WEB連載

出版物の案内

会社案内

第67回 さよならケンさん

photo
超満員のウッドフォード会見

有楽町にある(社)外国特派員協会(The Foreign Correspondents' Club of Japan)のキャッチ・コピーは、“FCCJ Where the news is made.”。 日本のマスメディアが外務省や経団連などに設けた記者クラブの慣例に縛られて報道しない領域にあえて踏み込むことで、ジャーナリズムの存在を示してきた。古くは田中角栄首相の記者会見時の質問でロッキード問題を暴き、近くではマイケル・ウッドフォード前オリンパス社長による経営陣への告発会見である。

マイケル・ウッドフォード会見を、この事件をスクープしたフィナンシアル・タイムズ紙特派員ジョナサン・ソブルと共に最後まで仕切ったのが、英誌「エコノミスト」特派員ケネス・クキエさん。彼が新設のデータ情報部編集長としてロンドン本社に帰任することになり、2月27日プレスクラブのバーでサヨナラ・パーティーが開かれ、同僚の老若男女のジャーナリストたちが名残を惜しんだ。

photo
ウッドフォーッド前オリンパス社長会見
(左よりJ. ソブル、M.ウッドフォード、K.クキエ、G.バウムガートナー)

ケンさんのジャーナリストとしてのキャリアはアジア・ウオール・ストリート・ジャーナル(香港)から始まり、インターナショナル・ヘラルド・トリビューン(パリ)を経てエコノミスト誌のテクノロジーとテレコム部門の記者となった。2002年—2004年はハーバード大学ケネディー・スクール・オブ・ガバメントのフェローでもあった。
  彼の専門はインターネット通信と国際政治経済への関係で、「エコノミスト」誌以外にもCBS、CNNにコメンテーターとして出演している。

日本に赴任したのは2007年9月。四年半の滞在中最も印象に残ったことは「京セラや村田製作所の超ハイテク。規模は小さいが、世界に類のないテクノロジーを誇る会社を取材したこと」と語る。

本社栄転で「もっとも残念なのはプレスクラブの友人や従業員と別れること!」。寿司と刺身が好物で、二人の子どもたちは日本で生まれた。「一姫、二太郎のミドル・ネームは日本語でつけた。シャーロット・ハナコは4歳、ロバート・カズヒコは1歳」と嬉しそうだ。

photo
サヨナラ パーティー ケン・クキエさんと筆者

ケンさんとはたまたま二期に渡ってプレスクラブの理事会の役員として付きあったが、いつも彼の謙虚さと腰の軽さには感銘していた。席上コーヒーが切れると、ウエイターを呼ばずに自分でポットを持ってきて全員にサービスする。役員と従業員とのタウン・ミーティング(合同会議)では、「もし会合後も不平、不満が残れば私に直接連絡してほしい。出来るだけのことをする」と約束する。特権意識の強いプライベート・クラブでここまで従業員との人間関係を大切にする特派員は極めて稀だ。

さて、世界の主要メディアでは東京駐在は出世階段の最後のステップであるようだ。アジア各地での勤務後は東京に着任し、大過なく4−5年務めあげた後は本社に戻って外信部長などの要職につくのが順調なコースだ。

データ情報部というのは「夜ウチ朝ガケ」などで情報源の人間に接触して取材する伝統的な記者活動をするのではなく、デジタル技術を駆使してインターネットや電信の情報から真実に迫る新しい形のジャーナリズムを実施するセクションである。

例えば2010年ガーディアン紙はウィキリークスが暴露した米国政府の91,000の軍事機密報告を分析して、アフガン戦争で“偶発した爆撃地”1,600件の地図を創りあげた。

ケンさんは「ジャーナリズムが昔の印刷機の時代から今やデジタル技術を駆使して人々にニュースを届ける時代に進化し、ジャーナリストはデータベースをフルに活用できる知識と技術を身につける必要がある」と説明する。

ケンさん、東北大震災からオリンパスまで日本での特派員生活お疲れ様でした。ロンドンでも頑張ってね!


2012.03.01 掲載


著者プロフィールバックナンバー
上に戻る