いわき病院に対する第3回公判の報告
平成17年12月6日に発生した矢野真木人殺人事件における、いわき病院の責任(いわき病院事件)を明確にする目的の民事裁判の第3回公判は平成18年11月22日高松地方裁判所で開廷されました。その裁判の模様を報告します。
1、民事裁判の形式
第3回公判はラウンドテーブル法廷で行われ、円卓には裁判長、副裁判官、書記官、被告野津純一代理人弁護士(以下、野津側弁護士)、および原告である私ども(矢野啓司、矢野千恵)夫婦が着席しました。円卓の中央には電話機のスピーカー機材が置かれ、その中央機から二本のマイクロホンがコードで延長されて裁判長および私どもに向かって設置されていました。原告の代理人弁護士(以下、原告側弁護士)、および被告いわき病院の代理人弁護士(以下、いわき病院側弁護士)は、それぞれの弁護士事務所から電話で参加しました。
2、第1回公判
私どもは息子矢野真木人が殺害された直後から有能な弁護士を求めて日本国中を探し回りました。その際につてを求めて面会したほとんどの弁護士は断り口調で、概容二つの理由を挙げました。第一の理由は「そもそも、刑法第39条に心神喪失無罪の規定があるので、精神障害者に対する犯罪は成立しない、現行法がある限り無意味な闘いとなることは明白であり、その様な無駄な仕事はしたくない。」第2の理由は「仮に病院を被告として民事裁判を行うとしても、病院が出てくるのではない。病院が加入している保険会社が依頼した弁護士が出てきて、被告の姿がまるで見えない。病院のカルテも開示されない。確たる証拠もない。全く不毛な闘いを強いられるのは明白であるので、原告側弁護士としても全く面白くない闘いを余儀なくされる。殺人者は精神障害者であるし、あなたの息子はいわき病院に入院していた訳でもない。それでは医療訴訟も成立しない。従って、その様な無意味な仕事は請け負うことはできない。あなたが提訴しようとしている裁判では負けることが明白です。それでも、裁判を行いたいというあなた方の心は分かりますが、弁護士としては他にも沢山の依頼があり、あなた方につき合うわけには参りません。」私たちはこのような断りの言葉を、東京、長野、大阪、岡山および四国で聞かされ続けていました。それでも多くの弁護士は慇懃な対応をしましたが、中には私たちの無知を冷笑する様な態度で、私たちを追い返した方もおりました。
第一回公判(平成18年8月2日)ではいわき病院側弁護士が出席もせず、被告いわき病院の答弁書だけを提出しました。その上で、第2回公判では東京の弁護士事務所から電話出席をするとあらかじめ裁判長に事務連絡をしていたことが判明しました。私たちは「被告いわき病院の姿が見えないだけでなく、いわき病院側弁護士の姿も見えないのか」と、予め覚悟していたとは言え、正直言って暗澹たる気持ちになりました。
いわき病院から事前に提出された答弁書は、それまで私たちが見ることもできなかった、病院側の記録を元にして私たちの提訴理由に対して詳細に反論してありました。私たちは最初にこの答弁書を一瞥した時には、これではとても私たちが説得力のある証拠を提示していわき病院に対抗する議論をすることはできないと、無力感を持ちました。また新聞社の中には、いわき病院の主張を詳細に報道する所もありました。これに対して、私たちの主張はまるで取り上げられませんでした。それで、私たちは第一回公判の後では、ひどい敗北感を味わうことになりました。
3、いわき病院答弁書への反論書の作成
私どもは私たちの起訴状と、いわき病院の答弁書を各項目別に並列した対比表を作成して、いわき病院の答弁の詳細を検討しました。いわき病院は私たちが医療に対する素人であると見くびって、私たちが使った言葉を、専門用語としての認識不足の視点からあげつらっていました。ところが内容を詳細に検討すると、いわき病院にも言葉の使用に混乱が沢山ありました。また、被告野津純一を過去に診療した他の病院などの病歴を全て「不知」として最初に宣言しておきながら、後段の章では「他の病院の診療歴を具体的に引用して、自己防衛の議論を展開する」等の論理の矛盾点が沢山見つかりました。さらに、いわき病院長渡邊朋之医師の発言にも前後で矛盾した証言が少なからずありました。
渡邊医師の主張には、前後に論理矛盾があるだけならまだしも、精神医学的見解にも疑問点が各所にありました。渡邊医師は精神疾患の国際診断基準書を元にして、WHO世界保健機関の診断基準とアメリカ精神医学界の診断基準を根拠にした議論を展開していました。私どもは、最初に国際診断基準を持ち出された時には「まいった」と思いました。しかし、双方の診断基準の日本語訳と原著を入手して、詳細に読み比べてみると、どうやら渡邊医師は日本語訳が、原著と比較して誤訳の要素もあり曖昧になっている部分、にこだわって論理を進めているらしいと分かりました。それで、原著の診断基準書を引用した反論を作成するとともに、日本の精神疾患に関する書物の中から渡邊医師の間違いを指摘する記述も引用して反論しました。更に知り合いの精神科医師や精神医療の専門家の協力を得て、「私たちの指摘に間違いが無い」という確認も取りました。渡邊医師は精神科の専門医師として、また病床数248という規模の精神病院の院長としては、あってはならない素人でも解析可能なレベルの全く初歩的な精神医学上の認識不足を露呈していたのです。
いわき病院の野津純一に対する治療に関した答弁書の記述も、前後を整理して項目別に列記してみました。すると病状に対する診断内容が状況に応じてころころ変化していました。また統合失調症の患者には常に親しく話しかけることが治療では重要であるとされますが、「野津純一を見た」という記述ばかりで、「野津純一に話しかけた」という記述がどこにもありませんでした。なお、このことはその後入手した刑事裁判に提出された野津純一の精神鑑定書でも「患者に親しく声をかけることがなかった」と指摘されていました。そんなこんなで、いわき病院の答弁書の内容を精査するだけで、いわき病院側の不用意でしかも自ら不利な事実の暴露が多数確認されたのです。これは、いわき病院が裁判所に提出した答弁書に掲載された記述から確認される事実関係ですので、重要です。
私どもは平成18年9月25日の第2回公判までに「いわき病院の答弁書に対する反論書」を作成して私どもの原告側弁護士に提出しました。その反論書は本文がA4(40字、48行)で56ページ、また参考資料が72ページ、という膨大なものでした。ところが、この反論書は第2回公判では原告側弁護士から法廷に提出されませんでした。代わりに、私どもは弁護士から「法廷での仕事は代理人である弁護士の仕事です、あなた方の意見書は直接は法廷には持ち込めません。あくまでも意見陳述書の形式を取ってください。また、あなた方の性格からすれば、今後も沢山の意見を出したいでしょうから、連番をつけるようにしてください。」と言われました。
第2回公判では、いわき病院から任意提出されるカルテ、警察が捜査資料として収集したいわき病院のカルテを含む膨大な刑事裁判の証拠資料が開示されることなど、が確認されました。私どもの原告側弁護士は、私ども反論書の提出は「それらの資料を見てからでも遅くない」と判断していたようでした。なお、第2回公判の後でいわき病院から任意提出されたカルテなどの資料は、警察が押収していたいわき病院の野津純一に関するカルテと比較すると文書量で半分以下でした。私どもは、第3回公判までに、入手した資料と私どもの反論書の食い違い部分だけをチェックしました。その結果、いわき病院のカルテや、その他捜査資料を基にして新たに指摘できる部分が沢山見つかりましたが、その議論は、今後の展開のために残すことにして、いわき病院の答弁書の記述に対する反論に限定した反論書を第3回公判で提出しました。提出された「意見陳述(矢野)—1」は最初作成した反論書から4ページを削減したA4(40字、48行)で52ページとなりました。なお削減した4ページ分は、意見提出を諦めたのではなくて、今後の議論に回したのです。
4、第2回公判
平成18年9月25日の第2回公判は、円卓会議でした。正面に裁判長、副裁判官および書記官、被告野津側弁護士、私どもの原告側弁護士、私ども夫婦が着席して、被告いわき病院側弁護士は電話参加でした。
第2回公判に先立って、野津側弁護士から「被告野津純一の答弁書」が法廷に提出されていました。この答弁書は9月22日に弁護士を通して私どもにはFAXで送付されていました。その内容は驚くべきものでした。野津純一は平成17年12月6日の12時25分頃に矢野真木人を殺害する直前の午前10時に、いわき病院内で「(主治医の渡邊)先生にあえんのや。もう前から言ってるんやけど、のどの痛みと頭痛が続いているんや…」と叫んでいた事実が「被告野津純一の主張」として記載されていました。野津側弁護士が提出した答弁書によれば、野津純一はいわき病院内でクライシス・コール(緊急危険信号)を発していたのです。それにも関わらず、「社会復帰のための訓練」でいわき病院から外出が許可されて、クライシス・コールを発した2時間後に、いわき病院から出て一直線にショッピングセンターに向かい包丁を購入しました。矢野真木人は包丁を買って最初に出会った人間ではありませんでした、野津純一は最初に見かけた自分より若くて溌剌した男性にねらいを定めて刺殺したのです。私たちはいわき病院側弁護士も当然のことして、野津純一の答弁書を読んだ上で公判に電話出席しているものと考えていました。
電話の拡声器から聞こえる相手側の弁護士の声は、軽いのりでした。第一回公判で「いわき病院の答弁書」も提出してあるし、意気揚々とした雰囲気がありました。裁判長が、提出された書類を確認して「野津純一の答弁書」に言及した際には「え? そんなものが提出されているの?」と言う様子でしたが、まるで内容を懸念する雰囲気もありませんでした。私はこの時「あれ? 私たちは公判の前に予め読んだ文書を、いわき病院側弁護士はまだ見てない? FAXが届いてなかったのかな? それではいわき病院も被告野津純一の答弁書は未だ読んでないのだろうか?」と違和感を覚えました。いわき病院側の弁護士は「いわき病院の野津純一診療カルテを任意提出する。記載が明瞭で無いところがあるので現在補記作業をしているところだ、作業終了次第、法廷に提出する」と発言しました。私は「どうせ、都合が悪い箇所を削除や訂正しているのだろう」と思いながら聞いていました。第2回公判は、刑事裁判の証拠資料を全て民事裁判資料とすることで合意され、簡単に終了しました。
実は私は、第2回公判まで、相手側のいわき病院も、いわき病院側弁護士も共に出席しないことに、原告を侮辱した不公平な闘いであると考えていました。ところが、電話会議を観察していて、私どもはいわき病院側弁護士が発言している主張を聞いている時に同時に、円卓の回りの人々の表情や眼の動きを観察できます。また、電話主の声に意識を集中して相手の声色や意識の動きに注目した聴き方もできます。ところが、電話の向こうにいるいわき病院側弁護士は、私たちの人となりはまるで観察できません。そもそも円卓の雰囲気を知ることもできません。原告夫婦がどのような人物であるのかは、私どもは発言しませんので、何の情報も得ることができません。円卓で発言しなかったからと言って、私どもは何の情報も発信してなかったのでは無いのです。その場では文章化されなくても、裁判を進める上では重要なシグナルは発しているのです。私は、電話会議を傍聴していて、被告病院は出席しないで、いわき病院側弁護士も電話で出席して良しとする対応は、被告いわき病院に決定的に不利であると察知しました。
5、いわき病院側弁護士
私どもはいわき病院事件の裁判を提訴するに先だって、いわき病院の顧問弁護士とはどのような人物か聞き回りました。それによれば地元高松在住の弁護士であるとの事でした。ところが、民事裁判が開始されて「いわき病院の答弁書」に記載された弁護士の住所が東京であることに驚いたのです。それで、記載された弁護士事務所の名前でインターネット検索をしましたが、弁護士事務所のホームページには接触できない仕組みでした。それでも、精神病院協会と弁護士事務所の密接な関係を把握することができました。またその事務所名には「総合」という文字が入っていましたので、私どもは弁護士だけでも数人から十数人を抱える大弁護士事務所であろう、いわき病院は私どもの民事訴訟の提訴に危機感を持って、地元ではなくて東京の専門的な大先生に仕事を依頼したのだろうか、と想像しました。
私どもが、大弁護士事務所の大先生が請け負っただろうと考えたのには別の理由もありました。それは、精神病院の弁護を専門的に請け負っているプロフェッショナルの答弁書としてみれば「いわき病院の答弁書」は論理的にも内容も共に拙劣で粗雑であったからです。上にも書きましたが、内容が矛盾だらけで、論理的な整合性をきちんと詰めた形跡がありません。それで、「大弁護士事務所に雇用された、最近弁護士資格を取ったばかりの新任のイソ弁さんが、大先生の指示で取りあえず作成して、弁護士事務所内できちんとした再検討がされないまま、不用意に答弁書として裁判所に提出された可能性が高い」と、勝手に考えていたのです。渡邊朋之医師もベッド数248床の病院長という大先生です。その渡邊医師から出された状況報告書の内容を、イソ弁さんであるが故に「審査および内容の調整をすることができなかったのであろう」と考えたのです。それで「こんな、ミスのようないわき病院の答弁書が作成されたのであろう」と勝手に理解していました。本当に大先生が出て来た時には怖いことになる可能性がある、と身を引きしめました。
ところが、私どもの原告側弁護士に聞いても、他にも相手先事務所を知ってる人に聞いても、「大先生ではない」「弁護士が一人か二人の小さな事務所だ」「また年齢も40代後半で、渡邊医師とほぼ同年齢だ」と言うのです。私は、電話の拡声器の向こうにいるいわき病院側弁護士の声を聞きながら、「なるほどね」と考えていました。
6、第3回公判
平成18年11月22日に開催された第3回公判では、円卓には裁判長、副裁判官、書記官、野津側弁護士、私ども夫婦が着席しました。裁判長は開廷に先立って、私ども原告にも主体的に発言する権利があると確認してくれました。今回は私どもの原告側弁護士およびいわき病院側弁護士の二人が、電話会議による出席でした。
開廷早々、裁判長が私どもから提出された「いわき病院の答弁書に対する反論書」を裁判資料として採用することに付いて会議に出席した弁護士の同意を求めました。するといわき病院側弁護士は明らかに興奮した様子で「こんな原告が作成した膨大な文書が直接裁判に持ち込まれるのは異例だ。それに対して原告側弁護士が作成した文書は少しじゃないか」とか「そもそも、この裁判の被告はいわき病院と野津純一なのに、野津側弁護士からいわき病院の責任を追及する文書が出て来ること自体がおかしい」、「今回の原告反論書は、野津純一の刑事裁判は間違いで、野津純一は心神喪失で無罪である、と主張しているのか」「損害賠償を支払うのはいわき病院だけではない、被告野津純一の両親は、連帯責任で損害賠償を支払う責任を負う義務がある」などと、早口でまくし立てました。
私はこのいわき病院側弁護士の主張を聞いていて「この弁護士は、第2回公判で提出された「被告野津の主張」を最近になって読んだのだな。どうやら未だに刑事裁判の判決文をきちんと読んでいないようだ。9月25日に提出されてから2ヶ月の間、被告野津の主張をきちんと読んで、いわき病院のカルテなどの資料も詳細に読んで、じっくりと熟考した上で、裁判戦術を練り上げたのではあり得ないな…」などと観察しました。また、私どもの反論書は一週間前に私どもの原告側弁護士に提出してあり、パソコンのワード文の電磁データも付けてあったので、いわき病院側弁護士が事前に読む気になれば相当に読み込めたはずだけれど「どうやら内容をパラパラと昨日か今日見て、詳細に論理を検討せずに、単純に反応して色をなしている様子だな。統合失調症は無罪という、古い常識から未だに逃れられないでいるな…」等と考えながら聞いていました。いわき病院側弁護士は精神病院協会の顧問弁護士でありながら、また刑事裁判から継続した同一事件の民事訴訟の被告病院側代理人であるのに、被告野津純一に対する刑事裁判の判決で日本の精神障害者の犯罪に関した裁判の常識の一つが崩れたことに気が付いていないのです。
いわき病院側弁護士の主張に、私どもの原告側弁護士が割って入り、電話の中で、激しいやり取りになりました。いわき病院側弁護士は私どもの論点をきちんと踏まえた上で、闘いを勝つために言っているのではなくて、その場の思いつきでわめいている感じでした。これに対して、原告側弁護士は「そんなことはありません。刑事裁判の判決は確定しています…」などときちんと否定していました。その様子を野津側弁護士は黙ってにやにや聞いています。いわき病院側弁護士は私どもが証拠物件として提出した、野津純一を逮捕している場面と逮捕直後のいわき病院長渡邊朋之氏の記者会見の模様を放送した特報番組のビデオにも、「今の段階でこんなものを出すのは、異例だ」と文句を付けていました。これにも、原告側弁護士に「論理上必要な証拠物件です」と反論されて、引き下がりました。最後に裁判長が、次回の会議の開催時期を打診した際に、いわき病院側弁護士は「提出された意見陳述書が膨大であるので、検討のための時間が必要である」と「(私どもが提出した)意見陳述書を検討するための2ヶ月の猶予」を求めましたので、結局、私どもが提出した全ての文書および証拠資料が、裁判のテーブルの上に置かれることが確認されました。
7、心理的に追いつめられつつあるいわき病院長
第3回公判が終わった後で、私どもは経営している香南パーキングに立ち寄りました。実は原告の香南パーキングと被告のいわき病院は高松市香南町に存在していて、お互いにとても近い場所で営業しています。香南パーキングで、地元在住の職員から「最近、いわき病院内では、病院長が看護師などの職員を大声で罵倒している、という目撃談がある」と報告してくれました。その目撃者は地元の納入業者で「院長の(いつにない)あまりの大声に驚いた」と言うのです。
この話を聞いて私は、いわき病院の内部事情に明るい「協力者」に確認を求めました。すると、いわき病院長は以前から「大声で叱責することは無かったけれど、自分より明らかに立場が弱い人に対しては強気であった」と言う言葉と共に「○○君さぁ、さっきの報告は意味が全く理解できんわぁ…、あなたが△△として努力していこうと思うんなら、もっと真剣にやってよッ! ホントに、もう!」(臨場感溢れる口ぶりまで再現してお伝えできないのが残念ですが…)というような具合で、暴言を吐いていました。「パワーハラスメントでしょうか?」という返事がありました。また他の協力者からは「患者さんに良い形になれるように考えていきたいです。□□の担当している方も今低迷中です。こんなとき院内で団結できればと思いますが、今のいわき看護の質は最低です。」と言う反応で、看護職員(看護師、社会福祉士や精神保健福祉士、作業療法士など)がいわき病院長の「パワーハラスメント」で嫌気がさしている病院内の現状を報告してくれました。以前からあったパワーハラスメントに「大声のどなり」が最近は新しく付け加わったのでしょうか。
さて、いわき病院長は複数の車を所有しておりますが、特徴のある高級乗用車ですので、注意すれば目立つものです。最近のことですが、いわき病院内では朝の会議が開かれているはずの時間帯に、院長の車と車内の院長らしい人物が香南パーキングの周辺で目撃されたことがあります。これも、いわき病院長が心理的に追いつめられているのではないかと想像される、状況証拠です。
上記は、いわき病院の周辺から漏れ伝わってくる、微かないわき病院長が心理的に動揺しているのではないかと想像することができる情報です。ところで、いわき病院は被告ですが裁判に出席せず、せっかく依頼した東京の弁護士も、裁判のためにわざわざ四国まではやってこずに、電話対応で裁判を済ませています。また、その弁護士の裁判での対応を聞いていると、真剣にいわき病院の問題を考えていると言うよりは、数ある依頼事案の中の一つでしかない片手間の仕事として、公判の直前に資料に目を通して、明確な弁護方針を構築しないままで、裁判に対応しているという様子です。弁護士にしたら「医療裁判はどうせ圧倒的に病院側が有利なので、裁判初期には主張を取りあえず出して置いて裁判が煮詰まってから、最後の段階で四国には足を延ばせばよい」と考えているのでしょうか?
その様な弁護士にいわき病院長が裁判の経緯を聞いたとします。どれだけ、内容のある返事が伝わるのでしょうか。多分、通り一遍で、本質的な内容が何も伝えられない状況報告になる筈です。原告側弁護士といわき病院側弁護士は他の裁判でもやり合った経験があるようです。このため、いわき病院には原告側弁護士に関した話は伝えられるでしょう。しかしいわき病院側弁護士は原告の人となりおよび裁判の場の雰囲気などについてはまるで無知であり、また関心がないのです。私どもは、ここがこの裁判の重要なポイントだし、いわき病院長が状況が伝わらなくて余分なストレスを感じる要素だと考えます。
上にも書きましたが、いわき病院と香南パーキングの関係者は同じ香南町近傍で近所づきあいをしながら生活をしています。そして個人としてはお互いに友人の関係もあることが確認されています。このような状況ですので、双方の状態や情報がざわざわと波紋のように他方にも伝わり広がる要素があります。ところがいわき病院内では矢野真木人殺人事件に関しては箝口令のような雰囲気があり、それ故、またなお更に、いわき病院長のストレスにつながる、ざわめきの波紋が浸透する要素があります。既に双方の関係者の間では民事裁判が進行していることは、既定の事実であり、関係者であるが故に、その趨勢に対する関心も高いのです。いわき病院長はざわめきが聞こえない静かな環境で、裁判の進展を心安んじて待てる状況には居ないのです。渡邊朋之氏は人間の心を治療する精神科医師ですが、そもそも裁判を維持継続してゆく中で自分自身の心を守るための心理作戦の構築ができていないのです。そのため「大声で職員を怒鳴りつける」という、他人に誤解を受けて、不必要な噂話を広め、それが自らの首を絞めるという状況の発生を許しています。
8、状況分析
実は私どもは、いわき病院側弁護士は第3回公判で「いわき病院の負けを認めたに等しい」と考えてます。何故それが言えるか。いわき病院側弁護士が「(「被告野津純一の主張」の提出を受けて)被告側の賠償金を野津純一の両親にも負担を求める」と主張したからです。それは「被告いわき病院は賠償金を支払わなければならないが、全額ではあり得ないのであり、野津純一の両親にも親権者として負担割合が発生する」と主張したのです。多分、いわき病院側弁護士は「未だ裁判は終わっていない、判決も出ていない、そんな発言はしていない、あの発言はその様な趣旨ではない」と抗弁するでしょう。またいわき病院には「形勢不利」の情勢を正直に報告せずに、不正確にまたゆがめて伝えている筈です。もしかしたら「最初にいわき病院の答弁書を作成する時に、正確で的確な情報が弁護士に伝えられてなかった」といわき病院の最初の対応を罵倒しているかも知れません。
第3回公判で、いわき病院側弁護士が「こんな原告側が作成した文書が直接裁判に持ち込まれるのは異例だ」と発言したことを、ある精神医療専門家に伝言しましたら、次のような反応がありました。「被告弁護人は“形勢不利”と認識しているのでしょうね。このような資料は裁判では前代未聞ということに集約されると思います。つまり、被告は「医療裁判は圧倒的に病院有利」という大前提であり、一方で原告から提出される資料の内容の濃さ、「非医療職なのに何故に学術的な色彩が濃いのだろう…?」というような驚きと恐れを抱いているものとも思われます。日本は「専門家の言う事に従え!」といったパターナリズム(お任せ主義)があり、特に医療の世界においては医者は未だに特権階級ですから。」
さて、いわき病院側弁護士は私どもが提出した「いわき病院の答弁書に対する反論書」に2ヶ月半を費やして再答弁すると言っています。当然のこととして、私どもの反論書はいわき病院に持ち込まれて、いわき病院長の渡邊医師を中心としたスタッフが全力をあげて答弁書を作成するでしょう。もしかしたら、精神医学界の大権威の先生にご出馬願って、論陣を張るかも知れません。それは充分に予想されることです。しかしこれには、渡邊朋之いわき病院長は乗り越えなければならない心のストレスがあります。私どもが書いた反論書には多くの項目で、しかも個別にいわき病院長が答弁書の各所で言及した証言を引用して、精神科専門医師としての資質不足や判断間違いおよび不作為を指摘してあります。上にも書いたようにいわき病院長は病院内では雇用者であり絶対君主です。これまで被雇用の医師以下のスタッフを「パワーハラスメント」してきた経緯があります。自分自身を守るためにスタッフに作業させるためには、私どもが提出した文書から「国際診断基準の理解不足で医師としての資質に問題がある」という指摘を隠して該当部分だけを見せて、作業させることは不可能なはずです。そこにはプライドが高いいわき病院長として恥ずかしさを乗り越えなければならない、心のハードルがあります。
私どもは、既に余裕を持って、いわき病院がどのような対応をするかを予想して、いわき病院の対応への対応を考えた資料を作成しようと考えています。いわき病院は第1回公判で「起訴状に対する答弁書」を提出していますので、これから書かれるであろう新しい答弁書が提出されると、私どもはまず古い答弁書と内容の整合性をチェックします。多分、この段階でさらなる矛盾点が掘り起こされるでしょう。また何故その矛盾点が発生したか、その根拠まで警察が押収したいわき病院のカルテなどの記述を元にして見いだすことが可能であると考えています。仮にいわき病院が精神医学の大先生を証人として持ち出すとすれば、大先生の発言のコントロールは困難ですので、いわき病院は更に大きな矛盾点を露呈する可能性も高いでしょう。私どもは、いわき病院が任意提出したカルテと、矢野真木人殺人事件直後に警察が押収したいわき病院のカルテを相互チェックしています。その上で、その時その時の、いわき病院長渡邊朋之医師の思考や判断および心理まで想像し得る程度まで、カルテを読み込んでいます。私どもは大先生の発言を引用して、カルテやこれまでの証言から、いわき病院長渡邊朋之医師が犯した間違いを逆に証明することも可能であろうと期待しています。
物事をいわき病院の周辺に関連した資料や証拠の整理について言えば、私どもは警察の押収を逃れた幾つかのいわき病院の資料が存在することも、すでに気が付いています。このことについては明確に述べることはできませんが、時が来れば証明する手段もあると考えています。
いわき病院と私どもの闘いで何が決定的に違うか。それは、私どもが亡き矢野真木人の生命と名誉をかけて、4つの眼と二つの頭脳で、考えられるあらゆる可能性を調査していると言うところでしょう。その上で私たちは、精神科の医師や医療スタッフ、また他の専門領域の医師、さらには各分野の専門の方々の協力も得ております。
他方、被告いわき病院は、頼れる医療専門家は渡邊朋之いわき病院長本人一人であり、不真面目な対応をしているとしか思われない弁護士に頼り、既にいたずらに論理矛盾を重ねました。それでも日本で、医療機関に裁判で勝つのは大変なことです。私たちのこのような闘いの状況を聞いても「矢野さん、落とし穴に気を付けてください。病院は、するりと責任のがれをする可能性がある。」と言ってくれた、友人で自分でも家族に精神障害者を抱えて悩んでいる、医師がおります。
なお、私どもの闘いの本質を端的に指摘する言葉が、別の友人の医師から届けられました。それは、今回提出した私どもの「いわき病院の答弁書に対する反論書」の末尾に掲載してある言葉です。この言葉を、改めてまた慎んで、被告いわき病院に進呈します。
「精神科に入院中の患者が外出中に殺人を犯したという事実」は「精神科病院にとっても社会にとっても不幸なことであるという前提」を被告いわき病院は共有していません。被告病院には、入院中の患者が外出中に殺人を犯したという事実が持つ重大な意味について、社会に貢献する医療機関という立場から再考することを切に希望します。それこそが、被告病院が地域社会に貢献する病院として再生するための条件です。
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