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第62回  女の子誕生!


 いやーーー、生まれました、3人目。
 なんと3人目のこどもは、女の子。名前は、美羽(みう)。2678gで、いたって健康。生まれて1ヶ月、平均的な赤ちゃんは1日30gずつ増えていくらしい体重が、この子は40gずつ増えている、という超健康優良児の模様です。授乳も、 最初から1回 に100cc飲んでいたのでおかしいなぁ、とは思っていたのですけど。

 3人目が生まれてみて、一番に思ったのは、当然「かわいいっ!!」ということですけど、次に思ったのは「たいへんかもっ?!」ということでした。

 まず、今年小4になる長男の時はなにしろ4200gを越える大型ベビーでしたので、産んだヨメが大変で、産んだあと1ヶ月ぐらいは実家にお邪魔してずっとお世話になってしまっておりました。小1になった二男の時は、さすがに二男だけあってわりとすんなりと生まれて、退院後はすぐに自宅に帰ってきておりました。

 で、何が「たいへん」かというと、授乳ですね。
 もちろん、二男の時もそうだったのですが、生まれて最初の1ヶ月は、だいたい3時間おきに授乳しなければなりません。それだけでおかあさんはへとへとになってしまうわけですが、よく聞くのは「お父さんはお仕事があるから別に寝る」というの。二男の時は、実は、僕も翌日が早いときとか仕事が混んでいるときには別な部屋に寝ていたりしたのですけど、あれから6年経って、ちょっと思い直したことがありました。
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 その6年の間に何があったのかというと、なにしろ上のこどもたちがどんどん大きくなってきた、ということです。つまり、上のこどもたちは小学校に行かせなければなりませんので、なにしろ平日は朝ご飯と夕ご飯は少なくとも食べさせなければなりません。もちろん僕ができるときはするわけですが、基本的にはヨメが台所を仕切っているのであまり手を出しすぎるのもお互いにどうかなぁ、などと思ったりして、基本的には僕がお休みの日や早く帰れる日には僕がごはん担当、という感じになっています。

 二男が生まれる時は、長男がまだ就学前でしたので、あまり時間を気にしないで食事を出してあげることもできましたが、今はそうもいきません。
 なので、上のこどもたちのためにも、ヨメにはがんばってもらわなきゃいけませんから、なんとか、僕もできることを手伝おう、と決意して、赤ちゃんと同じ部屋で寝よう、と決めたのです。
 ヨメは、別な部屋で寝れば、と逆に気を遣ってくれたのですけど、そんなことをしたらなにしろ3人分の子育てに関する負担がすべてヨメに行ってしまいますから、ダメです。

 と言っても、実際に赤ちゃんが生まれてみてわかったのは、赤ちゃんの声がちょっとでもした瞬間に目をさましてすぐにおむつを替えたりミルクを作りに行く、という動きに移ることができるのは、圧倒的にヨメだったのです。
 コレはすごいですよ。
 僕は、情けないことにヨメが起きあがって台所に行ってミルクを作り始めた頃に気がついて、赤ちゃんのところに這っていって抱き上げてよちよちしてあげるくらいのことしかできない、という、90%の確率での負けが続いている状態です。
 やはり、母親の方が赤ちゃんとの間に圧倒的に大きな繋がりがあるのでしょうね。

 でも、夜中の12時、3時、6時、と起きるのは別に良いのですが、なにが「たいへん」かというと、まずは、ちょうど僕の劇団が公演中だった、ということ。公演中、というのは、なにしろ毎日何が起きるかわからない状態で神経が張りつめたまま1日を過ごし、体力も相当消耗する日々を送るわけです。
 ですが、自分で決めてしまったことなのですからしょうがありません。
 仕事も、子育ても、できうる限りのことは全部やる。そう決めて、ヨメの退院した自宅に帰ってきました。

 当初は、なにしろ6年ぶりの赤ちゃん、ということと、はじめての女の子、ということもあって、だっこの仕方からミルクの作り方からさまし方からほ乳瓶の消毒の仕方からおむつの替え方から、もう、何から何まで初心者同様の状態。ですが、ヨメに一つ一つ教わるたびに勘を取り戻してきまして、そのうえに6年前とは明らかに子育てグッズの技術革新が大幅に行われていていろんなことが楽になっておりました。

 細かいことなのですけど、赤ちゃんにミルクを飲ませたあとに縦抱っこをして背中をぽんぽん叩いてゲップを出させる、というのは有名な話ですが、そのゲップを最小限に留める、というか、あんまり赤ちゃんの口の中に空気が入らないようにするほ乳瓶、なんていうのが出ているんですね。
 おむつなんて、おしっこをしたら色が変わるラインがついていたりとか。
 産着にしても、ちょっとした工夫がなされていて、着させやすかったり脱がせやすかったり。
 そんなわけで、「へへん、もうオレっち、2人のこどもを育ててるんだぜぃ」なんていう驕りは、もうどっかにすっとんでしまって、やっぱりゼロからの子育てになってしまっている、というわけでした。

 あっ、そうだ、そのうえに、この6年で僕の家の近辺にベビー用品を扱うお店が増えてきた、というのもうれしいことですね。少子化時代ならではの現象、とも言えるのかもしれません。そしてまた、産婦人科医が不足している時代ならでは、とでも言うのでしょうか。……このへんの話を始めると、また長くなるのでやめときます。

 そして、心配された睡眠不足。
 これはもう、そもそも慢性的なんですけど。
 赤ちゃんが家に来てからも寝ている時間そのものはきちんと3〜6時間はとれているのですけど、いかんせん、それが分断されてしまっているわけで、集中力が続かなくなってしまいますね、さすがに。

 そこでどうしたかというと、夜の睡眠を分断されたのなら昼間の時間帯に昼寝を……というわけではなく、逆に、寝るまでの時間を徹底的に使う、という逆の手段に出たのです。
 つまり、普段から張りつめているわけですが、その普段にも増して、とにかく一日中、何かをし続けているのです。一切の「休憩」を断って、すべての時間を仕事に費やすわけです。まぁ、僕にとっての「仕事」というのは、読者の皆さんやお客さんからしたら遊んでいるようにしか見えないようなことも多々入っているわけですので、そういう部分のことを、合間合間に詰め込んで、とにかく、今までだったら帰宅してからやっていたようなことまで、全部昼間に劇場でやってしまうのです。

 そうして、起きている時間帯をできる限り濃密に使って、深夜の1回目の授乳の時に赤ちゃんといっしょに寝てしまうわけです。
 そうすれば、少なくとも最初の3時間は赤ちゃんといっしょに寝られるわけですし。

 で、3時ぐらいの授乳の時に目が覚めてミルクをあげたりして再び寝かせた後も、こっちも瞬時に深い眠りに入ることができるわけです。
 つまり、自分をくたくたにすることで、眠りに使える時間をすべて有効に使おう、という作戦に出たというわけです。

 これは、けっこう当たりましたね。
 が、ヨメは、その深夜の活動の時には僕以上に仕事があります。つまり、翌朝の上のこどもたちのご飯の準備や、よりにもよって赤ちゃんが生まれたのが3月26日でしたから、長男の進級と二男の進学が重なってしまい、ピアニカを入れる袋を作るだの、持ち物に名前を書くだの、そういうことを毎日毎日し続けていくわけです。で、こういう仕事は、ヨメは絶対に僕にはやらせてくれないのです。なぜなら、テキトーにやっちゃうから。そして、ヨメは血液型がA型で(?)、そーゆーところはきっちりしているから。

 なので、結局今回はヘルパーさんのお世話になりました。
 昼間、ヘルパーさんのいる間がヨメの寝る時間。僕が手伝えるほんの数十分から数時間は、僕が、そして深夜から朝にかけてはヨメが、というふうに、みんなで分担して赤ちゃんの世話をしてきたこの1ヶ月でした。

 がっ!!
 ここで、思わぬ事態がっ!!
 僕とヨメとヘルパーさんで、とにかく24時間赤ちゃんの世話をしているので、ついつい上の二人を信頼しきってしまっていたのです。
 いえ、もちろん、上の二人(通称・お兄ちゃんズ)は、なにかといろんなことに気づいて手伝ってくれて、自分でできることはどんどん自分でやってくれて、特に長男はもともと次男の面倒を本当によく見てくれていたのです。
 しかし、そこはそれ、こどもってやっぱり、「注意が自分に向いていない」とわかった途端に、することは一つです。「ダメって言われていたことをこっそりやる」です。

 まず、就寝時間後に、布団の中でニンテンドーDSをやっていたのが発覚。ヨメに取上げられて、今、僕のモノになっています。
 次に、昼間に彼らの面倒を見ているのがヘルパーさん、ということで、うまいことだまくらかして「遊びに行く前に宿題」という約束を守らずに、宿題をやらずに友達と遊びに行き、門限の5時が過ぎても帰宅せず、しかも、自分で言い出して始めた習い事である火曜日の合気道まで「え?木曜日でもいいんだよ」とウソをついてサボるところまでいってしまったのでした。

 この件が発覚したのが水曜日の朝、僕がヘルパーさんに引き継ぎをするとき。
 もちろん、木曜日にも合気道教室があったのは事実なのですが、実は木曜日は、長男自身が、学校が6時間あるうえに部活があり、そのうえに「公文式」の教室にも、これまた自分で言い出して通っていたのでした。だから、3時半から6時までの間に3つの予定がひしめく、という超多忙なスケジュールになってしまい、当然のようにどれもこれもボロボロ、という最悪の事態になることは必至だったのです。

 でも、ここでどれか一つでも休ませてしまってはいかん、と、仕事先からヨメとヘルパーさんに指示を出しました。とにかく、水曜日のうちに公文式の宿題を全部終わらせるように、と。
 ところが水曜日に僕が深夜に帰宅してみると、なんと宿題が終わっていなかったのです!!

 そこで、木曜日の朝、本来なら僕は9時頃までは寝ているのですけど、7時前に起きて長男をたたき起こし、残りの宿題をやらせました。僕の見張り付きで。そして、遅刻ギリギリで完成させて学校に行かせて、再びヘルパーさんに申し送り。部活の後、すぐに公文式、帰ってきたら、どんなに遅れても、本人たちがどんなに嫌がってもかまわないから合気道に連れて行って欲しい、と。

 小学生にとって、遅刻するのがわかっていて行かなければならないのは、これは辛いことです。僕がそうでしたから、きっと彼らもそうに決まってます。
 でも、自分で蒔いた種でそういうことになってしまったのですから、これはもう、どんなに恥ずかしくても辛くても、頭を下げてでも行かなければならないのです。この辛さを、ちゃんと味あわなければ、これから先もいつでも逃げればなんとかなる、と思ってしまうことになります。

 この木曜日は、学校からの帰宅予定時間、合気道からの帰宅予定時間、と、次々と家に電話を入れて、現状を把握。ちゃんと全部行ったということを確認しました。遅刻して合気道に行くのはそうとう嫌がったようですが、最終的にはちゃんと行き、途中から稽古に励んでいたそうです。

 話が長くなりましたが、実は、何が「たいへん」かというと、このように、上のこどもたちのメンタル・ケアが、もっとも「たいへん」だったのでした。

 おとうさんやおかあさんの愛を赤ちゃんが一手に受けられてしまっている、と思いこんでしまう、上のこどもたち。仕事と赤ちゃんのお世話に加えてやるには、「たいへん」な気がしてしまっていたのでした。

 しかし。僕は、長男と正座して向かい合って話し合いました。
 「おとうさんは、おかあさんとこういち(長男)としんしん(二男)とみうたん(長女)を守らなきゃいけない。おかあさんは、おとうさんとこういちとしんしんとみうたんのお世話をしなきゃいけない。こういちは、今まで、たっぷりしんしんのお世話をしてきてくれて、しかもおかあさんのお手伝いをいっぱいやってきてくれて、おとうさんもおかあさんもとっても助かってきた。でもね、おとうさんやおかあさんの目が、こういちからちょっと離れてしまったと思っていろいろとウソをついたりずるいことをしたりしてるのかもしれないけど、そういうことは、全部わかっちゃうんだからね。なぜかというと、みうたんがどんな泣き方をするかで、おむつなのか、ミルクなのか、だっこなのか、わかるでしょ、おとうさんは。こういちのことも、その頃からずーっと見てきてるんだよ。だから、ちょっとでもウソをついたり約束を破ったことをバレないと思って黙っていたりしたら、すぐにわかっちゃうの。わかってるけど、こういちはもう、しんしんとみうたんと、二人のお世話をしなきゃいけなくなっているんだから、自分で気がついてくれると思って、今日まで言わないで来たの。こういち、頼む、おとうさんやおかあさんといっしょに、しんしんとみうたんのお世話や、おうちのことを、自分で思いついてちゃんとやっていこうよ」

 こういちは、目から涙をボトボト落としながら、歯を食いしばって僕の話を聞いてくれました。悔しいやら、我ながら情けないことをしてしまったという恥ずかしさやら、いろんな思いを話してくれました。
 でも、自分がどんなに頼りにされているのか、ということを、やっと言葉で知らされたからなのでしょう、ひっくひっくすすり上げながら、寝床に入りました。

 そんなことがあった直後の、公演の休演日。
 僕は、お兄ちゃんズを連れて近所のバッティングセンターに行きました。
 長男は2年生から、すでに2年間野球をやっているのです。そして、今年小学校に入学した二男も、おにいちゃんを追って野球部へ。
 バッティングセンターでは、僕と三人で交代しながら、球速90キロのボールを何十球と打ち続けました。僕だって、3球に1球ぐらいしか当たらないのに、こういちは5球に1球、しんしんは8球に1球ぐらいのペースでぱこんぱこん当てていきます。
 しかし、10数年ぶりに振ったバット。すいすい僕のバットをすり抜けていくボール。く・くやしーーーーっ!!絶対、僕もうまくなってやるぅぅぅっ!!…… と決意して、バッティングセンターをあとにしました。

 帰りがけに「おとーさーん、毎日来ようねっ!!」と大興奮しながら、へとへとになっていたのか、車の中でうとうとしてしまった二男。
 「僕、もっとうまくなりたいよ」と、ウチの劇団員でベイスターズの三浦大輔投手の弟でもある三浦剛に教わった「バットを持たない素振り」を、隙あらば続けている長男。

 なんてことはない、「たいへん」を克服しちゃうコツは、いっしょに楽しんじゃうこと、だったのですね。

2006.4.30 掲載

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