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反社会的人格障害と統合失調症は本来お互いに独立した症状です。反社会的人格障害者の中には全く病的でない者もおれば、病的な者(統合失調症患者等)もいます。渡邊医師は「原告矢野は、統合失調症発症後に反社会的人格障害にいたると主張している」と非難しますが、このような主張を原告矢野はしておりません。原告矢野は精神鑑定医のS医師の「統合失調症から人格崩壊した」という報告を基本認識としております。また野津純一は中学校1年の三学期に不登校になって以後の最初の診察で「人格障害の疑い」を指摘されており、病歴からしても統合失調症が人格障害に先行しておりません。野津純一には初期の段階から人格障害の兆候は顕在化しておりました。 渡邊医師は「反社会的人格障害を診断できなかった過失について」では、ICD-10を持ち出して「人格障害は他の精神科状態に直接起因しない状態」として「統合失調症の病状の可能性があれば反社会的人格障害の診断はできない」と主張しました。しかし、「統合失調症を的確に診断できなかった過失について」では「野津純一に対する診断は当初より統合失調症」と確認した上で「執ような足のムズムズ、自らの手洗い強迫行為などの訴えがあれば他の疾患、特に強迫性人格障害やほかの疾患を再考する」と主張しました。渡邊医師は「統合失調症の野津純一に対して、強迫性人格障害を診断」しました。渡邊医師は、精神保健指定医ですが診断の論理が矛盾しています。渡邊医師は、「統合失調症患者には反社会的人格障害は二重診断できない」と主張する一方で「統合失調症の患者に人格障害を診断する」という精神科医療を実践しておりました。 そもそも「任意入院患者であれば反社会的人格障害を診断してはならない」とする論理はむちゃくちゃです。任意入院は野津純一が自ら望んだ事です。「患者が任意入院を主張すれば、精神保健指定医は患者に反社会的人格障害を診断してはならない」とすれば、精神科医療の臨床現場では「患者の意思に従って、医師の診断が制限される」論理となり、そのようなことでは精神科医療は崩壊します。また「反社会的人格障害を診断した場合には全ての患者を措置入院としなければならない」とする論理は、そのものが患者の社会復帰を制限し不可能とする論理です。精神科医療機関は病的な精神疾患を治療することが主目的です。反社会的人格障害に統合失調症などの病的要素があるのであれば、統合失調症を寛解させる中で人格障害の軽減を期待することも可能でしょう。しかし、病的でない単独の人格障害である場合には「反社会的人格障害であると精神科医師が診断したために閉鎖病棟に措置入院させられるとしたら、重大な人権侵害が発生する可能性がある」と指摘します。過去には精神障害ではないにも拘わらず、政治的立場の違い、思想や信教また行動の特異性などの理由で、精神科病棟に幽閉された歴史や事例もあると信じられます。そもそも病的でない反社会的人格障害者の教育や矯正は精神科医療の対象ではありません。 いわき病院と渡邊医師は、野津純一本人およびその両親の原告野津から過去の反社会的行動歴に関して説明があり、また手がかりが与えられていた上で、野津純一が示していた数々の反社会的な行動から目を背けました。反社会的人格障害者が精神障害に罹患し自傷行為を繰り返している場合には、深刻な他害行為に行動が転換する可能性があるために、精神科病院は綿密に症状を見極めて、医療および看護に十全を期する必要があります。これは反社会的人格障害診断の可否の問題ではなく、「反社会的人格障害の要素を正確に認識した上で患者の治療と看護、及び保護を行う必要がある」という問題です。反社会的要素がある精神障害者の場合には、治療の経過を通して不安定な精神状態にある時に事件や事故を未然に防ぎ社会参加の道を拡大することで、本人の社会復帰と更正が促進されます。いわき病院と渡邊医師が意図して反社会的人格障害を診断せず、反社会的人格障害の要素を無視した精神科医療を行ったことは重大な過失です。 渡邊医師は、自らの思いこみの理念と理論に基づいて診断し、EBM(事実に基づく医療)や患者を観察した事実に基づいた精神科臨床医療を行っていません。臨床精神科医師であるにもかかわらず、事実を正しく評価しない診療姿勢があるために、患者の診察要請に応えず、間違った薬事処方を行うという過失を引き起こしました。野津純一に衝動的な攻撃性があることを認識していただけに、過失責任は重大です。 ウ、CPK値によりアカシジア・ジスキネジアの診断を間違えた過失 渡邊医師は本件裁判の答弁書と準備書面では野津純一のイライラ・ムズムズおよび手足の振戦を「長期間継続した抗精神病薬の副作用であるアカシジアおよびジスキネジア」と証言しました。しかしながら渡邊医師が野津純一の主治医をN医師から交代した直後の診療録には、平成17年2月23日にZ医師がアカシジア(+)と診断していたにもかかわらず、渡邊医師は2月25日に「アカシジアにしてはCPKの値が低い」としてアカシジアの診断を疑っていた事実が記載されています。渡邊医師がアカシジアをCPK(クレアチン・フォスフォ・キナーゼ)値で診断したことは基本的な間違いです。原告矢野はこの間違いを何回も指摘しますが、いわき病院及び渡邊医師からは何の反論もありません。あまりにもみっともない間違いなので、CPKには触れられたくなさそうです。その後、渡邊医師は8月15日には「パーキンソン病」と記載しましたが、アカシジアとジスキネジアは「パーキンソン症候群」であって「パーキンソン病」ではなく、明白な誤診です。パーキンソン病は老人に多い疾患で、野津純一が平成12年頃に30才そこそこでパーキンソン病に罹患するのは不自然です。その上で、渡邊医師は事件直前の12月3日には「患者 ムズムズ訴えが強い・・心気的訴えも考えられるため」と診療録に記述しました。 いわき病院は原告矢野が一連の錯誤の経過を指摘したことに関して「重箱の隅をつつくような指摘」と批判しましたが、診療録は医療事実の積み重ねであり、主治医が間違いを行ったときには、その間違いを訂正した経緯も記述されなければなりません。渡邊医師の診療録の記載には、小さな間違いから誤った診断の連鎖反応を引き起こし、重大な過失に至った経過があります。渡邊医師は平成17年2月25日にCPK検査値を元にして診断を誤り、「手足振戦・イライラは心気的なもの」と考えていました。前主治医のN医師が抗精神病薬を投与していたことを忘れ、統合失調症の症状が背面に隠れていただけなのに「統合失調症では無いのでは」と考えました。渡邊医師はアネックス棟に入院している若い野津純一の手足の振戦とムズムズを老人病棟でよく見られるパーキンソン病と混同しました。パーキンソン病と抗精神病薬副作用のパーキンソン症候群は異なる疾病です。渡邊医師はパーキンソン病薬のドプスを投薬しても効かないので(効かないのは当然です)、ますます手足振戦は心気的なものと思いこみました。また「パーキンソン症候群治療薬のアキネトンの代わりに生理食塩水を筋肉注射し続けた」ことはムズムズとイライラが「心気的なもの」と確信していた証拠です。 渡邊医師は野津純一のイライラを増悪させQOL(生活の質)を著しく下げました。「野津純一は統合失調症では無い、重症の強迫神経症である」と渡邊医師は考えていましたので、「統合失調症では無いし、パーキンソン病薬(ドプス)やβブロッカーを投与しても効かないから、抗精神病薬は中止する」そして「重症の神経症には抗不安薬を大量に出せばよいだろう」と考えての処方でした。しかし「強迫性障害に抗不安薬の大量投与が有効」というEBM(事実に基づく医療)はありません。そして野津純一が統合失調症である可能性や、抗不安薬の重大副作用のことはすっかり忘れて全く考慮しないと言う、精神保健指定医として精神科医療の基本を忘れた過失を犯しました。 処方を変更する際の治療目的であった「足のムズムズとイライラ」は治まらなかったので、まっとうな精神科医なら野津純一に再燃の兆候が見られる前に、抗精神病薬の投与を再開したはずです。ましてや11月30日の診療録には渡邊医師は野津純一の統合失調症が再発した場合の対処方針を書いており、抗精神病薬中断の危険性を渡邊医師は認識しておりました。このような状況では「毎日心配で様子を見に行く」のが精神科医の常識です。渡邊医師は「万一、統合失調症が再燃しても暴れるか(緊張型)、妄想に支配される(妄想型)の筈だから、それから対応すれば間に合うだろう」と甘く考えて、緊急の診察要請があったにもかかわらず拒否しました。渡邊医師は脇が甘く基礎的な精神医学知識が欠如しており、野津純一の統合失調症破瓜型を診断できませんでした。脱抑制の奇異反応は暴れる症状ではなく、抑制力が無くなる状態です。野津純一は「イライラが限界にきて激情して怒りを抑えられなくなり、誰でもいいから殺してやろう、そうすればイライラは治まる」「父親の悪口が聞こえ完全に逆上した」と供述しています。 アキネトン(パーキンソン症候群治療薬)を薬効が全くない生理食塩水の筋肉注射に代えたプラセボ試験は、直後に「一時的にプラセボ効果があったとされる状況がありました」が、これはその時だけたまたま気分が良かったためであり、一回限りのことで、その後は急速にプラセボ効果が消失しました。しかし渡邊医師は「ムズムズ・イライラは心気的なもの」と確信を持ちました。また渡邊医師は処方変更をした後であるにもかかわらず患者の状況の変化に関心を持たない精神科医療を行いました。渡邊医師には精神障害者の人権に対する安易な姿勢が見えています。 渡邊医師がアカシジアとジスキネジアの診断と治療を間違えた過失は、野津純一の日常の症状と苦しみ(QOLの低下)に直結していたために、野津純一の頻繁な投薬を要請する行動を誘発するに至り、主治医の渡邊医師はそれに応えることを忌諱するようになりました。また渡邊医師は抗精神病薬(プロピタン)を中断して、「心気的なもの」を治療しさえすれば足りると判断して、抗不安薬であるレキソタンをEBM(事実に基づく医療)無視で承認外の連続大量投与するに至りました。アカシジアとジスキネジアの診断間違いは、渡邊医師が薬事処方の上で精神薬理学的な過失の連鎖反応を引き起こした過失の重大な起点に位置します。 2、精神薬理学的な過失 エ、抗精神病薬を中断した過失 渡邊医師が「野津純一は当初より統合失調症」と診断していたのであれば、「抗精神病薬を中断したまま放置したこと」はいかなる理由で弁明するとしても過失です。ましてや、渡邊医師は抗精神病薬中断により発生する異常の可能性を予想しておりました。抗精神病薬は統合失調症を完治させる薬ではありません。抗精神病薬は、統合失調症の症状を抑制して、寛解の状態に近づけそれを維持するための薬です。このため、統合失調症患者は抗精神病薬を一生服用し続けなければなりません。抗精神病薬を服薬し続けることではじめて、統合失調症患者の社会復帰や社会参加が可能となります。渡邊医師が野津純一逮捕後に警察からの要請で処方した薬は抗精神病薬のプロピタンが入った処方に戻っていました。渡邊医師が「抗精神病薬中断は間違いであったと認めた」証拠です。 渡邊医師が野津純一の執拗な「イライラ・ムズムズおよび手足の振戦」の訴えを改善するために対策を考えたことは医師としては当然のことです。しかしながら、渡邊医師には「抗精神病薬を継続投薬する中で対策を考えるという制限」があります。抗精神病薬を中断した場合には、主治医は統合失調症の再発の危険性を常に考えて、万全の体制を取り、患者の状況の変化に対しては、たとえ小さな状況変化であっても患者の状態を自ら確認して臨機応変かつ機敏に対応する責務が存在します。渡邊医師は抗精神病薬中断時に発生する異常の症状に関して事前に認識しておりました。その場合には、薬事処方変更の効果が発現しないとか、何らかの異常を発見した時には、速やかに抗精神病薬の中断を解除して、投与を再開しなければなりません。 渡邊医師は抗精神病薬を中断しても、イライラがひどければ頓服(クロルプロマジン15mg、ジアゼパム5mg、ビペリデン1mg)を出してあるので問題はないかのように言っていますが、誤りです。使用した頓服の抗精神病薬総量は平成17年11月23日から事件当日までの14日間のうち頓服は9回でクロルプロマジン135mg(プロピタン5.4錠)に相当し、1日当たりプロピタン0.37錠になります。プロピタン中止前は1日3錠を処方し、加えて頓服薬も出していましたので(10月は31日のうち頓服要求30回)被告純一の抗精神病薬服用量は中断前の10分の1に減っています。抗精神病薬は維持用量を満たさないと精神症状の悪化は避けられません。頓服だけで十分な抗精神病薬の維持用量は確保できません。 渡邊医師は抗精神病薬の中断という過失は、頓服を出しているので過失責任を問うことができない「事情」の範疇でしかないと主張しています。野津純一に対して投薬された頓服の回数は10月の(30回/31日)より11月22日から事件当日までは(9回/14日)と低くなっていました。これをプロピタンに換算すれば10月には18錠で、これ以外に毎日3錠が処方されていましたので月間では111錠でした。ところが抗精神病薬を中断した後の11月23日から12月6日まで14日間で投薬された量は5.4錠でしたので、一ヶ月に換算すれば11.95錠でした。この頓服回数の削減は渡邊医師が野津純一の執拗な要求に対抗して指示したため(12月8日警察官調書)です。野津純一は抗精神病薬を中断されて、一ヶ月に換算した抗精神病薬の削減量は10月の実績と比較すれば99錠の削減です。抗精神病薬の維持用量は必要十分量を満たさないと精神症状の悪化は避けられず、野津純一は統合失調症の治療を中断されて症状が増悪している苦しみを訴え続けていました。頓服だけで十分な抗精神病薬の維持用量は確保できず、精神症状の悪化は避けられません。抗精神病薬を毎日の処方から外したことは基本的な過失です。渡邊医師が、少量の頓服を処方していたことで「あたかも抗精神病薬を継続投与していた」かのような主張をすることは「抗精神病薬の中断は重大な過失である」と認めた自白です。 渡邊医師は『11月30日の診療録で「(P)方針 不穏時には右記注射を行う」として「振るえた時アキネトン、不安焦燥時セルシン、幻覚強いときトロペロンとアキネトン」注射を指示してあり、「対応も即効性のある注射剤の指示であり決して闇雲に中止したものではない」』と抗弁しました。「抗精神病薬を再開する時の条件は検討していた。また診療録にはそのときの対策を記載していた。病棟スタッフに指示していた、従って過失はない」と主張しましたが、これは医師法違反の主張です。またトロペロンは古い世代の高力価定型抗精神病薬で光が眼に入る等の副作用が強いため野津純一に合わない薬(平成17年2月23日診療録)であり、副作用が少なく効果的な非定型薬が存在する平成17年当時の判断としての薬選択は適切ではありません。また渡邊医師のこの証言は「抗精神病薬の中断で野津純一の統合失調症が再発・再燃する危険性を認識していたという事実」を確認する証言です。渡邊医師は主治医として「抗精神病薬を再開する事態の展開」には常に対応していなければならないことは当然です。しかしその対応を行えるのは、医師に限定されます。看護師や作業療法士や金銭管理トレーニングの担当者に任されるものではありません。病棟スタッフが、渡邊医師の指示が無く実行した場合には、医師法違反(「麻薬及び向精神薬取締法」で厳しく規制を受ける薬物を医師でもないのに患者に施用した医師法17条「非医師の偉業禁止」違反)を行ったことになります。従って、渡邊医師の本件に関する弁明そのものが違法な過失です。 オ、抗不安薬のレキソタンを承認外の連続過剰投与した過失 渡邊医師は、抗不安薬のレキソタンを野津純一のような統合失調症患者に連続大量投与する際に発生する危険性がある脱抑制の奇異反応に関しては
を理由に掲げて、「副作用が発現する可能性を検討した精神科臨床医療を行わなくても良い」と主張しました。そもそも危険な副作用の発現頻度が高ければ、薬としては使用禁止される道理です。薬とは「ある一定の水準の副作用の危険性があるとしても、主目的の薬効を期待して、患者の状況を慎重に見守りつつEBM(事実に基づく医療)のある承認用量内で使用するもの」です。このため、主治医は常に極めて低い確率であるとしても、重大副作用が発現する危険性を綿密に観察した医療を行うことで過失責任を問われることが免除され得るのです。しかしながら、EBMを無視して承認用量外の過剰投与を続け重大副作用の可能性を全く考慮せず、それを観察することを否定する医療を行う場合には、発生した事故に対しては過失責任が問われなければなりません。 渡邊医師は「発現の機序が解明されていないこと」を免責の理由にあげていますが、薬の全ては薬効のメカニズムが完全に解明されたものではありません。そもそも薬は経験則から、統計的有意性を確認することで薬効が確定されています。また薬の薬効が発見される場合も、偶然の発見が寄与するところが大きいという事実があります。このため薬理学的には重要なことですが、臨床精神科医療で用いる薬の機能の上からは「発現メカニズムの解明」は必須の条件ではありません。 奇異反応(脱抑制)が野津純一に発現していたか否かに関しては、渡邊医師は「11月30日と12月3日の診察では奇異反応を確認していない」と主張しましたが、それは問題ではありません。肝腎の期日は12月6日の朝ですが、医師が誰も薬処方を理解した上で、奇異反応(脱抑制)が発現しているか否かに留意して患者を観察せずまた診察もしていないので、確定した証拠を持って確認することはできません。しかしながら、看護記録には、診察拒否を告げられた後の野津純一の状況を記載してあり、「先生にあえんのやけど、もう前から言ってるんやけど・・」のあとに「両足の不随意運動あるが、頓服・筋肉注射の要求なし」と記載があり「いつもは頓服だ、注射だと騒ぐのに、変だな、おかしい」と看護師が思った「いつもとは違う様子」が書き留められています。この日までに野津純一の心には主治医の渡邊医師に対する疑念が生じて、そして肥大化している状況で、野津純一の渡邊医師に対する信頼感が一気に崩壊しました。状況証拠から推察すれば「診察拒否」が引き金となり、野津純一はそれを知った直後に奇異反応(脱抑制)が発現した可能性が極めて高いと思われます。それは「誰でも良いから人を殺す」という野津純一の言葉に表れています。野津純一の心の中では「人を殺してはならないという抑制機能」が失われつつあったのです。『6日の外出許可時には「ひどく激情し、怒りが押さえきれなくなっていた」「完全に逆上していた」「誰でもいいから人を殺す」と決めていた』と検察で供述しています。 なお、渡邊医師が本裁判に提出した資料には、渡邊医師が赤線を引いた次に、奇異反応(脱抑制)の発現機序に関した説明書きがあり「ベンゾジアゼピン系薬物の中枢神経系への作用による脱抑制によって起こるとの考え方が支配的だが、高い攻撃性・衝動性を潜在的に持つ個体や抑制機構に何らかの脆弱性を持つ個体がベンゾジアゼピン系薬物による脱抑制作用によって顕在化したとする考え方もある」と記述されています。そもそも、渡邊医師が「発現の機序が解明されていない」と主張することも謬論です。渡邊医師がレキソタンを承認外の大量を連続投与していながら、重大副作用の奇異反応の可能性を全く考慮しない医療を行っていたことは過失です。野津純一逮捕後に渡邊医師が警察からの要請で行った薬処方では、レキソタンの薬用量を常用量に戻しており「処方量に誤りがあったと認めた」証拠です。 いわき病院と渡邊医師に問われるのは「主治医がうまく治療できなくて病気が悪化し、病気の影響で殺人事件を野津純一が引き起こした」という問題より、遙かに深刻な、「渡邊医師の治療行為が積極的に異常行動を引き起こした」という過失です。 カ、アキネトンに代えて生理食塩水を筋肉注射した過失 渡邊医師は平成17年11月22日の診療録に「一度、生食でプラシーボ効果試す」としてアキネトン(パーキンソン症候群治療薬)に代えて生理食塩水を筋肉注射する意図を記述しました。プラセボ試験とは患者に対して、「外見は同じに見えるが、薬効がない試薬を薬効があると偽装して与える試験」です。目的からしても患者の同意を得た上の薬処方の変更ではありません。それだけに経過観察を行うべき主治医の責任は重大で、継続的な観察と診断が必須です。12月2日の診療録には「内服薬が変わってから調子悪いなあ・・、院長先生が(薬を)整理しましょうと言って一方的に決めたんや」という渡邊医師を疑い始めた野津純一の言葉が記録されています。渡邊医師が生理食塩水をプラセボとして与えた理由は野津純一のイライラ・ムズムズとよび手足の振戦をアカシジア・ジスキネジア(パーキンソン症候群)ではなく「心気的」と疑っていたからです。渡邊医師の論理に従えば、生理食塩水が効果を発揮した場合には「アカシジア・ジスキネジアではなくて心気的だった」と結論づけられることになります。12月3日からは明らかに生理食塩水のプラセボ効果は失われておりましたので、渡邊医師は速やかにアキネトンの筋肉注射を再開しなければなりませんでした。またこの時点で、渡邊医師は自らの診断と判断間違いを含めて、抗精神病薬(プロピタン)の中断と抗不安薬(レキソタン)最大承認用量の2倍を処方したことに関して再検討をする必要性を認識するべき段階に達しておりました。 渡邊医師の11月22日の生理食塩水をプラセボとして筋肉注射するという指示は30日から実施されました。12月1日の朝10時と20時に、野津純一は下肢のムズムズや手足の振戦を訴えていました。12月2日には朝11時に「四肢の不随意運動」の記述があり、生理食塩水を筋肉注射されます。劇的な記述は12時にあり、「ああ、めちゃくちゃよく効きました」という野津純一の言葉とともに、看護師の「筋注の効果があったと表情良く話す」と記述された事実があります。しかし、15時30分には早くも手足の振戦を訴え、それ以降は生理食塩水では効果が無く、12月3日には一日症状が軽減しないことに苦しみ、12月4日の12時の筋肉注射時には「(本当に)アキネトンやろー」と疑いました。すなわち、渡邊医師が期待したプラセボ効果は野津純一が騙されたことにより一時的に見られましたが、野津純一が筋肉注射に効果がないことに気がつくほど、プラセボ効果の発現があったとは言えない結果でした。 12月2日12時の「プラセボが効いた」という野津純一の一回だけの特殊事例に頼り、野津純一がパーキンソン症候群治療薬のアキネトン中断で極度に苦しみ始めた状況(患者のQOL低下)を無視して、12月3日には「患者 ムズムズ訴え強い、心気的訴えも考えられる(パ−キンソン症候群ではない)」と診断しました。ところが本件裁判で渡邊医師は「長期継続した抗精神病薬の副作用の遅発性ジスキネジア(パ−キンソン症候群)」と断言しました。渡邊医師は少なくとも11月22日以降は誤診して「筋肉注射の処方間違いをした」と認めたことになります。そしてこのアキネトンに代えた生理食塩水の筋肉注射は事件当日まで継続しており、野津純一はアカシジアおよび遅発性ジスキネジア(パ−キンソン症候群)で激しく苦しめられ続けていたにも関わらず、渡邊医師は「臨床では患者の変化を詳細に観察して治療を見直すことをしない」という過失を犯しました。 3、患者の診察と観察・看護義務等に関する過失 キ、病棟の機能を無視した入院患者の処遇 渡邊医師は原告矢野に対して「原告は知らないようであるが、高齢者の痴呆も同じ精神障害である」と指摘した経緯があります。このときに渡邊医師は精神保健指定医であるにもかかわらず「介護を必要とする痴呆性老人に対する医療と、野津純一のような看護を必要とする病的な精神科医療を同列に認識している」ことを示しました。これはいわき病院の病院運営の現実にも反映されています。野津純一が入院していた第二病棟は本来の機能はストレスケア病棟の筈でしたが、現実の運営では老人性痴呆疾患治療病棟として多数の痴呆老人を入院介護しておりました。 渡邊医師はパーキンソン病とパーキンソン症候群を混同しておりました。これは渡邊医師が高齢者の痴呆と統合失調症の症状を同列に認識していたところから派生する精神保健指定医の判断です。渡邊医師は病床数248で、日本病院評価機構から認証を受けた優良精神科病院の病院長です。その精神保健指定医が統合失調症と老人性痴呆を混同していました。老人性痴呆は年齢に伴うわずかの精神症状がありますが本質は重大な身体的な問題です。老人性痴呆の場合には年齢的に改善の方向性は極めて限られています。しかしながら統合失調症の場合には適切な精神科医療が行われるならば社会復帰が可能な疾病です。渡邊医師が老人性痴呆と統合失調症を同列に扱う精神科医療を実践していた事実は、野津純一に行われていた精神科医療の質と内容の観点からも、深刻な問題がありました。 野津純一は下の世話や入浴などの「介護」を必要とする患者ではありません。しかしながらだからといって「看護」を必要としない患者でもありません。野津純一は統合失調症の精神障害者としての「看護を必要」としていました。ところが、第2病棟の現実は、担当看護師他のスタッフは痴呆老人の介護で忙しく、「急を要しない精神障害者の看護は後回し」にされる傾向がありました。本質的な問題はいわき病院が主張した通り「精神障害者の社会復帰のための外出訓練を介護と同列に考えていた」ところにあります。この実体は、国際法律家委員会レポートで「これらの病院は基本的に老人のためのナーシングホーム、すなわち老人ホームとして機能している。これらの病院が、急性期のケアと治療のために緊急に必要とされる職員と資源を費消(原文のママ)していた。」(第2次調査団報告、第Ⅲ章 精神保健サービスの評価 P.151)と指摘されています。 いわき病院は「アネックス病棟ではないアネックス棟」と強く主張することで、「アネックス棟が病棟としての機能を持っていない」と証言しました。アネックス棟にあるのは「ナースコーナー」であり「ナースステーション」ではなく、常駐の看護師はおらず、担当看護師の名前を張り出すだけでした。なお、「担当ナースは病院内を行き来しており、廊下などで適宜入院患者に声を掛けたり、患者から話かけられるなどしている」と主張しますがアネックス棟は第2病棟の一部ですが建物は別棟です。通常の場合担当ナースは機能的には患者の声が届かず姿が見えない所にいます。いわき病院は「日中であれば、患者はナースステーションに黙って見つからないように出ることが可能である」と証言しました。驚くべき事に野津純一にはアネックス棟のエレベータの暗証番号が教えられており、野津純一はナースステーションの前を通らなくても病棟といわき病院から誰にも干渉されず自由に出入りできました。入院患者の所在を把握するシステムが欠落していたのです。その根拠が渡邊医師の「自症他害など考えられない任意入院の患者」という精神医学的な知識です。 いわき病院が、野津純一の日常の短時間の外出に際して、遠回りでもナースステーションの前を必ず通るという自由意思に期待して、ナースステーションの前に置いた外出記録ノートに記入するだけで管理して、実際には野津純一の病棟からの出入りを観察する者が誰もいない状況で運営していた事実は、第2病棟看護師が痴呆老人の介護で忙しすぎたところに原因があります。また精神障害者の毎日の病状の変化をいわき病院では全く行わないで、開放病棟を運営しておりましたが、患者の状態を観察する必要性と意味に気がつかない背景には看護と介護の区別が付かないほどの、病院機能の混同がありました。そのような中で、野津純一の毎日60本にも及ぶタバコ喫煙と喫煙所の汚れという荒廃および野津純一が顔面左頬に作っていたタバコの焼けこげ(根性焼き)にも気づかずに放置されたのです。野津純一のような一見手がかからない任意入院の精神障害者は、手がかかる痴呆老人介護に介護労力を集中するための緩衝剤としての役割が期待されていた可能性があります。いわき病院が過失の連鎖反応を引き起こした根元には、病棟機能を混在した入院患者の処遇があります。 この問題の背景に本質的な課題として精神科医療の質の問題があります。このような状況では低位平準化して安定化する懸念が拭われません。良好な精神科医療が行われる環境整備をする必要性があります。いわき病院と渡邊医師には精神科医療機関の精神障害者に対するパターナリズムと責任を問われることはないと言う安易な認識があり、「精神科医療に関する知識の欠如」、「無責任な態度で行う精神科医療の実践」、「精神保健関連法規の未熟な理解」、「精神保健諸制度の不真面目な実践」が現実となっていると確信します。 ク、薬事処方変更の効果判定をしない過失 渡邊医師は12月6日の朝10時頃に病棟看護師から野津純一の緊急診察要請を受けましたが、「イライラやムズムズの訴えはいつもと同じ」と即断して診察拒否をしました。 野津純一の看護記録では「緊急の診察要請はこの時に限られる」にも関わらず主治医渡邊医師は、異常を察知することなく断固として診察拒否をしました。これより前に、渡邊医師は本件裁判では「最終的に統合失調症である」と断定している野津純一に「11月23日(1ヶ月前からという内部情報がある)から抗精神病薬(プロピタン)を中断し、抗不安薬のレキソタンの承認外大量連続投与を開始し、その上でアキネトンに代えて生理食塩水の筋肉注射をする」という重大な処方変更を積み重ねていました。抗精神病薬の中断と放置は統合失調症患者に対しては行ってはならない重大な処方変更です。レキソタンの連続大量投与に関しては医師向け添付文書に「奇異反応(脱抑制)発現の可能性」という重大副作用の注意書きがあります。その上で、薬効がない生理食塩水をプラセボ試験として筋肉注射していました。通常であれば、上記の中の一つの処方変更だけでも、慎重に経過観察をして、主治医としては不測の事態に対応するべき状況でした。それにも関わらず、主治医の渡邊医師は、自ら診察をしないで「イライラとムズムズはいつもと同じ」と断定して、診察拒否をしました。論理的には「治療目的の症状に改善が認められなかった」のですから、「処方を元に戻す診断をするべき」状況でした。 渡邊医師は11月23日に抗精神病薬の中断(抗精神病薬は一ヶ月以上中断していたという内部情報があります)をした後で、アキネトンに代えた生理食塩水のプラセボ試験は11月30日に開始されました。同日の診療録に「振るえた時、不安焦燥時、幻覚強い時」の対応方針を記入してありますので、渡邊医師は抗精神病薬の中断による危険性の認識を持っておりました。このため、平成17年11月30日から12月6日までの間は、渡邊医師は野津純一の状況変化に対応して特にきめ細かく診察して処方変更の効果判定をするべき義務がありました。ところが渡邊医師が野津純一を診察したのは診療録の記録では12月3日だけで6日には診察拒否をしました。 渡邊医師は「処方変更の効果判定は、主として11月中に行われた」、「看護師や、作業療法士および金銭トレーニングの報告を参考にした」と主張していますが、問題は12月に入ってからです。また処方変更の効果判定は医師が患者を診察して行うものであり、状況を理解していない無資格者の言動に左右されて行うものではありません。渡邊医師の主張には医師法上重大な違反があります。渡邊医師が頻回に行っていたとされる夜間の診察に関しては、「病室の外から窓越しに覗き込んで、診療録にちょこちょこと記録していた」という内部証言もあります。渡邊医師は抗精神病薬中断による統合失調症が再発する可能性に関する認識を有しており、その上で12月に入ってからは再発の可能性が日毎に高くなっていましたから、当然のこととしてきめ細かく野津純一の毎日の状況の変化を自らの眼で診察する義務がありました。渡邊医師は継続して慎重に行うべき処方変更の効果判定を行っておらず、重大な過失です。 ケ、根性焼きを見逃した過失 いわき病院と渡邊医師は「野津純一の顔面にはタバコの火傷である根性焼きはなかった」「医療専門家集団であるいわき病院の職員の誰も野津純一の顔面に火傷の瘢痕を認めていない」従って「根性焼きは、原告矢野の作り話である」とまで主張しました。原告矢野はテレビ朝日が報道したニュース特集番組から、野津純一の顔面の左頬だけに複数ある「根性焼き様瘢痕」の写真を証拠提出しました。この瘢痕(渡邊医師の表現では「ひっかき傷」)は平成22年1月25日の野津純一人証では完全に消失していることが確認されており、治癒される瘢痕(傷)でした。野津純一はいわき病院に入院中の全期間にわたり繰り返して、顔面に傷を作り続けるという自傷行為を繰り返していたことになります。 平成17年12月9日の香川県警供述調書で野津純一の母親は「どういう理由で痣ができたのかは聞いていませんが、いつの間にか純一の左頬に1センチぐらいの四角っぽい痣ができており、今月6日に見た時にはその痣みたいな所が目に付きました」、また「6日は、午後4時くらいにいわき病院に行った」と供述しており、野津純一が事件を起こす前に根性焼きを発見していた事実を確認しておりました。野津純一の根性焼き瘢痕は、12月7日に野津純一の身柄を警察が拘束する際の目印となり、テレビ朝日がその模様を撮影して報道しました。 いわき病院は本裁判の中で繰り返して「事件直前および直後に、いわき病院職員は誰も根性焼きを見ていない」と確認しました。そして「そもそも事件1週間前に野津純一の頬に根性焼きの跡などなかった」と主張して「根性焼きがあったのであれば、7日に許可による外出をしてから逮捕されるまでの間にできたもの」とまで主張しました。この主張が正しければ、野津純一はわずか20−30分の間に新旧複数の根性焼きを顔面左頬に作っていたことになります。「いわき病院職員の誰もが見つけられなかったから、根性焼きは存在しなかった」という主張は過失の事実を覆い隠す詭弁です。また、精神科入院患者の顔面を観察しないで診断・治療および看護を行うことは過失です。 渡邊医師は、「野津純一の顔面には入院当時からひっかき傷のようなものがあった」として、瘢痕であるか否かは別としてひっかき傷の存在を認めておりました。問題の本質は患者の顔面にあるひっかき傷を認識しておりながら、傷が発生した原因について解明しない医療を行った事実です。根性焼きの問題は、いわき病院の治療と看護に驚くべき怠慢があったことを証明する過失です。渡邊医師は、野津純一の左頬のひっかき傷がニキビである可能性を示唆しましたが、事件当時36歳の男性の額でもなく、右頬でもなく、左頬だけにあるニキビを主張することは詭弁です。 いわき病院が野津純一の顔面に存在した新旧複数の生々しい火傷の瘢痕を発見しない精神科臨床医療を行っていたことは重大な注意義務違反です。「入院患者の症状と状態の増悪にいわき病院では誰も気づかずにいた」と、いわき病院は証言したことになります。渡邊医師は、患者の病状が悪化していることを無視して「症状はいつもと同じ」と決めつけて、診察拒否をしました。根性焼きを発見できなかったことは、「犯行当日の朝の診察拒否をする根拠がなかった」という証明になります。 コ、効果がない社会復帰訓練と単独外出 原告矢野は、国際法律家委員会レポートで改善を勧告されている「日本では精神科病院に入院している患者数が国際比較をすれば極端に多い現実」がいまだに継続していることを憂いており、「精神障害者の社会復帰が促進されて、精神科病院に入院している患者数が大幅に削減される必要がある」と考えます。このためには、精神科病院は患者の社会復帰を可能とする治療とリハビリテーションを行い、社会復帰訓練の実績を上げなければなりません。 いわき病院は社会復帰訓練として実施していた「短時間の外出」である野津純一の「1日2時間以内の許可外出の管理を全く行っていない」という怠慢があります。いわき病院と渡邊医師は、「野津純一(の社会復帰訓練)は統合失調症患者であり、その時期、その重症度、社会、心理的状況、個々のケースで状態は変化するので訓練プログラムという形はとっていない」と主張しました。これは「主治医の指示に従い、野津純一に合わせた治療を提供していた」「野津純一の1日2時間以内で許可されていた、短時間の外出が渡邊医師の指示で行われていたこと」を意味します。平成17年12月6日に野津純一が矢野真木人を通り魔殺人した時の野津純一は渡邊医師の指示のもとにありました。しかしいわき病院が提出した外出記録は、原告野津に付き添われた外泊や、また歯科の治療や中間施設の訪問などを目的とした付き添い付きの外出に限られ、2時間以内の短時間の外出は含まれておりません。いわき病院には野津純一が殺人事件を引き起こした日常の短時間の外出に関する正しい記録がありません。 いわき病院は、「精神障害者の社会復帰という崇高な目的意識がある」と主張しますが、本質的な問題は「現実の医療と看護とリハビリテーションが杜撰である」ところです。渡邊医師は警察調書で「正直なところトレーニングの記録を確認しても目立った改善はありません」と供述しました。また診療録には「心理教室はノイローゼがひどくなる」、「眠くていけない」と野津純一の発言が記載されています。いわき病院は「看護とリハビリテーションがお題目だけで実質と実績を伴わなかった」のです。建前論の制度や機構や機能は弁明になりません。現実の医療と看護とリハビリテーションが杜撰であり実質を伴わず、重大な事件が派生的に発生する可能性を全く予測せず、また未然に防ぐことができなかったどころか重大な他害事件を誘発した所が過失です。 いわき病院は、開放病棟(アネックス棟)に入院している任意入院患者であれば、日常の症状の変化に全く関心を持たず、観察せず、漫然と短時間の外出許可を与え続けました。主治医の渡邊医師が重大な処方変更をして患者の状態が日々変化して力動しているにもかかわらず、一時的に見られた良好な状態だけに依存した判断を行い、症状が悪化して患者が緊急の診察を求めても診察拒否をして、自ら効果がないと判断していた社会復帰訓練を漫然と行いました。統合失調症の患者に対して抗精神病薬を中断すれば、再発する危険性を認識していました。その上で、奇異反応(脱抑制)を発現する可能性がある抗不安薬のレキソタンを承認外の大量連続投与していました。そして、野津純一の最大の苦しみであったイライラ・ムズムズ・手足の振戦に効果があったアキネトン(パーキンソン症候群治療薬)を中断して患者の状況を観察せずに外出許可を与えて単独外出をさせたことは重大な過失です。その背景にある精神保健指定医の渡邊医師の知識不足と不作為は過失です。 いわき病院と渡邊医師は野津純一が任意入院患者であるという理由だけで、患者の病状の日変動を全く観察せず、患者本人が外出簿に記載するだけで外出許可を与え、漫然と外出訓練を行い、その効果も評価することがありませんでした。このような無責任な外出訓練を行うことには重大な過失責任があります。なお、事件後のいわき病院の変化として、渡邊医師は「任意入院の患者の社会復帰訓練のための外出であっても、必ず家族の同行を求めている」と伝えられます。このため、「外出訓練の機会を閉ざされた患者の中には自殺した方が存在する」と聞きました。いわき病院と渡邊医師の問題は極論で「患者の毎日の症状の変化を観察せず」、「入院患者の実状に対応した外出訓練を行わない」ところにあります。このような精神科医療こそ、精神障害者の社会復帰を妨げる精神科病院運営です。 サ、患者の症状の日変動を観察しない看護と外出訓練の過失 いわき病院は『自傷他害の所見は、診察した医師がその時点で可能性の有無を判断するものであって、あくまでも、傷害や暴行が精神疾患の症状によって発現する可能性があるか否かを判断するものであるため、異なった2人の精神科指定医が診察することになっているのである。もし、過去に精神疾患のため傷害、暴行、自傷、器物損傷で入院した者がいるとすると、同原告らの立論によれば、それらの人は全員が措置入院ということになってしまうであろうし、また、措置入院中の患者に対する措置入院の解除はできないことになってしまいかねない』と主張しました。いわき病院が外出許可に関連して二人の医師により「野津純一に外出許可を与えた医師の判断」を行った時は具体的に三回あります。
これらの医師の判断はいわき病院およびいわき病院の主治医が野津純一に対して新たに精神科治療を開始する時点で行われており、論理的にはその後の治療効果を反映しない判断です。日常の短時間の外出では、毎日の病状の変化に関係なく外出許可は与えられておりました。いわき病院の場合には、自傷他害の可能性を少しでも判断すると措置入院という激しい措置になるためか、入院患者の日常の観察は行われておりません。野津純一はナースステーション前に置かれた外出簿に記入する事で、医師や看護師が内容を確認することも野津純一をみることもなく自動的に外出許可が与えられました。いわき病院では、社会復帰のために外出訓練を行う患者の毎日の病状の変化を観察する必要を認めないどころか否定するシステムができあがっていました。野津純一はいわき病院の入院患者でした。そもそも症状を観察しない精神科医療が行われ続けられており重大な過失です。 原告矢野は、矢野真木人が殺害された事件直後に高知市内のT病院を見学しましたが、T病院では開放病棟の入院患者の毎日の症状の変化(力動)を医師や看護師(二人以上)が観察してその変化を掲示板に患者毎に表示して、診療録にも記載していました。色分けは緑(単独の外出可)、桃(付き添い付きで外出可)、赤(本日は外出不可)です。このことをいわき病院の医療関係者に質問しましたが、全員が「そんなきめ細かな観察は実施していません」と答えました。いわき病院は他の病院では日常の精神医療看護活動として実現していることを行っておりませんでした。そもそも、患者の毎日の病状の変化を観察して記録することは基本中の基本です。 野津純一は12月3日に渡邊医師が最後の診察をした時から事件当日まで、以下の異常を発信していました。
上記のaからfまでは、渡邊医師が12月3日に野津純一の根性焼きを発見できるほど慎重に診察して観察しておれば、全てではないとしても察知可能でした。5日のgの発熱に関しては、診療録では5日にM医師の診察となっていますが、本件裁判で渡邊医師は4日に診察したと証言しています。犯行前日と前夜にはhからjの異常があり、当日にはkの異常が出ていました。それでも、渡邊医師は12月6日に看護師から伝えられた緊急診察要請を拒否しました。渡邊医師が診察をしておれば、当然異常に気づくべき状況でした。もし、渡邊医師が主張するとおり、異常に気づくことが不可能であるとしたら、精神保健指定医としての渡邊医師の資質に問題があります。 殺人事件を起こした野津純一は外出訓練終了時に、返り血が付いた服と返り血がたっぷり付いた手で帰院しましたが、看護師も医師も全く気にとめませんでした。そもそも野津純一が病室に引きこもっていることすら3時間も不明でした。これはいわき病院が杜撰な精神科医療を行っていた証拠です。 野津純一は12月6日の午後13時以降には「ああ、やってもた、俺の人生終わってもた」と呟きながら自室でおとなしくしていました。16時頃にはいつもは必ず会う母親との面会を断り、いつもは食欲旺盛なのに夕食を取らなかったという「いつもとは異なる状況の変化」がありました。その頃にはテレビニュースで「殺人事件」は大きく報道されていました。夕食を摂るように促した職員に野津純一は「警察が来たんか?」と聞いており、野津純一の行動と発言には異常がありました。12月7日の朝食も野津純一は摂りませんでした。それでも、いわき病院は前日と同じ血が付いた服を着用した野津純一に、前日と同じく外出訓練で一人での外出許可を続行しました。そしてその外出訓練中に警察に容疑者として拘束されました。いわき病院関係者は警察から「入院患者が殺人犯」と知らされるまで誰も全く気づかなかったのです。これは怠慢かつ、いい加減な患者看護が行われていた証拠です。いわき病院の看護上の問題は、野津純一の毎日の精神症状の動向(力動)を把握して記述せず、患者の所在にも関心がないところにあります。 このような入院患者の症状の日変動を誰も観察しないで外出許可を与えるという病院運営は徹底していました。渡邊医師の証言によれば、野津純一はいわき病院に入院した当初から顔面に「ひっかき傷」がありました。しかし精神障害に関係ないと診断したのか、以後観察しても質問もせず治療もしておりません。このため、野津純一の顔面には異常があり続けましたが、いわき病院では医師も看護師や他の医療スタッフも誰も注目せず記録も取っておりません。いわき病院では患者の顔面すら観察せず、ましてや患者の症状の日変化・日変動(力動)に関心がなく記録を取らない精神科医療が実行されていました。これは重大な過失です。 いわき病院と渡邊医師は野津純一に衝動的な攻撃性があることを承知していました。それにもかかわらず毎日の症状の変化を観察せず自傷し続けていた患者の顔面の異常を見逃しておりました。呆れるほどの過失と言わざるを得ません。 シ、措置入院かそれとも開放病棟で自由放任」という未必の故意 いわき病院は『本件の入院形態が、「自傷他害のおそれのある精神障害者」に対する社会防衛的要素の含まれる「措置入院」ではなく、自傷他害のおそれなど認められない患者本人の意思による「任意入院」である点は重要な判断要素とされるべきである。』と主張しました。渡邊医師の精神科医療に対する考え方は、「任意入院患者は自由放任で、さも無ければ措置入院の閉鎖病棟収容」という極論です。また措置入院を社会防衛の観点から捉えており、患者の治療促進と患者の保護の観点が希薄です。 いわき病院は精神科開放医療を積極的に推進している優良病院であると自己認識しているようです。しかしながら開放病棟であるアネックス棟は10床で、248床のいわき病院では小さな一部でしかありません。アネックス棟を管理する第二病棟(56床)は本来開放病棟のストレスケア病棟の筈でしたが、実体は痴呆老人病棟でした。いわき病院では、アネックス棟の精神科開放医療は痴呆老人介護の片手間の機能で、患者の看護も疎かな単なる放任です。アネックス棟には精神科開放医療に積極的に取り組んでいることを示すショウルーム的役割があるけれど、わずか10床であるため、目的に即した体制を整備することができなかったのです。このような体制の不備はいわき病院の責任であり、また理事長渡邊医師の責任です。 いわき病院は精神科医療専門機関であり、渡邊医師は精神保健指定医であるにもかかわらず関連法規の解釈を誤っています。厚生労働省の定義では隔離は「内側から患者本人の意思によっては出ることができない部屋の中に一人だけ入室させることにより当該患者を他の患者から遮断する行動の制限をいい、12時間を超えるもの」を言います。「12時間を超えない行動の制限は隔離ではない」のです。患者に問題があるときには状況に対応して「その日の外出の制限」や「付き添い付きの外出を行うこと」には法的に何の問題もないし、措置入院にする必要もありません。 いわき病院は『野津純一には、精神疾患で理解できる病状としての攻撃性と、本人自身の気質、すなわち、気にくわないことやおもしろくないことがあれば些細なことでも衝動的に攻撃性にかえるという2面を併せ持ち、主治医や周囲の人にも、行動の予測がつき難く、理解し得ない攻撃性があることが示唆される。しかしながら、そうであるからと言って、野津純一は、「自傷他害のおそれ」を法律要件とする措置入院を相当とする状態にはなく、YクリニックのY医師も、供述調書において、「野津純一本人が入院治療を希望したのであり、医療上入院が必要であったのではない。」旨述べている。また、被告病院での両親の相談は、何年も前の状況は話したが精神状態が悪化しての入院相談ではなく、母親は、供述調書において、「今回の入院は特に症状が悪くなったというわけでもなかったのです。自立心を持ってもらい、自立センターに入れるまでにしてやりたい」と述べているとおり、到底措置入院としなければならないような状態ではなかったのである。』と主張しました。渡邊医師は野津純一に「精神疾患としての攻撃性」と「本人の気質としての衝動的な攻撃性」を認識していたけれど、反社会的人格障害を診断すれば即措置入院となるという考えであるため、本人が希望した任意入院を継続するために野津純一の攻撃性には一切目をつむりました。これは精神科医師として欺瞞です。 いわき病院と渡邊医師は『自傷他害のおそれなど認められない患者本人の意思による「任意入院」』と主張するが基本的な誤りです。上記の主張に基づけば
ことになります。本来精神科専門医師による患者の診断と、患者が自由意思で任意入院する問題は別個の問題です。任意入院した患者であっても自傷他害のおそれがあると判断された場合には、事実に対応した処遇や看護が必要とされます。また自傷の可能性があるからとして、本人の自由意思を無視して一気に措置入院とする事も、人権上重大な問題を発生します。本質的な問題として、いわき病院がこのような単純な論理を振り回すことが、精神障害者に人権侵害をもたらす可能性が高いことです。渡邊医師が主張する「自傷他害のおそれなど認められない任意入院」がそもそも野津純一の殺人行動を未然に防ぐ精神科医療を全く行っていなかった理由であり、過失です。 いわき病院と渡邊医師が任意入院を根拠にして、野津純一が「衝動的に攻撃的になる」可能性を承知していながら何の対応も検討もしなかったことが不作為の過失です。統合失調症で脳に脆弱性がある野津純一に衝動的な攻撃性があることをいわき病院が認識していたにもかかわらず適正な治療を受けることができず、また保護されないために、脱抑制で殺人衝動を実行に移したのです。野津純一はいわき病院の未必の故意により、通り魔殺人事件を引き起こしました。 4、野津純一に他害行為の可能性を無視した過失 ス、犯行当日に野津純一を診察しなかった過失 渡邊医師が野津純一の診察要請に応えないことは常態化していました。平成17年7月には野津純一は「先生にはめったに会えないけれど」と発言しており、10月には診察希望を出しても主治医の渡邊医師に放置されて何日も待たされることが繰り返されていました。渡邊医師は責任を果たすべき患者から繰り返しの診察要請があっても直ぐには応えない主治医です。日本の精神科医療では特に入院患者の診察と本人の意見聴取に関して「担当する医師が患者の願いを無視することが多い」という報告が散見されますが、渡邊医師が診察希望を無視した行動はこれを裏付けます。これでは入院中の精神障害者に速やかな寛解を促して社会復帰を実現することが困難です。 渡邊医師は、「本件犯行日2日前より、野津純一は、37度Cの発熱と咽の痛みを生じたが、渡邊医師はこれに対して薬を処方している」と主張しました。本件犯行2日前は12月4日ですが、渡邊医師が野津純一を最後に診察したのは12月3日でした。渡邊医師は、自ら診察した事実がないにも関わらず「風邪症状による咽の痛みと発熱による頭痛は、通常よく見られる症状であり、脱水や40度C近い熱があったわけではなく、点滴等の緊急の処置を必要とした訳でもない」と、あたかも自ら診察したかのように主張しましたが、医師法違反です。いわき病院の診療録では、内科のM医師が12月5日に投薬したことになっており、12月4日(2日前)に「渡邊医師はこれに対して薬を処方している」との主張を裏付ける記載はありません。またM医師の12月5日の診察には疑問があります。M医師が実際に診察したのであれば、咽頭痛であるから野津純一の喉を見たはずで、患者の喉を見たら頬も見えるはずです。しかしいわき病院が主張した根性焼きの目撃証言は、看護師の遠くからの一瞬の目撃証言だけです。診察のために野津純一の顔面を見た筈の「M医師」の証言を持ち出しておりません。 渡邊医師は11月30日の診療録に、抗精神病薬を中断した事による再発可能性を検討した記録があり、「抗精神病薬の中断で野津純一の統合失調症が再発・再燃する危険性」を認識しておりました。12月3日以降、野津純一の症状が増悪している状況や野津純一自身が異常を伝える言葉が看護記録には残されていますが、それはいわき病院の精神科医療には活かされませんでした。渡邊医師は、事件当日の12月6日朝10時の看護師の緊急要請に応えておりません。これに関して渡邊医師は「本件犯行日の野津純一の訴えも同じ内容であり、身体的には緊急を要する所見はなかった。また精神面での訴えはそれまでと変わらず、イライラして大声で怒鳴る、物に当たるなどの精神的な興奮状態ではなかったため、渡邊医師が診察中の外来患者を放置して病棟の野津純一の診察を行う緊急性は生じていなかった。」と主張しましたが、12月4日と5日には自ら診察しておらず、「野津純一に精神的な興奮はなかった」と主張できません。 12月6日以前の数日間の野津純一は「退院を迫られているストレス」「貧乏揺すり」「根性焼き」「イライラ・ムズムズ・手足の振戦」「食欲不振」「睡眠困難」「騒音に対する過敏」「憤怒」などの症状を表出しており、その上で「妄想」もありました。 渡邊医師は、12月6日には野津純一を外来診療の列の最後に並ばせることは可能でした。また渡邊医師は抗精神病薬(プロピタン)の中断、抗不安薬(レキソタン)の承認外の大量連続投与およびアカシジア・ジスキネジアに効果があったアキネトンの中断を継続しておりました。その上で、抗精神病薬中断により統合失調症が再燃する危険性の認識がありました。12月3日以降の野津純一は異常状態にあり、主治医として患者の様子の変化に関心を払い、自ら診察をして野津純一の状況の変化にきめ細かな対応をするべき義務がありました。ましてや、病棟看護師から緊急の診察要請が取りつがれていたのです。自らが忙しくて対応できないのであれば、緊急に他の精神科医師に要請して野津純一を診察するだけの必要性がある事態でした。渡邊医師がいわき病院理事長で、いわき病院長として野津純一の診察拒否をしたことは医師法第19条の診察義務違反で重大な過失です。 渡邊医師が主張するとおり、6日の外来診察の後で野津純一を診察する意思があったのであれば、「13時30分頃もしくは3時半頃に野津純一を診察するつもりで病室を訪ねたが不在だった」という証言は虚偽です。また16時頃には母親面会と重なったために「主治医の診察をあきらめた」という状況にも無理があります。主治医の診察は母親面会に優先します。何よりもその日野津純一は母親面会を断っていた状況があり、母親も主治医の診察を希望したはずです。百歩譲って渡邊医師が主張するとおり、野津純一の診察が6日の夕方まで困難だったとしても、渡邊医師は6日の夜間に診察することも、7日の午前中に診察することも可能でした。しかし野津純一を診察しておりません。そもそも、渡邊医師は野津純一の主治医ですが、抗精神病薬の中断等の重大な処方変更をして、その危険性を認識しており、診察する緊急性と重要性を認識するべき状況にありながら、野津純一から緊急の診察希望が看護師を通じて要請されていたにもかかわらず、診察拒否をしました。渡邊医師が野津純一を犯行当日に診察しなかった決断は、不作為と怠慢であり、野津純一が通り魔殺人事件を引き起こしたことに関しては未必の故意が成立します。 セ、犯行当日に野津純一を単独外出許可させた過失 いわき病院と渡邊医師は「自由放任の任意入院か、さもなければ強制入院での措置入院(医療保護入院)」という極論で精神科病院の運営をしており違法です。 いわき病院と渡邊医師は「野津純一は、退院に向け本件犯行前まで2時間内の一人外出を頻回に行っていたが、これは具体的な症状経過を踏まえて、退院の準備として治療上必要・有用と判断されたからである」と主張しました。しかしながらいわき病院は「入院患者である野津純一から診察要請があっても何日も放置することが常態で、また顔面左頬に自傷した根性焼きのやけど傷も発見できないような観察眼のない精神科医療」を行っていました。このため渡邊医師は「具体的な症状経過を踏まえ」と主張することはできません。そもそも野津純一が、退院に向け本件犯行前まで頻回に行っていた2時間内の一人外出を、いわき病院は観察もせず患者が外出簿に記入するだけで外出許可を与えていました。しかもいわき病院は正確な外出記録を有しておりません。これでは「退院の準備としての治療」とは言えません。 12月6日の朝10時頃には患者からの緊急診察要請が病棟看護師からわざわざ伝えられたにもかかわらず、「外来診察の手をいったん止めて、野津純一を診察するかしないかを検討して、診察しない決断をした」渡邊医師には重大な過失があります。また「外来診察後に病室に行くので病室で待機するように」と伝えるとともに、「本日の短時間の外出は禁止もしくは付き添い付きで行うように」と指示を出すことも可能でした。看護記録には野津純一が診察拒否されて失望した「先生にあえんのやけど、もう前から言ってるんやけど、咽の痛みと頭痛が続いとんや」という怨嗟の声だけが記録されています。 いわき病院の診療録にも看護記録にもどこにも渡邊医師が主張する「外来診察が終了してから病棟に上がり野津純一を診る旨の返事をした」という記述はありません。渡邊医師は「外来診察終了後に野津純一の診察をしようとした」と主張しますが、その時刻も自らの行動であるにもかかわらず、13時30分頃とか16時頃とか、ころころと変わっており、信頼が置けません。また病棟看護師がその指示を聞いていたのであれば、看護記録に記述したはずで「先生にあえんのやけど、もう前から言ってるんやけど」と記述する理由がありません。渡邊医師は、診察拒否が持つ重大な意味に気づいて、後付の強弁をしているにすぎません。 渡邊医師は、「午後1時半に外来診察を終えた後で自室に帰る途中で野津純一の病室を覗いたが在室していなかった」と主張しました。これはいわき病院の防犯モニターで警察が確認した「野津純一は13時には病室に戻っていた事実」と反する主張です。渡邊医師は、野津純一からの診察要請に応えないで終日放置する主治医です。渡邊医師は平成17年12月6日には野津純一の担当看護師からの緊急診察要請を拒否しておきながら、自分自身で観察していないにもかかわらず「本件における野津純一の犯行前の症状は、従前と変わらず」と主張しており極めて不誠実です。いわき病院では野津純一に対して十分な精神科医療が行われていなかったことを象徴しております。 12月6日の当時の渡邊医師は抗精神病薬(プロピタン)の中断、抗不安薬(レキソタン)の承認外大量連続投与およびアカシジア・ジスキネジア(パーキンソン病症候群)に効果があったアキネトンの中断を継続しました。渡邊医師は11月30日には統合失調症が再発する可能性に気づいており、主治医として患者の様子の変化に万全の関心を払い、不測の事態に備える義務がありました。抗精神病薬の中断による患者の病院外での他害行為に関する病院の責任が認定された判例があります。野津純一は12月3日以降にはアカシジアとジスキネジアに苦しみ、4日には生理食塩水の筋肉注射を「アキネトンやろー」と疑っていました。野津純一には抗不安薬(レキソタン)の大量連続投与による奇異反応(脱抑制)の危険度が高まっておりました。その様な状況下で、野津純一に単独外出を許可したことは過失です。この「単独外出許可」には、抗精神病薬(プロピタン)の中断だけでも過失責任を構成する十分条件が成立します。 いわき病院は「具体的に治療を担当していた医師が、当該患者である野津純一に対して単独外出許可を与えた判断において、単独外出中に患者が包丁という非常に危険な本来的凶器を購入し、さらに通行人を待ち伏せして突然刺殺するであろうとの具体的予見可能性及び回避可能性が存在し、医師としての注意を払ったならば殺人を具体的に予見し、殺人を具体的に回避することができたと法的に判断できなければ、当該患者に外出許可を与えた医師の判断において、本件犯行発生に対する注意義務違反は認められない」また「二人の医師の判断」と主張しましたが、いわき病院の医師が野津純一に外出許可を与える判断をした時は「入院時」、「隔離を解きアネックス棟に転倒させた時」および「主治医が渡邊医師に交代した」の三回しかありません。 医師が判断する時点で、錯誤に満ちた医療を行った場合の重大な危険性の認識を持つことは可能ですが、「患者が包丁という非常に危険な本来的凶器を購入し、さらに通行人を待ち伏せして突然刺殺するであろうとの具体的予見可能性及び回避可能性」は予想することすら不可能です。いわき病院は無理難題を振り回して、現実的な病院運営を疎かにしています。これは明らかに社会的現実性および実現性を伴わない過剰な要求であり不当です。このような思考様式にそもそも渡邊医師が過失を犯す理由が存在します。このような論理では入院患者の状態を毎日きめ細かく観察して、具体的で良質な医療を実践して、患者の社会復帰を促進することもかないません。 更に、いわき病院は「本件患者の野津純一に対する1年以上にわたる入院加療中、担当医師が患者に対する診断、治療方針の決定、投薬等の具体的治療行為の過程において、他の治療法などを選択しなければ当該患者が外出中に他人を刺殺し得るとの具体的危険性が存在し、そのような具体的結果を予見することが可能であり、かつ結果を回避することが可能であると法的に判断できなければ、担当医師の当該患者に対する本件医療行為には、本件犯行発生についての注意義務違反は認められない。」と主張しました。渡邊医師は「診断間違い」をして「治療方針を誤り、薬事処方を間違え」また、看護と介護を間違え患者を観察もしない看護をしました。そもそも間違いの精神科医療からもたらされる結果を回避することは、渡邊医師には不可能でした。このような間違いだらけの精神科医療は「結果回避」を議論する以前の状態で、いわき病院には重大な過失責任があります。 5、自傷他害行為の可能性を無視して、殺人事件を防げなかった 渡邊医師は「任意入院患者の野津純一に反社会的人格障害を診断することは人権侵害であり、野津純一に自傷他害行為の可能性を検討してはならない」という極論で精神科専門病院を運営していました。この論理では「任意入院患者には完全責任能力があり心神耗弱の状態はあり得ず」、また「措置入院の患者は心神喪失と診断されるべきで、心神耗弱であってはならない」論理となり、あまりにも非現実的です。精神科医療という現実と未来を踏まえれば、「心神耗弱から完全責任に至る」という権利回復の方向性がなければなりません。その上に、精神障害者の人権確立があるはずです。 野津純一は20年余に及ぶ罹患歴がある慢性統合失調症患者です。野津純一と両親の原告野津は野津純一に精神障害の病状があり、心神耗弱状態にあると認めた上でいわき病院に任意入院を希望したのです。入院に当たって原告野津は野津純一の他害履歴に関して申告しました。野津純一はいわき病院に入院している期間中に、過去の他害歴に関して「完全な文章ではないが、断片情報として」繰り返し発言しておりました。心神耗弱の状態にあった野津純一が完全な申告をしなかったからいわき病院は「知らなかったと言えば、それで済まされる、そして免責される」という論理は、あまりにも無責任です。そもそも普通の人でもきちんと文章化した説明ができる人はそれ程多くありません。野津純一は入院直後には妄想から看護師に殴りかかるという異常行動を引き起こして、いわき病院は隔離措置を講じました。このような状況にあり、いわき病院と渡邊医師は野津純一が他害行為を行う可能性に関しては必要十分な情報が与えられていました。それでもいわき病院と渡邊医師は「断片情報で、十分な情報ではない」また「知り得る立場にはない」と強弁していますが、これは精神科専門医療機関および精神保健指定医としては「意図して知ろうとしない」および「行うべき事実確認の調査をしない」という怠慢があったという不作為です。 野津純一はいわき病院内で自傷行為の常習者でした。野津純一は入院当初から顔面にひっかき傷があり、そのひっかき傷は、タバコのやけど傷の根性焼きであり、自傷行為の結果が顔面表出していたものです。いわき病院はひっかき傷ができた原因を特定せず、あろうことか30代半ばの男性の額と右頬には発見しない左頬だけにできたニキビの可能性を主張しました。このように、入院患者が病院内で行っている自傷行為を「見ない・発見しない」という精神科医療は過失です。被告告渡邊は、野津純一が行っていた自傷行為を見逃し、他害行為の履歴に関しては無視して、精神科臨床医療を行っていました。 その上で、野津純一の統合失調症の診断を誤り、反社会的人格障害を診断せず、執拗に訴えていたイライラ・ムズムズと手足の振戦をアカシジア・ジスキネジアでなく「心気的」と診断して、数々の診断間違いをしました。そして薬事処方を間違えて、抗精神病薬を中断し、抗不安薬のレキソタンを大量連続投薬し、アカシジアとジスキネジアに効果があったアキネトンに代えて薬効が全くない生理食塩水を筋肉注射しました。それにも関わらず、薬事処方変更の効果判定を行わず、野津純一の苦しみの訴えを無視して、看護師から緊急の診察要請があっても診察拒否をしたのです。抗精神病薬の中断だけでも患者は妄想や幻覚で深刻な他害行為を犯す可能性があります。その上で、野津純一はレキソタンの承認外大量連続投薬で脱抑制(奇異反応)が発生する可能性の引き金が引かれていました。そして極限にまで達していたアカシジアと遅発性ジスキネジアの苦しみに苛まれていました。野津純一の脆弱な心神は自制を保つ限界の状態にあったのです。 野津純一は平成17年12月6日の朝10時に耐えきれなくなって、病棟看護師に緊急の診察要請をしました。しかし、主治医の診察拒否を伝えられて、渡邊医師に対する信頼を失い怨嗟の声を上げていたことが看護記録にあります。落胆して、自制と抑制の糸が切れた(脱抑制発現)野津純一は、その2時間後にいわき病院から許可による外出をしました。いわき病院を出るときに、激情して怒りを抑えきれなくなっていた野津純一は「誰かを包丁で刺し殺す」と心に決めていました。ショッピングセンターの100円ショップで、先が尖った万能包丁を選択して購入して、「子供と女性は殺さない、大人の男を殺す」と心に決めて犯行を実行しました。 野津純一はいわき病院に13時までに帰り、「ああ、やってもた、俺の人生終わってもた・・」とつぶやきながら病室でじっとしていましたが、いわき病院は3時間後の16時の母親訪問まで、野津純一がいわき病院内に居ることすら、確認できませんでした。その日はショッピングセンター駐車場における殺人事件がテレビで大きく報道されていました。そのような中で野津純一は夕食を摂らないため、病室まで勧めにきた職員に「警察が来たんか?」と質問しました。翌日の朝食も野津純一は摂らず、また警察はその日の朝にいわき病院を訪問して捜査協力を要請していました。それにもかかわらずいわき病院は、野津純一の異常を察知せず外出許可を与えました。野津純一は前日殺人事件を犯した現場を犯行時と同じ血糊がついた服で同一時刻に同一経路で訪問して、取材中の報道機関に警察に通報されて逮捕されました。 いわき病院は「任意入院の患者には自傷他害のおそれなど認められない」「任意入院だから病院には責任はない」と主張します。精神科専門医による患者の診断と、患者の任意入院は別問題です。任意入院した患者にも「自傷他害のおそれはあり」また自傷の可能性が少しでもあれば強制的に措置入院とすれば、人権上重大な問題を発生します。渡邊医師が主張する「自傷他害のおそれなど認められない任意入院」がそもそも野津純一の殺人行動を未然に防ぐ精神科医療を全く行っていなかった理由であり、過失です。 6、真実と虚構の織物 いわき病院と渡邊医師の主張を読むと最初は提示されている事実と理念の説得力に圧倒されます。そして被告側には過失責任を免除されるべき道理があるように思われてきます。しかし、内容を詳細に検討すると、個々の事実が関係のない理念と結びつけられていたり、問われている課題に当てはまらない場合が多々あります。更にはいわき病院の主張は実体がないばかりか、虚偽の主張も織り交ぜられています。特に過去の状況や、証明が困難な病院内の出来事などに関しては立派な理念や公式論を書くことで、あたかもいわき病院と渡邊医師が優れた精神科医療を実現しているかの様な主張が見られます。 いわき病院と渡邊医師は真実と虚構を織り交ぜて責任逃れを画策しています。その典型的な事例が薬名称を商品名と薬品名を混在させた書き方で、訴訟関係者の混乱を誘導しています。いわき病院の弁明では「フロロピパミドはハロペリドールを1とした場合、その力価は約100分の1である作用の弱い薬である。(中略)チミペロンやリスペリドンといった高力価の薬も服用したが、幻覚妄想に効果があるわけではなく、かえって光線が目の中に入るなどの副作用が生じたことから、同じ幻覚妄想に効かないのであれば、副作用の少ない薬の方が患者には良いと判断して使用していたが、足のムズムズは頻回でそのためイライラも生じるため、プロピタンの一時中止を行った。(後略)」とあります。 文章の主題は抗精神病薬プロピタン(フロロピパミド)の中断ですが、いきなりフロロピパミドと書いて最後にプロピタンの一時中止と結んでおり、専門外の人間が読むと別の薬品のように見えます。更に、ハロペリドール、チミペロンおよびリスペリドンは診療録にはセレネース、トロペロン、およびリスパダールと書かれており、簡単に照合することも困難です。また光線が目に入る副作用はリスペリドン(リスパダール)では出ておりませんが、一括してダメを出しています。結局この文章を読むと、何となくプロピタンの中断には理由があるように思われて過失責任を問うことが困難であると惑わされます。更には、原告矢野はアキネトン(ビペリデン)をプラセボとして生理食塩水に代えた過失を指摘しておりますが、いわき病院は同一薬品であるにもかかわらずアキネトンとビペリデンの名称を混在して文章を作成しております。またレキソタンに関しては(レキソタン、ブロマゼパム、ベンゾジアゼピン、ベンゾジアゼピン系薬剤)と4種類を使っており、混乱を誘導しています。 原告矢野はいわき病院と渡邊医師がこれまで答弁書や準備書面で主張してきた諸点に関して、「事実関係の間違い」「主張の前後の矛盾」「診療録や看護記録などの証拠と一致しない主張」など数々の問題点や錯誤を具体的に指摘してきました。これに対していわき病院は主張の記述をことさらに複雑にしており、訴訟関係人の理解を妨げて過失責任に至らない事情に持ち込もうとしています。いわき病院と渡邊医師に攪乱誘導した逃げ得を許してはなりません。 いわき病院は精神障害者の自立の理念を説き「精神障害者の社会復帰を促進することが日本の国際的な責務である」と説きます。そして「いわき病院のような精神科病院の活動を阻害する判決を出してはならない」と主張しています。しかしながら、いわき病院の主張にはいわき病院における精神科医療の内容と患者処遇という実質が伴っていません。現実には、診断を間違え、薬事処方を間違え、治療経過を資格を持った精神科医師が診断せず、患者の毎日の状況に基づいた看護や社会復帰訓練が行われておりませんでした。いわき病院は主張のお題目は立派ですが、現実は入院患者の治療を促進する精神障害者の人権を尊重した精神科医療が行われていたとは言えません。 いわき病院は、精神科病院と精神科医師に過失責任が認定されるようであれば、「精神障害者の社会復帰は行えなくなる」、また「精神科医師になる者がいなくなる」と主張しています。またいわき病院は「精神科受診歴を有する犯罪者による悲惨な事件により、理由もなく命を落とす被害者が存在する一方で、不当な差別・偏見に悩む多く精神障害者が存在するという現実」と主張することで、「精神障害者に対する不当な差別や偏見」の問題に「関連して理由もなく命を落とす被害者」の存在を同列に扱う主張を行っています。これは「他者の生命を犠牲にした人権を容認する」という論理であり、精神障害があるなしの問題にかかわらず、全ての人間が共存するという理念には即しておりません。精神障害者に対する不当な差別や偏見が撤廃される社会は実現されなければなりません。しかし、一度失われた命は回復不可能であり、それは精神障害者の社会復帰や人権確立の問題の代償ではありません。また、このような抽象的な理念を振り回して、いわき病院が行っていた、精神科医療における錯誤や怠慢および精神障害者の人権を無視した精神科医療を放置した錯誤を隠しています。いわき病院と渡邊医師は、国際的に誇り得る、真っ当な精神科医療を行い、実現してこそ、主張できる筈です。 我が国の精神科医療が真に精神障害者の自立と社会復帰に貢献するものになることを期待するならば、いわき病院と渡邊医師の不作為と怠慢による過失に対して、社会的制裁が行われなければならないと確信いたします。 |
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