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自助グループ・被害者遺族の会を開催して


平成19年8月24日
矢野啓司
矢野千恵

私たちは高知県内で被害者自助グループである被害者遺族の会合を呼びかけました。お盆の頃の平成19年8月16日(木)にこうち被害者支援センターの会議室で開催しましたが、以下の報告は、会への参加呼びかけをして訪問して面会したり、会に参加した被害者遺族の方々から私たちが聴取した内容をとりまとめたものです。なお、私たちは被害者遺族となった被害を犯罪被害に留めずに、交通事故被害、災害被害など不慮の死や理不尽な死を伴う被害の全般としました。


1、参加者

1) 出席者

私たちの呼びかけに呼応して会合に出席したのは、何らかの形で不慮および理不尽な死に至った遺族である4家族でした。その内訳は交通事故1遺族、自然災害1遺族、および殺人事件2遺族でした。なお、殺人事件の内容は、傷害事件常習者による仮釈放直後の殺人と、精神障害者による殺人で、2例とも通り魔的殺人被害でした。

2) 欠席者

案内してあったけれど出席できなかった遺族の内訳は、交通事故4遺族および精神障害者殺人1遺族でした。その内2遺族は、準備段階では「出席」の意向を示していましたが、仕事などの都合で欠席となりました。他の2遺族は、最初の会合で出席することにもためらいがあり「様子を見て、そのうちに、参加するかもしれない」ということでした。

3) 積極的不参加者

交通事故1遺族は、「交通事故には特殊な条件が多々あるので、交通事故家族だけで集まりたい、また当面は官製のこうち被害者支援センターと協力関係を持つことは考えていない」という理由で、積極的不参加でした。

4) 欠席する理由

  1. とまどい
    呼びかけ人が出席を呼びかけた際に感じた被害者の反応は「とまどい」が多数を占めていました。事件は既に過去のことになっており、また思い出したくないつらい経験でもあり、参加呼びかけに対して「今更」というとまどいを感じたようです。また「被害者が集まることに関して積極的な意味を見いだせない」という感覚もあるようでした。

  2. ストレス
    特に被害者の母親の感情として、被害者の会に参加すると子供の死という心にできた傷口をえぐり出すようなつらい思いの場になってしまう場合があります。会に参加すればつらい事件を思い出すことになってしまい、被害者どうしで話し合うことは心の負担を軽減することにはならず、むしろ気分の落ち込み、心臓の動悸やめまいなどの症状に現れて、精神的身体的な不調を呼び起こす場合もあるようです。このようなおそれの気持ちがあるために、参加に前向きになれない可能性もあるようです。現実に、今回参加した母親の中にも会の途中でこのような症状を見せた人もありました。

  3. 不幸を呼び込む迷信
    今回、被害者懇談会を開催すべく呼びかけていて、呼びかけ人である私たちも驚いた被害者が参加を渋る理由に「不慮の死や理不尽な死という不幸を経験した遺族が集まると、それだけでも不幸の気が高まり、新しく不幸を呼び込むことになるから、いやだ」という反応がありました。

普段の私たちは近代社会のなかで近代生活をしており、何事も科学的合理的な世界の中で息を吸っているように考えます。しかしながら高知県という面積の大多数を山国が占めて山間に集落が散在するという地域特性は、怨念や、呪いや、不幸の気、等という前近代的な概念が社会の隅々に強く残っている文化的背景があるようです。ある文献によれば昭和50年初頭(1970年代中期)の調査で、都市化している高知市周辺の結婚対象者でも「たたり」などという中世的な概念が結婚の障害となると考える若者が半数近くに及んだとされています。高知にはこのように、事故や事件による不慮の死や理不尽な死を、未知なるものの呪いや祟りと考える深層心理を形成する文化風土が根強く残っていると考えられるところです。

出席をためらう被害者の中には、先祖の崇拝が十分でなかったから不幸が起こったと言われたとか、占いや、まじない師に「不幸の相があったのに、子供を強く引っ張ってあげなかったあなたが悪い」と言われたとかで、思い悩んでいる人が現実におりました。これに対しては、他人は気楽に後付けの理由として、厄の原因や理由をなんとでも付けられます。しかし、聞かされた本人はこの他人の気楽な発言を受けて、精神的な打撃を受けて真面目に悩んでおりました。


2、出席者の発言

以下の発言は、可能な限り出席者の個人が直接解らないように記述しました。また一人の人間の発言のように見える場所も、同一文書内にあえて、複数の人の発言や視点を書き込んであります。また本質を変えない範囲で事実を脚色した部分もあります。

1) 自分を責め続けています
子供は旅先で死にました。そもそも当日その場所に立つに至った理由を考えると、大学進学で選択した大学と専攻で進んだ職業選択の結果です。結果的に親としては子供が死に至る道を誘導をしていたことになり、破滅への方向付けをしていました。子供の命を救えなかったことが返す返す残念です。私が原因で子供は死んだと責める心を抑えられません。子供は、20代で死ぬ運命だったのでしょうか。他の道に進んでいたならば、今でも生きていたのではないでしょうか。親としては、子供が他の道に進むように助言することはいくらでもできたことなのに、子供に破滅の方向付けをしてしまいました。返す返す残念です。

上記の視点は原因と結果があまりにも離れており、起承転結の因果論からみても矛盾に満ちています。しかし、子供を失った親は、多かれ少なかれ「あの時、ああしておれば、子供は今でも生きているはずだ」と思い悩むものです。このように、理由にならない悩みや悔恨をしているときに、占いや、祈祷や、先祖の祟りなどと言われると、子供を失った親の心の傷は更に大きくなります。

2) 無期懲役でもすぐに釈放される?
子供は、傷害の常習者で懲役犯でしたが仮釈放で解放された直後の男に僅かな金銭欲しさで殺害されました。犯人には無期懲役の判決が下されました。しかし、判決後に検事さんから「(殺人しても)金銭目的だったから犯人の罪は軽くなります。無期懲役であれば、早ければ十数年後にも釈放されます」と言われて驚きました。私たちは「無期懲役とは終身刑のこと」とばかり思っていました。犯人は28才で殺人しましたので、早ければ40過ぎの若さで、ほぼ確実に50才までに再び釈放されて自由を得ます。そうしたら他の人を殺すかも知れないし、逆恨みで私たちを狙うかも知れません。

3) 目撃者がいない
家族は交差点でトラックに巻き込まれて7時間後に死亡しました。意識不明でしたので苦しまない最期だったのは救いでした。相手側は、責任を認めましたが、事件の目撃者がいないために、本当の事故原因は分かりません。むしろこちら側に不注意があったように言われて、納得できない部分が沢山あります。加害者は突然訪問してきてお詫びを言いましたが、作業服のままで来て、ぞんざいな言い方で、あんなことで「謝罪をした」とされることに納得がいきません。また雇用者は零細業者で挨拶に来ませんでした。いまでも死んだ家族のことを思うと涙が出て止まりません。交通事故の場合は、目撃者を捜すことも非常に困難です。相手の主張の前には死人に口なしで、なさけない限りです。

4) マスコミ被害
事件後に新聞は直接遺族である私に話を聞かないで、他の人から聞いた話を報道しておりました。私としては書かれたくない話がありましたし、事実と違うところがありましたので、訂正してもらいたかったのですが、報道されてしまえば既に遅しでした。新聞やマスコミはどこからでも写真や話題を探し出して来るので恐ろしい。もっと遺族の立場になってもらいたかったと、今でも残念に思います。

葬儀の時に雑誌記者が勝手に室内に入ってきて、祭壇に飾った写真を撮影して、大騒ぎになりました。この時には「遺族は望んでいない」と言うことで、その場でフィルムを抜き取ってもらいました。あるテレビ局員は葬儀の間中取材に来た職員同士でふざけあったり笑い声を出したりで、非常に不愉快な思いをしました。

5) 警察や検察の対応
交通事故でも殺人事件でも、だれでも初めての経験です。警察や検察の調書は、書かれた文案を自宅に持ち帰ってゆっくりと読み直す暇がないままに署名捺印させられました。裁判の場で、そこは違うと思っても、既に署名捺印してあり、納得できないままに判決が降りました。また検察庁はお役所的で気後れしてしまい、あまり思うとおりのことが言えないままに終わりました。誰もが事件直後で、心が混乱している段階で事情聴取されて、思いの丈を伝えられないままに終わっています。もう少し何とかならないでしょうか。被害者側は遺族だけが事情聴取されて弁護士もつきません。もっと専門家の助言も必要です。警察や検察は普段でもおそれ多くて近寄りがたいところなので、それだけでも心が動転して満足に自分たちの主張を伝えることは難しかったのです。

6) 裁判
刑事裁判では被害者遺族は傍聴人でしかないし、意見陳述が許されても一回だけで、殆ど言いたいことが言えませんでした。被害者遺族側にも弁護士は公的負担で付けてもらいたい。裁判は10回ちかく行われたけれど、そのたびに仕事を休んで、高い旅費を工面して傍聴しました。実際の法廷では、10分や20分程度で終了してまるで内容が無い事務手続きで終わることもあり、それでも何が起こるか解らないので被害者遺族の私たちは事実の確認のためにも必ず法廷を傍聴しなければならず、毎回夫婦で一泊二日の遠距離旅行になり大変でした。

無期懲役の判決でも早ければ十数年で釈放されて自由になれるのは納得できません。犯人は前回の仮釈放直後に殺人をしたのです。このような場合の無期懲役は実質的に終身刑であるべきで、犯人は一生出獄させてはなりません。

交通事故の刑事裁判では、事故が発生した県の裁判所ではなくて加害者が居住する県の裁判所で開催されて、被害者は傍聴するためにわざわざ遠くまで出向かされて不都合に感じました。刑事裁判は事件が発生した県で行われるのが正当ではないでしょうか。また刑事裁判後の民事裁判では、刑事裁判で認定された事実を再度最初から審理しなおしました。このために遺族が受けた時間的な負担と心理的な圧迫感は大きなものでした。

7) 公的支援が無かった
海外で事故にあったが現地の大使館の協力が全くありませんでした。この問題は、国内でも同じです。事件直後の大変な時期に遺族は状況が良くわからない中で苦労しなければなりません。何とかならないでしょうか。事件直後から、差し迫った状況に置かれている被害者の支援を組織的また体系的に行ってもらいたい。



3、被害者が自主グループを設立する理由

これまで高知県内では「犯罪被害者が集まりたい」とか「交通事故被害者のグループを結成したい」とかの動きはありました。また過去には犯罪被害者等基本法の制定に向けた全国犯罪被害者の会(あすの会)の呼びかけに応じて、街頭署名活動も行われました。このため多数の犯罪被害者や交通事故被害者が動員された経緯もあります。しかしながら、熱しやすく冷めやすいという、県民性や運動を長期間継続することが困難であるなどの事情で、持続的なグループ運営は困難であったようです。

私たちは、大人数を集めて、多数の人間の団結を誇るつもりはありません。そもそも私たちの共通項は「不慮の死や理不尽な死」という無念の心です。この心は本来人間が集団を組み団結するための心ではありません。それでも、家族が無念の死をしたことから感じる悲嘆の心は共通しています。この強烈な悲嘆の心をバネにして、被害者遺族として親睦を深めて、仲良く・気持ちよくつき合うことを目指して会合しました。参加者が非難しあったり、傷つけあったりする場にならないように心がけました。

1)癒しと・救いと・語り合いの場

被害者には誰も望んでなるものではありません。ある日突然、結果として被害者の立場や被害者遺族の立場を突きつけられるのです。被害者遺族が持つ悲嘆の心は、経験したものでなければその深淵を覗くことは困難であると考えます。そもそも私たち被害者遺族も、その立場になって初めて「このような世界があったのか!」と、知るに至ったのです。人の死という知識を持つことだけは問題の本質を知っていることにはなりません。映画やテレビの映像では、非業の死をとげた人間の心の痛みはわかりません。私たちはそのような心の痛みを共有する遺族がお互いに直接その思いを語り合う場が必要であると考えました。

  1. 気分転換の場
    私たちは呼びかけ人として、被害者遺族に声をかけて会合への参加をお願いしましたが、多くの方が事件後何年も過ぎているにも関わらず、不幸と不満と悲しみの塊になっており、そこから逃れる術が無くて顔をゆがめて苦しむ姿に接しました。確かに被害者遺族が集まれば、悲嘆が悲嘆を呼ぶ側面もあります。しかし、自分自身の悲嘆の経験を外に出すことによって、また同じような経験をした他人の悲嘆を耳にすることによって、自分自身が感じている不幸の気持ちや孤独感、社会への不満および世界中で自分が一番悲劇だと思っている悲しみを客観的に見ることができるようになると期待しました。
  2. 残された者の幸せ
    被害者遺族は残された者です。肉親の無惨な死を見た人間です。自分自身が死ぬまで、「あの人の悲劇」からは逃れられません。それでも、残された者には幸せを追求する権利があります。被害者遺族にもいろいろな生き方があります。お互いに経験を述べあうことで残された者が幸せを見つけ出す手がかりが芽生えることを期待しました。
  3. 呪われた者の集まりではない
    今回被害者遺族の会合への参加を呼びかける中で、意外と多くの方が迷信や、無責任な占いや、風聞や、宗教などの勧誘や、悪言などに悩まされていることを知りました。現実問題としてこのような場合に、被害者遺族でもない人に相談すると、多くの場合心がより大きく落ち込むだけになる場合があるようです。心ない言葉を投げかけられた人間同士で話し合うことで、前向きに対応する心を持つことができると信じます。

2)自らの事件や事故の原因究明と情報交換

事件直後で刑事裁判や民事裁判を行っている者は尚更のこと、既に裁判が終了した人も、判決と刑罰という現段階における事件の社会的な結末に納得しているのではありません。同じように悩んだ経験がある人間どうしで話し合うことで、自分自身の事件を見つめ直す光明や発想の転換が得られるかも知れません。会員はお互いに仕事として請け合うのではありません。事件の情報を交換することで、社会が取り組む方向性に期待をつなげるのです。

例えば、過去に傷害事件を起こして収監されていた加害者が刑期が短縮されて仮釈放された直後に殺人事件を起こして無期懲役の判決が下されていても、早ければ10数年の懲役で釈放される可能性があることは、おかしいのです。この犯人は再度の釈放をされると再び通り魔的に無関係な人間の命に危害を加える可能性が高いと考えられます。このことを声高に主張できるのは家族を殺された被害者である私たちです。

精神障害者が起こした殺人事件の場合には、事件の時期や、事件後の対応その他などで、刑事罰に関しても不起訴になり無罪放免された事例から、懲役25年が確定した事例まで幅がありました。また精神障害者を治療していた病院の責任もまるで問われなかった場合もあります。非常に多くの場合、精神障害者の犯罪では弁護士や医師などの専門家も、殺された被害者の立場に立ってくれません。精神障害者を罰しないことが人権擁護であると言われてしまう事例もあります。被害者は自分自身の事件の裁判が終了すれば事件は終わりではありません。犯人は再び他人に危害を加える可能性が高いのです。それでも、医師や弁護士が中心となって運営される社会では、その責任を問えない可能性が高いのです。被害者はこの問題に、持続的に取り組む必要があります。

日本の制度がおかしかったり、制度運用の矛盾として、この他にも沢山の問題や課題があると考えられます。これらの問題に取り組むのは、遺族とならされてしまった被害者の権利です。これは正当な社会的な要求です。

3)故人の願いをかなえる

  1. 故人の人権を擁護する
    被害者遺族になった直後から聞かされる忌まわしい言葉があります。それは犯罪処理に関する専門家や事件の関係者から発せられる言葉です。被害者遺族は「あの人は死んだのです。加害者は生きています。加害者の善意を信じなさい。加害者の更正を信じなさい」と言われ続けます。被害者遺族は「死んだ故人の人権は消滅しました。生きている殺人者は生きているから人権があります。生きている殺人者の人権を侵害してはいけません」と言われ続けます。

    これは正しいのでしょうか。そもそも前提が間違っています。殺人者は殺された者の生存権という最大の人権を奪ったのです。最大の人権を奪った行為には、それに伴う社会的な制裁が必要です。その事が故人の人権を擁護することになります。故人の人権を擁護する事は、将来不慮の死や理不尽な死を経験する者を削減することになります。これは生きている人間の生存権を守るという人権擁護の課題です。故人の人権が配慮されないことは、生きている人間の人権が軽んぜられることです。故人の人権が尊重されることは、生きている人間の生存権を守ることなのです。

  2. 故人がやり残したこと
    故人には生前本人がやり通したかったことが必ずあるはずです。それは事件や事故や災害という殺人によって死を持って強制的に終了させられました。被害者遺族の中にはその遺志を実現することをめざしている場合があります。故人の遺志を実現できるようにお互いに協力しあうことも可能であると考えられます。故人が持っていた意思ややり残したことなどの中には、社会が実現することが望まれる課題もある可能性があります。

  3. 故人が命を失うに至った原因を社会的に正す
    故人が命を失うに至った原因や要因には社会的に正すべき要素がある可能性が高いと考えられます。故人の死を取り巻く原因の中には、必ず社会として許され得ざるべき事象があるはずです。被害者遺族はグループの意思として、その社会的原因に意見を述べる道を探りたいと考えます。ある意味では、この活動こそ、故人が中途半端に終わった社会貢献を継続させる方途でもあると考えられます。不慮の死や理不尽な死の原因を社会の中から取り除くことが、故人が残した最大の遺志でもあると考えられます。

4)新しい被害者遺族の支援活動

私たちはこうち被害者支援センターの活動と事業に協力して、今後発生するであろう事件や事故や災害などによる不慮の死や理不尽な死を伴って発生する新たな遺族への協力体制を築いてゆきたいと考えます。誰でも遺族になれば、私たちが経験した嵐のような日々に翻弄されます。事件直後にはこれから何が起こるか、何が大切かなど、話し相手が必要でしょう。また不慣れな警察や検察などのお役所との対応の問題もあります。マスコミとの対応を間違えると、誤報道などで傷口を広げる場合があります。長期的には刑事裁判や民事裁判への対応に関して被害者としての経験を語ることも意味のあることだと考えられます。被害を受けた直後の人には支援が必要です。

しかし被害者が新しく出現した被害者に協力することは、人道や理想論として言うには易しいが実行には苦しみが伴います。新しい被害者が突然の悲劇に苦しむ姿を見ることは、実は、自分自身の過去、あの日あの時、を見ることでもあるのです。被害者自身の心がその時に帰り(フラッシュバック現象)、自分自身も心に大きな打撃を受ける可能性があります。被害者遺族は自分が経験した苦しみや苦境を新しい被害者には少しでも緩和するように協力したいと考えます。しかしこの作業は被害者遺族だけが行う作業ではありません。社会的な支援体制がなければ、援助しようとする遺族にも新たな苦しみになる可能性もあります。この分野では、社会的な協力体制が必要です。


4、見えてきた課題

初めての被害者遺族の会合でしたが、沢山の課題が見えてきました。その中には、果たして被害者の会を持続して、定期的に会合を開くことが適切なのだろうか悩んでしまうような課題もあります。

1)子供を失った悲嘆

不慮の死や理不尽な死によって子供を失った母親は例外なく悲嘆で落ち込んでいます。誰にとっても子供が親より先に死ぬほどつらいことはありません。ましてや被害者遺族の場合には、その子供が死んだ状況は幸せな死に方ではない悲惨な死に方です。子供が死んだその時を思うと、親としてやりきれない悲しみに暮れてしまいます。特に母親が感じる悲嘆には大きなものがあります。子供を失った母親の悲嘆には例外がありません。深い悲しみの中で、母親は体調を崩して、心臓の動悸や、めまい等の症状に苦しんでいます。

母親の多くは、「あの日、あの時、あの場所に・・」、「子供を立たせることがなければ、子供を行かせることがなければ・・」、「私の子供は今でも生きているはずだ・・」と思い悩んでいます。また子供と同年齢の人を見れば、「私の子供もあの人のように元気で生きられたはずだ・・」と落胆します。更に、年数が立てば子供と同世代の人たちは成長します。そして自分が覚えている子供の様子が「死んだあの時のままで、成長していないことに」愕然とします

母親が悲嘆にくれて、その悲嘆から抜け出せないで、自らも苦しんでいるときに、周りの人たちから、「先祖の怨霊」、「占いでは・・」、「日頃の行いが悪いから・・」、はなはだしきは「祟り・・」等という言葉を聞かされて、心は深く傷つきそして動揺します。そんな筈は無いと思いつつ、心に新しいナイフが突き刺さります。被害者の母親はどんなに悲しくてもつらくても、世間から切り離されたところで生きてゆくことはできません。周りの人たちの気軽な気持ちから出た言葉や、理屈にならない理屈の言葉などで、母親の多くは大きく動揺します。

「被害者遺族の会を設立しましょう」と呼びかける立場から見ても、これは重大な課題です。はたして被害者遺族が寄り集まって、語り合うことが良いことなのか否かという疑問に答えることができません。それぞれの母親の子供に個性があったように、各人が死ぬに至った事件や事故の内容は異なっています。しかし起こってしまったことと、母親が感じている悲嘆には共通の要素もあります。また世間との関係にも共通して考えられるところがあります。この共通性を持って、母親の悲嘆に対する、前向きな相互協力関係になるのか、それとも、悲嘆が悲嘆を呼び起こす結果になるのか、未知の問題があります。この問題は、被害者には差し迫った問題です。被害者は死ぬまで逃れられない問題なのか、それとも少しでも心の重荷を軽減することが可能なのか、先が見えない課題です。「会を形成して、悩みを分かち合うことが、そもそも、良いことか、否か?」と自問します。とりあえず会を形成する事が良い結果をもたらすことが多いのか、それとも、婦人へのダメージが大きすぎるのか、慎重に見極める必要がある課題です。

このような心の問題があると、被害者支援組織は安直に心理カウンセラーの出番であると考える傾向があるように思われます。しかし、「母親のストレス反応」や「悲嘆」や「喪の作業」は当事者でしか分かりえないことです。自らが専門家であると信じているが、本当の現実認識が乏しい専門家と称する第三者が手を差し伸べるとか、カウンセリングをすることで容易に解決することはありません。ある意味では資格を持った専門職ではあるがこの問題に無知なるカウンセラーも被害者遺族の心に対してはカウンセリング行為を通して加害者になる可能性があります。それでは被害者だけが集い定期的な会合を開くことで、この問題が根本的に解決するかと言えば、やはり疑問があります。被害者が単に集まるだけでは「傷を舐め合う」だけに留まってしまう可能性が高いでしょう。専門家の協力も必要でしょうが専門家は全能ではありません。被害者遺族であり、既に「喪の作業」を乗り越えた人からのアドバイスも受ける必要もあるでしょう。試行錯誤の中から技術や知識としての対応策が見つかる可能性に期待します。子供を失った夫婦関係は危機に陥っています。これは夫婦が互いに危機を乗り越える作業でもあると考えられます。

母親のストレス反応は重大な課題です。ある意味では被害者どうしが集まることが適切であるかという深刻な疑問をもたらせます。しかしこの問題に何もせず、手をこまねいているのも、何のための被害者の活動であるのかという深刻な疑問を提示します。被害者の母親が感じている強烈なストレス反応は事実です。そして母親自身が死ぬまで、心のストレスが緩和されることが無く、悩み続けなければならないとしたら残酷です。このような強度の心理ストレスがある時に、多くの場合「占い」「先祖の祟り」「日頃の行状」等の言葉が投げかけられて、更には「宗教の勧誘」などがあります。被害者が会合を持つのであれば、放置できない重要な課題です。前向きにまた建設的に対応してゆくべき課題であると考えられます。とりあえず、被害者遺族の会合としては、協力してもらえる専門家を見つける作業や、男女別の会合などをしてみるなど、試行錯誤の必要があるでしょう。

この問題を考えるに当たって私たちは、病院や診療所の治療ではない、社会的な活動として精神や心理緩和プログラムの必要性を感じています。私たちの長男の矢野真木人は精神科病院の社会生活技能訓練という作業療法を受けていた精神障害者に殺害されました。精神障害者に対する作業療法は健常者に対しては使えるものではありません。しかし新しい視点や技術開発により、極度の悲嘆に苦しめられている被害者遺族である健常者に対する例えば作業療法その他の心理緩和プログラムがあってもおかしくないと考えられます。現在では被害者対策の各種手法が導入されている段階ですので、このような視点からの各種の専門家に協力してもらう社会的対応も考えられると思われます。

2)被害者遺族からまず出発

被害者の救済活動は犯罪被害者等基本法が制定されて全国的に活性化しました。このことを被害者の立場から見ると、それに先立って全国犯罪被害者の会(あすの会)の主導による法律制定を求めて全国展開した署名活動がありました。このため被害者が集うと、署名を集める活動に参加した人たちと、法律が制定されてから参加した被害者を区分する心があるようです。署名活動に参加した人たちは「私たちは法律制定に貢献した」と言い、「あなた達は、法律が制定された利益を一方的に享受している」と言います。また被害者の中でも意識や認識に違いがあり「交通事故被害者は数の上では絶対多数を占めています。署名活動を犯罪被害者だけでやっていたら、満足な数の署名は集まらなかったはずです。法律が成立したのは、交通事故被害者がいたからこそです」と言われます。このような事件や事故に遭遇した時期の問題から発生する「先輩と後輩」の問題や「被害の種類の違い」による被害者間の差違は乗り越えられないものでしょうか。

被害者である先輩から「私たちは署名活動をした」という言葉を聞くと、聞かされる方は「過去の活動を絶対視されても・・」というとまどいを覚えます。しかし、繰り返しこの言葉を聞いている間に「署名活動は、被害で打ちひしがれていた心を前向きに転換する上で大きな効果があったのではないか」と私たちは考えるようになりました。被害者の多くは「息子や、娘や、家族を失って」事件後には心が沈滞していました。する事なす事全てが無駄のようで、生きがいを失った、抜け殻のような毎日を過ごしていたはずです。ところが署名活動では「沢山の署名を集める」という明確な目標があり、共に署名活動という同じ作業をする仲間がおり、集まった署名を元にして国会誓願をしたという社会への前向きな対応がありました。これらの全ての要素は生きがいを感じる要素です。家族の死という取り返しがつかない被害を受けた時から止まっていた時間が始めて動いたのです。被害者には署名活動は具体的な経験です。このため「署名活動で法律が制定された」という強烈な意識として心の中に残っているのだと考えます。

署名活動をして犯罪被害者等基本法が制定されて、全国の行政機関に被害者問題の専門担当者が置かれました。また被害者支援センターなどの組織も形成されました。ここに現実の被害者の意識のギャップが生じました。行政担当者も支援組織の職員も殆どが、被害者では無いからです。これまで一生懸命活動をしてきた被害者は「過去の事例の被害者というお客様」になってしまったのです。このために「被害者が中心でない団体に協力させられるのは、厭だ」という感覚があるようです。人によっては「被害者の、被害者による、被害者のための・・」組織を模索する人も現れます。また「犯罪被害者等」であるので、被害の範囲を限定的に考えて犯罪被害者が中心となるべきで、交通事故や災害被害者は他の問題である、と考える人もいないわけではありません。これらは制度が整備されることにより発生した問題です。

私たちは行政担当者や被害者支援センターの職員は被害者でなければならないという主張をすることは正当性を持たないと考えます。しかし職員は被害者救済や支援の専門家である必要があり、被害者支援や救済に熱意と誠意を持つ必要があります。被害者支援専門家にも背景には各種の個別専門分野の職能があります。職員はこのような各種の知識を深める必要があるでしょう。素人が熱意だけでできる仕事ではありません。あくまでも専門的な技量を背景とした、効果がある活動が求められます。

私たちは被害者として被害者支援センターを利用してゆく立場から、この問題を見ます。私たちが居住する高知県は人口70万人足らずの小さな県です。被害者と言ってもそれ程多くの数がいるわけではありません。このため「被害者であれば、被害の種類は問わない」ことにしました。犯罪被害者であれ、交通事故被害者であれ、自然災害被害者であれ、医療事故の被害者であれ、場合によっては過労死などによる自殺者であれ、何らかの形で被害者であると自己認識できる方の遺族の集まりにしたいと考えます。私たちの共通の項目は「不慮の死・理不尽な死」です。「不慮の死・理不尽な死」を悲しむ心および、「不慮の死・理不尽な死」を無くさなければならないという心です。

被害の中には被害者本人が生きていて、被害が原因の後遺症で本人が苦しんでいる場合があります。このような方たちも紛れもない被害者であり、私たちと協力関係を保てます。しかしながら当面の間、私たちは被害者遺族のグループ形成を先ず優先させようと考えます。将来性としては、会が安定的に運営されるようになれば、本人が直接被害者である方の参加を求める場合と、本人が直接被害者である方たちのグループと協力関係を築くことも考えられるでしょう。

高知県は大きな県ではないので、犯罪や、交通事故や、災害や、医療事故難度の個別グループを作る必要性があるか否かについては、参加者の数の問題もあり、やってみなければ解らない問題です。また遺族と直接被害者は被害原因を見れば問題は共通しています。そのような視点で大きな傘を持つのか、それとも、生死の境が大きな違いになるのかなどについても、今後見極めるべき課題でしょう。

3)社会的な提言

被害は何であれ、犯罪であれ、交通事故であれ、医療事故であれ、災害であれ、自殺であれ、何であれ、原因があり結果があります。原因と結果があれば、その過程を見直すことで被害を削減することが可能であるはずです。また原因と結果が社会の中で発生すれば、社会の制度や運営の問題として対応と対策を取ることが可能になるはずです。

被害者と被害者遺族は「不慮の死や理不尽な死」という明白な結果を突きつけられています。このため、この経験を元にした、社会に対して改善を要求できる主張を形成することが可能です。また被害者がグループとして社会に提言することも可能であると考えます。社会を改善しないことには、命を失った者の無念を晴らすことはできません。


さいごに

私たちはとりあえず高知県内で被害者遺族の自助グループを立ち上げてみました。これから、被害者である方たちに声をかけて参加を求めて行きたいと考えています。ところがこれは容易なことではありません。そもそも、過去の被害者遺族のお名前も所在も解らないのです。警察は守秘義務があり教えてくれません。それで主として口コミで探し出すことになりますが、被害者の誰もが実は自分自身のことで謀殺されていて、同じ境遇にある方々の情報を持っていません。おかしな事かも知れませんが、新設のこうち被害者支援センターにも情報がありません。少しずつ、人の輪を広げてゆくしかないようです。


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