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緊急でも患者の診察をしない精神科臨床医療
(いわき病院の第8・第9準備書面に対する意見と反論)


平成21年7月7日
矢野啓司
矢野千恵

I、民事裁判における今回の論争

矢野真木人(享年28才)は平成17年12月6日の12時25分頃に野津純一に通り魔殺人された。いわき病院に入院中の統合失調症患者である野津純一はそれに先立つ午前10時頃に看護師を通して主治医渡邊朋之医師の診察を願い出たが、診察拒否を受けていた。民事裁判ではこの「診察拒否の理由に妥当性があるか?」否かが問われ、これを検証するために、いわき病院にその日の午前中の診察記録を提出するように原告野津夫妻が求めていた。

これに対して、いわき病院は他患の個人情報に係わらない範囲でその日の渡邊朋之医師の診療活動の情報を提出した。そして「いわき病院、渡邊朋之医師は12月6日には朝9時20分から9人の患者を外来診察して13時30分頃に診察を終えたので、午前中には診察できなかった。また午前の診察終了後に病棟を訪ねたが野津純一は不在で診察できなかった。」と主張した。いわき病院は入院患者である野津純一が緊急に診察を願い出てから26時間以上診察をしないままで放置した。

他方、原告矢野夫妻はいわき病院に対して野津純一の統合失調症の診断と、手足の振戦(アカシジア)の診断を間違えて、抗精神病薬の中断、レキソタンの過剰投与、およびアカシジアに薬効がない生理食塩水の筋肉注射といった医療過誤を指摘していた。これまでいわき病院はアカシジアの原因は「心気的な(気分的な問題で病的実態がない)もの」と主張していたが、今回初めていわき病院は野津純一の手足の振戦(アカシジア)は夜間に病室内でタバコを吸えない事による「ニコチン離脱症状」であると原因の主張を転換して新たな論点を提起した。いわき病院は、野津純一のアカシジアは統合失調症の診断間違いや薬事処方の変更が原因ではなくて、「夜間のニコチン離脱症状であり、12月6日は朝からタバコ喫煙を再開していたが、(あろうことか?)12時過ぎにニコチン離脱で殺人衝動が発生した」と主張したことになる。これはいわき病院長の精神保健指定医としての見識が問われる問題である。

上記のいわき病院の主張に対して原告野津夫妻代理人T弁護士は、「野津純一を外来の最後に並ばせることで診察する時間的余裕は十分にあった」としていわき病院に「治療する緊急かつ必要な診療義務違反」があり、渡邊朋之医師の、「医師として基本的義務を怠った過失は極めて重大」であると指摘した。

原告矢野夫妻の主張は、III、の「意見陳述(矢野)-13」を参照願いたい。



II、いわき病院の論理の特徴


1、論理的な統合性の欠如

原告矢野夫妻はいわき病院の文書を検討して、「いわき病院は善良者の立場で、論理には一見正統性があるかのように述べているが、同じ問題でも同じ文章内で前後に矛盾や記述内容の違いがある」ことに気付いていた。またしばしば矛盾しており、あるところ自らを擁護するために使った論理が、他の箇所では否定している状況も観察していた。私たちはその原因を、これまではいわき病院側の文書の記述者にいわき病院長と代理人弁護士がおり、両者の論理と認識の違いが完全に調整されていないために発生した論理的な統合性の欠如もしくは分裂状態と判断していた。


2、丸暗記型論理展開

しかし、私たちはある時点から、いわき病院の主張が持つ論理性の欠如という問題を、いわき病院長の丸暗記型知識と論理構造に原因を求めるようになった。本質的な問題は、いわき病院長の精神医学的な知識不足と認識の間違いに起因し、知識が論理的構造性を持っていないところに原因があると推察している。いわき病院長は患者が示す個々の症状を、精神医学的な論理にまで深めずに、パターン認識された知識で現象を割り切って対応していると推察される。このためにいわき病院長の論理には「しばしば決めつけ」が発生するし、「同じ事象でも視点が異なったり、状況が異なるとまるで矛盾する解釈をしても、それに気付くことが無い」と推理された。


3、原告の迷惑

これまで原告である私たち矢野夫妻はしばしばいわき病院の論理に迷惑を感じてきた。その理由は私たちの主張の断片を勝手に切り取って、パターン認識された一方的で実態を伴わない批判を繰り出してくるところにあった。私たち原告がまるで主張していないことを指摘して、「原告は事実認識を間違えている」、「原告の論理の間違い」、「原告は非人道的である」などと主張されてきた。これらについては、原告から「いわき病院の間違い」として逐次指摘した経緯がある。私たちは「いわき病院は原告の主張を読んでいない」と判断した。そして自分達のたこつぼの中の論理が唯一絶対正しいとして問答無用の論理展開をしていると推察するに至った。


4、文献の引用間違い

いわき病院は自らの主張の背景となる医学的な根拠を文献を提示して説明することがなかった。いわき病院の論理は決めつけであり、「医師であるいわき病院長の主張を医師でもない原告が批判したり反論する行為そのものが間違いである」という論理である。

原告矢野夫妻からの文献提示要求に応じていわき病院は約1年をかけた調査を行った後に文献を法廷に提示した。{参考、レポート45、いわき病院の精神科医療の錯誤と過失(精神科医療と精神保健福祉の現実の問題)}。原告はいわき病院が法廷に提示した立証趣旨と文献の論調およびいわき病院が明示的に付したアンダーライン等を検討して驚きを禁じ得なかった。しばしばいわき病院の立証趣旨と文献記載が関係なかったり、驚くべきはいわき病院の主張を引用した文献が否定していた。またいわき病院長が提出した文献は要約書のレベルであり、高度な専門性と技量がなければ読みこなせないほどの内容を持っていない。換言すれば、素人に毛が生えた程度の医学知識と論理構造が背景として推察されたのである。いわき病院長の精神医学的な知識には専門家の深みがない。

原告矢野夫妻が驚愕した理由は、「いったい、いわき病院長は精神保健指定医として、正確な精神医療知識を持っているのか?」という根本問題である。間違った認識と間違った理解で病床数248の精神科病院長の責務を担っているとしたら、ゆゆしい問題が発生する。そんないい加減なことがこの日本で許されるのか。また許されて良いのであろうか。「そもそも精神医学を正しく認識せずに、臨床現場で人権に密接に関連する人間の心身の治療を実践することが可能であろうか。またそのような無知や誤謬が許されて良いのであろうか。」疑問は広がる。


5、7月6日の法廷

いわき病院事件裁判の平成21年7月6日に開廷された法廷では、原告側と被告側の双方の論点提示と準備書面等の文書の作成をひとまず終えることとして、次回の法廷では参考人質問や今後のとりまとめ方針などについて協議することになった。実は、いわき病院事件裁判は既に昨秋に一回、「撃ち方止め」となっていたが、原告に犯人野津夫妻が加わったために、再度の撃ち直しになった経緯がある。裁判長が双方の「主張は出尽くしましたね・・」と再確認にやっとたどり着いた。ここに至るまでに矢野真木人が殺人されてから3年半、民事裁判を提訴してから丸3年が経過した。


6、いわき病院事件の本質

いわき病院事件の本質は日本の精神科専門医師の養成制度にある。また日本の精神科病院の質の維持に関する制度的な課題である。またさらには、日本で精神障害者の社会復帰と自立が本当に促進される制度運用が精神保健福祉制度の中で実行されているかという問題でもある。日本では立派な制度はあるが、制度の運営者がいわき病院長のように資格を持っていても、誤った認識のままで制度運用をしているとしたら、それを放置することは社会的な怠慢である。精神保健福祉は人権の問題である。統合失調症患者は人口の1%を占める厖大な患者数であり、その人たちに健全な社会生活が確保される精神科医療が実現されることが期待されるのである。

ところで、既にこの文章を原稿段階で見せた方から以下のような、いわき病院の社会的責任に関連した、感想文が来ている。

(1)資質に欠ける精神科専門医
資料を読んで本当にびっくり。結局W氏は医者としての資質が欠けているという事です。(矢野夫妻により)それを裏付ける証拠が極めて多方面から挙げられており、四面楚歌とはまさにこのような状態を言うのでしょうか。いずれの角度から見てもW医師は医師として活動が許されてはなりません。

(2)日本の精神医療全体の体質という印象
それにしても、いわき病院のいい加減さには驚きます。この病院のやっていること自体、精神医療界に衝撃を与えるのではないでしょうか。「日本の精神医療全体がこのような体質を多かれ少なかれ持っている・・・」という印象を国民に与えるでしょう。

(3)泣き寝入りした被害者遺族が沢山いるのでは
ふと考えたのが「いわき病院と同環境の病院が他にもどれくらい存在するのか、さらに同じような放置治療により事件に巻き込まれた被害者遺族の方がどれほど泣き寝入りしてきたのか?」ということです。まだ少し早い話かもしれませんが矢野さんの判決を機に今まで動けなかった他の被害者遺族の方が声を大にして訴える連鎖が起きればと。

III、「意見陳述(矢野)-13」から

原告矢野夫妻は医療法人社団以和貴会から提出された平成21年6月24日付第8準備書面と平成21年6月25日付第9準備書面に対する意見と反論を、以下の通り意見陳述する。


1、論点の本質

(1)、処方変更の効果判定をしない過失

今回提出されたいわき病院の第8準備書面、およびその訂正版である第9準備書面に記載された論点の本質は、いわき病院が統合失調症病歴20年余の野津純一に対して実行していた、平成17年11月から行った抗精神病薬の中断およびレキソタンの過剰投与、手足の振戦に対し生理食塩水の筋肉注射という処方変更を行った後に、合法的かつ精神医学的に適切な効果判定をしなかったことに尽きる。

いわき病院は原告野津夫妻の求めに応じて平成17年12月6日朝のいわき病院長渡邊朋之医師の外来診察に関して回答したが、その回答内容の本質は「重大な処方変更をしていたにも拘わらず野津純一を診察する義務を認識していなかった」という医療過誤を犯した事実を再確認したことになる。


(2)、ニコチン離脱とアカシジアという珍説奇説

いわき病院は野津純一のアカシジア(イライラ)に関して、ニコチン欠乏による離脱という説を初めて提起した。本件はいわき病院が提出した野津純一に関する各種の医療記録にも記載されていない新たな論点の提示である。しかしながら、いわき病院は野津純一のニコチン離脱と激しいアカシジアに関して医学的根拠を提示しておらず、本説は精神保健指定医としては珍説奇説の類である。

いわき病院は抗精神病薬(プロピタン)の中断およびレキソタンの常用量を逸脱した過剰連続投与という問題点を原告矢野夫妻から指摘されたことに対する反論として、ニコチン離脱の問題を提起した。プロピタンおよびレキソタンは「麻薬及び向精神薬取締法」で厳しく規制される薬物であるが、タバコは嗜好品である。そもそも問題の本質が異なるのである。ここにも、いわき病院が物事の本質を見ず、本質を理解せず、課題を混同する体質が露見した。


(3)、いわき病院の悪あがき

本件民事裁判では、いわき病院は既に精神医学的な議論を出し尽くして、精神医学的な技術論は終局に到達した。いわき病院は、抗精神病薬を中断し、レキソタンを過剰投与した処方変更の効果判定をしなかった理由を、文献や根拠に基づいた自己弁護の主張を展開することができないために、夜間9時以降から翌朝までのタバコの離脱によるアカシジアの発生という主張を持ち出したものである。いわき病院の主張は既に手詰まりになっていることは明白で、悪あがきである。いわき病院は過失責任を免れない。


2、平成17年12月6日の外来診察

(1)、9時20分の診察開始

原告矢野夫妻が複数の事件発生当時のいわき病院職員から事情聴取したところ、「いわき病院長渡邊朋之医師の外来診察開始時間は通常午前10時頃であり、9時半より前に診察を開始することはあり得ない」という証言ばかりであった。このため「当日午前9時20分頃に外来診察を開始している」という主張は虚偽である可能性が極めて高いと考えている。

なお、いわき病院長が「9時過ぎから診察を開始した」と主張していると聞いて「黄色い雪が降る(=あり得ない)」と表現した人がいる。いわき病院長は「真面目な医療態度を貫いていた」と主張したいようであるが、その実態からはかけ離れている。いわき病院長渡邊朋之医師には患者に対する真面目な診療態度を期待できないことを指摘する。


(2)、野津純一の診察拒否

いわき病院は第8準備書面で「緊急に外来患者の診察を敢えて中断した上で野津を診察する必要性・緊急性は低いものと判断された。」、「そこで、渡邊院長は看護師に対し、外来診察が終了してから病棟に上がり野津を診る旨の返事をしたのである。」と主張した。

いわき病院はこれまで第4準備書面で、「渡邊医師は外来診察を中止し、緊急に野津の診察をしない判断をした。これは医師として誤った判断ではない。」と証言していた。過去には「診察する手を一旦止めた」と証言した事実があるのである。

いわき病院長は「外来診察終了後に病棟に上がり野津を診る旨の返事をした」と主張するが、これはいわき病院の医療記録にも無い、またこれまでのいわき病院の主張でも言及されることがなかった「新たな主張」である。第8準備書面の「外来診察終了後に病棟で診察する」といういわき病院の主張は、12月6日の朝10時に、いわき病院長が診察拒否をした直後に、看護記録に記載されていた野津純一の言葉である「先生にあえんのやけど、もう前から言ってるんやけど、喉の痛みと頭痛が続いとんや」という記述と矛盾する。いわき病院長の野津純一を診察するという意向が本当に存在したのであれば、看護記録の記述内容は異なっていたはずである。

原告野津夫妻は「他の患者の診察を中断してまでして、野津純一を優先的に診察するべきであった」とまでは主張していない。「外来患者の最後に並ばせてでも…して診察さえしてくれていたら…」という切ない願いであった。しかるにいわき病院は原告野津夫妻の主張を横取りして、あたかも「野津純一を診察する予定であった」かのごとく主張したが、これは虚偽である可能性が極めて高い。


(3)、午後1時半の病棟訪問

いわき病院が主張した「部屋を覗いたが野津は在室してなかった」は虚偽である。いわき病院の監視カメラビデオから確認したところ野津純一は「12月6日の13時頃にはいわき病院に外出から帰院していた」と検察は確認していた。野津純一は「自室に帰り手を洗って布団をかぶりふて寝をしていた」(12月9日警察調書)のであり、野津純一は13時30分頃には病室内に居た。

12月6日の午後1時半過ぎには野津純一がいわき病院内に居たことは確かである。その上で、いわき病院は患者の診察をする意図を仮に有していたとしても、患者の所在を確認することもせず、「病院内にいた野津純一を見失っていた」と証言したことになる。いわき病院の患者管理がいかに杜撰であるかをいわき病院長自らが証言した。そもそもいわき病院長には患者を診察する意思はなかったと推察される。

いわき病院長の主張通りであれば、「外来診察が終わったから、診察に来なさい」と担当看護師を通して指示を出して、病院の組織を働かせて野津純一に診察の意思を伝えて呼び出していなければ理屈が通らない。いわき病院職員からは「気分が乗っている時の渡邉院長は、『外来が終わってから(外来で)そのまま診察するから、(入院)カルテを外来まで下ろすように』と言い、患者を外来に呼びだして診察していた」という証言がある。何のことはない、原告野津夫妻は野津純一に対して主治医渡邊朋之医師にそのような対応を求めたのであるが、いわき病院長は殊更に「そんなことはできない」と意固地になっているだけである。

また当日午後に診察することができなかったのであれば、外来診察がない12月7日の午前中にも診察のために看護師に呼びに行かせなかったことはおかしい。野津純一は渡邊朋之いわき病院長にとっては「どうでもよい患者の一人」であった証拠である。本件裁判では、いわき病院長渡邊医師の主治医としての良心が試されているのである。


(4)、過去の主張との矛盾

いわき病院は12月8日の警察調書では「午後3時頃まで外来で診察、外来診察終了後に野津さんを訪ねたが不在」としていわき病院長渡邊医師が病室を覗いたが在室してなかったと主張した。このことは野津純一が逮捕された翌日の12月8日の記者会見でいわき病院長が発言した「4時間の外出」と一致している。今回いわき病院長は12月6日の外来診察は13時30分頃に終了したと証言した。その1時間半も後に昼食を取りに院長室に帰ったとするにはあまりに遅いのではないか。渡邊医師はその時間、昼食も取らずに何をしていたのか疑問である。

また、答弁書では、「15時30分頃、野津純一を診察するつもりであったが母親が面会に来ており診察できなかった」とも主張した。

いわき病院長が「野津純一を13時半過ぎに診察しようとした」とは初めて聞く主張であるが、過去のいわき病院の主張と時間が一致しない。いわき病院が野津純一を12月6日に診察しなかったことは確定した事実である。しかしながら、いわき病院は野津純一を診察する意図があったことを示したいがために主張を繰り返してきたが、そもそも事実がない行為を証言するために、時間の記述が証言毎に異なったのである。


(5)、12月7日の緊急会議

いわき病院では平成17年12月7日の昼過ぎに野津純一が逮捕された直後にいわき病院長が外来に精神科医を招集して緊急の対策会議を開催した。その際に野津純一の医療記録には以下の重大な二点が観察された。

1)、診察希望の付箋
  原告矢野夫妻はいわき病院職員から、「いわき病院では、医師に伝えたいメッセージがある場合、看護師が『診察希望してます』、『外出希望しています』、『感冒様症状あり』などを短冊状の厚紙に鉛筆で書いて、診察が必要なカルテを午前中に集めて一か所に置くことになっている。そして、医師は病棟に行くと、自分の受け持ち患者のカルテが積まれているのを確認して、個別に対応している。」それでも「夕方の申し送りの時間まで診察されないカルテが残る場合があるが、看護師も昼間に終わらせなければならない仕事が夜勤帯にずれ込むのを防ぐため、医師に電話連絡して病棟に来るように促している。いわき病院では大抵の医者は午前中に病棟に行き(病棟から催促の電話がかかる前に)、その日の状況に問題がある入院患者の診察をすませている。」と、いわき病院の入院患者の診察システムを説明された。

12月6日朝10時に担当看護師が外来診察室までわざわざ電話して診察希望を出したことは、上記の日常のルールと異なり、担当看護師が異常事態を認識していたことが窺われる。それにも拘わらず、12月7日昼まで主治医の渡邊朋之医師は野津純一を診察することがなかった。野津純一の診療録には12月6日朝に看護師により付けられた「『調子が悪いので診察希望しています』と書かれた厚紙の付箋」が挟まれたままであった。担当看護師から緊急事態通報があったにもかかわらず、主治医の渡邊朋之医師は6日および7日朝の間(時間にして26時間以上)、野津純一を診察しなかったのである。

いわき病院長はこれまでの答弁書他の文書で、「日中に限らず夜間でも、必要な診察は行っている」と主張してきた経過がある。しかしながら、現実的な対応として、患者が診察を求め、担当看護師が緊急の診察希望を連絡しても、いわき病院長は入院患者の要請に応じて担当患者を診察するという義務を果たしていない。ここまで来ると主治医の意図的な怠慢が疑われる。


2)、抗精神病薬中断を1カ月以上前からしていた
  いわき病院が本法廷に提出した第3準備書面(平成19年8月21日付)における証言では抗精神病薬の中断は11月23日からである。しかしながら、12月7日の野津純一逮捕直後の緊急会議に出席して野津純一の処方記録を検討した職員は「事件の1ヶ月以上前から抗精神病薬を中断していたと知って衝撃を受けた」と原告矢野夫妻に対して証言した。

この証言は、いわき病院が野津純一が殺人事件を引き起こし警察に身柄拘束されて緊急会議を開催した後に診療録の改竄を行い、実際には1ヶ月以上前に行っていた抗精神病薬の中断を2週間前に変更していた可能性を示唆している。そしてより重要な問題は、いわき病院は診療録の改竄をしてまでして、責任回避を意図したが、抗精神病薬中断をした事実を認めたところにある。なお、それでも裁判では薬事処方に関して一旦は「メジャートランキライザー(抗精神病薬)は中断してない」という準備書面を提出したりして、虚偽の証言をすべく悪あがきをしたのである。


(6)、12月5日の診察


1)、M医師が診察した事実はあるか?
  上記でもいわき病院は野津純一の診療録を改竄した疑いがあることを指摘したが、12月5日にM医師診察の事実があったか否かに関して、原告矢野夫妻は疑っている。原告矢野夫妻が事情聴取したところ、M医師は通常患者を診察する際には、「咽頭の所見」や「胸部の所見」など、なんらかの「図」をカルテに記入して正確な診察記録を残す医師である。ところが12月5日の診療録の記載はあまりにも簡略に過ぎており「診察した事実は無かったのではないか?」とまで疑われるのである。

なお、同日の診療録記載に疑問があることに関しては、原告はこれまで繰り返して無診投薬の可能性を指摘してきたところであるが、いわき病院側からは反論が行われていない。


2)、前日の風邪薬
  いわき病院は「前日風邪薬(ペレックス)を渡したから問題はない」と主張するが、この認識には問題がある。12月6日に野津純一に発生していた事実は「喉の痛みにペレックスは効かなかったから診察を求めた」のである。主治医の渡邊朋之医師は「心身両面から考えて、診察の必要性・緊急性は低いものと判断された」というがこの時統合失調症患者である野津純一に対して統合失調症の薬(メジャートランキライザー)は中止されており、いつ再発してもおかしくない状況にあった。また、レキソタンを過剰投与していたので、奇異反応や脱抑制出現の可能性もあった。顔と手指には煙草で根性焼もつくっていた。

入院患者である野津純一は、担当看護師を通して正しい手続で正当な時間帯に診察を申し込んでいたのに「心身両面から考えて診察の必要性・緊急性が低い」として診察拒否をすることは精神科医師として不正義である。精神科臨床のあるべき姿から明らかに逸脱した主張をしているのはいわき病院長渡邊朋之医師の方である。


(7)、薬事処方変更の効果判定

いわき病院は12月6日の午前中に「他の患者を押しのけてまで野津純一を診察する義務はない」と主張するが、このことについて原告矢野夫妻は異議を唱えた事実はないし、そこまでしないことは過失であるとも主張していない。

しかしながら、いわき病院は「野津純一を診察する必要性・緊急性は低いものと判断された」と主張するがいわき病院は診療録の記録や裁判の証言からは11月23日に抗精神病薬を中断して2週間の間処方変更の効果判定をしていない。またもし診療録が改竄されて、実際には事件の1ヶ月以上前に抗精神病薬を中断していたのであれば、1カ月以上の長きに渡り処方変更の効果判定をしていなかったことになり、状況はより深刻である。

いわき病院は今回の第8準備書面の回答を通して、そもそも「薬事処方変更の効果判定をするという意思を持たなかった」と確定証言したことになる。今回のいわき病院の回答書の本質的な問題は、「抗精神病薬の中断」と「レキソタンの過剰投与と手足振戦に生理食塩水投与の効果判定をしなかったこと」である。過去の準備書面で「いわき病院長渡邊医師は『看護師や作業療法士が気が付かなかった…、報告がないものは解らない』」などと書いていた。いわき病院は「有資格者は誰も判定していない」という原告矢野夫妻からの指摘を覆すことができないでいる。

原告矢野夫妻は、今回のいわき病院の回答でも、「12月6日にも処方変更の効果判定をしなかった」また「いわき病院長は合法的な薬事処方変更の効果判定をする意図を持たなかった」という事実が確認されたことが重要である。このことが、重大な本質であると指摘する。


(8)、統合失調症患者の他害行為

いわき病院は統合失調症患者に他害行為の可能性を検討することが間違いであると主張してきた経緯がある。しかしながら、英国の研究(「暴力を治療する」アンソニー・メイデン、2009年5月、星和書店)によれば、統合失調症の有病率は人口では1%であるのに対し殺人で有罪判決を受けた人々の中では5%である(英国、2006、P.94)。他の身体疾患でこれに匹敵する数値を思い浮かべることは困難である(同P.13)。精神病的な精神疾患と暴力との間には高度に有意な相関があり、その程度は喫煙と肺ガンとの関係と同レベルである。

精神病患者の暴力リスクマネジメントは精神保健サービスの課題の一つであり、医療サービスが複雑な疾病を管理するのは当たり前である。例えば、糖尿病治療目的の一つは血管や眼、他の器官に及ぼす問題を最小限にするためであり、高血圧の適切な管理は脳卒中発生を減少させるためである。精神医学では統合失調症の複雑さが、それが患者に及ぼすと同じくらいもしくはそれ以上に他人にも影響を及ぼすのである。疾病の複雑さを管理することは医療の中心的な業務である。

精神医学は医学の中で第三者へのリスクを扱うという点において例外的に見えるかも知れないがそうではない。結核やSARSでは医師には病気を蔓延させる患者を隔離する権限があるし、この権限は地域社会にとって重要である。統合失調症を有する患者のうち少数が殺人を行い、さらに少数のグループが統合失調症が適切に治療されていないために殺人を行う。

野津純一は前主治医N医師の処方(リスパダール投与)で統合失調症症状が高進していたのでいわき病院長渡邊朋之医師は主治医を交代したときに「統合失調症ではない」と思ったほどである。この時、野津純一は抗精神病薬の薬物療法に十分に反応していたのである。統合失調症患者から抗精神病薬を中止する決定をするということは、症状が安定しているという理由で糖尿病患者のインシュリンを中止するのと同じくらい危険なことである。また、人格障害者、薬物乱用やアルコール乱用と暴力には強い相関がある。

野津純一には10代より人格障害があった。レキソタンは「麻薬及び向精神薬取締法」で取り扱い規制を受けている薬物である。統合失調症患者の野津純一に最大常用量の2倍もの量を投与し続けるということは「薬物乱用させた」と同じ意味をもつ。

精神障害者の暴力リスクマネジメントはリスク要因のチェックリストや統計データ表で始まるものではなく、患者が病院のドアから外に出たときにどのようなことが起こるかを気遣う感覚から始まる。このような感覚がなければ、その他のことをしても時間と労力の浪費である。診察を願い出た野津純一に対して「診察拒否決定した」ことは、患者をドアの外に追い出した後にシャッターを閉めてしまうのに似ている。事態の悪化は主治医が招いた結果である。野津純一が持続して適切な治療を受けていたら本事件は発生しなかったと断言する。


3、タバコの喫煙とアカシジア

(1)、論理矛盾

いわき病院長は論理が混乱している。渡邊医師は、「タバコは喉に悪いので減らすように勧告したが野津夫妻が勝手にタバコを与えていたのでうまく行かなかった。従って野津純一の1日60本の喫煙は、いわき病院の責任ではない。」と主張して、その上で、「犯行日の朝イライラしていたのはタバコの離脱症状であって間接的に野津夫妻の責任である。」と責任回避論を展開した。そもそも病室内にいる野津純一からタバコは取り上げていないし、野津純一本人にも禁煙意識がないのでタバコは吸いたいだけ吸えていた。タバコの禁断症状はあり得ない。

驚いたことにいわき病院は「タバコの離脱症状と犯行の因果関係は分からない。」と主張した。そもそも、いわき病院の主張は論理的に成立しない。自ら「(ニコチン離脱症状では)本件事件を具体的に予見できない」と主張するのであれば、ニコチン離脱症状は本法廷では議論をする必要もない論点である。従って以下の論点はいわき病院の論理が如何に誤謬に満ちているかという指摘である。


(2)、アカシジアと喫煙

いわき病院の他の医師は野津純一にアカシジアを(+)と診断していたのであるが、いわき病院長はCPK(クレアチン・ホスホ・キナーゼ)値の意味を取り違えて野津純一のアカシジアは心気的なものと誤診をしていた経緯がある。

今回の、ニコチンの離脱症状とアカシジアが関係しているとの主張はいわき病院が初めて提出した論点である。そして「野津純一のアカシジアは、心気的ではなくて、ニコチン離脱症状である」と論理転換したことになる。そこには原告矢野夫妻が指摘する「抗精神病薬の中断」および「レキソタンの過剰投与と手足振戦に薬効がない生理食塩水の筋注」いう重大な薬事処方変更の問題を回避することを目的とした意図が読める。

いわき病院は「ニコチン離脱症状としてのイライラ感」と記述しているが、「ニコチン離脱症状とアカシジア」については学問的な根拠を示していない。このため、法廷の場で議論する妥当性は全くない。


(3)、非定型抗精神病薬で対応できた筈

統合失調症患者の喫煙率は有意に高いがそれには理由がある。喫煙により錐体外路症状の軽減、陰性症状や認知機能の改善などの可能性があり、喫煙が統合失調症の病態生理と密接に関わっている。定型抗精神病薬は統合失調症患者の喫煙を促進する。

禁煙にはニコチンガムやニコチンパッチなどニコチン代替療法(NRT)がある。非定型抗精神病薬治療が行われている者の方が定型抗精神病薬治療が行われている者よりもNRTの成功率が高い。いわき病院長で主治医の渡邊朋之医師は「野津夫妻がタバコをカートンで持ってくるのが悪い」と責める前に抗精神病薬を定型から非定型に変更し、ニコチン代替療法の導入を提案するべきであった。


(4)、ニコチン離脱とアカシジアに関する文献

原告矢野夫妻は「ニコチン離脱とアカシジアとに言及した文献」に関連して専門家にも問い合わせたが「見当たらない」という回答であった。但し、「タバコ離脱時に怒りっぽくなったり落ち着きの無さが出たりと言うのは誰でも知っている事である。また、タバコと統合失調症の関係は、昔から取りざたされている。今の所『α7ニコチン受容体の刺激が認知機能の改善作用があると言う事になっている』との事であり、治療薬としての開発も行われている。また、統合失調症の患者がタバコをよく吸うのは自己治療の側面があるかもしれない」との意見であった。

いわき病院はニコチン依存症に関する文献を平成21年6月26日付証拠説明書(乙B号証)として提出した。しかしながらこれらの文献資料のいずれも「ニコチン離脱とアカシジア」に関しての言及はない。このため、いわき病院の論理を裏付けるものとはならない。


(5)、夜9時過ぎのニコチン離脱

禁煙補助剤であるニコチンパッチの説明文書によれば、「就寝前にはがすこと」が注意書きされている。ニコチンパッチは就寝中貼付したままにしてはいけないのである。そもそも就寝中にニコチンパッチをはがす(ニコチンの摂取をしない)ことでは、暴力が出ることは考えられないのである。夜間の禁煙はニコチンパッチをはがすことと同じである。

原告矢野夫妻は「禁煙タイムである夜9時過ぎのニコチン離脱」といういわき病院の主張には驚いた。この主張こそ、我田引水も甚だしい。このいわき病院の主張が正しいならば、「野津純一はいわき病院の病室で毎日タバコ離脱の症状を示していたはず」であり、その事実が診療録や看護記録に記載されていなければならない。しかしながらそのような観察や野津純一の言葉はいわき病院の医療記録には残されていない。

いわき病院が主張するとおり野津純一にニコチン離脱症状があったのであれば、いわき病院の医療記録には不備がある。もし、ニコチン離脱症状が無かったのであれば、いわき病院は法廷で虚偽発言をしたことになる。


4、いわき病院の責任

(1)、いわき病院長の責任

いわき病院長渡邊朋之医師は処方薬の大幅変更(統合失調症の抗精神病薬中止、ベンゾジアゼピン系抗不安薬の過剰投与、アカシジア・ジスキネジアの誤診により抗コリン薬を使わず生理食塩水しか投与しなかったこと)、診察拒否により患者満足を妨げた。統合失調症の特徴はストレス脆弱性である。患者のイライラが爆発した最大の原因を作ったのは主治医である。いわき病院長渡邊朋之医師は精神保健指定医としての資質にかけると共に、責任感と自覚に欠ける。


(2)、いわき病院の主張は否定された

いわき病院が本法廷に提出した第8準備書面および第9準備書面は「根拠のない議論」および「虚偽」を元にした自己弁論であり、主張内容は本件裁判では妥当性を持たない。


5、医療版事故調報告書案といわき病院医療

(1)、医療安全調査委員会報告案

日本経済新聞(平成21年6月22日付)に、「医療安全調査委員会(仮称、医療版事故調)について厚生労働省研究班が、調査結果を警察に通知する範囲として、『故意に近い悪質な医療行為』の例として以下の三点をあげた」と報道されている。

    【医療版事故調による、故意に近い悪質な医療行為の例】
  1. 医学的根拠のない医療
  2. 著しく無謀な医療
  3. 著しい怠慢

(2)、いわき病院の精神科医療

いわき病院で野津純一に対して行われた精神科医療は(仮称)医療事故調が報告書としてとりまとめていると報道された、「故意に近い悪質な医療行為」として警察に通知することに該当する事例であると指摘する。

本件は民事裁判であるが、(仮称)医療事故調の考え方は、いわき病院の精神医療の過失を判断する上で重要な指針をあたえるものと思料する。


1)、医学的根拠のない医療
  いわき病院は第8準備書面および第9準備書面で医学的根拠のないニコチンとアカシジアに関して主張したが、これは医学的な根拠に基づかない臨床医療がいわき病院で実行されていることを示している。

原告矢野夫妻は「意見陳述(矢野)-12」でも指摘したが、いわき病院が精神医学的な根拠として提出した文献は引用の間違いや解釈の間違いさらには意味の取り違え、そして該当しない引用などを行っており全く妥当性を欠いていた。このことからも、いわき病院では医学的根拠のない医療が実践されていたことが証明される。

    【以下に、医学的根拠のない医療が実践された具体的事例を列記する】
  1. CPK値でアカシジアの判定をした
  2. レキソタンの注意書きを無視して最大常用量の2倍を患者に投与し続けた
  3. 手足振戦が明白であるのにアカシジアに薬効がない生理食塩水の筋肉注射を続けた

2)、著しく無謀な医療
  1. いわき病院は有資格者が正確な医療知識に基づいて薬事処方の変更を評価することが無く、事前知識のない無資格者(看護師、作業療法士等)の患者変化の観察をもって処方変更の効果判定とした。


  2. 統合失調症患者である野津純一に抗精神病薬を期限を定めず無期限に中断し、患者の診察要求を拒否したが、事件発生を受けてようやく抗精神病薬を再開した。(統合失調症の患者処方から無期限に抗精神病薬を抜くということは、インシュリンが必要な糖尿病患者からインシュリンを抜き続けるということと同じである。)

3)、著しい怠慢
  1. いわき病院長は入院患者が緊急に診察を要請して、担当看護師が緊急連絡を行ったにもかかわらず、その時に忙しかったことを口実にして、主治医として担当していた患者の診察を緊急要請があってから26時間以上放置していた。野津純一は外出中に逮捕されたために、いわき病院が野津純一を診察する機会は失われた。


  2. 野津純一はいわき病院に入院した当初から顔にひっかき傷のような瘢痕が認められていた。いわき病院はその原因を診断することがなかったが、野津純一はいわき病院に入院中に繰り返して顔面にタバコで瘢痕(野津純一の言葉で「根性焼」)を作り続けていた。この一見静的であるが本質は動的な瘢痕の発生と消滅を見逃して、野津純一の心身の変化に注意を払わなかった。

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