いわき病院の精神医療の問題点
本編は平成19年10月31日の法廷に向けて原告が準備した意見陳述書の要約版です。原文は本分及び資料編で約200頁ですが、引用文献などを削除し個人名は被告を除いて配慮しましたが、事件の本質といわき病院の問題点などはより鮮明になっております。
はじめに
私たちの長男矢野真木人(享年28才)は平成17年12月6日に高松市内のショッピングセンターの駐車場で、近くの社団以和貴会いわき病院に入院していて、社会復帰の為の訓練で病院から許可を得て外出していた、重度の統合失調症患者の野津純一に台所用の万能包丁で刺されて通り魔殺人されました。事件直後の記者会見では「病院から許可を得て外出していた、遺族に申し訳ないことをした」などと発言していた野津純一の主治医であったいわき病院長渡邊朋之医師はその後、「許可外出ではない、自由意思で出ていた、野津純一の統合失調症はいわき病院の治療で寛解していたので、精神障害でない人間の犯行である。また反社会性人格障害は認められない、殺人事件が発生したのは結果論で、遡っていわき病院の責任を問うことはできない、いわき病院が謝罪することはない。遺族の逆恨みだ」などと言って責任を認めません。私たちはいわき病院に通院したこともお世話になったこともありません。精神障害でない人間を入院させていた精神科病院とは何でしょう、主張がまるでおかしいのです。めちゃくちゃです。
いわき病院長渡邊朋之医師にとって、反社会性人格障害の診断をしなかったことは、精神科専門医(精神保健指定医)として重大な問題であるという認識があるようです。このために執拗に、野津純一には人格障害は認められない、刑事裁判における精神鑑定で指摘された反社会性人格障害の診断は誤診である、などと主張しています。そして次のように証言しました。『鑑定は、本件犯行を被告野津の「人格荒廃」によるとも指摘しているが、これも妥当ではない。被告野津の「人を刺したい殺意」は、過去の他院での診療録から昭和62年(18才)より時々医師との面接で述べられており、「殺したい」という考えは医療記録を見る限り、ここ数年、特にいわき病院に入院してから生じたものではないと判断することが可能である。被告野津は、「通りがかりの人を殺す」等とも述べており、精神症状が消失しない憤りを不特定の通行人に向けていたものと推察することもできる(ただし、これは現時点ですべての記録を参照しレトロスペクティブに考察することによって初めて推察できる内容である。)。「統合失調症の慢性経過」により「反社会性人格障害」となったのではなく、発病の当初から認められる被告野津本人の殺人衝動であり、鑑定に述べるような統合失調症による人格荒廃によりもたらされたものではないと判断するのが相当である。』
渡邊朋之医師は、「刑事裁判の鑑定は間違い」と主張することが目的です。ところで、渡邊医師がこだわって否定する「人格荒廃」とか「反社会性人格障害」などに関する鑑定の妥当性の可否を問わないでこの文章を読むと、いわき病院長渡邊朋之医師は「レトロスペクティブに考察すれば、発病の当初から認められる野津本人の殺人衝動がある」と言っています。この民事裁判で証言を書いた時点では、「野津本人の殺人衝動は発病の当初からあった」と精神科専門医(精神保健指定医)として結論を導いていました。本当にレトロスペクティブな問題でしょうか。私たちが提訴したのは、日本の精神医療の質の問題を問いかける裁判です。いわき病院は香川県では最優良精神科病院の筈です。いわき病院を通して日本の現実と課題を明らかにしています。
目次
- 1、いわき病院の野津純一の病歴調査
2、渡邊朋之医師の資質と野津純一の診断
3、野津純一に対する攻撃性治療の必然性
4、野津純一の精神病治療の問題点
5、野津純一に対する作業療法の効果
6、いわき病院の精神科医療の本質を問う意味
7、矢野真木人の主張
8、ローマ法の叡智
1、いわき病院の野津純一の病歴調査
1) いわき病院の主張は「家族からの問診で説明されてない」
いわき病院の野津純一の病歴や過去の行状に関する主張は「家族からは聞かされていない。聞いてないものは知りようがない」である。野津純一の病歴に関して私たちが「野津純一は、中学卒業後の昭和58年4月頃から、統合失調症、強迫神経症などの病名で複数の精神病院で通院治療を受けていた」と指摘すると、いわき病院は「『野津純一の病歴』について不知。ただし問診において家族より聞いている」と回答した。また一方では過去の他の医療機関における診療歴に関しては、「これまでのいずれの病院や医院の診断でも、過去の通院歴と症状に関してその全てを不知」としていた。
いわき病院は「問診で家族から聞いている」と言ったにもかかわらず、『少なくとも被告野津の発病から近くで見てきた両親からの的確で正しい情報がなければ、診断と治療、適切な処置をすることは難しくなるのである。しかしながら、今回の裁判において初めて見ることができた過去の他院での診療録には、被告野津本人及び両親が主治医である渡邊朋之に対し当然伝えるべきことが半ば抜けていたことが判明した。』また 『他害のおそれは」、どのような精神障害者にも現れるわけではないが、衝動的、突発的に何ら予兆もなく過去におこった他害のおそれを治療に託す医師に伝えることは、長期罹患で幾人もの医師が変わっているケースでは最も重要なことであると考えられるが、紹介状にその旨記載されていない場合、受診時にそのようなエピソードを知り得るのは、唯一患者本人と家族の説明しかない。ところが、被告野津の症例では、それがまったくなされていないのであるが、これは翻って考えれば、紹介状の不記載と相俟って、実は過去の被告野津の精神症状が具体的危険性を有するものという切迫感がなかったということを示す証左とも考えられるのである。』と主張した。いわき病院は目先の責任逃れにこだわって、事実と矛盾する発言を繰り返しており自らの信頼性を著しく傷つけており、このような主張を繰り返す渡邊朋之医師が人間の心を治療する立場にあることを残念に思います。
2) 自宅火災と放火の可能性
私たちが「昭和61年10月には野津純一自宅火災を起こした(放火と思われる)」と指摘したことに対して、いわき病院は「野津が16歳時に母親と口論し自宅で火事となったことは、両親から聞いている」と回答した。いわき病院は、野津純一が原因者となって自宅火災が発生していたことは両親の証言を聞いて承知していた。精神障害者の場合、放火と弄火および自傷他害行為などのエピソードは診断の際の重要な要素であり、両親が「自宅火災」と発言した事を元にして、いわき病院側から積極的に自宅火災以外の問題行動のエピソードのあるなしを質問して、詳細な調査をする必要性は、精神科臨床場面においては常識であり、最も基本的なことをしていない。
3) 香川大学付属病院ナイフ持ち込み事件
私たちが「10年前に、香川医科大学入院中に家から包丁を病院内に持ち込んだ騒ぎを起こした」と指摘したことに関連して、いわき病院は「両親、及び野津本人もそのようなエピソードを語ったことは一度もない」また「香川医大からの紹介状にその旨の記載は全くない」と回答した。そして、『民事裁判で入手した資料を見れば、香川大学の診療録では、昭和62年、野津が18歳の時に「いいがかりをつけたら刺してやる」と発言したエピソードをはじめ、親同席の面接においても「他者を殺す」という記載がある。また、香川大学付属病院にナイフを持参して当時の主治医に会いに行くなど他害の可能性のある行為があった等の事実記録が認められる。しかしながらこれらの事実は、いわき病院受診時に野津本人及び両親から主治医の渡邊朋之院長に対して一切伝えられていない。』と主張している。
ところが、平成17年2月14日診療録では、野津純一は主治医渡邊朋之院長に対して「25歳の時に一大事が起こった」と証言していた。またその時の主治医の名前を渡邊朋之医師自らの手で記録している。渡邊朋之医師は2月14日の時点では具体的に「香川大学付属病院にナイフを持参した」とまでは記述していない。しかし、本人が「25歳の時(すなわち香川大学で)一大事」と発言したので、主治医はその一大事の具体的事実関係を詳細に確認するべき義務があった。また平成17年4月27日の診療録に添付された、退院に向けての教室参加記録では「再発時は突然に一大事がおこった…。と話される」と記述されている。この時点においても、野津純一が言う「一大事とは何であったか」、また「再発時とはどのような状況であったのか」などを詳しく聴取して、野津純一の精神医学的な行動をいわき病院長は慎重に見極める必要性があった。
4) 精神科医師として病院としての怠慢と不作為
私たちが「3?5年前に、当時通院中の香川県庁前のY医院前の街頭で無関係な通行人にイライラしてぶつかり喧嘩になった」と不特定の他者に対する攻撃性があった事を指摘したが、いわき病院は『Y医院からの紹介状には当該エピソードの記載は全くない』と回答した。
野津純一の父親は平成16年9月21日にいわき病院でH医師から入院前の問診を受けているが、その際に過去の暴力行為や近隣の民家にニワトリの声がうるさいと言って怒鳴り込んだ行為およびY医院前で通行人に大げんかをしかけた履歴を話した。いわき病院には、「野津純一には他者それも不特定の相手に対する暴力的な傾向があること」が事前に伝えられていた。更に、野津純一がいわき病院内で平成16年10月21日に看護師に対して暴力行為という他害行為を行った時に医大の医師名を話していた。渡邊朋之医師が香川大学病院ナイフ持ち込み事件とY医院前の暴行事件に関して「野津本人から一切伝えられていない」とするのは、精神科専門医(精神保健指定医)として怠慢である。渡邊朋之医師は、病院としての診療の建前としては「問診において家族より聞いている」と言うが、いざ実際に問診で事実に関連した情報が与えられてもそれについて追求せず、「聞かなかった」という認識で、患者の過去の履歴について精神治療の重要な要件として深く考察してない。主治医渡邊朋之医師には、患者である野津純一の生活歴を十分に調査しない不作為があった。渡邊朋之医師の姿勢では、野津純一本人およびその両親がいくら情報を提供しても、また渡邊朋之医師本人が診療録に記録しても、あるいは診療録にスタッフからの注意喚起の記載があっても、真実と結果の重大さを十分に理解することなく放置していた。
ところで、いわき病院長渡邊朋之医師は『過去に当院でも暴力沙汰を起こしそうになったのは事実ですし、家族の方からも「Yクリニックへ通院している途中で、止めてあった自転車を蹴り倒した」という話も聞いていますから「野津さんに暴力的な素養が全くないとは言えない」ことも事実です。』と事件直後に証言していた。何のことはない、渡邊朋之医師は、既に「家族から聞いていた」と認めていたのである。その上で、民事裁判の証言では改めて「両親が主治医である渡邊朋之に対し当然伝えるべきこと半ば抜けていたことが判明した」と発言したり、両親をY医院と言い換えたりして、強弁しており、呆れた主張である。渡邊朋之医師は精神科専門医療機関としての怠慢と不作為を、「野津純一の両親の説明不足」として責任転嫁した発言をしているだけである。
「誰でも良いから人を殺してやろう」という明確な殺意を持って犯行に及んだ精神障害者の野津純一には「矢野真木人を通り魔殺害した」責任がある。自ら持った殺意を病院に責任転嫁することはできない。しかし私たちは、野津純一の両親には哀れみを覚える。野津純一の両親はいわき病院に十全な医療を期待したが、いわき病院が不作為と過失および錯誤に基づいた医療を息子純一に行い、その結果殺人者になるまで心が荒廃するに任せ放置されたという理由で、人間の心を治療する精神科病院である、いわき病院医療に名誉を傷つけられた被害者である。
(参考)
(1) いわき病院内での暴行
野津純一は平成16年10月21日の朝7時頃いわき病院内で男性看護師に殴りかかった。その時の問診で、医大の元主治医に野津純一が執心していた事実、およびいわき病院看護師に警戒感があることを野津純一自身が認識していた事実、が記録されている。野津純一が25歳の時に、当時医大で主治医のところに包丁を持って行き「一大事」を起こしていた事に関しては、平成17年2月14日に野津純一本人から主治医である渡邊朋之医師に伝えられていた。いわき病院には歯科が併設されているが、歯科の毎月の治療では野津純一が暴力行動をするため抑制器具を使用して看護師介助のもとで治療していたことが開示されたレセプトに記述されていた。
(2) 主治医が渡邊朋之医師に変更されたときの問診(平成17年2月14日)
平成17年2月14日に主治医は渡邊朋之院長に交代して問診をしたが、野津純一は主治医である渡邊朋之医師に「25歳の時の一大事」、また「プロレスなど格闘技が好きであること」を本人の情報として伝えていた。野津純一の身長183センチ90キロ以上という体格で格闘技を好み、過去の凶状に関する情報やいわき病院内の度重なる暴行行為があれば、精神科医師は当然の義務として、万が一、暴力行為に及んだ場合の体力的な圧倒的有利さ、ひいては「他害のおそれ」を慎重に見極めなければならないが、それを頑なに否定し続けている。
2、渡邊朋之医師の資質と野津純一の診断
いわき病院が法廷に提出した「精神障害者の人権、国際法律家委員会レポート、明石書店」は、いわき病院が抱える精神医療の問題点を評価する上で、重要な資料である。そこには、日本の精神医療分野における人材の問題として「院長や看護師が精神科の経験をもたなかったり(P.31)」とか、精神科医師の養成に関して、「いくつかの大学には、優れた中心的人物はいるが、包括的サービスに向け、一貫した精神科トレーニングを行うという総合的な考え方はない(P.45)」と記述されている。さらに「高度の学術レベルの教育は、いくつかの大学センターで、精神科医、心理士、その他の人々に行われている。しかし、その教育は地域医療、あるいは精神医学の公衆衛生的側面を志向していない。多くの若い精神科研修医は、副手として多くの臨床経験を私立病院で積む。彼らの業務の方向付けは不可避的に拘禁的、施設的である(P.59)」と指摘されている。これらは、被告いわき病医院が抱える、精神医療の質と実践という問題点、の本質を突いている。
野津純一による矢野真木人通り魔殺人事件の本質は、単にいわき病院長渡邊朋之医師の精神科医療が杜撰で未熟であるのみではなく、その根源は日本の精神医療全体が抱える問題である。いわき病院は香川県では最初に病院評価機構に認定された優良精神科病院であるが、最優良レベルであるはずのいわき病院において、以下に指摘する精神医療上の問題が存在する。
1) 外出許可の実体
一、いわき病院長の発言の変遷
(1) 「最も程度が軽い開放病棟入院」 平成17年12月7日(殺人事件翌日)
「野津さんについては、これまでの診察状況から、病棟についても、最も程度の軽い開放病棟での入院としていました。(外出は、)近所のコンビニ等でも買い物程度であれば、所定のノートを本人が記入すれば、特にあらたまった許可を取らずとも、認めるようにしていました。ノートを確認したところ昨日(6日)は12時10分に外出しています。ただ、帰ってきた時刻の記入はありません。散歩としか記入されておらず、正確な行き先は判りません。」
(2) 「社会復帰訓練中」 平成16年12月8日
「患者さんに社会復帰の訓練というか、実地訓練をしてもらうための、(外出は)コンビニとか行くくらいの時間内で許可をしていたものですが、40回以上の外出の時も、いずれもこういう対人的なトラブルは一切なかった人なので、予測がほんとついてなかったと…」
(3) 「トラブルはなかった」 平成17年12月8日
「『自由な外出』とはいっても外出できるのは平日の午前9時から午後5時までの間で2時間以内と決めていましたし、外泊や遠距離への外出については当然ながら、別個に私の許可を必要とすることにしていました。外出の際には野津さん自身が「外出時刻」「帰院時刻」を備え付けのノートに記入するように指導しておりました。ノートについては昨日コピーを提出していますが、今年に入ってからのノートの記載を確認したところ50回近く外出しているものの、今回の事をのぞきこれまでに「野津さんが病院外でトラブルを起こした」という報告は一度も受けていません。」
(4) 「訓練中ではない」 平成18年7月31日
「外出訓練中は否認する。単に『外出中』が正しい。訓練中ではない。」
上記により、いわき病院長で野津純一の主治医である渡邊朋之医師の認識と日常の実践は次の通りであった。
(イ) 野津純一の外出は、「患者さんの社会復帰の訓練というか実地訓練」と認識していたが、民事訴訟を提訴されて、『単に「外出中」が正しい。訓練中ではない。』と発言を変更した。
(ロ) 病院の記録では、「40回以上(50回近く)の外出の時も、いずれもこういう対人的なトラブルは一切なかった人」と証言した。(この40回以上の外出はいずれも両親などの付添の外出・外泊で、事件を起こした単独外出の記録では無いことが判明している。)
(ハ) 日々の外出は「自由な外出であり、外出時刻と帰院時刻を記入すれば良い」、と証言した。
(ニ) いわき病院の外出管理記録は、病棟看護師が事後にノートを見て、外出の記録を確認する程度であり、危機管理に乏しい運用であった。病棟看護師は逐一の状況を把握していない。
二、いわき病院の外出規則
いわき病院はアネックス棟に入院した野津純一の場合、外出の際には「外出簿に記入の後に看護師に伝えること」が条件となっているが、いわき病院長の証言では「看護師に外出を伝える」という規則が励行されてない。また「院外外出」と「病棟からの外出(院内フリー)」が明確に区別されていないので、「単に病棟から外に出るだけとして外出簿に記入せずに病棟外に出る行為」と、「いわき病院から外に出る外出行為」を担当看護師が区別できない。更に、外出の際に使用するエレベーターや階段が指定されてない。アネックス棟には独自にエレベーターと階段が設置されており、野津純一にはエレベーターの暗証番号が不用意に教えられていた。このため、わざわざ別棟の本館まで行って第2病棟のナースステーションの前を通ることなく、エレベーター稼働時間内には自分の意思で自由に病棟外に出ることが可能であるという構造上(安全上)の欠陥がある。
いわき病院長は「自由な外出」と言うが、アネックス棟入院のしおりでは、「散歩、外出、外泊については治療目的の範囲内である」ことが明記されている。そもそも自由な外出を被告病院長が主張することは、精神科病院である被告病院の機能を否定する行為である。
2) 平成16年10月21日の隔離措置
一、いわき病院長の証言
渡邊朋之医師は「野津純一は暴言は吐いたが、職員に対して暴力は振るっていない」と固執している。そしてその原因は「不潔強迫状態が強まり」と発言した。また野津純一を隔離した根拠は「職員等に暴力は振るっていないものの、そのおそれを感じさせるような暴言が見られたため」としている。「暴言があったとして、実際の暴力行為は無いのに、行動制限という隔離措置を取った」と再三再四にわたり証言したが、どのような暴言であったかについては具体性がない。
二、O准看護師の陳述
『平成16年10月21日のことです。この日、私は、前日の夕方から夜勤の勤務に就いていて、朝方、2病棟の詰め所で歯磨きをしていたところ、右後方からドタドタと人が走り寄ってくる足音が聞こえました。私は、音の方を振り向いたところ、野津さんが凄い勢いで、近くまで迫ってきていたのです。私は、咄嗟でしたが、殴りかかってくると感じましたので、少しうつむく様にしたところ、野津さんが飛びかかってきて、その場で2人とも床にひっくり返りました。実際に殴られたのではありませんでしたが、飛びかかられた状態になって、その場にひっくり返ったのです。床に転がってからは、暴力を振るってくる様なこともなく、野津さんは直ぐに起きあがって、私から離れて詰め所から出て行ったのですが、詰め所から出る前に、アメリカ人が相手を挑発する時にする中指だけを立てる格好をして逃げていきました。この時、確か詰め所には私一人だけだったので、同僚の看護師や当直の医師に連絡して、野津さんの行動を報告したのです。医師の判断で、閉鎖病棟である6病棟のPICUに転棟することになりました。PICUというのは、隔離室のことです。』
O准看護師は、「野津純一に飛びかかられたが、野津純一と言葉を交あわせていない」ので、野津純一は「暴言をはいた」ことにはならない。野津純一が暴力を振るったか否かについては、「野津さんが飛びかかってきて、その場で2人とも床にひっくり返りました」と証言しているので、「飛びかかり行為」の結果としての「2人の転倒」が事実としてあった。O准看護師は「転倒した後では、引き続いて暴力は振るわれてない」と証言しているが、「飛びかかり」と「転倒」が暴力では無いと否定する証言ではない。「不意に飛びかかる」という暴力行為があり、「暴言はなかったが、暴力を受けた」のであり、渡邊朋之医師のこだわりと矛盾する。
三、暴力行為の予見性と隔離を目的としたPICUの使用
いわき病院長は「暴言があり暴力行為のおそれを感じさせた予見性だけで隔離措置を取った」と発言した。このような強制的制限が「医療上の問題としてではなく、証拠も提示されない暴言だけで、暴力の予見性があるとして行えるのか」については、疑問がある。暴言とされる発言については、医師への不同意などの言葉も、誤解されて暴言とされる可能性もあり得るので、精神障害者の人権を守るという観点からは、医学的医療的な根拠が明確にされる必要がある。
精神科病院の入院施設は急性期治療病棟と療養型病床群に分けられる。急性期治療病棟(PICU)は、急性期と慢性期では求められる精神医療の質・量が全く異なるため、急性期において重点的なチーム治療を行い早期の退院、社会復帰を行うことを可能にするため、1998年4月の診療報酬改定の際に創設された。療養型病床群に比べて看護スタッフの割合を多くとること、入院期間が平均3ヵ月以内であることなどが義務付けられ、そのかわり診療報酬が高く設定されるシステムである。PICUは精神症状が極期にある場合(急性期)に本来適用されるべき施設であり、純粋な利用目的は「安静の提供」である。通常の状態では、人間は自分にとって必要最小限の情報を取捨選択して行動をしている。テレビがついていても、ラジオが鳴っていても、太陽の光が差し込んでいても、気にも留めず、新聞を読みながら(意味を理解しながら)、朝食を摂ることができる。しかし、精神病の急性期には全ての感覚が情報として入力されるため「何が何だか分からない」状況に陥る。これを改善するには、まずは「情報を遮断すること」であり、PICUは外部情報から物理的に遮断された病棟であり、精神医学的な見地からの必要性に基づいた施設である。
O准看護師は「PICUというのは、隔離室のことです」と発言しているが、PICUは「隔離室」ではない。PICUを隔離室と表現するのは、医療専門用語ではなく、一般的な形容である。O准看護士がこのような表現をすることは、いわき病院のPICU取り扱い実体を現すものである。いわき病院ではPICUを治療機能を元にして使用するのではなくて、刑務所の懲罰房の機能と同じような意味合いで使用している実態が窺われる。精神科臨床では専門的知識の裏付けを基にして、PICUが設置されて使用されるが、この施設は、一見すると「刑務所の独房」と同じような形態であり、このためにいわき病院では病院長自ら「隔離室」と認識しているように思われる。平成16年10月21日から26日まで野津純一に対して懲罰を目的としてPICU隔離措置が採られていた。
精神障害者の人権を考慮すれば、「PICU(精神科急性期病棟)の適用」に関しては「慎重かつ厳密な手続き」が行われる必要がある。患者をPICUに収容するには「精神症状の治療を目的とした十分に客観的な精神医学的な裏付け」が不可欠である。ところが、いわき病院では、単に懲罰を目的として刑務所の懲罰房のような目的でPICUが使用されているという実態をいわき病院長が発言した。これは精神医療の本質から外れている。また「暴力行為のおそれを感じさせた予見性だけで行動制限という隔離措置を取った」という証言は、精神保健指定医としての資質を疑わせるものである。いわき病院では野津純一に対してのみならず、他の患者に対しても、治療を目的としない、懲罰としてのPICU隔離などの非人権的な行為が行われているのではないかと、疑わせるに足りるいわき病院長渡邊朋之医師の発言である。
四、隔離する際の治療根拠と基準
いわき病院が提出した国際法律家委員会レポート(P.64)には「司法上の問題」として、「ひとりの人間を、非自発的患者として精神病院に収容させるかどうかの決定を下し得るためには、とりわけ鑑定が行われなければならない。つまり、患者保護の必要性、自傷のおそれ、他害のおそれ、患者の自己保護能力の鑑定である。」と記述されている。これは、患者を非自発的に精神病院に入院させる際の基本的な要件であるが、任意入院患者に隔離処分をする際にも有効な勧告である。主治医は、患者の自傷他害のおそれを必ず見極めて、その上で適切な個別治療計画に基づいて、患者の隔離措置を行い得るのであり、懲罰目的は要件ではないのである。また隔離を行ったときには、医学的根拠を示す記録が必要である。
国際法律家委員会レポートは更に「精神病者の人権」の項目で、次の通り記述している。
- 患者は、最も制限の少ない状況の下で、個別の治療計画に応じて適切で人間的な処遇を受けるものとし、この治療計画は、可能な限り患者と、また適当ならば、患者の親または後見人とが参加した上で作成され、かつ定期的に審査されるものとする。(P.88)
- 精神病者が本人または他の者に対して身体的脅威となる場合には、患者が反対しても、医学的及びその他の治療を施すことが必要とされると認められるが、これは危険な行動を防止するためのものである。(P.93)
- 拘束は医師の書面による命令に基づいてのみ行われるものとする。拘束は、医師が患者を直接に診療検査し、患者が本人または他の者に身体的危害を加えることを防止するために拘束の使用が正当化されるとの臨床条件を満たす場合にのみ命じられるものとする。(P.93)
- 拘束及び隔離の使用に関する権利の正当化の根拠はほぼ同一である。拘束及び隔離の濫用は多数報告されており、拘束及び隔離は治療目的のためにみ用いられるものであり、患者の処罰や規律のため、あるいはスタッフの便宜のために用いられてはならないことを保障する明確な基準を明らかにすることが必要とされている。(P.93)
- 隔離は、患者が自分自身または他の者に身体的危害を加えることを防止するための治療的手段としてのみ用いることができる。いかなる場合でも、隔離を患者の懲罰や規律のためだけに用いたり、スタッフの便宜のために用いられたりしてはならない。(P.95)
国際法律家委員会が隔離を実行する際の条件としている要s点は、以下の通りである。
- 隔離の目的は、患者が自分自身または他の者に身体的危害を加えることを防止するため。
- 隔離は、治療的手段としてのみ用いることができる。
- 隔離を、患者の処罰や規律のため、あるいはスタッフの便宜のために用いてはならない。
- 患者は、個別の治療計画に応じて適切で人間的な処遇を受ける。
精神障害者が患者として入院中は、医師、看護師、臨床心理士、作業療法士、薬剤師、精神保健福祉士などによるチーム医療が行われ、カンファレンスを行いスタッフ間で意見交換が頻回に行われるべきである。また薬物療法などにあたっては根拠に基づいた医療が行われるべきである。ところが、いわき病院が法廷に提出したカンファレンス報告書では(全ての情報を法廷に提出したはずであるが)野津純一の自傷もしくは他害に関する可能性について全く検討されていない。いわき病院では、治療目的ではなくて懲罰を目的としてPICUを隔離室として使用している実態があり、治療計画上の欠陥があることを示す根拠となる。渡邊朋之医師は「野津純一は任意入院患者であり、他害行為の可能性を考えることは人権侵害である」と主張したが、自ら、野津純一に他害行為の可能性があることを全く考えずに、隔離措置を行っていたことを証言した。いわき病院における患者の隔離措置は、患者の懲罰が目的であり、患者治療の一環ではないのである。
五、隔離をする法的条件
厚生労働省告示「精神病院に入院する時の告知等にかかる書面及び入院等の届出等について」(平成12年3月30日、障精第22号)の様式8の「隔離を行うに当たってのお知らせ」には次の通り記述されている。
ア、 他の患者との人間関係を著しく損なうおそれがある等、その言動が患者の病状の経過や予後に悪く影響する場合。
イ、 自殺企画又は自傷行為が切迫している状態。
ウ、 他の患者に対する暴力行為や著しい迷惑行為、器物破損などが認められ、他の方法ではこれを防ぎきれない状態。
エ、 急性精神運動興奮等のために、不穏、多動、爆発性などが目立ち、一般の精神病室では医療又は保護を図ることが著しく困難な状態。
野津純一は平成16年10月21日の朝、O准看護師によれば「飛びかかって来て転倒させ、その直後に、アメリカ人が相手を挑発する時にする中指だけを立てる格好」をしていた。このため、野津のこの日の行動は、上記のア、およびウ、に該当していたと考えられ、隔離措置をとったことそのものは不適切であったとは言えない。しかしながら、ウ、については「他の方法ではこれを防ぎきれない状態」であったか否かについては多少疑問が残る。
問題は、いわき病院長の「暴言はあったが、暴力行為はなかった」とする点である。該当するのはア、であるが、この場合、医師の恣意的な判断に大きく影響される。更に、O准看護師が証言しているとおり、懲罰が目的であったことは明確であり、渡邊朋之医師に患者の治療を目的とした「言動が患者の病状の経過や予後に悪く影響する場合」という認識が乏しかったところが問題である。
3) 左頬の傷
一、頬の傷を治療せずに放置した
野津純一の左頬にあった傷に関して、渡邊朋之医師は「最初に野津純一を診察したときに、左頬に傷があった」ことは認めたがその傷が発生した原因について問診で聞いてない。また「看護師から報告がなければ、主治医としては積極的に対応しない」とも発言した。更に野津純一の左頬の傷は「目立たないときがあった」と言い、左頬の傷は「(時間の経過とともに)目立たなくなって、消失した」とは言ってない。これは、「傷の治癒が進んで消失しかけていたり、また新しい自傷行為により傷口が広がったり、を繰り返していた」と証言したことになる。野津純一は平成16年10月1日から平成17年12月7日まで14ヶ月余りいわき病院に入院していたが、その間に、いわき病院が頬に傷を認めていたのに、原因を究明せず治療せずに放置していた、のも驚きである。
二、左の頬に傷があったことが本質である
渡邊朋之医師は『平成17年11月30日と12月3日の2回、主治医は診察室で野津との距離約1mでの面接をしているが、左頬にタバコで付けた根性焼の跡は認めていない。面接時には、左頬をタバコで焼くようなイライラの訴えは全くなかった。また、野津には、以前より左の小指で左頬から首にかけて吹き出物を掻くような仕草が頻回にみられた。また本件犯行のあった翌日(12月7目)午前10時頃、外来に降りてきた野津を外来看護師が正面間近で見ているが、このときも野津の顔面に根性焼の傷は認めていない。なお、野津の左頬の鈎状の瘢痕は入院当初から認められており、いわき病院入院時以前に院外で付いたものと推察されるが、それが根性焼きかどうかは不明である』と陳述した。
この発言で左頬の傷そのものを否定していない、しかし「タバコで付けた根性焼」は否定した。すなわち「確かに左頬に傷はあったが、根性焼とは認識していない、またその原因がタバコであるか否かについては確認していない」と主張しているだけである。「左頬の傷」という客観的な事実を事実として認める姿勢ではなくて、「言葉の認識が違う」として、無駄な争いをしている。その上で、渡邊朋之医師は「野津の左頬の瘢痕は入院前から付いていたものであり、平成17年12月3日の面接時に直前で見た被告病院長は、その瘢痕が古いものであることを確認している。決して、新しいタバコによる火傷の跡ではなかった。また翌4日10時頃に、野津を直前正面から見た外来看護師も、古い左頬の瘢痕は見ているが新しくついたタバコの火傷はみていない」と発言した。そもそも、いわき病院長は野津純一に過去の問診でも左頬の傷についてそれができた原因を聞いておらず、「タバコの火傷はみていない」と発言することは論理矛盾である。渡邊朋之医師は「タバコの火傷」と認識していないので「タバコの火傷はみていない」は予断でしかない。渡邊朋之医師証言の本質は「野津純一の顔面の瘢痕は入院前からあった。その瘢痕は目立つ時と目立たない時があった」である。すなわち、「14ヶ月の間、顔面の瘢痕は消えずに、大きく見えたり小さくなったり、消失しかけたり再度傷が付いたり、していた」。私たちは刑事裁判の間、野津純一の顔面の瘢痕を観察したが、事件後半年後にはほぼ消失していた。これは野津純一がいわき病院に入院していた間ずっと、継続して顔面に傷を付けるという自傷行為があったことを示している。
4) 野津純一に対する診断
一、統合失調症と強迫神経症
渡邊朋之医師は野津純一を自ら最初に診察した平成17年2月14日にはSc suspected(統合失調症の疑い)と記述していた。そもそもいわき病院長渡邊朋之医師は野津純一が統合失調症であることに関して最初から正確に診断できてない。野津純一の診断に関する渡邊朋之医師の証言は、「統合失調症」→「統合失調症と強迫神経症」→「統合失調症と強迫神経症で、あくまでもメインは強迫神経症」→「統合失調症を示す数値は低い」と証言自体が変動している。いわき病院長は「野津純一の統合失調症が完治することはほとんど無い」とした上で、野津純一の「統合失調症を示す数値は低くなっている」、また「依然として統合失調症の症状は続いている」と言って、野津純一はあたかも統合失調症が寛解しているかのように取り繕っていた。更には「精神障害でない人間が、計画的な殺意を抱き、他人を刺し殺したという事件が起きた」とも言って「野津純一は精神障害ではない人間」と断定していた。渡邊医師の発言を聞いていると、入院させていた野津純一が精神障害者であるのか否かまで判然としなくなるのである。
渡邊朋之医師が野津純一に統合失調症を判断する根拠は「幻覚、妄想等の症状」で、ICD-10(「精神及び行動の障害」WHO国際診断基準書)のF20.0妄想型統合失調症だけを統合失調症としている。ICD-10では他にもF20.1破瓜型統合失調症、F20.2緊張型統合失調症、F20.3鑑別不能型統合失調症などが定義されているが、いわき病院長が言う統合失調症とはF20.0妄想型統合失調症だけである。そもそも、統合失調症の野津純一に緊張症状があれば、F20.2緊張型統合失調症に該当する可能性を慎重に見極める必要がある。ところが渡邊朋之医師にあっては、緊張症状があり症状が強化していれば強迫神経症の方が悪化しており、それは統合失調症が快方に向かっている要素として誤解しているような、精神科病院の管理責任者である職責の見識を疑うべき証言がある。
二、野津純一の暴力的性向を診断していない
野津純一の症状は、本来、F20統合失調症であり、その中に緊張型の要素が認められ、渡邊朋之医師が認めるとおり妄想型の要素も混在し、緊張や妄想の様相が一定せず毎日変動していた。このことは、平成17年2月14日と15日の診察時に観察された野津純一の症状の変化としていわき病院長自ら証言した。この日変動を観察したのであれば、野津純一の外出行動に関しても毎日の観察とそれに基づく外出許可のきめ細かな運用が必須であると気付くべきであるが、いわき病院長はその対応を一切していない。
ICD-10ではF20.2緊張型統合失調症の項目には「暴力的な興奮が、この状態の際立った特徴であることもある」と記述されている。渡邊朋之医師は野津純一を統合失調症として、その後強迫神経症に症状が変化していると診断するのであれば、当然のこととしてF20.2緊張型統合失調症の可能性も検討する責務がある。その際には「暴力的な興奮」の可能性を慎重に見極めなければならない。特に野津純一の場合は、平成16年9月21日に、父親が過去の暴力行動を証言し、10月21日には隔離されるだけの行動をした、平成17年2月14日に渡邊朋之医師が診察した際にも、「25歳の時の一大事」について言及していた。いわき病院の歯科では毎月のように暴力行動を抑制する器具を使用して治療をしていた。その上、いわき病院長は事件直後には『野津さんに暴力的な素養が全くないとは言えない」ことも事実です』と発言していた。本質的な状況は、いわき病院は野津純一に暴力傾向があることを知った上で、「自傷他害のおそれ」の診断を意図的に避けていたと推察されるのである。
三、連合弛緩の証言が逆転した事実
渡邊朋之医師の野津純一の連合弛緩(支離滅裂な会話)に関する証言は一致せず、正反対の証言を、時と場所を選んで行っていた。事件直後の発言と平成17年2月14日の診察記録では『連合弛緩は認められず、きちんと筋の通った話』と認識して、2月15日の診察でも、『症状が悪化しており、思考奪取の症状を訴えていたものの、連合弛緩は見られなかった』と診断していた。
渡邊朋之医師は、刑事裁判では野津純一の有罪を認定させようとする目的意識があったと思われ、「野津は物事の善悪を判断する能力はあるのですか」という質問に対して、『「ある」と判断しています。最初の方でも説明したように私が今年2月に主治医として初めて面接したときには自分自身の治療歴を詳しく説明できていますし、順序だった思考はできていると判断しました』と証言した。ところが、民事裁判が提訴されると精神科病院として責任を回避するために、矛盾する証言に転換し、「発病後約20年間有している幻覚妄想や感情の平板化、思考が一貫しない連合弛緩的状態」と証言し、「野津は、発病後10年以上経過した幻聴、妄想、精神運動興奮などの統合失調症の陽性症状より、抑うつ、感情鈍麻、連合弛緩などの陰性症状を主とする精神障害者であり、その話す内容は十分でなく、本人の思考や感情、認知の仕方に障害があり確かとは言えない。また発病後20年余りが経つので記憶も曖昧である」と言い、まるで正反対の証言をした。この変節は、渡邊朋之医師の良識と信頼性を疑わせるに十分な矛盾である。いわき病院長は医師としての証言で、自らの責任逃れだけが目的でその場逃れの発言を繰り返しており、恥ずべきである。
5) 犯行の原因や可能性
渡邊朋之医師は野津純一が逮捕された翌日には「今回の事件を野津さんが引き起こした原因は私にも判りかねます」また「いずれにせよ今回のことは当院に入院中の患者による事件であり、当院としても今後の患者の処遇等について検討しているところではありますが、これは当院だけの問題ではなく全国の精神科医が検討しなければならない問題だと考えています」と発言した。
渡邊朋之医師は、「自分の担当患者として14ヶ月院していた野津純一の精神力動について全く心当たりがない」と発言した。その上で「責任はいわき病院には無く、日本の精神科医療全体が考えるべき制度や体制の問題である」と論理を飛躍した主張をした。私どもは、「精神障害者の他害行為が日本で頻発して、その責任を取る者がいない現状は、日本の精神医療と精神障害者に関する法制度に問題がある」と認識している。しかし個別の問題では殺人を犯した精神障害者を治療した精神科病院の責任はいかなる場合にも免除されるものではない。いわき病院は患者の精神状況を客観的に把握せず、他害行為の可能性を診断せず放置した責任がある。
渡邊朋之医師は、「12月5日から6日にかけて、職員から特に異常がある旨の報告は入っていません」と証言したが、12月5日には野津純一は37.4℃の発熱をしており、主治医渡邊朋之医師ではなくて他の医師が処方していた。看護記録によれば野津純一は「しんどい」と言う言葉とともに「不安感」を訴え、殺人事件を起こした6日の朝10時には「先生にあえんのやけど、もう前から言うとるんやけど、咽の痛みと頭痛が続いとんや」と発言していた。野津純一はこの2時間後にいわき病院から許可による外出をして、見ず知らずの通行人矢野真木人を殺害した。いわき病院長は「職員から特に異常がある旨の報告は入っていません」と主張するが、野津純一は主治医を名指して、クライシスコールの声を上げていた。渡邊朋之医師は現実にあった野津純一の異常を無視して不作為と怠慢を隠す目的の発言をしている。
渡邊朋之医師は、「野津純一が退院する事を嫌がっていたこと」また「退院の話題が出ると、野津純一が『ムズムズがひどくなる』『薬が効かない』と発言すること」を承知しており、「退院が殺人事件の直接原因となるとまでは考えないが、要因の一つになり得る」と考えていた。その上で、平成17年11月7日に野津純一に第2回目の「退院の提案」をして以降、「退院はもっと先に延ばしましょうか?」と、再提案してない。それでも「退院の話が殺人の直接的な原因であると結論づけることはできない」として「殺人の原因に心当りがない」とするのは、人間の精神を治療する精神科医師としては極めて不真面目である。渡邊朋之医師は事件直後に「もう一つ気になるのは、野津さんが12月5日、6日と2日続けて同じ時間帯に外出していることです」と6日の殺人事件の前に本人が不安を感じるような出来事があった可能性を示唆していた。平成17年12月4日の看護記録によれば、12時に生理食塩水1mlをアキネトンのプラセボとして筋肉注射されたときに、野津純一は「アキネトンやろ…?」と確かめる動作をした記録があり、渡邊朋之医師の処方を疑っていた。また12月2日には「院長先生が薬を勝手に変えた」とも発言していた。更に5日の朝、野津純一の体温は37.4℃であった。渡邊朋之医師が野津純一の行動に「不安という異常を事件後に感じた」とするのは、精神保健指定医でもあり主治医でもある立場として余りにも安易である。
渡邊朋之医師は、野津純一が殺人をする原因として「人を殺せと言う幻聴」、「退院することのストレス」また「長年向精神薬を服用し続けたことによる副作用」などを可能性として上げたが、「強迫神経症については、全く無関係な人に今回のような事件を起こすのは理解しかねる」として、精神科専門医として学識の問題を露呈した。私たちは「症状として強迫症状が認められる患者は、その患者が統合失調症であるなしに関わらず(統合失調症であればなおさら)、他害の可能性を慎重に見極めなければならない」と指摘したが、いわき病院長は「強迫神経症だから、他害の可能性については理解しかねる」としている。渡邊朋之医師は、精神科専門医かつ精神保健指定医として診断技術に課題があるのではないかと懸念している。
3、野津純一に対する攻撃性治療の必然性
渡邊朋之医師は事件直後には『過去に当院でも暴力沙汰を起こしそうになったのは事実ですし、家族の方からも「Yクリニックへ通院している途中で、止めてあった自転車を蹴り倒した」という話も聞いていますから「野津さんに暴力的な素養が全くないとは言えない」ことも事実です。』と発言していた。いわき病院は「野津純一の他害行為の可能性や他者への攻撃性」に気が付いていて何も処置を取らなかったのであり、渡邊朋之医師本人の良心と責任感の問題である。自らの野津純一逮捕直後の発言があるにも関わらず民事裁判では態度を一転して野津純一に暴力的傾向があることを否定した。渡邊朋之医師の精神科専門医師としての資質、および精神障害者であっても健常者と同等の人権を持つべき人間を治療する専門職としての良心が問われる。日本ではこのような医師が存在して、病床数248の精神科病院長の職に就くことができる。日本の精神医療制度の看過できない実態である。
1) 過去の診断歴
野津純一はいわき病院には過去に外来診察を受け、2回入院し、統合失調症と診断されて、度数(3+)で高度な精神・行動上の障害が認められていた。また作業療法(OT)処方箋で「攻撃性の発散」が指示され、いわき病院は危険性を持った精神・行動上の問題を認識していた。
一、外来診察記録(平成13年4月20日)
野津純一は平成13年4月20日にいわき病院で最初の外来診察を受け、主訴として落ち着かないと幻覚妄想を記載し、ICD-10のF20精神分裂病と診断し、身体の障害は「(1+)軽度」、精神・行動上の障害を「(3+)高度」、社会環境的問題を「(2+)中程度」と評価した。
二、最初の入院時診察(平成13年6月21日)
野津純一が平成13年6月21日に最初の入院した際の診療録は、統合失調症と診断され、主訴として落ち着かない、および不安症状を記載された。作業療法(OT)処方箋には①社会復帰、⑦攻撃性の発散、および⑭日常リズムの安定化にチェックが入り、目標は④家庭内適応であった。注目すべき点は、野津純一がいわき病院に最初に入院したときの診断は「統合失調症」で、治療の課題として「⑦攻撃性の発散」が記述されていたところにある。
三、第2回目の入院時診察(平成13年11月2日)
平成13年11月2日に「F20精神分裂病」と診断し、精神・行動上の障害を「3高度」、社会環境的問題を「2中程度」と評価した。11月5日付の作業療法(OT)処方箋は⑥不安の軽減、⑧病的体験の軽減と、長期目標は家庭内適応で、精神・行動上の障害を「3高度」としていた。
2) 入院前問診(平成16年9月21日)
H医師は野津純一の入院に関していわき病院に相談に来た野津純一の父親を平成16年9月21日に問診して診療録に記載した。このことに関しては渡邊朋之医師は「平成16年9月21日、Y医院から紹介状があり野津の父親のみがいわき病院に来院したことがあった」、また事件直後には「家族の方から聞いていた」とも証言していた。ところが言葉を翻して「野津本人および両親から聞いてない」と証言している。
H医師の記録では、野津純一の症状としては、妄想はないが、強迫が目立ち、不安恐怖があり、母に強要する。また野津純一は、焦燥感があり、暴言が出る、また、過去には妄想(3+)で、暴力があり、隣家までどなり込んだ、また「父母が二人で攻めてくる」という攻撃性と過剰防御の様相が現れていた。父親が申告した過去の医師の診断は、S医師が統合失調症、K医師が重度の強迫性障害、I医師が人格障害である。野津純一の両親はいわき病院に対して、野津純一の過去の暴力行動や他人に危害を加えた過去の行状について申告していた。また人格障害の診断も伝えた。渡邊朋之医師は、過去の暴力行動および人格障害の診断があった事を承知していた。それを基に適切な対処をとることが、精神科専門医師として当然担うべき職責である。
3) 入院時診断(平成16年10月1日)
野津純一は平成16年10月1日にいわき病院に入院した。この時の診断で「F20精神分裂病」の他に「F 42強迫性障害(強迫神経症)」を付け加えたが、「身体の障害」、「精神・行動上の障害」および「社会的環境問題」については評価していない。また両親から野津純一の他人に対する暴力的傾向について言及されていたにも関わらず、作業療法(OT)処方箋では「⑦攻撃性の発散」にチェックを入れてない。いわき病院は、統合失調症から強迫神経症の方向に大きく診断を変更し、野津純一に関する攻撃性や人格障害の可能性について深く検討した様子が認められない。
4) 渡邊朋之医師の主治医交代後の診断(平成17年2月14日)
平成17年2月14日に野津純一の主治医は渡邊朋之医師に変更され、その際の詳細な問診で野津純一から過去の重大事件と反社会的行為について発言を聞いた。しかし作業療法(OT)処方箋では、「⑦攻撃性の発散」にチェックを入れてない。統合失調症の診断では「統合失調症(の疑い)」であると微妙な変化を見せ、「精神・行動上の障害」については評価してない。渡邊朋之医師は野津純一の強迫症状に強い関心を持ったが、統合失調症で強迫症状を持った患者に見極めるべき「自傷他害の可能性」について関心を示してない。
強迫症状はあらゆる精神障害に認められ、かつ極めて治癒が困難な症状である。強迫病者はある種の決断が出来ず、懐疑を伴う慢性の反芻に疲れきって耐えている状態で、それを「繰り返すこと」で安定を保つ状況にあり、強迫観念は薄れ、現実感のない単なる繰り返しにとどまるという様相を示す。人間の精神状態は常に精神力道で揺れ動いているが、環境変化を含めて種々の外的内的要因によって精神の安定を図るための反芻による防御レベルが脆弱になれば、さらなる強迫的努力が加重されて疲労が激しく、その挫折感から一気に衝動(自傷、自殺、薬物乱用、反社会行為からの暴力)といった行動化という人格障害者の持続的行動異常を示すものである。
これは精神科臨床場面における精神分析学的観点から「定説」であり、精神科専門医として当然理解しているはずである。野津純一の凶状に対して、渡邊朋之医師は『野津さんがしきりに我々医師に訴えてきていたのは、強迫神経症に関するものでした。野津さんは、いわば幻聴・妄想と共生しているような状態で、統合失調症であることが生活に支障を来すようなものではありませんでした。当院でも、野津さんに対して様々な心理テストを実施していますが、統合失調症を示す数値は低いものでした。』と述べたが、これは強迫病者の持続的行動異常を全く考慮しない発言であり、精神科専門医としての素養や精神保健指定医としての資質を疑わせる。
5) 野津純一の他害行為の危険性
いわき病院で行われた心理検査(バウムテスト、ロールシャッハ、人物画)では、野津純一は「自己本位で、他人との情緒を交流する接触が苦手であるという人格上の問題」と「他人に対する敵意や攻撃性がある可能性」が指摘された。心理テストに先立って渡邊朋之医師は「25歳の時に一大事が起こった」と本人から問診で聞いていた。また被告病院内で男性看護師に襲いかかった事実を承知し、歯科では暴力行動に対処した治療を継続していた。また、入院前の問診記録にある、「過去に暴力行動があった」とする父親の証言も承知していた。渡邊朋之医師は心理テストの結果に重大な関心を持って適切な対応をとることが求められていた。また平成17年4月27日診療録の「退院に向けての教室参加記録」に[再発の予防]として「再発時は突然に一大事がおこった…。と話される」と記述がある。これは野津純一がいわき病院に「再発時には一大事がおこるので、十分な再発予防治療を行って欲しい」と申告したに等しい。
渡邊朋之医師は「当院でも、野津さんに対して様々な心理テストを実施していますが、統合失調症を示す数値は低いものでした。ですから、野津さんの場合は、幻聴・妄想に支配される典型的な統合失調症の患者さんとはだいぶかわっているという印象がありました」と証言した。いわき病院長の関心は野津純一の幻聴と妄想および統合失調症の程度で、心理テストと退院教室で示された「他人に対する敵意や攻撃性」については関心が無かったか無視して、「再発予防」に関した治療内容の検討をしていない。野津純一の他害行動に関連して、いわき病院の作業療法(OT)処方箋では処方目的「攻撃性の発散」という治療を行ってない。ところが、平成13年6月21日に野津純一がいわき病院に最初に入院したときの作業療法(OT)処方箋では「攻撃性の発散」を治療項目としていた。いわき病院では過去の記録があり、野津純一本人の証言と行動があり、心理テストでは「敵意と攻撃性」が指摘されていた。それでも、渡邊朋之医師は野津純一の他害行為の可能性を診断せず、野津純一の攻撃性に対する治療を行わなかった。
6)、「任意入院」者は自傷他害のおそれが無い患者?
いわき病院は『本件の入院形態が、「自傷他害のおそれのある精神障害者」に対する社会防衛的要素の含まれる「措置入院」ではなく、自傷他害のおそれなど認められない患者本人の意思による「任意入院」である点は重要な判断要素とされるべきである』と主張した。突き詰めれば、精神科医療機関として、①野津純一は患者本人の意思による任意入院患者である、②任意入院患者には自傷他害のおそれなどは認められない、③「任意入院(原因)」と「自傷他害(結果)」には一方向性の関係があり、「自由意志による任意入院ゆえに、自傷他害のおそれを考えてはいけない」という因果関係論を主張している。
この論理に従えば、患者が本人の意思で任意入院すれば、自傷他害のおそれはあり得ず、患者が精神科医療機関に入院する前に、自傷他害のおそれの診断は決している。患者の精神状態を正確かつ的確に診断するのは精神科医師として独立した医療上の権限である。ところが、患者が自らの意思で任意入院すれば、自傷他害のおそれはあり得ないならば、医師は患者の意思に左右されて診断の権限を制限され、診断結果にも患者の意思が持ち込まれる。そもそも、精神科医療機関に入院する患者には精神障害が認められる。その精神障害がある者の意思に精神科医療の診断が左右されるならば、その精神科医療を信用できない論理になる。
渡邊朋之医師は事件直後に『(野津純一は)過去に当院でも暴力沙汰を起こしそうになったのは事実ですし、家族の方からも「Yクリニックへ通院している途中で、止めてあった自転車を蹴り倒した」という話も聞いていますから「野津さんに暴力的な素養が全くないとは言えない」ことも事実です。』と証言しており、「野津純一に暴力的な素養がある」ことを認識していた。ところが民事裁判では「自傷他害のおそれなどは認められない」と主張して「任意入院患者であること」を根拠にして、自らには責任が無いとしている。渡邊朋之医師はまるで論理性と整合性に欠ける空虚な自己弁護を繰り返している。いわき病院が日本では精神障害者の人権を率先して守り育てる優良な医療機関であると自ら主張するのであれば、その行動は医療的に適正な診断に基づき、適正な医療行為が行われ、また、法的にも倫理的にも整合性のある論理が求められる。ところが、いわき病院は自分勝手な論理をごり押しして、虚偽を連ねて、あたかも自らが善良な医療機関であるかのように装っている。このような態度こそ、最も非人道的な行動である。
7)、国連原則と自傷他害の診断
いわき病院は、『1991年の国連総会決議では「精神病者擁護及びメンタルヘルスケア改善のための原則」が採択され、本件措置入院のような非自発的入院は、「その精神病のために、自己又は他人への即時のまたは差し迫った危害の大きな可能性のある」場合に限って許容されるとしており、強制入院治療の要件を厳格に解し、安易な精神科病院への強制入院を許さないとの姿勢を鮮明に打ち出している』と主張した。1991年の国連総会決議(46/119)の原則16条非自発的入院は次の通り規定されている。
原則16、非自発的入院
1、患者として、非自発的に精神保健施設に入院させられ、または既に患者として、精神保健施設に自発的に入院した後に、非自発的入院患者として退院制限を受けるのは、原則4(精神病の判定)に従って、この目的のために法的権限を付与された有資格者のひとりの精神保健従事者が、当該患者は精神病であり、かつ以下のように判断した場合にかぎられる。
(a)精神病のために、自己または他人への即時的または差し迫った危害の恐れが強いこと。
国連原則は、強制入院させる患者の判断基準の一つとして「自己または他人への即時的または差し迫った危害の恐れが強いこと」を上げている。すなわち、「緊急度の高い自傷他害の危険性」を判断基準とすべきであるとしている。自傷他害の恐れがある全ての精神病患者とは言っていない。国連原則に従えば、自傷他害の恐れがあっても、緊急度や危険度が低ければ、非自発的入院をさせてはならないのである。当然のこととして、任意入院の患者の中には、緊急度や危険度は低いが、自傷他害の恐れがある患者は存在する。いわき病院が「任意入院の患者に自傷他害の恐れを指摘するのは間違い」と主張することは、「自傷他害の恐れがある患者は全て、緊急度や危険度の程度に関わらず、非自発的入院措置を行うべきである」と主張することと同義である。これは国連原則の恐るべき読み誤りであり、その事そのものが人権を否定する行為である。国連原則を正しく理解して行使することが、人道的な精神医療を行うための基本的な要件である。
国際法律家委員会レポートは、国連原則を運用するに当たっての日本に対する特別の注文として以下の通り記述している。『国連「原則」が絶対的に認めていることとして、精神病患者は、自らの法的権利を正しく理解し、行使するために家族や他の人々の援助を時として必要とするとしている。多くの国々において、コミュニケーションと権威のギャップは、患者が精神病者であろうとなかろうと、医師と患者の間は不可避的に存在するのである。このギャップは特に日本において顕著である。つまり日本のように、患者と医師の間に上下関係のあるところでは“上に立つ人”に対する最大の服従と尊重を社会文化的規範が要求しているからである。』国際法律家委員会はいわき病院のような、原則を正しく理解しないで生半可な運用をする行為を、特に日本特有の問題点として既に指摘していた。
8) 精神保健福祉法と自傷他害の可能性
一、「自傷他害のおそれ」と「自傷他害のおそれの可能性」
精神保健及び精神障害者福祉に関する法律(以下、精神保健福祉法という)のどの条文を見ても、任意入院者は「精神障害のために自身を傷つけ又は他人に害をおよぼすおそれがあると認められる者ではない」とは書かれてない。精神衛生福祉法第3節の「指定医の診察及び措置入院」の各条文を総合すれば、「自傷他害のおそれ」に関して、「警察官等の非専門家(医事法制無資格者)が精神障害者に自傷他害のおそれを感じた場合には、所定の手続きを経て、2名以上の指定医の診察を経て、指定医の診察の結果が一致した場合に限り、自傷他害のおそれがあると認められる」のである。「自傷他害のおそれがあると認められる」とは1人の精神科医師が「自傷他害のおそれ」があると診察した段階では「認められる」段階までには達していない。すなわち、「自傷他害のおそれがある」とは1人の医師が「自傷他害のおそれがある可能性」を検討することまでは否定していない。また自傷他害のおそれがある段階の次には自傷他害の行為が切迫している状態の段階まであるのである。
いわき病院長渡邊朋之医師は任意入院の精神病患者に自傷他害のおそれを検討することは人権侵害であるとの主張をしているが、精神保健福祉法は精神病患者に自傷他害のおそれがある可能性を検討することを違法としていない。精神保健指定医としての当然の義務として、患者にあらゆる可能性を周到かつ綿密に診察して的確に診断しなければならないことは明白である。
二、精神保健福祉法に基づく診断といわき病院の怠慢
渡邊朋之医師は野津純一の統合失調症は寛解が進んでおり、強迫神経症が主たる症状であった、と主張したいようである。厚生労働省「精神病院に入院する時の告知等にかかる書面及び入院等の届出等について」(平成12年3月30日障精第22号)、の様式15の「措置入院者の定期病状報告書」、および、様式17の「措置入院に関する診断書」から、野津純一に関連する問題行動の項目を抜き書きすれば、次の通りである。
問題行動 (Aはこれまでの、Bは今後おそれある行動)
1、殺人 2、傷害 3、暴行 6、自傷 7、不潔
8、放火又は弄火 9、器物損傷 18、無断離院
野津純一は結果として「1、殺人」を行ったが、いわき病院はB(今後おそれある行動)として検討することは義務であった。いわき病院は「原告のレトロスペクティブな主張である」と主張するが、法律は必要な患者にはその可能性を検討することを義務づけていると考えるべきである。
野津純一本人およびその両親は「2、傷害」と「3、暴行」についてはA過去の事例についていわき病院に説明していた。いわき病院も平成13年の野津純一入院時に「攻撃性の発散」を治療項目に上げていた。従って平成13年の時にはB(今後おそれある行動)として認識していた。今回、これらの項目を全く検討してないのは、精神科病院として精神保健指定医として怠慢である。
野津純一の「6、自傷」を、いわき病院は「根性焼」の言葉を不知として頑なに否認したが、左の頬に鈎傷があったこと、またその瘢痕が見えたり見えにくくなったりしていた状況を認識していた。自傷がAおよびBであることについて、精神科病院としては当然認識するべきであった。
いわき病院長は「7、不潔」に関して「不潔強迫観念」という言葉を使用している。野津純一は個室内の洗面所の汚れについては無関心であり、また逮捕された時には殺人を犯した前日と全く同じ服装で下着の着替えをしてないが、何日も同じ服を着用するなど、自分自身が不潔であることに関しては非常に鈍感であった。このため不潔に関してはAおよびBに該当していた。
野津純一が「8、放火又は弄火」を行ったことに関しては、いわき病院は「野津が16歳時に母親と口論し自宅で火事となったことは、両親から聞いている」と回答して承知していた。従って、Aであり、問題の重要性に鑑みれば常にBを用心しなければならないのである。
野津純一が「9、器物損傷」を行っていたことに関しては父親が入院前問診で答えていた。器物損傷は少なくともAである。現実問題として、いわき病院は帰宅時の野津純一の行動を詳細に調査してない。このため、Bの可能性について評価できてない。
いわき病院が精神科病院として信頼できないのは「18、無断離院」をいつでも即時に確認できないシステムであるところにある。いわき病院では野津純一に「毎日2時間までの院外外出許可」が与えられて、その上消灯時間外の「院内フリー(自由に病棟の外に出る許可)」が与えられていた。更に、野津純一は第2病棟のナースステーションの前にあるエレベーターを使用することを強制されず、不用意にもアネックス棟エレベーターの暗証番号(本来は病院職員の移動が主たる使用目的であり、患者の無断使用を制限するために暗証番号を設定している)を教えられていた。いわき病院では「18、無断離院」に関して、構造的機能的欠陥があった。矢野真木人殺人事件直後にも無断離院者が関西方面まで行っていたという話を私たちは聞いている。
三、法は強迫神経症は他害の可能性がないと定義しているか?
厚生労働省「精神病院に入院する時の告知等にかかる書面及び入院等の届出等について」(平成12年3月30日障精第22号)の様式15の「措置入院者の定期病状報告書」、および、様式17の「措置入院に関する診断書」には、問題行動を起こす可能性がある精神障害者の「現在の病状又は状態像」に関連して、次の項目を記載している。
Ⅰ、抑うつ状態 Ⅱ、繰状態 Ⅲ、幻覚妄想状態
Ⅳ、精神運動興奮状態 Ⅴ、混迷状態 Ⅵ、意識障害
Ⅶ、知能障害 Ⅷ、人格の病的状態 (A:人格障害 B:残遺性人格変化)
Ⅸ、その他(A:性心理的障害 B:薬物依存 C:アルコール症 D:その他の異常)
渡邊朋之医師は野津純一の診断に関して、Ⅲの「幻覚や妄想は少なくなっていた」、すなわち平成16年10月1日からの入院に関しては「統合失調症はほぼ寛解していたので、問題行動の可能性は検討する必要は無い」と主張した。渡邊朋之医師は刑事裁判の精神鑑定で指摘された「反社会性人格障害」を頑なに否定しているが、それはⅧ、のAで人格障害の項目があるからである。いわき病院長が野津純一に「人格の病的状態」があることを認めれば、問題行動の可能性を検討しなかった不作為の責任を問われることになってしまうからである。
渡邊朋之医師は、野津純一は「強迫神経症であった」と、固執している。確かに、厚生労働省の報告項目には「強迫神経症と問題行動を関連づけるべき記述をする義務はない」。しかしこのことをもって「強迫神経症と診断された患者は、問題行動を起こさない患者である」と厚生労働省が積極的に認定していたと考えるのは誤りである。これらは最小限の報告書の様式と診断書の記載要件である。いわき病院長は精神医学的学識に裏付けられた客観性をもって、精神科専門医(精神保健指定医)として診察と診断を行わなければならない。渡邊朋之医師はこれまでもICD-10及びDSM-Ⅳに言及しているが、これらの診断基準は統合失調症の症状がある強迫症状患者に関連して、自傷他害などの問題行動を慎重に診察することを求めている。
4、野津純一の精神病治療の問題点
原告矢野千恵は薬剤師である。いわき病院は『精神医療という分野は、医学の中でも比較的新しく、特に統合失調症については、その病名自体、1911年にブロイラーによって命名された新しい疾病であり(当初は精神分裂病と呼ばれた)、その診断基準、病理、治療法については未だ90年余りの歴史しか有していない』と主張した。渡邊朋之医師は、野津純一の統合失調症を抗精神病薬抜きで治療しようとしていた。これでは患者は100年前と同じ状況に陥る。現代の精神障害者開放治療の進展は抗精神病薬無しでは考えられない。
1) 処方内容の疑問点・問題点
いわき病院がこれまで提出した文書と証言では、野津純一に対する薬物療法に関して、頓服用を除いて、以下の通り、平成17年11月23日から事件発生までの間の薬剤処方の記述に食違いが見られた。抗精神病薬であるプロピタンと抗パーキンソン薬のタスモリンとドプス及び抗うつ薬のパキシルとノーマルンの処方に関する証言が変動していた。
P1、診療録(H17年11月30日)
6種類の薬が処方されている。
○プロピタン(抗精神病薬)無(-)、タスモリンとドプス(抗パーキンソン薬)無(-)
パキシル(抗うつ薬)(-)、ノーマルン(+)
P2、第3準備書面(H19年8月20日付)
9種類の薬が処方されている。
○プロピタン(抗精神病薬) 有(+)、タスモリンとドプス(抗パーキンソン薬)有(+)
パキシル(抗うつ薬)(+)、ノーマルン(-)
P3、第3準備書面(8月21日差し替え分)
8種類の薬を処方していたと書き換えてきた。
○プロピタン(抗精神病薬)無(-)、タスモリンとドプス(抗パーキンソン薬)有(+)
パキシル(抗うつ薬)(+)、ノーマルン(-)
ここで、いわき病院と院長渡邊朋之医師に指摘しておくことがある。
- 過去に出した薬処方は「確定事項」であって、後から事実を変えられないものであり、3通りもの証言は本来あり得ないことである。いわき病院が3通りもの薬処方を提示してその証言を変更していることにそもそも疑いを持つ。
- いわき病院には「出した処方内容は診療録に記載しておく義務」がある。そもそも医師法では診療録の記載と保険請求が一致しなければ不正請求となる。ところが、平成17年11月23日の処方は診療録に記載が無く、11月30日の処方は診療録記載と、証言が異なるので、少なくともどちらかは正しくない。また国連原則10の投薬「すべての投薬は、法的資格を持つ精神保健従事者によって処方され、患者の診療録に記録されるものとする」に違反している。
- 野津純一逮捕後の平成17年12月7日には上記P2と同じ処方で9種類の薬を28日分処方した。この事実は、「P1とP3の処方は間違っていた」と、野津純一が逮捕された後に、主治医である渡邊朋之医師が「抗精神病薬中止は間違いだったと自覚した」為と思われる。
2) プロピタン内服の中止
いわき病院は「野津の下肢にムズムズ、イライラがあったため11月23日より向精神薬の副作用を考えプロピタン内服を中止した。12月3日以後も中止を続行した」と証言して、「精神障害者でない人間が、計画的な殺意を抱き、他人を刺し殺したという事件が起きた」として、「野津純一の精神障害は事件当時には既に寛解していた」と主張したが、これは根本的に間違いである。野津純一は渡邊朋之医師が自ら認めるとおり、「統合失調症の罹病期間が20年にもおよび、トロペロンやリスパダールを使っても幻聴が完全には消えない患者」であり、再燃・再発を何度も繰り返している。また「精神障害者手帳一級」「国民年金障害者年金一級」を有する精神障害者である。
アメリカ精神医学会(APA)のガイドライン第2版の要点として、「何度も再発を繰り返した患者や5年以内に2度以上の再発を起こした既往がある患者は、無期限に抗精神病薬を継続すべきである」と記載されている。「向精神薬」とは神経に作用する薬物の総称で、「抗うつ薬」「抗不安薬」「睡眠薬」「抗精神病薬」等が含まれる。統合失調症等の治療に用いられる向精神薬を「抗精神病薬」という。統合失調症の薬物療法で中心的役割を果たすのは抗精神病薬であって、抗精神病薬抜きに統合失調症の薬物療法は考えられない。野津純一に平成17年11月22日まで処方されていた「抗精神病薬」はプロピタンで、出ていた副作用も『下肢のムズムズと軽度のイライラ』だけで、中止しないと命にかかわるような重大な副作用ではなかった。このためいわき病院長が「抗精神病薬」のプロピタンの処方を野津純一に対して中止する理由は何も無かった。
3) 下肢のムズムズや振戦が出た時の治療法
渡邊朋之医師は野津純一への抗精神病薬であるプロピタンを中止した理由に下肢のムズムズなど、遅発性ジスキネジア、またはアカシジアなどの錐体外路系の副作用を挙げているが、抗精神病薬の中止は精神症状の再燃、再発をきたすため推奨されない。また下肢のムズムズや振戦(遅発性ジスキネジア、アカシジアなど錐体外路系副作用)が出た時の治療法としては、エビデンス(証拠)として効果が実証されている、非定型(=第二世代)抗精神病薬への切り替え【但し抗精神病薬は単剤投与に限る、多剤投与は不可】が推奨されている。
1990年代からEBMエビデンス(証拠)に基づいた統合失調症治療法のガイドラインが開発されていて、世界各国から公表されている。この中に遅発性ジスキネジア、アカシジアなどが出たときの対処法も示されているが、抗精神病薬の中止を勧めているものは見当たらず、「推奨される標準的な治療選択肢を選択して、不適切な治療アプローチに進むことを防止しなければならない」と指摘されている。ガイドラインは「患者への情報提供」としても用いられている。渡邊朋之医師が遅発性ジスキネジアやアカシジアのために、抗精神病薬を中止したのは、エビデンス(証拠)に基づかない単なる思いつきによるもので「不適切な治療アプローチ」であるという示唆である。
野津純一の主治医渡邊朋之医師は「下肢のムズムズとイライラは抗精神病薬の副作用ないしは強迫観念によるもの」と考えていた。また「心気的訴えも考えられる」として、抗精神病薬を中止し、「軽度のイライラ」に抗不安薬のレキソタン(常用量1日5?15mg)を、最大常用量の2倍量(1日30mg、1日6T)を処方していた。近年では強迫性障害の病因として、心理社会的要因よりも脳の器質的問題がとりあげられ、薬物療法も「抗不安薬(穏和精神安定薬)ではなく」、セロトニン作動性の向精神薬「SSRIなどの抗うつ薬」が、「大用量で長期投与される」ようになっている。また精神分裂病などの部分症状として強迫症状が出現している場合には、原疾患を適切に治療しなければならない。渡邊朋之医師が言うように、「強迫症状は統合失調症圏内のもの」だったのだから、原疾患である統合失調症を適切に治療する義務があった。更に、レキソタンの重大副作用として、「統合失調症等の精神障害者に投与で、逆に【刺激興奮、錯乱等】の症状が出現」があり、レキソタンは統合失調症の野津に処方してはいけない薬だった。抗精神病薬無しで統合失調症の治療をするということは100年前の精神科医療パラダイムに逆戻りするということである。
レキソタンが最大常用量の2倍量(1日30mg、1日6T)を処方されたことに関しては、平成17年3月4日の薬剤管理教室で野津純一が「さっき渡邊先生と話して薬が変わることになりました。レキソタンは6Tも飲んでいいんですか?キツくないですか?」という発言があり、レキソタンが「1日3T」服用に戻った経緯がある。この時には渡邊朋之医師は患者からの不安・要望に応えた。それにしても、野津純一の薬に関する知識欲と、理解が明晰であることと、それに気がつかない渡邊朋之医師の患者を無視した安易な投薬姿勢と薬知識の少なさには驚かされる。私たちに情報提供したいわき病院の元看護師は「院長回診に付き添っていると、安易に処方ミスをするので、看護師としてはそれに気付いてその場で訂正をお願いするのが大変だ。うっかりしていると、処方間違いが一週間以上継続することになる」と言っていた。いわき病院長の個人的な責任は免れないが、いわき病院は多数の医療スタッフを抱えた精神科総合病院である。このような重大で基本的な処方変更に関してカンファレンスを持たないのであろうか。これは渡邊朋之医師一人の処方ミスであるだけの問題ではなく、いわき病院全体の統合失調症治療上の重大過失とされるべき問題である。
4) 再発・再燃の兆候と「前駆症状」
渡邊朋之医師は、野津純一の統合失調症が寛解していたとして、「プロピタンを中止した一週間後に、幻覚妄想、精神運動興奮が強くなってない(=再発・再燃はしていない)、だから抗精神病薬中止を続行した」と言っている。ところが再発の兆候に関連しては、幻覚妄想、精神運動興奮が強くなる前に「前駆症状」と呼ばれる時期があり、「いつわりの静穏期」とも呼ばれて「奇妙な静けさとざわめきとひしめき」という状況として中井久夫が注意喚起している。再発を経験した患者本人と家族が再発の兆候について述べた資料によると幻覚妄想、精神運動興奮が強くなり、素人目にも再発・再燃と分かるようになる前に「本人と家族には分かる」と書かれている。親身になって注意深く見ていれば本人以外でも分かるということで、精神科専門医師としては基本的な素養である。
精神障害者が自傷他害行為を始めるまで治療(=抗精神病薬投与、効果的なリハビリテーション等)をしないということは、患者が攻撃的・暴力的になるのを手をこまねいて待っているようなものである。渡邊朋之医師が主張するように「患者は20年来の統合失調症ですが、幻覚妄想、精神運動興奮が強くなってから抗精神病薬投与再開を考慮します」では、精神科病院に入院している意味が無い。これは、精神科医師としての責任感の問題であり、資質が問われる。
野津純一自身、20年前の発症以来、何度も再発・再燃を繰り返しており、いわき病院の「退院に向けての教室参加記録」で、再発のサインについて以下のように述べている。
- 「考えがひっかかってしまう」「音に敏感になってしまう」(H17.2.16)
- 「イライラがひどくなる」(H17.8.31)
- 「ノイローゼがひどくなる」(H17.11.9)
- 抗精神病薬服用前は「急にランニングができなくなったり」「混乱することがあった」(H17.6.1)
- 「今飲んでいる薬は“イライラおさえる。やめたら調子悪くなる。忘れないために目に付くところに置いとく”」(H17.9.21)
野津純一は「再発・再燃のときの自分、幻覚妄想が出てくる前の前駆症状の自分」について認識できていた。また平成17年12月2日の看護記録では「薬が変わってから調子が悪い」「先生が『薬を整理しましょう』」と言って一方的に決めたんや」と、体の変調と相談に乗ってくれない不満を訴えている。12月3日には「体が動く」「手足が動く」「調子悪い」と言って「イライラ時頓服」「アキネトン注射」を求めて何度もナースコールをしており、「平穏な状況」とは言えない。渡邊朋之医師は「この日に野津純一を診察した」と言っているがそれが何時なのか、はたまた事実であったのか疑問である。少なくとも、野津が主治医に診てもらって満足した様子が看護記録からは窺えない。
統合失調症患者に対する抗精神病薬を中止したら再燃・再発の危険性が高まるのである。渡邊朋之医師はどんな変化も見逃さず、患者の言葉や様子に耳を傾けるべきであった。渡邊朋之医師は、抗精神病薬を患者の希望でもないのに中止しておいて、「調子悪い」という患者野津純一の訴えを退け、「再燃・再発なんてあり得ない」と高をくくるのは、精神保健指定医としては問題である。抗精神病薬をきちんと飲んでないことが、ほとんどの人に共通する再発原因である。因みに野津純一は逮捕後に「イライラし、激情していましたので、12月6日の数日前からタバコの火を左手の人差し指のつけ根とか、左頬に持って行き、根性焼をした」と発言した。いわき病院の入院患者である野津純一が病院内で自傷行為をしていたのに被告主治医の渡邊朋之医師を含めて病院職員の誰も気付かなかったでは、精神科病院としての存在意義が問われる。
5) 高力価抗精神病薬と低力価抗精神病薬
渡邊朋之医師は『高力価抗精神病薬でもイライラが強くなったり、幻聴が消えなかったから、低力価抗精神病薬では症状の改善には効果が少ないと考えプロピタン投与を中止した』と言っている。これはいわき病院長の基本的な認識不足と知識不足であり、矢野真木人殺人事件の核心である。高力価とは「少しの量で抗精神病作用が得られる」、これに対して低力価だと「同じ抗精神病作用を得るには用量が多く必要」という意味である。服用する薬用量に差があるのであって、薬の質的な良し悪しの差ではないことを精神科病院長の渡邊朋之医師は知らなかったと見える。
ドパミン仮説では、すべての抗精神病薬は脳内のドパミン受容体の遮断作用があるとされる。他方では、ドパミンは生体に必要な神経伝達物質であり、抗精神病薬を大量に投与して、ドパミン受容体を遮断しすぎると下肢のむずむず、勝手に動くなどの錐体外路系の副作用が出る。ところが少なすぎると抗精神病作用が無くなるので、「至適用量」というものがあり、「ドパミンD2受容体遮断作用が65?72%の範囲にあるとき」が「至適用量」で、錐体外路系副作用が起きずに、抗精神病作用が得られる。高力価抗精神病薬は少量投与したつもりでもドパミンD2受容体遮断率が簡単に至適用量を超えてしまい、錐体外路系の副作用が発現しやすい。この点、遅発性ジスキネジアなど錐体外路系の副作用に悩まされている患者にとって低力価抗精神病薬のほうが調節しやすく、性能が良い薬と言える。
薬としての質的な良し悪しからいえば、ドパミンD2受容体遮断作用がより緩余な第二世代抗精神病薬(非定型抗精神病薬)は、錐体外路系の副作用もほとんど無く、第一世代(定型抗精神病薬)が陽性症状しか有効でないのに比べ、陽性症状、陰性症状どちらにも有効である。また、副作用止めの抗パーキンソン薬も不要である。更に、うつ症状にも効果があるのは、錐体外路系の副作用が出にくく、QOL(生活の質)が低下しないためと言う説もある。ただし、リスパダールは非定型でも高力価のため錐体外路系の副作用が出やすい。抗精神病薬の等価換算値は、リスパダール1mg≒トロペロン1.3mg≒プロピタン200mg≒セロクエル66mg≒クロルプロマジン100mgである。
抗精神病薬選択の指針では、ドパミンD2受容体遮断作用の強さは「高力価群>低力価群」で、錐体外路系症状を避ける場合の薬剤選択の指針は、「低力価非定型群>高力価群」となる。つまり、下肢のムズムズや振戦のある統合失調症患者には高力価でなく、低力価抗精神病薬が推奨されている。低力価の中でも、非定型のほうが定型抗精神病薬より優れている。いわき病院長は『統合失調症を示す数値は低い』と証言しているが、これはプロピタンが精神症状に有効に働いていたためと考えられる。抗精神病薬投与続行中の精神症状が良好だったことをもって、「抗精神病薬中止後の精神症状に問題がなかった」と主張できない。刑事裁判の精神鑑定でも「いわき病院入院後症状悪化?」と書かれている。いわき病院長は「はた目でも分かるぐらい幻覚妄想が強くなっているか暴れているか、人を殺すと本人が公言しているのであれば対処できる」と言うが精神科専門医(精神保健指定医)の学識レベルの証言とは思えない「素人」の発言である。
野津純一は平成17年10月26日の薬剤管理教室で「薬を飲んで落ち着きます。習慣にしているので飲み忘れることはありません。プロピタンは非定型ですか?」と言っている。野津純一は薬剤管理教室で平成16年12月に「非定型抗精神病薬」について、また平成17年7月6日と10月16日にも「薬の効果と飲み続けることの意義」を学んで知っていた。いわき病院薬剤師の「薬はやめていいと思いますか?」の質問に平成16年11月17日には「だめだと思う。調子が悪くなるから」と答えている。野津純一は「薬の名前も用法もよく覚えており、意識は高い」、「自覚して服薬できており、コンプライアンスも良いです」(平成17年7月13日、10月26日)のコメントがある。野津純一でさえ知っていた「非定型抗精神病薬の効果」と「飲み続けることの意義」を被告主治医の渡邊朋之医師は知らなかったか無視したことになる。
渡邊朋之医師が野津純一に対する薬処方を変更した後で、平成17年11月25日の看護記録では「薬が変わって手が動かなくなって、ムズムズがなくなった。幻聴は続いている」、「表情おだやかに、もう全然イライラしなくなったんですよ」、「下肢の振戦なし」と記載されており、11月28日くらいまで調子良い日が続いていた。それまで抗精神病薬が過剰投与であったために、高止まりしていたドパミン受容体遮断率が下がってきて、「被告野津純一にとっての至適用量内」におさまっていた期間であろう。この至適用量を見つけるのが渡邊朋之医師本来の仕事である。その後、11月30日にはまたムズムズが出てきて、イライラもムズムズも次第にひどくなり、ドパミン受容体遮断率が65%を切り、精神症状が悪化してきた時期と考えられる。遅発性ジスキネジアは、抗精神病薬中止後に発症する場合もあり、遅発性ジスキネジアの症状は数ヶ月?数年にわたり、ときには永続的に持続する。
いわき病院長は11月30日診療録を、「(ムズムズが)取れないです」と、あたかも野津純一の証言のように清書してある。ところがこの記述は渡邊朋之医師の悪筆から読み解けば、医師の診察として「なかなかとれないね」と読める。その上で渡邊朋之医師は「薬を整理しましょう」と言っている。この違いは微妙であるが、野津純一の症状に耳を傾けたのか、いわき病院長の「薬を整理しよう」という意識が前に出て、野津純一に対して「薬の変更をします」と畳みかけているか、の違いがあり、インフォームド・コンセントをないがしろにしたいわき病院長の医療態度をかいま見せている。
12月3日には診療録にはいわき病院長の診断として「ムズムズは心気的訴えも考えられる」と記載している。「遅発性ジスキネジアは原因物質の抗精神病薬を中止したからといってすぐには消失しない症状である、また抗精神病薬中止後に発症する事もある」という認識を野津純一の主治医は欠いていたことを示している。また、プロピタン中止前にも中止後も投与していたヒベルナ(塩酸プロメタジン)は、抗コリン作用、抗ヒスタミン作用を持つ抗パーキンソン薬であるが、パーキンソニズムには有効であるが、アカシジアへの適応はなく、返ってアカシジアの症状を増悪させる場合もあり、注意を要する。またプロピタン等による遅発性ジスキネジアを通常軽減しない、場合によってはこのような症状を増悪・顕性化させることがあるから注意しなければならない。ヒベルナはアカシジアや遅発性ジスキネジアがある場合には使わない方が安全な薬である。渡邊朋之医師は精神科専門医(精神保健指定医)でありながら、向精神薬の薬理作用の知識不足を露呈している。
6) 薬原性錐体外路症状と精神症状の区別
錐体外路系副作用は抗精神病薬過剰投与による副作用としておこるが、錐体外路系副作用のアカシジアは、不安やイライラなど自覚的な内的不穏や易怒・多訴をともなうことが多く、精神症状との鑑別が難しい。鑑別法は、「錐体外路系副作用を起こしやすい抗精神病薬を使っているかどうか」である。渡邊朋之医師は、「高力価のトロペロンやリスパダール使用でもイライラが強くなったり…」と説明している。これは精神症状の悪化というより、抗精神病薬過剰投与による錐体外路系副作用アカシジアの発現でイライラが強くなったと考えられる。渡邊朋之医師が主張する「高力価でも薬が効かなかった」のではなく、「高力価・過剰投与だったから起きた副作用」だった。
7) 抗精神病薬中止後の副作用止(抗パーキンソン薬)使用
診療録平成17年11月30日の記載によると、「6種類の薬が処方され、抗精神病薬のプロピタン無(?)、抗パーキンソン薬のタスモリン無(?)とドプス無(?)」であり、抗精神病薬を中止すると同時に処方から抗パーキンソン薬2種を中止している。更に「ムズムズするんです」の訴えにアキネトン(抗パーキンソン薬)の代わりに生理食塩水を筋注した。この処置に関しては、抗パーキンソン薬の急激な減量・中止は悪性症候群を引き起こし命にかかわるため、「治療薬マニュアル2006」には「急に抗パーキンソン薬の服薬を止めてはならない」という注意書きがある。抗パーキンソン薬の急激な減量・中止時には、悪性症候群以外にも、リバウンドと呼ばれるインフルエンザ様症状が出る場合もある。野津純一は12月5日には体温が37.4℃で、インフルエンザ様症状を呈していた。いわき病院長は「野津の薬処方を変更し、様子をみた」のであるから、自らの処方変更によって発現した症状である可能性を慎重に見極める必要があったが、自ら診察することもせず風邪と決め付けて、状況が良くわかっていない内科医に処置を任せた。このために、野津純一に対して適切な処置が取られることが無かった。
いわき病院には既に確定した記録であるはずの証言に混乱が見られた。いわき病院が記述変更をして最後に法廷に提出した処方P3では「8種類の薬を処方し、抗精神病薬のプロピタン無(?)、抗パーキンソン薬のタスモリン有(+)とドプス有(+)」であり、抗精神病薬を中止したが、抗パーキンソン薬は続行投与した、となっている。ここに大きな疑問がある。抗精神病薬投与中止はドパミンの過剰放出をそのまま放置することである。その上で「ドパミン不足から起こるパーキンソン病を治す薬」を漫然と統合失調症患者に投与している。抗精神病薬中止後も消えてくれない遅発性ジスキネジアに対処する必要性は認めるが、統合失調症患者に抗精神病薬を出さず、抗パーキンソン薬を出し続けるのは疑問である。ドパミン過剰状態が促進され、再発・再燃の危険が一層増す。野津純一の症状では、抗精神病薬投与中止しても遅発性ジスキネジアのムズムズ訴えはすぐに消えなくて当然であるにもかかわらず、いわき病院長は『ムズムズ訴えは強迫性障害から来たものである』として、強迫症状にはレキソタンを最大常用量の2倍量も投与した。また『これでまだムズムズすると言うのは心気的訴え』とした。パニック状況に陥りつつあった野津純一は「以前と同じようにアキネトンを注射してほしい」と懇願しているのに「生理食塩水」の筋注をし続けた。野津純一は、下肢の振戦がひどい時にも無視され、渡邊朋之医師は患者のQOL(生活の質)を著しく下げ、医療者への不信感を増大させ、不安焦燥と挫折感で野津純一のイライラを増大させた上に、その状態を放置した。その結果として行われた野津純一の殺人行為は渡邊朋之医師の医療上の過失及び精神科専門医(精神保健指定医)として専門知識の不足及び怠慢であると指摘できる。
8) 統合失調症、強迫性障害と攻撃的・暴力的行為の関連性
統合失調症の人の中には少数ながら攻撃的・暴力的になる人がいることは事実である。統合失調症患者の暴力的行為を予測する手がかりは、①現在アルコールや麻薬を乱用しているか、②服薬を中断しているか、③以前に攻撃的あるいは暴力的になったことがあるか、の三つである。野津純一は服薬中断と攻撃的・暴力的になった過去があるので、高リスクグループに入る。
攻撃性・暴力への指針として、「焦燥感が攻撃的行為につながること」がある、また「抗精神病薬の服薬遵守をはかること」は対策の基本である。野津純一のような、長期の罹患、いわき病院が施した持続的治療の欠如(抗精神病薬中断、効果の無いSSTや心理教室)、緊張に富む対人関係、いわき病院が無視した発病初期からの攻撃的人格などは危険因子である。また人格変化との関連では、統合失調症の「類破瓜病」という疾病概念があり、「幻覚や妄想などの陽性症状が著明でなく、高等感情鈍磨と抑制欠如といった人格の崩壊をその主徴とする一群」があり、重大犯罪との密接な関連性が指摘されてきた。また陽性症状が著明になる前に人格変化が進行し、理由なき殺人事件を引き起こす事例なども知られている。そういう意味では、統合失調症単独でなく反社会性人格障害などが加わっている場合には危険性はいっそう高くなる。「統合失調症は再燃・再発を繰り返しやすく、繰り返すたびに陰性症状・陽性症状ともに強くなり、その毎に社会適応が悪くなり、一部は人格荒廃に至る」ことも知られる。いわき病院長渡邊朋之医師の「著明な陽性症状が無ければ自傷他害の可能性はありえない」という専門知識の欠如による予断が事件につながった。もともと人格障害(強迫性人格障害、反社会性人格障害)があるところへ抗精神病薬中断により統合失調症が再燃・再発し、人格荒廃が一層進み、殺人事件に至ったのである。
9) 通り魔殺人 犯行動機
一、通り魔犯の特徴
科学警察研究所の研究によれば、「通り魔の犯行動機は大別すると、『性的動機』『妄想』『イライラ』の3つに分類される。2番目の『妄想』についで多いのが、『さしたる原因もなく、あるいはささいなことでイライラし、イライラが高じて「誰でもいいから刺してやろう」と思い、外出して通行人をさす』という場合である。このような犯罪の背後には何らかの精神的な障害があることが多い。犯行場所はほとんどが『土地勘』のあるところで、県外で犯行を行った者はほとんどいない。『単発犯』の場合、何らかの精神障害に罹患していることが多く、統合失調症と薬物によるその他の精神障害が混在している。また職業は無職が多い。独居か親と同居。粗暴型が多いが、一部弱者型もいる。イライラが犯行の動機となる。通り魔事件犯人はほとんど男性。年齢は20代から40代が8割を占める。無職が7割を占める。独身者が9割、『単発犯』では独居または親と同居が9割以上、学歴は6割が中学卒業程度である。通り魔事件全体では、犯行前に精神科への入院歴、あるいは通院歴のある犯人はほぼ半数を占める。この比率は『単発犯』で約6割と最も高い。」
二、強迫と衝動
いわき病院が主張するとおり、野津純一には重症の強迫性障害があった。強迫症状はあらゆる精神障害にみとめられきわめて治りにくい症状である。強迫病者は挫折感から一気に衝動(自傷、自殺、薬物乱用、反社会行為から暴力)に走り、人格障害者の持続的行動異常を示す。強迫と衝動は同じ性質の二つの現れで、強迫は単独で存在しうるが、衝動は一連の強迫の最終表現である。強迫障害には人格障害が伴い、特徴は強烈な攻撃性、不安抑うつがある。抗精神病薬投与中断後、主治医との葛藤から、野津純一に「強烈な挫折感」があったことは想像に難くない。
いわき病院長は「過去20年近くに亘り、被告病院以外の多くの医療機関で診療経過があり、そこで多くの専門家が診察・診療にあたりながら、難治性の強迫観念と軽度の幻覚妄想、自閉症状に加え、いきなり突発する攻撃性について具体的予測をした医師はおらず、反社会的人格障害という診断は一度も下されていないという事実」と主張した。これに関しては、平成12年当時、香川大学医学部精神科で野津純一を担当した医師は、平成13年のいわき病院への野津純一にかかる紹介状に「昭和61年当初から、統合失調症、人格障害、強迫性障害で経過」と記述していた。香川大学医学部では平成12年4月5日の診療録に、「暴力、自傷行為については判断する能力があり、本人もそういうことをしないと約束できる」という記述がある。野津純一に「暴力・自傷行為の可能性があるからこそ」このような約束をさせていた。野津が「暴力行為の候補生」で、平成12年当時には香川大学医学部病院が気をつけていたことは確かである。当時の主治医は「野津さんは統合失調症で体格が大きく、イライラしていたので野津さんの暴力的な行動には気をつけていた」と証言している。「任意入院の精神障害者が暴力行為をする可能性があると考えるだけでも人権侵害だ」と考えている渡邊朋之医師とは随分差がある。私たちが面談した、元いわき病院看護師も、「野津さんは体格が大きくて怖いので、野津さんの部屋に入るときは必ず、いつでも逃げられるようにドアを開けたままにしていました」と言っていた。
渡邊朋之医師以外の証言に基づけば、客観的に見て野津純一が通り魔殺人に及ぶ可能性が非常に高いことがわかる。「男性。いつもイライラしている。30代。無職。職歴は数日のアルバイトのみ。独身。中学から不登校。親と同居、でなければ入院。暴力・暴言歴。統合失調症歴20年。自宅と両隣全焼火事の原因者。強い強迫症状から来る人格障害と衝動・攻撃性」など、全ての周辺関連情報が野津純一が究極の他害行為をする可能性が高い人物であることを示唆している。
三、野津純一のクライシスコール
野津純一が平成17年12月初旬に置かれていた状況は、これらに加えて「退院を迫られている。親は年取ってきた。親が死んだら終わりだ。福祉ホームは食事の支度や洗濯や金銭管理を自分でしなければならないが、自分では出来ないので行きたくない。老人ホームのようなところがあれば行きたいが、そういうところは無いので退院したくない」などの不安・焦燥感があり、更にいわき病院長の「抗精神病薬中断」、「インフォームド・コンセント無視」、「診察拒否」が加わって、「挫折感」が亢進し、野津純一本人には「被害妄想も出て」さらに「イライラが最高潮に達していた」。しかし渡邊朋之医師は、犯行当日も野津純一の異変に気付かず、翌日も外出を許可し、野津純一は病院の外で逮捕された。
野津純一について渡邊朋之医師は、「ムズムズ感等については、薬の多用は野津さん自身にとってよくありませんので何とか薬の投与をしないようにしても野津さんは絶対に聞き入れず、毎日のように同じ訴えをしますから仕方なく薬を投与したり、場合によっては薬でもなんでもない生理食塩水を注射したりしていました」と証言した。この渡邊朋之医師と野津純一とのやりとりは非常に重要である。主治医と患者の間で薬をめぐり、「対立」している様子が現れている。対立した上に、医師の権限で「中断続行」「偽薬投与」し、野津純一は対立に敗れ、「挫折感で満身創痍」になり、「主治医と患者の信頼関係が破綻」した。ここに平穏ではない状況があった。
野津純一は、抗精神病薬の体内濃度が下がりすぎ、精神症状の悪化も同時に訴えていた。渡邊朋之医師は「野津純一が主治医のすることを絶対に聞き入れず、毎日同じ訴えをする野津が悪い」と主張するが、これは野津純一からの「クライシスコール」であった。野津純一は、「抗精神病薬服薬を続けることの大切さ」また「服薬中断すると再発の危険性が高まる」ことを知っており、自分に「再発のサインが出てきている」ことが自覚できていた。まさに、野津純一が繰り返していわき病院に伝えようとしていた「再発時には一大事がおこった」事態に至りつつあると自覚していたのである。抗精神病薬の「多用」はよくないが、「抗精神病薬の減量・変更を試みず、患者の同意もなくいきなり中止したのは最も悪いことだった」のである。
四、いわき病院長の診察拒否
渡邊朋之医師は「薬処方を大幅に変更し、様子をみた」と自ら言っており、この時期は通常より一層きめ細かく診察する義務があったことは認めていると思われるが、行動が伴わない。事件直後には「昨日12月6日から今日にかけても職員から特に異常がある旨の報告は入っておりません」と証言した。しかし「事件の日、面会に来た母親を普段なら自分の部屋に入らせるのにこの時に限って拒否したという報告は聞いていた」とも証言し、「異常の報告」が職員から入っていた。しかも事件当日の12月6日の看護記録には午前10時に野津純一の言葉として、「先生にあえんのやけど。もう前から言っとんのやけど」と医師との面会を望んでいる記載がある。病棟看護師が、外来患者診察中で多忙な主治医に野津の診察をお願いに行っただけでも「特異なこと」である。そうでなければ看護記録に記録として残してはいないだろう。だが、いわき病院長渡邊朋之医師からは「待っていれば診てあげよう」という優しい言葉もなく、野津純一は診察拒否された。
アメリカ精神医学会(APA)のガイドライン第2版では「もし薬物(抗精神病薬)を中断する場合には精神症状を観察しながら薬物を『漸減』し、中断後も『緻密な経過観察』を行い『再発兆候があれば直ちに維持療法を再開すること』を勧めている。ただし『間歇的な維持療法は持続的な維持療法に比べて再発が多く、しかも遅発性ジスキネジアの頻度はむしろ高い』」と記載されている。いわき病院長渡邊朋之医師は抗精神病薬を突然中断したのだから小さな異変でも診断する義務が野津純一主治医としてあったと指摘できることが、非常に残念である。
渡邊朋之医師は、「事件のあった日(12月6日)の午前中から午後3時頃まで外来患者の診察に当たっていましたので野津さんとの面接はできていません。外来診察終了後野津さんを訪ねたのですが、このときは不在でした」と証言していた。被告主治医渡邊朋之は、「外来診察終了後、野津を部屋に訪ねたが不在だった」と言い逃れをした。野津純一は犯行後すみやかに自室に戻り、午後3時には野津は自室に閉じこもり、じっとしていた。いわき病院長は「部屋を訪ねた」のではなく、院長室が野津と同じフロアだから「前を通っただけ」と考えられる。「声かけ」もしていない。あたかも「診察の意思があったかのように取り繕う」のは欺瞞である。「病院長が外来診療後、本人を診察しようと病棟に上がったのが(12月6日)午後3時30分頃であったが、丁度、野津純一の母親との面会と重なったため診察面接を中止している」と記載していた。「不在だった」と言ったり「母親面会と重なっていた」と言ったりして、野津純一の所在そのものに関する証言も迷走した。また野津純一の母親は、「我が子との面会のために、院長診察が停止されることを望んだのであろうか」、はなはだ疑問である。いわき病院長は自らの不作為を野津純一の母親に原因転嫁している。これはいわき病院の最高管理責任者としては最も見苦しい言い訳である。
10) 野津純一の根性焼と殺人
一、殺人をした原因
野津純一は犯行の原因を「いわき病院で私の楽しみであるタバコを吸うことを邪魔されてイライラしていたことです。どのように邪魔されるのかと言うと、喫煙所の灰皿の上にゴミのビニール袋を置いたままにするとか、灰皿の上に空き缶や紙コップをおいたまま立ち去るとか、喫煙所のイスに足を組んで座る人がいて灰皿に近寄れないことでタバコが吸えなくなるのです。喫煙所のすぐ横にある自販機の音が私がタバコを吸おうとすると大きくなるのです。これが一年以上続いていたので私にとっては我慢できなかったのです。私がタバコを吸うことを邪魔され続けたので、人を信用することが出来なくなったのです」と話した。
二、根性焼とイライラ
根性焼とイライラに関して、野津純一は「タバコを吸うことを邪魔されて、イライラし、激情していましたので、12月6日の数日前からタバコの火を左手の人差し指のつけ根とか、左頬に持って行き、根性焼をしました。根性焼というのは皮膚にタバコの火を押し付けて我慢することをいうのですが、私が根性焼をしたのはイライラしていたので腹立たしさを押える為にやったのです。根性焼をすると心がすっきりしたのです。ところが12月6日の事件当日には根性焼では心がスッキリしないくらい、イライラしていたので、誰でもいいから、人を殺してやろうと考えたのです」と話した。
三、殺人を思いついた動機
殺人行為を思いついたことに関して、「病院の喫煙所を汚す人があり、私には、それが大変不愉快でした。入院した当初はそうでもなかったのですが、ここ1?2か月は特にひどくなってきたような気がしていました。喫煙所を汚されることについては全く解決されることがなく、私の心の中にはイライラがたまっていきました。そこで、このイライラを解消するため思いついたのが人を殺してしまうということでした。その他の、例えば人を殴るとか、人の物を壊すといったことでイライラを解消するということは全く思いつきませんでした。人を殺すような事件を起こせば、ひょっとしたら警察に捕まるようなことになるのではないかということは頭に浮かびましたが、その当時は、そんなことはあまり気にしておらず、捕まったら捕まったで仕方がない、ともかくこのイライラを解消したいという気持ちのほうがはるかに大きいものでした。」と話した。
四、矢野真木人殺害と野津純一の罪悪感
矢野真木人殺害に関して、野津純一は「思いっきり、矢野さんの右胸を一回突いて、包丁を引き抜いてその場に包丁を放り捨てたのです。手は、いわき病院に帰ってすぐに自分の部屋の洗面所で洗いました。刺した後は、すぐに頭の中で、『あーあ、やってしもた。俺の人生終わってしもた。』と考えながら歩きました」と答えている。「矢野さんは何かあなたに悪いことをしましたか」という問いには「いや、してないです」と答えている。また「殺される必要が何故あったのだと考えますか?」という質問に野津純一は「うーん。(30秒間考え込んだ)うーん。運が悪い人やなあと思います。」と答えた。更に、「あなた自身はどうなりたいのですか?」という質問には「最悪の場合、裁判を受けて、ムショに入って、7年位で出てこられたらいいなと考えています。」と答えていた。
野津純一は「矢野さんは、抵抗したり、身構えたりは一切していません。矢野さんは私が包丁を持っていたことは気付いていないと思います」と証言した。更に、「矢野さん自身に対して申し訳ないとか済まなかったとかいう気持ちはないのですか」という問いに対して「なんかわかんないけど、ないですね。普通はあるんだろうけど私には無いです」と冷静に答えていた。「親御さんには?」という質問に対しても、「よく考えてみると親御さんに対しても謝罪の気持ちはありません」と答えていた。また「特に書いて欲しいことは?」という質問には「計画的にあの人を狙ったわけではなく、たまたまあの人がいたから殺したことを書いて下さい。それだけです」と答えている。
五、病院に対する怒りと自制
野津純一は、「私に喫煙をやめさせようとしている集団が悪質ないたずらをしているように感じていました。今月に入って、病室のすぐそばで日中大きな音をたてられてイライラしていました。私は病院に対する怒りが抑えきれないほどになっていました。」と証言した。これに対して、「病院に対する怒りであれば、院長やその他の看護師に暴行を加えるとか、包丁で刺すということにならなかったのはなぜか」と質問したことに答えて「その点については、歯止めが効きました。病院では不愉快なことがありましたが、渡邊朋之先生や看護師さんは私を治そうとして一生懸命してくれていましたので、この人たちに手を出してはいけないと思いました。」と証言した。また「他の患者にたいしてはどうか。」という質問には、「お世話になっている病院の中で事件を起こすのは悪いと思ったので、他の患者に手をだすとか、包丁で刺すとかいったことは考えませんでした。」と答えている。また「腹立ちを解消する方法として、他人を包丁で刺すということを選んだ理由は何か?」という質問には「死んでしまった矢野さんには気の毒なのですが、イライラを解消するというのと、矢野さんを犠牲にすることで、私が裁判にかけられれば、私の事件に関係ある者として、私の喫煙を邪魔していた集団が警察に捕まり、罰を受けることになるだろうという気持ちがありました。」と答えている。
六、喫煙所の汚れ
いわき病院内の喫煙所の汚れに関して、野津純一は「矢野さんを殺した理由は、以前から話しているように喫煙所の灰皿が私への当てつけであるかのように汚されてイライラしていたからです。」と説明した。そして示された写真を見て「ここが私の病室から一番近くよく利用していた喫煙所です。この写真で見る限り、写真を撮影されたときはきれいになっています。灰皿の上には多少煙草の灰が落ちていますが、この程度ならば私も気にはなりません。」と話した。
七、非常階段の騒音といわき病院の無理解
野津純一は「わたしがイライラしていた理由は他にもあります。私の部屋の隣にある非常階段を使うときはたいへんうるさく、『バタンバタン』とドアを開け閉めする人がいました。そのため、これも私への嫌がらせなのかと思い、私はイライラしていました。12月、5日と6日はいつにも増して喫煙所が汚れていて、ドアの開け閉めがうるさかったような気がします。事件の前日からイライラを解消するためには人を殺すしかないのかというぼんやりとした思いはありましたが、はっきりと人を殺そうと決めたのは、12月6日に病院を出る直前のことでした。エレベーターホールの右にいる人たちが私の父親の悪口を言っているように聞こえました。私は以前からイライラしているところにこのような出来事が重なってカチンと頭にきました。わたしはこのため完全に逆上してしまいました。このとき私は、イライラを解消するためには人を殺すしかないと思ったのです。人を殺す前に包丁を盗むというような事件を起こすと、人を殺す前に泥棒をしたことによって捕まってしまうと思いましたから包丁は盗んだりせず、買いました。私は以前に病院から家に帰る時に通行人とトラブルになったことがありますが、これはイライラしていてわざと通行人に体をぶつけてしまいました。包丁を持って病院に乗り込もうとしたことも確かにあります。私の当時の感覚としては、神経症と精神病は違うものと思っていましたので、精神病と言われたことが嫌だったからです。」と話した。
いわき病院は「非常階段のドアは、午後8時以降は渡邊朋之院長と看護師長しか通らない。渡邊医師は「もしドアの騒音に悩まされているならば、他の部屋に換わりたい旨申し出ることも可能であったが、被告病院の医師、看護師らは野津から、そのような申し出を入院期間中一度も聞いたことはない」と反論した。しかし、野津純一の部屋の隣にある非常階段の開け閉めの音に対する苦情発言が4回に渡り診療録に記載されている。平成17年3月11日には、診療録に野津が「2病棟のアネックスのトビラの開け閉めが気になる」と苦言を呈した記録がある。診療録には「ラバーでも敷く」と対策が書いてあるが、何もしなかったとみえて、3月16日の診療録に「今気になることは?」と聞かれ、「ドアの音、人の声、笑い声とか」と再度答えている。渡邊朋之医師は「関係念慮強い;ドアの音などが」、また平成17年9月には「階段がバタンバタンしてクソッと言う」「扉をクソクソと言って開け閉めする」と記述している。ドアの音がしないようにラバーをしくとか、ゆっくり開閉するとかという対策は事件後までなされず、野津の病気のせいにした。結局アネックスの扉は開閉時の音は改善されずに放置された。「部屋を替わりますか?」という提言もなされてない。統合失調症患者は言葉での表現が苦手である。申し出がなくても何度もある同じ苦情発言には、病院として配慮すべきであった。
11) 統合失調症の思考障害:「論理性の障害」と「両価性」
統合失調症の人は「因果関係を推定する能力や論理的思考に障害」があり、バスに乗ったり、道案内を利用したり、食事を準備したりといった日常生活にしばしば支障が生じるのも無理のないことであり、統合失調症患者は、同時に矛盾した思考や感情を持つことがある。「ええ、あいつらが私を殺そうとしています。でも、私はあいつらが好きなんです」という状況があり得る。このため野津純一が「いわき病院に対して、怒りが頂点に達していた」と言いながら、同時に「お世話になった病院に迷惑をかけてはいけないと考えた」、というのはまさにこの統合失調症の「思考障害・両価性」である。渡邊朋之医師は「そんな矛盾したことを同時に考えるなんてあり得ない。精神医学的な説明は困難であり信用に価しない(私たちの)意図的な創作と考えるのが相当である」と言っているが、これこそが「分裂病」であり「統合失調症」と呼ばれる所以である。
12) 強迫性人格障害者と医師の綱引き合戦
野津純一が処方される薬剤に強い関心・執着心を持っていることに関連して、平成13年当時の薬剤師は「医大との処方薬について、成分は同じだけど商品名、剤形が異なっていると、不信感を持たれて、服薬を拒否される傾向があったため、本人が納得するよう説明した。その時は納得されたようだった。外来時、薬が変更になったとき、不安・不信感が強かった。その都度説明し、本人の不安など取り除かないとコンプライアンスが不良になる恐れがある」と記述している。
野津純一は、平成16年9月21日のH医師の入院前の問診では強迫性障害(+++)と記述されていたのである。強迫性障害者は薬や治療法にとことんこだわる、野津純一には十分なインフォームド・コンセントが必要だったのである。都立松沢病院林直樹医師によれば「治療者は強迫性障害の患者に対してこだわりのない、さらりとした態度でかかわることをこころがけるべきである。患者のペースにのって接するなら、彼らは『蝿取り紙』のように粘着し、治療を『綱引き合戦』のような場に変えてしまう。反対に、患者は治療者を相手に不安を回避する作業を十分やり終えた後では、実質的な前進を開始できるようになる。そのような段階に入ると、強迫的な世界の中に閉ざされていた患者にとって治療関係は外界との自由な交流の場として機能し始める」と記載している。渡邊朋之医師の「足のムズムズを不必要に訴え続ける…」の言葉に、被告主治医が患者の野津純一と同レベルで「綱引き合戦」をしていたようにも思える。野津への精神療法がうまくいかなかった理由もこのあたりにあるのではないかと推察される。
13) 医師法上の問題点
医師法施行規則第23条には、診療を受けた者の、(1)住所、氏名、性別、年齢、(2)病名及び主要症状、(3)治療方法(処方及び処置)、および(4)診療の年月日が、記載事項として指定されている。渡邊朋之医師は「11月23日よりプロピタン(50)の内服を中止し様子をみた」と証言しているが、野津純一の診療録には11月23日の記載がない。また11月23日の処方変更は診療録のどこにも記載されていない。22日の記載は「プラセーボを試す」であり、薬の処方変更ではない。なお、診療録で薬処方の見直しに言及したのは11月30日である。統合失調症の治療では、抗精神病薬服遵守が何よりも大切である。このため抗精神病薬を中止した理由を患者にどう説明したかを、口頭だけでなく記録として記載しなければならない。患者は「選択した治療方法を理解できることが必要であり」その状況を診療録に記載しなければならない。更に主治医は「治療効果を判定して、適宜見直しなどがなされなければならず」これらも診療録への要記載事項である。これらが欠落していることは、11月23日には診療の事実がなかったと見なされてもしかたない。
11月23日の診療記録がないという事実は、医師法第24条第1項の「医師は診察したときは、遅滞なく診察に関する事項を記載しなければならない」と「療養担当規則第22条」の「保険医は、患者の診療を行った場合には遅滞なく診療録に必要案事項を記載しなくてはならない」に抵触すると思われる。更に、同日付けで薬処方の記載がない。これは医師法施行規則第23条の「3)治療方法(処方及び処置)」および「4)診療の年月日」に抵触していると指摘される。
いわき病院長の野津純一に対する薬処方変更後の「治療効果判定」は11月30日の診療録では「幻覚妄想や精神運動興奮に関して」記載が無く、12月3日には「異常体験(人の声、歌)等の症状はいつもと同じ」であり、検証したとは言い難いお粗末の限りである。イライラ、ムズムズ、振戦が11月30日以降は11月23日以前より酷くなり、QOL(生活の質)が下がっていたことは看護記録より明らかであるが、診療録には「心気的訴えも考えられる」としか書かれていない。「抗精神病薬中止・抗不安薬増量」については患者である野津純一の同意を得ることもなく、また説明もしておらず、インフォームド・コンセントを考慮しない行為である。この背景にはいわき病院長が患者である野津純一を見下していたとしか言いようがない、渡邊朋之医師の傲慢な態度がある。いわき病院の野津純一に対する診察は数々の医師法の規定に抵触している可能性が極めて高いと指摘することができる。
14) 薬事処方の総括
野津純一のように、20年に亘り統合失調症に罹患しており、幻聴も消失しない患者にとって、治療上最も重要なことは「抗精神病薬の服薬遵守」である。それを主治医の方から一方的に、患者に説明も合意も無いまま処方から抗精神病薬を抜いていた。渡邊朋之医師はエビデンス(証拠)に基づく医療ではなく、単なる思いつきから統合失調症の薬を中断した。これは「医師の裁量の範囲を著しく逸脱」している。患者である野津純一からの「クライシスコールの叫びも無視」して診察拒否をした。野津純一は精神保健指定医療機関であるいわき病院に入院していながら、あろうことか、「精神医療から遠ざかっていたと同じ状況」だったのである。これは日本の精神医療の実態としても、とんでもないことである。
渡邊朋之医師は、野津純一の遅発性ジスキネジアに対して、「心気的で執拗な訴えである」と安易に考えて適切な治療をせず、被告野津のQOL(生活の質)を著しく下げた。強迫性障害の薬物療法(薬剤選択、投与量、投与期間)も不適切で、逆に、統合失調症症状を悪化させる抗不安薬を大量投与した。渡邊朋之医師から患者である野津純一に対して不安を与え続けていながらそのことには思い至らず、「5日と6日は同じ時間帯に外出していて特異な状況である。事件前日の外出時に何か不安になることがあったのでは…」とは、真面目にまた真摯な態度で精神科医師としての仕事をしているのかを疑うほどである。
野津純一は「SST」も「作業療法」も「心理教室」も、「眠くていけない」と全く効果がなかった。野津純一が唯一関心を持っていたのは「薬剤管理教室」で、自分に処方されている薬の話になると俄然目を開き、一言も聞き漏らさない優等生に変身する。毎月3-4回は開かれていた野津純一に対する薬剤管理教室は平成17年11月2日が最後で、11月下旬の重大な処方変更が行われた前後では野津純一に対して「薬剤管理教室」は開かれなかった。いわき病院薬剤師は、野津純一に「抗精神病薬服用を続けることの大切さ」を常々説いていたが、抗精神病薬抜きの処方箋を見て、野津純一に薬剤管理教室を行うことにためらいを覚えたのではないかと推察される。
ところで、以和貴会が法廷に提出した薬処方(P2、P3)に関する証言は、診療録(P1)及び保険請求とは異なる処方であった。診療録は医師法に定められた正規の書類である。この間に矛盾や記述内容に違いが生じることは本来的にあり得ず、以和貴会が一度法廷に提出した薬処方(P2)の内容を訂正してまでして再提示(P3)した真意を図りかねるところがある。
5、野津純一に対する作業療法の効果
1) いわき病院の作業療法の論理的問題点
野津純一の主治医であった渡邊朋之医師は、平成17年2月28日付のSST指示箋で野津純一の診断名を統合失調症として、さらに、野津純一の生活状況について「幻聴及び妄想に基づく行動が目立つ」と記述した。渡邊朋之医師は、野津純一に対しては強迫神経症の症状というよりも、内因性精神病である統合失調症の症状として認識していた。この指示箋によって野津純一に対してSSTが開始されたが、作業療法を実施している時間帯に重複してSSTが実施されていた。野津純一は一人しか存在せず、同一日の同一時間帯に異なる場所に居るはずがない。いわき病院は、香川県の精神科においては病院機能評価による最初の認定病院であり、このような栄誉あるべき精神科病院としては「単なる記載ミス」では済まされない。SSTや作業療法は保険診療であり、レセプトによれば、平成17年6月において重複した診療報酬が支払われていた疑いがある。
1.平成17年6月2日(木)
10:00~11:00 アネックス棟OT室にてSST
9:30~11:30 集団にて卓球
2.平成17年6月23日(木)
10:00~11:00 アネックス棟OT室にてSST
9:30~11:30 集団にてソフトテニ ス
3.平成17年6月30日(木)
10:00~11:00 アネックス棟OT室にてSST
9:30~11:30 集団にてビーチボールバレー
4.平成17年8月4日(木)
9:30~10:30 アネックス棟OT室にてSST
9:30~11:30 集団にて風船バレー
いわき病院で行われるSSTや作業療法にも深刻な疑問があり、SSTや作業療法の記録では、「いわき病院で行われていた各種の精神科治療は、野津純一の精神症状改善あるいは緩和に一向に寄与しなかったのではないか」という疑念を持つ。いわき病院長の渡邊朋之医師は、野津純一の単独外出に関して、「社会復帰訓練の一環としての外出」という平成17年12月8日の記者会見をしている。その「社会復帰訓練の一環」とは具体的には、「いわき病院近隣のコンビニエンスストアや書店、スーパーマーケットへの散歩」というのが実態であった。私たちは終始一貫して、「野津純一の単独外出は精神症状の不安定さ等々を考慮すると自傷他害の危険性を排除し得ず、作業療法士や看護師の同伴が必要になる」と指摘してきた。これに関していわき病院は「精神科医療の開放化に逆行するもの」という論理のすり替えを展開して、「日常生活における必要物品の買い物くらいの自由は保障して然るべき」と発言している。被告野津純一の主体性や積極性を養うという大義名分とは裏腹に、実際に被告野津純一は、作業療法には殆ど参加することなく自閉的な入院生活を送っていたのが実情であり、治療的関わりは積極的かつ主体的に行われてない。他方では、被告野津純一の単独外出を認め続けた結果(作業療法士が同伴しなかった)、被告野津純一は外出後に感情のたかぶりが起こり、イライラやムズムズなの不定愁訴が持続したとも解釈できる。その結果被告野津純一が「社会復帰訓練の一環」として行われた外出中に殺人事件を引き起こしたという結果の責任は大きいと言わざるを得ない。
いわき病院内では、主治医と作業療法士との間で連絡不徹底が発生して、いい加減な医療が行われていた。主治医である渡邊朋之医師は作業療法指示箋に基づくリハビリテーションがいわき病院内で実践されていないこと、また、具体的な治療の進捗状況を主治医として把握してなかったなどの責任を負う。作業療法の問題点を指摘すれば、いわき病院長は「主治医が悪いのではない、作業療法士が悪かったのだ」と責任転嫁するのではないかと疑うところがある。それは医師としての職責法規であり、いわき病院長としては病院最高責任者としての責任が問われるべき業務上の怠慢である。
2)、野津純一に対する作業療法の効果
いわき病院は作業療法部門において、野津純一を「スポーツクラブ」に所属させたが、10月1日から11月30日の2ヶ月間において、野津純一は1回しか参加していない。作業療法の処方目的は②対人関係技能の改善、⑧病的経験の軽減、⑨現実検討能力の養成、⑬日常生活リズムの活性化、などの改善あるいは軽減である。スポーツクラブへの参加に対して、少なくとも野津純一の自主性あるいは積極性を期待することは困難であり、治療効果をあげるには作業療法士による積極的介入が不可欠である。平成16年12月1日から翌年1月30日の2ヶ月間は、野津純一は1回もスポーツクラブに参加しておらず、習慣化したプログラムを提供して現実検討を促進するという作業療法の目的が達成されていない。ところが作業療法(OT)評価報告書が平成17年1月31日に提出されており、主治医の処方の真意を汲むことなく、作業療法士による独断(予断)が行われた可能性が窺われる。
作業療法(OT)評価報告書では、担当作業療法士が積極的に関わり、野津純一との人間関係構築したという結果は客観的に記されておらず、伝聞であることを示す「?とのこと」で代表されるような、まるで他人事のような表記をしている。具体的なOTの目標は、上記②対人関係技能の改善、⑤情緒の安定化、⑥不安の軽減、⑧病的経験の軽減、⑨現実検討能力の養成、⑬日常生活リズムの活性化の改善あるいは軽減をすることである。作業療法部門において野津純一に対して「スポーツクラブ」が選択された理由が記述されておらず、しかも「作業療法部門の短期目標」は「作業療法への参加率向上」と「不安の軽減」が掲げられている。そもそも野津純一本人は「不安が増強しているが故に対人交流を含めた社会活動が不得手」なのであり、それを軽減(改善)することが本義なのである。それにも関わらずスポーツクラブ参加を処方したが、その結果としてスポーツクラブへの参加回数が芳しくないのは、野津純一の不安が増強したことが直接的な理由である。野津純一に対して行われた作業療法部門の実践内容は医師の処方箋の内容を忠実に捉えておらず、野津純一の「精神症状による原因」と「結果としての問題点」という明確な因果論を捉えることなく、単に精神症状と日々の生活行動の関連性を示すだけの次元である。ただ単に、作業療法をやれば保険点数を稼いで病院の収入になり担当者も仕事になるとして漫然と行われており、本来の治療効果を期待できてない。
平成17年2月14日に主治医が渡邊朋之院長に交代したが、同日の処方箋(平成17年2月14日から平成17年7月13日まで6ヶ月間の有効期間)では「趣味は不明、聞いてください」および「対人的な場面でも妄想的症状が出現するかどうか」と作業活動に対する要望として記載されている。この処方箋の診断名は「Sc suspected(統合失調症の疑い)」となっており、以前と診断名が異なっている。担当作業療法士も変更となっており、従来のスポーツクラブに加えて「個人療法」が実施されることになった処方内容の変更が読み取れる。しかしながら、それまでと同じく野津純一の作業療法プログラム(個人療法)への参加は少なく、2月1日から3月31日の2ヶ月間に僅か2回の参加に留まっていた。いわき病院の作業療法は相変わらず放任主義的な関わりであり、野津純一の症状に対する綿密な評価が行われているとは言い難い状況であったことが窺われる。
渡邊朋之医師の上記の処方箋の有効期間内である平成17年3月25日に「作業療法指示箋」が出されている。作業療法開始年月日は同年4月1日で、終了年月日は同年9月30日の6ヶ月間の有効期間である。これに対して、実際に作業療法が実施(再開)されたのは同年4月14日からであり、2週間の無治療期間が存在し、その後は同年5月10日まで野津純一は作業療法に参加していない。結局のところ、5月は週に1回のペースでしか作業療法は実施されていない。6月においては5回分の作業療法の記録はあるが、実施した間隔に変動があり、およそ習慣化したプログラムとは言えず、野津純一に対する治療的効果は高いとは言えない。作業療法の具体的内容は、卓球が多く、調理、ソフトテニス、ビーチボールバレーといった活動が実施されているが、これらが野津純一の精神症状の安定に「如何様に貢献し得るのか」ということが不明である。
平成17年5月31日付の「作業療法(OT)評価報告書」によると、平成17年4月1日から平成17年5月31日の2ヶ月間において、野津純一は作業療法に4月は2回、5月は4回しか参加していない。それにも関わらず、担当の作業療法士は「情緒の安定化、成功体験、現実検討能力の養成」を短期目標に掲げている。通常、作業療法評価における短期目標とは、概ね2?3週間で達成可能と予見できるものが設定される。しかし、野津純一に対して、2ヶ月間で6回しか接しておらず、作業療法士は「何を根拠に短期目標を設定したのか」が不明である。前述の評価報告書においては、活動場面における課題遂行能力は中程度?高程度であると判定しており、少なくとも現実検討能力は十分にあることを指し、短期目標で掲げた現実検討能力は既に目標を達成しており、「既に達成している目標をさらに目標として掲げることの意味」が無い。いわき病院の作業療法部門は野津純一に対して十分な評価(観察)をすることなく、作業療法士の都合で評価報告書を作成していると指摘される。加えて、平成17年7月31日付の「作業療法(OT)評価報告書」の裏付けとなる野津純一に対する作業療法期間の平成17年7月1日から平成17年7月31日までの記録が欠落している。同様に、平成17年9月30日付の「作業療法(OT)評価報告書」における平成17年9月1日から平成17年9月30日までの記録も欠落している。このような状況にも関わらず、2ヶ月間の平均的な作業療法の効果として評価報告書を作成している。
いわき病院長渡邊朋之医師は事件直後に『作業療法、SST、金銭管理トレーニングはいずれも「良好な対人関係の構築」「正常な金銭感覚の修得」のための訓練であり、私や作業療法士等により計画的に実施してきました。しかし正直なところトレーニングの記録を確認しても、目立った改善はありません』と述べた。いわき病院は計画的に作業療法を実施していなかったことはさておき、いわき病院長は「自らの病院で、野津純一に対してはトレーニング効果がなかったこと」を認めていたのである。その上で、いわき病院長は野津純一に対して、効果が期待できないと知りつつ漫然と外出許可を与えていた。
国際法律家委員会レポートの「リハビリテーション・サービス」の項に次の通り記述されている。「慢性化した精神病者に対する介護を向上させるには、リハビリテーション・サービスへの力点を強めることが必要となる。これは介護に焦点を置くもので、必ずしも治療に焦点を置くものではない。精神医学的治療は急性期のエピソードを制御し、回復にいたる期間、あるいは慢性的な精神疾患を治療しようとする際には必要となる。これに対して、リハビリテーション・サービスに求められているのは、継続的ベースの上で、疾患によって負わされた欠陥の調整を援助することにある」。いわき病院で行われた作業療法は目的を逸脱した上に、継続的に行われたとは言いがたく、そして、その効果を上げたとは言えないものであった。その事はいわき病院長も自ら認めていた。いわき病院内では、作業療法を通して野津純一の精神状態を改善すると言う、当初処方された②対人関係技能の改善、⑧病的経験の軽減、⑨現実検討能力の養成、⑬日常生活リズムの活性化などの目的のどの一つをとっても、初期の目的を達する十分な効果を上げていたとは言えず、いわき病院で少なくとも野津純一に対しては効果的な精神障害治療が行われていなかったことを示している。これは国際法律家委員会の勧告にもとるものである。
6、いわき病院の精神科医療の本質を問う意味
いわき病院は自らの精神医療行為の正統性を示すために「国連の非政府間国際機構である国連人権連盟や、国際保健専門家委員会(ICHP)、国際法律家委員会(ICJ)などが中心となって、国際社会における精神病患者の人権抑圧の改善、精神保健サービスの改善・充実に尽力しているところである」と主張した。その根拠として、昭和60年にICHP及びICJが日本に調査団を派遣して、日本の精神医療の時代遅れを指摘し、精神障害者の人権が保障されていないと批判し、精神保健サービスの改善などを勧告した資料として、「精神障害者の人権、国際法律家委員会レポート、明石書店刊、ISBN-4-7503-0845-5」を提出した。
私たちは、本件民事裁判では、いわき病院が提出した国際法律家委員会レポートは尊重され、判断の基準として活用されるべき資料であると考えている。その上で、同報告書から以下の論点を指摘する。いわき病院は自らの意思で同報告書を根拠にして自己弁護してきた経緯がある。従って、私たちは本件裁判で同報告書が基本的な判断基準として採用されることに関してはいわき病院には異存ないものと考える。本件裁判はいわき病院が主張するとおり、日本の精神医療の国際的な評価を問うものであると私たちも考えている。その指針として貴重な証拠資料である。
1) 「いわき病院の主張?総論的主張」に対する反論
(本項で記述するのは、いわき病院が法廷で行った総論的主張に対する逐次反論です。)
一、問題ない外出・外泊
いわき病院は「野津純一が、不穏症状が軽減した同(平成16)年11月9日から開放病棟に転棟し、同年12月4日からは頻繁に1人での外泊(外出を含む)を繰り返しつつも何ら問題行動なく経過し、一切他患・他人とのトラブルなく社会復帰の準備を進めていた」と主張した。
上記の主張で、「1人で外泊を繰り返し」は虚偽である。野津純一は外泊の際には必ず親が付き添っていた。また「1人で外出を繰り返しつつも何ら問題行動なく」はそもそもいわき病院は全ての外出記録を取らず、又外出時の行動調査もしていない。従って、いわき病院は「何ら問題行動なく経過して、一切他患…他人とのトラブルはなく」と主張できない。野津純一は平成16年11月25日の問診で、外出中に「車が自分の方に突っ込んでくるような気がする」とか「本屋で側に人が来るよう気がする」等と話しており、記録上ではトラブルまでは到達していないが、1人での外出の時に本人が不安要素を感じていた要素はある。このため本当に「1人で外出を繰り返しつつも何ら問題行動なかったか否かについては確実な証拠がない」というのが正しいと思われる。
いわき病院は「すなわち、患者の社会復帰を目的とした入院加療の中で、いままで外泊も含め40回以上継続してきた1人での外出と何ら変わりなく外出したその最中に、野津が意識的に1人でスーパーマーケットに行って包丁を購入し、ファミリーレストラン駐車場で通行人である訴外矢野真木人を刺殺するという事件が発生したものである」と主張した。ところがいわき病院が提出した「40回以上の外出」記録は、全て親が連れに来た一時帰宅などで、単独外出記録ではなく、いわき病院の主張を裏付け免責する証拠とはならない事が判明している。すなわち、「40回以上継続した1人での外出と何ら変わりなく外出した」とする根拠が存在せず、この主張は成り立たない。
いわき病院は「本件事件前日も、野津は同じ時間に外出しているが格別問題はなく、12月3日の診察時に、野津には人を刺殺するような幻覚妄想等は何ら認められなかった。」と主張した。ところが、いわき病院長渡邊朋之医師は平成17年12月8に「野津さんが12月5日、6日と2日続けて同じ時間帯に外出していることです。過去の野津さんの外出状況を確認しても、2日続けて同じ時間帯に外出した記録はありませんから、もしかしたら5日の外出の時に何か本人にとって不安を感じさせるような出来事があったのかもしれません」と矛盾する発言記録があり、いわき病院長は「格別問題はなく」と主張することはできない。また精神障害者が他害をする要因は幻覚妄想だけではない。いわき病院長渡邊朋之医師は他害行為を幻覚妄想だけに限定するのは専門の精神科医師として意図的な不作為である。
二、医師の結果予見可能性
いわき病院は「治療を担当していた医師が、本件結果を予見することが可能であったか否か、本件結果を回避することが可能であったか否か、医師の治療行為及び看護師の看護行為と本件結果との間に相当因果関係が存在したか否か、という点が問題となる。」と主張した。
いわき病院が「野津純一が、平成17年12月6日の12時30分頃に矢野真木人を殺害する可能性」を予見することまでを「本件結果の予見可能性」として議論しているのであれば、それは不可能な条件の証明を突きつけているに等しい。問題は野津純一に殺人という他害の可能性が診断できていたか否か、また診断できていたとしたら、その診断に基づいて適切な処置が取られていたか否かである。そもそもいわき病院は『自傷他害のおそれなど認められない患者本人の意思による「任意入院」』と主張しており、野津純一に対して他害の可能性を全く診断していない。このことがいわき病院の過失である。いわき病院は「相当因果関係」を議論する以前に、最初から因果関係が存在する可能性を念頭に置くことも無かった。このことがいわき病院の精神科医療機関としての過失であり不作為である。そもそも、いわき病院は「レトロスペクティブに考察すれば発病の当初から野津本人には殺人衝動があった」と認めており、いわき病院自身も相当因果関係が存在していたことを認めており、いわき病院の否定論そのものが矛盾している。
いわき病院は「今後の統合失調症をはじめとする精神障害者に対する精神科医療に一定の基準をあたえることになる事例である。」と主張した。私たちは、この主張に接して、噴飯の衝動を覚える。いわき病院の主張に正当性が幾ばくでもあれば、その可能性がある。ところが、いわき病院の精神医療は余りにも杜撰でいい加減であることが、私たちとして残念に思われる。現実に課題となるのは、いわき病院が「正しい医療を行っていたにも関わらず」責任を問われているのではない。「その医療が余りにもいい加減であるが為に」責任を問われるのである。いわき病院の問題が、わが国の精神医療の問題となるとしたら、いわき病院の様な精神医療機関が存在することである。またその精神医療機関が病院評価機構に香川県で最初に認定された優良な精神科医療機関と評価されていることである。更には、いわき病院長渡邊朋之医師のようないい加減な医師が存在して、高度な学識が期待されるべき香川大学病院精神科の外来担当医師であるという現実である。
三、レトロスペクティブな主張
いわき病院は「本件は、発生した重大な結果からレトロスペクティブに条件関係を遡っていけば、そもそも入院中の精神障害者に対して外出許可を与えず、閉鎖処遇をつづけていれば結果は発生しなかったという単純な思考が可能である。第三者の死という重大な結果による多額の損害賠償責任を、病院側が未然に回避しようとするならば、治療途上の社会復帰に向けた単独外出が必要あるいは有用であるとの医学判断が導かれる場合と言えども、そのような患者を院外に出すことを一切断念あるいは躊躇せざるを得ないという状況が生まれやすいことになる。」と主張した。
私たちは1回も「入院中の精神障害者に対して外出許可を与えるのは間違いだ」という主張をしたことはない。私たちがいわき病院に主張していることは「精神障害者に外出許可を与える前提として、十全な診断を行いなさい」また「外出許可の運営に当たっては、毎日の患者の精神状況の変化を観察して、きめ細かな運営を行いなさい」と言う点である。いわき病院の問題は「社会復帰に向けた外出が有効」と判断したら、あとは放任して満足な治療すら実践していない。このような、無責任な行動を取る医療機関にはそれ相応の賠償責任を負わせることにより、病院医療の改善と精神医療の進歩が期待できるのである。いわき病院の精神医療と渡邊朋之医師の不作為は余りにも酷い状況である。いわき病院は大きな責任に応じた損害賠償金を支払う義務がある。これにより日本の精神医療に進歩と改善を期待できるのである。いわき病院に損害賠償の責務を負わせることが、日本の精神医療を改善するための礎となると確信している。
いわき病院は「院外への単独外出を許可しない場合であっても、医師の判断からして、幻覚・妄想等の症状が強く、医学的にもそのような単独外出が、症状を増悪させる具体的な可能性を有していると判断される場合であれば、外出させないことは患者の保護になり精神科医療の目的と合致することになるので格別問題はない。」と主張した。いわき病院は、外出許可を与えない症状として「幻覚・妄想等」に限っている。そもそも幻覚と妄想は問題行動を示す「現在の病状又は状態像」の単なる一要因であり、いわき病院は限定的に過ぎて議論としての妥当性を持たない。
いわき病院は「高額の損害賠償を請求されるかもしれないとの一種の危機感から医学上必要かつ有用な院外への単独外出が事実上抑制されることになれば、以下のような問題を生じせしめる。」と主張した。私たちはいわき病院が主張するこの論旨の前提となる事実関係や論理が全て間違いであるか、不作為か、不充分であることを指摘してある。そもそも、虚偽を基にして、自らの主張の正当性を論じることはできない。いわき病院は野津純一の治療に関連して「医学上必要かつ有用な」を証明できない議論を展開しており、それ相応の損害賠償金を請求されても仕方がない。「医学上必要かつ有用」を根拠にするにはお粗末に過ぎる。
いわき病院は「院外への単独外出(外泊を含む)は統合失調症患者等の精神障害者の社会復帰を果たすために必要不可欠な処遇であるところ、この処遇になかなか踏み切れないが為に、患者の寛解を遅延させ、あるいは逆に症状を増悪させ、治療という医療の目的がとん挫してしまう」と主張した。そもそも、私たちは精神障害者の開放治療と社会復帰の促進を否定していない。むしろ促進するべきであると考えている。問題としているのは、これらを大義名分として、「精神医療の不作為や怠慢を許容する事ができる」とするいわき病院の主張と姿勢にある。治療という医療目的があれば、患者治療を疎かにしても、精神医療の不作為と過失が許されて、最大の人権侵害である殺人行為の責任が問われなくても良いとする主張こそ、是正されるべきである。「医学の道理が通れば殺人事件の発生も許されれる」と言う、公序良俗に反して、正義のない主張である。
いわき病院は「患者を必要以上に長期に精神科病院に収容するという結果となり、患者の自由を不当に拘束し基本的人権の侵害を生む。」と弁明した。私たちは何回も主張しているが、精神障害者の社会復帰は促進される必要がある。また私たちは「精神障害者を不必要に長期間精神病院に収容するべきである」と主張したことはない。私たちが主張しているのは「精神障害者の人権を守るには、必要最低水準の精神科医療が日本全国どこでも行われ、それが全ての患者に対して行われなければならない」である。ところが、いわき病院で行われている精神医療は錯誤や不作為が多い実態が判明した。これでは、精神障害者の基本的人権を守る医療とは言えない。
いわき病院は「患者に対する過度の管理が強化され、不当に長期に施設内治療が実施される上に、病院内での患者の自主性も不当に軽視され、患者が完全に医療に隷属する関係になってしまう。」と主張した。そもそも、いわき病院のような、厚生労働省が精神障害患者の問題行動の指定項目としている「16無断離院」の管理すら満足にできていない精神科病院が存在することが問題である。患者の症状を正確に診断せず、きちんとした医療を行わないで、患者を病院に収容することこそ、本末転倒の精神障害者医療である。
いわき病院はあたかも自らが精神障害者の人権擁護の実践者であるかのような主張をして、その大義名分があれば、不勉強と不作為そして怠慢までが許されるという主張をしている。そもそもいわき病院は精神科の病院であり、精神科病院として行うべき正しい医療があってこそいわき病院の主張に正当性が出る。いわき病院の主張の本質は、医療上の不作為と怠慢および錯誤の責任を逃れようとする論理である。いわき病院は精神障害者の基本的人権という言葉を振り舞わしているが、いわき病院が適切な医療を行うことがそもそも、精神障害者の基本的人権を守ることである。その前提無しに、万能の剣のように基本的人権の擁護者であるとする立場を振り回す行為は、社会の公序良俗を破壊することである。いわき病院自らの責務を果たさなければならない。
四、医師の注意義務違反
いわき病院は「具体的に治療を担当していた医師が、当該患者である野津に対して単独外出許可を与えた判断において、単独外出中に患者が包丁という非常に危険な本来的凶器を購入し、さらに通行人を待ち伏せして突然刺殺するであろうとの、具体的予見可能性および回避可能性が存在し、医師としての注意を払ったならば殺人を具体的に予見し、殺人を具体的に回避することができたと法的に判断できなければ、当該患者に外出許可を与えた医師の判断において、本件殺人事件発生に対する注意義務違反は認められない」と主張した。
患者の外出許可の可否の判断は医師が法律者として行う行為ではなくて、医師が医師として医療的見識に基づいて行う行為である。医師の医療行為に正当性があり、外出許可をいわき病院として適切に管理運営されておれば、いわき病院の責任は軽減される。いわき病院はそもそも野津純一に「自傷他害のおそれがあること」に関して適切な診断を行っていない。野津純一本人および両親から過去の他害行為の履歴を説明されたにも関わらず評価していない。過去にいわき病院も野津純一に「攻撃性の緩和」治療を行っていた。いわき病院内でも野津純一は平成16年10月21日にO准看護師に襲いかかっていた。歯科では毎月のように野津純一の暴力行動に対する抑制措置を行っていた。数々の具体的行為があったにも関わらず、いわき病院長渡邊朋之医師は「暴力行為はなかった」と事実をねじ曲げている。事実に基づかず、適切な診断をせず、注意義務違反は無いと主張することはできない。いわき病院が主張する具体的予見可能性は、「万人に不可能で、あり得ないこと」を要求している。私たちはいわき病院は精神科病院として、また渡邊朋之医師は「精神科専門医師として可能な限り最大限の現実的で可能な対処をしたか否か」を問うている。主治医として患者の「自傷他害のおそれ」を診断しなかった過失がある。
いわき病院は「本件患者である野津に対する1年以上に亘る入院加療中、担当医師が患者に対する診断、治療方針の決定、投薬等の具体的治療行為の過程において、他の治療法等を選択しなければ当該患者が外出中に他人を刺殺するとの具体的危険性が存在し、そのような具体的結果を予見することが可能であり、かつ結果を回避することが可能であると法的に判断できなければ、担当医師の当該患者に対する本件医療行為には、本件殺人事件発生についての注意義務違反は認められない」と主張した。精神保健福祉法では患者の自傷他害のおそれに関しては、危険性が高いか否かを問うているが、「具体的な結果の予見性」までは要求していない。そもそも、何者であれ「具体的な結果の予見性」を正確に判断することは不可能である。いわき病院は可能なことを最大限の注意義務と努力目標とせずに、本来あり得ず不可能なことを条件として、「だから自分には責任がない」と主張している。またいわき病院の主張の中の「担当医師が患者に対する診断、治療方針の決定、投薬等の具体的治療行為の過程」の部分は、そもそも、いわき病院及び主治医渡邊朋之医師の野津純一に対する診断には過誤があり、「自傷他害のおそれ」を診断していない。また統合失調症と強迫神経症を二重診断しているが、野津純一にはとりわけ強迫行為の訴えが多いという事実から、強迫観念の加重疲弊による安寧の破綻と衝動性や行動化の可能性、ひいては反社会性人格障害の様相に至ることを予見していない。このため、治療方針の決定と投薬等の具体的治療行為そのものが適正であったとは言えない。
渡邊朋之医師は平成17年11月22日には「生食でプラセーボ効果試す」と診療録に記載しているがそもそも「プラセーボ効果を試す」ことは治療行為ではない。またその直後に統合失調症薬を停止していた。これに関して12月2日の看護記録には野津純一の投薬変更に対する不満が記録されている。更には12月4日には「アキネトンやろー」と確かめる表情をしてプラセーボそのものを疑っていた。「担当医師の投薬等の具体的治療行為の過程」にも問題があった。適切に診断されなければ正しい治療方針が決定できる訳はない。その上で、渡邊朋之医師の投薬などの具体的治療行為も場当たり的であった。いわき病院の野津純一に対する精神障害医療はそもそも間違いであり、注意義務違反を論じる以前の問題である。
いわき病院は「理由もなく命を落とす被害者が存在する一方で、不当な差別・偏見に悩む多くの精神障害者が存在する」と「殺人」と「差別・偏見」を等置しているが、これは間違いである。「殺人」は最大の人権侵害であり、一度殺人されると生き返ることがあり得ず、失われた人権を回復する手段がないのである。ところが差別・偏見の場合には生きているので、生きている間にその権利回復が可能である。いわき病院は精神障害医療を通して、精神障害者の差別と偏見の問題の解決に寄与することが期待されており、その責務は適切で効果的な医療である。精神障害者の不当な差別と偏見を改善する適切な治療を行わず、「殺人」と「差別・偏見」を等置する主張をすることは、「殺人」を容認する行為である。いわき病院の主張は正義と公序良俗に反している。
いわき病院は『自傷他害のおそれなど認められない患者本人の意思による「任意入院」である点は重要な判断要素とされるべきである』と確固たる意思で結論として述べている。そもそも「自傷他害のおそれ」は「任意入院」である無しの問題ではない医学的な精神症状の問題である。いわき病院および理事長であり野津純一の主治医でもあった渡邊朋之医師の精神科指定医としての資格が疑われるべきである。
五、自傷他害のおそれと医療現場の苦悩
いわき病院は『医療の現場においては、精神科医が日々、担当する患者の自殺のおそれ、または他害のおそれについて悩みながらも、漠然とした不安だけで治療を拒否し患者を社会復帰から遠避けてはならないという使命を背負い、日々治療に当たっているのである。』と主張した。被告いわき会がこのように主張するのであれば、野津純一の「自傷他害のおそれ」を何故診断しなかったのかを疑う。また何故に『自傷他害のおそれなど認められない患者本人の意思による「任意入院」』と主張するのかその真意を疑う。これは明らかに論理矛盾である。いわき病院が患者の自傷他害のおそれを悩むのであれば、その事に関して適切な診断をしなければならない。また自傷他害のおそれがないのであれば、いわき病院が悩む問題ではない。渡邊朋之医師は自らの資質の低さをさらけ出し、いわき病院の精神医療には効果を期待できないと主張しているに等しい。
2) 痴呆老人と精神障害者を同じ病棟に混在させる弊害
国際法律家委員会レポートの第2部、第二次調査団報告の第Ⅲ章、「精神保健サービスの評価」には次の通り記述されている。「(日本の)多くの病棟は、老人患者で一杯となっている。多くの者は、精神科的問題はあまりなく、重大な身体的問題を持っているように思われた。こういった老人患者が定期的に再診断される事はなく、老人痴呆という命名は年齢とわずかの精神症状だけによってなされているように思われる。公式統計は、1987年6月で、18.6%の患者が65歳以上であることを示している。しかし、調査団の訪問した精神病院のうちのかなりな数の病院では、患者の50%以上が65歳以上で、その状態像は上述のとおりであった。その結果、これらの病院は基本的に老人のためのナーシングホーム、すなわち老人ホームとして機能している。これらの病院が急性期のケアと治療のために緊急に必要とされる職員と資源を費消していた。我々の意図は、こういった個人に対するケアの否定を勧告することではない。彼らはもっと適切な老人センターや高い質を持ったナーシング施設でケアされうるのである。」国際法律家委員会の第2次調査団は、日本の精神科病棟で痴呆老人と精神障害者を混在して入院治療させている実態に対して、「必要とされる職員と資源を費消」しているとして警鐘を鳴らしていた。
図はいわき病院がインターネットで公開していた、野津純一が矢野真木人を通り魔殺人した当時のいわき病院の病棟配置図(事件後改組されている)である。野津純一が入院していたアネックス棟の3階は別棟の中央棟3階の第2病棟の一部であり、第2病棟のナースステーションが一元的に管理していた。ところで中央棟3階は「ストレスケア病棟」であるが、その実態は痴呆老人病棟として運営されていた。また36才の野津純一は「児童思春期心のケア病棟」に入院していた。香川県で最初の病院機能評価による精神科認定病院であるいわき病院は、国際法律家委員会の第2次調査団が、日本の精神科病院が職員と資源を浪費している事実として指摘していた痴呆老人と精神障害者の混在治療と看護を実践していた。いわき病院の管理運営の実態は国際法律家委員会をはじめとする国際的な批判の対象となるべき事実がある。それにも関わらず、被告以和貴会は自らの医療を批判することは国際的な責務に反するかのような論理を主張している。
図 野津純一が入院していた当時のいわき病院病棟配置図
3) プラセーボ投薬とインフォームド・コンセント
いわき病院長は平成17年11月22日には「生食でプラセーボ効果試す」と診療録に記載している。ところが野津純一に対してプラセーボ効果を検定する試験設計がなく、実態は薬効のない生理食塩水をアキネトン筋肉注射に代えて試すという断薬のような意味合いである。いわき病院長が11月22日に生理食塩水によるプラセーボ注射を指示してから実際に実行し始めたのは12月1日である。また11月30日(法廷に提出した資料(P3)によれば11月23日に薬処方を変更した)には「薬の整理を」として統合失調症薬であるプロピタンの処方停止を行った。これに関して12月2日の看護記録には野津純一の「内服薬が変わってから調子が悪いなあ…院長先生が(薬を)整理しましょうと言って一方的に決めたんや」という投薬変更に対する不満が記録されている。更には12月4日には「アキネトンやろー」と確かめる表情をしてプラセーボそのものを疑っていた。渡邊朋之医師は12月3日の診療録に「退院し、1人で生活には注射ができないと困難である。心気的訴えも考えられるため」と記載している。野津純一が退院すると自分では注射できないとして、アキネトンの筋肉注射をプラセーボと称して生理食塩水に変え、またムズムズを止めようとして統合失調症薬の施用を停止したのである。
問題は、渡邊朋之医師の薬の変更とプラセーボを試す行為がインフォームド・コンセントの原則に合致しているか否かである。いわき病院長はプラセーボを試すことについては野津純一に何も説明してない。そもそもプラセーボの用語を使うことで「生理食塩水の筋肉注射を野津純一には教えないという意思」が明確である。また裁判で証言した11月23日からの内服薬の変更については、実際に変更されてから一週間以上も経過した11月30日になって初めて「薬を整理しましょう」と診療録に記述している。また変更を野津純一に伝えたか否かは不明で、どの薬をどのように変えるかについては説明してない。野津純一は薬が変更された後の12月2日には「院長先生が一方的に決めた」と言って不満を漏らした。
国際法律家委員会レポートには「精神病者の保護及び精神保健ケアの改善」に関する1990年の国連総会決議(46/119)(P.282)と「精神病者の保護及び精神保健ケアの改善のための原則」が掲載されている。その原則の中で、インフォームド・コンセントに関連するものを以下の(参考)に抜き書き列記した。
いわき病院長渡邊朋之医師は「プラセーボを試す」として野津純一の治療を行ったが、これは原則1の「精神保健ケアを、最も有効に享受する権利」を侵害する。なぜならば、「プラセーボを試す」とは本来野津純一以外の他者の治療を促進するために薬剤のブランクテストを行うものである。またいわき病院長は生理食塩水には薬効がないことを承知して使用した。これは原則9の①の「適切と考えられる治療を受ける権利」を侵害した。また原則10の「実証済みの効果を持つ薬物だけを投与する」に違反した。生理食塩水は「精神障害の治療に効果を持つ薬物」ではない。いわき病院長は「効果を持つ薬物ではない」と承知して野津純一に投与することを指示した。
野津純一は「院長先生が一方的に決めた」という不満を持っていた。これは原則11の①「患者のインフォームド・コンセント」と②「自由意思により得られる承諾」に違反した。更に野津純一はいわき病院長の投薬変更に不満を持っていたので、いわき病院は④「治療を拒否し、または中止させる権利」を無視した。更に⑮の「臨床治験および実験的治療は、インフォームド・コンセントのない、いかなる患者に対しても行われないものとする」に違反した。いわき病院長渡邊朋之医師は野津純一の承諾無しに「プラセーボを試した」のである。
国際法律家委員会レポート、第三部、第Ⅳ章 (四) (iii) 患者のカウンセラーには以下の通り記述されている。
国連「原則」が絶対的に認めていることとして、精神病患者は、彼らの法的権利を正しく理解し、行使するために家族や他の人々の援助を時として必要とするとしている。多くの国々において、コミュニケーションと権威とのギャップは、患者が精神病者であろうとなかろうと、医師と患者の間は不可避的に存在するのである。このギャップは特に日本において顕著である。つまり日本のように、患者と医師の間に上下関係のあるところでは“上に立つ人”に対する最大の服従と尊重を社会文化的規範が要求しているからである。
医師(特に精神科医)は、患者に医療情報を与えることにしばしば乗り気でない。同様に、患者はインフォームド・コンセントの権利を有していない。患者の権利運動の成長にもかかわらず、医師にとって彼らが患者の“代理で”医学的決定を下すことは、一般的に適切であると、未だに考えられている。広く受け入れられている医療のパターナリスティックモデルの結果として、たとえ患者が十分な機会が与えられていたとしても、彼らは精神医療審査会手続きにおいて意味のある役割を果たすための情報は、ほんのわずかしか持っていない。
いわき病院の精神医療では国際法律家委員会が日本の精神医学会に対して懸念を表明した「患者はインフォームド・コンセントの権利を有していない」という状況が実体として存在している。いわき病院が、自らは正しくて、いわき病院の問題点を主張することは非人道的であるとか、国際的批判に晒されることになる等と主張することはできない。むしろ国際的には被告いわき会が実施していた治療内容が具体的に明確にされず臭いものに綴じ蓋を降ろすような終結を行う行為が批判の対象となるのである。
(参考) 「国際法律家委員会レポート 精神障害者の人権」から抜粋
「精神病者の保護及び精神保健ケアの改善」に関する1990年の国連総会決議(46/119)
「精神病者の保護及び精神保健ケアの改善のための原則」 (P.281)
原則1 基本的な自由と権利
-
- <すべての者は保健と社会システムの一部をなす精神保健ケアを、最も有効に享受する権利を持つ。
原則9 治療
- すべての患者は、最も制限の少ない環境で、最も制約が少なく、もしくは最も侵襲が少なく、かつ自らの健康上のニーズと他の者の身体的安全を保護する必要性に照らして、適切と考えられる治療を受ける権利を持つ。
- すべての患者の治療は、患者の自立性を維持し、増進することに向けられる。
原則10 投薬
-
- 投薬は、患者の最良の健康ニーズを満たすものであり、治療的または診断的目的のみのためにのみ患者に与えられ、懲罰として、または他者の便宜のためには決して用いられはならない。本原則第11条15項の規定に従い、精神保健従事者(mental health Practitioner)は、すでに知られた、あるいは実証済みの効果を持つ薬物だけを投与するものとする。
- すべての投薬は、法的資格を持つ精神保健従事者によって処方され、患者の診療録に記録されるものとする。
原則11 治療の同意
- 治療は以下の第⑥、⑦、⑧、⑬および⑮項に規定する場合を除き、患者のインフォームド・コンセントなしには行われない。
- インフォームド・コンセントとは、おどしや、不適切な誘導(inducements)を行うことなく、患者が理解し得る書式と言葉を用い、適切かつ了解し得る以下の情報を正しく説明した上で、自由意思により得られる承諾をいう。
- 診断の見立て
- 治療目的、治療法、おおよその治療期間および予想される効果
- より侵襲性の少ない(less intrusive)方法を含め、他に与えられる治療方法および
- 治療で生じる苦痛、不快感、危険性および副作用
- インフォームド・コンセントの手続きにあたっては、患者が選んだ者の同席を求めることができる。
- 患者は、下記の第⑥、⑦、⑧、⑬および⑮項に規定する場合を除いて、治療を拒否し、または中止させる権利を持つ。治療の拒否、または中止によって生じる帰結については、これを患者に説明しなければならない。
- 患者が、インフォームド・コンセントの権利を放棄するように求められたり、また放棄を勧められたりすることはない。もし患者がこれを放棄しようとするときは、インフォームド・コンセントなしには治療を行い得ないことを、当人に説明するものとする。
- 以下の第⑦、⑧、⑫、⑬、⑭および⑮項に規定する場合を除き、次の条件が満たされれば患者のインフォームド・コンセントなしに、提案する治療計画を患者に実施してもよい。
- 患者が、その時点で、非自発的患者となっていること
- 第二項で規定されている情報を含め、あらゆる関連情報を提供された上で、独立機関が、提案されている治療計画に対し、当該患者はその時点で、インフォームド・コンセントを与えたり、またはこれを留保したりする能力を欠くと認めるか、あるいは国内法の規定により、患者および他の者の安全を考慮した上で当該患者が不当にインフォームド・コンセントを留保していると判断し、かつ
- 独立の機関が、提案されている治療計画は当該患者の健康上のニーズにとって、最善の利益にかなっていると認めること。
- (法定代理人を持つ患者の場合)
- 下記の、第⑫、⑬、⑭および⑮項に規定する場合を除き、法的権限を持つ有資格の精神保健従事者が、患者自身または他の者への即時的あるいは切迫的な危害が及ぶことを防ぐためには、緊急に必要であると認めた場合もまた、インフォームド・コンセントを与えていない、いかなる患者に対しても治療を行うことはできる。かかる治療は、この目的のために、厳密に必要とされる期間を超えて延長されないものとする。
- 患者のインフォームド・コンセントなしに認められるどのような治療であっても、なお患者に対し、できる限り当該治療の特徴および可能な代替治療について知らせ、また治療計画に患者を参加させるように、あらゆる努力が払われるものとする。
- すべての治療は、それが非自発的かまたは自発的かを記し、患者の診療録に直ちに記録される。
- (患者の身体的拘束または非自発的隔離)
- (不妊手術)
- (内科的、あるいは外科的な大きな処置)
- (精神病者に対する精神外科手術)
- 臨床治験および実験的治療は、インフォームド・コンセントのない、いかなる患者に対しても行われないものとする。ただし、患者がインフォームド・コンセントを与えることができず、かつその目的のために、特別に与えられた権限を持ち、独立した審査機関の承認がある場合だけは、行うことができる。
- 上記の第⑥、⑦、⑧、⑫、⑬、⑭および⑮項で、規定されている場合において、患者あるいは法定代理人、あるいは何らかの利害関係者は、患者に行われた知立につき、裁判所あるいは他の独立の機関に異議申し立てをする権利を持つ。
4) 適正な精神科病床数について
国際法律家委員会レポートは第三次調査団報告の結論及び勧告として日本の精神科病床数が人口1万人当たり約28床で安定していることを指摘した。他の国では精神科病床数は一貫して減少傾向にあるのに日本では増加していること、またベッドは患者で満杯であり、長期入院の傾向もあり、日本では入院患者の30%は退院させて直ちに地域ケアを与えることができると指摘していた。国際法律家委員会はヨーロッパでは精神科病床数は人口1万人当たり15病床程度に落ち着くと見込まれていること、そして年間のベッド回転率は1床当たり5-6人程度と見込んでいる。その上で日本には精神科病床数を削減して1992年を基点として5年間で29床から25床程度まで削減することを助言している。なお、この目標年である1996年にあっても日本の精神科病床数は人口1万人当たり29床のままであり、その後も見るべ削減は無い。国際法律家委員会は日本の精神科病床数が多いから、日本で手厚い精神障害者治療が行われていると評価してない。反対に国際法律家委員会は日本では、病院経営という営利のために、不必要に長期間入院を強要して人権を疎外する要因として病床数の多さを根拠の一つにしている。日本は精神障害者治療を改善して、精神障害者の社会復帰を促進するためにベッド数の削減が期待されるのである。
いわき病院の精神科医療はいい加減で錯誤が多い診断を基にして治療計画を作成して治療を行っている。このような錯誤が基礎にある治療で、精神障害者の治療が促進されて、精神障害者の人権が回復されると考えるのは間違いである。国際法律家委員会は日本で精神科病床数の削減を求めている。いわき病院の場合には理念と実践が解離していると言わざるを得ない。国際法律家委員会と国際医療職専門委員会の勧告では、いわき病院のような精神科病院は淘汰されることが望まれている、と言っても過言ではない。
5) 精神科医師教育の課題と医師の資質向上
お月様 取ってくれろと 泣く子かな
私たちはいわき病院の証言と論理構成に接して、この川柳を思い出した。いわき病院長渡邊朋之医師は国家資格たる医師である。ところがその事実関係の陳述及び論理構成は現実に可能なことの証拠や論拠を積み重ねて、現実的可能な対応を基にしたものではない。万人にとって不可能であり得ないことを根拠として、しかも論理矛盾に満ちた自己弁護に走っている。
私たちは平成17年12月6日に長男の矢野真木人が精神障害者の野津純一に通り魔殺人されて初めて本格的に精神医学書を読み始めた全くの素人である。ところが、いわき病院長渡邊朋之医師の精神症状に関する弁論および、いわき病院における医学的実践の詳細を知るにつけ、余りにも専門的見識が不足していることに驚いた。最初はいわき病院が国際診断基準であるICD-10やDSM-Ⅳを引用するので、その記述との照合から始まった。いわき病院は自らが言及する論点を、これらの国際基準に基づいて、私たちがいわき病院の主張にある記述と異なるところを指摘すると、「異説である」と反論が返ってきた。また数々のいわき病院が主張した論点は、精神医学書や学会報などと照合すると、その論拠が消滅するものばかりであった。私たちがいわき病院はこれを論拠にしているのではないかと推察できた唯一の資料は、『厚生労働省「精神病院に入院する時の告知等にかかる書面及び入院等の届出等について」(平成12年3月30日 障精第22号)の様式15の「措置入院者の定期病状報告書」、および、様式17の「措置入院に関する診断書」』である。いわき病院長渡邊朋之医師は上記の「厚生労働省が指定した様式」のチェック項目に矛盾しないように無理な論理構成を試みた様相が窺われる。
私たちはいわき病院の論理を観察して、日本の精神医療が国際水準と比較するまでもなく、余りにもお粗末な現状に驚愕を覚える。いわき病院が提出した国際法律家委員会レポートの指摘は1980年代の日本の現実で、古い記録であるのかとも考えたが、現実は未だにそれ程変わっていないようである。私たちが提訴したのは民事裁判で、いわき病院の責任を問うものである。この民事裁判を通して明らかになりつつある、いわき病院長渡邊朋之氏の医師としての資質が貧困であることに関しては、日本の精神医療水準の問題があると指摘する。何故ならば、いわき病院は香川県で最初に病院評価機構に認定された優良精神科病院である。またいわき病院長渡邊朋之医師は高度な技量を有する筈の精神保健指定医で、香川大学病院精神科外来担当医師である。これは日本の精神医学界が真剣に考えるべき課題である。
6) 日本の精神科病院のあり方
病床数248のいわき病院は日本の典型的な中規模の地方精神病院である。またいわき病院長渡邊朋之医師の一族が経営する零細資本の個人病院である。国際法律家委員会レポートでは日本では民間病院に過度に依存するのではなくて、公立の専門精神科病院を設立するなどして、専門分化と精神医療の高度化を期待している。日本の精神医療は病床数の削減と同時に、ミニデパート化した特徴のない病院から、個性と特性と高度な専門性を持った医療機関に脱皮することを期待している。いわき病院は精神科外来、老人性痴呆(認知症)、思春期危機、更には軽度の精神障害者から重度の精神障害者まで、また短期の入院者から長期で退院困難な患者まで、全ての精神障害者を満遍なく治療・入院させている。ある意味では精神障害者治療のミニデパートである。その上歯科や内科を併設して総合病院化している。その全ての治療をいわき病院長渡邊朋之医師他の限られた医療スタッフで運営している。そもそも、零細な規模で多角化すれば勤務する医師に高度な専門性を期待することが困難になる。その上に、いわき病院長渡邊朋之氏の証言を読む限り、基礎的な精神医学的素養について疑いを持たざるを得ない現実がある。
本件民事裁判は、いわき病院の入院患者が病院の許可外出中に起こした故矢野真木人通り魔殺人事件に関するいわき病院の医療上の責任を明確にすることが第一義である。その上で、いわき病院のようなミニデパート化した日本では絶対数が多い精神医療機関が抱える問題点を明らかにするところに、より大きな目的がある。私たちはいわき病院にに損害賠償金を請求している。これは損害賠償金が発生する事をいわき病院のような精神科病院に認識せしめて、損害賠償の責務が生じるような事故を未然に防ぐような精神医療を行うべく体質改善を促進することを期待するところにある。私たちは低劣で無責任な医療を行うような精神科病院は社会から淘汰されて当然であると考える。その上で、優良な精神科病院が生き残り、高度な専門医療機関として発展して、日本の精神医療が改善されることを期待する。私たちは精神医療機関の切磋琢磨によって、精神障害者の社会参加が促進され、精神障害者の人権が回復される日に至るものと考える。
7) 健常者と精神障害者の平等な人権
いわき病院は「理由もなく命を落とす被害者が存在する一方で、不当な差別・偏見に悩む多くの精神障害者」と主張した。このことについては、いわき病院は「殺人」と「差別・偏見」を同程度の人権侵害として等置しており、不適切であると指摘した。
矢野啓司は心神喪失者等医療観察法の処分を受けた者の処遇に関するシンポジウムを傍聴する機会を得て、驚くべき発言を心神喪失者等医療観察法に関係する専門家の報告の中で聴いた。「心神喪失者等医療観察法で処分された人間に殺された人間の問題は、その多くが心神喪失者等の家族や関係者である、また不特定多数の一般被害者は少数である、従って問題とはならない」と言うものであった。この発言に対して、会合の役員および参加した諸専門家の誰からも、「おかしい」と問題点を指摘する発言は無かった。すなわち、心神喪失者等医療観察法に関係している専門家の殆どは、殺人被害者には関心がない、と思えるほどであった。
いわき病院は「イライラを起こす統合失調症患者は現実には多く存在しており、その都度誰か不特定者が統合失調症患者に襲われ殺されているわけではない。もしそう言う関係が一般的に成り立つのであれば、本件のような殺人事件数が相当数認められなくてはならない筈である」と主張した。いわき病院は「イライラを起こす全ての統合失調症患者は殺人をしてない」また「患者数に対して統計的発生頻度は低い」ので問題ではないと主張した。この種の問題は統計頻度は本質ではなく、原因と結果に本質論と関連性があるか否かである。そもそもいわき病院はレトロスペクティブに考えれば「野津には発病の当初から認められる殺人衝動がある」と認めている。統計頻度が低いとして、殺人事件は検討に値しない軽い問題であると主張するのは、不正義である。
殺人は「差別や偏見」とは比べものにならない最大の人権侵害である。私たちは「差別と偏見は軽い、どうでもよい程度の人権侵害である」と主張しているのではない。差別と偏見は社会が抱える悪質な問題であり、改善され、無くされなければならない。しかし、殺人も又、人類が抱える有史以来の人権侵害である。殺人の場合は、殺された本人はどのような意見を持っていたとしても証言することはかなわない。残された遺族も、二次被害の生命の危険の可能性を身近に感じるために、どうしても発言する声が小さくなる傾向がある。その上、「法的権利という人権は現在生きている人間の権利であるとして、往々にして殺人されて死んだ人間には人権はない、それよりも、今生きている加害者の人権を守ることに協力することが、人道主義である」と言われることもある。現に、私たちも矢野真木人が殺害された直後にそう言われた。しかし、私たちは「生きている人間が殺されて死ぬことこそ、最大の人権侵害である」と主張する。差別や偏見であれば、戦って権利回復することは可能である。しかし、一旦殺害されると、どのようなことをしても、殺された人間は生き返ることは有り得ない。
『心神喪失者等に殺される人間の殆どは「家族などの関係者」だから殺人の問題は大した課題ではない』という考えには基本的な間違いがある。それは国連宣言の第14条第1項の「すべての者は法の下に平等」を精神障害者治療の専門家が否定している。また国際法律家委員会レポートが日本では「(精神障害者の)家族全体にとっても社会的な無能力と見なされている」と指摘した問題点の本質に気がついていない。「精神障害者の家族は殺されても大した問題ではない」とする考え方には「本質的な人権に対する無理解と侵害を容認する姿勢」がある。それを日本では精神障害者治療を行っている者が積極的に容認しているという現実があることが問題である。
「不特定多数の一般人の生命損失は事例が少ないので問題ではない」と主張することは人権に対する冒涜である。人権の問題は論理であり、統計ではない。統計上の事例が少なければ、誤差として処理できる問題ではない。例え、1例であるとしても、その人命損失が人権侵害であることが問題である。特に心神喪失者等医療観察法の関係者など精神障害者治療の専門家が「精神障害者の前には健常者などの人命が亡われても、それは仕方がない」と考えているのであれば、その事こそ、重大な人権侵害を許容する行為である。これは重大かつ深刻な問題である。
精神科領域の保健・医療(リハビリテーション)・福祉関係者の多くは、「精神障害者による殺人は事故だから、しようがない。精神障害者は社会復帰しなければならないのだから、しかたがない」と発言する。この言葉は一見精神障害者の擁護者であり、ひいては人道主義者の言葉のような覆いを被っている。しかしその本質は、「精神障害者に対する社会的な無能力」という差別と偏見である。精神障害者の社会復帰の大義名分があれば、殺人事件があっても責任は問われないと主張するところに、本質的に精神障害者の社会復帰を疎外する、人権に対する無理解がある。またこのような考え方があるために、いわき病院長渡邊朋之医師のように安易で無作為な医師の存在が許されるのである。精神障害者は優良な医療を受ける権利がある。そのためには人権は全ての人間に平等に担保される事が前提となる。
7、矢野真木人の主張
矢野真木人は命を失いましたので、無言です。これは私たち私たちが心の中で一生消えることのない悲嘆に基づいて、心の中に聞こえる、矢野真木人の切実な思いと願いです。(私たちが夢の中で聞いた矢野真木人の声とお考え下さい。)
1) 死ぬつもりはありませんでした
私は、死ぬつもりはありませんでした。私は気を失ったその時にも、病院のベッドで生きかえるものと思っていました。まさか、自分自身が28才で死ぬなんて、想像もつかないことでした。
私は身体を張った争い事は大嫌いです。ボクシングやプロレスなどの格闘技は嫌で、テレビでも見たことはありません。その私が、他人から不意に襲われるなどということは考えたこともありません。スーパーマーケットの駐車場で、私の命に危険が迫っているなんて、想像もつきませんでした。「誰でも良いから人を殺そうとした」その誰でもが、まさかこの私になるとは、夢思わないことです。
犯人の野津純一は私を殺した後で、「運の悪い人だ」と言っています。また自分のことしか考えず「ああ、やってしもた、俺の人生終わってしもた」と言うなんて、何と身勝手な人でしょう。野津純一が私を殺す理由は、いわき病院内で喫煙を邪魔されたとか、父親の悪口を言われたとか、ドアの騒音に悩まされたとか言っています。そんなことは、私には関係ないことです。何故、そのような理由で私が命を奪われなければならなかったのでしょう。こんな事を未然に予防する手段は無かったのでしょうか。
私自身はまさか自分があの時あの場所で死ぬことになるとは考えも及びませんでしたので、野津純一のことはほとんど観察していません。眼の片隅に通行人がいた程度の認識でした。その通行人が私の方に接近してきたのも、スーパーマーケットの駐車場内では良くあることで、全く異様と感じることもありませんでした。突然胸を何かで刺されたので、必至に逃げようとしましたが、数歩で転倒して、気を失ってしまいました。それが私の人生の終結だったとは、余りのことで、残念でなりません。
私が死んだ過程が私の方に何らかの責任や落ち度があるとするならば、日本は自分自身で武装して守らなければならないような無法の国になってしまいます。安全で住みやすい日本をつくるのでしたら、精神障害者医療に考えるべきところと改善すべき課題が沢山あると考えます。
2) いわき病院は信頼できません
私を殺した犯人の野津純一はいわき病院に入院している精神障害の患者でした。私は精神障害者が私の身の回りでそんなに近くまで接近してくるなんて、考えも及びませんでした。ましてや、その人間が殺人の意図を持っていることは、私の想像を超えていました。野津純一の無為な人生の一時の鬱憤晴らしで、私の人生が奪われるとは、何という皮肉でしょう。それにしても、いわき病院で精神医療の治療を受けていた野津純一は、どうして私を殺すところまで、追いつめられていたのでしょうか。
私はやりきれません、こんな事で私が命を失ったとは…
野津純一は私を殺す2時間前に、いわき病院内で、イライラやムズムズなどの症状でいても立ってもいられなくなって、主治医渡邊朋之の診察を求めたけれど、診察を拒否されていたとは。病院に入院するということは、異変があれば直ちに適切な治療が行われるということであるはずです。それなのに、野津純一が求めても、求めても、何日も主治医渡邊朋之は診察しないで、放って置いていたとは。主治医渡邊朋之が院長の仕事で忙しければ、いわき病院は病院ですので他の医師が緊急に対応すべきでした。ところが、チーム医療が行われていたとは考えられません。それにしても、主治医渡邊朋之の野津純一の診察が週に一回から10日に一回程度だったのも、驚きです。それで入院治療費を徴収するなんて、無責任な医師です、酷い病院です。こんな病院が日本に存在していたとは。
医師渡邊朋之は野津純一に、プラセーボを試していました。あろう事か、統合失調症の野津純一に対して、統合失調症薬を止めて、激しいイライラやムズムズの症状に対してはまるで薬効がない生理食塩水の筋肉注射をしていました。根本原因の病気の治療薬を停止して、症状を緩和する薬を偽物に代えると野津純一がパニック状態になっても不思議はありません。しかも主治医の渡邊朋之は「プラセーボを試す」と言っておきながら、「いつもと同じ」と言って緊急事態の野津純一に取り合おうとしていませんでした。「プラセーボを試していた」のであれば、また主治医の渡邊朋之の新しい処方が正しいのであれば、古い処方に適合した体の状態から新しい処方に落ち着くまでの遷移状態の間は、特に注意して、主治医渡邊朋之はいつでも対応できるようにしなければなりません。それが「いつもと同じ」とはどう言うことでしょうか。「いつもと同じ」であれば、「新しい処方に効果がなかった」と、主治医渡邊朋之が観察していたことです。医師であると同時に、人間としての渡邊朋之の治療態度は余りにも無責任です。このような人が248床の病院長です。これは人命と人間の尊厳に対する冒涜です。このようないわき病院が香川県では優良な精神科病院と認定されています。日本の精神医療制度はおかしいのです。
野津純一の症状は「いつもと同じ」ではありませんでした。いつもより更に激しく苦しんでいたのです。それを「いつもと同じ」と診療録に書くとは、医師渡邊朋之は真面目に診察をしていないのです。そもそも野津純一が私を殺した12月6日の診療録に「咽の痛みがあるが、前回と同じ症状なので様子を見る(看護師より)」と記録するとはどう言うことでしょう。看護記録では野津純一は「先生にあえんのやけど、もう前から言ってるんやけど、咽の痛みと頭痛が続いとんや」と記載されています。
医師渡邊朋之の診療録はそもそも信用できません。診療録に記載された処方薬と、裁判で提出された処方薬が一致していません。これは重大な法律違反です。更に、12月6日の「前回と同じ症状(看護師より)」などと言う書き込みは、私が殺人されてから、急いで後から書き加えた弁明のための虚偽記載である可能性が高いのです。診療録は医師渡邊朋之の手書きで、それも凄い悪筆です。11月22日に「プラセーボを試す」と書いて以降の診療録には、事件後に密かに書き加えられた部分が沢山あるはずです。
いわき病院と医師渡邊朋之は信頼できません
3) 精神保健指定医であもる医師渡邊朋之の責任
私は医師渡邊朋之の医師資格剥奪と、実際に刑務所に収監させる10年以上の懲役刑を望んでいます。
医師渡邊朋之医師は「殺人したのは野津純一である。野津純一が矢野真木人を殺害する事までは何人も予想できない、従って、治療に当たっていた医師には責任はない」と主張しています。「患者の殺人事件で医師にまで刑事罰を科していたら、精神科医師になるものがいなくなる。公共の福祉に反する」と主張しています。
それでも、私は医師渡邊朋之には刑事責任があり、行政処分を受けるべきであると考えています。医師渡邊朋之は主治医として行うべき診療義務を果たしていません。野津純一の診察項目から「自傷他害のおそれ」を意図的に除外していました。そもそも「任意入院だから自傷他害のおそれを診断できない」は医師としての職責放棄です。診療の現場では行ってはいけない「プラセーボを試す」行為を実行した上に、その後の経過観察をしておりません。これは医師としてはあってはならない、場当たり的で無責任な、乱脈な診察と言って良いでしょう。私が殺された事件だけでも、医師渡邊朋之には「他害のおそれが極めて高い状態」を意図的に診断せずに放置して、結果的に犯罪の発生を防ぐ努力をしなかったという責任があります。
医師渡邊朋之には、診療録記載と裁判で証言している薬処方が一致しておりません。またSSTと作業療法診療報酬が二重請求されている可能性があるなど、野津純一の診療に限っても、不正請求を行った可能性が高いと考えられます。この他にも、いわき病院の医師数が少ないとか、病棟の運営が適切に行われていないなど病院の設置基準に抵触する可能性が高い、病院の実態があると思われます。
更には、いわき病院は精神障害者の人権擁護者の建前を取っていますが、本当にそうでしょうか。野津純一に対しては、明確な医療上の根拠もなくPICUを隔離室として使用して懲罰的な処分が行われていました。この医療ではない懲罰的な処分が他の患者にも行われている可能性が極めて高いことを指摘します。噂の段階としても、いわき病院内で、懲罰のための隔離と拘束が行われているという話があります。いわき病院は人権擁護者の建前があれば、殺人でも、法律違反でも何でも許される、という意識を持っており、公序良俗に反し、不正義です。香川県の他の病院では、医師の指示に従わない患者を懲罰で隔離制裁すると言う話もあります。
死後の世界に霊があると仮定してください。生前の私は霊の存在は否定していましたので、霊の存在を仮定することが論理矛盾であることはお許し下さい。『私は死後の世界で、沢山のいわき病院内でなくなった方の霊と話をする機会を得ました。誰もが、「不十分な医療で命の火を消されてしまった」と嘆いていました。詳しく状況を聞くと、いわき病院では、私が殺された事件以外にも、不作為や過失や怠慢で、事件性があり、いわき病院に責任が問われるべき死亡例が沢山あります。既に時効が成立しているなどは、問題ではありません。病院倫理の問題としてもいわき病院は許されてはなりません。』
4) 統計ではありません
いわき病院長渡邊朋之は精神障害者に殺される人間は少ないので重大な問題ではないという主張をしています。また特定の精神障害者の患者が殺人する事など予測することは不可能だと言っています。
医師渡邊朋之の主張は、「特定の車両が交通事故を引き起こし事故死者を発生させる可能性は予想できない、また交通事故死者数は車の保有台数や運転免許所有者数と比較すれば少数であるので、交通事故死は問題ではない」と主張しているようなものです。交通事故死はゼロにはなりません、また特定の車両が必ず交通事故死者を出すとは予想できません。しかし交通事故の原因となる可能性はゼロではないために、車検などを通して車両の安全基準を守り、また運転者には適正な交通規則遵守義務が課せられています。このように社会的に、交通の安全を守り、事故を削減するための努力をしています。それでも、交通事故死が発生すれば、運転手には刑事責任と賠償責任が問われます。場合によっては、車の所有者や運転手の雇用者にも責任が発生します。。
精神障害者による殺人事件数が少ないので、重大な問題ではないと主張することはできません。人間の不慮の死や理不尽な死が発生する事が本質的な問題です。日本全体では精神障害者による殺人事件数が年間100-120人程度であるから、無視して良いのではありません。精神障害者の総数と比較して、死者数が少ないので無視して良いのではありません。3日に1人死亡するほど沢山の殺人事件が発生していることが問題です。また、精神障害者の殺人事件の被害者の多くがその精神障害者の家族であるから、問題ではないと主張する事もできません。それでは、精神障害者の家族には生きる権利という人権がないと言うに等しいことです。「家族のあなたが死んでも問題はありません」と精神医療の治療関係者から予め言われている精神障害者を抱える家族は余りにも惨めです。また「精神障害者の治療を促進するためには、殺人事件が発生しても小さな問題だ」と主張することは社会正義に反しています。人命と人権の問題は統計数値の大小ではありません。人倫の問題としての本質論が大切です。統計的な発言をするところに、そもそもごまかしの意図があります。
精神障害者が殺人を犯すことには一定の傾向があります。また精神障害の症状や診断とも関連があります。また精神障害者と言えども、人間はいきなり殺人にまで至るのではありません。必ずそれまでの生活歴や治療経過の中に特に注意するべき特徴があります。そのようなことを診断しない、診断できない、精神科医師には責任が伴います。それは、運転手が危険運転をしていることを承知して、無理な運転をさせている運送会社の経営者のようなものです。そして事故が発生すれば「物流を担う運送会社がなくなれば、社会が困ることになる。だから、運送会社の責任を問うのはおかしい」と主張するようなものです。
精神病医療機関は全ての責任を免除されるべき特別な機関であるとする法制度はどこにもありません。不作為と過失に満ちた医療を行っているいわき病院が、自らの特別の地位を主張するのは思い上がりです。このことこそ、国際社会の常識に反しています。私は英国で出生しましたので、英国籍もあります。その私が殺害された事件に関連して、日本の精神医療の倫理的側面で国際常識からかけ離れているところが是正されるとしたら、これも私の人生であったと考えます。
5) 高度保安病院で保護してください
私は医師渡邊朋之に刑罰を課すために、野津純一の刑を軽くしても良いと言っているのではありません。野津純一には私を殺害した責任があります。野津純一の懲役25年は短いくらいで、本来終身刑であるべきです。野津純一には生きている限り一生涯、私の命を理不尽に奪った責任を自覚させ続けなければなりません。日本には終身刑がありませんので、懲役25年でも仕方がないのですが、刑期は短縮されて早期保釈をされてはなりません。また、野津純一が刑務所にいる間に、日本で高度保安病院が整備されて、刑期を満了した野津純一のような反社会性人格障害で殺人歴がある重度の統合失調症の患者を収容するように制度改正をするべきです。これは非人道的な制度改正ではありません。私が生まれた英国をはじめとして、ヨーロッパ諸国では普通に行われている制度です。他害の危険度が極めて高く精神障害を持った人物に社会的な保護の手を差し伸べる最も現実的で人道的な方法です。
いわき病院は精神病院としても軽度の通院患者から重症の長期入院患者まで、また思春期危機の患者から老人痴呆までを抱える精神科病院のミニデパートです。更にその上に内科や歯科などの多数の診療科を持っています。このようなミニデパート化した精神科病院は日本では普通のあり方です。精神科病院としての専門性が低く、このために高度機能化が促進されていません。また医師渡邊朋之は「自傷他害のおそれ」を意図的に診断しませんでした。このことは自分自身を傷つける可能性が高い患者の保護が十分に行われないという論理になります。また他人を傷つける可能性が高い患者を放置して、病院内における職員や他の患者への危険性の所在に無作為であることを示しています。更には、安易で無計画な社会復帰のための外出を行わせることによって、私が殺人されたような事件が発生する可能性にも無作為なのです。
日本の精神医療は機能分化が促進される必要があります。そして、精神障害者の治療が促進される必要があります。現在では精神障害は寛解が不可能な病気ではありません。適切な医療が行われて、十分な予後管理が行われるならば、ほとんどの精神障害患者は病院生活を継続する必要もなく、社会生活を行えるようになります。精神科病院の機能化と患者に施用される実用医療技術の促進と改善こそが望まれます。いわき病院のように、痴呆老人と精神障害者を一緒くたにして、精神障害者に適切な入院治療が行われないと言うような、医療以前の現実は改革されなければなりません。
日本の精神医療が抜本的に改善されても、それでも社会復帰できない重度の精神障害者は存在します。また、反社会性人格障害と合わせて精神障害を持っているために、社会復帰をさせずに病院で保護することが望まれる患者も一定数存在します。このような患者を社会復帰促進という大義名分の基に安易に一般の軽度な精神障害患者と病棟内で混在させたり、早期に退院させるのは、患者の保護の観点からも望ましいことではありません。このような患者はその目的に則した精神科施設で、安心して生き続けられる為の施設整備が必要です。
6) 必ず裁判して、厳密に心神喪失を判断してください
私が殺害されて両親が一番心配していたことは、野津純一が不起訴になることでした。検察官の裁量権で不起訴になれば、私が殺された事実関係は全て、野津純一の人権を盾にとって、私の両親の目から隠されるからです。一旦不起訴になれば、全く責任がない完全な被害者である私の情報まで、加害者の野津純一の保護を理由にして、被害者遺族である私の両親には知らされなくなります。
国連原則でもすべての者は裁判を受ける権利があるのです。これは、精神障害者でも、健常者でも、どちらにも適用される普遍的な原理です。それが、刑法第39条では心神喪失で無罪になるに決まっているからとして、検察官が判断して不必要な裁判を削減すると称して、不起訴にするのは検察官による人権無視です。特に、殺人、婦女暴行、及び放火などの人権の擁護に関した重大犯罪の場合には、起訴便宜主義は人道上重大な人権侵害であると素直に反省することが望まれますが、日本では余りにも安易に運用されています。これは制度の運用の問題です。必ず起訴して、裁判をするように運営を転換するべきです。日本の司法制度は国際基準に従って運用される必要があります。
更に、心神喪失者等医療観察法を積極的に運用して、心神喪失でもない者を心神喪失者等として、刑法39条の心神喪失を適用するのは止めていただきたい。安易に心神喪失が適用されて、重大犯罪者が無罪とされると、殺人や婦女暴行や放火などの責任が問われないことになります。これらの犯罪は重大な人権侵害であるとともに、重大な経済被害を与える犯行でもあるのです。殺人されると、生きて行われる筈の経済活動が失われます。また婦女暴行では多くの場合人生が狂わされますし、放火では直接被害額だけでも厖大になります。心神喪失無罪となれば、被害者には経済的な救済を要求する道が閉ざされます。実質的には犯罪者であっても、無罪とされた人間の情報は、公権力によって守られるために、損害賠償請求ができなくなります。刑法39条が安易に適用されることによって、被害者が受けた経済的な損失を請求する権利を行使することまでも社会的手段が閉じられることは、残酷な社会制度の運用と言えるでしょう。そして、このような現実がある日本は人権を守る国家としては国際社会から信用されないでしょう。
7) 殺人は最大の人権侵害
殺人は最大の人権侵害です
私の両親は、私が殺された直後に殺害された現場を確認に行って、その場所で近隣の人に「あなたたちの息子はもう死んだのです。既に人権はありません。犯人は未だ生きています。犯人には人権があります。生きている者の人権を尊重しなさい」と言われました。
死んでしまった私には人権は消滅したが、殺人者は生きているので、人権がある。生きている殺人者と、その人間に殺された者では、人権の重さは比較にならない、とはどういうことでしょうか。おかしいではありませんか。私が殺された直後で悲しんでいる両親に、そのような言葉をなげかけることが当然とされる論理がこの日本にはあります。私は野津純一に通り魔殺人で殺されたのです。私を殺した人間にどうして私と両親は遠慮しなければならないのでしょうか。
生きている人間には人権があります。それの人権を無理矢理取り上げる行為は人権侵害です。殺人こそ、最大の人権侵害です。
殺人と他の人権侵害行為を同列に論じないで下さい。殺人を他の人権侵害より程度の軽い人権侵害であるかのように議論をしないで下さい。生きて人権侵害を受けた人間は、大声を出して、被害がどれだけ悲惨であるかを主張できます。生きる者の権利として正当な行為です。しかしだからといって、発言できない死んだ者の人権侵害が小さくなるのではありません。殺人は最大の人権侵害です。殺人にまさる人権侵害はありません。
「殺害人は最大の人権侵害である」と言うこと、また「死んだ者にも人権がある」と認識する事は、新たなる殺人被害を予防することです。私は死ぬ1秒前でも「自分がこれから死ぬことになる」とは想像もつきませんでした。誰でもそうです。自分が死ぬことなど想像もつかないのが生きているという事です。「新たな殺人被害を予防すること」は人権侵害ではありません。殺人という最大の人権侵害を防ぐには、予防しかないのです。「それは、人権に対する予断と不必要な制限だ、人間の善を信用していない」と主張するのは、殺人という最大の人権侵害の発生を容認する行為です。死んでしまえば生きかえることはできません。これは厳しい現実です。死人に口なしとは余りです。過去にも沢山の前例があった同じような死が将来も発生するのをただ手をこまねいて見逃す社会は人権を守る社会ではありません。人権の議論は最大の人権侵害である殺人を容認しない論理が求められます。
8) 失われたチャンス
私の希望は全て失われました
私は、女性を愛することができません。私は妻を娶れません。私は子供を持てません。私は子孫の繁栄を期待することができません。私は、仕事をすることができません。地球上全てにあったはずの活躍の場所を得る事ができません。私の頭で考える思考上の自由と、自分の世界を拡大して創造の喜びを、得る事ができません。私が生きる全ての術は失われました。
野津純一は結婚することを諦めていました。野津純一は社会で生きるよりは、病院の狭い個室で一生過ごせることを望んでいました。何と言うことでしょう、野津純一が望む狭い病院の個室より狭くて暗い墓に私は入れられてしまいました。野津純一の発想とは、他人を無理矢理、自分の境遇より悲惨な状態まで引きずり込むことでした。何と言うことでしょう。私が持っていたはずの地球上に広がる世界は、一瞬のうちに野津純一が置かれた精神科病棟の一室より狭い闇の世界の中に消滅しました。
医師渡邊朋之はいわき病院を拠点にして、自身の精神病院ビジネスが拡大する夢を追っていたのでしょう。彼は、人権の擁護者であると声高に叫びますが、その実態は精神障害者の生命と人権を食い物にして私腹を肥やしていたのです。
皮肉なことです。渡邊朋之は私に最後の課題を与えてくれました。それは私自身が事例になって、日本の人権問題に改善を迫ることです。医師渡邊朋之のように、建前の上では、人権擁護を仕事としている人たちに潜む、人権を自分たちの職能の都合でねじ曲げているが、その事に気がつかないか、意図的にねじ曲げ続けて利権をむさぼる行為、その事の是正を迫ることに私が生きた意義を問う最後のチャンスがありました。
私は生きて社会貢献をしたかった。死んで、また、死んだ理由による社会貢献は、私の本来の望みではありません。しかし、死んだからこそ行えることが沢山あります。死ななければ言えないことがありました。それは「殺人は最大の人権侵害だ」と言うことです。
人間の歴史を見れば、戦争で若い命を失って子を成し得なかった沢山の戦士たちの悲しみ、独裁者の圧制で虐殺された人々のうめき、理不尽な事故や事件で命を失った人々の嘆きがあります。人間の歴史は社会のエリートだけで作られるのではありません。肝心な全ての人間の人権や平等と言った理念と制度と実践は、実は幾億人の悲劇を背負い、命を失った人間の人権が失われていたことからの反省と回復でもあるのです。私がその中の、悲劇を背負った人間の1人になるとは思いもよりませんでした。しかし、それで命を失ってしまった以上は、他に方法がありません。それが私の定めでした。
私が命を失うに至った原因である、精神障害者の社会復帰、精神障害者医療の改善、そして、健常者と精神障害者の対等な人権制度の確立と運用のために、私自身が人柱となることです。
私は生きていたかった…
残念ですが、他に方法がありません…
人柱となります…
8、ローマ法の叡智
1) 法曹関係者の批判
矢野真木人が殺害された直後から、私たちは殺人事件の社会問題としての本質は、いわき病院の精神障害治療の過誤に直接の原因があると考えていた。このため民事裁判を提訴することを考えて、日本全国を股に掛けて数多の弁護士に仕事を依頼したが、全員が「精神障害者の裁判は刑法第39条があるので、問題になりません。仕事は引き受けられません」と拒否された。唯一、仕事に前向きに取り組んでもらえたのは、現在の原告代理人である(なお、その後、他にも本件訴訟に前向きな姿勢を持つ弁護士が現れた)。
私たちは、野津純一に懲役25年が確定した後でいわき病院を相手取って民事訴訟を提訴したことに関連して、いわき病院とは全く関係を持たない法曹関係者から批判されたことがある。それによれば、「精神障害者の心神喪失無罪は古代ローマの時代から2000年の歴史的背景がある由緒正しい人権擁護の法的原理であり、この法思想に対抗することは、そもそも間違っている」と言うのである。その法曹関係者によれば「そもそも統合失調症患者である野津純一は自動的に心神喪失者であり、また野津純一を治療していたいわき病院の責任を問うことはできない」のだそうだ。この法曹関係者の意見に、私どもは酷く心を傷つけられたものである。
日本の法曹界に所属する法律家のほとんどは、「刑法第39条があるために、精神障害者はもとより精神科病院の責任も一切問うことができない」という思考で凝り固まっているようである。これが、原告が遭遇している大きな障害である。
2) 賢帝マルクス・アウレリウスの書簡
塩野七生は、わが国切っての古代ローマ史の碩学であり、古代ローマ帝国史に関連する多数の著作を持っている。最近塩野七生が出版した「ローマ人の物語30、終わりの始まり(中)、平成19年9月1日刊、新潮文庫、p.103-105」には、狂人(精神障害者)の犯した犯罪に関連して、ローマ法の判例になる判決となった、賢人として知られる、古代ローマ皇帝マルクス・アウレリウスの書簡{ローマ法大全、(ユスティニアヌス法典)学説彙纂(Digesta)「D. 1, 18, 14」}が引用されている。
「ローマ人の物語」(塩野七生著、新潮文庫)30巻
(15歳の息子コモドゥスを共同皇帝に指名したマルクス・アウレリウス皇帝は、体調を崩したこともあって)紀元177年は、首都と別荘のあるローマ近郊を往復しながらの静かな1年を送った。しかし、皇帝は2人になっても、実質上の皇帝はマルクス1人である。その皇帝の政務は、どこにでも追いかけてきた。多くは通常の政務だったが、中にひとつ興味深い判決があった。狂人の犯した犯罪にはいかなる処罰が妥当か、という問題に対するローマ法の判例になる判決である。幾度もくり返すが、ローマ皇帝は「最高裁長官」でもある。ただし皇帝の下す判決は、そのまま法廷で読みあげられるとはかぎらない。法廷で裁判長を務める「首都警察長官」が、法に照らしても判決に迷った折に皇帝の考えを問い、それに答えて、もしも首都にいないときは皇帝からの書簡が届く。判決は、その皇帝の意にそって、長官が下す場合が多い。ゆえに、このときにマルクスがしたためた書簡の相手は、法廷では裁判長席に坐る首都警察の長官になった。
「あなたから送られてきた捜査と尋問の結果を精読しての感じでは、被告エリウス・プリスクスは、自らの言動についての最低の制御能力さえも欠いており、母親を殺したときも、その行為の善悪に対しての判断力がなかったと思うしかない。また、狂人を装っていたとも思えない。このような場合は、罪に問うことはできない。なぜなら、狂気とはそれだけで、神々が人間に下す罰の一つであるからだ。
しかし、判決は無罪でも、それは即、放免ではない。今後とも、厳重な監視の下で保護される必要がある。しかも、状況によっては鎖つきの保護さえも、考慮に入れておくべきだろう。これは、彼に与える罰ではない。この人物の近くにいる他の人々の保護のためであって、判決を下すわれわれは、充分に起こりうる不慮の事態をも考慮に入れておかねばならぬということだ。
そして、狂人であってもしばしば生ずる現象だが、彼の頭にも理性がもどってくるときがある。あなたが監視をゆるめてはならないことのもう一つは、母親殺害が、この明晰の一瞬になされたかどうかということだ。もしもそうであったなら、この被告は、精神薄弱を理由にしての無罪判決の対象からはずれることになる。
とはいえ、あなたからの報告にもあるように、被告は、凶行を犯す前からすでに家の中の一画に隔離され、家族や友人たちの保護と監視の下にあったのだ。ゆえに、被告の世話をしていた人すべてを、あなたはこの視点から、尋問し直すべきだと思う。これは、精神を病んでいる被告に対して下された無罪判決とは、別にあつかわれるべき問題である。つまり、犯行は、この人々の怠慢に帰すことができるのか否か、を調べるためなのだ。そして、もしもその事実が実証されたならば、義務不遂行の罪で、この人々には処罰が下されねばならない。くり返すが、法を司るわれわれが心しなければならないのは、重罪を犯した狂人をどう罰すべきかの問題に留まらず、他の多くの人々がこの種の犯罪の犠牲になるのを防ぐことにあるからである」
3) 古代ローマの叡智と現代日本
塩野七生によれば、古代ローマ皇帝は「最高裁長官」の機能も持っており、マルクス・アウレリウス帝は「最高裁長官として精神障害者の殺人事件に関連して、ローマ法の判例になる判決を行った」のである。それによれば、以下の基本的な考え方が整理される。
- 自らの言動についての最低の制御能力さへも欠き、行為の善悪に対しての判断力が無い、狂人(精神障害者)は罪に問うことができない。
- 狂人(精神障害者)を装っている者は処罰される。
- 狂人(精神障害者)は、判決は無罪でも、即放免ではない。厳重な監視の下で保護される。
- 狂人(精神障害者)の保護は罰ではない。その人物の近くにいる人間を保護するためである。
- 狂人(精神障害者)であっても、頭に理性がもどっているときの犯行であれば心神薄弱(耗弱)を理由にして無罪判決の対象にならない。
- 狂人(精神障害者)の犯行が、世話をしていた人の怠慢に帰することが実証されたならば、義務不履行の罪で、これらに人々は処罰される。
- 法を司る者が心することは、重罪を犯した狂人(精神障害者)の処罰に留まらず、他の多くの人々が狂人(精神障害者)の犯罪の犠牲になることを防ぐことにある。
上記を更に整理すれば、次のような考え方が抽出される。(以下は私たちが解釈する、マルクス・アウレリウス帝の書簡の現代的な意味である)。
- 心神喪失の状態とは、本人が最低の制御能力を欠き、行為の善悪に対して判断力が無い場合である。精神力動により、頭に理性がもどっている時は除外される。従って、精神障害者であることは心神喪失が適用される十分条件ではない。
- 心神喪失の状態にある者は罪に問うことができない。
- 精神障害者を装っている犯罪者は処罰される。すなわち、精神障害者手帳を持っていたり、精神科病院への入院患者又は通院患者、もしくは入院通院歴があれば、免責特権を持っていると誤解したり主張する犯罪者は処罰される。
- 心神喪失無罪とされた精神障害者は、自由放免されるのではなく、保護対象となる。この保護の目的は、犯罪歴と心神喪失歴がある精神障害者が再度の他害行為を行うことを防止して、市民を保護することである。
- (精神障害者を治療している者も、怠慢が実証された場合には、義務不履行で処罰される。
私たちは、マルクス・アウレリウス帝が1800年以上昔の人間であるにもかかわらず、現代日本の多くの法律家や医師以上に、論理的かつ理性的で頭脳が明晰であることに驚嘆を覚える。塩野七生が描写した古代ローマ賢帝の見識は、今日の日本の法制と判例や運用で活かされているのであろうか。日本の司法制度のあり方としても、古代ローマ以来2000年の智慧にかないより改善されたものであるか否かが問われる。医療制度の問題としても、いわき病院のような、怠慢と過失及び錯誤、また不作為に満ちた医療機関が存在することが、そもそも問題である。
現在の日本にある、過去に重大な罪を犯した経歴を持つ精神障害者の殺人などの再犯罪に対して無作為で、いたずらに市民を犠牲にしている状況は改善される必要がある。これは精神障害者を真に保護して、精神障害者の人権を守ることでもある。人権とは、普く全ての人間に実現されるものであり、特定の者の都合を優先して、被害者が精神障害者の親兄弟であっても、他者が犠牲になる死を容認するものであってはならない。これらは、正に日本の国際社会の中における信用が問われる課題である。
いわき病院は、私たちの提訴内容を十分に斟酌することなく、「精神障害者の治療を行っている精神科病院の責任は問われるべきではない」という論理のすり替えを展開している。また、いわき病院は「精神障害者の社会参加を促進するには健常者に生命の危険があっても、問題にならない」とさえ主張しているのである。その上で、野津純一に対するいわき病院内における実際の精神障害治療においては、錯誤や過失や不作為や欺瞞に満ちていたことは、私たちがこれまでに指摘してきた客観的証拠によって明白である。さらに、野津純一の社会参加を口実にして、野津純一が上げるクライシスコール(緊急信号)を無視していたのである。
私たちは、マルクス・アウレリウス帝のローマ法の原則を1800年後の現代の日本でそのまま運用すべきと主張するものではない。例えば現在では、精神障害者を鎖につなぐことは精神障害者を保護する手段とはなり得ない。また向精神薬が開発されており精神障害は既に寛解不能な疾病ではなくなっているなど、背景となる状況が異なっている。しかし、「社会の保護を離れた自由放任が、精神障害者を保護してその人権を守ることにならない場合がある」という現実を踏まえた社会制度が確立されて運営されることが望ましいと考えている。
現在の日本では、時代の変遷と経験を蓄積した現実的でより良い制度に改善して運営されることが望まれるのである。それには、普遍性がある人類愛と、人間性の回復が基調となる。真の意味での精神障害者の人権擁護とは、「このままでは、一大事がおこる、一大事を発生させてしまう」とクライシスコールを上げている野津純一のような哀れな人間を、何の保護もなく社会に放り出すことではあり得ない。野津純一に医療機関として適切な治療を行わず、その上で放任状態に置いていた以和貴会いわき病院の責任は極めて重大である。
賢帝マルクス・アウレリウスがローマ法の基本原理としたとおり、不作為と過失を犯した精神科医療機関および医師の責任を問うことが法治社会の基本法則である。
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