第6回 先のことはわからなくても、心の準備がチャンスをつかむ
前回は、90年頃のイベントやらビデオやらテレビやらのお話をしていて、途中で止まっていたのでした。
前回書き忘れたのですが、その時代「小劇場ブーム」全盛期に、超人気劇団「第三舞台」がありました。 彼らの公演のチケットは、チラシの印刷ができていないというのに発売初日に数分で完売、というほど。
当日券を買うのにも1週間前から徹夜で並ぶ人たちが続出した、という神話もあります。
当時、夢の遊眠社と第三舞台がすごく素敵なライバル関係にありました。夢の遊眠社が山手線車内に 中吊り広告を出せば第三舞台は映画館で予告編を流し、夢の遊眠社が日本青年館でやれば第三舞台が
サンシャイン劇場に進出する、という、まさに丁々発止の「戦い」が行なわれていました。
僕らは、「すげーなー」と、指をくわえて彼らの突進ぶりを見つめていました。
そんななか、第三舞台が「クローズド・サーキット」というとんでもない企画を行ないました。 新宿紀伊國屋ホールでやっているお芝居を、わざわざ衛星を使ってすぐ近くのスタジオアルタに飛ばして、
生中継をみんなで見よう、という企画でした。これには度肝を抜かれました。とともに、演劇の新しい可能性を 垣間見せられた思いでした。
来るか来ないかわからない未来に備えて…
つまり、演劇というのは「生」で観る、ということが大前提にある総合芸術で、音楽のようにCDにして 全国で販売したり電波媒体で流したり、という「拡大再生産」ができない、非常に贅沢な表現形態なのです。
そして、「演劇はビンボー」というのは、その「拡大再生産ができない」ということに起因しているわけで、 プロデューサーとしてはなんとかしてそこを突破できないものか、と常にアイディアをめぐらせているわけです。
ところが、この「クローズド・サーキット」という代物は、目の前で行なわれていることが生身の人間では なくて映像である、ということ以外はほぼ演劇に近い状況なわけです。
つまり、舞台上の役者達の呼吸は伝わらないけど、客席には確実に「呼吸」が存在しているわけで、 それだけでも明らかに自宅で一人でテレビを観ているのとは違うわけです。また、へたすると生よりも、
アップで役者の表情が見られたりするわけですから、臨場感が増すという効果もあるかもしれません。
本来、外国の人気ミュージシャンの公演やスポーツの中継などのために開発されたその企画を演劇に転用しよう、 という第三舞台の(正確に言えば第三舞台のプロデューサーの細川展裕さんの)突拍子もないアイディアに、
僕はぶっ飛んでしまったどころか、拍手喝采を贈りたい気分でした。
それからというもの、僕の頭の中には「クローズド・サーキット」の文字がぐるぐるまわっていました。
でも、衛星を使うわけですので莫大なお金がかかります。当時の僕らには、とてもじゃないけどスポンサーを 見つけるほどの実力もないし、ましてやクローズド・サーキットを観に来てくれるだろうお客さんもいませんでしたので、
来るか来ないかわからない「未来」のために、準備を始めることにしました。
その一つが、前回お話したビデオの制作。つまり、劇団内(というか社内)で映像のエキスパートを育てること。
次に、「映像をみんなで見る」ということに、お客さんに慣れてもらう、ということ。どっちかと言えば、 こっちの方が大問題です。そもそも第三舞台みたいな超人気劇団ではないキャラメルボックス。
わざわざ映像で観なくたって、いくらでもチケットは残っているので生で観られるし、映像もビデオとして販売しているから、 わざわざ観に行かなくても見られちゃう。でも、いきなり「クローズド・サーキット」なんて言ってやったって、
きっと誰も来てくれない。
そんなわけで、来ないかもしれない未来のために、僕らはまず「ビデオライブ」というものを始めることにしました。 ビデオ化されていない公演を特大画面でみんなに見てもらおう、という企画。最初はどのくらいの人が来てくれるのかも
想像が付かなかったので、公演中の昼間に劇場でやってみました。これが、意外に評判が良かったので、 次にはかなり大きなホールを借りてやってみました。が、ガラガラでした。
そんな試行錯誤を繰り返して、適度な大きさのホールで行なうビデオライブのノウハウをだんだんと作っていきました。
ナマの演劇と違って、音量の調節や音楽の聴かせ方などもいろんなパターンで試し、何年も何年も、 ビデオライブを続けていました。
すべての経験がひとつにつながった!
そこでようやく前回の話に繋がります。
シアターテレビジョンでのレギュラー番組「CaramelBoxTV」は、なにしろスポンサーがあるわけでもなんでも ありませんので、超低予算で制作しなければなりませんでした。そこでまず、事務所の近所のマンションに1Kの部屋を
借りて「映像室」にして、最低限の映像機材を購入。おそらく、プロ用のベータカムのカメラを持つ 最初の劇団となりました。そして、そこで簡単な編集ができるようにして、なおかつ簡単な撮影もできるようにしました。
舞台のビデオの前後に付けるトーク部分は、そこで撮影することにしたのです。なおかつ、予算軽減のために司会は僕。 もっともお金がかかりません。そして、毎回劇団員をゲストに呼んでのトーク。より一層お金がかかりません。
オープニングぐらいはせめてカッコイイCGが欲しいなぁ、ということで、ずっとキャラメルボックスのチラシの イラストを描いてくださってきていて、なおかつこのコラムのイラストも描いてくださっている加藤タカさんこと
GENさん(僕らはずーーーーっとこう呼んでいるので、あえてGENさんと呼ばせてください)に破格の安値で お願いしました。ほんと、申し訳ありませんでした……。
そして、1998年夏、放送開始。
ここでまた、別な動きが。
1999年夏、キャラメルボックスの劇団員で、NHKの「大地の子」というドラマの主役にいきなり大抜擢されてから、 テレビドラマでも大活躍するようになった上川隆也が出演する『TRUTH』という公演が始まりました。
上川の人気と、作品の人気が相乗効果を起こして、劇場は連日超満員。初日が開くとともに劇場にはもの凄い数の お客さんが押し寄せて、このままでは公演後半では入りきれなくなり、最終日には暴動が起きてしまうのではないか、
というくらいの勢いになってしまいました。
と、その時思い出したのがクローズド・サーキット。
衛星は使えないけど、コードを引っ張ればできるかもしれない。そこでサンシャイン劇場のスタッフに相談したところ、 千秋楽の日は、劇場の隣の「展示ホールB」がたまたま空いている、との答え。
そこで、千秋楽まであと1週間、というところで急遽「お隣で生中継」の準備を始めました。……このあたりの詳しい話は、 99年に僕が書いた本「いいこと思いついたっ!」(ラジオたんぱ刊)に書いてありますので省略します。
結果、入りきれなかったお客さん350人を隣のホールに集めて「ライブ中継」を開催。「中に入れなかった」という思いの お客さんたちの屈折した(?)思いが集約されて、怒濤の盛り上がりを見せました。へたすると劇場の中よりも熱気が
あったかもしれません。
期せずして、10年前に夢見た「生中継をみんなで見る」が実現されてしまい、拍子抜けしていたのも束の間。
今度はなんとシアターテレビジョンから「冬の公演で衛星生中継をやりませんか。なおかつ、東京公演千秋楽の模様を 新神戸オリエンタル劇場でみんなで見る疑似クローズド・サーキットも」という提案が来たのです。
ここで、ビデオ制作、ビデオライブ、CaramelBoxTVという、別々にやってきた様々な「準備」がレンズの焦点のように 集約されて「キャラメルボックスのクローズド・サーキット」が実現することになってしまったのです。
思っていれば必ず叶う。
心の準備がチャンスを掴む。
僕がいろんな人に嫌われながらもようやく堂々と言えるようになった言葉が、これです。
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