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日光東照宮には徳川幕府は二代将軍秀忠時代から代々国家的プロジェクトとして取組み、中でも三代将軍家光は敬愛する祖父家康のために、建造物、彫刻、絵画などを豪華絢爛に創り上げた。東照宮を含む日光山の二社一寺は日本の歴史的文化遺産として1998年に国の史跡に指定され翌年には世界遺産にも登録されている。 黄金色の特急「スペーシア日光詣」号従来の浅草駅発だけでなく、7月18日より新宿駅からもJR線乗り入れで特急スペーシア日光詣号が運行することとなり、その10:07始発に特派員協会からの参加者が乗り込んだ。 列車には日光江戸村からのお殿様、お姫様、忍者が先に乗り込んでいて寸劇のパフォーマンスで参加者を迎えた。目玉企画は黄金色の個室での記念撮影会でネイマー君(12歳)、ティマ—君(10歳)とザノビアちゃん(7歳)、3人の子どもたちはおすまし顔でカメラに向かった。 車中で配られたお弁当も普通食だけでなく、ハラル食(モスレム教徒用の豚などを除いた食事)も用意され、ラマダン(断食月)を前日に終えたばかりの モスレムの参加者たちは盛大な食欲で平らげていた。 昼過ぎに日光東照宮に到着。地元の英語ガイドの案内により五重塔(1649年小浜藩主酒井忠勝奉納、1815年火災焼失後、子孫水野忠進が1818年再建)、三神庫、神厩などを傘を差しながら見学。小浜藩は三代将軍家光に近く、代々東照宮の普請に莫大な寄贈をしているとの話に「アメリカ大統領のオバマはどうだ?」との半畳が飛んだ。「いえ、まだいらっしゃっていません」地元のガイドさんはあくまでの真面目だ。 アメリカ人の参加者は「これが日本人の処世訓の源になった猿たちか!」と熱心に撮影していた。仁王像、竜、象、ダイナミックな彫刻と色彩感覚と左甚五郎作と言われる可愛い眠り猫。「ゴージャスで繊細!」デンマークの記者は今日でも輝くファッション・センスに感動しきりだった。 しかし、ミラノから参加した女性は「日本の美は京都で明らかなように、余分なものを削りに削ったシンプルでミニマリズムのはず、どうして日光だけがモア・アンド・モアなのか?」と折から外国記者を取材に来た地元のテレビに素朴で鋭いコメントを述べていた。 東照宮内部では特別に将軍着座の間に案内され、祭神の徳川家康公に今回の行事の主宰者である企画委員長の筆者が代表で玉串を捧げた。祭主の宮司が「宗教上の理由で二礼二拝をしたくない方はそのままで」との心配りをして頂いたが、後で聞くと参加者一同礼儀を尽くしたようだ。(筆者は最前列だったので見ていない。) 生憎、陽明門は改築中で、また傘をさしてのカメラ捌きで参加者は取材にかなり無理したようだ。しかし、帰路東京スカイツリーの展望台に上った時は その苦労は吹き飛んだ。夕映えの東京の空は茜色から黄金に染まり、「これこそ極楽の世界」と連続してシャッターを切っていた。 今回、外国人参加者の多くは日光東照宮参詣が初めてであった。この日帰りツアーは日本の歴史や文化遺産に対して理解を深める一歩となり、また、待ち時間の長い東京スカイツリーでもパスポートを見せれば外国人は優先的に展望台まで登れると彼らに実地で経験させたことはインバウンド・ツーリズムへの強力な口コミとなるだろう。 2015.8.1 掲載
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