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援助機関のインターンから現場へ山口さんが途上国と係ったのは慶応大学で開発経済を学ぶ4年生の時。インターンとして働いた米州開発銀行のボスたちが現場を知らないまま巨額の予算を動かすのに違和感を覚え、アジアの最貧国バングラデッシュに飛んだ。飛行場を出るなり襲ってくる異臭、彼女を取り囲んだ人々がそれぞれ手を突き出して「マネー、マネー」と叫ぶ。「あの巨額の援助は政治家に吸い上げられ民衆には届いていない」と実感した瞬間だという。 その後の行動は早い。母親の懇願でともかく慶応を卒業したものの、バングラデッシュのNGOが設立したBRAC University(バングラデッシュ農村改善センター夜間大学)に大学院生として入学。昼間は日本商社でアルバイトしながらバングラデッシュの人々が収入を得る道を模索した。 そこで見つけたのがジュート。バングラデッシュ名産の黄麻である。ジャガイモ袋やコーヒー豆袋用に粗末に使われていた。彼女は素材感を生かしたカジュアル・バッグに仕立てることを思いついたが、若い日本女性を真剣に取り扱う工場主はいない。 幾多の門前払いの後、やっと見つけたまともな工場主も大得意の米人バイヤーの意向に逆らってまで彼女のデザインしたバッグを生産ラインに乗せることはしない。それどころか、その工場でデザインはおろかパスポートまで盗まれる始末。 ここで発揮されたのは高校時代に埼玉県女子柔道で優勝した不屈の気力。涙の海から立ち直る彼女が出合ったのは(浪花節表現!)小さい工場を持つ一徹者の職方と部下の縫製工たち。ついに絵里子のデザインが量産可能のジュート・バッグとして生まれた。 2006年1月最初の生産品160個のバックを携えて帰国、バッグを売るために3月、株式会社マザーハウス設立。体当たり、飛び込み商法で東急ハンズを皮切りに日本の大手デパートを開拓し、インターネットで小売を開始した。それが今や飛躍的に1000個の生産に拡大し、今年8月には入谷に直営一号店をオープン。「今期の年商はUS$10,000を大きく越えます」と宣言している。
若い働き手も次々と加わり、慶応大学時代の先輩はゴールドマン・サックスという外資大手金融証券からこの幼い会社に副社長として参加し、夢と情熱で足元のおろそかになりがちな山口さんを支えているようだ。 特派員協会で企業のPR映画に対して拍手が起こるのは極めてまれであるが、この山口さんの奮闘記映像には惜しみなく拍手が送られた。 Q & A
Q: ジャスティン・マカリー(英国): 工員の給料は? 顧客は安い方を好むのではないかと質問した経済記者のアンソニーさんは「クレジット・カードを扱わないのか」とコメントしながらも現金で見本のバッグを買い上げていた。 山口絵里子さんは商品をジュートバッグだけでなくジーンズやインテリア製品、革製品、木工製品に発展させるというが、マザーハウスの今後の発展と学校建設が楽しみだ。 2007.10.19 掲載
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