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第63回 勇気を持ってテレビの電源を切ろう
そもそもこの原稿を書こうと思ったキッカケは、子供を狙った犯罪や逆に少年による犯罪、そしてそれらとはまったく次元の違った下世話な軽犯罪である盗撮事件が「増えている」かのように思ったからなのです。
ところが、ちょいと調べてみたところ事件の件数が増えているのではなく、こういった犯罪の「報道」が増えている、だけだった、ということなのです。
そもそも新聞にしろテレビにしろ、「買ってもらって(見てもらって)なんぼ」という「商売」なわけです。この「報道も商売である」ことを理解してマスコミとつきあえている人って、どれだけいるのでしょうか。
つまり、商売ですから、読者や視聴者に喜んでもらえる情報を優先して見せるということに対して、「報道が偏っている」と憤るのは逆に間違っているというわけです。
それにしても、です。
子供を狙った犯罪について、やたらと事細かに背景や犯人の人物像や事件の異常性を伝えていくのはやめていただきたいと思うのです。
そしてまた、少年による犯罪に関しても「少年のくせにこんなに異常なことをしやがって、とんでもねぇ」という前提での伝え方もやめていただきたい。
そして、盗撮事件に関しても、「こんな仕事のヤツ(公務員とかアナウンサーとか)がこんなくだらねぇことをしやがった。非常識にもほどがある」っていう伝え方もやめていただきたい。
要するに、「商売」を前提でやっている「報道機関」のもっているそれぞれの「常識」に照らして間違っていると思われることを「非人間的だ」と徹底糾弾することは、飲み屋の話題だけにしておいてほしい、ということです。日テレの若手アナウンサーが盗撮をした、っていうニュースを楽しそうに報道している他の局のみなさんは、自分の会社の人間は絶対にそんなことはしない、という自信があってやっているんですかね。明日は我が身でしょうにね。
まぁ、マスコミの常識と、僕らが送っている日常の常識とは、もう明らかにかけ離れてきている、ということにマスコミは気づいていないのではないでしょう。
僕ら一般人は、ケータイやデジタルカメラをどう使うか、って言ったら、風景を撮ったり子供を撮ったり、友達と撮り合いをしたりと、ごく普通にカメラ機能を使っているわけです。しかし、それをたまたまごく一部の異常趣味の人や変態的嗜好を持った人が間違った使い方をしたということを大々的に「こんな変態がいたぞ!」と大々的に人目にさらすことで、カメラを持っている人全体が変態に思われるようになっていってしまう可能性だってあるわけです。いや、その前にデジタルカメラが禁止される可能性だってあるわけです。
そして、登下校時に子供が誘拐されて殺された、しかも自宅から80mの距離を歩く間にさらわれた、なんて事件を事細かに報道することで、では、小学生も幼稚園児みたいに全員をバスで送迎して保護者は必ず迎えに来なければならない、という法律でもできてしまうかもしれません。それがどんどん高年齢化して、高校生まで送迎付きになったりして。
そんなことになったら、保護者の経済的負担が増えたり公立小学校を運営する自治体の負担が増えることで増税、という結果だって招きかねません。
そのうえ、「公園」という存在でさえ危ない、ということになり、日本中の家庭が子供を外に出さなくなり、どんどん運動不足がひどくなっていってしまうではないですか。
また、少年が犯した罪を匿名で報道し続けるうちに、「でも、あんなにひどいことをしたのに、結局は少年なので罰せられませんでした」ということだけが広まり、「人を殺すなら未成年のうちに」と勘違いするヤツが増え、いずれは未成年でも成年と同じ罪を課せられるようになることだってあり得ると思うのです。
つまり。
報道するな、とは申しません。が、その犯罪の規模に応じた取り上げ方をしていただきたい、ということなのです。
特殊な犯罪を、ことさらに取り上げてスクープだ、なんてはしゃがないで、今この国で、この世界で起きている大きな問題や、みんなで考えるべき課題から順番に「報道の優先順位」をみんなで決めて、それらの重要なことを各新聞社や各テレビ局がそれぞれの独自の観点から報道していく、という、あたりまえの「原点」に戻ってみていただけないか、と思うのです。
たとえば北朝鮮という国がマスコミで「北朝鮮(朝鮮民主主義共和国)」と必ずカッコ付きで紹介されていた数年前には、「明らかに拉致の疑いがある」と思われている人のことでさえ、メインのマスコミでは一切報道されていなかったのに、とある雑誌と新聞がこの事件をすっぱ抜いて以来、急速に「北朝鮮」と呼び捨てが始まり、その後どうなってきたかはご存じの通りです。
こんな、国として大切なことを放っておいて芸能人の惚れた腫れたやエリマキ付きのトカゲが二本足で歩いた、なんてことを公共の(?)電波を使って流している状況って、いったいどうだったのでしょうか。
なんらかの事情で見えないフリをしなければならないこともある「マスコミ」という名の「情報提供ビジネス」に利用されてしまう前に、お金を使って見る側が取捨選択をして「利用していく」ということに気を付けなければなりませんね。
そんなわけで、「レポーター」が「潜入」した「現場」の風景を「ナレーター」が「おどろおどろしいBGM」をバックに語った「事件」について、もっともらしく語るその事件の内容とは関係のないジャンルで有名な「コメンテーター」の言葉にうんうん頷いたりするのは、もうやめませんか?!
そして、テレビの電源を、勇気を持って切ってみませんか?
自分の子供に「ゲームは1日30分まで!」と言っているお母さん、自分にも「テレビは、DVDを観るのも含めて1日2時間まで」と決めてあげませんか?
そのかわりにできることは、きっといっぱいあります。
読書とか勉強とかそんな堅苦しい事じゃなくて、たとえば、おさんぽや、目的など決めないで、自転車で「行ったことがない道」を選んで近所を走ってみるとか。そうやって「自分だけが気づいたこと」をひとつひとつ増やしていくことで、きっと、まず自分が今やらなきゃいけないことややりたいことに気づいたりするんじゃないかと思うのです。
そうやって、ひとりひとりが「自分にとって大切なこと」に気づいていくことでしか、この妙にギスギスした世の中を変えていくことはできないのではないでしょうか。
僕ですか?
僕は、テレビは『劇的ビフォーアフター』が終了した後は『巧妙が辻』を中心に、週に数時間しか見ておりません。なにしろ長女がまだ2ヶ月。家にいる間で仕事をしていない時間のほとんどを、こどもと遊ぶことに使っていますのでっ!!
2006.5.22 掲載
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