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第8回 キャラメルボックスの「構造改革」 ―番外編その1―


いやぁ、毎日のように自分の日記ページ(http://www.katoh-masafumi.com/diary/)を書いている僕だから、 ロゼッタストーンのホームページで月に一回の連載なんて楽勝だな、と思って始めたんですが、バッドタイミングが重なると、ほんとにもう、 「たすけてぇぇぇっ!!」て感じです。

がっ!! もしかしたら、「毎月10日頃更新」を信じて、毎月10日頃に限ってこのページを訪れに来てくれている人が、2・3人はいらっしゃるかもしれない、 そう信じて、なんとかして書いてみることにしました。(リアクションしてくださいよね、ほんとに。 ご意見、ご希望、ご相談などはこちらまで rosetta@msd.biglobe.ne.jp )。

で、この連載は、基本的に「演劇集団キャラメルボックスの製作総指揮」である僕の今までの「嫌われ経験」を書き綴っていこう、というスタンスでいます。 本誌の方ではできるだけ初めて読むであろう人たち向けに、ここのホームページでは「まとめ読み」ができる、ということを前提に続き物の 「キャラメルボックス、嫌われ続けの10数年」という感じの内容に、と、それぞれ書き分けています。
ご存じでした?

ですが、今回はちょっと番外篇。

というわけで、今日は2月8日。締め切りを1週間過ぎました。……わぁぁぁん。←何が困るって、イラストの加藤タカさんっすよ。ごめんなさい……。

何をやっていてこんなことになっているのかというと、2月28日に新宿シアターアプルで幕を開けるキャラメルボックスの新作公演 『アンフォゲッタブル』の準備をしているのです。

あと、20日です。
この時点で、台本はまだ半分!! 音楽は、台本次第で進んでいくので、まだ1曲しか録っていません!! きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!

……というわけで、劇団史上3度目ぐらいの危機の中、書かせていただきます!!


1カ月で30劇団。「大学演劇フェスティバル」のスタッフに

で、「公演の準備」と一言で言えば一言で言えるわけですが、僕は劇団旗揚げ以来、劇中のお芝居の選曲を担当してきました。 先輩の劇団の方から「制作は現場に口を出すな」と言われたこともありますが、僕は、正確に言えば「制作」ではなくて「製作」、 なおかつ「製作総指揮」であって、もっと簡単に言えば、「キャラメルボックスの中で自分ができることをできる限りなんでもかんでもやる」 のが仕事、ってことです。

劇団を創った頃は、脚本・演出以外のほとんど全てのことをやっていました。あ、演出に関しても「新人練習」とか、 演出が脚本書きで忙しいときの代理稽古担当などもやってましたね、そう言えば。

で、学生劇団にいた当時から劇団旗揚げ初期までは、制作をやりながら、アルバイトでお芝居の音響スタッフや照明スタッフをやっていました。

劇団を始めるまでは、教育学部出身という経歴を生かして家庭教師や塾教師でかなり儲けていたのですけど、 「劇団で食っていく」と決めたからにはあえてどっぷりと浸からねばならん、と自分で決めて、少しでも演劇に関わる仕事をしていこう、 とあっちこっち飛び回っていたのでした。

そんな中、もう今では存在していない演劇情報誌の編集部でアルバイトをしていたことがありました。
その雑誌は、都心の、収容人数80人ぐらいの劇場が作っていたもので、おそらくはそこのオーナーが「演劇好きの若い人たちのために」 と考えて私費を投じて作っていたものであった、と記憶しています。

正確に言えば、僕はその雑誌と劇場が主催する「大学演劇フェスティバル」において、僕が所属していた学生劇団が優勝してしまったことがキッカケで、 翌年にそのスタッフとして雇用されたのです。

しかし、これはもう、「過酷」の一言でした。
準備期間は、まず関東近辺の学生劇団の洗い出しから始まりました。どこにも学生劇団のリストなんてありませんので、他の情報誌まで全てさらって、 学生がやっていそうなところに片っ端から電話をして「リスト作り」を始めました。
実を言うと、リスト作りに名を借りた出演劇団探しなわけですが。

でも、たとえば一橋大学などは「劇団はけっこうあるらしい、でも、連絡先はわからない」という状況だったので、仕事の前に大学まで行って、 学内を歩き回って学生さんに尋ねて歩いて、「一橋大学演劇シーン」を把握し、それをレポートにまとめてリストを作っていく、という作業を半年ぐらい続けました。

そして、フェスティバルの準備にかかる段階で全ての劇団にダイレクトメールを出して出演劇団を募ったわけです。
そして、「1ヶ月で30劇団」というとんでもないスケジュールのフェスティバルが企画されました。つまり、1日1劇団。大道具があるところもあれば、 全くないところもあるわけですが、夜中から徹夜で仕込んで午前中にリハーサル、午後、昼の回と夜の回をやってバラシ(撤収)、そして次の劇団が入ってくる、 ということを、1ヶ月続けたのでした。

フェスティバルの他のスタッフは、ほとんど舞台の知識がない人たち。なので、結局全ての仕事が僕に回ってきました。 僕だって、音響関係の知識はありましたが、他のものは、全くわかりません。なので、見よう見まねで、劇場内の機材の使い方を覚えて、 なんとか対応していくしかありませんでした。

搬出・搬入の時は、最も危険なので絶対に立ち会わなければなりませんし、リハーサルでは何が起こるかわからないから絶対にいなければなりません。 そして、本番に関しては、なにしろ僕らスタッフは全公演を観て「審査員」として「決勝進出劇団」を決めなければなりませんでしたから、 絶対にいなければなりません。となると 、僕がいなくて済むのは、かろうじて明け方の「仕込み」の時間帯でした。 そういうわけで、明け方3時に家に帰って7時に出てくる、という、2時間睡眠を1ヶ月、という生活をしていたわけです。

なにしろ当時は僕(が勤めていた劇場)のお客さんは、それらの学生劇団だ、と信じて尽くしていましたので、 分泌されていたβエンドルフィンの量は生半可じゃなかったのでしょう。

でも、その日々を過ごす中で、本当にいろんな人たちと出会いました。完全にプロを目指している劇団から、今回限りのつもりのお気楽な連中までいて、 その知識の量の差はあからさまでした。

特に、日大芸術学部の「スタジオ41」というチームに池田大介君という人がいて、彼にはほんとにいろんなことを教わりました。ありがとーっ!! ……今何をやってるんだろう……。

そして結局、「優勝」したのは、茨城大学の「劇団とりっくすたぁ」。
この「決勝戦」は大晦日に行なわれるので、僕もそれまでびっちりと劇場に常駐していました。その後、月蝕歌劇団に出たりしていた小松君、どうしているかなぁ。


過酷な1カ月と引き換えに得たものは…

そんなこんなで、ずーっと前に「過酷」と書きましたが、確かに過酷だった1ヶ月を終えてみて、僕に残ったのは「人」でした。
「経費の使いすぎ」ということでそのアルバイトはクビになったのですが(実際に使ったのは僕じゃないんですよ、17年経った今だから言いますけど)、 逆に僕は、お金には換えられないいろんなものを手にすることができました。

舞台に関わる、全ての段取り。
いろんなパターンの、照明の仕込み。
いろんなやりかたの、演出。

学生劇団とは言え、30もの劇団の「手口」を目の当たりにして見ることができたのは、これはもう、財産としか言いようがありませんでした。
だいたい劇団というものは自分の手の内は絶対に明かさないものです。が、唯一そこに落とし穴があるとすれば、舞台スタッフ。
それに気付いたのです。

そこで、僕は照明や音響のアルバイトを始めたのです。
1日だけのダンスの公演から、代々木の国立体育館での超メジャー劇団の公演まで、手当たり次第に下っ端仕事をさせてもらいました。

特にその中で勉強になったのは、「演劇の世界では人を人と思っていない」ということでした。

現場でケガをすれば、それはケガをした本人の未熟さのせい。だから、主催者は関係ない。

食事は、一食500円。時間は経っていますが、食事に関する貨幣価値は今とほとんど変わりません。つまり、立ち食いソバか、マクドナルドか、のり弁。

いいものを作るためなら、全てを犠牲にしなければならない。結果が出なければ徹夜が何日続いても頑張るしかない。結果が出ないのは、その人に才能がないから。

演出家は絶対。神のような存在。絶対に従わなければならない。演出家が、「モーニング娘。は18人」と言ったら、18人の名前を言わなければならない。 (筆者注:当時、モー娘はいません)

いったん芝居に関わったら、お金のことを口に出してはならない。なぜなら、いいものを創ることが第一。そのためなら、時間もカネも惜しんではならない。 私財を投げ打ってでも、この一本に賭ける。そして、いいものをやっていればキャクは来る。そして、自然にお金は付いてくる。もし万が一付いてこなければ、 いっしょに耐えなければならない。

……と、このような「迷信」の数々を、ありとあらゆる現場で思い知らせていただくことができたのです。


「演劇界」の「迷信」を一掃するための4つの改革

キャラメルボックスを17年やってくる中で、次々と当時のことを思い出しながら改革を進めてきました。

まず劇団員・舞台スタッフ全員を「傷害保険」に入れました。これは、なんらかのケガをした場合には全額劇団から保険で支払うことができる、 という態勢作りです。実際は、ほとんど使っていませんが、いざというときにのみ、役に立っています。

イラスト次に、食事。キャラメルボックスでは、一食の予算は700円。でも、毎公演「お弁当係」が交代で製作部と役者たちの中から2人ずつ出て、献立を考えます。 一食につき、最低三種類。和洋中のこともあれば、「カレー・シチュー・麻婆豆腐」というわけのわからん組み合わせのこともあります。
とにかく、長い公演を飽きずに続けていくにはなにしろ「食」。そのステージの成否は食事にかかっている、といっても過言ではないと僕は思うのです。 つまり、「弁当がおいしい劇団」は、結果的に芝居もおもしろかったのです、アルバイト時代。なので、「キャラメルボックスは日本一弁当が美味しい劇団になる」 というのが、 僕の目標でもあったりします。
……実際、某音響スタッフH氏などは、別な現場でお弁当が出ない、ということを知ってから不機嫌になった、という実話も残っていますし……。

次に、劇団の民主的運営。
もちろん、劇団というものそのものが、「劇作家」という1人の天才の才能に寄り集って存在していることは確かなのですが、でも、 そのもとでは全ての関係者が「信者」であれ、という必要は絶対にないわけです。その天才は天才として認めて、しかし、構成員は構成員の人格をきちっと認める。 そんな形にならなければ、演劇は終わってしまう、と思ったのです。そこで、キャラメルボックスには「選手会」というものができました。 これは、プロ野球になぞってできたものなので、「役者会」じゃなくて「選手会」なのですけど。つまり、役者達だけでいろんなことを話し合い、 希望を出し合って、「リーダー会」という、劇作と製作と役者達のそれぞれの代表者が集まって連絡をし合う会を作り、いろんなことを話し合うことにしました。
とは言っても、「創作」というものはワガママの乗算でできているのですから、 「リーダー会」で話し合うのは創作に関わること以外のこと、ということになりますけどね。

そして、「お金」のことを、堂々と語れる集団にする、ということ。
この芝居は、自分だったらいくらだったら見るかな、という基準でチケット代を決めて、予算を組み、赤字が出たら自分たちでかぶっていく。 そして、着実に稽古を重ねて、そろそろ200円ぐらい値上げするべきだな、と思ったら上げていく。そんな風にしているところを、逐一お客さんにも報告する。 そして、劇作の出来には関係なく、なんと劇団の経営そのものが危なくなった、という時にでも、それもお客さんに報告して、助けを乞う。

そうして、創る者、演じる者、提供する者、観る者、それら全ての人たちを巻き込んで、 そういう形にならないものが渦を巻いて止まるに止まれなくなっていってしまうもの。それこそが「劇団」なんだ、というプロトタイプを創るべく活動してきた、 というわけです。

ここで、ようやく話が元に戻ります。
音楽。
演劇において、音楽は、ほとんど切っても切れない関係にあります。「総合芸術」と言われるほどの「演劇」は、 美術から音楽まで全ての芸術的要素を兼ね備えて立体化していく「ライブ」なものなのですから。

ところがっ!!
演劇と音楽が、相互作用を起こしてワンランク上に登っていくということは、お互いにとってとてつもないメリットであるはずだったのです。
しかし、そこでとんでもない事実がっ!!(←ガチンコファイトクラブな感じで)

……以下、来月!! (←番外篇が続いてしまうのかっ?!)

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