第107回 日本外国特派員協会創立70周年 節目に思うこと
この2015年11月、(公)日本外国特派員協会(略称プレスクラブ)は創立70周年を迎えた。
プレスクラブが発行する月刊誌No.1 Shimbun 10月号と11月号は1945年から今日までの歴史とエピソード、パレス・ホテルでの70周年記念式典・大夕食会の記事と写真が盛り沢山だ。
1945年、占領軍ダグラス・マッカーサー元帥の日本上陸に伴って来日したジャーナリストたちは、廃墟の東京で一時は占領軍からの厚遇に甘えたものの、プレスの自由に対する管理や検閲を嫌って自分たちの仕事の拠点であり、また社交クラブでもあるプレスクラブを設立したのである。
ところで1981年に入会した筆者のクラブ歴は、ちょうど半分の35年になる。この機会に忘れ残った「プレスクラブと私」を記したい。
まず、ここ数年はジェンダー意識が高まっているが、80年当時のクラブはまるで西部劇。白人男性のマッチョ・マッチョな“Wild Wild West”であった。
筆者はたまたま近所に住む友人ゲプハート・ヒルシャーさん(当時南ドイツ新聞特派員)の「5年近くもメンバーだから平理事ぐらいになったら」という勧めで立候補したところ、並み居る候補者が次々と降りてしまい、遂に副会長候補になってしまった。唯一の日本人女性として人事担当第二副会長に当選すると、オール男性の理事会での反発がこれまた凄い。
筆者は戦後民主主義の「純粋培養」で小学校から高校まで生徒会議長など女性初の役員を務めてきた。世界最 初のジャーナリズム学部を創立したミズーリ大学では日本人初の修士号をカパ・タウ・アルファ(優等賞)のオマケ付で獲得。他にも初は ゾロゾロあるが、全てがジェンダ―や人種差別と闘わずして得たものではない。
あまりにもバックラッシュが 酷かったので一期だけご奉仕すればお役御免のつもりが、二期目も立候補して当選してしまった。実はこれが幸か不幸か、2011年に監事として「理事会を卒業」するまでプレスクラブ経営との長年にわたるご縁の始まりとなってしまった。
この経験から、Facebookの役員会で戸惑う新女性重役シェリル・サンドバーグ著のベストセラー“Lean In 女性 仕事、リーダーへの意欲”を企業なり、NPOなり組織で働く男女に是非お勧めしたい。この著書を読んでいたらもっと気軽に出席できたと思うのだが、出版より役員になるのが20年早かった。
さて、諦めたのか実力を認めたのか(?)、やがて一番反発していたマッチョな理事たちが一番の味方になり、筆者に代わって談判してくれるようになったのはラッキーだった。
プレスクラブの仲間からの連帯も忘れられない。韓国の従軍慰安婦問題取材中にフィリピンでも同じ問題があり、イロイロ島の慰安所では軍医が定期的に性病検査をしている記録を偶然発見し特ダネにした。ところが次の外務省の定例記者会見ではいくら手をあげても報道官が指名しない。すると出席した特派員たち全員が挙手した手を下げて一斉に筆者の方を指さす始末となり、諦めた報道官がついに指名してくれることとなった。
ジャーナリスト仲間の暗黙の連帯と言えば、別の機会では「オン・レコ」と「オフ・レコ」問題があった。外務省報道官がブリーフィングの中途で「これはオフ・レコで」といった時、「そんなことは聞いていない」とベテラン記者がさっと立ち上がりそのまま退場した。すると打ち合わせた訳でもないのに、他の記者たちも出口に向かった。筆者が思うに、これは報道官の単純ミスで、記者会見の冒頭でこの旨を一言伝えておけば問題になるような内容ではなかった。しかし、記者会見のルールはルール。2週間後この報道官は外地に赴任したことを知った。
筆者はアジア新聞財団やメディア・リポートの特派員だけでなく「女性とメディア」問題の仕掛け人として仕事をしてきた。「女性とメディア」という言葉は「メディアに働く女性とメディアを通しての女性の平等・発展を目指す」というユネスコの造語だが、メディア研究とビデオ制作の研修所HKW代表として国連婦人の10年来(1976-1985)、世界国連女性会議等において各国のNGO(非政府機関)女性団体のために、HKWメディア・センターを設立してきた。
一独立研修所が世界を相手に事業を進める中、国内の権力側がプレッシャーをかけようとしてきたが、プレスクラブの仲間たちが「FCCJフレンズ オブ HKW」を作ってそのネットワークで支援してくれたのは非常に心強かった。
近年、中国の台頭に従って主要メディアの関心が中国に移り、日本から海外にニュースを発信するプレスクラブも厳しい時代を迎えている。しかし、日本の政治経済を監視する日本外国特派員クラブの存在は、日本記者クラブとともに日本の議会制民主主義を守る上で欠かせない。
更に、今やマッチョどころかここ三期のプレスクラブ会長は女性だ。
「生涯現役」を唱えるのはおこがましいが、多国籍記者とのコミュニケーションも記者会見後のバーでの仲間内の刺激的な雑談も、頭の体操になってよいのではないかと思っている。
2015.12.29 掲載
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