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1945年夏、占領軍司令官ダグラス・マッカーサー元帥の厚木基地上陸と共に日本での取材活動を開始した米英の従軍記者たちが中心となって創立した特派員クラブは伝統的に"Boys' Club"であり、創立以来63年の歴史の中で女性会長は1984年誕生したCBSラジオのメリー・アン・マスカリーさん一人だけだったが、7月1日、二人目の女性会長が誕生した。 新会長のキャスリーン・マキノさんは現在、環境、人権など途上国が直面する問題を主要テーマに世界各国のメディアに配信する専門通信社インター・プレス・サービス(IPS)の特派員。1952年生まれ。地元のオレンジ・カウンティー・レジスターで記者として働きながら南カルフォルニア大学で学んだ努力家だ。 連れ合いの東京赴任以来、フリーの記者としてサンフランシスコ・クロニクル、ジャパン・タイムズ、ウオール・ストリート・ジャーナル紙などに寄稿しながらプレスクラブの活動に参加し、5年前には理事に当選、昨年度は副会長を務めた。今回は「ジャーナリズムに増えてきた女性と若者、インターネットの記者にもアピールする特派員協会つくりを目指す」とのマニフェストを掲げ、対抗のブルーンバーグ古参特派員ブラッドリー・マーチンさんに124対59の大差で当選した。 7月1日会長就任と同時に発表した会長指名による15委員会のうち約3分の2の委員長や共同委員長も女性が占める。投票権を持つ正会員350人中女性は約20%の69人。投票権を持たない準会員を含めるとプレスクラブ会員数2249人。うち女性は12%の273人なのでこれほどの女性委員長進出も創立以来の出来事だ。 疾風怒濤の選挙週間七年近く勤務した総支配人の自宅待機命令後の解任、新総支配人募集と採用。採用した料理長の6ヵ月後の辞任と新任の採用。それに伴う一連の一部会員の動きなどで7月1日正午に一年間の任期を満了したマーティン・ウイリアムズ政権は、ジャーナリズム以前のプレスクラブ組織内部の問題解決に手間取っていた。 内規では6月1日までに指名する選挙管理委員長の任命は6月6日の候補者指名総会の当夜。筆者は例年のことなので引き受けたが、今までにない異例続きの選挙だった。 まず、恒例の会長候補による「グレート・ディベート」がマーチンさんの都合が付かず余儀なくキャンセル。続いて彼からブルーンバーグ・ニューヨーク本部の反対で候補を取り下げるので新しい候補者を指名したいという要請。「臨時総会を開いて新候補者を指名させろ」、「いや反対だ」など、それぞれの応援団からの電話やメールが選挙管理委員に殺到した。 「緊急事態として臨時総会を求める」正会員総数8分の1を超える署名が集まりウイリアムズ会長が6月17日に総会を設定したが、出席者が5分の1の定足数に10人足らず、結局流会となった。 プレスクラブ内規に従いブラッドリー・マーチンさんの名前を候補者リストに載せたまま選挙期間を終えたが、この問題が尾を引いたのか投票率は例年より低く54%。10人以上の会員が会長候補欄は無印のまま投票を済ませた。 選挙委員会では規則の盲点と問題点を分析した報告書を7月1日正午の新旧合同理事会に提出したところ、新会長から更なる報告を求められた。プレスクラブの役員選挙はジャーナリスト組織の根幹に関わる事業である。「洞爺湖サミット」が終了したら選挙管理委員会として改めて検討したい。
初めて委員を引き受けたバングラデッシュの記者モンズル・ハックさんも二度目の英国人記者ヘンリー・ストックーストークスさんも「これほど疲れた6月は経験したことがない」といいながらも選挙管理委員として厳正中立公正の姿勢を最後まで貫けたのが満足そうだった。 「難産の児ほどよく育つ」という。キャシーさん頑張って! 2008.7.7 掲載
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