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第159回 加藤登紀子とYae 母娘のウクライナ慈善コンサート

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登紀子ワールドで観客を魅了(撮影/Julio Kohji Shiiki)

プレスクラブではコロナ禍により企画の延期やキャンセルが続いていたが、時代を超え、国境を越えて唄い続ける加藤登紀子とその娘Yaeの慈善コンサートは6月2日、会員とゲストに熱狂的に歓迎され、想定以上のウクライナへの支援金を集めることができた。

会費はウクライナ晩餐付きで、プレスクラブ会員と配偶者8,500円、ゲスト13,500円と、特別企画委員会の20年前の発足以来の最高額であり、当初は十分な人数を集めるのは容易ではなく、委員会はコンサートの内容改定毎に会員に案内を出し、また毎日出席者数を確認するなど細かい作業を続けてきた。

終演後、会場スペース満杯の101人まで詰めかけた会員とゲストたちが「100万本のバラの登紀子さんからのプレゼント」として、ウクライナの国旗の色である青と黄色のリボンで丁寧に包装された真っ赤なバラを受け取り、更にウクライナ支援のために自費制作された「果てなき大地の上に」のCDを買い求めて、嬉々として帰宅の途に就くのを見送って、主催者側はやっと一息ついたのであった。

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Guests receiving roses
観客全員にバラをプレゼント(撮影/Julio Kohji Shiiki)

加藤登紀子の原点

加藤登紀子らのギャラとCD 60枚売上金の全額582,000円は、加藤登紀子が平素から支援している「日本チェルノブイリ連帯基金」(JCF)に寄付された。なお、JCFはUNICEFなどの間接費が巨大に必要とされる国際支援機関とは異なり、松本市に本拠がある小さなNGOで、理事長鎌田實氏らのチェルノブイリ原発事故被害者の救済から歴史が始まり、現在は戦下のウクライナの人々の援助を行っている。

加藤登紀子は「自分の本職はSinger/singer-song writerであり、社会活動家ではない」と明言しているが、故中村哲医師のペシャワール会のアフガニスタンにおける医療と農地灌漑事業を後援し、環境省・UNEP国連環境計画親善大使にも就任した。音楽家としてはフランス政府から芸術活動における貢献に対してシュバリエ勲章を受けたことが広く知られている。

登紀子とプレスクラブの付き合いは34年前、カーネギー・ホール公演に先立つ試演に始まり、今回で三度目になる。冒頭、恒例の「さくらんぼの実る頃」で登紀子ワールドを開幕した彼女は「時には昔の話を」では長年のファンであるアジア・タイムズの編集長ブラッド・マーティンの「髭づら」をからかい聴衆の笑いを取った。

ピート・シーガーの「花はどこへ行った」では、今現在ロシアの侵略に苦しむウクライナの人々の思いをじっくりと届けた。

マレーネ・ディートリッヒの愛唱歌「リリー・マルレーン」を歌った時にはこんな小話を披露した。実は彼女とは誕生日(12月27日)が同じ。登紀子は1943年ハルピンに生まれ、その42年前1901年ベルリンでディートリッヒが生まれている。

戦前のハルピン(満州国)は日本人、白系ロシア人、ユダヤ人が平和に過ごす国際都市であったが、日本の敗戦後、加藤一家は難民としてソ連兵たちの略奪におびえた。京都下賀茂神社の小さな社宅に引き揚げ、やっと落ち着いたという。この幼少期の経験が加藤登紀子のその後のジャンルと時代を超えた活動の原点となっている。


半農・半歌手を名乗るYaeの歌声

登紀子の次女Yaeは美空ひばりの反戦歌「一本の鉛筆があれば」をカバーした。松山善三氏が1974年第一回広島平和音楽フェスティバルでひばりが歌うために作詞した、ひばりの数少ない反戦ソングである。

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Yae sings「一本の鉛筆があれば」を歌うYae(撮影/Julio Kohji Shiiki)

一本の鉛筆があれば 私はあなたへの愛を書く
 一本の鉛筆があれば 戦争は嫌だと私は書く
 一本の鉛筆があれば 8月6日の朝と書く
 一本の鉛筆があれば 人間の命と私は書く

フィナーレは加藤登紀子の極め付きの「百万本のバラ」。観衆は手拍子を打って参加。そしておまけにオノ・ヨーコが登紀子に日本語訳を作るのを特別に許可したというジョン・レノンの「イマジン」を二人で。

「百万本のバラ」にちなんで「百本のバラ」を贈呈(撮影/Julio Kohji Shiiki)

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半農・半歌手を名乗るYaeの声は高いソプラノで母の低いメゾにエレガントによりそうが、踏みしめた裸足の足指の力強さには、全学連委員長として一時代を築きその後農民となった父親藤本敏夫と加藤登紀子の「血筋」を感じた。

(編集部注 筆者の渡辺晴子さんは1999年特別企画委員会設立を提唱し、長年委員長として関わってきている)

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著者とのツーショット(撮影/Akari Higuchi)

2022.6.30 掲載


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