先月は、いろいろとご心配をおかけしてしまい、申し訳ありませんでした。 先月の原稿を書いたのは病院のベッドの上。実は、かなりへとへとになりながら書いた覚えがあります。 が、点滴暮らしは4日間。4日目の回診で、お医者さんから「うん、明日の朝から食事だっ!」と言われたときのうれしさと言ったら、初めて仮免許の試験に合格したときぐらいの微妙なうれしさでした。 4日ぶりに「食事」が食べられる、という日の朝は、あまりにもうれしくて起床前 に目が覚めてしまい、点滴を引っ張りながら顔を洗いに行ったり、まだ空いてるはずのない一階の売店までお散歩したりして、ドキドキしながらその時を待ちました。 そして、来ました。 どろどろのおかゆに、お吸い物に、おとうふ、そしてゼリー。まさに病人用の食事なのでしょうけど、僕にはものすごいご馳走に見えました。いつもなら絶対しないんですけど、手を合わせて「いただきます」ってお祈りしてしまいました。あ、宗教は一つも持ってません(←いくつも持つなよ)。 そして、まずはお吸い物。なにしろ、入院当初は自分の唾液を飲み込んだだけで吐いてしまうぐらいまでダメになっていた僕の胃。おそるおそる口に運ぶと、もう、どんな高級レストランのスープよりもおいしく感じました。 ほんのちょっとしかないごはんを、噛みしめて噛みしめて、ゆっくり30分かけて食べました。「ごはんはおいしいものなんだ」「食べられるということだけで幸せなんだ」ということを、本当に久しぶりに実感した瞬間でした。 それからは、僕らしくもなく、お医者さんの言いつけをきちんと守って暮らし、見事に退院。あれから1ヶ月経った今では、ほぼ普通に仕事をできるところまで復活いたしました。この貴重な経験を活かして、あんまりがんばりすぎないようにがんばっていきたいと思います。またよろしくお願いしますっ!! さて、今月のお話。 「マンガ」をやめて、「小説」を読み始めたものの…… 最近、いろんなものを「やめる」のに凝っています。「やる」ことばかりをしているように見える僕ですが、意外なことに思われるかも、と思ったので書いてみます。 まず、この5月から、「マンガ」をやめてみました。 それまで、「ビッグコミック」系のコミック誌全誌と、青年誌各種を、もうほぼ毎日と言っていいほど購入して読み、なおかつ、単行本もかなり読んでいました。 もちろんマンガが嫌いになったわけでもなんでもなく、ふと、その時間を他に使ってみたらどうなるのかな、と思ったのです。というのと、最近いろんなところでお客さんに声を掛けられるので、電車の中でちょうどヌードのシーンでも開いているところを発見された瞬間に「あのー、キャラメルの加藤さんですか?」なんて聞かれた日には、目も当てられませんからね。 実をいうと、ウチの俳優でN川H幸というヤツがいて、そいつが近所の本屋さんでたまたまヌードグラビアがある雑誌を手にとって、たまたまそのグラビアページが開いちゃった瞬間に「にしかわさんですか?」と声を掛けられてしまった、という実話もあるくらいですので、あながち冗談では済まないことなのです。 ……って言っても、別にそれで将来がどうこうなるわけでもなんでもありませんので、どうでもいいのですが、「李下に冠を正さず」の心境と申しますか、まぁ、簡単に言えば「見栄」ですかね。 てなわけで、マンガの替わりにまず選んだのが、「小説」。買うだけ買って読んでいなかった本がいっぱいあるので、一冊ずつ持って出かけるようにしました。 ところがっ!! ちょうどいいところになったところで目的の駅に到着してしまうと、次に読み始めるときにもう一度ちょっと前から読み直したりしなければならなくなり、なおかつ1日仕事して帰りの電車の中で読もうとするともう行きに読んでいた内容を忘れてしまっているうえに、1ページも読まないうちに眠くなってしまうのです。学生の頃とかはこんなことはなかったはず。なんでやねんっ?!……と、一瞬「年齢」という言葉が頭をよぎりました。 が、何日かやっているうちに気付いたのは、ようするに昼間のテンションと小説のテンションがあまりにも違いすぎて、このドーパミン出まくりな僕の脳は「小説」というやすらぎ系なものを求めていないのではないか、ということ。 そこで、今度は試しに「ビジネスモノ」に手を出してみました。そもそも僕って社長だしぃ(←その口調やめなさい)、コミック系でも「ホテル」とか「少年たち」とか好きだったし、せっかくだったらそれらの元ネタをもっとリアルタイムで見られたらいいな、と思い立ったわけです。 「演劇界」の人たちには「データ」の重要性が見えない もちろん最初は日経新聞を購入。株には興味がないのでとばし読みしているうちに、一般紙はちゃんと読んでいる僕にとってはほとんど意味がないことが判明。そんなこんなですぐに飽きて、今度は雑誌に手を出しました。 週刊●●とか週刊■■とかの漢字四文字のサラリーマン向け週刊誌は以前から時々読んでいたのですけど、なんだか「予想記事」って言うんですか、やたらとその雑誌の政治的な主張みたいなのが鼻について好きになれなかったのです。が、マンガが無い今、あえて読むようにしてみました。でもやっぱり「関係筋からの情報では」とか「……という世論の反応が予想される」といった、もう、あからさまに情報源が確かではない上に世論を動かしていこうという意図がありありと見えてしまって、好きになれませんでした。 そこで、「じゃぁ、その一次情報を入手すればいいんだ」という結論に達して手を出して知ったのが、「ダイヤモンド」「東洋経済」「プレジデント」「日経ビジネス」あたり。これは、はまりますな。もともと「日経流通新聞」を趣味で購読していたのですけど、何が楽しいって、データ。いろんなデータや、企業トップの生の声が読めるのが面白いんですね。 聞きかじりや、記者の勝手な憶測や推測や邪推や決めつけなどが無い、ギリギリナマの情報。しかも、雑誌によってデータの内容がちょっとずつ違っているのも、新聞における世論調査みたいな感じでまた一興。 劇団なんかをやっている人たちは、だいたい小説をいつも読んでいて、たまにはおしゃれなマンガを読んでいて、なんていうイメージかもしれませんが、たまには「プレジデント」を電車の中で読んでいる演劇の人、なんてのもおもしろいじゃないですか。 そもそも、小説なんて「終わったこと」なんですよ。そこが、僕の体質にそぐわない。つまり、「今何が起きていて、だとしたら僕は今何をするべきで、そうすると世界はどうなっていってしまうのか」ということを常にリアルタイムで知りたいというのが僕。だから、「データマニア」でもありました。つまり、自分の劇団に関するありとあらゆるデータを並べて、エクセルで表にして、いろんな切り口から分析する、なんていうのが趣味だったりもするのです。 ところが、意外に劇団をやっている人っていうのはそういうことをあんまりしないらしく、広告代理店やら放送局の人たちからは「なんでこんなにデータが揃ってるの?」というとぼけた質問をされて、僕が「どういう意味ですか?」と逆に聞いたら「普通、劇団ってデータをくれと言っても誰も持っていないものなんだけど」と言われたことが何度もありました。 確かに、僕らはゼロから自分たちで劇団をやってきました。普通にビジネスをやっている人たちは、ソニーの盛田さんや井深さんや出井さんの言葉を本で読むことができますが、演劇製作をやっている僕らは「夢の遊眠社の高萩プロデューサー」や「第三舞台の細川プロデューサー」の自伝や言葉を本で読むことなどは当然出来なかったので見よう見まねというか、先輩劇団のやっている「結果」だけを綿密に見つめて、「きっとこうやっているんだろう」「こうやると良いかもしれない」と想像力を使って演劇製作のやり方を自ら学んできた、という部分があります。 だから、一般社会の経験無しで演劇の世界に入ってしまった人たちには、「データ」の重要性が見えない、ということもあるのかもしれません。 実際、僕がこうしてビジネス書にハマッてしまっているのも、演劇界において演劇製作の指南書なんてものが全くと言ってほど存在していないから、しょうがないから一般社会から学ぼう、というわけだからなのです。 逆に言えば、それに気付いた僕らの世代が、ちゃんと僕らの足跡をちゃんと残していかなければならないわけです。 実はこのコラムは、そんなことを書き貯めていこうと決意して書き始めたのですけど、ビジネス書を読み進むに連れて、このページはあまりにも脱線が多すぎるような気がして、ちょっと反省しております……。 1日1リットル以上飲んでいたコーヒーもやめた! おっと、本筋に戻ります。 5月にマンガをやめた後、9月に入院した後はなんと辛いものとコーヒーをやめました。お酒も、ほとんど飲んでいません。これは、僕にとってはとてつもない大事件なんです。コーヒーは、1日に1リットル以上は飲んでいたんじゃないか、というくらいの大好物でした。なおかつ、辛いものに関しては僕のガソリンなんじゃないか、ってくらいに毎日全ての食事になんらかの唐辛子関連のものを入れて食べていました。お酒は、寝る前には欠かせない僕の睡眠導入剤でした。 では、かわりにどうしたかというと、飲み物は紅茶を中心としたお茶系。食べ物は、さっぱり系。夜は、酒を飲む以前に眠くなるほど毎日早起き、そして集中作業を連続させて脳を疲れ果てさせて睡眠。 こうしてみると、いろんなことが、今までとは違ったふうに動いていくのです。たとえば、以前だったら夜中にだらだらとやっていたいろんなことを朝にまとめてやってしまえるので、仕事が横道に逸れることが少なくなりました。お茶を飲み続けているせいか、やたらと新陳代謝が良くなって、朝すっきりと目が覚める。「明日はお休みだからゆっくり寝よう」と思っても、いつも通りに起きてしまって損した気分になったり。 ただ、時々、打ち合わせなどでコーヒーが出てきてしまったり、こどもたちが「お肉お肉ぅぅっ!!」とねだるので焼肉に行ったりしたら、ちょっとは食べます。が、それは、今まで僕が飲む全飲料に占めるコーヒーの割合が60%だったとしたら、もう1%。辛いモノも、同じくらい。ムリに「いえ、やめましたので」と固辞するようなことはしません。 あくまでも、自然界の比率で「ふつう」であるくらいには、摂取していはいます。 「やめる」っていうのは、このくらいの感じでいいんじゃないかな、と思っていま す。 マンガも、小林よしのりさんの「ゴーマニズム宣言」だけは読み続けてますし。 高校時代、ロックバンドをやっていた僕。それが、ある日、急にロックをやめて、フォークグループに入りました。その時も、なんとなく「ロックをやっている自分」に違和感を感じていたのが原因でした。でも、結果的にはそのフォークグループをやり始めてから、「気持ちよい自分」になることができました。もちろん、完全にロックを断ったわけではなく、聴き続けてはいましたが、それまではなんだか依怙地に「ロックミュージシャンたるもの……」などと思い詰めていた節がありました。 「やめる」勇気。「残していく」努力。 そんなことを考え始めた、9月でした。