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根性焼といわき病院の精神科医療


平成21年4月15日
矢野啓司
矢野千恵


医療法人社団以和貴会いわき病院(いわき病院)の医師も看護師も、患者の顔面に現れては消える火傷の瘢痕を見ていません。いわき病院は、殺人事件を犯した入院患者が、イライラとムズムズをこらえ切れずに顔面にしていた根性焼の火傷に気付きませんでした。そんなことがあるのでしょうか。信じがたいことですが、実際に見逃しがありました。

矢野真木人を通り魔殺人した犯人、野津純一はいわき病院の入院患者でした。彼の左頬には「根性焼=タバコでつけた火傷の瘢痕」がありました。「根性焼」は一目瞭然です。野津純一の顔面に「あるのか、無いのか」極めて単純な問題です。ところが、いわき病院は根性焼があった事実を頑なに否定します。「統合失調症の患者の妄想の産物で、事実ではない」とまで主張しました。「簡単なことなのに、いわき病院はなぜ入院患者の左頬の火傷の瘢痕に気が付かない」という素朴な疑問を誰でも持ちます。


1、根性焼

1)、根性焼とは

私たちには根性焼は初めて聞く言葉でした。犯人の野津純一を取り調べた検察官から『左頬にタバコの火でつくった瘢痕が複数あり、本人の言葉で「根性焼」と表現している』と聞きました。供述書で、野津純一は「根性焼と言うのは、皮膚にタバコの火を押しつけて我慢すること」と言いました。また精神鑑定医は「自分でタバコの火を、左指や左頬に押しつけて軽い火傷を負わす事」と書きました。野津純一の根性焼は、「タバコの火をほっぺたに少しずつ押し当てた、痛すぎない程度に皮膚を軽く焼く行為」です。

民事裁判では「左頬の火傷の瘢痕の有無」が問われています。この瘢痕は「いわき病院に入院中の傷か否か、いわき病院は「渡邊朋之医師と看護スタッフの誰も視認しなかったのか」が問題になります。野津純一の顔面左頬の瘢痕は警察が犯人と確認する主要素でした。ところが、いわき病院は「医師も看護師も全員が根性焼は見てない」と主張します。


2)、左頬には新旧複数の瘢痕が確かにあった

野津純一は殺人事件の翌日に事件現場を再訪問して拘束されました。その時警察は、左頬の「あずき大の瘢痕」を目印にして犯人を拘束しました。テレビで放送された現場の映像では、犯人の左頬には沢山の瘢痕があり、古くて治癒が進んだ瘢痕の上に新しい瘢痕もありました。刑事裁判の法廷で矢野啓司は野津純一の顔面を確認しました。瘢痕は平成18年4月にははっきりと見え、事件から半年を過ぎた6月末の判決時には微かに痕跡が見える程度でした。いわき病院は野津純一の顔面には「入院した時から継続して、吹き出物のような鈎状の瘢痕があった」と言います。野津純一はいわき病院に入院していた、14カ月以上の長期に渡って顔面に根性焼を作り続けていたが、いわき病院は入院患者の顔面に繰り返された瘢痕の出現と消失に気が付かず見逃しました。当然、治療をしておりません。


3)、火傷は激しく痛むはず

『統合失調症がわかる本』(E・フラー・トーリー著、日本評論社、P.7)には「(統合失調症の人は)感覚が過敏になる場合と鈍くなる場合があります。通常の場合は感覚過敏は病気の初期に鈍麻は晩期に見られます。頻繁にはありませんが、痛みの感覚が鈍くなることがあるため看護者にとって実際的な問題です。そのようなことがあると知っておれば、どこか具合が悪く見えるとき、痛みを訴えなくても早めに医学的な介入を考慮できます。タバコをぎりぎりまで吸って、指に火傷を負ってしまう人を見かけますが、こうした理由からでしょう」と記述されています。統合失調症の晩期の患者の中には感覚鈍麻で、痛みをあまり感じなくなる場合があるようです。

常識では、小さな火傷でも激しい痛みに耐えかねて、治療をしないではいられません。軽い火傷でも苦しみは激しく、周囲の者も容易に気付くはずですが、いわき病院の医療記録には火傷治療がありません。野津純一の顔面を正視すれば、沢山のあずき大の瘢痕が目に付くはずです。野津純一は20年余の間、統合失調症に罹患しているため、「病気の晩期にみられる感覚鈍麻」で、激しい火傷の痛みをあまり感じず、安易にタバコで火傷をし続けていた可能性があります。しかし精神科専門病院ですので、野津純一が報告しなくても、顔面や行動の観察は基本で、顔面の火傷の瘢痕に気付いて当然でした。患者が少しずつ根性焼をしておれば、顔面には場所が移動する生々しい瘢痕が常に見られたはずです。自傷行為には十分気をつけるべき精神科病院の医師と医療スタッフが「患者が痛みを訴えないからとして、見てもいない、記録もしない」としたら、それが問題です。


2、イライラと根性焼

1)、野津純一の供述

(1)、平成17年12月7日の野津純一供述
  野津純一は殺人事件直後の取り調べで、顔の瘢痕について「12月6日の数日前にタバコの火を左手の人差し指のつけ根とか左の頬に押しつけてできた」と陳述しました。そして「根性焼と言うのは、皮膚にタバコの火を押しつけて我慢すること」と説明し「心がスッキリした」と言いました。野津純一の証言からは、タバコで火傷をつくっても、激しい痛みを感じるよりは「スッキリした感覚を持つ刺激」とわかります。

(2)、平成17年12月11日の野津純一供述
    [1]、12月6日の数日前から、
    ア、タバコの火を左手の人差し指のつけ根や左頬に持って行き根性焼をしていた
    イ、根性焼は「皮膚にタバコの火を押しつけて我慢すること」を言う
    ウ、根性焼は、イライラしていたので腹立たしさを押さえるためにやっていた
    エ、根性焼をすると、心がスッキリしていた
    [2]、事件当日の12月6日には、
    ア、タバコを吸うことを邪魔されてイライラ・激情した
    イ、根性焼では心がスッキリしないくらいイライラしていた
    ウ、それで、「誰でもいいから、人を殺してやろう」と考えた

2)、野津純一の精神鑑定書から

(1)、いわき病院職員の態度
  殺人事件の直前の野津純一はいわき病院の職員から相手にしてもらえず、声もかけてもらえない状況でした。そのためもあり、野津純一がイライラを高進させている状態をいわき病院と医療スタッフは観察していません。

    【野津純一の言葉】
    [1]、いわき病院の職員は、最初は自分に親切だったが、次第に声もかけてくれなくなった
    [2]、優しく声をかけてくれていた女の職員も、傍へ行っても、知らん顔するようになった
    [3]、喫煙室へ行くと、何時も
    ア、誰かが灰皿の上にコーヒーの空き缶を置いたり、灰皿が吸殻で汚されていた
    イ、誰かが当てつけて、わざと嫌がらせをしている様に思えてきた
    ウ、灰皿が汚れているのが非常に嫌で、その都度「イライラ」が募った

(2)、イライラ解消の大判焼と根性焼
  野津純一は「イライラ」を解消する手段として「大判焼」を食べるとか「タバコの火で根性焼」をしていました。しかし、12月5日と6日には「大判焼」を食べたくらいでは、治まらず、根性焼に頼りました。それを踏まえて、精神鑑定医は根性焼を「自分でタバコの火を、左指や左頬に押しつけて軽い火傷を負わす事」と「軽い火傷」であるとして、「真皮まで達した、ケロイド状の瘢痕」とまでは診断しておりません。

    【野津純一の言葉】
    [1]、12月5日と6日は、喫煙室の灰皿周辺が特に汚れていて腹が立ち「イライラ」した
    [2]、5日に外出して大判焼を食べたが、「イライラ」はあまり軽減しなかった
    [3]、6日にはいわき病院アネックス棟3階(注:野津他の個室と院長室と会議室がある)で
    ア、会議があるらしくて、沢山の人が自分の部屋の前を通り、ざわざわして嫌だった
    イ、その中の誰かが「クソ!クソ!」と自分を誹謗しているようで「カチン」と来た
    ウ、腹が立った、「イライラ」が極限にきた
    エ、何時も気持ちを落ち着ける時にする「根性焼」をした
    オ、この日は「激情」していて、「イライラ」が治まらなかった
    カ、「誰かを殺してやろう! イライラが治まるかも知れない」と思い立った

(3)、犯行直前の行動
  いわき病院の許可外出は形骸化しており、野津純一の外出と帰りを確認する職員は誰もおらず、外出簿に本人が記載するだけで、病棟からはエレベーターで自由に外出可能でした。野津純一は、百円ショップで、包丁売り場を店員に聞き、料金を支払いましたが「店員は女子だから襲わなかった、店内で襲うと捕まると考えて自制した」と証言しました。

    【野津純一の言葉】
    [1]、昼食後、詰め所の外出簿に「名前」と目的は「散歩」と書いた
    [2]、外出簿に時間も書くので時計を見たら「12時10分」だった
    [3]、エレベーターで下に降りて外へ出た
    [4]、何時もの道を歩いてキョーエイへ行って、何時もの様に「大判焼」を食べた
    ア、キョーエイの中にある「百円ショップ」で店員に包丁の売り場を聞いた
    イ、そこへ行って、いくつかの包丁の中から、犯行に使った文化包丁を選んだ
    ウ、105円を払ってそれを買って外へ出た

3)、原告が起訴状で指摘した「根性焼」

私たちが起訴状に記述した「根性焼」の関連部分は以下の通りです。「根性焼」を「タバコの火が消えるまでの火傷」とは表現しておりません。また、「他害行為をする可能性が高まっていることを示す予兆」の一つとして重要な意味があると指摘しました。

(1)、(野津純一は)平成17年11月末(本件の1週間前頃)に、イライラして自分の左頬にタバコの火を押し付けて「根性焼」をしたといっていた(自傷行為)。以前にも同じところに傷痕があったが、いわき病院では院長にも報告されなかった(この傷跡は平成18年4月14日の野津純一の刑事事件の第1回公判の際にも矢野啓司が確認した)。

(2)、(犯行の翌日の)12月7日、野津純一は、犯行現場近くに現れ、取材中だったテレビ局のスタッフの目にとまり、警察に通報されて、逮捕された。この時、テレビ局のスタッフは十分な安全距離から野津純一の左頬にあばた(タバコによる火傷痕)があることを視認して、それを報道した。

(3)、タバコの根性焼は、野津純一が当時イライラした状態で病状が悪化していたことを示す出来事であり、本件凶行の前兆とみてもよい出来事を見逃して、異常発生(行動)の予兆(前兆)を見逃した過失がある。

(4)、(いわき病院は)本件の1週間前頃に、イライラして自分の左頬にタバコの火を押し付けて「根性焼」をしたと言っていたことなどを把握していれば、野津純一が当時イライラした状態で病状が悪化していたことが把握できたはずであり、そうすれば単独外出させることが危険と判断できたはずである。


3、いわき病院の主張

いわき病院の基本姿勢は「野津純一の顔面には根性焼という瘢痕はなかった」ですが、2年半をかけて主張をする間に、だんだん内容がエスカレート(拡大)しました。「原告は証拠を持っていない。裁判の論理として押し切れる」と展望を読んだと思われます。

1)、答弁書(平成18年7月31日付)

(1)、いわき病院長の観察
  いわき病院長は「平成17年11月30日と12月3日の2回、診察室で野津純一との距離約1mで面接した」と述べて、「左頬に真新しいタバコの火傷は認めなかったけれど、古い鈎状の瘢痕はあった」と証言しました。従って、12月3日以前に野津純一の顔面の左頬に新しい瘢痕があったことが確認されると「渡邊朋之医師の診断間違い」となります。

    【いわき病院の主張】
    [1]、左頬には古い鈎状の瘢痕を認めるだけ(被告病院入院時から存在したもの)
    [2]、以前より左の小指で左頬から首にかけて吹き出物を掻くような仕草が頻回にみられた
    [3]、左頬をタバコで焼くようなイライラの訴えは全くなかった
    ア、最近付いたと思しきタバコでの火傷(根性焼様の瘢痕)は認めていない
    イ、左頬にタバコで付けた根性焼の跡は認めていない

(2)、外来看護師の観察
  いわき病院は「本件犯行の翌日(12月7日)午前10時頃、外来に降りてきた野津純一を外来看護師が正面間近で見た」とした上で、「殺人事件翌日にもいわき病院は野津純一の顔面に根性焼の瘢痕は認めなかった」と主張しています。この主張で重要なポイントは、「野津純一が犯行現場で拘束される2時間前に、顔面には根性焼の瘢痕は無かったことをいわき病院は確認した」と主張したところにあります。

    【いわき病院の主張】
    ○、野津純一の顔面に根性焼の傷は認めてない
    ア、タバコで新しく付いた根性焼等の瘢痕を顔面に認めていない
    イ、左頬にタバコで焼いたような根性焼様瘢痕は認めていない

(3)、病院スタッフの言
  いわき病院は「野津純一が『タバコでの根性焼云々』と言っているのを聞いた医療スタッフはいない」として、「いわき病院の全ての医療スタッフが野津純一の顔面の根性焼瘢痕という異常を認めなかった、だから原告の根性焼の主張には根拠がない」と主張します。いわき病院の精神科医療と看護体制の本質と信頼性が問われる証言です。

(4)、以和貴会の主張
  いわき病院は「野津純一が拘束された時に左頬に鈎状の瘢痕があったのであれば、それは野津純一が病院から(社会復帰訓練で)外出して、拘束される迄の極めて短時間につけられた瘢痕」と主張しました。「根性焼の跡はいわき病院内では表出していなかった」そして「野津純一から聞いていないので、いわき病院は知りようがない」とも主張します。いわき病院の医師や看護師などの医療スタッフは誰も、『野津純一の顔面に「鈎状の瘢痕」を見ても、それが発生した原因を野津純一に問わないし、また医療専門職としてその原因を考えることも無い』と証言したことになります。

    【いわき病院の主張】
    [1]、左頬の根性焼や喫煙所でのイライラについては、
    ア、野津純一が表出している症状でなければいわき病院は把握することはできない
    イ、イライラしてタバコで左頬を根性焼しているという情報は全くない
    [2]、左頬の鈎状瘢痕は入院前よりあり、いわき病院入院時以前に院外で付いたものと推察
    ア、何時何処で付いたものかは不明、根性焼かどうかは不明
    イ、入院期間中、これが根性焼である旨野津純一から話があった事実は一切ない
    ウ、根性焼と思しき行動や発言は野津純一から出たことは一切ない
    エ、野津純一の左頬等に新しくできた根性焼の跡などを確認した者はない
    [3]、本件の1週間前項に、仮にイライラして自分の左頬にタバコの火を押しつけて「根性焼」をしたとしても、精神科における臨床的判断として、これが本件犯行に結びつくと評価分析することは不可能である
    [4]、客観的事実として、野津純一が本件犯行の1週間前頃に左頬にタバコの火による根性焼を行った事実はなかった蓋然性が高い
    [5]、もし、野津純一が付けたとすれば、その後拘束されるまでの短時間の間に付けたものとしか考えられない

2)、第2準備書面(平成19年4月4日付)

(1)、一週間前の根性焼に関して
  いわき病院長渡邊朋之医師は主治医として野津純一の「左頬の古い鈎状の瘢痕」は「ニキビが潰れた引っ掻き跡」であると診断しました。「タバコによる火傷の根性焼は確認してない」と断定した上で、「タバコの火による根性焼であれば、皮膚の真皮にまで到達するケロイド様の瘢痕であるはず」と主張しました。原告は野津純一の根性焼が「真皮にまで到達するものであるか否か」までは指摘しません。この様ないわき病院の事実誤認は「タバコの火が消えるまでの根性焼を原告が主張した」という主張にその後発展しました。
    【いわき病院の主張】
    [1]、「根性焼」は自己の根性を見せつけるために行う行為であり、皮膚の真皮まで到達する火傷であるからケロイドの様に瘢痕化するため跡が残ってしまうものと考えられる
    [2]、野津純一の「根性焼」は、思春期の精神障害者に見られるタバコの火、特にフィルター部に火をつけ、消えるまで前腕等に押し当てて負う火傷の類とは異なる行為
    [3]、平成17年11月30日と12月3日の2回、野津純一と1メートル圏内で面接をした
    ア、主治医は顔面に「根性焼」等、新しい火傷の跡を認めた事実はない
    イ、主治医は「根性焼」のようなタバコによる火傷は認めていない
    [4]、主治医は面接中、野津純一が左手の爪で頬を掻いている行為を見たことはある
    ア、左頬にはニキビが潰れた引っ掻き跡が見られただけである
    イ、野津純一は、入院後の面接で度々そのような行為を見せたことはある

(2)、根性焼きの定義といわき病院の観察
  本件裁判では「根性焼」の定義は、野津純一が言う「根性焼と言うのは、皮膚にタバコの火を押しつけて我慢すること」です。いわき病院は「頬の真新しい火傷痕は12月3日から7日の朝の外出前までの間は野津純一の頬には発見されていない」と証言しました。また「以下の[3]、」の看護日誌の記録の主張があるため、いわき病院の看護師は表情を見ても顔面にある火傷の瘢痕を認識しなかったことになり、医療体制の重大な過失です。
    【いわき病院の主張】
    [1]、原告が主張する「根性焼」の意義が必ずしも明確ではない
    ア、当事者及び裁判所の間で共通の概念となっているか疑わしい
    イ、いわき病院の答弁が原告の主張に整合するものか否か疑問である
    [2]、精神科患者が原告が述べるような「根性焼」をしていれば、12月3日の診察や、12月7日の外来担当看護師は容易に確認できるはずである
    [3]、12月5日の看護日誌では、頬の真新しい火傷痕は確認されてない
    ア、15時00分「表情良く話す」と記載
    イ、21時00分には「表情はやや硬く」と記載
    ウ、23時40分に不眠時薬を取りに来て薬を渡す際に看護師が野津純一の表情観察した
    [4]、頬にあれば分かるはずの野津純一が言う「根性焼」という自傷行為は、実は本件殺人行為前にはなかった可能性が高い
    [5]、本件事件前の症状悪化のサインと把握すべきとする原告の主張には合理的かつ客観的な証拠は存在しない
    [6]、本件事件後の野津純一の行為である可能性は高い

3)、第4準備書面(平成20年6月23日付)

  いわき病院は野津純一の供述調書にある「根性焼」の部分について「読んだ」と確認した上で、その火傷の程度を「重度の火傷」と事実誤認をしました。私たちは「平成18年4月の時点では野津純一の左頬に傷跡があったけれど、判決時の6月末にはほぼ消失していたので、半年経てば消える程度の火傷の痕」と表現してありました。それでも、いわき病院は「野津純一の左頬に現在も火傷痕が残っている筈だから検証すべき」と主張しました。
    【いわき病院の主張】
    [1]、野津純一はタバコの火が消えるまでの「根性焼」を「数日前より行った」と述べたがいわき病院は
    ア、12月3日の面接では、そのような身体的変化・異常は認めてない
    イ、12月7日に外来看護師が正面から見た際にも、そのような火傷は一切認めてない
    ウ、原告が主張する「根性焼」は、タバコの火が消えるほどの火傷である
    [2]、野津が供述したとおりであれば
    ア、顔面に生々しく爛れて水脹れした大火傷がなければ筋が通らない
    イ、いわき病院の医療スタッフはこのような異常所見を誰一人認めていない
    ウ、野津の供述は、事実と明らかに異なると推察せざるを得ない
    [3]、現在でも供述とおりであるならば、野津の顔面には惨たらしく「根性焼」の痕があると考えられるため、被告以和貴会としては、是非一度検証を希望したい
    [4]、野津に「根性焼」をするほどの自傷行為があった事実はなく、いわき病院自らが、その症状を見落としたという事実も存在しない

4)、第5準備書面(平成20年8月25日付)

  いわき病院は矢野真木人殺人事件発生以前には野津純一の顔面には「根性焼」は存在しなかったと改めて主張しました。いわき病院は「看護師が入院患者の表情を観察することは、精神科看護の基本であり、比較的注意して観察する」とまで言い、その上で「精神障害者の野津純一の供述は信用できない」として「仮に根性焼の火傷の痕があったとするならば、殺人事件後の野津純一の行動である」と主張しました。
    【いわき病院の主張】
    [1]、原告が指摘する「根性焼」については、入院中に野津純一本人から語られることは一度もなく、被告病院職員の誰一人として目撃等確認した者はいない
    [2]、本件殺人事件(12月6日)の数日前から、いつものとおり看護師は野津純一の表情を観察しているが、頬に火傷の痕を認めた看護師はいなかった
    [3]、看護師が入院患者の表情を観察することは、精神科看護の基本であり、比較的注意して観察するものである。連日の看護師による表情観察で頬に火傷の痕を認めておらず、本件事件数日前から野津純一が捜査段階で供述した「根性焼」の事実は存在しなかった可能性が高いと言える
    [4]、野津純一の捜査段階での供述を全面的に信用すること自体、合理性に欠ける。「逮捕以降確認されたこと」が即ち「本件事件前から存在した」とは短絡できない
    [5]、逮捕以後にもし本当に頬に火傷の痕があったのであれば、それは、殺人事件という重大犯罪を起こした野津純一が異常な精神状態に陥り、そこで初めて本人の言う「根性焼」を行った可能性が高いのではないかと推察される
    [6]、原告からは「上記の[5]、」を否定する客観的かつ合理的根拠は何ら示されていない

5)、第6準備書面(平成20年10月20日付)

  いわき病院は『野津純一の顔面の左頬にはタバコの火傷の「根性焼」は殺人事件の前には存在しなかった』という主張で勝負に出ました。そして「根性焼」をいわき病院の言葉で「頬をタバコで焼くこと」と再定義した上で「そのようなものは心神耗弱の精神障害者の供述であり事実ではない」、また「捜査記録には具体性がなく、野津純一の供述は信用できない」と主張しました。「頬をタバコで焼いた瘢痕」は、「いわき病院の渡邊医師以下全ての職員が野津純一の顔面に視認していない」と明確にして、いわき病院は「(火傷の大小を問わずに)根性焼」はなかったと主張しました。

  原告の私たちはテレビで放送された野津純一逮捕時のビデオから「根性焼」静止写真を作成して、「根性焼は野津純一の妄想の産物」と主張したいわき病院の第6準備書面と同日に法廷に提出しました。生々しい、野津純一の左頬にある多数の根性焼痕の写真は衝撃的でした。その後4カ月余を経過しましたが、いわき病院は法廷に「根性焼」について新たな主張を提出しておりません。

【写真1】左頬の「根性焼」瘢痕群
【写真2】額・右頬・左頬のちがい
(▲テレビ朝日「テレメンタリー」放映画像より)
    【いわき病院の主張】
    (1)、イライラ解消のための大判焼きと根性焼
    [1]、イライラ解消を目的とした「大判焼き」と「頬をタバコで焼くこと」は野津自身が刑事裁判の中で供述したことである
    [2]、妄想幻想があり、裁判中も陳述が急に変わるなどしている野津の供述内容が、客観的で正しいことである、とするには相当程度無理がある
    [3]、原告が刑事裁判での資料を正しいとするのであれば、野津が裁判で供述したことについても全て正しいとしなければ一貫しないはずである
    [4]、刑事裁判における裁判所の判断において野津は心神耗弱とされており、その供述を全て正しいとすることは妥当ではない。

    (2)、野津純一の供述は信用できない
    [1]、事件一週間前の「根性焼」は、野津純一の供述でしかない
    [2]、「根性焼」は妄想や幻覚に基づくものである可能性も否定できない
    [3]、取り調べ記録に、根性焼の大きさ、カ所数、場所などの具体的指摘がない
    [4]、そもそも事件1週間前に野津の頬に根性焼の痕などなかったことが推認される
    ア、いわき病院職員の供述には根性焼に触れているものはない
    イ、原告が指摘する根性焼をなぜいわき病院職員が確認していないのか不思議である
    ウ、顔面に負ったタバコの火傷であり、それも一度でなく数回となると、いわき病院の職員が誰もこれについて指摘してないのは全く不可解である
    エ、事件の起こる前1週間に主治医の渡邊だけでなく、病棟職員、外来看護師、など多くの人が野津を見ているが、そういった顔面の傷は全く確認していない

4、結論として「根性焼」はあった

1)、根性焼の静止写真

「根性焼」の議論に2年半余の時間が費やされました。左頬の瘢痕は野津純一を拘束した時に警察が本人を特定したマーカーでしたし、TVや新聞の報道でも「顔にあずき大の瘢痕がある男」と報じました。ところが、いわき病院は「そもそも根性焼はなかった」と頑強に抵抗するので驚かされました。いわき病院は「原告は証拠を提出できない」と指摘した上で、「渡邊医師以下の全ての医療スタッフは根性焼を視認していない」また、「そもそも、根性焼は、心神耗弱の精神障害者である野津純一の妄想」とまで主張します。これに対して、原告の私たちは野津純一の顔面の静止写真を証拠提出しました。私たちは、効果を狙ったわけではありませんが、法廷のせめぎ合いの論議としては有効でした。


2)、いわき病院長の論理

(1)、患者が言わなければ診断できない
  いわき病院長渡邊朋之医師は「野津純一が言わなかった」また「根性焼きについては本人から聞いていない」と主張します。いわき病院長には「患者から自己申告がなければ、その事実は発見できない」という釈明です。患者と1メートルの距離で30分も時間をかけた診察をした「筈」です。主治医は患者の顔を見て「その傷はどうしたの?」と質問して当然です。患者が言わなければ見えないとは変です。顔面の左頬にできた複数の火傷の瘢痕の原因がタバコであるのか否か、それを「根性焼」と表現するか否かは二次的な問題です。いわき病院長が患者の顔面の状況を正確に観察しなかった理由は二つ考えられます。

第1の理由は、12月3日に診察してなかった可能性です。12月6日の殺人事件発生後に急遽診察をしたことにして、診療録につじつま合わせで後から記載した。実は渡邊医師が12月3日の診療「病状及び経過」を記載した同じ頁の水平線上に11月30日の「指示及び処置」の記載があり、その下に12月1日および12月2日の記載が続きます。12月3日の渡邊医師の記載は「記入場所が先祖帰り」です。そして主治医は「ムズムズに対して、退院して1人で生活には注射が困難で心気的訴えも考えられるので生理食塩水の筋注」と「クーラーの音への本人なりの異常体験(人の声・歌)等の症状はいつもと同じ」と記述しています。殺人事件発生を受けて、「退院を目的とした社会復帰訓練」と「幻聴の存在による病的行動であること」を、後付で説明的な記述したことが疑われる内容です。

第2の理由は、12月3日に診察して診療録の空きの部分に記述したけれど、主治医の渡邊医師は患者を目の前に置いて診察せず、通常ではない時間帯に「患者と対面した診察をしたことにして」診療録に記載をした可能性です。これは12月6日の看護記録に書かれた野津純一の発言の「先生にあえんのやけど、もう前から言ってるんやけど…」を説明する理由になります。渡邊医師が11月30日に引き続いて12月3日の正常な時間帯に30分の時間をかけて診察をしていたら、果たして野津純一は12月6日に「もう前から、先生にあえん」と言うでしょうか。「深夜に、睡眠薬を使ってぐっすり寝ている患者を、病室の外から見て、診療録に記載していた」という発言したいわき病院職員がいました。

なお、11月30日の診療録にも問題があります。渡邊朋之医師は本件民事裁判に自主的に提出したいわき病院提出の診療録には、野津純一の言葉として「(手足の振戦が)なかなかとれないです」と渡邊医師の悪筆を清書してありました。しかし、診療録の手書きの記述を検討すると、渡邊医師の言葉として「なかなかとれないね」と書いてあります。そして野津純一に対して処方変更をしました。患者の自己申告と主治医の患者への押しつけの診断ではまるで意味が違います。いわき病院長の渡邊朋之医師は「患者の自己申告がなければ、診断できない」と言いつつ、その実は「患者の自己申告を丁寧に聞かず、主治医の思い込みを患者に押しつけていた」姿が見えます。


(2)、「根性焼」という自傷行為
  いわき病院長渡邊朋之医師は答弁書(平成18年7月31日付)で『本件の1週間前項に、仮にイライラして自分の左頬にタバコの火を押し付けて「根性焼」をしたとしても、精神科における臨床的判断として、これが本件犯行に結びつくと評価分析することは不可能である』と述べました。その上で、第4準備書面(平成20年6月23日付)で『本件において、野津純一に「根性焼」をするほどの自傷行為があった事実はなく、いわき病院自らが、その症状を見落としたという事実も存在しない』と主張しました。

渡邊医師は根性焼を否定したい心が先走り論理破綻しました。「根性焼は、精神科臨床的判断として、評価分析することは不可能」という論理は「根性焼は精神科臨床判断の対象ではない」という見解です。ところが同じ口で「根性焼をするほどの自傷行為」と主張して「根性焼は精神科臨床判断の対象である」と認ました。

外傷や火傷等では他損の場合はもちろんであるが、自損であっても発生日時、場所、原因等は、後で問題が起こった場合に役立つため、記載するべきである(参考:『保険診療におけるカルテ記載のあり方』高木泰著、診断と治療社、p.30)。主治医は、患者の顔面に表出している「古い鈎状の瘢痕」が発現した原因を見極める必然性がありました。恒常的に自傷行為をしていた野津純一は、事件直前にはイライラとムズムズで苦しみは極限にまで達しましたが、治療を受けるという希望が叶えられず、衝動的な行為に転換する危険性が高まりました。主治医の責任として「自傷行為を発見して適切な介入をすること」は入院患者の快復を促進して社会復帰と自立を促進するためにも重要です。


(3)、心神耗弱者の信頼できない妄想
  第5準備書面(平成20年8月25日付)で、いわき病院は『野津純一が捜査段階で供述した「根性焼」の事実は存在しなかった可能性が高い。野津純一の捜査段階での供述を全面的に信用すること自体合理性に欠ける。「拘束以降確認されたこと」が即ち「本件事件前から存在した」とは短絡できないことを銘記するべきである。逮捕以後にもし本当に頬に火傷の痕があったというのであれば、それは、殺人事件という重大犯罪を起こした野津純一が異常な精神状態に陥り、そこで初めて本人の言う「根性焼」を行った可能性が高いのではないかと推察されるのである』と主張しました。その上で第6準備書面(平成20年10月20日付)で「刑事裁判における裁判所の判断において野津純一は心神耗弱とされており、その供述を全て正しいとすることは妥当ではない。事件一週間前の根性焼については、野津純一の供述でしかなく、それは妄想や幻覚に基づくものである可能性も否定できない」と主張しました。

精神保健指定医であるいわき病院長渡邊朋之医師は「患者から根性焼という自己申告がなければ診断できない」と弁明をするすぐ傍から「心神耗弱者である野津純一の発言は信用できない」と逃げ口上を重ねております。これでは精神科専門医として機能と責任を果たせる筈がありません。責任逃れの詭弁としか言いようがありません。


3)、いわき病院にダメージ

いわき病院は一貫して「事件が起こる前1週間に、主治医の渡邊だけでなく、病棟職員、外来看護師、など多くの人が野津を見ているが顔面の傷は確認していない。事件1週間前に野津純一の頬に根性焼の痕などなかった。渡邊医師と、医療スタッフの誰も野津純一の顔面にタバコの火傷の瘢痕は視認していない。顔面に負ったタバコの火傷であり、それも一度でなく数回となると、いわき病院の職員が誰もこれについて指摘してないのは全く不可解である」とまで言いました。野津純一の顔面に根性焼の瘢痕が無ければいわき病院の精神科医療の正統性は裏付けられます。しかし、多数の根性焼が顔面に存在します。なぜ、いわき病院は患者の顔面の変化を見逃したのでしょう。いわき病院が言う「全く不可解」であるという主張が、いわき病院の信用を傷つけます。


4)、いわき病院は患者の顔を見ない?

いわき病院は第5準備書面(平成20年8月25日付)で『被告病院職員の誰一人として目撃等確認した者はいない。本件の数日前からいつものとおり看護師は野津純一の表情を観察しているが、頬に火傷の痕を認めた看護師はいなかった。看護師が入院患者の表情を観察することは、精神科看護の基本であり、比較的注意して観察するものである。このような連日の看護師による表情観察において頬に火傷の痕を認めていないということは、本件事件数日前から野津純一が捜査段階で供述した「根性焼」の事実が実は存在しなかった可能性が高いと言えるものである』と証言しました。

いわき病院にとって問題の本質は深刻です。「看護師が入院患者の表情を観察することは、精神科看護の基本」とまで言い切った上で、野津純一の顔面にある複数のタバコの火傷の瘢痕を見逃し、本来あり得ないことが発生していました。『医師も看護師も入院患者の表情が出ている「顔を見ない」という実態がいわき病院には現実にあった』としか言いようがありません。野津純一の精神鑑定書には、野津純一の言葉として、「いわき病院の職員は、最初は自分に親切であったが、次第に声もかけてくれなくなった。優しく声をかけてくれていた女の職員も、自分が傍へ行っても、知らん顔するようになった」と記述されていました。あまりにも非常識で、にわかには信じられませんが、証拠を積み上げると、「患者の顔を見ない、いわき病院の精神科医療の実態」が浮かび上がります。


5、目的は精神保健福祉の改善

民事裁判の目的は、いわき病院の精神科医療に医療過誤があったのか否か、また過失責任を問える「結果予見性と、結果回避可能性が、あったのか否か」です。そして、私たちはその先に、日本の精神保健福祉の改善を展望しています。


1)、患者を観察しないことは許されない

根性焼の議論を経て「そもそも、いわき病院は入院患者の状態をきちんと観察して、責任ある診療をしていたのか」が問われました。精神科医療で処方変更をして治療の結果を予見するにしても、患者の状態の変化に対応した(予想される悪い)結果を回避する対処を取るにしても、正確な患者の状態の観察があってこそです。野津純一が顔面の左頬につくったタバコの火傷の瘢痕は、それを「根性焼と呼ぶ、呼ばない」または「真皮にまで達する重症か軽症なのか」という問題ではありません。いわき病院は野津純一の左頬の火傷という異常に気がついて、適切な医療対応をしなければなりませんでした。「入院患者の顔面の異変を観察せず診察もしないこと」がそもそも過失です。


2)、結果予見性と結果回避可能性

(1)、結果予見性と結果回避可能性を放棄した診療
  いわき病院長の渡邊朋之医師は野津純一を診察したときに「古い鈎状の瘢痕を見た」と証言しましたので、野津純一の顔面に「新しいか古いか、また形状の如何」はともかくとして「瘢痕」があったことは認めました。その時に渡邊医師は「なぜその瘢痕が患者の顔面に発生したか」原因を追及していません。裁判では後付の理由として、36才の男性の左頬だけにある「ニキビ跡」と言いました。医師として患者の顔面を正確に見ずに診断しない、結果予見性と結果回避可能性という対応をとる事を放棄した無責任な診療活動です。

(2)、根性焼を発見しておれば
  野津純一はいわき病院の入院患者ですので、毎日病院スタッフが接触して、患者の様子を目で確認して、状況の変化を観察しているはずです。いわき病院も「それは基本」と言います。それにも関わらず、野津純一の顔面で、生じては消え、数と場所が移動する瘢痕を記録したいわき病院職員は誰もおりません。いわき病院では「入院患者の顔の異常に気がつかないほど患者を放置していた」と結論せざるを得ません。素人以下の、精神保健指定医と精神科専門医療機関の不始末です。根性焼を発見する医療と看護であれば「殺人事件という結果を回避する可能性があった」でしょう。いわき病院は結果予見性につながる予見をせず、結果回避可能性があるにも関わらず回避措置を取ることもありませんでした。

(3)、根性焼を見逃したから
  いわき病院は「根性焼の見逃しは重大な過失である」と自己認識して、責任回避だけを考えて盲動しています。いわき病院が自らの間違いを認めて、自らを正す姿勢を見せれば、患者の状況に対応した、不幸な事例の発生を抑制するための、結果予見性と、結果回避可能性が期待できます。そして精神障害者の社会復帰と自立を促進する医療機関として再生する未来を期待できます。しかしながら、現実のいわき病院は自らの過失を隠蔽することに汲々として、健全な精神科病院として再生する可能性を期待できません。

いわき病院は過失責任を負わされるべき理由があります。いわき病院は不真面目であるが故に患者の火傷行為を観察していません。そして、火傷や根性焼の記録が診療録にないからとして裁判で過失責任を免除してはなりません。無責任な精神科医療が無責任であるが故に責任を回避できるとしたら、社会正義と、公序良俗に反します。


3)、日本の精神保健福祉の再点検

私たちの民事裁判の本当の目的は損害賠償請求ではありません。私たちはこの裁判を日本の精神保健福祉の改善と改革の礎にしたいと希望します。

日本の精神科医療が改善され、優良な治療が全ての精神障害者に享受されるためには、その一歩として「いわき病院の医療過誤と過失責任は明確にされなければならない」と考えます。「いわき病院の事例は氷山の一角」という励ましの言葉を沢山いただきます。日本で精神障害者の社会復帰と自立の傷害となっている本当の要因は何かが問われます。いわき病院事件裁判の課題は、日本の精神保健福祉を社会制度の枠組みを改善するという視点で再点検をする端緒となることです。


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