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第66回 こどもの才能
今、キャラメルボックスは『雨と夢のあとに』という作品を上演しています。
この作品の主役・雨を演じているのは、小学校6年生の女優・福田麻由子さん。「ちゃん」じゃなくてあえて「さん」と呼ぶのは、彼女が12歳にして、プロの女優だからです。
この作品で麻由子ちゃん(←実は普段はこう呼んでいるのです)をゲストで呼ぼう、ということになったのは、テレビ版の『雨と夢のあとに』をやった時のテレビ朝日のプロデューサーの方に薦められてお会いしてみたのがキッカケでした。
正直なところ、「子役」に対する僕のイメージは、かなり固定したものがありました。しかし、実際に会ってみた麻由子ちゃんは、「子役」ではなくてもう「女優」そのもの。大人が喜びそうなことを言ったりしたりしたら、もう、その場で断ろうと思って最初の顔合わせに臨んでいたのですが、とんでもない、そこには毅然と自分の意志でこのプロジェクトに参加しようとしている一人のプロフェッショナルがいたのです。
……と、カッコよく語ってはいますが、しかし、出演していただくことが決まってからもまだまだ心配はありました。心配、というか、根本的に「麻由子ちゃんだけはピンマイクを付けて出ることになる」と、決めてかかっていました。
というのは、舞台俳優というのは、身体が楽器のようなものです。つまり、身体が小さい、ということは発することができる音も小さいわけです。なので、テレビや映画でどんなにキャリアを積んできたとは言っても、舞台は全くの初体験。だから、800人とか1000人とかが入ることができる劇場の一番後ろの席まで届かせることができる声を獲得することなど、もう、100%不可能なことである、と、僕は考えました。
というか、それがあたりまえであって、だからこそ芸能人が出演するお芝居はほとんどがマイクを使っているわけで、それが常識なのです。
案の定、稽古開始の日の読み合わせでは、マイクに向かって喋るようなぼそぼそとした声で、麻由子ちゃんはしゃべっていました。うんうん、だろうな、しょうがないしょうがない。僕は、音響の早川さんに、どのようなプランでマイクを使うか、という相談をし始めました。
ところが、稽古が始まって2週目くらいに、演出家の成井豊が僕に言いました。「マイク、いらなくなるかも」。
「は?」と、聞き返しました。
だって、そんなこと、あるはずがないからです。
が、成井は「いや、だんだん声が出るようになってきちゃったんだよ。まぁ、まだまだだけどね」と言うのです。
言っておきますが、成井は、僕以上に、というか僕の数百倍演劇には厳しい人です。それは、ウチの劇団員に聞いていただければ全員が全員、どんなに厳しい人かを何時間でも語ってくれることと思います。
が、そんな成井が言うのですから、これはもうほとんど大丈夫、ということに近い状態であることが想像できました。
そして迎えた、通し稽古。
僕はキャラメルボックスでは音楽監督をしておりますので、稽古場にはほとんど行かれずに音楽スタジオにこもってオリジナル曲のレコーディングに立ち会っていて、読み合わせ以来、通し稽古で初めてみんなが立って動いている姿を目にしたのです。
……愕然としました。
麻由子ちゃんが、他の5年も10年もやっている舞台俳優達となんら遜色ないほどの溌剌とした動きで、全身から溢れるような響き渡る声で走り回っていた
のです。
なんと、彼女は0パーセントの可能性を克服してしまったのです。
2回目、3回目の通し稽古では、ついにその大きな声の台詞に表情がつき始めました。
劇場に入って最初の「場当たり」という名前のテクニカルリハーサルでは、あまりにも声が大きすぎて成井から「そんなに出さなくていいから」というダメ出しが出てしまいました。
そして、「ゲネプロ」という名前の最終舞台リハーサルでは、劇場中を震わせるような声で2時間の舞台をやり遂げてしまいました。
しかも、驚くべきは、初日が開いて、2日目。なんと、台詞に抑揚を付け始めたのです。そのうえ3日目、音量を出さない台詞を作り始めたのです。
僕だって、一応、21年も劇団をやってきていますし、その前の学生時代にもやっていましたから、何百人という「役者」を見てきました。しかし、こんな人は、初めて見ました。そして、こんな奇跡は、初めて体験しました。
つまり、麻由子ちゃんは、「天才」なのです。
演劇漫画『ガラスの仮面』の主人公・北島マヤを、しなやかに超える、あくまでも等身大な、「好きだからやる」と言い切ることが出来て、学校の友達と遊ぶ時間が少ないということ以外には辛そうなことなど何も無い、まさに「役者」をやるためにこの世に産まれてきた存在。
初日から、今日でほぼ3週間が過ぎました。
「子役が主役なんて……でもまぁ、キャラメルボックスがやるっていうんなら、一応見ておくか」と、ちょっと引き気味で観に来たお客さんが、ボロボロに泣かされて帰りがけに次の週のチケットを予約して帰って行く、という姿を何度も目にしました。
本当に、こういうことが、世の中にはあるのですね……。
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と、前置きが長くなりました(←前置きだったんかいっ!!)。
僕は、高学歴で教育熱心な両親に育てられ、小学校が国立の附属、4年生か
ら学習塾に通って中学受験をして、偏差値の高い私立男子校に入学。しかし、高校でちょっとグレて、3年生で公立高校に転校。1年間浪人して早稲田大学の教育学部にひっかりました。ちなみに、慶応と明治の文学部には落ちています。
結局、大学に入って成井豊の作品に出会うまで、自分が何に向いているのか、何が得意なのか、それ以前に何が好きなのか、全くわからずに生きてきました。
しかし、2歳下の弟は、小学校時代からほとんど勉強なんかしなくても成績はトップ。高校1年の段階で大学受験の基本的な問題はほぼ満点で、結局ほとんど予備校も行かずに学校の勉強だけをしていて、現役で東京大学理科三類に合格。そのまま医者になって、今では世界的な科学者です。
これは、弟に対してのひがみでもなんでもなく、世の中には「天才」という存在が必ずいるのです。
そしてまた、もしかすると、人は一人一人、何かの天才であるのかもしれません。
「なんのとりえもない」ことが、その人のとりえである可能性もあります。
たとえば、僕の小学校4年生の長男に「麻由子ちゃんができたんだからおまえもやってみろ」と台詞を覚えさせたりしたら、きっと小学生にしてグレると思います。カレは今、野球に夢中。しかし、不思議な才能があって、テレビを見ていてキャラメルボックスで使った曲が流れると「あ、これ、『ナツヤスミ語辞典』の曲だよね」とか「あ、これ、吉良さん(ZABADAK)だよ」と、僕でさえ言われるまで気がつかないような早い段階で作品のタイトルまで言い当ててしまうのです。きっと、ヤツには、音楽をやる能力じゃなくて、聴く能力があるんです。でも、今は、野球をやって、近所の友達とプールに行って、ゲーセンに行って、それでいいんです。
1年生の二男は、家中の高いところに登ってしまいます。公園の「うんてい」でも、他の子たちは一本一本を握るのですが、カレは2本抜かしでひょいひょいといってしまいます。幼稚園の頃から平気で逆立ちをしてしまい、3つ上のお兄ちゃんとキャッチボールをしても平気でびゅんびゅん投げ返し、幼稚園では走れば短距離も長距離も最速、ドッジボールをすれば最強、という父親からは想像も付かない驚異のスポーツマン。わかりやす才能を持っています。でも、やっぱり今は、野球をやって、体操教室にも行きながら、おかあさんに甘えてごろごろしてたり、近所の友達とテレビゲームをやって、おにいちゃんとケンカして、それでいいんです。
僕は、変に「エリートコース」のような道を歩まされたせいで、自分のやりたいことやできることに気づくのが遅れてしまいました。いまだに、「サインコサインタンジェント」も、「水兵リーベー僕の船、な〜に間があるシップスクラークか、スコッチ暴露マン」も、僕の今までの人生で使ったことがありませんから。
「子育てマニュアル」「お受験雑誌」みたいなものが、とっても流行っているようです。でも、さんざん受験を経てきた僕は今、自分のこどもたちに、あくまでも普通に、伸びゆくままに伸びるところをちょっと背中を押してあげる程度のことだけをしてあげるようにしています。
もちろん、ぐうたらなところも、整理整頓が苦手なところも、寝るのが好きなところも、すっかり僕に似ていますので、そういうところは一緒に直していく努力はしています。
だから、小さいこどもを持つ親の皆さん。
自分ができなかった夢を託したり、自分ができたことは子供にもできるはずだ、と過信するのはやめてあげましょう。
自分と似ているところはたくさんあっても、こどもはこども。
きっと、自分とは全く違ったとんでもない才能を秘めているのかもしれないのです。それに気づいてあげるのが、親がする仕事なんじゃないかと思うのです。
2006.8.10 掲載
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