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第104回 エマニュエル・ボダン
元NHKフランス語担当アナウンサー勝訴

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NHKに勝訴したフランス人アナウンサー 、エマニュエル・ボダン氏

東京地裁は11月16日、NHK業務委託スタッフ、エマニュエル・ボダンさん(58歳)が東京電力福島第一原発の事故直後フランス政府の勧告を受けて3月15日に国外に避難して契約を解除されたのは不当として、NHKに契約解除の無効と約514万円の支払いを命じる判決を下した。

吉田徹裁判長はボダンさんが同僚に代役を依頼したことも考慮して、安全を優先して避難したことは強く責められない「不安の中で職務を全うした者は大きな賞賛で報いられるべきだが、そうした過度の忠誠を義務づけることは出来ない」と述べた。

プレス・クラブでは、この判決を受けてエマニュエル・ボダンさんと担当弁護士梓沢和幸さんを招いて、判決の翌日11月17日に記者会見を行った。

【記者会見/演者の写真】



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ボダンさんは1990年から約20年間海外向けのラジオ放送の翻訳とアナウンスを担当していた。原発事故後3月15日、フランス政府の勧告を受けて他の在日フランス人たちと同様に国外退去したところ「放送直前の業務放棄で報道を混乱させた」として契約を解除された。

ボダンさんは会見の冒頭、3年越しの裁判を振り返って「ついに(一個人)デヴィッドがゴリアス(巨人/NHK)に勝った」と彼女を支援してきた関係者に感謝した。

3月15日は原発被害の象徴的な日であり、原発2号機で爆発事故があり、浪江町の山間部、飯館村、福島市,群山には放射能が拡散したため、東京を含む関東地方一帯も危険にさらされた。

「娘たちは私が避難しなければ自分たちもしないというので同僚に業務を委託し、上司の了解も得て避難した」という。その証拠は5分以上にわたる電話記録である。ところがボダンさんは3月22日付書面により、一方的に契約終了が告げられたという。

「NHKは私のレベルのような雇用人にはレスペクトを持たず、危機管理も貧しい」と彼女は指摘。「私より前に6人のスタッフが離日したが、NHKは(外国語スタッフに)どうするのかとの問い合わせをしなかった」。

フロアからの質問は労働契約問題に傾いていたが、筆者はジャーナリストとして懸念していた点を尋ねた。

「古手のアナウンサーとして一定の聴衆がついていたと思うが、貴女がアンカーなどを務めないことに対しての彼らの反応はどうだったか? 船長が船を去るのは最後というが、もし貴女がNHKの正規職員だった場合、職に留まっていたか、それでも日本を離れたか?」

「視聴者は私ではなくNHKを聞くのであって、他のアナウンサーでも一向に構わない。私は自分の生命を守らなければならない」ボダンさんの答え。

ヴィデオ・ニュース代表もジャーナリストの在り方について質問した。

「ボダンさんは翻訳者、ナレーター(の立場)であったが、ジャーナリストが自分の判断で逃げない場合、雇用者がやれという場合は?」

梓沢弁護士は過去のケースを思い出したのか、一瞬涙を拭った。「ジャーナリストは人民の斥候兵(せっこうへい)という。ジャーナリストが自己判断で人民のため進むのは、誰も止められない。(退去指令が出たとき)原発から30km以内から日本のメディアは引き上げた。ところが原発5km以内で親は津波で浚われた子どもの遺体を探していた。警察に知られないよう匍匐前進で近づいて写真を撮っていた人々を知っている」

「会社は自分の選択で行くジャーナリストを首にはできない。一方、自分の命を優先するジャーナリストも首には出来ない。ボダンさんは代役を頼んでから逃げたのであって、倫理的法律的にも問題はない。」

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弁護士の梓沢和幸氏

記者会見を司会した新月通信の記者が、最後にこの事件の背後にあるNHKの動機を訊ねた。

梓沢弁護士は「個人としての見方だが、当時ラジオ・ジャパンの大勢の外国人スタッフが逃げ出した。組織の論理で外国人たちに示しをつけるための見せしめではないか。また、NHKの経営トップの原発に対する態度もあった」と答え、「原告の名誉は回復されたが、20年も続けていた職業への経済的損害と精神的苦痛に対してNHKは社会的、倫理的にも賠償すべき」と述べた。

一方NHKでは地裁の判決を受けて「判決をよく読んで今後の対応を検討する」との談話を出している。


2015.11.21 掲載


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