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第81回 「ひと声掛ける」


先日、2歳のこどもと一緒に狭い歩道を歩いていたら、後ろから突然自転車のベルの音がけたたましく鳴りました。ギョッとして立ち止まると、急ブレーキの音がして、中年女性が運転する自転車が真後ろで止まりました。

僕がこどもを抱っこしてよけると、「なにしてんのよ」という表情でそのまま走り去っていきました。
  自転車は道路交通法上は「車」にあたるわけで、歩道上においては絶対的に歩行者優先であるはずで、僕自身も歩道を自転車で走るときには基本的には歩行者並みのスピードしか出しませんし、歩行者によって自分の自転車の進行方向が遮られているときは速度を落として、近づいたら「すみません、通してください」とお願いしてよけていただくか、気づいていただくまで待っているか、こちらがどうこうする前に歩行者の方が向こうからよけてくださる、という感じでやってきました。

が、僕たちを追い越していった女性は、明らかに自分は急いでいるのに邪魔しやがって、という態度。
  んーーーむ……。病んでるなぁ……。

また別なとき。
  一人で狭い歩道を歩いていて、やはり後ろから自転車のベルの音がしたのでスッと端によけて振り向こうとした瞬間、ビュンッ、と音を立てて物凄いスピードで自転車が横を通り過ぎていきました。その距離、数cm。僕が避け損ねていたら、明らかに接触事故になっていました。
  おそらく、その自転車を運転していた若い男性は、自分の自転車の運転テクニックに自信があったのでしょう。が、僕が不意に別な動きをしていたらどうなっていたのか。
  そんな想像力は彼には無かったのかもしれません。

また別なとき。
  ある雨の日、人が2人すれ違えるかどうかの歩道を傘を差して歩いていました。
  すると、向こうからカップルが相合い傘で歩いてきました。僕は、ぶつけてはいけない、と思っていつものように「傘かしげ」をして左側に傘をかしげてすれ違おうとしました。すると、傘を持っていたカップルの男性は、彼女と手を繋ぎお話に夢中になっていたのか、かしげもせず、そのまま向かってきました。
  僕はすんでのところで身体を反らしてよけましたが、もしそのまま歩いていたら向こうの傘の先が目に入っていたのではないか、という距離でした。
  が、彼らは、そのまま自分たちの世界に入ったまま去っていきました。

そしてまたまた別なとき。
  今夏は、日差しが強かったこともあって、日傘を差している女性を多く見かけました。日傘の女性、って、なんだかおしとやかっぽくて憧れます。
  そんな夏のある日。
  信号待ちで、横断歩道の手前で待っていると、信号が青になりました。
  さぁて、と歩き出そうとしたその瞬間、後ろから「ぽちっ」と首を刺されたような感触がありました。「うわっ」とびっくりして身体をひねると、そこには日傘の女性。なにか、急いでいるようで、そのまま高速で歩き去ってしまいました。
  もしかすると僕に傘が当たったことに気づいていないのかもしれませんが、いや、そんなことはないと思うのですね。

そのうえまたまた別なとき。
  車が一台通れるかどうか、という商店街をこどもたちと歩いていたら、突然後ろから「ぷわぁんっ!!」という車のクラクション。びっくりして飛び退くと、その車はエコで有名なハイブリッド車。そして、運転していたのはなんと若い女性で、後ろの席にはちっちゃいが2人。しかも、チャイルドシートも無し、シートベルトもせずに座席でじゃれています。
  ハイブリッド車のエンジン音が小さすぎて歩行者に気づかれずに困るので、人為的にエンジン音を出す車が開発されている、ということまで聞くのですが、それよりも、なにしろ商店街なのですから窓を開けて「すみませーん」と声を掛けるだけでよいのではないでしょうか。

……と。
  愚痴りたかったわけではなく、何が言いたいのかというと。

「ひと声掛ける」だけで、上記のことは全て解決すること。
  「すみません」「ごめんなさい」「失礼します」……そんな、あたりまえのことを口に出せない人が増えているように思います。
  僕たちは演劇をやっているので、「声を出す」ことはあたりまえのことです。
  でもしかし、そういう意味ではなく、自転車で歩道を走っていて、歩行者がいたら「すみません、通らせてください」と言うのはあたりまえ。その、「自分はこうしたいのだけれど、すみませんがこうしていただけますか?」という問いかけが、見知らぬ人に対してはできない、というのが、若い人だけではなく、世間一般に広がっていて、それがこのなんとなくギスギスした感じの今の世の中を作ってしまっているのではないでしょうか。

つまり、「自分はこうしたい、なんであんたはそうなの?邪魔なのよ」という、一方的な自分中心の考え方。
  「私たちは今あつあつで、この雰囲気を壊したくないから、そっちが避けてどいて。邪魔邪魔」というカップル。
  「私は日焼けしたくないの。だから日傘を差してるの。そして急いでるの。私の前を歩かないでちょうだい。邪魔邪魔」という女性。
  「あんたたち、なんで端を歩かないのよ、ここは車道よ、通れないわよ。どきなさい。邪魔邪魔」というおかあさん。

僕もよく、今を通り抜けようとして、だらだらとねそべってテレビを見ているこどもたちに「邪魔っ!!」と言いそうになります。が、そういうときはぐっとこらえて「通れないからちょっとどいて」と言うようにしています。
  つまり、自分の感情ではなく、相手にどうして欲しいか、を言葉で伝える、ということです。

車では、クラクション、というのはそもそも「警笛」という言葉からもわかるとおり、万が一の時の連絡用に装着されているものです。
  霧の中でカーブを曲がる時や、踏切の遮断機の中に取り残されてしまった時、上り坂で停止中に、前に止まっていた車が下がってきてしまっているのにドライバーが気づいていない時、など、危険を避けるために使われるべきものなのです。

「どいてっ!!」という時に使うものではないのです。

そこで。
  かねてから、僕は自転車も免許制にするべきだ、という論者ですが、その時代にするべきことのご提案っ!!

自転車も車も、運転免許を渡す前に「声掛け」の審査も入れるのです!!

狭い道で歩行者が前を歩いていたら「すみません、通らせてください」と相手にちゃんと聞こえる声で伝える。それを、教習所できちんと実技で採り入れる。
  これだけで、世の中の交通はかなり優しくなるのではないでしょうか?!

「えーっ、そんなの恥ずかしーっ!」という方もいらっしゃるかもしれません。
  いいえ。
  恥ずかしいとか恥ずかしくないとかの問題ではないのです。
  人間として、当然すべきことなのです。
  ご飯をいただく前に「いただきます」。食べ終わったら「ごちそうさまでした」。それと、同等の当然のことなのです。

常日頃から、そういうときに声を出すことがあたりまえになっていけば、間違えて傘をぶつけてしまったり、ちょっとしたことで相手に迷惑をかけてしまった時に「すみません」「ごめんなさい」という一言も口を突いて出るようになるのではないか、と思うのです。

あまりにも価値観が多様化して、人間一人一人が「個」の世界に入っていくようになってしまったこの時代。
  あらためて、「声を掛け合う」ことを意識の上に上らせるようにちょっとずつ努力することが必要なのだと思うのです。

2008.10.27 掲載

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