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第68回 スランプの原因
スランプです。
……「えーーーっ?!アンタにもそんなんあったんかいっ?!」という声か聞えてきそうですが、実際、スランプです。
どれほどスランプかって、原稿のネタをいっぱい並べても、いつものようにシャキシャキッとした文章が指先から出てこないんです。
もちろん、キャラメルボックスの冬の公演『少年ラヂオ』の準備は順調すぎるほど順調に進んでおりますし、夏の『雨と夢のあとに』よりも前売り券は快調に買っていただけているようですし、プライベートでも、長女・みうたんはそろそろ生後七ヶ月で寝返りを打ったりかわいさ満載で笑顔をふりまいてくれていて加藤家も楽しい日々が続いておりますし。
しかし、それなのにスランプなんです。
なんというのでしょう、いろんなことが順調であればあるほど、もっと先、もっと先、と思ってしまう自分が悪いのでしょうか。
ちなみに僕は、劇団&会社で、最も演劇を観ないので有名です。しかも、小説も読まず、映画も見ない、という、本当にエンターテインメントをやっている人間なの?!というほどに「右脳への刺激を行っていないのではないか疑惑」が持たれる危険人物です。
普通の「演劇をやっている人」がやっていそうなことをやらない、というのが僕のポリシーでもあって、週刊ダイヤモンドと日経ビジネスを定期購読しておりまして、今一番気になることは「グーグルが次に何をするんだろう?!」ということだったりします。
なのですけど、音楽は山のように聴きます。
メインはロックですが、ジャズからクラシックまで、素敵なメロディーを求めて日夜格闘しております。ただ、これも、キャラメルボックスの選曲をやるため、という側面が大きいので、「仕事」に分類されることなのかもしれません。
ちなみに今公演『少年ラヂオ』に向けて、ちょっと数えてみたら2000曲以上聴いていました。1ヶ月で。これって、好きなだけでは不可能なのでありまして、根気と根性と気合いが無ければ1日十数時間音楽を聴き続ける、なんてことはできませんよ。
もちろん、オリジナル曲のレコーディング、ということになればそのくらいスタジオに入っていたりすることはありますけど、自宅の自分の部屋にこもってずーーーーーーーっと音楽を聴き続けている、というのは、端から見たらただサボッているようにしか見えませんし、きっと、とっても楽しそうに見えることでしょう。
しかも、僕は一応会社の社長なのですけど、数字を見る仕事の場合はこれとこれをやった後にはこういうことをやればこういう仕事が待っていて、その成果はこのように出て、というふうな「結果」が見えるわけですけど、選曲という作業はそんな着実なものではなくて、いい曲が見つからないときには本当に見つからない、という、砂漠でダイヤモンドを探すような気の遠くなるような作業だったりするわけです。
で、最悪の場合、「ベスト」なものが見つからない可能性だってあり、そういう時のストレスというのは並大抵のモノではありません。
台本を読んでいると、「ココにはこんな曲が絶対に欲しい!!」という、もう、「あの、ほら、あれの、その、ほら、そういう、こんなかんじの」ってくらいに漠然とした、何も具体的にどんな曲、ということが言葉では表現できないようなレベルの漠然としたイメージが、僕の心の中や脳の中にぼんやりと、しかしくっきりと浮かんでしまうわけです。で、その「像」に向けて、アンテナをぴーんと張って、次から次へと曲を聴いていき、ひっかかってきたものを手当たり次第にストックしていく、ということをずっとやっていくのです。
しかもこの作業は、公演ごとに同じ時期に行われます。
賢明な読者の方なら「そんなら、そのストックを大量に用意しておいて毎公演使えばいいじゃん」と思われるかもしれません。
が、残念ながら、同じ作家、同じ劇団の公演であっても、台本が変わるとその「イメージ」もがらっと変わってしまうので、ほとんどの場合ストックは用をなさないのです。
あっ、それは、このロゼッタストーンの連載にも言えることで、「よしっ、このネタ、来月書こうっと」と思って書いておいたメモは、実はたくさんあるのです。それなのに、こういうスランプの時にはそういう、「その時思いついたいいこと」を見ても「んーーーむ、おもしろくないなー」と思ってしまうのです。
……あっ!!
今、ここまで1800字ほど書いてきて気がつきましたっ!!
「文字書きスランプ」の原因の一つは、頭が音楽モードだった、ということなのですねっ?!
これだけ喋り言葉ならべらべら書けてしまうのですから、完全に書けないわけではない。でも、「嫌われ者のすすめ」というテーマに沿っては何も書けやしない。
なるほどっ!!
というのと、もう一つ。
北朝鮮の核実験というのも、スランプの原因なのです。
なぜかというと、どう頭をひねっても、まずは北朝鮮とうまく付き合う方法が思いつかないのです。
イランの件は、宗教というものが介在しているので逆にうまく事を運ぶ可能性は残っていると思うのですが……。
基本的に人間同士のトラブルというのは「徹底的に話し合ってほんの少しの接点を見つけて、そこをとっかかりにして解決に向かわせる」というのが基本だと思っているのですけど、あの国の指導的立場にいる人のやっていることややらせていることや考えている(?)ことは、もう、狂っているとしか思えないのです。
だとしたら、なんとかして周りに迷惑をかけないように隔離するか、排除するかしかない、という議論になってくるのもやむを得ないのかな、とも思うのですが、残念ながら世界には国内における「警察」の存在が無いわけで、国家指導者が犯罪のような行為を犯しても誰にも強制的に隔離や排除をする権限は無いわけです。
国家指導者が国民を使って犯罪的行為を行った場合は、歴史の上では戦争によって排除されてきたわけですけど、今回はそれをやったらおそらくマインドコントロールされてしまっている一般の人たちがあまりにもかわいそうだと思うのです。
今までは、大国がその犯罪的な行為を行っている国の内部の反対勢力にお金を出してクーデターを起こさせて内乱という形でうまいことやっちゃうことに成功した、なんていう例もありますが、今回はそれさえもかなわないような状況にあるわけですし、おそらく、世界は今、未曾有の八方塞がり状態に陥っているように思えるのです。
これだけテクノロジーが発達した世の中で、人類の英知をもってしても解決できないのが、まさに「人」ひとりの行い、という現実。
これが、実は国内でも起きてきている様々な不可解で不愉快な事件にも繋がるものがあって、いじめや、児童虐待や、政治家の汚職、などなど、「ダメに決まってること」をやっちゃう人たちというのが、全く後を絶たない、ということからしても、何かがこのままじゃいかん、ということなのだと思うのです。
じゃぁ、その「何か」っていうのが何なのか。
もちろんそれは「人が人を思いやる気持ち」を、政治や宗教を抜きにしていかに世界中に醸成していくのか、という理想論を言えばおしまいになってしまうわけですが、1万人に1人くらいのペースで存在する「ダメに決まってることを平気でやれてしまう人」に、それをどう届かせるのか、という具体的な方法が、全く思い浮かばないのです。
そこがわかればきっと世界はとても良くなると思うのですが。
たとえば、運転免許。
免停になると「運転適性検査」というのをやらされて、その人の性格のどん
なところが自動車の運転に向いていないのか、ということを指摘されるのですが、ものすごく運転に向いていない、ということがあからさまな人でも、その場で指摘されるだけでそのまま再び運転免許を手にすることができてしまうのです。
残念ながら、それが法治国家。
そういう運転手が、再び運転をして、また事故を起こしたら、また免停にしてもう一度講習を受けさせて、ということを繰り返していくわけです。
しかし、そういう人には運転させない世の中にしたとしたら、これはこれでものすごく息苦しい国になってしまいますし、そういう人たちを管理していくのにこれまた膨大な税金を使わなければならなくなってしまうわけです。
……と、そんなふうに堂々巡りをしてしまい、僕はスランプに陥ってしまっている、というわけです。
あぁ、『少年ラヂオ』はこんなに面白い芝居なのに、それを作ってる僕がこんなにつまらないことになってるなんて……。
そんなわけで、是非劇場に「スランプ加藤」を見に来てくださいっ!!(←遠大な宣伝だったのかっ?!)
2006.10.30 掲載
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