あけましておめでとうございます。 今年も、嫌われ続けた僕らの活躍(?!)を書き続けていきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします!! さて。 そもそも僕らキャラメルボックスは、その前身である学生劇団時代からエンタテインメントを志向していたので、すでに異端でした。難しくてわかりにくいのがあたりまえの小劇場演劇の世界で、テーマが「愛と勇気と冒険」で「エンタテインメント・ファンタジー」を基調とした作品を上演するという、笑って泣けて感動できるお芝居をやろう、と言うのですから、そりゃもう、「何考えとんじゃワレっ!!」てな感じです。 そんなわけで、劇団を旗揚げして、どんどんお客さんが増えていってからも、いわゆる「演劇界」から全く「評価」されない日々が続いたのです。 それで何が困ったか。 僕らに公演をやらせてくれる劇場が無かったのです。 当時(今がどうだかは知りませんが)、いわゆる小劇場演劇の世界で人気がある「劇場」というのはとてもエライものでした。とある劇場でやりたい、と思ったら、その劇場の方に観に来ていただいて、「よし、君らならウチでやる資格があるよ」とおっしゃっていただかないとできなかったわけです。 ところが僕らの場合は、お客さんはいっぱい入っていても「作品に社会性がない」「役者が下手だ」という致命的な欠陥(エンゲキの方々から見て、の話ですけど)があったので、人気の劇場からは全く相手にしていただけなかったのです。 そこで、僕らは自分たちで劇場を探しました。 ちょっと他のところよりも使用料が高いけど、新宿の駅から近くてキレイな「新宿シアターモリエール」を、僕らは選びました。 当時、シアターモリエールは「壁が白いから使いにくい」「床に釘が打てないから使いにくい」「客席に段差がないから見にくい」などと言われて、小劇場の人たちからは敬遠されがちな劇場でした。 しかし、増田しず子オーナーは僕らの話を聞いてくださり「うちにピッタリだわ」と二つ返事でキャラメルボックスを受け入れてくださることになりました。オーナーは、気軽に立ち寄れて、お酒でも傾けながらお芝居を観る、という「カフェ・テアトロ」を目指してこの劇場を作られた、ということでした。僕らのお芝居は残念ながらお酒を飲みながら観るという感じのものではなかったのですが、「エンタテインメントをやりたい」という点で想いが一致したのだと思います。 それから、僕らとシアターモリエールとのおつきあいは延々と続きます。 1987年の『北風のうしろの国』から、1991年の『ハックルベリーにさよならを』まで10作品を、このシアターモリエールで上演。その間、新宿駅から徒歩5分という地の利を活かして「ハーフタイムシアター」という、上演時間も値段も普段の半分、平日2ステージ、土日4ステージ、という企画公演をやったり、クリスマス公演を始めてみたり、と、この空間でできうる限りのアイディアを注ぎ込んで公演活動を行いました。その結果、「演劇界」がまったく気付かないうちに、最初にモリエールに挑戦したときに1616人だった観客動員数は、4年後にはなんと11,186人まで増えてしまっていたのです。 当時、1万人もの人を動員できる劇団は他に3つしかありませんでした。それらの劇団は、全て人気のある中劇場で上演していました。収容人数180人の小劇場で50ステージもやって1万人を超える、ということ自体、誰もやったことがなかった快挙だったのです。が、誰からも「快挙」と言ってもらうことなく、僕らはそのターニング・ポイントを乗り越えてしまい、その後僕らは180人収容のシアターモリエールから、400人クラスの人気劇場を飛び越えて、ミュージカル中心のラインナップを揃えていた700人収容の「シアターアプル」に進出することに決定したのです。 権威ある人気劇場と、意見がことごとく対立 と、そんな時、やっと、権威のある400人規模の中劇場の方から「再来年あたり、そろそろウチでやらないかね」と声がかかりました。 その劇場は、作・演出の成井豊にとって憧れの場所だったので、それまで何度と無く足を運んでお願いしていたのですが、「うーん、まだまだだね」と言われ続けてきていて、成井自身も「もういいよ、あそこは」と諦めていたのです。 が、シアターモリエールで1万人を動員して、シアターアプル進出が決まってからのこのお話。僕自身は全く興味がなかったのですが、やはり歴代の人気劇団が上演してきた人気劇場だけに、一度はやっておこうかな、とお話を伺いに行くことにしました。 「今年の春の公演が1万人を超えましたので、2年後の夏、ということですと今までのデータから見まして、15000人ぐらいのお客様はいらっしゃってしまうと思います。つきましては、せっかくこちらの劇場に初登場させていただくので、新作公演で5週間ほど使わせていただけないでしょうか」と、僕が切り出しました。 すると、「ウン、そうだね、ウチの劇場はね、初めてやってもらう劇団には、代表作の再演で、まず1週間からお願いしてるんだ」とおっしゃいます。 「1週間ですと2000人しか収容できませんので、せめて4週間ほど……」 「ウン、それはわかるんだけどね、夏はね、毎年やってくださってる劇団さんがいらっしゃるからね、君たちにはまずその合間を使ってもらって、そうだなぁ、がんばって2週間かな」 「……。」 と、そんな不毛な会話から始まって、何度かの打ち合わせを経てようやく新作で1ヶ月、という「初めてその劇場を使う劇団」としては画期的な公演を行うことに落ち着きました。 その間、僕らは東京ではシアターアプルを中心に、青山円形劇場(300人)、シアターサンモール(350人)、スペースゼロ(400人)などの劇場を点々と公演していました。 が、関西では、劇場のプロデューサーの方が「是非に」と声をかけてくださった新神戸オリエンタル劇場(630人)でいきなりの関西初公演を行いました。ここも、ミュージカルを中心に上演していらっしゃった、おしゃれな中劇場でした。 これまた、「初めて東京の劇団が関西で公演をするときは大阪の●●●という小劇場(200人)で●ステージ」という「常識」をうち破って、いきなりの1690人動員。そして、いきなりのスタンディング・オベーション。もう、僕らはすっかり神戸のトリコになってしまい、それ以来ほとんどの関西公演を新神戸オリエンタル劇場で行ってきています。もう、第二のシアターモリエールと言っても過言ではないほど、公演数を重ねてきています。 そんな、大規模な中劇場とのいい関係を作りながらの公演経験を経た上で、満を持しての400人規模の人気劇場への進出でした。 補助椅子を出したら、1脚につき1日1000円! ちなみに、僕らのポリシーは「チラシを手にしたときから劇場をあとにするまで、全てのお客さんとの“出会いのステージ”を大切にする」というもの。つまり、お客さんと劇団が接する全ての機会で、僕らが一対一でお客さんにできる限りのサービスをする、ということを小劇場時代からずっと続けてきていたのです。 当然、チケットはプレイガイドに頼らないオリジナルチケット。電話予約も、チケット全体の9割を劇団で受け付ける、というほどの徹底ぶりでした。 ところが、この人気劇場では「前売り券は劇場の窓口で発売、手数料を取る」「当 日券は劇場担当者が発売、手数料も取る」……と、「劇場費を安く抑える分、協力してくださいよ」という言い訳のもと、なんでもかんでもお金がかかるのです。いちばんビックリしたのは、「補助席を出すときは劇場の物をレンタル。1脚1日1000円」というもの!!僕らは自分たちで補助椅子も持っていたので持ち込もうとしたら「持ち込みはできないんだ」との返事。もう、わけがわかりません。 そして、初日が開いてから驚いたのは、当日券の規定枚数が売り切れると「はい、これで今日の当日券はおしまいです。おひきとりください」と事務的に追い返すのです!! もちろん、消防法というものがありますから、上演する側には劇場内を危険な状態にしてしまうのを避ける義務があります。しかし、あと数人、というところで追い返す、しかも能面のような表情で、というのは、あまりだ、と僕は食い下がりました。 ところが「今までもこうやってもらってきた。したがってほしい」とのこと。 もう、会話が成立しません。 ここで、ゼロから考え直してみます。 劇場にお芝居を観に来てくださるお客さんは、お芝居を見に来るわけですから、劇団のお客さんです。そして、劇団は、劇場費を払って劇場で公演を行うわけですから、劇場のお客さんです。 それなのに、この人気劇場の方々は彼らの「お客さん」である僕らの希望や疑問に応える努力を怠るばかりか、僕らが最も大切にしてきた「僕らのお客さん」たちに対して、平気で無礼を働いてもなんとも思っていない。 これには、さすがの穏和な僕(←うそつけぇっ!!)も怒り心頭に発しました。 それから僕は、なんとかして「残り数人」という入りきれそうにないお客さんを中に入れちゃう方法を考えました。劇場の人がいるのは、当日券の受付だけ。中に入れちゃえば、あとはなんとかなる。というわけで、僕はとんでもない方法を思い付きました。あんまり詳しく書いてしまうと真似をする劇団が出てくるといけないので、ちょっとだけ詳しく書いてみます。 つまり、「意図的なダブルブッキング」です。当日券が売り切れたら「キャンセルが出ました」と当日券受付にどんどんありもしない席のチケットを持っていき、とりあえずお客さんには中に入ってもらい、そこで僕らが「実は……」と解説してお願いし、劇場の人からは見えないところに座って観てもらう。 そんなことを、日々、繰り返していたのです。 ところが、そんなのは、よぉぉぉく客席の中を見ればわかってしまうわけです。 ついに千秋楽、僕は劇場の人に取り囲まれて説教を食らいました。劇場としては、消防法を遵守する義務がある、観客の安全を守る義務がある、だから無茶はしないでくれ。……何を言ってるんだ、厳密に言えば、1脚1000円で貸し出しているその補助席だって違法じゃないか。……じゃぁ、補助椅子を出すのもやめましょう。 ……この期に及んで、またまた不毛な押し問答です。しかも、お客さんがいっぱいいらっしゃる当日券受付の目の前で。 ところが。 劇場の人たちが僕を取り囲んでいるその隙に、僕の右腕の山岡歌子(仮名)が、どんどんお客さんをロビーに入れてしまったのでしたっ!!しかし、ロビーから客席に向かう階段には、劇場の人が柵をおいて立ちふさがっています。 「ロビーでモニターを聴くだけならいいでしょ」というところで折り合い、話し合いは終わりました。 そして、開演。 しばらく、僕を見張るためにロビーにいた劇場の人たちも、そろそろ大丈夫だと思ったのでしょう、事務室に引き上げていきました。 と、そこで山岡歌子(仮名)が動きました。僕が面を見張っている間に、数人ずつ、お客さんを客席内に案内し始めたのです。 時々見回りに来る劇場の人。でも、ちょっとずついなくなっていくので、帰ったのだと思ったのかもしれません。 結局、全員を中にご案内して、千秋楽は終演しました。 「権威」だって、間違っていたら絶対に立ち向かう あれから、今年で10年。 最近の公演の千秋楽では、入りきれない方が出てしまったときのために必ず別会場を用意して、大型スクリーンに生中継をするようにしました。 あの人気劇場では、すでに予約済みだった翌年の公演を最後に二度と公演を行なっていません。ちなみに、翌年の公演ではその劇場の前にシアターアプルでの公演を追加して、その劇場の公演でお客さんが溢れないように準備をしたせいで、うまく乗り越えることができました。 今にして思えば若気の至りだったかな、とも思います。 が、僕は、絶対に「まず1人1人のお客さんを大切にする」という想いを忘れません。最近過激なことをしていないのは、僕以上に過激な支配人やプロデューサーがいらっしゃる劇場でばかり上演しているからです。そうなんです、それが、サンシャイン劇場。生中継会場探しや、託児施設探しにまで奔走してくださるサンシャイン劇場のスタッフの皆さんとは、常に悪だくみを繰り返して、どんどんお客さんが喜んでくださる企画を行なっていっています。 「権威」だって、間違っているのならば絶対に立ち向かう。 そうしているうちに、きっと理解し合える人と出会うことができる。 そして、理解し合って進めていくプロジェクトからは、ポジティヴな発想しか生ま れてきません。そうなると、あとは楽しいことばかり。 願えば必ず叶う。 今年も、この言葉を言い続けていきたいと思います。