神医学はICD-10やDSM-IVなどの国際診断基準で論じられますが、その診断は主治医の診察と観察が基本となっており、医師の個性と主観に左右されます。この意味で精神医学には客観的なデータが存在しません。私たちが相談して助言をいただいた精神科医師には、カルテや看護記録および準備書面に書かれた渡邊医師の主張などを見せてあります。そして、記録を見た精神科医師は例外なく、渡邊医師の誠実さに欠け精神医学的知識が不足するか錯誤がある事実を指摘します。また「真面目で誠実な医師でも医療過誤からは完全には逃れられない。その場合、真面目で誠実な医師は記録を残すが故に責任を問われ、不誠実な医師は記録が不完全であるが故に過失責任から逃れられる事になる可能性が高い」という言葉で、渡邊医師に責任を問う難しさを指摘しました。
  今日の日本の精神医学界の中では、他の医師の過失責任を自らの名前を表に出して指摘することは極めて大きな勇気が必要なことであると認識します。この点に関して、サイモン・デイビース医師は「自分の地位は、この問題では影響を受けないが、日本の精神医学者の場合は、学者としての生命に大きく影響を受ける要素があり、慎重にならざるを得ない状況は理解できる」と言っております。



3、原告千恵が薬剤師である意味

質問:  原告矢野千恵は薬剤師ですが、そのことは本件裁判に意味がありますか?

回答:  原告矢野千恵は薬剤師であり、多数の専門書を所持すると共に、直面している課題を薬理学的に探求する能力を有しております。特に本件裁判では、いわき病院が診断や処方した薬事処方に大きな問題があることを発見し、この点で事実関係の追求と解明を積極的に行いました。矢野千恵が解明した事実関係は私たち原告に助言してくださる精神科医師には毎度具体的に情報を提供して、意見と判断をいただいております。この意味で、薬剤師矢野千恵の努力と精神科医師の協力で、これまでの原告の主張は構成されました。



4、医師の裁量権と過失責任

質問:  精神薬理学的な指摘では、渡邊医師には医師の裁量権があるために、過失を指摘するところまでは到達できないのではありませんか?

回答:  渡邊医師は、本件裁判の初期にパレンスパトリエの論理で本件裁判は判断されるべきと主張しました。渡邊医師はパレンスパトリエという言葉を使って、医師には大きな裁量権があり、主治医に過失責任を問うべきではないと総論を主張していました。しかし、医師が行った医療過誤は個別の行為およびそれによる結果の重大性を第三者が個別具体的に検証して判断するべきものです。
  ベンゾジアゼピン系薬剤(レキソタン)の重大な副作用である奇異反応(脱抑制)の問題では、渡邊医師は「生起率が低いので、重大な障害が発生する可能性は予め考慮する必要がない」と主張しました。他方では「CPKではアカシジアが診断できない」と言う指摘に対しては「悪性症候群の症例を拡大解釈して、極めてあり得ない事を根拠にして、アカシジアの診断に影響することもある」と「CPKでアカシジアを診断できる」とは言わずに弁明しました。医師の裁量権を拡大しすぎれば、道理無い医療が実現されて患者に医療過誤が発生しても反論すらできないことになります。特に、精神科医療では客観的なデータに基づく医療ではないために、主治医の論理的暴走は患者に大きな害を及ぼします。

渡邊医師は、抗精神病薬(プロピタン)の中断の問題に関しては、抗精神病薬の維持薬用量を無視して、長期間持続した慢性統合失調症の野津純一に頓服で対応できるかのような主張をしています。また緊急の場合の注射による対応は、包括的指示であり看護師が実行すれば違法行為になります。主治医の裁量は違法行為を許容するものではありません。

渡邊医師の医師の裁量権の主張は、論理的錯誤及び違法行為を伴う過失責任と未必の故意が問われるべきものです。いわき病院の自己弁護では極端すぎてあり得ない論理で、過失がないかのような主張をしております。医師が弁明の論理を主張すれば、自動的に「事情」の逃げ道が許されるとするならば、野津純一のような精神障害者の治療で「間違いのない医療を受ける権利」が侵害されることになります。
  精神科医療の本来の目的は、精神障害者の社会復帰の促進であり、精神障害者が治療を通して回復して、健常者と同じ人権が確保されて社会参加が実現することです。精神科医療は精神科医師の都合と免責のためにあるのではありません。パレンスパトリエは、本来医師のための論理ではなく、患者の治療の促進を図るための医療側に対して誠実な行動を要請する論理です。



III、テレビで放映された根性焼き

1、野津純一の根性焼き

質問:  いわき病院は「野津純一の顔面にタバコの火傷の根性焼きができているとしたら12月7日にいわき病院を外出した後でつくられたものだ」と言っていますがそうでしょうか?

回答:  警察は、ショッピングセンターで聞き取りして、12月6日に野津純一が100円ショップで万能包丁を購入したときには顔面に既に小豆大の瘢痕があったとして手配して、手配通り顔面左頬に傷がある野津純一を逮捕しました。また、野津純一の母親は12月6日の午後にいわき病院に入院していた野津純一を訪問しましたが、その時に「顔面に1cm程度の痣を見た」と言っております。このため、野津純一の顔面左頬にはいわき病院に入院していた時から根性焼きの瘢痕があったことは確かです。



2、野津純一の根性焼きの意味

質問:  どうして、野津純一の顔面左頬に根性焼きの瘢痕があることがそれ程大きな意味を裁判では持つのでしょうか?

回答:  いわき病院は「野津純一は自傷行為である根性焼きの火傷の瘢痕をいわき病院内では造っていないので、発見することはあり得なかった」と明確に主張しました。根性焼きは野津純一の顔面左頬に明瞭にあった1cm大の瘢痕でしかも複数ありました。その顔面の瘢痕をいわき病院が治療や毎日の検診や看護で見逃していたとすれば、顔面を正視しない精神科臨床医療を行っていたことになります。これは精神科臨床医療としてはあってはならない問題です。
  いわき病院は「適切に診察と診断をした」と主張しております。しかし、根性焼きを見逃していたことが確定すれば、いわき病院の主張は崩れます。顔面の変化を見ないで行われた精神科医療は信用することができません。顔面の頬にタバコの火を押しつけて患者がつくる根性焼きは、重大な自傷行為であり、患者の措置入院を検討するべき要素です。いわき病院は「任意入院患者である野津純一の外出は制限することができない」と主張してきました。しかし、顔面に根性焼きを確認しておれば、当然のこととして野津純一の外出の制限を検討するべき義務がありました。
  渡邊医師は11月23日から抗精神病薬(プロピタン)と抗パーキンソン薬の投与を中断する等の重大な薬事処方の変更を行っておりました。主治医は患者を経過観察する義務がありましたが、根性焼きを見逃したことは、その義務を放棄していたことを意味し、重大な過失です。


【参考】 熱傷(火傷)やけど burn
http://www.e-skin.net/burn/dd_burn.htm
【参考】熱傷(火傷)やけど



3、根性焼きの皮膚科医学的判断

質問:  渡邊医師は「タバコの火が消えるまで頬に押し当てた火傷であれば、事件後4年が経過していても顔面には火傷の瘢痕が残っていなければならない。そもそも根性焼きはなかった」と主張しています。現在では野津純一の顔面から瘢痕が消失している事実は、渡邊医師が主張するように「そもそも根性焼きの瘢痕が無かった」ことを意味するのでしょうか?

回答:渡邊医師が主張した長期間継続的に持続する火傷は深達成II度(2b度)熱傷もしくはIII度以上の熱傷です。しかし、野津純一がタバコの火で自傷する場合、必ずより過酷な熱傷を負うべく行動するという必然性はありません。通常の行動様式では、火傷を自傷しても、浅達成II度(2a度)熱傷以下に手加減することが自然です。
  野津純一の根性焼きは浅い火傷である「2a度」程度の火傷であったと推察されます。外見的には水疱やびらんが生じる程度でしょうが、12月7日には水疱は観察されておりません。また潰瘍が生じる程深い傷でもありませんでした。野津純一が自傷した火傷はおおむね1〜2週間程度で治癒した瘢痕であったと思われます。火傷が治癒した後に残る色素沈着などの傷跡は、刑事裁判が開始された事件後4ヶ月では認められましたが、判決が行われた6ヶ月後には、ほとんど消失しており、根性焼きがあったことを推察することも困難なほどの改善を見せておりました。また4年以上を経過した平成22年1月25日の人証時点では、瘢痕の跡は全く消失しておりました。野津純一は、自傷の程度を制御して、重大な損傷にならない程度で根性焼き瘢痕を顔面につくっていたと思われます。



4、根性焼きを1時間以内で自傷できるか

質問:  渡邊医師は「逮捕されたときに根性焼きの瘢痕があったのであれば、いわき病院を出てから逮捕されるまでの間に、院外で自傷したのだろう」と主張しました。野津純一は必ずしもいわき病院内で自傷したのではないのではありませんか?

回廊:  野津純一は12月7日に、いわき病院から午後1時15分に外出して2時半頃に身柄を拘束されましたので、この間の経過時間は75分間でした。いわき病院からショッピングセンターまでは片道約20分です。野津純一は店内の甘味ショップで大判焼を購入して、甘味ショップの横の喫茶コーナーで食べた後で、店内をぶらつき、店外に出ていわき病院に3分の2ほどの距離を歩いたところで身柄を拘束されました。店内で自傷する事は他人の目があり不可能であり、店外でも他人の目から隠れて自傷する場所と時間はありませんでした。
  当日は警察が捜査しており、多数の報道機関もショッピングセンターの周りで取材しておりました。とても隠れて自傷行為は行えません。いわき病院との間の道路は住宅街であり、途中の道路は交通多数です。このような環境では、タバコで自傷する行為は目立ちます。また事件後にも目撃情報は伝えられておりません。そもそも、12月7日の日には、通り魔殺人犯人は顔面に瘢痕がある大男で、小豆色のジャンパーとジーンズ姿だったという情報が伝えられており野次馬も沢山おりました。ショッピングセンター関係者の多くは「7日に顔に瘢痕がある男を見た」と証言します。しかしタバコで火傷を自傷している男の姿を見た人間はおりません。野津純一の顔面には、いわき病院から外出した時には既に複数の根性焼きの瘢痕があったのであり、外出後に短時間にまた目立たない方法で自傷することは不可能でした。



5、根性焼きの経過時間

質問:  野津純一が身柄を拘束された時にTVが撮影した映像からは、1日以上した火傷の傷とまでは判断できないのではありませんか?

回答:  野津純一の顔面には複数の瘢痕がありました。最も新しい直径1cm程度の丸い瘢痕に関しては、自傷後の経過時間が少なく、水疱を形成する前の生々しいものであった可能性があります。それでも、1時間以内の新しいもので、街頭でこの瘢痕をつくることが可能であるかに関しては疑問があります。
  野津純一の顔面には、古い楕円状の瘢痕が複数存在しました。これらの瘢痕は既に治癒が進んでおり、皮膚の炎症は落ち着いています。これらは明らかに1日以上が経過したものです。またこの他にも複数の更に治癒が進んで、色素沈着の状態に至った瘢痕があります。これらは1〜2週間は経過している瘢痕です。いわき病院は野津純一が頻繁に自傷していた根性焼きを見逃していたのです。

【写真1】左頬の「根性焼」瘢痕群
【写真2】額・右頬・左頬のちがい
(▲テレビ朝日「テレメンタリー」放映画像より)



IV、 いわき病院及び渡邊医師の被告野津に対する診療と
    患者管理上の問題点


【事実関係】 看護記録によれば野津純一の状況は以下の通り

22日 11:00 イライラ頓服
15:00 疼痛頓服
16:45 アキネトン1ml、イライラ
23日 11:30 イライラ頓服、手足の振戦、イライラ感、表情堅い
24日 05:30 イライラ頓服
10:00 表情良い、笑顔あり、OT活動に参加
12:20 ロキソニン、ムコスタ頓服、歯痛
25日 07:20 ロキソニン、ムコスタ頓服、歯痛
10:00 薬変わってから、手の振戦、ムズムズ無し、幻聴あるが支配されている様子はない、表情良い
26日 06:00 幻聴無し
10:00 表情穏やか、全然イライラしない、下肢の振戦無し
21:30 ロキソニン頓服、歯痛
27日 00:00 睡眠導入剤頓服
28日 00:30 不眠時頓服
10:00 四肢の不随運動無し
14:00 吐き気止め頓服、車に酔ったみたいに気分が悪い
15:15 母親と一時帰宅
30日 15:35 帰院  表情良い
12月1日 02:40 イライラ頓服、手足の振戦、イライラ
10:00 下肢のムズムズ耐えられない、
20:10 イライラ頓服、手足の振戦、
21:20 頓服効果なく、生理食塩水筋注
2日 11:00 生理食塩水筋注、四肢の不随意運動
渡邊医師の処方変更に対する不満「調子悪い」
12:00 生食のプラセボ効果を認める
15:30 イライラ頓服、手足の振戦
23:30 イライラ頓服
3日 10:00 調子悪い、ムズムズ
横になると不随意運動
11:10 イライラ頓服、ムズムズ
16:45 生理食塩水筋注、体の動き
21:30 生理食塩水筋注、手足の振戦
4日 00:00 イライラ頓服、手足の振戦、注射拒否
12:00 アキネトン要求、生理食塩水筋注、調子悪い
表情堅い、アキネトンやろーと確かめる
18:55 歯痛頓服
23:45 イライラ頓服
5日 10:00 37.4度、しんどい、手足の振戦、他人との交流無し
ホールでタバコ喫煙、薬の要求無し
15:00 表情改善、軽度の倦怠感、咳嚔、振戦無し
21:00 アキネトン要求、生理食塩水筋注、表情やや堅い
安定している状態か
23:40 不眠
6日 10:00 喉の痛みと頭痛、手足の不随意運動
「先生にあえんのやけど もう前から言ってるんやけど・・」
12:25 矢野真木人殺人

1、プロピタン中止後の病状の変化について

(1)、プロピタン中止と異常時のシグナル


質問:  プロピタン中止後の野津純一の病状変化で何が問題ですか

回答:  野津純一に対して、渡邊医師は11月22日に「ムズムズの訴えが強いこと」に対応して、アキネトンの筋肉注射を止めて生理食塩水をプラセボとして筋肉注射する指示を出しました。そして23日からムズムズの訴えは薬の副作用の可能性が高いとして、レキソタンを増量して抗精神病薬のプロピタンの中断を決めました。
  渡邊医師はこの処方変更に対応する異常事態が発生する可能性を予想して、「振るえた時」「不安焦燥時」および「幻覚強い時」をあげて、対応策を包括的に指示しました。この指示はカルテでは11月30日の日付ですが、渡部医師は23日であったと変更しました。渡邊医師が医療事実関係の事実を記録すべきカルテの記載まで、裁判が開始されて4年が経過した後で変更したことは信頼性を著しく損ないます。更に、この包括指示が看護職員に対して行われ、それが実行された場合には違法でした。
  渡邊医師は「振るえた時」「不安焦燥時」「幻覚強い時」をあげていたのですから、これらに関連して野津純一に「兆候が現れるか否か」の変化を真剣に見極める必要性がありました。野津純一は「イライラやムズムズに苦しめられておりました」ので「振るえた時」に該当しておりました。また「薬を主治医が勝手に変更したことに関する不満、生理食塩水の筋肉注射を『本当にアキネトンか?』と疑い、適宜の診察がないことに対する不満」などが亢進しておりましたので「不安焦燥」の状態にありました。更に渡邊医師は11月30日に診察した時にも「振るえた時」と「幻覚と妄想」に気付いておりました。


(2)、野津純一は増悪してなかったという主張


質問:  渡邊医師は、野津純一はそこまで増悪してなかったという判断ですよ。

回答:  渡邊医師は、自らが記述した「振るえた時」「不安焦燥時」「幻覚強い時」の「兆候」を観察と診断することに無頓着でした。渡邊医師は患者が暴れるなどの極限の状態を観察しなければ何も判断できない医師でした。渡邊医師が「幻覚強い時」の状態を「妄想に支配される」と表現したように、「心神喪失の状態」まで放置したことが、そもそも野津純一が重大な犯罪行為を行うまで何も対応する事を考えなかったという過失の原因です。渡邊医師は「兆候」を見ない医師です。


(3)、無資格者による処方変更の効果判定


質問:  渡邊医師は、病院スタッフの報告で処方変更の効果判定は有効に行っていた、また異常は報告されていない、と主張しおり、問題ないのではありませんか?

回答:  渡邊医師は処方を変更した後の経過観察を、看護師、作業療法士また金銭管理担当者の報告に頼り、異常はなかったと主張しました。しかし、渡邊医師は病院スタッフに「重大な処方変更をした」という周知および注意喚起をしておりませんでした。このことは、第2病棟看護師長が「カルテを見て、抗精神病薬の中断を知った」と証言したことからも明らかです。
  渡邊医師が回答した職種の職員は薬事処方の効果判定に関しては無資格者です。無資格者から報告が無いことをもって処方変更の効果判定をすることはできません。また医師法第17条(非医師の医業禁止違反)です。


(4)、野津純一には改善の兆候があったか?


質問:  野津純一は薬事処方を変更した後で、病状が改善しておりました。また12月2日には生理食塩水を注射されて「めちゃくちゃよく効きました」という発言もありましたので、そもそも処方変更に問題はなかったのはありませんか?

回答:  看護記録からは、11月26日まで薬事処方の変更により状況が改善したような記録があります。それまで高く維持されていた薬成分の血中濃度が低下したことで、一時的な状況の改善が見られたと思われます。しかし27日から「不眠」と「吐き気」が出現しており「不安焦燥時」の兆候が現れました。そして30日には渡邊医師が野津純一を診察して「ムズムズの訴え、およびクーラー等の音に対する異常体験」とカルテに記載してあり「振るえた時」と「幻覚強い時」の兆候を観察しておりました。11月30日までには渡邊医師が予めカルテに包括的指示を記載した異常事態に関連した全ての「兆候」が出現しておりました。
  12月1日以降、野津純一は手足の振戦やイライラとムズムズで苦しみ始めました。一時的に2日の12時には生理食塩水のプラセボ効果が認められた状況はありましたが、その直後の15時30分には手足の振戦に苦しんでイライラの頓服を請求しました。野津純一の基本的な「兆候の変化」は悪化傾向で、病状は明らかに増悪しておりました。
  特筆するべき2日の記録は、野津純一は渡邊医師の処方変更に強い不満を表明しておりましたので「不安焦燥時」に当たります。3日には野津純一は1日中調子が悪い状態でした。もし渡邊医師が3日に本当に30分以上の時間をかけて野津純一を診察していたのであれば、「振るえた時」「不安焦燥時」「幻覚強い時」の全ての症状が明確に出ていたことに気付く必然性がありました。これは、精神保健指定医である渡邊医師としては当然診断できる筈の患者野津純一の症状の変化でした。
  なお、野津純一のカルテと看護記録を検討した精神科医師は「12月3日が重大な日であった」と指摘しました。渡邊医師の過失責任を強く示唆する意見です。


(5)、「野津純一は暴れていなかった」という主張


質問:  野津純一は、暴れ回っておりませんでしたよ。

回答:  野津純一は、4日には注射された生理食塩水が本物のアキネトンか否かを疑いました。この時点で「不安焦燥」は極限の水準に近づいていたと思われます。5日にはしんどいと体調が悪く、「ホールでタバコ喫煙」と観察されています。野津純一は「喫煙所が誰かに意図的に汚されている」という妄想を持っていたのであり、看護師が野津純一の喫煙していた姿を看護記録にわざわざ特筆したところに、普段とは異なる様子に異常性を感じていた可能性が推察されます。
  渡邊医師は12月3日以降には、野津純一の状況を毎日でも詳細に観察するべき必然性がありました。慢性統合失調症の野津順一にも行動と症状に波があります。一貫して異常が増悪するものではなく、嵐の前の静けさという一時的な沈静化の様相もあります。病状の全体像を診ずに、患者が異常行動を起こすまで診察もしないまた対応もしない精神科医療を行うことが過失です。
  渡邊医師は「暴言がない」や「暴れていなかった」また「妄想や幻聴に支配されてない」と野津純一に兆候がなかった証拠とします。これは、実際に手がつけられなくなるまで患者を放置することです。「心神喪失の状態にまで至らなければ対応しない」というのでは、精神科病院に入院している意味がありません。大切なことは、患者のかすかな兆候を発見して、大事に至る前に患者に適切な医療行為を行うことです。



2、渡邊医師は11月30日、12月3日に診察しているか?それで十分か?

(1)、渡邊医師はきちんと診察していた


質問:  渡邊医師は11月30日と12月3日に診察し、5日には内科医師が診察しております。6日には診察するつもりでしたが、母親の訪問で診察できなかっただけであり、いわき病院は野津純一を十分に診察していたと言えるのではありませんか?

回答:  渡邊医師はカルテの記録から日付を変更しましたので、処方変更後に診察した記録は11月30日のみです。12月3日にも診察したと主張しますが記録がありません。渡邊医師の人証時の発言はカルテの記載という裏付けがありません。これは医師法第24条(診療録)違反です。渡邊医師は人証で「野津純一は3日以後病状が改善していた」かのような発言をしましたが、医療記録の裏付けがありません。いずれにしても、クリティカルな状況にあった野津純一の症状を見逃したことは、重大な過失です。
  渡邊医師は処方変更をしてから矢野真木人が殺人されるまでの14日間に1回の診察記録しか残しておりません。また12月6日には診察拒否をしました。渡邊医師は6日の朝に診察を要請されたときに、「後から診察する」という明確なメッセージを野津純一に伝えてありませんでした。また「診察しようとしたら、母親が訪問していたので診察できなかった」と主張しましたが、診察をしない理由にはなりません。渡邊医師は12月7日の午前中に野津純一を診察するそぶりもありませんでした。重大な処方変更をした後で二週間の間に、主治医が一回しか診察した記録を残してないことは明白です。これでは、とても適宜適切に診察したとは言えません。


(2)、12月3日の渡邊医師の診察


質問:  渡邊医師は12月3日に野津純一を詳細に診察しておれば、危険回避は可能だったのでしょうか?

回答:  そもそも、12月3日に渡邊医師が診察していた事実は確認できません。いわき病院は唐突にも裁判が開始されて4年を経過した後に、カルテに記載されていた12月3日の記録を11月30日に変更しましたので、カルテ記載事実の信用性が損なわれました。今回のカルテ記載日変更により、12月3日に診察が実際に行われたか否かに関してはカルテの記録が失われました(医師法第24条違反)。渡邊医師は「3日にも診察した」と言っているだけです。医療事実の証明がない、証言です。
  渡邊医師は11月30日の診察で「振るえた時」と「幻覚強い時」の兆候を観察しておりました。その上で、渡邊医師は「それまでの看護記録や作業療法や金銭管理記録などの報告を元にして、薬事処方変更の効果判定を総合的に行った」と証言しました。本来薬事処方の効果判定に関する有資格者は渡邊医師本人です。渡邊医師は11月30までの間もきめ細かに野津純一の状況の変化を観察して診察する必然性がありました。11月23日から30日までの野津純一の症状が比較的に安定していた期間でも、渡邊医師の診察回数は十分ではありませんでした。
  渡邊医師がこれまで「12月3日の診察は夜7時から外来診察室で30分以上の時間をかけて行った」と主張しました。そもそも、12月3日は土曜日であり、夜7時から外来診察室で診察を行うために必要となるスタッフの配置を考えると極めてあり得ない状況です。それでも30分以上の時間をかけて渡邊医師が診察を行っていたのであれば、12月2日に野津純一が発言していた「内服薬が変わってから調子悪いなあ・・院長先生が(薬を)整理しましょうと言って一方的に決めたんや」という野津純一の不満に気付くことは真面目で誠実な医師であれば当然過ぎることです。野津純一は3日にも「調子悪いです」と言っておりました。そして、4日には硬い表情でアキネトンを疑っていました。精神保健指定医である渡邊朋之医師は当然、重大な野津純一の病状の変化に気付くべき職責を有していました。
  12月1日から6日までの野津純一は看護記録からは「振るえた時」「不安焦燥時」「幻覚強い時」の全ての兆候がありましたので、渡邊医師は主治医としてきめ細かな診察を行う必然性がありました。渡邊医師は、11月30日と12月3日には真剣性に欠ける態度で診察をしておりました。



3、渡邊医師は、12月6日朝、診察すべきだったか?

質問:  渡邊医師は忙しいのであり、患者の些細な訴えに、一つ一つ応えていたら、他に優先するべき患者の診察や治療が疎かになり、望ましくない。診察しなければならない必然性はないのではないか?

回答:  野津純一はいわき病院の入院患者で、しかも主治医は重大な処方変更をした直後でした。その入院患者が自らに異常を感じて主治医に診察を要請したのに、速やかに対応をせず、診察拒否をして、そのまま放置されるのであれば、そもそも入院治療を受ける意味がありません。いわき病院と渡邊医師の対応は重大な医療契約上の契約不履行です。一般論として、主治医が入院患者から診察要請を受けた時に外来診察で忙しかったのであれば、当該患者を外来診察室に来させて「外来診察希望者の列に並ばせる」、「代わりの医師に診察を指示する」もしくは、「患者に明確に意志が伝わる形で『後から診察する』というメッセージを伝える」義務がありました。

野津純一はいわき病院の入院患者ですので、診察を希望しても受診がかなわない場合に他の医療機関を訪問して診察を受けるという代替行動をとることはできません。渡邊医師は主治医であり、患者からの診察希望があれば、速やかに対応して、患者が抱えている問題の本質を診察して、対処する義務がありました。
  野津純一は抗精神病薬および抗パーキンソン薬の中断および奇異反応(脱抑制)による攻撃性や興奮などを引き起こすだけでなく、陽性症状を悪化させる危険性があるベンゾジアゼピン系薬剤(レキソタン)を大量投与している患者でした。主治医は、野津純一の経過観察をする必要性がありました。
  渡邊医師は11月30日の診察で「振るえた時」と「幻覚強い時」の兆候を観察しておりました。そして野津純一は12月2日から「不安焦燥時」の兆候があったことが看護記録に記述されております。その上で12月5日から「喉の痛みと頭痛」がありました。渡邊医師は野津純一の症状に重大な変化が発生していた可能性を診断するべき必然性がありました。渡邊医師は「診察する必然性はなかった」と主張しておりますが、カルテの記録という裏付けがない空論です。



4、微熱と喉の痛み、本人の診察希望で
  当然診察すべきだったといえるか?

(1)、単なる風邪症状では診察の必要性は低いのではないか?


質問:  野津純一の症状は「喉の痛みと頭痛と微熱」だけでしたので、12月6日に診察する必要性はなかったのではありませんか?

回答:  薬事処方を変更した後で渡邊医師は「振るえた時」「不安焦燥時」「幻覚強い時」を主要な観察項目としてありました。薬事処方を変更してから1週間を経過した11月30日には、渡邊医師は自ら野津純一を診察して、「ムズムズの訴え、およびクーラー等の音に対する異常体験」をカルテに記録しました。これらは渡邊医師が予め記述した「振るえた時」に相当するムズムズの訴えであり、「幻覚強い時」に相当する幻聴と妄想が出現していたことに気付いたことを示します。渡邊医師は、この時点で野津純一の症状の変化により慎重に対応するべき必然性がありました。
  12月5日に野津純一は37.4度の発熱をしましたが、渡邊医師は診察しておりません。カルテの記録によれば、内科医師は精神医学的な症状の変化を観察せず風邪薬を処方しました。渡邊医師は12月6日のカルテに、「喉の痛みがあるが、前回と同じ症状なので様子を見る(看護師より)」と記述してあります。渡邊医師は重大な処方変更をした後の野津純一を自ら診察もせずに、患者からの診察要請を伝えた看護師からの報告を基にして、「前回と同じ症状」と診断しました。そもそも渡邊医師は重大な処方変更をした事実を特記して看護師に伝えてありませんでした。
  渡邊医師は診察もせずに「前回と同じ」と主張しましたが、渡邊医師が記録した前回の11月30日の診察では「振るえた時」と「幻覚強い時」の予兆が出ており、その上の発熱でした。渡邊医師が様子を見た判断は錯誤であり、12月6日には野津純一を診察する義務がありました。医師法第19条(診療義務等)違反です。


(2)、前日に内科医が診察していた


質問:  12月5日に内科医師が風邪薬を処方していたのですから、病院の対応としては何も問題ないのではありませんか?

回答:  渡邊医師は、12月6日に診察拒否をしましたが、その理由は「喉の痛みと頭痛だけであり、特に症状が、それ以前より悪化していたわけではない」と説明しました。しかしながら、渡邊医師は11月30日の診察で、野津純一に「振るえた時」と「幻覚強い時」の兆候を観察してカルテに記載してあったのであり、その上に、「喉の痛みと頭痛」が加わったと理解するべき状況の変化でした。
  渡邊医師は、12月3日に診察を行っていたとすれば、看護記録の状況の変化から野津純一の状況が甚だしく悪化しつつあった事実に気付くべき理由がありました。野津純一は、12月2日に主治医渡邊医師の処方に疑問を抱いていましたので、看護師や医師に自らの状況を正確に伝えていなかった可能性が極めて高く、不安焦燥の極みにあったといえます。この状態で、主治医の渡邊医師は12月3日には真面目に診察をせず、診察した記録も残しておりません。その上で、12月6日に診察拒否(医師法第19条違反)をしたことは過失でした。そもそも、渡邊医師は、重大な薬事処方の変更をした後で、きめ細かく野津純一を診察しておらず、怠慢であり、医師法第19条(診療義務等)違反と、事件の発生に対する未必の故意があります。



5、感冒様症状では診察拒否をしたと非難できない

質問:  12月5日に内科医師が「風邪症状」と診断したので、問題はないはずです。

回答:  いわき病院は、野津純一の病状悪化を、内科医師が「風邪気味」と診察しました。抗精神病薬(プロピタン)と抗パーキンソン薬の中断による悪性症候群などの症状が発現していた可能性を、いわき病院は全く検討しなかったのです。問題の本質は、主治医が重大な処方変更をした後の経過観察を励行する義務を果たしたか否かです。
  「統合失調症の薬物療法100のQ&A」P.195、防衛医大・精神科、田辺英、星和書店には、抗パーキンソン薬の急激な中断で、「吐き気、嘔吐、発汗、落ち着きの無さ、不眠、悪心、感冒様症状、抑うつ、不安」等の症状が現れると記述されています。

いわき病院の主張では11月23日からタスモリンとアキネトンを中断しております。

23日 (0日目) タスモリン、アキネトン中断初日目
27日 (4日目) 不眠
28日 (5日目) 吐き気
2日 (9日目) 調子悪い、処方変更に対する不満
3日 (10日目) 調子悪い
4日 (11日目) 調子悪い、アキネトンやろー?と確かめる
5日 (12日目) 37.4度、しんどい、風邪症状、不眠
6日 (13日目) 喉の痛みと頭痛

野津純一は不眠・吐き気・不安等の症状があった上で、5日に内科医師が風邪症状と診断しました。内科医師は薬事処方の中断に関連した注意事項を知らされていない可能性がありましたので、精神科専門病院に勤務する医師ですが、風邪症状以外の要因を検討しなかったことの過失性は低いでしょう。しかし、渡邊医師は精神保健指定医であり、6日に担当看護師から「風邪症状」の診断と、前日から引き続いた「喉の痛みと頭痛」を告げられた時には「抗パーキンソン薬の急激な中断による感冒様症状」の可能性を疑い緊急に診察する義務がありました。
  渡邊医師は自ら記したチェック項目である「振るえた時」「不安焦燥時」「幻覚強い時」の兆候が野津純一にあった上に、ひきつづいて出現した「感冒様症状」でしたので、「風邪薬を処方していたので問題ない」と判断したことは精神保健指定医としては重大な過失です。



6、診察義務や行動制限という主張は過剰ではないか?

質問:  事件前の野津純一は重大な状況ではありませんでした。診察義務や行動制限を主張する原告は間違っています。

回答:  事件前の野津純一は措置入院の対象となる状態でした。野津純一は根性焼きを繰り返しており、「自傷」行為をしておりました。また野津純一は毎日同じ服装で過ごしており、自分の部屋の鏡や手洗いが汚れたままでも平気でした。これらは容易に観察できる「不潔」な状態でした。第2病棟看護師長も野津純一の病室が不潔であったことを8月9日の人証で認めました。更に野津純一は執拗なアカシジアに苦しみ、睡眠障害があり、幻覚と妄想の兆候がありました。これらは全て措置入院の要件です。渡邊医師は措置入院の対象となる重大な状態にあった野津純一を漫然と放置して、看護師からの診察要請を無視して放置した過失があります。
  第2病棟看護師長が、アネックス棟の管理責任者として、野津純一の病室が不潔な状態であったことを認めたことは重大です。これは、野津純一の顔面左頬の根性焼きを見逃した過失と同質の、いわき病院看護の怠慢を示唆するものです。



7、処方変更後の診察拒否と医師法

質問:  渡邊医師は、医師の判断で診察をしなくても良いと判断したのであり、その判断は医師の裁量権の藩煮になり、尊重されなければならないのではありませんか?

回答:  渡邊医師は自ら統合失調症であると診断した慢性統合失調症の野津純一に抗精神病薬を中断するなどの重大な処方変更をしました。しかしながら渡邊医師は処方変更後の効果判定を実施しておらず、野津純一の症状の変化を慎重に観察するべき義務がありました。その間に診察拒否したことは医師法第19条(診察義務)違反です。



8、当日の朝診察しなかったことが殺人事件の原因といえるか?

(1)、そもそも予見不可能であり責任は問えない


質問:  そもそも精神科入院患者が殺人事件を引き起こすことは予想できない。ましてや、診察しないことが殺人事件の原因となると主張することは荒唐無稽である。

回答:  一般論として全ての精神科入院患者の治療において、診察拒否をすることで殺人事件の原因になると言う論理は成立しません。あくまでもケースバイケース、また個別特殊事情に基づいて状況は判断される必要があります。
  野津純一の場合は、過去の行動履歴として「自宅および近隣を合わせて3軒が消失した火災の原因者」でした。医大の記録には「放火」という自己申告があります。医大で主治医を包丁で襲おうとして未然に父親が防止した事件がありました。いわき病院に入院する直前には街頭で青年に突然殴りかかった事件もありました。いわき病院入院後には、看護師に殴りかかった事件がありました。各々の事件は突発的であり、事件後の野津純一は急速に沈静化しておりました。この急速な沈静化と持続性がない攻撃性は、殺人行為という究極の攻撃性が展開する危険性を減殺するものではありません。いわき病院は「任意入院患者に他害の可能性を検討することは人権侵害である」と主張しましたが、これは精神科専門病院と精神保健指定医としては非現実的な診療態度です。渡邊医師が、反社会的人格障害を診断しないと言う学識であったとしても、主治医として患者の過去の行動履歴の特性は承知するべき義務がありました。
  野津純一は事件1週間前から、顔面にタバコの火で自傷した根性焼きの瘢痕を複数つくっておりました。いわき病院と主治医の渡邊医師はこの根性焼きの自傷行為を観察しておりません。渡邊医師は野津純一に対して抗精神病薬プロピタン維持量の投与を中断しましたが、その薬事処方の変更に際して自ら「振るえた時」「不安焦燥時」「幻覚強い時」を重大な指標としてありました。しかしその兆候を観察しても対応することがありませんでした。渡邊医師には殺人事件に対して未必の故意があります。


(2)、具体性がない責任追及は出来ない


質問:  野津純一が包丁を購入して、矢野真木人を殺害することは予見不可能です。

回答:  12月6日の朝、渡邊医師が野津純一を診察しなかったことは、野津純一の他害行為の衝動を発見して、行動に転換する可能性を未然に防がなかったという意味で、矢野真木一殺人事件の原因となりました。渡邊医師は「包丁を購入して、矢野真木人を殺害することまでは予想できない」と主張しました。野津純一が100円ショップで包丁を購入することや、矢野真木人を選択する具体的な行動は誰にも予想不可能です。しかし精神科専門医であれば、いかなる形で具現化されるとしても、殺人という重大な他害行為を引き起こす可能性が亢進した状況を察知する義務があります。患者の病状の変化に対応して外出制限などをして、患者を保護する義務がありました。
  渡邊医師は「幻覚強い時」に関連して、「野津純一は、妄想に支配されていなかった」と主張します。渡邊医師は患者に妄想や幻覚を観察して、「妄想や幻覚の状況が亢進していても、妄想や幻覚に支配されていなければ、医師として対応する必要はない」と主張しています。「妄想や幻覚に支配されている状態」とは「心神喪失の状態」であり、極端に病状が悪化した状況です。そもそも、精神科病院に入院中の患者が「心神喪失の状態」にまで病状が悪化するまで診察拒否をして診察しないことは重大な怠慢であり、過失です。12月6日の朝に診察しなかったことは殺人事件の原因となったと結論づけることができます。
  渡邊医師の否定の論理は、「極端な症状が発現してない段階の、兆候が現れたレベルではそれを認めない」という極論です。精神保健指定医であれば、素人には察知できないほどの僅かな兆候の変化から病状の変化を診断することが、当然専門家として期待される技量と資質です。渡邊医師には可能なことを全うして最善を尽くすという善良な医療者としての行動がありません。



9、診察と殺人に関する教科書

質問:  診察しないことと殺人行為を結びつけるのは暴論ではありませんか?

回答:  「研修医のための精神医学入門、石井毅著、星和書店」P.32には次の通り記述されています。
ある種の人格障害、自己愛性—反社会性—境界性などの人格障害では、彼らの要求が拒否されるか、思うようにならないと激しく怒ることがある。怒りに対しては冷静に対処し、挑発的にならないように注意する。医師は自己の安全と共に、患者が怒りにまかせて自傷・他害の行動に走らないように注意する。

上記の臨床精神科医師に対する基本的な知識を記述した教科書表現は、野津純一の12月6日の朝の状況にそのまま当てはまります。渡邊医師は、野津純一に反社会性人格障害を診察しておりませんでした。しかし、薬事処方変更を行った際に、渡邊医師は「振るえた時」「不安焦燥時」「幻覚強い時」という特徴的な状況の発生を予想してありました。「診察しないこと」は野津純一の不安と焦燥を亢進する可能性が極めて高い主治医の行動です。ましてや、野津純一には「後から診察する」もしくは「代わりの医師が診察する」等の心を落ち着かせる対応が知らされておりません。このため、診察しなかったことが殺人行動という究極の他害衝動を導いた可能性を指摘できます。



10、いわき病院の処方薬の管理

質問:  いわき病院の薬処方はコンピュータ管理で、改変の余地はありませんが?

回答:  渡邊医師は人証で「いわき病院の薬処方はコンピュータ管理されていて、記録を変更した場合は全て変更者と変更日時が記載されており記録保全は完璧である」と主張しました。しかし、これは平成16年10月から平成17年12月までの事件当日の現実ではありません。現実に、野津純一のカルテに記載された薬処方は手書きとコンピュータ打ち出しが混在しており、統一性がありません。
  いわき病院は平成17年11月以降の薬処方の自己申告を行いましたが、その申告内容が二転三転した事実があります。コンピュータに記録されたはずの薬処方を正確に申告できないことが、いわき病院が説明した薬処方管理方式が事件当日の事実ではなかったことを示しています。薬管理に関する渡邊医師の主張は事件当時の事実を発言しておりません。



11、いわき病院のアネックス棟の管理には
   問題がないのではないか?

質問:  いわき病院はアネックス棟のナースコーナーには日中看護師一人を、12時から13時の間を除いて、配置していると主張したので、野津純一は適切な看護を受けていたことになる。

回答:  いわき病院は現在のアネックス病棟の管理状態を説明したのであり、野津純一が入院していた当時のアネックス棟のナースコーナーの人員配置を説明しておりません。当時は常駐の看護師は配置されておりませんでした。いわき病院は野津純一が入院していた当時のアネックス棟の看護に問題があると認めたからこそ、現在は看護師の配置を見直したのです。このことは、いわき病院の看護に過失責任があったことを認識している事実を示しています。



12、結果論ではないか?

質問:  慢性統合失調症の野津純一といえども、行動に多様性がある人間であり、殺人事件の責任を治療していた病院に課すことは、不当な結果論である。

回答:  いわき病院と渡邊医師は野津純一に対する精神科医療で、精神医療の専門医療機関であり、精神保健指定医という高度な専門家であるにも係わらず、当然行うべき最低限の水準の診察と診断および精神科医療を実現しておりませんでした。これは医療機関および医師として義務違反です。また野津純一との医療契約では債務不履行です。
  上記の医療契約上の債務不履行は、殺人事件の有無に係わらない不法行為です。矢野真木一殺人事件は結果論として派生的に発生した、より重大な人権侵害事件です。矢野真木人殺人事件は起承転結を持った因果論で派生的に発生したものであり、いわき病院と渡邊医師は責任を免除されません。


上に戻る