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レジス・アーノー(フランス・フィガロ紙)の「2004年にN.Y.で公演したばかりなのになぜ2007年度も?」という冒頭の質問に、勘三郎さんは「NYは演劇の国」だからと力説した。
「一本の芝居で勝負したい気持ちが強まっていったからだ」という。 英語の台詞は超訳で会場から質問「今回の演出にサプライズはあるのか?」には意気揚々と「法界坊の独白は全部英語でやります!」 人殺し、強姦魔で友達のいない人間なので、法界坊には独白は多い。台詞を英語に翻訳してもらって週2回の特訓を受けているが、更に公演前にその英訳した台詞を「羊たちの沈黙」にも出演した友人のポールに聞いてもらった。大笑いするので「英語がわからないから可哀想だと思って笑ったのか」と訊ねると「翻訳英語ではなく感性で判る」と答えた。 そこで法界坊が娘二人を強姦する前の“Which one shall I enjoy first? You or her. Her or you”はポールの超訳で“eenie-meenie-minie-moe” (小児遊戯語の どっちにちようかナ」になったという。
「法界坊」はNYシアター・ピープル向き極悪人だが飄々として憎めない「法界坊」は、ニューヨーク・タイムズ紙の演劇記者が「これこそ正にNY演劇ファン好みの出し物」といったという。以前にも勘三郎さんの法界坊が破れ番傘を差してポーズを極めると若い黒人の観客が立ち上がり“C’mon!”と大向こうから声をかけたそうだ。「カモンといわれても、向こうには行けなかったが、そうだ、これを英語でやろう!」と閃いたという。 今回も大向こうを乗せるため、三階席にむかって「You up there in cheep seats. Can you hear me? Next time spend (some) more!」と呼びかけるという。 アクターズ・スタジオの校長ジェームズ・リプトン氏からも「全部わかった。(芝居の)真実は真実。国の違いより観客の感性と波長に合うかどうかの問題」と共感された。 演劇人との交流勘三郎さんがNYに戻りたいもうひとつの理由は、一流の演劇人が仲間内のパーティーでは着飾ることもなく、役者同士として対等に会話すること。アクターズ・スタジオ創設者のリー・ストラスバーグ氏の自宅パーティーにジーパン姿で訪問した時、この日本から現れた若干20歳の役者に対して相客のロバート・デ・ニーロさんは「今、日本で評判の映画は?」と尋ね、「ロッキー」だと答えると「あれはダメだ。俺の“レイジング・ブル”の方がずっとよい」と真剣に怒ったというエピソードを披露した。(注 この映画は強靭な肉体に不安定な精神を宿した伝説のボクサー、レイジング・ブルの伝記で、デ・ニーロさんは主役を演じ日本では1981年公開されている。) また、彼が「芝居を見に行く」というので切符を送ったら、本当に自宅の庭の花で花束を作ってやってきた。その誠実な態度に感化され、それ以来、勘三郎さんも演劇の誘いには「行く」といったら必ず行く方針を守っている。
お祝儀の税金は?プレスクラブはファンクラブではない。(筆者自身は勘九郎時代からの大ファンだが)世間を騒がせた国税庁からの重加算税について質問しないことには、特派員協会の鼎の軽重が問われる。そこであえて聞いてみた。 「歌舞伎界の給料体系を考えるとお祝儀の大半は必要経費として処理できないのか?」 勘三郎さん曰く、歌舞伎の初日には、大道具さん、小道具さん、電気屋さんに心付けが必要。誰からも領収書はとれないし(経理担当者も)誰にいくら渡した、とは税務署に話していない。何度も結婚する人がいるが、結婚式の祝儀からは税金が取られないが、生涯に一度しか出来ない襲名のお祝儀からは税金がとられる(のは理不尽だ)。2歳のときから同じ人に経理をやってもらって「大丈夫」といわれていたが、「今回から国税(局)にいたすごい鬼のような人に経理担当に来てもらった」と記者会見参加者を笑わせた。 更に、夢を売る商売なので自分の給料は知らない。「こんな金のためにやっているの」と思うのも、「こんなにもらっていいの」とも思いたくない。マスコミ誤報の隠し口座についても、そんなのはありもしない。訴えたら勝てるが、そんなことをしたら(役者としての)色気がない(からやらない)。 出席者の喝采に応えて、法界坊の強姦場面の英語寸劇の実演もあり、大拍手で会場を後にしたが、プレスクラブの建物の出口でとんだ強敵に出くわした。それは60人のオバタリアン軍団。栃木県から宝塚歌劇マチネーを目指してバスでやってきて有楽町に乗りつけた。 「あつ、勘三郎がいる!」次々に握手を求める女性たちは、押し競饅頭で勘三郎さんの隣に並んでケイタイで写真を撮り合う。 記者会見にはマネージャーが予約したプレスクラブの駐車場三台分をキャンセルし、大勢のお供は引き連れずタクシーで気軽に来た勘三郎さんだが、帰りのタクシーを探す間に受けた大襲撃。役者の粋な心遣いが日本の演劇愛好家に通じるのはもうすこし先のようだ。 2007.6.27 掲載
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渡辺 晴子(わたなべ はるこ) : シカゴ・サン・タイムズ、アジア新聞財団(東京支局長)を経て、現在メディア・リポート特派員。(社)日本外国特派員協会特別企画委員長。同協会副会長、選挙管理委員長、企画委員長などを歴任し、同協会の講演会、文化・スポーツ事業等も担当している。 |
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