刑法第39条の非常に異例な判決事例 (刑法第39条のコロンブスの卵は立ちました)
私どもの長男の矢野真木人(享年28歳)は平成17年12月6日に香川県高松市の以和貴会いわき病院(以下いわき病院)から、社会復帰訓練で許可を得て外出中の極めて重症の統合失調症の患者である野津純一(当時36歳)に万能包丁で右胸を一刺しされ、心臓大動脈血管を切断されて即死しました。野津純一は高松地方裁判所に起訴されて、平成18年6月23日に懲役25年の判決が言い渡され、加害者側と被害者側の双方が上訴せずに判決が確定しました。このニュースは四国のローカルニュースに留まり、「刑法第39条の規定がある中で、重篤な統合失調症の患者に厳罰が下った」事に注目する法曹関係者はほとんどおりませんでした。また私どもが「懲役25年」と言うと、それを聞いた法曹関係者の反応は「あなたは間違っている、あなたが統合失調症の患者と誤解しているだけで、裁判長は統合失調症は寛解(治癒)して健常者だと判断して、裁決をしたのですよ」と私どもを諭すほどです。
1、報道機関の対応
野津純一に対する刑事裁判が終了した後、いわき病院の責任を問う民事裁判に移行したために四国内の報道機関のほとんどは「(単なる金銭問題の)私闘」であるという認識で、いわき病院事件に関する報道を自粛してしまいました。(なお、私どもは刑事裁判、民事裁判、日本の精神医学会および行政に対する影響、および刑法第39条にの解釈に深く入り込んだ裁判が行われたことなどを総称していわき病院事件と称しています)。ところが、「刑事裁判で厳罰が確定したこと」および「民事裁判で従来のような被害者側が病院に対して圧倒的に弱者である展開とはまるで異なる展望が見えていること」などの情報が少しずつ外に出るようになり、東京のテレビ放送のキー局が注目してくれるように状況が変化しています。9月にはフジTVが「ワッツ日本」でいわき病院との民事訴訟の争点に着目して報道しました。矢野真木人の一周忌の12月6日には日本テレビの「ザ・ワイド」で「懲役25年の判決」が全面的に取り上げられました。更に1月末にはテレビ朝日が「テレメンタリー」で報道すべく現在収録を重ねています。さて、本文は日本テレビの「ザ・ワイド」の報道を受けて、その情報を補完するものです。
日本テレビのザ・ワイドが「統合失調症の患者に懲役25年」と明確に野津純一に厳罰が下されたことの意義を理解して報道したことは画期的でした。これまでは四国内で「懲役25年が出た」という驚きの報道が何回かされましたが、明確に「刑法39条下でも精神障害者に厳罰」と視点を確定した報道は初めてです。この意味で、「心神喪失者は罪を問わないという法曹界の基本認識に変化が現れ始めた事例である」と日本全国に情報提示された意義は大きいと考えます。私どもは、刑法第39条の問題がこれまで法曹界で「難しい」の一言で、片づけられていた経緯を考えると、全国紙でも法律専門家が前面に取り上げて、特集の報道をする価値のある課題であると考えます。今後の展開を待ちます。
さて、日本テレビの報道ではインタビューされた全国犯罪被害者の会(あすの会)の顧問弁護士が「非常に異例な事例である」とコメントしました。私どもはこのコメントを聞いて、実は残念に思いました。「非常に異例な事例であり、今後同様な判決が出ることは極めて難しい」と聞こえるからです。私どもは、私どもの事例が「非常に異例」である事は自分自身でも認識しております。しかし、ひとたび開けられた風穴は、今後は異例ではない普通の犯罪者被害者の場合にも適用されることが可能です。また刑法第39条の障害が抜本的に改善される可能性を示しています。報道では「犯罪被害者基本法が成立して、日本の裁判の環境が変わったから出た判決である」と、理由の一端を説明しました。確かにその通りですが、私どもから見れば、私どもが必死になって取り組んだ努力が無ければ、このような斬新な判決も無かったと考えます。私たちがこれまで行ってきた努力は通常の人には行いがたい非常に異例であることには間違いはありません。他の多数の犯罪被害者が事件後に私たちと同じような行動を取るのは無理であると考えます。それでも、私たちの後から来るであろう、精神障害者による殺人という犯罪被害者には、既に状況が改善した展望が見えていると考えるものです。
2、精神病院の責任を追及する論理
法曹関係者は刑事裁判の法廷内にいるのは裁判官、検察官および被告弁護人と被告であり、被告を除いて全員が法曹関係者であるために、矢野真木人殺人事件における両親が果たした役割は無視して良いと考えているように思われます。しかし、私ども夫婦の頑張りがなければ、今回の事件でも変化は起こらなかったと確信します。
平成17年12月6日に矢野真木人が殺害された後で、私どもは刑事裁判におけるアドバイス、および民事裁判における提訴の業務を請け負ってくれる弁護士をさがしました。ところがそれまで友人であった弁護士達には、「友人であるが故に、矢野さんの期待には応えられない」と断られました。また犯罪被害者の救済を課題にしている弁護士達も「犯人は精神障害者ですか、難しい」という言葉以外を発しませんでした。ただ、ある弁護士が断り口調の中で「心神喪失や心神耗弱をこれまで医者の判断にゆだねていたのは間違いで、本来法律家が判断すべき問題だ」と言ってくれたことが私たちには大きなヒントになりました。この言葉で「重症の統合失調症の患者で、従来心神喪失と簡単に判断されたような場合でも、法的責任能力を問える可能性はあり得る」と理解したのです。私どもは日本各地の弁護士を捜して長期に渡り大変な苦労をしました。最後には広島県で病院に対する民事裁判を請け負ってくれる弁護士を見いだしました。しかし、それまで各地の弁護士に断り続けられた経験で、「殺人された被害者の両親である私どもの努力無くしては、道は開かない。努力することなく、犯人が不起訴もしくは微罪に終わるのであれば、私どもは矢野真木人に対して申し訳が立たない」と考えるに至りました。
上に書いた「精神科医師の判断ではなくて、本来法律家が判断すべきこと」と言ってくださった弁護士は「犯人の野津純一が心神喪失で無罪になれば、心神喪失者に社会復帰訓練をしたいわき病院の責任がより明確になるのではない。無罪の者の個人情報を取得することはできないので、証拠を持って病院の責任を追及することができなくなる。例え微罪でも、犯人には刑罰を与えなければならない。」と言ってくれました。この時から私たちは「犯人が有罪になれば、病院の責任が軽減されるとしても、ともかくいわき病院を追及する機会が与えられる」では無くて「野津純一の罪が重ければ重いほど、それだけ、いわき病院の責任も重くなる」という論理を模索する事になりました。
結果的に言えば、私どもは独自の調査で沢山の証人から事情聴取をしたり、また犯人の野津純一の両親を説得して両親が持っている診療記録や証言などを得ました。それにより重症の統合失調症で危険人物の野津純一に単独外出を許可していた、いわき病院の過失を確信することができました。さらに、野津純一に懲役25年が確定したことで、私どもは刑事裁判記録を民事裁判の証拠物件として利用することが可能になりました。これにより、既に証人から聴取していた内容が、病院のカルテ(診療録、看護記録、作業療法記録など)から文書で確認することができました。正に「野津純一の罪が重ければ重いほど、それだけ、いわき病院の責任も重くなる」という実体が明らかになったのです。
3、著書『凶刃』が果たしている役割
私ども夫婦は、矢野真木人が殺害された直後から「決して黙らない」「全ての機会を活かして、私たちの主張を世の中に伝える」を強く心に決めて行動を開始しました。多くの犯罪被害者が「事件の直後の集中的な報道で傷つけられた」、「報道被害にあった」と言います。私たちは来るものは拒まずで、取材に来た全ての報道機関に対応しました。もし、報道機関からの被害があったとしたら、犯人が逮捕された翌朝12月8日の記者会見です。犯人は深夜に逮捕されましたが、そのことを電話で伝えてきた警察副署長から「これから報道機関がお宅に行く、と言っている」と言われた時に「深夜の各社五月雨の訪問では、寝られなくて身体が持たないので、翌朝一緒にお願いしたい、きちんと対応します」と申し出たことです。ところがある記者は質問で「あなた方は、記者会見を企画して、私たち報道陣を呼びつけた」と言うのです。また第一報の後で「精神障害者が絡んでいる」として、報道をしなくなった新聞社もありました。しかしこれらは全体の中では些細な事でした。私どもは他の全ての被害者にも「報道からは逃げないで、積極的に対応した方が、事態が大きく好転するきっかけになる」と言いたいのです。また、事件直後の報道機関の訪問は、こちらが呼ばなくても、向こうから訪ねて来ますので、ほぼ全ての犯罪被害者に共通した、チャンスでもあるはずです。
特に、精神障害者が犯人である場合は、事件が大きく報道され、世の中の話題にならないと、犯人が精神病院の入院患者であると判明した段階で警察が逮捕せずに放免する可能性があります。また逮捕されても、極めて簡単で杜撰な精神鑑定を元にして「心神喪失による不起訴処分」を決定する可能性も高くなります。そもそも精神障害者の犯罪は新聞やテレビが報道を自粛して報道をしないことが多いのです。被害者が意気消沈して、報道に対応しないと、報道機関も書くことが無く、また報道すべき映像が無くて、結局事件が世の中に知らされないで終わります。これでは精神障害者の犯罪を刑法第39条の「心神喪失者は罪を問わない」という条文を安易に運用して不起訴処分とすることが職務上の慣例となっている警察や検察当局にとっては、誰の批判も気にせずに安心して無罪の処分を行える条件を与えることになります。
私どもは矢野真木人の葬儀の直後に担当の警察署を訪問して刑事課長に次の事を伝えました。「警察のそもそもの機能と目的は、治安の維持と市民生活の安全であるはずだ。精神障害者の犯罪を見逃すことは、警察機能の本来の目的に外れていると考える。私たちも可能な協力は何でも警察にするので、犯人の野津純一を必ず起訴して裁判にかけてもらいたい。そのことが警察官として職務を全うすることだと考えます。私はこの言葉に対する結果をいつまでに下さい、とは申しません。警察官として行う仕事の結果を見守ります。」その結果かどうかは分かりませんが、野津純一の拘留期間は20日であったものが、慎重な精神鑑定を要するとして2ヶ月間延長されました。そしてこの2ヶ月間が私たちに大きなチャンスを与えました。
私は、事件後に色々な思いや記録などを文書にして、友人にインターネットで配信して、意見を述べていました。それで書いた文書は1ヶ月で相当な分量になっていました。その配信先の一つが、出版社ロゼッタストーンの弘中編集長でした。私どもは矢野真木人の49日には、全国犯罪被害者の会の総会が開催されることもあり東京に行きました。その際に弘中編集長と面会しました。また私の友人の紹介で週刊誌の記者とも面会して女性誌で全国に報道されることになりました。また月刊誌で報道する企画も話がありました。弘中編集長からは私が書いた文集を編集して本を出版する企画が提案されました。それで、私どもは野津純一の「起訴」もしくは「不起訴」が決まる前に、本を出版することになりました。全ては短期間で行う超特急の突貫工事でした。
私どもが著書の『凶刃』を高松地方検察庁が「起訴」「不起訴」を決める前に出版したことには理由がありました。万一、野津純一が不起訴となる場合、社会的には野津純一は無罪無垢の人間と見なされるので、事後に出版すると個人の名誉毀損になる可能性があります。このため、事前の出版でなければなりません。また、不起訴の場合にいわき病院と戦うにも、出版物がある方が、戦略上有利になります。またいわき病院が出版停止の訴訟でも起こしてくれたら、そのニュースは全国に知れ渡り、事件の情報が全国化することになります。さらに、高松地方検察庁は私どもが「本を書く人間である」と認識することになり、不起訴とした場合には、私どもが不起訴になった顛末を本に書く可能性を予測させることになります。すなわち、高松地方検察庁はそれだけ、不起訴処分を出しづらくなるという、心理作戦の要素も持っていました。
『凶刃』を出版することは香川県と高知県では新聞各紙やテレビ各社でも大きく報道されました。後から分かりましたが、高松地方検察庁の検察官も報道の動向に注目していたそうです。そして「起訴と厳罰化の方向付けの大きな要因になった」と、検察庁を訪問した時に検事正から言われました。また『凶刃』は検察官以外にもいわき病院の関係者にも読まれました。そして密かに私どもに接触してきた現職および元職の方は多数になりました。『凶刃』が発売されたからこそ、私どもはいわき病院の内情を詳しく知ることが可能になりました。『凶刃』の出版が無ければ、「野津純一の罪が重ければ重いほど、それだけいわき病院の責任は重くなる」という私どもの論理が実現することもありませんでした。『凶刃』は司法関係者といわき病院関係者を大きく動かしたのです。
『凶刃』は更に大きな仕事をしています。精神障害者である野津純一に懲役25年の刑罰が確定した後、四国内の報道は大きく後退しました。ほとんどの新聞とテレビの記者は「刑事裁判は公事」これに対して「民事裁判は私事」という単純な視点があるようで、裁判の報道そのものが控えられるようになりました。ところが東京のフジテレビから、書店で『凶刃』を購入して事件を知ったとして、取材に来ました。フジテレビは「懲役25年は画期的である」とか「精神病院と民事裁判を戦うのはめずらしい」と言う視点を予め持っていたのではありません。興味ある出版物の著者である私どもを取材して初めて気付いたのです。また日本テレビは私が会ったこともない農林水産省職員の私の後輩がスタッフの兄弟にいて『凶刃』に関する情報提供があったと言うのです。いわき病院事件が全国展開の大きなきっかけを得たのは『凶刃』が読者の目を引きつけたからでした。その上で、「懲役25年の判決」と「精神科病院と戦う」意義が理解されて、全国放送でより大きく取り上げられる場を確保したと考えます。
『凶刃』は実は未だに光り続けています。私どもには今でもぽつぽつと、精神科の医師や精神障害者を家族に持つ人々から連絡が入ります。私どもは精神科で治療を受けていた患者による殺人事件の被害者の立場ですので、一足飛びに精神障害者の関係者と交流することは困難です。しかし『凶刃』が光ることでその重い扉が少しずつ開いています。
4、刑事裁判でした努力
私たちは『凶刃』を出版することおよび出版したことで、高松地方検察庁に意見を聞かれる機会も得ました。最初は「起訴」または「不起訴」の決定の前に高松地方検察庁を訪問するつもりで、その機会を探っていました。すると、以心伝心というか、検察庁の方から招聘がありました。その場で、私どもは「万一不起訴の場合には、いわき病院のカルテを証拠保全するつもりであるので、時間的な猶予をいただきたい」とお願いするつもりでした。ところが検察官から「すでに、起訴することで内部決定している」との説明を受けました。更に、検察官とは求刑作業の過程でも私たちを招聘して、『凶刃』の中の記述と私どもの考え方および裁判途中での私たちの意見陳述と検察官の主張が食い違わない様に、意見をすりあわせる調整作業をしました。この時に、刑事正とも面会しました。
私どもは、第一回公判では確かに法廷では発言や反論の機会もありませんでした。これに対して、犯人の野津純一はとって付けたように「殺意の否認」をしました。しかし、私たちは公判の後で、多数の記者に向かって「被告の野津純一は殺意の否認をしたからこそ、心神喪失でも心神耗弱でもあり得ない」と発言しました。この模様はその日のテレビ各社が報道しましたし、新聞にも掲載されました。私たちは報道を活用することで、実質的に野津被告に反論して、私どもの量刑に関する意見を裁判官に伝えることができたのです。刑事裁判の場では、被害者は直接証言もできませんし、被告人への質問もできません。このため、被害者は蚊帳の外に置かれ続けて来たという見方があります。しかし、報道機関の報道を通した反論も充分に有効なのです。
私ども被害者が行う第二回公判における意見陳述も最大限に利用しました。なるほど「意見陳述は被害者感情を述べるに留まり、不充分である」という視点もあります。しかし、私どもは、裁判官、被告人および被告人の両親の心に語りかける絶好の機会と捉えました。私が考えていたのは、被告野津純一に前例が無い厳罰が下された時に、被告人の両親が、前例がないことを理由として上訴をするのを止めさせるだけの効果を持つ意見陳述とすることでした。既に、私どもの民事裁判の起訴状は出来上がっていました。その上で、いわき病院との民事裁判を有利に展開するには、刑事裁判後の民事裁判で被告人の両親を私たちの側に付けることが、最も重要な戦略であると考えました。それで、意見陳述の内容を練り上げました。ある意味では、野津純一に死刑を除く最大限の厳罰を求めつつ、その両親を味方に付けようとするのですから、本質的な矛盾を抱えた非常に困難な作業です。それでも、被告人の両親が家を売った金を用意して、息子の刑罰の軽減を求めた事を、私どもにとって逆に有利な展開に持ち込むためのバネにすることができました。
私たちの意見陳述には、精神障害者で殺人者の野津純一には重い刑罰を課すため、裁判官や検察官に失礼にならないように慎重な言い回しですが、その論理も提示してありました。私自身は、私と妻の第二回公判における意見陳述が、野津純一を厳罰に処すことができた決定的な要件であったと、考えております。私たちは「野津純一に厳罰が下されると、それだけいわき病院の責任も重くなる」と意見陳述を通して、民事訴訟への第一歩も踏み出したのです。
確かに、現行の刑事裁判では被害者側は弁護士は立てられません。また私たちは弁護士の助言を得て意見陳述書を作成したのでもありません。しかしだからといって、私たちが野津純一に懲役25年を課すことに無力であったのではありません。私どもは充分に自分たちの力を自覚して行動しました。
5、刑法第39条の重い扉
刑法第39条は100年前の明治期に成立した条文規定です。明治時代の日本人は欧米外国語の概念や法律規定を漢語を使って翻訳に努めました。おかげで現在の私たちは欧米後からの単語ではなくて漢語に由来する豊かな日本語表現を確立しました。しかし、漢語を駆使した明治時代の日本人のほとんどは漢語の起源の中国の実状と現実を目で見たのではなくて、千数百年前に日本に渡来した中国古典の知識に基づいていました。そこに本来の欧米とも、中国とも、また日本の実状とも遊離した言葉が新しい概念規定として使われる可能性がありました。私は「心神喪失」および「心神耗弱」の言葉もその事例であると考えます。日本語としての明確な定義が無いまま、法律の条文規定として運用されたのです。難解な言葉を使用することでは法律家の自尊心を満足させたかも知れませんが、そもそもの言葉の本質に対する理解が、法律家や精神科医師や学者にも育たないままで、法律が運用されてきたのが日本の実体であり、心神喪失無罪を乱発した不幸の源泉であると考えます。
日本の法曹界は、精神医学が法律が出来てから100年の間に大きく進歩したことも視野に入れておりません。心神喪失の言葉を使用し始めた100年前には、人間としての心を失うほどの重症の精神障害者は治癒して寛解することはありませんでした。ところが今日では、完全な寛解まで期待するのは困難としても、人間としての心を失ったままの状態から快復することは可能になっています。精神医学の現実は法律を制定した当時とは異なるのです。法律が現実の人間社会を規定する文書であるのであれば、その文言は、現実の社会に即したものであるべきです。現実の人間社会が法律に則するのではなくて、法律が人間社会に合致していなければならないのです。100年も前に外来語を過去の概念から引用した言葉で規定して、それを今日および未来まで継承することの問題点も認識しなければなりません。
日本が100年前に欧米先進国の法令を元にして「心神喪失」や「心神耗弱」の概念規定を借用して以来、本家本元の欧米諸国では精神障害に関する法律が何回も書き改められ続けています。法律用語も精神医学の現実に即した言葉を使用して定義され、より明確で、衆人の理解に即した制度に改善されています。例えば、今日の英国では、心神喪失状態すなわち完全に人間としての精神を失った状態の判決が下される事例は日本の100分の一程度です。オーダーが二桁も違う上に、日本には警察の不逮捕と検察の不起訴という裁判に基づかない法律の適応という暗数がありますので差は更に拡大します。いくら文化が違うと言っても、法律の適用事例が違いすぎるのです。また英国では日本の心神喪失無罪に相当する判決を得ると、刑務所では無いとしても一生を高度保安精神病院で拘束されるという終身刑と同等の処分となるために、犯罪者が敢えてそれを求めないとされます。英国では圧倒的多数の精神障害による犯罪者は自ら進んで「限定的責任能力」を主張して自己防衛をするのです。これであれば、法に基づく処罰を受け入れて、限定された責任能力の元で刑罰と精神医療の双方を受けて、将来開放されることを期待することができるからです。英国では、その時々の医学水準に合致した法律の再定義が可能であるのに日本ではそれができないこと、そのことがおかしいのです。
日本の法律家と議論をすると「心神喪失」の理念は、由緒正しくまた2000年以上の歴史がある、古代ローマ法に源流があり、そのことを法律家でもない素人が問題にすることそのものが不適当である、というような反論をされたことがあります。実は私どもはスペイン人の精神科医に、その家族のスペインの法律家に問い合わせしてもらいました。「スペイン法は古代ローマ法に極めて近いラテン系の法体系である。1930年代には日本の心神喪失の様な、精神障害者の犯罪に対して無作為で寛容な時代があった。しかし、その後法律を見直して、現在では重大犯罪を犯した精神障害者を安易に心神喪失で解放することはあり得ない。心神喪失ということは、一生涯を精神科病棟で過ごすことと同義である。」という意見でした。日本国内の議論はある時には良く知らない外国に論拠を求め、またある時には国内の特殊事情に拘るという、曖昧なものでもあるようです。
野津純一の裁判では、精神鑑定で被告人は重度の慢性鑑定不能型統合失調症と反社会性人格障害が診断されました。その上で、犯罪を計画する意志能力と、殺人をすれば相応の刑罰が課されるという事理弁識能力があると判断されました。すなわち、「重度の統合失調症=心神喪失」というこれまでの単純な公式が崩れたのです。それでも、裁判官も検察官も医師にしつこく「心神耗弱」を医師に確認して、減刑の理由にしました。その意味では、過去の公式がこの裁判でも完全に失われたのではありません。それでも、統合失調症であるとしても、犯罪人が持つ殺意や計画性や理性が裁判で問われ、それに基づいた判決が出たことは画期的でした。今後更にこの方向の裁判の改善が求められます。
私たちは日本で「心神喪失」や「心神耗弱」の言葉を現代的に見直して、新しい法令を定義するのか、それとも、裁判手法や運用を融通させて、法令の条文はそのままで、現実を変更するのか、どちらの手法を取るのかが、問われます。日本では憲法や法律の条文書き換えには困難が多い場合に、安易にまた容易に解釈を変更する事で、現実に対応する所作ができあがっています。これは法律家としては運用の怠慢であるし、日本の名誉を大きく傷つける事でもあります。究極の問題として、日本人が書いたものは、どうにでも都合良く解釈するので、信用できないことになります。日本人としての矜持が問われます。
おわりに
刑法第39条を巡る問題のコロンブスの卵は既に立ったのです。コロンブスの卵が立つには「非常に異例な事例」が必要でしょう。しかし一度卵が立つ姿を見てしまえば、後は誰にでも「卵を立てること」は可能になるのです。望ましくないのは、再び難しく考えすぎて、一度立った卵を無理矢理引き転がすことです。それでは、卵はぐしゃぐしゃになってつぶれてしまいます。「非常に異例な事例」という表現が、事態の展望に新しい展開の端緒を得たという励みの言葉になることを心から期待します。
は現在いわき病院を被告として民事裁判を行っています。これはこの日本では、「民事裁判をして、命の代償金を要求するしか、精神科病院が果たすべき社会的責任を明確にする議論を一個人としては社会に問題提起できない」からです。私たちは日本の社会の問題として、日本における基本的人権を実現する問題として、人類として普遍性の視点から問題提起しているのです。法律も医学も、実はそれを直接的に実現するための社会科学であり自然科学であり、社会の中の技術であると私は考えています。医師も弁護士も共にその技術者であり執行者です。私が掲げているのは大きな命題です。しかし矢野真木人の命が奪われたという、個人としては最大の人権侵害が実際にあったという事例を通して、私たちはこの問題を日本社会に問うているのです。それが私たちの立場です。
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