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いわき病院事件 (謝罪の効用)


平成18年12月5日
矢野 啓司

明日の平成17年12月6日には、私どもの息子の矢野真木人が、精神科病院である香川県のいわき病院から社会適応訓練で病院から許可を得て外出中の精神病患者である野津純一に白昼通り魔殺人されてから早や1年になります。生き生きとして人生を謳歌していた青年がある日突然、何の前触れもなく死にました。刺されてから僅か10秒以下の時間で命が絶えたのです。元気溌剌としていた若者が万能包丁の一刺しで短い28年の命を終えました。

矢野真木人の死後、私たち夫婦は「何故矢野真木人は死ななければならなかったのか?」を自問し、殺人者の行動を分析し、原因となる社会的背景を問いつめまた行動してきました。1年後の現在では、殺人者の野津純一には本人は重篤な統合失調症ではあるが計画性と事理弁識能力が認められて、懲役25年の刑罰が確定しました。更に、危険な人格障害である野津純一に外出訓練を行っていたいわき病院の責任を追及して民事訴訟を提訴して、これまで3回の公判が持たれました。この民事訴訟では、いわき病院の数々の不作為や主治医である病院長の不正義の実体が明らかになりつつあります。私たちは手をゆるめることなく、最後まで裁判を行い、その結果を全て社会に公表するつもりです。そのことが日本の精神病院の改革を促してより良い治療環境を確立することにつながると確信しております。また引き続いて日本の精神障害医療制度および法律の改正の端緒となり、真に精神障害者の人権が確保されるようになるとも期待しております。

1、医療ミスは即時に謝るべきか?

平成18年11月26日付の日本経済新聞に「医療ミス→即謝罪を、医師や患者支援者ら、ハーバード大学の手引翻訳」という記事が掲載されました。この記事をある精神科医師に紹介したところ「医学生時代に、患者に簡単に謝ってはいけない」という医学教育を受けたというのです。不用意に謝ると、医療裁判の被告になった時に弁解の余地を狭めると教えられたそうです。

新聞によれば、「日本だけではなく米国でも多くの医師は『謝罪すると訴訟になりやすくなる』と考えているが、ハーバード大学がまとめたマニュアルは『意見交換や謝罪をしないことが患者の怒りを買う』としている。また「ミスがあれば『患者を癒すためにできる最も有効な事の一つは謝罪』と強調している。翻訳した東京大学の埴岡特認助教授は「訴訟が多い米国でも謝るべき点はすぐに謝った方がよりよい解決につながるという認識が広がりつつある。日本の医療機関でも参考にして欲しい」と話したそうです。

私は研究者や学者ではありませんので、一般論としてこの問題を論じません。しかし、現在医療法人を被告にして民事裁判を行っているという立場から、私どもが遭遇した事件を元にして、具体的に推論してみたいと思います。

2、殺人事件前の野津純一の状況

矢野真木人を殺害した野津純一は、数年前に香川県庁前の路上で若い男性に殴りかかったことがあります。殴りかかられた被害者は近隣の診療所に駆け込んで緊急避難をしましたが、その時に野津純一の表情を見た診療所の医師は、野津純一のその時の表情は「いつものとろりとした目ではなく、異様なほど見開いた目をしていた」と観察するとともに「野津純一は、病なく溌剌と歩いている若い男性を見ると、精神を病んでままならない自分と見比べてしまい、どうしようもない遣りきれない思いや焦燥感を感じ、暴力の対象が20代後半の男性になっているとも感じた」と言っております。

野津純一がいわき病院に入院したのは平成16年10月1日でしたが、平成17年2月14日に主治医がいわき病院長の渡邊朋之医師に代わりました。その直後の2月25日に行われた心理検査(バウムテスト)報告書には次のように書かれています。「(野津純一は)未熟な印象であるが、自己顕示欲や自己拡張、過活動、攻撃性があると考えられる。(筆圧から)心理的緊張の強さや高いエネルギー、自己主張、攻撃性があると思われる。(自画像は)髪が強調されており猜疑心が強く、妄想傾向が強い人であると思われる。また自己愛や虚栄心もあり、自己を顕示する傾向にある。肩も大きく描かれ、自己顕示欲求、権力への欲求、敵意や攻撃性があるのかも知れない。(全体として)妄想傾向にあり、自己顕示欲や自己拡張があると思われる。病的な退行状態にあり、情緒は未熟で精神統制力を欠き、人間関係に適応する能力も備わっていない。」

野津純一は平成17年5月24日に作業療法で集団でカレーを作った際のいわき病院の個人記録には次のように書かれています。「包丁はほとんど持ったことがないと言うとおり、野菜は全てスライスするのみであった。異様に力が入っており「包丁って以外と力がいるんですね」と必死に行っていた。食器を洗う際には水道を最大限に出しており水がはねることと苦戦しながら『意外と難しいですね』と言いながら悪戦苦闘していた。」

上記の記述によれば野津純一は「20代後半で、溌剌とした若い男性を襲う傾向があり、包丁を力を込めて使う特徴があることがわかります。これは、ショッピングセンターの駐車場で他の人間をさておいて28歳の矢野真木人を殺害したことに通じています。矢野真木人を殺害した時に野津純一は刃渡り15.5センチの包丁を、あばら骨を切断しながら深さ18センチと包丁の柄まで差し込みました。包丁を使うには力一杯使うという、予断があったのです。更に、犯行後にいわき病院の個室に帰り、室内の洗面器で手を洗いましたが、その時に水を周辺に飛び散らかして、室内に血痕を飛散させた可能性が推察されます。

3、いわき病院長は最初には謝った

医療法人社団以和貴会理事長兼いわき病院長兼野津純一の主治医である渡邊朋之氏は平成18年12月8日早朝、高松におけるいわき病院内における第一回記者会見で「遺族に謝罪する」と言い「高知の遺族に謝罪に行くために」という理由で記者会見を終了させています。このことは12月9日付の新聞各紙にも掲載されました。

12月8日には早朝にいわき病院から電話があり、葬儀日程の問い合わせがありました。残念ながら、私どもは電話機のディスプレーに表示された「いわき病院」の重大な意味が分からず、先方が葬儀の日程以外に何を話したか、まるで記憶がありません。その後に私どもの記者会見をしましたが、犯人がいわき病院の入院患者であったことおよびいわき病院長が殺人事件に関連して「謝罪の意を表明した」ことは、この記者会見をしていた時には知りませんでした。記者会見を終了した後で報道機関の方から聞かされました。それ以降、私どもは事件の経過をたどる時に、常にいわき病院の動向にも注目することになりました。「12月8日の昼にも来訪がある」と、報道機関から聞かされましたが、いわき病院長はその日には訪問して来ませんでした。

この12月8日には警察が野津純一に関するカルテを証拠物件としていわき病院から押収しています。警察が野津純一に任意同行を求めたのが12月7日の14時30分頃ですので、いわき病院には丸一日のカルテなど野津純一の記録に関連して操作をすることができ得る余裕があったことになります。警察が押収したカルテや看護記録によれば、いわき病院長は11月22日に野津純一のムズムズやイライラや、手足の不随意運動などで薬剤の処方に困り薬抜きの試験として、プラセボ投与を指示しております。犯行前日の12月5日には野津純一は37.4℃の発熱で、喉の痛みを訴えました。12月6日の朝10時には前日から続く喉の痛みで、主治医である渡邊院長の診察を希望しましたが、渡邊院長は病院内で外来診察をしていたにも関わらず、野津純一を診察しませんでした。野津純一が渡邊医師の診察を受けられないと知って発言した言葉が「先生にあえんのや。もう前から言ってるんやけど、のどの痛みと頭痛が続いているんや。」という悲痛な叫びとして看護記録にあります。この2時間後に野津純一は「誰かを殺人する意図」を持っていわき病院から、許可による外出をして、一直線にショッピングセンターに向かい、万能包丁を購入して、その直後に矢野真木人を通り魔殺人しました。なお母親によれば、喉の痛みを訴えるときの野津純一は必ず、精神上のイライラ感を募らせることが多かったのです。そのような野津純一の心の変化を読みとれない精神科病院とは何でしょうか。

渡邊朋之医師は本来気が弱い方のようです。このため、警察が野津純一を拘束したと知って、自分自身にも自覚がある医療ミスの可能性を追及されることを恐れて、12月7日の午後と12月8日の朝には、本人は不安にさいなまれていた可能性があります。それで、12月8日早朝の第一回の記者会見では、「謝罪」の言葉を発したのだろうと思われます。その言葉を聞いた病院の事務スタッフに、「謝罪の言葉を使ってはいけない」と注意された可能性があります。また、いわき病院長は警察のカルテ押収でもいわき病院が抱える事の重大さに気付いたのでしょう。その日行われたいわき病院長の第2回記者会見では、渡邊医師の「遺族に謝罪」の発言はありません。いわき病院長は今にも高知に向けて出発しようとしていたが急遽取りやめた可能性も想像されます。またいわき病院は9日の朝、野津純一の両親に電話してその日「高知で行われる葬儀に出席するよう」に指示をしました。いわき病院長は一旦は「謝罪」を表明しましたが、病院として急速に舵取りを責任回避の方向に転換したと想像されます。

4、謝罪を拒否したいわき病院

12月9日の13時から矢野真木人の葬儀は自宅で開催されました。ところが、葬儀開始の直前に、野津純一の父親が一人で入ってきて「息子の殺人をわびて、参列者の中で最初に焼香をしようとしました」。私どもはその日の朝に警察から犯人の名前は「野津純一」という連絡を受けていましたので、父親の「野津です」という言葉に、「犯人の父親」と知ることはできました。しかし、犯人の親が最初に真木人の霊に焼香するなど思いもよらぬ事です。また謝罪の行為としても、「百人を超える参列者が見守る中で謝罪」というのは、「取りあえず、謝罪はしましたよ」と有無を言わせぬ「謝罪行為の実績と証拠作り」のように思えて心外でした。

野津純一の両親は1月8日にも私どもを訪問してきました。その時に私どもは「12月9日の朝、野津家にいわき病院から電話があり、葬儀参列するように指示された」という確認を得ました。いわき病院長は人間の心の病を治療する精神科医師です。私どもは、渡邊いわき病院長は野津純一の父親が最初に焼香に行くように仕掛けて、その様子を観察していたと推察しています。その理由は、いわき病院長渡邊朋之氏の名前が葬儀参列者の中にあり、確かに渡邊医師が参列していたと確認する人がいたからです。私が参列者を前にして激高するのを仕掛けられたようないやな気持ちがしました。これはあくまでも私の推測に留まります。しかし、ひとたび謝罪の歯車が狂うと、相手側の心に次々と疑念を呼び、問題を掘り起こすことになるという、事例です。

渡邊朋之いわき病院長は前日最初の記者会見で発言した「遺族に謝罪」を「葬儀に参列」に変更して、その上で、「謝罪するのは野津の両親ですよ」と責任転換を図ったと思われます。その後、いわき病院の周辺から「いわき病院には責任が無いことが判明した」とか「野津純一の罪が重ければ重いほど、それだけ、いわき病院の責任は軽くなる」などという情報や、「(矢野に会っても)感情的になって怒り出すだろうから、話にならない」とか「逆恨みしている」とかの発言も伝えられました。また渡邊朋之氏の側近と称する人物が現れて「そもそも、いわき病院には責任がない、(普通の人間は)医師に対しては面会を求めるのが常識であり、(医師でもない)矢野真木人の遺族を病院が訪問して謝罪すべきと言うのは社会常識に外れている」などの言葉も伝えられました。

5、精神障害者裁判の論理

矢野真木人が殺害された後で、私どもは「殺人者である野津純一」と「危険な精神障害者である野津純一の外出を許可した病院」のおのおの責任を追及する論理を構成するのに困惑しました。

刑法第39条に「心神喪失者は罪を問わない」という記述があります。このため、「野津純一が不起訴や無罪になる場合には、心神喪失者に外出を許可した病院の責任がそれだけ重くなる。そもそも、外出が許可されるのは、責任能力が問える人間でなければならないはずである。」と考えた時期がありました。ところが、過去の事例によれば、「心神喪失で無罪」となれば、殺人事件の犯人であることが明白な人間であるとしても「無罪である人間の個人情報」でもあるカルテなどの証拠物件を見ることも不可能なのです。これでは病院の治療の過失を証明することができません。すなわち、野津純一が無罪もしくは不起訴であれば、いわき病院に対する民事裁判を提訴しても、敗訴することが必然で無意味です。過去の事例に従えば、野津純一に心神喪失が認められると、矢野真木人の殺人に対する責任を追及することは不可能なのです。

私どもは、「野津純一には精神障害者であっても厳罰に」と主張を改めました。野津純一は精神障害者であることは明確でした。野津純一が矢野真木人を殺人した前後の行動に関した情報を総合すれば、野津純一に殺意があったことは明白でした、また、本人自身が「罪を犯したので罰せられる」と恐れおののいていたという事実も判明しました。それで「野津純一は精神障害者であっても、心神喪失や心神耗弱ではない」ので、刑法第39条の規定に関わらず「厳罰に処せられるべき」と主張しました。また病院には「野津純一のような危険な人物を付添者無しに外出させた責任が追及できる」と考えて、民事裁判を提訴することを決めました。私どもは「野津純一の罪が重ければ重いほど、いわき病院の責任も重くなる」に論理を転換したのです。同じ頃にいわき病院からは上に書いた「野津純一の罪が重ければ重いほど、いわき病院の責任は軽くなる」という見解が伝わりました。発想の転換をした後で、私は密かに、場合によれば日本の裁判史上では画期的な大逆転の可能性が見えてきたと、考え始めました。

6、野津純一の両親の謝罪とその効果

野津純一の両親は12月9日の葬儀にはいわき病院に指示されて参列しました。また、最初に真木人の霊に焼香しようとするなど、私どもの心を逆なでする行為を見せました。次に1月8日に訪問してきました。この時に二人から話を聞きました。

私どもは野津純一の両親を観察していて、これまでこの二人の人生は息子純一のために、ともかく謝罪して謝罪金を支払い続けた人生だ、と悟りました。彼らの態度にはとりあえず謝ってしまえばよい、なにがしかのお金を支払って相手の怒りを静めてしまえばよい、などという加害者側の手前勝手な論理も強く感じました。さらに謝罪の行為が「両親が謝ってくれるので、かまわない」と野津純一の凶行を助長しており「安易に両親の謝罪を受け入れることは野津純一のためにならない」と考えるに至りました。しかし他方では、野津純一の両親の謝罪は受け入れてはならないが「この二人に今後の裁判で協力してもらうことは可能である」とも思ったのです。それで、まず手始めとして息子純一の病歴に関する資料の提供を求めました。その後、父親から手紙が来て、野津純一が入院していた病棟の詳細な模様や投薬された薬などの情報が得られました。これを契機にして、事件の証拠が急速に手に入り始めました。

野津純一の両親は刑事裁判の第2回公判の前日にも私どもを訪問して来ました。幸か不幸か、私どもは不在でしたが、野津の両親は「自宅を売却した1120万円を、謝罪のために支払いたい」と言うメモを残してありました。私は両親の行動を受けて、既に書いてあった翌日に迫っていた第2回公判における私の意見陳述書を徹夜で書き直しました。そして「謝罪の金は受け取らないこと。野津純一には厳罰が下るように両親には意志変更を求めること。用意した金は、充分な治療を受けられなかった患者として、いわき病院の責任を追及するために裁判費用などとして使用することを求める」などを法廷で発言しました。

私は野津純一の両親には、精神障害者の子供を持つ親として「いわき病院の精神病院としての治療のあり方の是非を社会問題として捉えて、その上で不幸な結果に終わった患者の親として行動してもらいたい」と要請したのです。この申し出には野津純一の両親は相当なとまどいを覚えたようです。それでも「息子に懲役25年の刑罰という判決が出たことを踏まえて」それを受け入れました。また、私どもが提訴した民事裁判では、野津純一の証言として、本人が矢野真木人を殺す2時間前に、いわき病院内で診察を求めて拒否されて、自暴自棄になっていた状況が記述されていました。これは殺人事件の当日における野津純一が置かれていた衝撃的な状況の情報開示でした。

7、いわき病院の態度

いわき病院長は「最初に遺族に謝罪」と報道された発言をしました。発言した以上はこの態度を徹底して維持すべきでした。野津純一の治療と矢野真木人が死ぬに至った経緯に関して説明責任を果たしておれば、私どもも「民事訴訟で徹底的に闘う」という意志を維持するのは困難だったでしょう。説明責任を果たす行為には「善意を相手に伝える」という直接的な意味があります。また矢野真木人の死亡という不幸を二度と繰り返さないように、病院は改善して前向きに行動するという意思表示にもなります。更に、社会の中で精神病院が果たすべき積極的な役割を公の場で示す行為でもあります。このような、前向きで積極的な姿勢を示し続けられると、私どもも、病院の不作為や過失を追及するという強い姿勢を維持することが困難になります。世論が、潔く過失を認めて改善の意志を明確にしているいわき病院を、追いつめては行けないと、私どもを制止していたでしょう。

ところがいわき病院は「遺族に謝罪」どころか、「病院には責任がない」「逆恨みである」とか「(医師に対して意見があるならば)矢野真木人の遺族が、アポを求めて病院を訪問すべき」などという言葉が伝えられました。これは矢野真木人の死に関して遺族を侮辱していると同じ事です。そのような態度の背景には「精神病の入院患者に対する人権無視」の要素が垣間見られます。また将来あり得る類似の悲劇の発生を予防や防止する策を取ることも期待できません。この不幸な事件をきっかけにして病院として精神障害者の治療と社会参加に関して、前向きな対応がとられる可能性がまるで見えません。それでは、殺人被害にあった遺族としては黙ることができません。

矢野真木人本人の視点から見れば、通り魔殺人で死亡したことは「犬死である」ことに違いはありません。仮に、彼の死をきっかけにして日本の精神障害者治療のあり方が改善されても改善されなくてもです。何があろうとも、彼は永遠の死の世界から再び出てくることはありません。しかし残された者が、これまで繰り返された大勢の中の「無駄死の一つ」として割り切ったり諦めたりすれば、日本の精神障害者医療と精神障害者に関する裁判はいつまでたっても不作為と本質的な人権侵害を許す状態を継続するでしょう。生きている遺族としては、命の代償として社会が改善されるという方向付けを求めたいのです。

8、謝罪の判断

いわき病院長渡邊朋之医師は民間病院という経済母体を経営しているという立場です。病院長としては、入院患者が外部の無関係な人間を殺した事件の後で「事件に伴う病院が被る経済および社会的費用を最小限化」すべく、事後の行動が望まれます。謝罪をするしないの判断も、その延長線上にあるはずです。一旦、病院の治療プログラムに一環として行っていた事件であるとして、謝罪または謝罪に類する言葉を発言した後でその言葉を翻すのは大変危険です。その結果として支払うべき病院の経済的損失は、うまくいって相手がごまかされればゼロになるかも知れないが、被害者側が反発してゼロにならない場合には経済的危険負担が拡大します。また社会的費用には行政的な統制や、病院の評判や信頼の低下という社会的な制裁がありますが、謝罪発言の後でそれを否定してもゼロにすることは困難である上に、マイナスの影響力が何十倍何百倍にも拡大する危険性がそれだけ大きくなります。

いわき病院はベッド数248という規模の病院であり、沢山の医師や医療スタッフの生活を支える医療企業組織です。その様な機関が事故や事件に遭遇した場合には、トップとしては取りあえず、慎重な発言で明確な責任の所在を曖昧にした上で、事件や事故の本質と影響度および被害を受けた相手の力量などの状況を見極めるべきでしょう。そして、解決手法や手段や費用および影響度などをある程度明確にした上で、「謝罪」もしくは「責任は無い」と発言すべきでしょう。謝罪には賠償と法的責任の償いの問題が不随しますので、いつでも常に、純真素朴に「謝罪を繰り返す」のは経営責任者が持つべき姿勢ではありません。望ましいのは起こってしまった事件や事故を礎として、社会的責任を果たし、病院機能が維持発展する方向で解決手段を模索すべきです。精神科の病院としては人権を守り育てるという視点も重要でしょう。

さて、いわき病院長は12月9日に矢野真木人の自宅葬儀に参列しました。葬儀の会葬の礼状には、通常の葬儀社が作成した礼状ではなくて、父親が書いた「事件の本質を見極める」と言う意思表示の文書が入れてありました。また渡邊朋之氏は精神科専門医として「被害者の父親が犯人の父親が葬儀の場で突然出現しても怒り出さなかった姿」を観察しています。その上、矢野啓司が会葬者に対するお礼の挨拶の中で「必ず病院の責任を追及する」と発言した言葉を聞いています。私どもは、渡邊医師が葬儀の最後まで留まっていた事を確認する目撃者も確保しました。その上で、渡邊医師はその後「病院には責任がない」「不用意に会うと、父親が怒り出す」などと発言を繰り返しています。渡邊朋之氏は相手の性質を見誤り、力量に対する判断を間違え、被害者の行動様式とはこのようなものというステレオタイプの自分自身の思いこみから抜け出せないようです。

いわき病院長は野津純一についた懲役25年の判決に関しても判断を間違えました。「懲役25年の判決は、いわき病院の治療が功を奏して、統合失調症が完治したと裁判所が判断した」と誤解して、裁判で反論しました。自らが重度の統合失調症で危険な反社会性人格障害を持った危険人物の主治医でありながら、また上に引用したように2月25日の心理テスト他の報告書に接していながら、その判断が間違いであることを、明言したのです。渡邊いわき病院長は野津純一に対する刑事裁判で、刑法第39条に関して新しい判例が出たことにも気がついておりません。自ら思考して、新しい状況の変化に対応することができないようです。

経営企業体のトップの謝罪行為としてみれば、渡邊朋之いわき病院長の判断には甘さがあります。矢野真木人殺人事件では私たちは犯人野津純一の両親の謝罪を最初は失礼の極みと思いましたが、結果的には家を売却した1120万円は受け取りませんでした。しかしいわき病院に対しては病院の責任回避の態度が余りにも露骨であるために、民事裁判で徹底的に責任を追及する構えです。私どもは、野津純一の両親の謝罪にも打算があることは承知しています。何が違うかと言えば、謝罪の姿勢が一貫しているか否かです。また、私たちは謝罪の後で事態が改善される見込みがあるか否かも評価しました。いわき病院長自身の立場で望まれたのは、謝罪して病院が置かれた状況を良くすることができるかという判断と必要経費の最小化でしたが、いわき病院長は判断を間違えました。

あとがき

この文章の下書きを作成した段階で、私はこれを公開するかしないで置くか、迷いました。それで、私は複数の友人にメールを送り、感想を求めました。するとある友人から次のような、過分とも言えるお手紙がありました。

今回も矢野さんの主張は明確であり、今までの流れ、方針とブレは見られず以下の理由で、世論も背景に有利に闘えると信じます。
1.まず矢野さんご自身が最大の人権侵害の被害者であること。
2.現在は良くも悪くもメディアが異常繁殖し、「凶刃」がそうであったと推測されるように味方に付ければ裁判の結果にも影響する可能性は充分ありうるという事。
3.法曹界の人には無謀ではと指摘はされつつも、今回の25年判決を初めとして法曹界の人間には有り得ないと考えられた結果が既に起きている事。
4.最近の世論は医療、法曹界における既得権に胡坐をかいている集団に対し極めて厳しい目が育ちつつある事。(元々日本人には本来判官びいきはある筈。)
5.又法曹界の専門家達は甘いと感じている節があるようですが、むしろメディア世論を背に受けた場合の怖さを甘く見、逆に既得権者に有り勝ちな過信を思わせます。
6.その点、矢野さんの闘い方は決してイケイケムードなんか全くなく、むしろ身内で地道な努力で集めた資料を綿密に検証している様子が充分感じられ、共感を覚えます。
7.世論に内外を通じて訴えられる手段を保持している事
(特に日本は外部からの刺激に異常に弱いと思われる。)
以上などがその理由です。なお、確かに社会に訴える手段は裁判で賠償請求するというお金の問題にすり替えざるを得ないという点は、他に手段は見られないので残念ですが是非、「山を動かしたい」と考えます。多難ではありますが今後も有利な闘いぶりを期待します。

上記は、好意的な感想です。他方12月3日の夕方に懇談した精神科医師に文章の構想を説明しましたら、次のようなご意見をいただきました。「矢野さんの戦い方は、独りよがりであり、多数の支持者を背景にしていない。あなたは自分の頭で考えたことを独善的に行っているだけだ。犯人に懲役25年が確定したからと言って、自信過剰になっている。思い上がりだ。あなたの手法であれば、今後とも多数の協力者を得るという社会運動にはなり得ない。あなたが精神病院と論理的に戦って勝てると思うのも間違いである。何と言っても専門性と蓄積が違う。素人のあなたが論陣を張っても、その様なものは簡単に論破できるだろう。私はあなたが民事裁判で敗訴すると確信していますよ。」この医師とは友人としてつき合っていますが、息子が殺された私を前にしても、それでも精神医学界における既得権意識を守りたいとする意図が強く感じられました。

私には同じ日に二種類の反応が得られました。どちらが正しいか。現在の私は民事裁判を粛々と行い、いつの日にか必ず判決がでる、という結果を得る定めです。私自身は曖昧な結果で事態を収拾するつもりはありません。いずれにしても、日本の精神障害医療の問題点を掘り起こし、将来の精神障害者の人権の回復の活動につながらせたいという希望を持って、現在を過ごしています。 私は現在いわき病院を被告として民事裁判を行っています。これはこの日本では、「民事裁判をして、命の代償金を要求するしか、精神科病院が果たすべき社会的責任を明確にする議論を一個人としては社会に問題提起できない」からです。私たちは日本の社会の問題として、日本における基本的人権を実現する問題として、人類として普遍性の視点から問題提起しているのです。法律も医学も、実はそれを直接的に実現するための社会科学であり自然科学であり、社会の中の技術であると私は考えています。医師も弁護士も共にその技術者であり執行者です。私が掲げているのは大きな命題です。しかし矢野真木人の命が奪われたという、個人としては最大の人権侵害が実際にあったという事例を通して、私たちはこの問題を日本社会に問うているのです。それが私たちの立場です。



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