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第66回 “ノーモア被曝者 ノ—モア原発”

広島・長崎原爆による死傷者20万人、ビキニ環礁水爆実験による船員の被曝、今や40万人に上る原発関連労働者、更にジワジワ増える福島原発の被曝者数。福島原発事故から8カ月。原爆、原発反対活動NGOが11月15日プレスクラブで合同記者会見を行った。

記者会見発表者の5人
(写真左の質問者はスウェーデン写真家ペール・ボドナー氏)
合同記者会見の調整役を訊ねる筆者

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会見時間の割り振りや論点の整理に時間のかかる市民団体と個人が5人もまとまって記者会見をするのは珍しいが、調整役兼通訳の竹野内真理氏の人柄と実力でか会見自身は時間内で収まった。が、やはりこれだけ重いテーマを1時間で収めるのは無理。会見後にはロビーで三々五々のミーティングが行われていた。

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元広島陸軍病院医師 肥田舜太郎氏

記者会見の発表者は肥田舜太郎(医師、広島被曝者)、大石又七(第五福竜丸元船員、ビキニ環礁水爆実験被曝者)、梅田隆亮(元原発労働者)、竹野内真理(低線量被曝者の会共同代表)、佐藤幸子(子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク世話人)。(敬称略)

肥田医師は1945年8月には広島陸軍病院勤務、原爆当時はたまたま往診のため市外に出ていたため直爆死を逃れたが、その後65年間、内部被曝者を診察した。
  なかでも米国が広島と長崎に設立したABCC(Atomic Bomb Casualty Commission 原爆傷害調査委員会)が「内部被曝は放射線が微量で人体には全く無害」と宣伝したため、だるさを訴える患者は「ブラブラ病」神経症状や仮病といわれた。長年被害者として苦しんでいる患者を診るのは辛かったという。

肥田氏のもとには現在もなお福島や東北から鼻血、下痢、発熱、甲状腺の腫れ、紫斑の出ている被曝者と思われる大人やこども数百人から相談が寄せられている。94歳にして現役で働く肥田医師は、人類にとって唯一の生き延びる道は原爆、原発を全廃することだけだと淡々と述べた。

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線量計を見せる佐藤幸子氏

大石又七氏はアメリカが広島に投下した原爆の1000倍もの巨大な水爆実験をビキニ環礁で行った時の被曝者で、船員たちは米軍の証人抹殺爆撃を恐れて日本に帰港するまで被曝のSOSすら発信できなかったという。核実験反対の日本世論の方向を変えた読売新聞社主正力松太郎氏と、原子力予算を国会で通過させたと中曽根康弘氏を強く批判した。

梅田氏は原発作業員の健康相談窓口開設、安全教育の実施、労災補償問題を訴え、翻訳家の竹野内真理氏はロシアの研究を紹介し、日本のマスメディアが報道しない低線量被曝問題を指摘、佐藤幸子氏は有機農業を営む母親として子どもの命を守るために行動を、とアピールした。

ヨーロッパは日本の原発問題に対して関心が高く、スエ—デン写真家のペール・ボドナー氏は「米国科学アカデミーの測定によれば半径20Kmではなく70Km以内で通常の8倍の線量を観測した、とBBCが報道したが、現地ではどう受け止められているか」と質問。子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク世話人の佐藤幸子氏は実際に子どもたちが身につけている近畿大学から提供された線量計を見せた。ただし3カ月ごとに集計された結果は個人情報保護のためでもあり、学年単位の発表になっているという。福島県民200万人を原発のためのモルモットにしないで、と厳しくアピールした。

今回の記者会見では外国プレス以外の日本の報道機関やNGOの参加が多かった。会見後のロビーでは日本プレスが発表者や外国プレスに長時間取材を行っていた。


2011.12.12 掲載


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