第130回 羽生結弦選手記者会見と鄭賢淑さん特派員協会卒業
オリンピックと花見で賑わった春は特派員協会(プレス・クラブ)にとって晴れがましい機会であり、その晴れがましい機会を必死で確保した職員の「卒業」を惜しむ季節でもあった。
晴れがましい点は平昌冬季オリンピック・フィギュア・スケートで二度目の金メダルを勝ち得た羽生結弦選手の凱旋記者会見を、2月27日に日本記者クラブに1時間20分も先駆けて特派員協会が行ったことであり、惜しまれたのは平昌まで何度も連絡を入れて羽生選手のスケジュールを抑えた報道委員会担当職員鄭賢淑さんが17年10カ月の勤務を終えて定年前にこの3月退職したことである。
記者会見
平昌オリンピック終了早々行われた2月27日の羽生結弦選手の記者会見は司会のピーター・ランガンさんの「彼にはスピーチを準備する時間はない」との判断で最初から対話形式で行われ、その後会場やメールでの質問を受けた。
ランガンさんはフェイク・ニュース、アルタナティブ・ニュースが勢いを増す時代に真の芸術性を示し感動を呼び覚ますアスリートに感謝し、彼の意欲、スケートの技術面と芸術性などについて質問した。
羽生選手は彼のレパートリーの「SEIMEI」で日本映画「陰陽師」からの音楽を4分半に纏めて使用しているのは、フィギュア・スケートが元々ヨーロッパで発達したもので東洋人には不利にできていること。これを逆手に取り、この機会に日本の音楽で表現したかったからだと述べた。
出席の記者から4回転のジャンプの飛び方を訊ねられた時には「こんな難しい質問は初めて・・・ダメだ」とテーブルに頭を伏せてからおもむろに「目をつぶって回転しながら縄跳びの三重跳びをする感じで、5回転は3回転しながら五重跳びをするような感じ」と絞り出すように答えて満場の笑いを誘った。
勝負飯はお寿司と言いたいところだが、生ものは試合前には食べられないのでサポートしてくださる会社の管理栄養士さんに目標を立ててもらっている。太らないたちなのでマックにも行くしポテトチップスも食べるし炭酸ガス入りのジュースも飲む、と他のアスリートが羨む答え。
Onlineからの試合前のジンクスについての質問にはスケート靴を右から履くか左から履くかには拘らず、日本人だからベッド・シーツ、枕を整理して心残りのない状態で部屋を出るとの返事。
北朝鮮の選手に対する質問には「政治家ではないのでコメントは難しい」と断りながらも、「スケートの仲間であることは絶対に確か。彼らがオリンピックに出て結果を残せたのは良かったと明言した。
スペイン人記者からハビエル・フェルナンデス選手について質問されると、「僕が金メダルを取って泣いたのはハビエルが銅メタルをとったことが決まってから。ソチ・オリンピックでメダルを取れなかったことを彼がすごく悔しがっていたのを知っていた。彼とは6年間お互いに競い、高めあった。彼がいなければ僕は今、ここにはいない。スペインのメディアから彼のことを聞かれるのを待っていた」。
羽生結弦記者会見の出席者は227名。TVカメラ21台、スチルカメラ17台。Olympus元社長マイケル・ウッドフォード氏の会見に次ぐクラスのメディア取材であった。
鄭賢淑さんサヨナラ・パーティー
プレス・クラブ勤続17年10カ月の鄭賢淑さんはメイン・バーのウエイトレスからキャリアを始め、ライブラリー・アシスタントから記者会見連絡アシスタントに移動。近年は記者会見担当課長に昇進して記者会見を縁の下の力持ちとなって支えてきた。羽生結弦選手の記者会見には根気よく日本スケート連盟と連絡し、アシスタントと共に平昌まで電話をかけ続けた。
サヨナラ・パーティーの予告が数日前にも関わらず、メディア・ルームには満杯の記者やプレス・クラブ会員たちが集まり別れを惜しんだ。
因みに転職先は記者会見前後における鄭賢淑さんの働きと人柄をずっと視ていたPR会社だという。鄭さんこれからもお元気で!
2018.4.12 掲載
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