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第73回 観客動員数が減った理由
狭い世界ではありますが、演劇の世界では「キャラメルボックスは大人気劇団だ」と言われています。
が、実は2005年の「結成20周年」の年を境に、なんと観客動員数が減っています。
その原因を、データや、社会情勢から紐解くことは簡単ですが、そういうこととは別に僕が気になっていることがあります。
2005年という1年間は、「結成20周年記念公演」として、劇団のサポーターの皆さんからいただいたリクエストによって1年間の演目を決める、ということをしました。
そして、キャラメルボックスでは基本的に「シモネタ・楽屋落ち・内輪ウケ」のネタは厳禁。役者達が気づかずにやってしまっている場合には、僕が細かくチェックを入れてネタを変更してもらう、ということを徹底してきているのですが、この1年間だけは、20年分の過去の公演に関する楽屋落ちネタを解禁させていただきました。
ところが。
「今年は結成20周年でお祭だから、楽屋落ちをやらせてください」と告知していたにもかかわらず、やはり、そんなことはやっている側の自己満足であったのです。
この1年間に初めてこの劇団の芝居を観に来てくださった方々からは、「なんだ、みんながなんで笑ってるのかわからないぞ、なんか、熱烈なファンにだけ支えられた劇団なんじゃないの?」と思われてしまったに違いないのです。
いえ、もちろん、そのリスクは分かった上でやっていたつもりだったわけですが、あの年から2年経って、観客動員数の減少傾向、いや、直後に減少したまま戻らない傾向、というのは全く歯止めがきかなくなっています。
もちろん、20周年を過ぎてから、それまでの劇団の傾向とは違うことをやっていこう、と、次々と新しい挑戦をし始めて、そういうことが、ずっと劇団を見守ってきてくださってきている皆さんにとっても、「刺激的」と映ればいいな、と思ってやっているにも関わらず、逆に「いつも通りのが観たい」と思っている方も多く、そういうことも拍車を掛けているのかと思います。
また、それまで年間の全公演を通して固定にしてあったチケット代を、公演の規模によって高くしたり安くしたり、ということをしたせいで、それまでどんな公演でも5000円だったキャラメルボックス公演のチケットがものによっては6500円になったり、ということが「値上げ」に映ってしまった、ということも大きく影響していることでしょう。
かつて、宮崎駿監督も、スティーヴン・スピルバーグ監督も、「いわゆる期待されている作品とは違う、自分の思いをぶつけたい作品」を作って、一気に観客動員数を減らした、ということがありました。
でも、それは、創作をしている人間にとっては避けて通れないことである、と僕は思うのです。
僕自身は、劇団の製作総指揮という立場にありながら、劇団側、というよりもお客さん側の考え方をします。
会社や劇団の会議よりも、お客さんからのメールの返信や、ブログやSNSへのお返事に割く時間の方が圧倒的に多いわけですし。
ですから、「キャラメルボックスではこういう作品を観たい」とおっしゃってくださるお客さん達の意見は、僕の中に取り込まれていくわけですが、しかし、数十人で構成されるキャラメルボックスという劇団がこれから進むべき道、というのは、お客さんからの意見だけではなく、なにしろやっている本人達のやりたいことがまず最優先されるわけです。
もちろん僕は僕の意見をきちんと伝えますし、なにしろ製作総指揮ですから最終的にどういう公演をやってどういうふうに運営していくのか、ということへの責任も僕にかかっていますので「劇団員達がやりたいこと」と「劇団がやるべきこと」との間を「お客さんとして観たいこと」を基準にした僕が見極めるのが、最も大切な仕事だったりします。
ですが、僕が反対でも「これは、今、どうしてもやっておきたい」と劇作側が譲らない場合もあります。そういう場合は「きっと興行的には失敗する」とわかっていても、あえてやることにしています。なぜなら、今まで、そう思ってやって失敗しても、劇団運営という意味で結果的にはやってよかった、ということも多かったからなのです。
つまり、ここが、劇団でもバンドでも映画でもなんでもいっしょだと思うのですが、エンターテインメントを長く続けていく者にとっての非常に難しい「さじかげん」なのです。
皆さんも、それぞれに思い当たるところがあるのではないかと思うのですが、ある程度ベテランになってきたりめちゃめちゃ売れてしまったりした人が、いきなり「……えっ……?!」というような作品を出して、その一本はまぁ我慢できたとしても、なんとその次も「なんだか私の好きだった■■とは違うなぁ……」というようなのを出してきたりして、気がついたらいなくなっていたりすっかり地味になっていたり、なんてことが、この世界にはたくさんあると思うのです。
もちろん、本人が「お客さんの支持が無くたって、自分のやりたいことができていればそれでいいや」「今の自分をわかってくれる人が一人でもいればそれでいいや」と思ってやっていることなのだとしたら、まぁ、それでいいのかもしれません。
が、本当のエンターテイナーは、ちょっと(しばらく)冒険をした後に、ちゃんと僕たちの手元に帰ってきてくれるものなのです。
サザン・オールスターズ、チャゲ&飛鳥、THE ALFEE、かぐや姫。
ローリング・ストーンズ、KISS、エリック・クラプトン。
きっと、本人達にとってやり飽きたのにファンからの要望が多い昔の作品、というのがあって、しかしそれは今やりたいこととは違う、なんでファンはそんなに昔の自分にこだわるんだろう、昔の自分よりも今の自分を見てほしい、と、きっとクリエイターなら誰でも思うのでしょう。
しかし、いろんな挑戦をやっているうちに、逆に「昔の自分の凄さ」を客観的に知ることが出来るようになった人は、今の自分で見直して「あぁ、アレも、実はけっこう良かったんだなぁ」とわかるようになることができ、そう思えなかった人は全く違う道に進んでいく、ということなのではないかと思うのです。
北野武さんみたいに「やりたいことの全てがなんでもかんでもみんなに受け入れられていく」なんて人は、世界にもそうそういないですよねぇ……。
実は、キャラメルボックスも過去に観客動員数が減少傾向になったことは何度もありました。
その原因は、やはり「新しいこと」を始めたときでした。が、その後に、いわゆる「王道」なこともきちんとやり続けることで、減っては増え減っては増え、を繰り返しているのです。
今回は、そのような「いつもと違うじゃん」というベテランのお客さん達だけではなく、劇団のポリシーをお客さんのためにあえて崩したことで「なんだよ、こんなもんだったのかよ」という「ビギナー」のお客さん達が離れていってしまったことが追加の要因となってかなり厳しい状況になり、2年間にも渡って減少傾向が続いてしまっている、という劇団創立以来の危機なんじゃないかな、と思っています。
これが、劇団ではなく一人のアーティストであれば、きっともうそろそろレコード会社から見放される時期に来て居るんじゃないかとさえ思うのですが、逆に、客観的に見れば、減った減ったって言ったって年間15万人のお客さんが14万人に減っただけじゃない、とも言えるわけです。ずっと毎年増え続けてきたのに、「減った」という事実だけで、やっている側は戦々恐々となってしまうものなのです。
で。
「今年に限って楽屋落ち解禁」「新しいことにどんどん挑戦します」「公演ごとにチケット代を変動させます」……といったことは、劇団やエンターテインメント集団が長い間続けていくためには、大きなプラスにもなり、マイナスにもなります。
問題は、そういったことを、ちゃんと前もって全ての「観たい」とおっしゃってくださる方々に伝えきることが出来るかどうか、ということなのだと思うのです。
つまり、僕らは、自分たちだけのメディアでそういうことを伝え、それによって伝えたつもりになっていて、ほとんどの人に伝え切れていなかった。そこが最大の問題だと僕は思っています。
創作者側の「思い入れ」なんてものは、基本的には観ている人の3割ぐらいにしか伝わらないし、ほとんど関係ないことと間違いありません。
だから、伝わらないことを前提に伝える努力をするか、伝わらないことはやらないか何年も掛けて伝わるまで待つか、と、良い意味であきらめておかなければならない、ということなのだと思います。
特に、インターネットやケータイがこれだけ普及してくると、情報の受け取り方が多様になりすぎてしまい、みんなが「ここを見ておけば安心」というようなものが無い、ということになっているように見えるのです。そういう情報端末を駆使している人たちにとっては。
しかし、キャラメルボックスのお客さんだけを見ても、自宅にパソコンを持っていて、インターネットに繋がっていて、毎日見ている、なんて人は、全体の40%弱。それ以外の人たちは、基本的に仕事でパソコンは使っていても、家には無くて、ケータイで大抵の用事を済ませているんですね。
で、そのケータイの利用方法も、友達とのメール。
じゃぁ、情報はどうやって得ているのか、というと、友達からの連絡、テレビ、雑誌、または、情報を得ようとは特に思っていない、なんて感じ。
たしかに、僕自身も、こういう仕事をしているせいで、広く浅くいろんなことを知っていなければ、と思うので新聞は二紙取って流し読みをして、ネットやケータイのニュースサイトもマメにチェックするようにしています。
でも、たとえばAppleが新しいiPodを発売することになって、その最上位機種がアメリカで爆発的に売れているiPhoneの電話機能を無くしただけもの、という、僕と僕の周囲の関係者にとっては100%知っている情報にしても、その情報そのものを、たとえばうちのヨメは知りませんし、うちの親にいたっては「iPod」というものをいまだに知らず、ウォークマン以前のガチャッとやるテープレコーダーで十分、なんて感じです。
そしてまた、僕ら「インターネッター」にとってはあたりまえの動画サイト「YouTube」だって、ヨメに聞いたら「聞いたことあるけど、なに?」ってくらいなものです。
言っときますけど、うちのヨメはちゃんと専用のMacBookを持っていて、氣志團の情報はそこから仕入れていますし、普通にYouTubeのムービーも見て振付を覚えたりしていますし、ライブの先行予約の情報はキッシーズ(氣志團好きの人たちをこう呼びます)仲間からどこよりも早く入手していますし、こどもたちの学校の情報も僕が知らないことをいっぱい知っています。つまり、普通よりもちょいとネット寄りな主婦、ってわけです。
つまり。
最新情報なんて知らなくても日常生活は十分に送れるわけです。
で、実を言うと、休みの日の僕なんて、まさにそうなんです。
こどもと遊んで、こどもとこども番組を見て、いっしょにご飯を食べて、お風呂に入って、それで終わってしまいます。最新情報なんか知らなくても、こどもと遊ぶことはできるし、逆に、それでせいいっぱい。新しいこととか、外出して演劇を観ようとか、決して思いません。
「それじゃぁ、感性のアンテナが衰えていくばかりじゃないの?」と思われる方もいらっしゃるかもしれません。
ところが、意外なことに、日常生活の中には普段のバリバリにアンテナを振り回しているときには見つからないいろんなことが転がっていたりするから不思議です。
今度、うちのこどもたちの小学校の運動会があるのですが、何年も前から、運動会のお昼ご飯は「家族でお弁当」じゃないんです。その理由は、全ての生徒の家族が必ず運動会に来られるとは限らないから、なのだそうです。
こんなこと、ニュースにもなってないし、ていうか、いつ頃からそうなったのかさえもわからないことですよね。
まぁ、独身で、普通に生活している方には関係ないことと言えばそれまでなのですが、「それほどまでに共働きの人が増えたんだ」と感じたり、「家族が来られない生徒は、お友達の家族といっしょに食べればいいんじゃないの?」と感じたり、いろいろだと思います。でも、そういった「知らないうちに変わっていってしまっている世の中のあたりまえだと思っていたこと」は、生活の中にしか潜んでいなかったりするわけですね。
ちょっと話が逸れましたな。
要するに、「情報過多」な僕らがこれからやらなければいけないこと、というのは、最先端の情報もきちんと入手して最先端のテクノロジーを演劇製作に活かしていくということももちろん考えつつ、しかし、「普通の生活」もちゃんと忘れないで、普通にしていても心に届く情報伝達の方法とはなんだろう、というのを開発していかなければならないな、ということです。
で、実は、それに関してはちょっと「いいこと」を思いついているんですが、長くなってしまったのでここまでっ!!
もし、皆さんなりに「普通の生活をしている人の心にも届く情報伝達の方法」を思いついたら、是非私宛にメールでご連絡くださいねっ!!
katoh@caramelbox.comまで、ご遠慮無くっ!!
2007.9.28 掲載
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