第43回 小さな「交通事故」
今日、運転していた時と歩いていたとき、二度も「交通事故」に遭いました。
まず。車で、とある駐車場から歩道を通り過ぎて車道に出ようとしていたとき、歩道の手前で頭が歩道に出ないようにして止まって、車の流れを見ていました。 歩道は自転車が猛スピードで突進してくることがあるので、最高に気を付けなければいけないポイントなのです。
で、左に出るわけですので、右側から来る車をじーっと見ていたら、視界の左側に人が見えました。当然僕の車は止まってますし、 駐車場の敷地内にいるわけですから、完全に安全な状態です。
が、次の瞬間、「ぼこっ」という音がして、目の前で自転車が横転したのが見えました。外に出てみると、僕の車の前で中年の女性が自転車ごと転んでいたのです。
そこで、「だいじょうぶですかっ?!」と声をかけたら、「なによ、まったくもうっ
!」と物凄い剣幕で、こっちを見ないで怒っています。で、思わず「すみません、お怪我はありませんか?」と声をかけてしまいました。すると、「なんなのよっ? いいかげんにしてよっ!」と、叫びながら立ち上がり、自転車を立てて、突然またがって行ってしまいました。
あーよかった、とほっとした次の瞬間、ちょっと待て、そっちが謝る方だったん じゃないの?!という思いがもたげてきました。
人間、年を重ねると「謝る」とか「認める」ってことができなくなるんですかね。
よく、電車の中で普通に携帯で会話してるのは50代ぐらいの「元・企業戦士」とか「元・全共闘」みたいな人たちですから、 人間、ある時期から、他人がどう感じているのか、なんてどうでもよくなるんでしょうかね。
自分が大人になったら絶対にしたくなかったこと
昨日、長男のこういちと話をしていて思い出したのですけど、僕は子供の頃に、大人に言われたりされたりしたことでイヤだったことがあった時、 「僕が大人になったら絶対にしないぞ。だからこれは絶対に覚えていよう」と思っていたことがいっぱいありました。
その一番いい例が「宿題やった?」と毎日聞かれること。
やってないときは「あ、しまった」と思いますが、 ちゃんとやった後に「どうせやってないんでしょ」という裏の気持ちが込められたその言葉を聞くたびに殺意さえ覚えたものです。
で、こういちと話し合いをしました。
「お父さんやお母さんに『宿題やった?』って言われるの、イヤでしょ?」
「うん。」
「じゃぁ、どうしたらお父さんたちに言われないで自分でできるか考えよう。」
「あのさぁ、こうちゃんさぁ、ちゃんとやればいいんじゃない?」
「そうだよ、だって、宿題を忘れて、一番いやなのはこうちゃんでしょ?お父さんたちは、こうちゃんが宿題を忘れたって困らないもん。」
「こーちゃん、めちゃめちゃこまるよー。」
……てな会話があって、僕がいいことを思い付いちゃいました。劇場の楽屋にある「着到板」のようなものを、ホワイトボードで作ったのです。
「宿題やった?」って書いてある磁石カードを裏返すと、「宿題やった!! 」と書いてあって、 「ハンカチ持った?」というカードを裏返すと「ハンカチ持った!!
」と書いてある、というもの。
こうちゃんは、嬉々として宿題をやり始めて、裏返しに来ました。
いつまで続くかわかりませんが、これでもダメならまた別ないいことを思い付いちゃおうと思います。……忘れん坊は、僕の血ですから……。
何歳になっても自分がイヤだと思うこと(思ったこと)は人にしない人でありたいと思います。また、人がイヤだと思うことに気づける人でありたいと思います。
年上ならエライという儒教道徳は通用しない時代
今、「最近の高校生は」って言われている子たちの方が、少なくとも電車の中とかでは、ちゃんと携帯の使い方に長けていて、なおかつ他人と面倒を起こしたくない、という思いが強いせいもあるのか人の迷惑になるようなことをしない傾向にある、と僕は思います。
おじさんたちは、機械の使い方がわからずに振り回されているのでしょう。
おばさんたちも、自転車の扱い方が自分たちが子供だった昭和30年代のまま。これだけ高性能になって、 道路交通法でも「車」として定義されていて加害者側になる可能性がある乗物なのだ、ということを理解しないで乗っているのでしょう。
「昔はね」とか「俺たちが若かった頃はね」とか、そんなこと、今には通用しないんだ、ということを理解しながら、 ちゃんとそのより一層便利になっているはずの「今」を自分なりにゲットして時代と付き合っていかなければ、
「オッサン」「オバサン」って呼ばれてもいたしかたないっすよ。
年上ならエライ、なんていう儒教道徳は、もう通用しない時代。
若いヤツの方がすごい、ってことが多々あるんですからね。
だから、「ライブドア・バッファローズ」を実現しろっ!! プロ野球界のジジィどもっ!! (←この件を語らせたらちょっとうるさそうなのでこのへんで)。
で、もう一件。
下落合の駅前で横断歩道を渡っていたら、当然停止線で止まるだろうと思っていたバスが、ずるずると進んできて僕から30cmのところでキュッと止まったのです。
どの会社とは申しませんが、「練馬ナンバーの298」とだけ、言っておきましょう。
ちゃんとデジカメでナンバープレートを撮影しましたけどね。
なにしろバスですから、避けようがありません。
一瞬、「あ、もうダメ」って思いました。
戦争のない世の中にする前に、人が人を思える世の中にしないと、命なんていくつあっても足りませんね。
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