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第101回 超満員の「日本のいちばん長い日」試写記者会見

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「日本のいちばん長い日」記者会見
役所広司さん、原田眞人監督、K.セバーンさん(司会)

8月になると日本は「一億総戦後モード」になる。広島原爆記念日8月6日、長崎原爆記念日8月9日、敗戦記念日8月15日。そこで、8月3日夜、特派員協会で原田眞人監督と主役の役所広司さんを迎えて開かれた「日本のいちばん長い日」試写会では、万一のキャンセルを求める会員たちで会場はおろかロビーまで埋まってしまった。

半藤一利のノンフィクション「日本のいちばん長い日」を原作に原田眞人が脚色・映画化した作品は軍部の独裁を許し、政治が敗戦を決断できない「大東亜戦争」を昭和天皇が「ご聖断」による玉音放送で決着をつけられた過程を事実を元に描いている。

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原田眞人監督

主な質疑応答

質問:制作の動機は?
原田:父親の戦時体験。1945年に父親が特攻基地である鹿児島の知覧で塹壕を掘っており、(敗戦のため出陣せず生きて帰れたお蔭で)自分はその4年後に生まれた。

質問:御前会議では(ポツダム宣言受諾を前に)優柔不断で文言の解釈で長々とやっているが何故か。これは当時のことか? それとも日本のカルチャーなのか?
原田:本土決戦がなかったため、日本人は負けたと思っていなかったから。

質問:(昭和)天皇はどうして敗戦の責任をとって辞任しなかったのか? 最高責任者が責任をとらなくてもよいという風潮は今日の東芝の不正会計問題にも繋がるのではないか?
原田:辞任しなかったのは憲法に規定がなかったことと、天皇が辞任すれば内乱が起きて日本が(ドイツのように)多国籍占領軍に分割される恐れがあったため。

質問:阿南はどうして辞任しなかったのか?
原田:彼が辞任すれば内閣は崩壊して本土決戦になった。若い将校たちは阿南が陸軍大臣ならば本土決戦をすると信じていたのを欺いて敗戦に導いた。

質問:阿南陸軍大臣の役づくりは?
役所:原田監督は常に膨大な資料を送ってくる。阿南はご聖断の後で中堅将校との間に立って苦悩した。また、御前会議で協議しているあいだにも広島と長崎に原爆が落ちた。奥さんに電話を返さなかったのは(声を聴くと)多分泣いてしまうから。(会場 笑い)

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役所広司さん(阿南惟幾)


質問:天皇の描き方について
原田:1967年岡本喜八監督制作の「日本のいちばん長い日」では天皇は遠景や声、後姿などで画面上に表情は出なかった。海外制作の尾形一世の天皇像はカリカチュアされて不愉快だったが右翼の動きはなかった。 半藤一利の「聖断」角田房子の「一死、大罪を謝す(陸軍大臣阿南惟幾)」の二冊を読んでご聖断に時間が掛かったのがわかり、天皇をメイン・キャラクターとして映画が製作できると思った。

質問:英語の字幕が付いているが海外にどう伝えるのか?
原田:アジアで制作される映画は最初から海外市場を考えて英語の字幕を入れている。この映画は9月の海外の映画祭などに出品する予定。

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超満員の会場


昭和史の副読本に

今年は戦後70年の節目に当たる。「大東亜戦争」「太平洋戦争」「第二次世界大戦」、メディアと歴史家がどう呼ぼうが、肉親や友人を失った個人にとってはそれぞれの歴史観によって呼び名が違う戦争だが、そろそろ自分自身を納得させる頃だろう。

映画では組織と身分を超えた昭和天皇、阿南惟幾陸軍大臣、鈴木貫太郎内閣総理大臣の三人がそれぞれの信頼関係で「ご聖断」を実現させたくだりは非常に重厚な歴史人間ドラマともなっている。分厚い歴史書はちょっと苦手な一般人にとってミュージカル「李香蘭」と同じく、映画「日本のいちばん長い日」は昭和史を勉強する適切な副教科書になるのだろう。

記者会見後も原田監督を囲んでのメイン・バーでの懇談が続いた。

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役所広司さんと原田眞人監督

2015.8.13 掲載


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