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2004年第52回日本エッセイスト賞を受賞した共同通信OB松尾文夫氏の「銃を持つ民主主義」の英訳"Democracy with a Gun-America and the Policy of Force"(Stone Bridge Press Berkeley )がこのほど出版され、図書委員会が特派員クラブ恒例"Book Break"(出版記念講演会)を2月4日夕に主催した。 松尾文夫氏は1933年生まれ、自称「愛国少年」時代を福井市で過ごし、第二次世界大戦で日本が敗戦する1月前、1945年7月、米軍B29爆撃機127機による福井絨毯爆撃を現地で経験している。学習院大学卒業後は共同通信に入社、ワシントン特派員生活が長く、著書、翻訳書も数多く、共同通信「卒業」後もベテラン米国ウォッチャーとして執筆・講演に多忙な生活を送っている。 松尾氏は「米国の二大産物は民主主義と銃であり、言論の自由への権利を明記した米国憲法修正第一条は良く知られているが、国民が銃を持ち、武装する権利を記した修正第二条はほとんど知られていない」と語った。 修正第二条の条文"A well regulated Militia, being necessary to the security of a free State, the right of people to keep and bear Arms, shall not be infringed" は筆者が平たく訳せば「自由主義国家の安全を守るために必要とあらば、米国政府は国民が民兵団を組織し銃を保持し使用する権利を犯してはならない」となる。 松尾氏は「修正第二条は市民が専制君主に対して立ち上がることを想定した権利であり、英国から新世界アメリカへ移住してきた人々の当然の思想だという」。「ボウリング フォー コロンバイン」などで知られるように、米国の高校や大学での銃の乱射事件があってもNRA(米国ランフル協会)の政治家に対するロビイングが有力なのは米国民全般に民主主義を守るためには銃が必要」という意識があるからだという。
ここで筆者が補足すると、もとより、米国憲法修正第一条に明記されている言論の自由にも"Clear and Present Danger"「明白にしてそこにある危険」、つまり満員の映画館で「火事だ!」と叫んで観客を危険にさらすような自由は制限されるように、修正第二条の銃器の保持も州や学校などでは一定の制限がかかっている。 また松尾氏は戦後の日米関係を振り返って、日本人は敗戦ならぬ「終戦」で、これまた占領軍ならぬ「進駐軍」から新憲法をもらったと思い、日米は経済的社会的にも緊密に見えるが根本的にはお互いに理解しないまま数十年を過ごしていると指摘した。更に、両国が真に友好関係を結ぶためには「ドレスデン式典のような機会を設けることが望ましい」と主張した。 現代史を振り返ると、第二次世界大戦後50年を記念して、1995年ヨーロッパでは戦勝国米英側、敗戦国ドイツ側の代表がドレスデンに集まり、平和を祈念して絨毯爆撃で亡くなった数万人のドレスデン市民を追悼する行事を大々的に行った。 「(同様の行事に代わるものとして)小泉首相は訪米の際にエルビス・プレスリーのメンフィスの自宅よりも、彼が"ブルー・ハワイ"の印税を寄付したお陰で立派に改装された真珠湾の戦艦アリゾナ記念館を訪問すべきだったし、ブッシュ大統領も任期中に原爆で(14万人の)市民が亡くなった広島を弔問すべきだ」と彼は年来の持説を再強調した。 松尾氏がプレスクラブに入会したのは1985年。ベテラン・ジャーナリストとして内外記者の尊敬を集め、この講演会にもクラブの前会長4人が顔を見せた。 「書名から米国が世界の警察としてイラクに開戦する話かと思ったが、この民主主義を銃で守るというのが米国の外交になっている」と元ロスアンジェルス・タイムズ紙特派員のサム・ジェームソン氏。 冒頭の二人の質問を皮切りに、「占領軍を進駐軍と呼ぶ婉曲語法は日本軍が仏領インドシナ侵攻の際にも使われた」との著述家・緒方四十郎氏のコメントなどもあり、出席の記者、歴史家などで日米論が盛り上った。なお、講演と質疑は全て英語で行われ、出版社が持ち込んだ英訳本は完売した。 日本語の原著「銃を持つ民主主義」は2004年小学館発行。英語版の発行を済ませた松尾文雄氏は米国の中国関係についての次の著作を準備中である。 2008.2.15 掲載
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