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第49回 福澤一座withCARAMELBOX
今、サンシャイン劇場で「日本テレビプロデュース 福澤一座withCARAMELBOX『Dr.TV 汐留テレビ緊急救命室』」の公演中です。
僕の目の前で、あの「ジャストミート!! 」「ファイヤー!! 」というプロレスや高校生クイズでの絶叫でおなじみ・福澤朗さん、『汐留スタイル』の古市幸子さんや森圭介さん、プロレスファンや箱根駅伝ファンはよーくご存じの菅谷大介さんなどなど、そうそうたる日本テレビのアナウンサーの皆さんとウチのメンバーが「演劇」をやっているのです。
演出は、キャラメルボックスの成井豊。
なんで日本テレビのアナウンサーさんたちと僕たちが芝居を創っているのか、謎に思っていらっしゃる方もいらっしゃるのではないでしょうか。
ことによっちゃぁ、「劇団まるごとテレビに魂を売ったんじゃないの?」とか「よっぽどカネをもらってるんじゃないの?」とか、悪い方に考えてる方もいらっしゃったりして?!(←いないでしょー。)
先に申し上げますと、正直言って劇団としてはやらない方が楽ですね(きっぱり)。
だって、ただでさえ稽古期間1ヶ月、公演期間2ヶ月という公演を年間4回やっているキャラメルボックスですから(かけ算してみてくださいねぇ〜)、そこに1本公演を加えたらどんなことになるのか。そうです、全てのキャラメルボックスの公演の音楽を担当し、興行に責任を持つ僕と制作会社ネビュラプロジェクト、そして作品の質に責任を持つ成井豊は、当然何らかの公演と並行してやらなければなりませんし、あるはずだったお休みもなくなるわけです。
現に、『Dr.TV』の本番が始まろうとしていた追い込みの通し稽古の頃から、キャラメルボックスの次回公演『TRUTH』の稽古が始まり、僕はその芝居のためのレコーディングが始まりました。つまり、『Dr.TV』と『TRUTH』は、僕にとっては完全に並行作業状態。一時は、『Dr.TV』の前説もできないのではないか、と不安になっていたくらいです。が、なんとか、『Dr.TV』をやった後にスタジオに行く、という強行スケジュールで乗り切っております。
なおかつ、準備期間はいつも通り1ヶ月以上かけているわけですが、本番は1週間。動員数も5000人。通常のキャラメルボックス公演の8分の1です。つまり、チケット収入も8分の1強(チケット代がちょっと高いので)。だから、製作にかけられる予算も8分の1。その中から支払われるウチの会社への製作協力費も、その中の一部。だから、金銭的にも実はちっともいいことはないわけです!!
……意外でしょ?
では、なんでやってるのか。
僕らと福澤朗さんとの出会いは、20年以上前に遡ります。
福澤さんは、早稲田大学第一文学部在籍中に「演劇集団円」の養成所に入っていらっしゃいました。その時、実はその後キャラメルボックスの劇団員になる大森美紀子が同期生だったのです。
そんなわけで、僕らは円の卒業公演で福澤さんに出会っていたわけです。当然、当時はその後アナウンサーになろうとは想像だにしていませんでしたが。
その後、彼は日本テレビに就職。独特のテンションの中継や司会で、どんどん人気がアップしていきました。
でも、そんな中、大森との縁もあって、キャラメルボックスのほとんどの芝居を欠かさずに観に来てくれていました。見に来ると必ず楽屋に遊びに来てくれて、プロレスファンの成井豊や役者の岡田達也と世間話をしたり飲みに行ったりいました。
実は僕の結婚式の司会も、福澤さんにお願いして盛り上げていただいてしまいましたし。
そんな福澤さんから、突然電話があったのは2002年のこと。
「加藤さん、実は、アナウンサーの中で同志を集めて劇団を作ろうと思うんです。ですが、僕らには演劇を作るノウハウが無い。是非、協力していただけないでしょうか」と。
福澤さんに物事を頼まれて断れる僕ではありません。なんたって、結婚式の司会をしていただいたときに、「お車代」を渡そうとしたら頑として受け取ってくださらなかったという苦い経験があったからです(←苦い?!)。
が、僕一人では何もできません。そこでみんなに相談してみたところ、演出の成井豊をはじめとして、みんながやはり「福澤さんに物事を頼まれたら断れないでしょう?!」。
なにしろ、レギュラー番組を大量に抱えている福澤さん。そんな福澤さんから「芝居がやりたい」と言われて、「大変だから」なんていう言い訳は通用しない、と思ったのです。
かつて、キャラメルボックスでは劇団ショーマ、惑星ピスタチオ、TEAM 発砲・B・ZINといった劇団とタッグを組んで「アナザーフェイス」という番外公演をやっていたことがありました。これは、僕が1991年に最初で最後の「プロデュース公演」をやってみて、「こんなに評判もいいし、チームワークも良くて楽しすぎるのに、公演が終わったらその瞬間に解散」っていう感じが本当に辛かったことから、「だったら、劇団がゲストを呼ぶ、というだけではなくて劇団と劇団がアイディアを出し合って全く別な文化を創る」ということをやってみたら、それはきっと未来志向のプロデュース公演になるのではないかな、と思ったのです。
結果、僕らにとっても全く新しいことができましたし、組んだ劇団にとっても観に来てくださったお客さんにとっても、異種格闘技戦のような感じで楽しんでもらえたのではないかと思います。
で、そんな経験がある僕らでしたので、福澤さんからの申し出を躊躇することなく快諾させていただきました。
しかしこれは、他劇団と組むよりも遙かに異種な組み合わせです。
「言葉を操る」という意味では、舞台役者とアナウンサーは似ているようですが、実は全く違いますから。
TV局のアナウンサーの舞台、というと、よくあるのが「朗読劇」。つまり、身体表現の伴わない劇ですね。
しかし、僕も小学校から大学まで放送部にいたのでなんとなくわかるのですが、アナウンスや朗読というものをずっとやっているとどうしても「本当にこれでいいんだろうか?」という疑問を持ってしまうのではないかと思うのです。
本来、言葉というのは人間が生活しながら生み出しているもので、じっと机に向かって語るものではありません。なおかつ、感情を動かさないように原稿を正確に読み上げ、内容を的確に伝える、という作業は非常にストレスが溜まるものなのではないかとおもうのです。
そんな中、福澤さんは自分で言葉を生み出し、絞り出して、手書きの台本を書き上げました。
キャラメルボックスの作・演出の成井豊と毎日のようにメールでやりとりをし、成井から全面書き直しや根本的な修正提案を受けたりしながら書き上げたのが昨年の旗揚げ公演『進め!ニホンゴ警備隊』でした。
時間は前後しますが、福澤一座旗揚げを画策した福澤さんと馬場典子アナウンサーは、なんとこの「福澤一座withCARAMELBOX」の公演の企画書を、日本テレビ開局50周年のイベントの一つとして会社に提出してしまいました。
本当に薄い、A4の用紙数枚の企画書でした。
しかし、それは福澤さんの手書きの、熱のこもった書類でした。
それがなんと日本テレビをあげての企画として、正式に決定してしまったのです。
そこには、やはり福澤さんの人柄が大きく関係していたと思います。TV局でイベントを行う部署である「事業局」のエライ方々がわざわざキャラメルボックス事務所に足を運び、「なにとぞよろしく」と頭を下げていってくださったのです。
僕らはもうすでに福澤さんに頼まれた時点でやる気満々だったので特に感慨はなかったのですが、正式に事業局が立ち上がってきた時点で、実は当初は小劇場でこぢんまりとやるという話もあったこの企画が、「ちゃんと採算を取る演劇公演」になってしまったのです。
しかし、日本テレビさんは、イベントとしての演劇を手伝ったことはあっても、自社の社員たちが創る芝居を自分たちでゼロから制作した、なんていう経験は当然無かったのです。
そこで、具体的な演劇の製作と現場のチケット販売などの制作の部分はキャラメルボックスの製作の担当をしているネビュラプロジェクトが行い、お金を集めてくるのとマスコミでの宣伝を日本テレビ事業局が行う、という役割分担をして、基本的にはキャラメルボックスの公演と同じやり方で本格的に、本気で、「ペイできる公演」を目指して企画は動き始めてしまったのです。
ただ、この公演がキャラメルボックスの公演と大きく違うところは、同じ「主催◆日本テレビ」でも、僕らの公演が「名義主催」であるのに対してこの福澤一座は「本当に主催」ということ。
「名義主催」とは何かというと、上演団体がTV局にかなりなお金を払って「主催◆日本テレビ」という「名義」をもらうかわりに、その媒体を使って宣伝をしていただく、というもの。まぁ、僕らが2003年から「主催◆日本テレビ」でやりはじめたのは、この福澤一座の公演で「with」とつく劇団として、早くから密接な関係を世間にお見せしておいた方がいいだろうなぁ、という判断からなのです。なにしろ、それまでは「主催◆フジテレビ」でしたから……。あ、実は、フジテレビの事業局の筒井桜子さんとも、古いお付き合いなんですけどね。
で、キャラメルボックスの公演の場合は全ての会計をネビュラプロジェクトで行って、その中から日本テレビに「名義料」をお支払いする、というだけの関係。もちろん、CMを作って流していただくときに、日テレのアナウンサーさん(最初のCMは福澤さんご本人)にナレーションを入れて頂いたり、ということもやったりしましたが。
しかし、福澤一座の場合は、スタッフの手配やチケットの手配など、演劇を作っていくために必要なことを全部ネビュラプロジェクトがやり、最終的にその仕事分の必要経費と「製作協力費」を日テレさんからいただく、というもの。世間の商業演劇と言われているものにおける劇場の役割を日テレさんが、「東宝」とか「松竹」とかの役割をネビュラプロジェクトが、それぞれ担当した、というわけです。
つまり、芝居を創る上でも異種格闘技戦でしたが、製作上もそうだった、というわけです。
ここまでTV局の方とみっちり打ち合わせをして、当日の運営もいっしょにやった、ということは、今までありませんでした。
向こうは向こうで、いつもだったらいわゆる「イベンター」にお任せだったところを自分たちでやらなきゃならなかったり、こっちはこっちでいつもだったらイケイケのどんぶり勘定で(いい言葉を使えば経験則で)進めていたものを一つ一つ見積もりを出して経費の計算をしながらすり合わせをしてやっていかなければならなかったりして、それはそれは面倒くさい、もとい、勉強になることばかりでした。
でも、イベントも演劇も、基本的にはやることはいっしょ。違うのは、お客さんの参加意識と、お客さんとの接し方だけです。……実は僕らにとって最も重要な部分がここなわけですけど。
ここまで福澤さんが本気なら、僕らも本気でやらねばならない。キャラメルボックスでやっていることは、基本的には福澤一座でもやる。そうして、福澤さんの熱をお客さんに伝染させていかなければならない。それが、僕らの仕事でした。
で、僕としては当然、音楽もキャラメルボックス同様に全曲オリジナルでいかなければなりません。そこまでやらなければ、福澤さんの熱はお客さんに伝わらない、と思ったのです。そこで、日本テレビ事業局は動きました。ちゃんと、系列のレコード会社・バップさんを連れてきて、CDとDVDを出すかわりに音楽予算を引っ張り出してくれたのです。
そうなんです、なにしろキャラメルボックスの8分の1の観客動員数ですから、普通にサウンドトラックを作れるような予算は公演費の中には無かったのです。
そこで、「少しでも売れるサントラ」を考えればいいようなものなのですが、そこはパップさんの考えること。僕ら音楽チームは、とにかく福澤さんの希望しているものを超えるような楽曲をガンガン作っていくことに集中しました。
こうして、徐々にキャラメルボックスを取り巻く人たちが、僕らが本気で福澤一座に関わっていこうとしていることを理解し始めてくれました。
しかも、それがちっとも「カネ」には繋がらないであろうことも……!!
劇団を20年やってきて、たいていのキツイことはやってしまいました。
なにしろ、東北新幹線の中で芝居をやり、東北の温泉のホテルの宴会場でその続きをやり、翌日岩手県の公会堂でエンディングをやり、その後の帰りの新幹線の中でカーテンコールをやる、という一泊二日の特大実験演劇「シアターエクスプレス」をやってしまった僕らです。
そういった意味での「刺激」は、もう怖くなくなってしまっているのです。
今、何が最も欲しいか、というと「出会い」。
僕らをもっともっと変えてくれる人、集団との出会いです。
「演劇」というフィールドで、今までの人たちがやっていなくて僕らができそうなことは、たいていやってしまってきた、これ以上デカイ劇場でやったって、それは今までの演劇と変わらないじゃないか、じゃぁどうする、というのが、シアターエクスプレス後のキャラメルボックスの課題だったような気がします。
劇作としては、テレビ界の一流アナウンサー・福澤朗さんとのコラボレーション。製作としては、数々の特大イベントを手がけてきた日本テレビ事業局との共同戦線。
なにしろ、稽古が行われるのはいつもの劇団の稽古場ではなく、「入構証」を首から提げていないと入ることができない日本テレビ社屋の中のリハーサル室。
そこらへんを芸能人が歩いている、TV局内です。
そして、いっしょに芝居をする相手は、へたすると何千人、何万人に一人の確率で入社してきたエリート社員とも言えるアナウンサーさんたち。
めちゃめちゃ現実感が無いのですが、僕らに「やろう」と声をかけてきてくれたのは、まさにそんなエリート社員の中でもトップクラスの福澤さん。もう、何が起きようと、福澤さんだけを信じて僕らは突っ走っていくしかありませんでした。
そして迎えた第一回公演『進め!ニホンゴ警備隊』初日。
なにしろ演出がキャラメルボックスの成井豊でしたから、開場時間の前にはウチと同じように舞台上で「気合い入れ」が行われました。
演出家の訓辞が終わった後、爆音で音楽がかかり、舞台上に集まった出演者たちが円陣を組んで、その真ん中で福澤さんがみんなに何かを絶叫して伝えています。そして、全員が「おーっ!!
」と叫びました。
輪がほどけると、なんと円陣の中にいたメンバーたちの眼に光るモノが。キャラメルボックスの小川江利子などは、顔をぐしゃぐしゃにして泣いていました。
結局その後も、福澤さんがどんなことをみんなに伝えたのか、小川は教えてくれませんでしたが、その「気合い入れ」でみんなの気持ちが一つに凝縮されたことは間違いありません。
そこには確かに、「演劇素人を含む寄せ集め集団」ではなく、福澤朗という火の玉を中心に渦を巻く「劇団」の姿がありました。
……と、そんな感動の初日までを見届けた僕は、初日乾杯直後に発熱。翌朝病院に行くと、なんとインフルエンザであることが判明っ!! そのまま福澤一座の前説を休まざるを得ない羽
目になってしまったのです……。
次に行かれたのが、千秋楽前日、そして千秋楽。
僕のかわりに前説をやっていたのは、演出の成井豊。最後まで成井がやりとげ、公演は終わりました。
打ち上げでは、福澤さんをはじめ、出演したアナウンサーの皆さんが涙のスピーチ。
参加した役者、スタッフ一同が「こんなに最高な打ち上げは滅多にない! 」と感動しまくるという、前代未聞の事態になりました。
その場で福澤さんは「よく、TV局の番組の打ち上げでは、“またこのメンバーでやりましょう!”という挨拶がありますが、実際に“そのメンバー”でまた番組が作られる事なんてほとんどありません。しかし、私は約束します。またこのメンバーで、来年、芝居をやりましょう!!
」と宣言したのです。
僕が理性的な経営者だったら、こんなに手間ばかり多くて、手間が多いだけではなくて逆に身を削らなければならなくて、しかもちっともお金にはならない「頼まれ公演」なんていう仕事を、受けてはいけないのです。
この公演をやるメリットというものがあるとすれば、「テレビの人と仲良くなれる」というくらい。はるかにデメリットの方が多いはずです。
しかし、それを上回るのが「福澤さんへの愛」。正確に言えば、「福澤さんの愛に報いる気持ち」。
そして、第二回公演『Dr.TV』にも、僕らは全面的にどっぷりと関わってしまったのです。
毎日、カーテンコールで挨拶する福澤さんは、「キャラメルボックスの皆さんの全面的なご協力がなければ実現しませんでした」という言葉を使ってくださいます。そして、出演したキャラメルボックスのメンバーの一人一人を、愛を込めたキャッチフレーズ付きで紹介してくださいます。
福澤さんにキャッチフレーズを付けてもらえるなんて、一生の宝物です。
一人の男のために後先を考えずに全力を注いでしまう、というそんな劇団があってもいいじゃないですか。それよりも、何十人という人間が所属している劇団を全力で動かしてしまうことができた一人の男と出会い、一つ上の世界を垣間見ることができたということが、きっと僕らにとって一生の宝物なのですから。
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