第14回 「視覚中心の世界」との異文化接触
先日、とある雑誌で吉本興業の方が興味深いことを語っていらっしゃいました。
「笑い」とは、基本的に優越感から生まれる、ということ。「あいつ、アホやなぁ」と、客席でつっこむのが、「笑い」なんだ、と。
これを読んで「なるほど」と一瞬思ったのですが、後日、「待てよ」と思い返しました。
ウチの劇団のギャグのプロと言えば西川浩幸。
彼のギャグは、途方もないダジャレの時もあれば、ギャグなんだかギャグじゃないんだかわからない時もあります。
そしてまた、ほとんどの場合、「ギャグネタ」としてやっているのではなく、
彼が演じている役の人が「ついやってしまった」「口走ってしまった」という流れで、
そういうことをしてしまっている、という設定で何かが起きるのです。
慌て者のキャラクターの時は、慌てて聞き間違える、言い間違える、動きを間違える、
その間違え方を練りに練って稽古場で提出して、舞台に上に上がっていくのです。
もちろん、それを「ボケ」と言ってしまえばそうなのですが、観ている側としては西川のギャグに対して
「優越感」を覚えるのではなく、彼の卓越した言語選択センスに脱帽する、と言った方が正しいような気がしています。
だとしたら、この「笑い」とは、いったい何なのか?
僕は、「親近感」だと思ってます。抜群におもしろい西川。笑わせようとして笑わせているわけではない、
笑って欲しいとは思いながらも実はその場を真剣に生きているだけ、という、そこに観ている側は共感し、
親近感を覚えてしまうのだと思うのです。
「あなたは、いつから耳が聞こえるんですか?」
というわけで、先月予告した「異文化接触」。
耳が聞こえない人たちのことを、マスコミでは「耳の不自由な人」という言い方をします。
または「聴力障害者」。その前は、「聾唖(ろうあ)者」。そのまた前には「つんぼ」という差別的な呼称もありました。
なんで耳が聞こえない、というだけで差別されるのか。そこには、とてつもない根深い歴史があります。
つまり、明治時代までの社会では、「人と同じでない人は人でない」というのがあたりまえだったわけです。
このあたりについて書き始めるときりがないので、山本おさむさんのコミック『わが指のオーケストラ』を是非ご一読ください。
泣ける、と言われて読んだのですが、僕は逆に「怒り」というか、自分のなすすべのなさに唖然とした、という感じでした。
さて今回、『嵐になるまで待って』という公演で忍足亜希子さんという女優さんと出会いました。
キャラメルボックスの演出家の成井豊が、この作品の「雪絵」という役を忍足さんにお願いするのが夢だ、
と言っていたのですが、様々な流れでそれが実現してしまったのです。
忍足さんと出会う前に、手話通訳&手話コーディネーターの妹尾映美子先生には、1997年の上演の時にも手話コーディネーターをお願いしました。
その時点から、手話という言葉が抱えた不幸な歴史なども含めて教わったので、手話が出来ないろうの人もいる、
ということを知ってびっくりしたものでした。
忍足さんと妹尾先生はいっつもいっしょ。「みんなの手話」というNHKの番組でもずっと出演していらっしゃったのでご存じの方もいらっしゃるかとは思います。
その妹尾先生が、忍足さんが初めて映画に出演されたときにいろんなマスコミからのインタビューを受けて、その都度手話通訳をしていたのだそうですが、
そこでみんながみんな「耳が聞こえなくなったのはいつからですか」という質問をするのだそうです。
あぁ、確かに、聞こえる者にとっては「不自由」「障害」という発想をしますから、なんらかの病気や、
なんらかの事故によってそういうことになったのかもしれない、かわいそうだ、という先入観を持つのかもしれません。
しかし、妹尾先生はこう答えるようにした、と言いました。
「あなたは、いつから耳が聞こえるんですか?」と。
そうなんです、そもそも忍足さんは「耳が聞こえる」という感覚を知らないのです。
聞こえる僕らが「聞こえない」という感覚を知らないのといっしょで。
そう考えると、話は簡単です。
僕らが、視覚・聴覚・触覚・嗅覚・味覚、という五感を使って日々を過ごしているけど、
忍足さんは視覚・触覚・嗅覚・味覚、という四感を使っている、というわけです。
「聴覚が足りない」のではなく、そもそも無いだけのこと。
ただ、僕らより感覚が一つ少ない分、一つ一つの感覚に費やす神経が大きいわけで、
特に視覚に関してはとてつもない非凡さをもっているというわけです。
言葉を理解することは、文化を理解すること
そんな忍足さんと、神戸公演の初日祝いで同じ机でお酒を飲む機会がありました。
西川浩幸、岡田達也たち共演勢は、もう、ほとんど手話とジェスチャーで世間話をしています。 西川は、なんと手話でボケをかましています。忍足さんも、ボケます。耳が聞こえるとか聞こえないとか、
そんなレベルではなくて、西川はやっぱり面白いんです。忍足さんも、爆笑していました。
僕は、数ヶ月前に手話講座のビデオを購入したにもかかわらずまったく身に付かず(勉強しなかっただけなのですが……)、
結局常備したメモ帳を使っての筆談。これは、寂しかったです。
が。
この時、思い出しました。高校3年の時に、東京の私立高校から長崎の県立高校に転校したことを。
その時も、これと似た感覚を味わったのです。つまり、長崎弁というものは、同じ日本語であるにも関わらず単語や文法が違い、
いっちょんわからんとです(【長崎弁】全然わからないんです)。
そこで、いじめられそうなもんですが、僕は単語帳を作ることにしました。東京の人であるということを主張するより、
わからないということをちゃんと認めて、長崎弁を教えてもらっちゃおう、と思ったのです。
結局は僕が長崎弁を覚えてしゃべっても「東京なまりが入ってる」と笑われたので日常で使うまでには至りませんでしたが、
かなりなところまで理解できるようになりました。
そしてまた、言葉を理解することというのが、つきつめていくと文化を理解することにも繋がっていくのです。
……と、そんなことを急激に思い出して、妹尾先生に迷惑をかけながらも、徐々に手話を覚えていくようになりました。
たとえば、「ありがとう」という手話は、相撲の「ごっつぁんです」から来たもの。
「おはよう」という手話は、枕から顔を上げるところ。そうやって、ちょっとずつ、「視覚中心の世界」に入っていけるようになりました。
そもそも演劇なんてものをやっているので、ロンドンに初めて行ったときも早稲田大学受験のために培った膨大な量の英語なんかよりも、
ジェスチャーの方がどんなにか役に立ったことか。
日本人とかイギリス人とか耳が聞こえないとか、そんなこたぁ、大きな問題じゃないんです。
思いを伝えるには、伝えたいという気持ちがあって、それを表現しようとする姿勢があればいいんです。
初日が開いてから、毎日忍足さんとお会いするようになりました。当たり前ですけど。
そうすると、まずごあいさつ。演劇界はとっても便利で、朝でも昼でも夜でも、
その日初めてあったときには「おはようございます」。挨拶は一つ覚えればいいんです!!
そして、ある日。忍足さんが本番中にケガをしました。
終演後、忍足さんのところに行って、思わず「指、だいじょうぶ?」と、手話も何もなくジェスチャーと声で言ってしまいました。
その瞬間忍足さんは、にこっと微笑んで「たいしたことありません」という手話(だと思う)をしてくれました。
あぁ、これでいいんだ、と、何かがふっきれました。
徐々に舞台に慣れてきた忍足さん。かわいくって楽しくって元気いっぱいな転校生は、明日、東京公演の初日を開けるのです。
是非、皆さんもこの「異文化接触」をナマで感じに来てくださいねっ!!
公演の詳細などは、 http://www.caramelbox.com/ にて。
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