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いわき病院事件第5回公判報告


平成19年4月26日
矢野啓司・矢野千恵

矢野真木人(享年28歳)が平成17年12月6日に高松市内のショッピングセンターの駐車場で近隣の医療法人社団以和貴会いわき病院(以下、「いわき病院」と称します)に入院中の統合失調症の精神障害者(野津純一)に通り魔殺人された事件(以下、「いわき病院事件」と称します)の、その時異常信号を発していた精神障害者に単独外出許可を与えて外出させていたいわき病院の責任を問う裁判の第5回公判が平成19年4月11日に高松地方裁判所で行われました。

高松地方裁判所の第5回公判は前回と同じ円卓(ラウンドテーブル)公判室で、裁判官と原告及び被告側だけが出席する非公開で行われました。その理由は前回と同じ「公判前書類整理手続き」であるからだそうです。また、原告側代理人弁護士も被告いわき病院代理人弁護士共に電話での公判参加でした。しかし公判前書類整理手続きと言っても、原告側からはこれまでの被告いわき病院の主張に対する反論文書が意見陳述書として提出されましたし、被告いわき病院代理人および被告野津代理人からも準備書面が提出されましたので、実質的な議論は進展しました。なお、次回の第6回公判は2ヶ月を置いて6月6日に、引き続き、非公開で行われます。私たちはこだわりますがそもそも「公判」とは何を意味しているのでしょう。公判とは公の判定です。公とは「裁判官」でしょうか? 書類手続きであるので、非公開という概念でしょうか。おかしいと思います。少なくとも、この裁判では「マスコミの報道」」について被告いわき病院が既に言及していますので、「マスコミに公開」は原則であるべきではないでしょうか。


1、いわき病院の弁護人はすでに責任を認めている

第5回公判では東京の弁護士事務所から電話出席したいわき病院の代理人弁護士が「本件裁判では被告人はいわき病院と野津純一の二者であり、二者が共同して賠償責任を負うはずである。しかし、裁判の進行の実態は、原告も被告である野津も一緒になっていわき病院だけの責任が問われているのでおかしい。」という主張をしました。すなわち「いわき病院と野津純一の共同責任であり、両者の責任割合の認定が課題であるのに、いわき病院だけが賠償責任を負わされるような方向で議論が進展しており、裁判のあり方を含めて不満だ」と主張したのです。

通常の交渉では「責任割合を主張する」ことは「そもそも、賠償するべき責任が存在する」と認めたことになります。いわき病院の代理人は「いわき病院の治療に間違いはなかった」とは一言も主張せずに、ただただ「責任割合は100%ではない」と主張したと同じ事です。すなわち「この裁判は、いわき病院の敗訴を前提としている」と考えて良い状況です。通常の交渉では、責任割合を言い始めたら「自分には責任はない」と再び主張はできません。ところが、裁判では判決は裁判長が下しますので、このような「責任を認めたかのような」主張をしながら、あわせて自分の責任を否定する議論が進行しております。

私たちから見れば、野津純一は懲役25年で罪を償いつつあります。これは重篤な統合失調症の患者であることを考慮に入れても非常に軽い刑罰です。何しろ、矢野真木人は全く理由もなく殺されたのです。生き返ることがない永遠の死と比較すれば、懲役25年と言えども比べられないほどの軽い刑罰です。それでも彼は罪を償いつつあります。また、いわき病院の精神障害医療の実体を見れば見るほど、殺人者である野津純一およびその両親もいわき病院治療の不作為による被害者であるという側面が明確になりつつあります。その意味では、既に苦しみ抜いた生活をしてきた野津純一の両親をこれ以上苦しめる理由は乏しいのです。それでも、矢野真木人はいわき病院の医療過誤により野津純一により殺害されましたので、原告の私たち夫婦にはいわき病院と野津純一に対して請求権があります。その上で、いわき病院の賠償責任は99.9999999%(有効数字で、一円の桁まではいわき病院側に責任があるという意味です)と考えています。また、私たちは野津純一の両親は「野津純一に対する医療の過失と不作為など」でいわき病院に損害賠償請求を行う理由があると考えております。

いわき病院事件の裁判の本質は、既に何回も書きましたが、日本における精神障害者の人権を本質的に回復することです。日本で精神障害者が普通の人間として全ての法的権利を行使できる社会人として参画できる条件を整備することです。またこのために、日本の精神医療の何が課題であり、改善されなければならないかを明確にすることが目的です。


2、いわき病院の主張

いわき病院からは第5回公判の1週間前に「第2準備書面」が届けられました。いわき病院の主張は概容は枠内の通りです。なお、私たちのコメントは(⇒)です。


1) 犯行前の発熱

12月6日の犯行の前日の12月5日には野津純一は37.4度の発熱をしていたが、40℃近い発熱でもないので、主治医である院長自らが診察するほどではなかった。たかだか、37.4℃程度の発熱で緊急対応をすることはできない。

⇒その日渡邊医師は病院内にいたので、緊急対応ではなくても通常の業務の範囲内で、病状が変化している野津純一を診察する時間的な余裕は十分にあった。なお「主治医である院長自らが診察するほどではなかった」と主張したところに「主治医である院長」がきめ細かな医療を行わないでもよしとする、傲慢な意図が現れている。


2) イライラ・ムズムズと発熱

野津純一のイライラやムズムズの症状はこれまで絶えず認められていたもので、以前と比較して特に変わった症状ではない。また37℃台の発熱の時には外出などを控えるのが通常の対応である。しかし野津純一は運動興奮や大声を出していたのではないので無闇に行動制限できない。

⇒「外出を控えるのが通常の対応」と言っておきながら「行動制限ができない」として、外出許可を出している。いわき病院の主張には同一文章の中ですら、一貫性がない。渡邊医師自身が認めている野津純一に対する医療の必要性を理由にして、野津純一に外出を控えさせておれば、通り魔殺人事件を引き起こすことはありませんでした。また野津純一のイライラやムズムズの症状は「7)風邪症状と殺人行為」で指摘する薬処方の変更に関連しており「これまで絶えず認められていた」「以前と比較して特に変わった症状ではない」と抗弁するのは医師としての怠慢と不作為です。

3) 野津純一の生育歴

野津純一の攻撃性を示す過去の行動の特質については、過去に治療していた医療機関からの紹介状には明確に書かれていなかったので、知り得なかった。また両親も、いわき病院に入院させる時に過去の凶状歴を説明しておらず、両親は主治医に伝えるべき情報を伝える責任を果たしてない。

⇒精神科医療では、入院時に患者の生育歴を詳しく調査することが、病院が医療を始める前の必須条件です。精神科医療診断手順などにも明記されています。本質は、いわき病院が調査を完遂していたか否かであって、両親の説明や他の医療機関の情報の有無は副次的な問題です。いわき病院長渡邊医師は自らの不作為を、他の病院や、患者の両親の責任にしています。


4)主治医の判断

野津純一が以前入院していた病院でも措置入院は行われていないので、いわき病院が野津純一に対して強制的な措置を取る理由もない。

⇒主治医の渡邊医師は自ら医師としての職責で判断するのでなく、外の医師に判断を依存している。専門職の精神科医師であり、病院長と言う管理者として他の医師を指導する立場にいるにも関わらず、自らの判断を放棄した主張をしている。また新たに発生する状況や症状の変化を無視した主張です。


5) 退院を前にしたストレス
野津純一は退院が1ヶ月後に迫っているというストレスも殺人行為の要因であったと原告は主張するが、主治医の渡邊は平成17年12月当初の時点で退院は困難であると判断していた。

⇒事件の3日前、平成17年12月3日のカルテに、渡邊医師は「退院して、一人で生活をするのは…」と記述していました。「プラセボを試す」という臨床医師の言葉であったとしても薬処方を大幅に変更したのは、退院を前提にした治療だったのです。渡邊医師は、原告が既に入手しているカルテという証拠があるのに、その場しのぎの、言い逃れや嘘が多すぎます。自らカルテに書いたことまで否定しています。渡邊医師は12月3日に診察したが野津純一の顔には瘢痕(根性焼)は無かった、カルテに「退院のため」と記述しながら「退院は予定してなかった」などと主張しています。医師である本人の医療行為に関した発言そのものもが信用できません。


6) 顔面の根性焼

いわき病院に入院している間、野津純一の顔には「根性焼」という瘢痕は無かった。もし逮捕時に顔に瘢痕があったのであれば、病院から出て逮捕されるまでの間についたものである。

⇒テレビ朝日が平成19年2月3日に全国放送した番組では、逮捕される野津純一の左の頬に明瞭な2カ所の大きな瘢痕の映像がありました。野津純一を逮捕した警察官も「頬に傷がある男」と無線で確認作業をしており、頬の瘢痕は殺人事件を起こした6日には既にあったのです。顔の瘢痕が、事件の翌日の7日に外出してからわずか20分の間にできたとは考えられません。いわき病院長渡邊医師は、患者の顔をしっかり見ないで治療や診察をしていたのでしょうか? 執拗に頬の瘢痕を否定する病院の主張は不可思議です。退院に関連して明白な虚偽の証言をしており、根性焼の証言も怪しいと考えるべきでしょう。原告には「どうせ証明できないだろうから」と「事実を自分に都合が良いように言い換えてしまおう」という意図が見え見えです。私たちは既にいわき病院のカルテを証拠として取得しています。自ら記述したカルテの記載と矛盾する主張を繰り返すいわき病院の主張は浅はかです。なお「もし逮捕時に顔に瘢痕があったのであれば、病院から出て逮捕されるまでの間についた」という主張は、野津純一に「根性焼」をするべき理由があったといわき病院が認識していたと考えて良い証言です。


7) 風邪症状と殺人行為

野津純一の風邪症状は12月4日からであるが、医学的にも風邪症状と殺人行為を結びつけることには無理がある。

⇒渡邊医師は「プラセボを試す」として、11月30日から薬処方を大幅に変更していました。また12月2日からは野津純一を騙して薬を注射する代わりに薬効がない生理食塩水を注射していました。そして12月4日から発熱した異常です。医学的にも無理があるどころか、医学的にはめちゃくちゃな治療をしていたのです。いわき病院長が停止した薬には「急に投薬を停止するとインフルエンザ状の発熱がある」と注意書きがあります。その上で、きちんと野津純一の顔を見て、必要な診察をしなかったのです。「プラセボを試していた」のであれば患者のどのように小さな状況の変化にも即時に対応する義務があります。また野津純一は2日には「先生が勝手に薬を変えて調子が悪い・・」と不満を述べていた看護記録があります。患者に説明責任を果たさず、薬の注意書きもきちんと読まない医療の実体がありました。野津純一は薬の急激な変更で「パニック」状態になっていたのです。その一つの表れが「風邪症状」でした。なお、渡邊医師は野津純一が逮捕された後で、警察で拘留中の野津純一に届けた薬では処方を元に戻していました。「しまった、薬を間違えた!」と心の中で叫び冷や汗をかいた、はずです。処方薬を元通り戻したことも、既に私たちに確認されている「医療上問題となる行為を、いわき病院長が医師として自ら間違いに気付いていたと考えられる行動」の一つです。


8) 喫煙コーナー

野津純一は2階と1階の喫煙コーナーで喫煙していたが、喫煙所が特にひどく汚れていたということはない。

⇒清潔であるべきいわき病院が「病院内に一定の汚れはあった」と主張することも驚きですが、野津純一は3階に入院していて、病室の前には喫煙コーナーはありました。どうして、わざわざ行く必要がない2階の喫煙コーナーまで行って喫煙していたのでしょうか。警察の調書でも「3階の喫煙コーナー」と明記されています。いわき病院は階数を取り違えて、反論文章を書きました。このように、いわき病院の反論書には、毎回のように事実確認を疎にした主張があります。いわき病院では事実を正確に評価する医療が行われていないのでしょうか。


9) 刑事裁判の精神鑑定

刑事裁判の精神鑑定書は間違いである。特に反社会的人格障害を野津純一の症状としたことは鑑定医は精神科医師として診断間違いである。

⇒原告の私たちは何人もの精神科医師や専門家に問い合わせましたが、「鑑定医が正しくて、渡邊医師の間違い」という意見を得ています。また渡邊医師は精神医学の国際診断基準書に言及して主張しますが、具体的に診断基準書のどこに書かれているかを明示しません。渡邊医師は反社会的人格障害と統合失調症の二重診断を明確に否定したことで医師として決定的な間違いを証言したとほぼ断定できます。


10) 強迫神経症と凶暴性

いわき病院は、野津純一は強迫神経症であったと主張しています。今回は「発病初期は強迫神経症の傾向が強かったため警察官面前調書では“強迫神経症”と述べたが(中略)実際に強迫神経症として治療していたわけではない」と証言しました。

⇒上のいわき病院の主張は矛盾しており、不正義です。しかし、いわき病院が診断名に「強迫神経症」と書く書かないはともかくとして、野津純一の強迫神経症の症状があることに気がついていました。医師は強迫神経症の症状を持つ患者には、ICD-10という国際診断書に忠実であればなおさら「凶暴性の有無」を常に慎重に診断する義務があります。野津純一は実際にいわき病院で入院していた平成16年10月21日に看護師に襲いかかりました。渡邊医師は野津純一には反社会的人格障害という診断名は無かったと強く主張しますが、渡邊医師が言う強迫神経症の症状でも、凶暴性という性質には専門の精神科医師としては気付くのが当然でした。


11) 殺人の決定的な要因

野津純一のイライラや、ムズムズや、喉の痛みや、手足の振るえなどは、どれ一つをとっても殺人事件を起こすという決定的な要因にはなり得ない。したがって、精神科病院に責任など存在しない。

⇒いわき病院は「イライラで殺人した事例はない」、「ムズムズで殺人した事例はない」などと「個別の症状と殺人事件を結びつけられない」と主張しました。これは、野津純一を人間としてトータルな視点で見ていない証拠です。個別の事象に固執して全否定を繰り返すことで、人間の精神を治療する精神科医師としての自らの欠陥を露わにしています。


12) 野津純一の外出と外泊

野津純一はいわき病院から許可を得て44回の外出と外泊を行った(具体的な日時を提出しました)が、いずれも問題がなかった。したがって事故の危険性は予見できない。

⇒いわき病院が提出した44回のうち38回の外泊は両親が迎えに来た一時帰宅でした。また6回の外出は耳鼻科などで受診するための付添人がついた外出で、単独行動は一回もありませんでした。実際問題として、野津純一の両親は息子が事件を起こさないように願って、必死で頑張っていたのです。そのために息子純一が「自由行動で問題を起こさないことだけ」願っていたのです。野津純一が矢野真木人を殺人したのは、いわき病院が箇条書きで資料提出した以外の、「入院規則に定められて、予め病院から外出許可が与えられていた、近所で買い物などをする外出」でしたが、これについては病院は何も言及しておりません。いわき病院は「40回以上の外出でも問題がなかった患者さんなので、予測不可能だった」という主張を繰り返しています。しかしその実体は、質問に対しては相手の善意の誤解を誘発する、その内容はとんちんかんな答えを意図的にして「外出に問題はなかった」と言っているだけです。いわき病院の解答は意図した詐欺的な手法であり、非常に悪質な欺瞞です。いわき病院は44回の外出外泊記録を箇条書きにして提出したことで、自らの体制の不備を証言したようなものです。サッカーで言えば「自殺点」です。


3、いわき病院の論理

第5回公判でいわき病院は野津純一の過去の通院入院歴の中で未だに裁判の資料として取得されていない他の病院や医院のカルテ提出を求めました。その背景には、「野津純一の危険性を見抜けなかったのはいわき病院長渡邊朋之医師の責任ではありえないこと」を証明する意図があると思われます。要するに「過去に診療や診察した、あの病院でも、この病院でも、野津の危険性を把握していなかったので、いわき病院がその危険性を把握しなかったのは当然だ」という論理です。また「仮に過去の病歴の中で野津純一の凶暴性などが把握されていた場合には、そのことをいわき病院に通知しなかった相手の病院が悪い」と主張したいようです。また「野津純一の両親は、野津純一の過去の放火や凶行歴を、外聞が悪いと言って自分の体面を保つためにいわき病院に報告しなかったので、野津純一の両親の責任がより重くなってしかるべきだ。野津の両親と比べるといわき病院の責任は軽い」とも主張したいようです。

いわき病院長渡邊医師の主張の決め手は「私は連絡を受けていない、私は聞いていない、だから連絡も情報提供もしなかった他の病院や両親が悪い、いわき病院には責任はない」です。しかし、第5回公判の今頃になって「過去のカルテ」の開示を認めた主張を聞いて、私たちは「いわき病院の渡邊院長は、裁判の論点や、自分が置かれた状況を正確に理解しているのだろうか」と疑いました。仮に新しく証拠として入手されたカルテに何かが記述されていたとしても、「野津純一による矢野真木人殺害」に関連した基本的な事実関係を崩す決定的な新証拠となるとは思われません。私たちから見れば、いわき病院に詳細な情報を通報しなかったかもしれないずいぶん昔に治療した病院や医院の数がいくつか増えたところで、主治医である渡邊医師の責任を軽減することにはなりません。

いわき病院長渡邊医師は精神科の専門医です。いわき病院という病院の院長で、他の医師を指導する立場にある管理者です。その人が、「他の医師が言わなかったから診断できるわけないではないか」とか「両親が言わなかったから、分からなかった」と言っています。野津純一はいわき病院に入院してからも病状の変化はあるのです。それでも精神科の専門医師として「独自の判断では、診断できない」と主張します。もし、この論理が通用するとしたら、結局「医師としては何も判断できない。親が言わないと何も分からない」と同じです。日本の精神科医師の技量とはそれ程までに乏しく、また責任感を持たないのでしょうか。これは、日本の精神医療の尊厳に関わります。このような医師に自分自身の心の治療をお願いする、精神障害者が可哀相というものです。

ところで、患者の生育歴を明らかにすることは精神科医療では基本中の基本で、誰に言われなくても当然いわき病院が自ら行うべき必須項目です。また過去にどのようなエピソードがあったのかを紹介元の医師や医療機関に問い合わせるのは、新しく主治医を引き受ける医師としての責務です。「(今になって)十分な情報が与えられてない」と考えるのでしたら、医師として自ら聞き出す努力が不可欠であった筈です。これを全くやらず「全く知り得なかった」とするのは職責放棄以外の何物でもありません。渡邊医師の主張を聞いたある精神医療関係者から次のような意見がありました。「入院時に生育歴を調べ、医療サマリーには殆どその家の家系図を書き込みます。だいたい本人から3代前ぐらいまでです。『前の入院先から聞いてない、連絡がない、両親から聞いてない』はあり得ません。家系図を取る時には今までの病歴、家族関係、親類関係などが書き込まれます。それがいわき病院の記録に無いとすれば、病院は職務責任を果たしておりません」

私たちが協力を求めると多くの精神科医師は「いわき病院は悪くありません。あなた方は間違っています。協力できません」と実に冷たい返事をします。その断りの言葉を聞いて、私たちは「精神科医師の職能集団の敵として私たちを見ている」とか「矢野が起こした民事裁判は精神病院の業界の営業の妨げになると考えている」などと感じてきました。これまで「精神医学界からの冷たい仕打ち」を受ければ受けるほど、私たちは「これは、一いわき病院の問題ではなくて、日本の精神科専門医師と精神病院協会の問題である」と感じました。むしろ「あれは、渡邊医師に限定した個人資質の問題です。他の精神科医師はもっとしっかりしています。喜んで協力しましょう」と言ってくださると、私たちはかえって落胆していたでしょう。矢野真木人殺人事件はいわき病院の特殊事情の問題になってしまうからです。素人の私たちが反論文章を読んでも分かるほどお粗末な、いわき病院の医師の水準は、日本の精神科医療の尊厳の問題でもあるのです。私たちはこの精神医療水準の問題はいわき病院に限定されるものではないと考えます。「いわき病院は間違っておりません」と沢山の精神科医師が私たちに発言しました。


4、抽象的で中傷的な論理

いわき病院は「パレンスパトリエ」とか「国際コンセンサス」という言葉を持ち出せば原告の私たちがその言葉の巨大な印象におそれおののいて、かしこまるとでも思っていたのでしょう。ところが、原告から徹底した反論が出されたのでおそらくとても驚いた筈です。また「原告が、インターネットやマスコミ等を利用して本件に関する偏向的かつ虚構に基づく悪意に満ちた情報を一方的かつ大量に垂れ流している行動には応分の非難がなされるべきものと思料する」といわき病院が主張したことに対して、「言論抑圧を主張することは、そもそも、いわき病院に人権侵害体質がある証拠です」といわき病院の主張を利用しながらいわき病院の弱点を指摘されて、困惑しているものと思われます。

今回も原告の主張は「異説だ」という言葉を投げかけてきました。いわき病院長渡邊医師は「自分は正常である」「自分の言葉は社会の主流である」「自分は正しい」「自分の言葉に従わないのは、おかしい」などという論理を持っているようです。いわき病院長渡邊医師の意見に従わない原告(矢野)の主張は「異説である」と言うのです。そもそも、民事裁判で提訴された背景には、「何がこの社会では正しいのか」「精神障害に関するこれまでの日本の社会的手法および医療は間違っていたのではありませんか」と言うのが私たちの主張です。したがって「異説である」と言われても「ああそうですか」と引き下がる理由はどこにもありません。

いわき病院長渡邊医師は精神科医療の専門家ですが、いわき病院の精神医療の問題でも、ICD-10(WHO世界保健機関の国際診断基準)やDSM-IV(アメリカ合衆国精神医学会診断基準)などを持ち出して、自分は正しいと論じています。しかし渡邊医師はICD-10やDSM-IVの国際診断基準書のどこに書かれてある文章を根拠にしているかを明示しません。「私はICD-10とDSM-IVをこのように理解している」というレベルの主張なのです。その主張が正しいのか、間違っているのかは、客観的に判断できないのです。「医師である私が言っていることが正しい、どうしてそれが解らないのか」、また「(医師でもない、お前たちの主張は)異説だ」と言われても困るのです。

私たちは精神医療の素人ですが、ICD-10とDSM-IVの国際診断基準書の原著と日本語訳を詳細に読んで、精神医療の専門家である渡邊医師に「原著から日本語に翻訳するときの翻訳ミスをした可能性がある箇所を示して、ひょっとしたら、あなたは理解間違いをしたのではありませんか」とまで質問しました。しかし返ってきた答えは「異説である」です。精神医療の国際診断基準書の原著もしくは日本語訳のどこをどのように読めば、渡邊医師の主張に到達するのかが分かりません。「俺が言っていることが国際的コンセンサスだ」と言われても困るのです。何しろ精神医療上の国際的コンセンサスを形成しているはずの文章の日本語訳が誤訳である可能性を指摘しているのですから。私たちは「オリジナルはそうは言ってませんでしょう」と言いました。それでも「異説である」と固執されているのが、今回の裁判です。

私たちは大変な努力をして、いわき病院の渡邊医師が「国際的コンセンサス」「パレンスパトリエとポリスパワー」また「リーガルモデルとメディカルモデル」等という言葉を持ち出すたびにその言葉の意味を日本の精神医学会はどのような意味で使っているか、また欧米諸国の経験では過去にどのようなことがあったのか、等を原著や日本語訳および関連論文を調べました。そしていわき病院長渡邊さん「あなたのご理解は間違っていませんか。もっと正確な理解とより深い意味があるのではありませんか」と聞き返してきました。しかしそれに対する返答は「異説だ」という「抽象的かつ中傷的」な言葉です。どうやらいわき病院長渡邊医師の論理は抽象的なレベルで留まっているようです。しかし渡邊医師は人間の心を治療する精神科医師であり、哲学者ではありません。このため、抽象的なレベルに留まってはならず、具体的であることが医師としての責務ではないでしょうか。


5、裁判の帰趨

私たちは民事裁判の帰趨を決して楽観しているのではありません。私たちから見ればいわき病院は無意味な反論を繰り返しています。しかし、裁判は法律家である裁判官によって裁断をされるのです。私たちがいくら、議論で勝ったと思っても、裁判官がそのように理解していなければそれまでです。また私たちが正しいと思っても、裁判官の理解が異なれば、いわき病院長渡邊医師が主張するとおり「異説だ」と判決される可能性を否定しきれません。

そもそも、日本では刑法第39条があるために、精神障害者が犯した殺人のような重大犯罪でも「起訴もされない」「精神障害症状の軽重に関わらず、罪に問わない」のが普通です。その意味では「非常に重い統合失調症の患者であった野津純一に懲役25年の判決が確定した」ことは異例中の異例であり、いわき病院長渡邊医師の言葉に従えば「異説」なのです。野津純一が統合失調症であるにも関わらず懲役25年が確定したと聞いて「統合失調症を治療するためには、(本人に意思能力がある無しに関わらず)心神喪失でなければならない。判決は間違いである」と主張する医師が日本の主流です。「その人が本当に意思能力を失った心神喪失の事実ではなくて、統合失調症を治療するためには心神喪失でなければならないと主張して『心神喪失である』と精神鑑定をする」ことが、これまでの日本の精神医学会の主流なのです。すなわち、「本当は心神喪失ではない犯罪者も、医師の都合で、便宜上心神喪失で無罪や不起訴としてきた」経緯があるのです。その意味では「野津純一に懲役25年の刑罰をとにかくも確定することができた」私たちは「異説」なのです。しかし如何に「異説である」と主張されたとしても、確定した判決です。そもそも私たちがいわき病院を被告にして提訴した裁判はそこに原点があります。

今一つの懸念は裁判官が判決に際して、行政的配慮を持ち込む可能性です。私たちは、いわき病院の医療ミスの問題として、より良い精神科医療が日本で実現する端緒となる判決を望んでいます。しかし、いわき病院はパレンスパトリエとメディカルモデルという言葉を持ち出して、「それは、医師の裁量の問題である」と主張しました。裁判官が医師の裁量の幅を大きく解釈する可能性は排除できません。それは「精神科病院は社会に必要な施設であり、病院の経営を悪化させるような可能性がある判決を下すのは適切ではない」という考え方です。日本の精神科病院の病床数は諸外国と比較しても多すぎ、また精神科医療の高度化及び多角化が遅れています。しかし、それをさておいて、現状追認が最善の施策であると考えれば、裁判官はいわき病院を擁護する立場から判決を下すでしょう。いわき病院が「異説」という言葉を使っている背景にある心は、「これまでの日本の、精神障害に関したこれまでの裁判の常識で、判決をお願いします」という主張です。

私たちが既に確保しているいわき病院のカルテは膨大です。野津純一の過去の生育歴や病歴に関しても、膨大な証拠を確保しています。私たちは医療の専門家ではありませんが、既に読み上げた精神医療に関する文献は膨大なものです。その上で、日本のこれまでの精神医療に関連する裁判の流れを変える、これも私たちが達成したい大きな目的の一つです。これまでの裁判では病院と戦うには原告側には証拠も大義名分の論理も脆弱でした。私たちが行っている裁判では状況がずいぶんと変わっています。


6、本当の人権と人道

いわき病院は国際コンセンサスという言葉やパレンスパトリエ思想という論理を原告の私たちが解き明かしていることに驚いているはずです。またいわき病院長渡邊医師が国際診断基準を持ち出した時には、原著と日本語訳の違いにまで言及しました。それにも驚いたはずです。いわき病院は「国際的コンセンサスやパレンスパトリエ」などの崇高な理念の言葉を持ち出せば、原告がおそれおののいてかしこまると予想していたのでしょう。いわき病院の論理の本質は、低次元の水掛け論的発想です。要するに、医療裁判の常套手段である、専門性と医師の裁量権の論議に持ってゆき、責任回避をする事をねらっていたはずです。いわき病院と代理人弁護士も「当初の予想とは違って、今回の原告はかなり勉強しているぞ…」という具合に少々面食らっているのかもしれません。そもそも弁護士は法律の専門知識を駆使して、一般的ではない用語や言い回しで抽象的にまとめるのが生業です。現在はその方向性が狂わされた状況でしょう。いわき病院は「小手先の弁明は通用しない」と認識して、きちんと自らの正当性を論理と証拠で示すべきでしょう。いわき病院と顧問弁護士は今後もこれまでの方法論に固執すれば、傷口を広げるだけです。

私たちは争点を明確にして「いわき病院の杜撰な院内管理システムと職責を放棄した管理者責任」に絞り、「矢野真木人は何故殺されたのか?」という事を追及しています。これに対していわき病院は「原告は、精神障害者に対する差別論者で、いわき病院は擁護者だ」という論理を主張しました。しかし私たちが「いわき病院の論理に素直に従えば、むしろ精神障害者に対する人権侵害は拡大する」また「いわき病院の精神障害医療は病気を治療することになってない」などと一つ一ついわき病院の論理に潜む建前と本音の自己弁護と怠慢の本質を具体的に解き明かしています。いわき病院の論点は虚構の上に成り立っています。それは精神障害者の利益に反しています。私たちが「根本的な原因」を解明しようとしている姿勢に接して、被告代理人弁護士は現在では「しまったッ!」という感覚だと思われます。これは日本における精神障害者の治療と社会参加および人権や人道の課題に本当の前進を求める戦いです。


最後に

いわき病院の主張はどのようにして、裁判に提出されるのでしょうか。普通に考えれば、いわき病院内で主治医の渡邊医師他の医療スタッフや看護スタッフの幹部が担当部署の意見を書いたものを病院の総務部でとりまとめて、再度渡邊医師が病院長としてとりまとめたものが、弁護士の法律的な意見と裁判戦術を加えて、裁判所に提出されるはずです。いわき病院の弁護士は日本の精神医療と精神科病院に精通した優秀な弁護士です。

いわき病院の主張は同一文書内でも前後で主張が矛盾していたり、病院の診療録や看護記録その他の記録と照合したとは思われない記述があります。また明白な事実や根拠となる数字を取り違えた文書が提出されます。さらには、いわき病院の主張が正しいとしたら、「それは法律違反や、医療的な不正や過誤ではありませんか。あなたは自らそれを証言してますよ」という、驚くべき内容の記述まであります。「いわき病院さん、あなたの主張は、統合性が失われていますよ、それで良いのですか?」と問い返したくなるほどです。原告としていわき病院の反論文を読みながら、「いわき病院内で何が起こっているのだろうか?」と疑います。精神科の専門病院であるいわき病院は心理的に追いつめられて、ミスを連発しているのではないかと想像しています。しかし、いわき病院で行われているはずの文書作成と、顧問弁護士の専門性を考慮すれば、これが日本の精神科病院が王道と考えている論理でしょう。日本の精神科病院の医療の実体に基づくものでしょう。その一角が裁判を通して表に出てきているだけで、本体まで通じていると考えるべきでしょう。いわき病院で明らかになりつつある現実は、日本の精神医療全体の問題でもあると考えます。そう考えるからこそ、私たちは、安易な妥協をするつもりがないのです。

いわき病院は日本病院評価機構が優良病院として認定した病院です。公式に認められた香川県では一二を争うほどの、最優秀の誉れ高い評価を得た病院です。これが日本の精神医療の現実です。地域の最優良病院と裁判を行うと、このような現実が見えてきました。私たちは決して「札付きの、悪徳病院」と戦っているのではありません。いわき病院長は精神医学関係の四国の学会では中心的な役割を果たし、人権関係の名誉職にも就任していました。日本全国に広がる、地域の模範となるべき優良精神病院の現実として、この報告を皆様に読んでいただければと希望します。



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