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第79回 子どもが「お受験」に落ちて本当によかった


僕が子供の頃、父が中学の教員で教育熱心だったこともあり、都心の国立大学附属小学校に1時間以上かけて通って(通わされて)いました。
  毎朝6時起きで、朝食を食べてランドセルを背負って、冬だとまだ真っ暗な 中を府中駅発6時57分の通勤快速に乗ります。40年前の京王線は、今の同じ時間帯の混雑を100%とするなら、150%くらいな感じだったと思います。
  そんな中を、大人に押しつぶされそうになりながら、でも、かばってくれる大人の人たちもいて、なんとかかんとか6年間通い続けました。

今でもその小学校の同級生とは仲が良く、先生方も素晴らしい方々で、小学校生活に関しては本当に素敵な思い出となっています。

がっ。
  自分にこどもができた時、僕は迷いました。
  やっぱり、「いい学校」に行かせるべきなのか……?
  結局、一応、長男にはほとんど受験の準備などせずにいくつか私立と国立の小学校を受けるだけ受けさせたのですが、周囲の万全な「お受験体制」をとってきた人たちにかなうわけもなく、当然全部不合格。
  そんなわけで、晴れて地元の公立小学校に通い始めました。

そうなってからわかったことがたくさんありました。

僕が子供の頃から住んでいる東京都府中市は、東京都でも西の方の古い街。645年の大化の改新の時に武蔵国の国府が置かれた、という、日本史の教科書の中でもかなり前の方の段階から存在していた街です。

この街では、小学生の下校時間になると街中に「まもなく小学生の下校時刻です。みなさま、こどもたちの見守りにご協力ください」という放送が流れるのです!!
  自分にこどもができるまでは、こんな放送にはまったく気づいていなかったのですが、いざ意識してみると、この放送が流れて通学路にがやがやとこどもたちの声が聞えてくると、近所の商店の皆さんが表に出て、にこにこしながら子供たちを見守ってくれているのです。

……そんなことをみんながしてるなんて、本当に知りませんでした……。
  そして、道の角角には、こどもたちの親たちが立って、自然な感じで交通状況を見て、自転車が来ていたりすると「止まってー」って自分の子供じゃない子たちにも声をかけたりしているのです。
  これは、やっぱり「適度にいなか」だからできることなのかもしれませんが、でもすごいことだなぁ、とびっくり。

そして、他にもびっくりしたことが。
  長男が4年生の時、二男は1年生。4年生以上は、友達同士でプールに行っていいのですが、1年生は親の付き添いが必要、という決まりがあったので、長男は友達と出かけてしまいました。でも、二男が寂しがるので、僕が連れて行ってあげることにしました。

プールに着くと、たっくさんの小学生たちや親子が遊んでいました。長男は、近所の友達たちと勝手に遊んでいて、僕らが到着しても「おっ!! 」てくらいしかかまってくれません。なので、僕が二男に泳ぎを教えたりして遊んでいたのですが、ちょうど4時半になったところで、大きい男の子たちがプールから上がり、「4時半だよー。あがれーっ!! 」と号令をかけたのです。

すると、次々と小学生たちがプールから上がり、みんなそれぞれに整理体操を始めたのです!!
  ……ここは学校かっ?!
  あとから長男に聞いたのですが、その号令をかけていたのは6年生。もちろん、別々に遊びに来ていたわけですが、学校も何も関係なく、みんなの決まりだからみんなで守る、というわけなのだそうです。
  ……カッコよすぎるぜ、6年生……。

そしてまたある時。
  やっぱり二男が1年生だった時ですが、長男と二人で近所の公園に遊びに行っていて、僕は自宅で仕事をしていたのですが、玄関の方から「おとーさーん!! しんしん(←二男の呼び名)ケガしたーっ!! 」という長男の声が。
  びっくりして飛んでいくと、ひざにバンドエイドを貼って、歯を食いしばる二男が。

またしても長男に状況を聞いたら、「しんしんが自転車で曲がろうとして公園の近くのガードレールにぶつかって転んで泣いてたの。そうしたら、6年生が走ってきてくれて、どうした、大丈夫か、このくらいなら大丈夫だ、泣くな、って言って、バンドエイドを貼ってくれて、よし、早くおうちに帰れ、って言ってくれたの」とのこと。

……カッコよすぎまくりだぜ、6年生っ!! ちなみに、この話を聞いて、僕は後からこっそり思い出し泣きしました……。ありがとうね、知らない6年生。

こういう上級生を見て育つ、下級生。自然に下級生をリードしていくその姿に、下級生たちはみんな憧れていて、長男も「僕も6年生になったら1年とかに優しくしてあげるんだ」と言い続けて育ってきたのです。下級生の憧れの存在が6年生で、実際に6年生になった長男は突然顔つきが変わり、誕生日プレゼントに欲しがったのはおもちゃでもゲーム機でもなく、「ママチャリ」。これはなぜかというと、長男の小学校の野球部の6年生たちがみんなママチャリだから。ママチャリは、子供用自転車と違ってたくさん荷物が積めるので、下級生たちが使う道具なんかも6年生が運ぶわけです。
  ……かっちょいい……。

この、長い歴史がはぐくんできた小学生たちの「早く6年生になりたい」という思いって、とっても大切なことだと思うのです。そして、そういう空気が街全体にも流れてる、ってことも。
  僕は、この街がそんなに素敵な街だった、ということに、自分の子供時代は気づいていませんでした。友達はみんな遠距離通学なので平日は真っ直ぐ帰宅するか塾経由での帰宅なので、帰宅後には遊ぶ友達はいなくて、いっつも弟やいとこたちばかり。地域のプールに行っても、やはり兄弟で遊んでいるだけ。

もちろん、地域での人間関係の繋がりが濃いと、不良になったときも抜け出しづらい、ということもあるのかもしれませんが、しかし、この街ではいろんなことがいい方に行っている、と思うのです。

特に、5月の連休に行われる「くらやみ祭」という大國魂神社の例大祭では、小学生たちは「こどもみこし」を担いだり、山車を引いたり、ということを自然にしています。これは、地域の商店主の方々とかが主導してこどもたちの面倒を見てくださるわけです。
  つまり、子供の頃から、自分の親や先生ではない大人たちとも接していて、ふつーーーに、親や先生じゃない人たちから叱られる、という土壌があるのです。

そして、3日あるお祭りの1日目と2日目がこどもみこしと山車、そして本番の3日目には六基の大太鼓に先導されて本物の大人御輿が八基、街中を練り歩きます。
  この大太鼓や御輿を担いだり、提灯を持っていたりするのが、こどもみこしを手伝って指導してくれていた大人たちなのです。
  この晴れ姿を、子供たちは目を輝かせて見つめ、「何歳になったら担げるの?」と、大人御輿を担いでいる自分の姿を思い浮かべて、早く大人になりたい、あんなカッコイイ大人になりたい、と憧れるのです。

実は今年、春に地元の新興住宅地にある中学3年生、先日は隣県の私立高校1年生を相手に、それぞれ「卒業記念講演」と「進路指導講演」を頼まれてしゃべってきたのですが、そのいずれの講演でも、終わった後のアンケートで 「こんな大人なら、なってみたい」とか「こんな楽しそうな大人がいたなんて」とか書かれていたのです。

まぁ、確かに、僕は46歳にしては楽しそうすぎる人かもしれません。
  でも、先生方から話を聞いてみると、「身近に、教師と親以外に大人がいないから新鮮だったみたいです」というのです。
えっ。
  ウチの子たちは、近所の商店の親父さんたちと顔見知りで、普通に街を歩いていても僕が知らない大人に会釈したりするのがあたりまえです。が、そうじゃない子供たちもいる……。
  ……あぁ、そう言えば、自分もそうだった。憧れる大人、なんて、自分の親か親戚か祖父かしかいなかった。

ウチの子供たちにとって、祖父が大学の学長、父親が劇団の社長、という仕事をやっているにも関わらず、「御神輿を担ぐ人になる」っていうのが夢。そして、「一番こわい大人」は、先生でも親でもなく好きで通っている合気道教室の先生。

憧れることができる大人や、こわい大人が、地域にたくさんいる、というウチの子供たち。かたや、親と先生しか知らずに育った僕。どっちが幸せか、ってことじゃなく、すでにヤツらは、僕が小学生だった頃よりもはるかに頼もしく勇気があり、はるかにたくさんの夢を持ち、はるかにたくさんの友達を持っています。

長男が私立小学校の受験に落ちて、本当に良かった。僕は、子供たちを育てながら、子供たちと地域に、あらためて育て直してもらっていくんだな、 と思うと、これからの府中人としての人生が楽しみでしょうがありません。
  そして自分も、もっともっと「子供たちに憧れられる大人」になって「僕も劇団の社長になりたーい」と言わせるようになってみたい、と思うのですっ!!

2008.6.5 掲載

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