第50回 「18歳成人制度の是非」について
皆さんこんにちは。
まず、この連載が2005年4月にスタートし、今回で50回、また、3周年を迎えることができました。読者の皆さま、連載関係者の皆さまのおかげです。心からお礼申し上げます。これからも自分なりの視点を保ちつつ、意見を発信することで、少しでも皆さまのお力になれれば、と願っています。
3月末に、茨城県と岡山県で、見ず知らずの人を殺した若者が逮捕されました。そして、東京都文京区では、将来を悲観した40代の父親が、一家心中を図り、自分の親と妻を殺害というなんともいたましい事件が発生しました。被害者と関係者の皆さまに、心からお悔やみとお見舞いを申し上げます。
茨城県の事件の容疑者は、高校での部活動で全国大会にも出るほどの活躍を見せながら、引退後急速に目標を失ったという報道が出ています。岡山県の事件は、高校を卒業したばかりの少年が、成績優秀なのに家庭の事情で大学進学できなかった、という報道があります。どちらも事前に防げる機会がたくさんあっただろうに、と悔やまれてなりません。
今の日本では、高校でも大学でも、「いち早く目標を見つけて、確実な努力をした人」が入試、就職活動でも優遇されやすくなっています。目標を見つけるのに時間がかかったり、一度設定した目標を変更する人も数多くいるのですが、そういった人はフリーターなどになった場合、脱出することが難しくなっています。
秋の新卒採用など、工夫した人材採用をしている企業も多くありますが、企業だけに任せるのではなく、国が、「若いうちに多様な生き方をしても、正社員になることができる」ように強制力ある改革、指導をしていかねばならないのではないでしょうか。若者の明るい未来を確保することで、消費や経済活動の活発化を促し、結果的に国の繁栄にもつながると私は考えています。
そして、強く伝えたいことがあります。
人は、それぞれ、自分の人生をまっとうする権利を持ってこの世に生まれてきています。たとえ友人でも、もちろん見ず知らずの他人でも、たとえ親であっても、思い込みや衝動で勝手に命を奪う権利は、持っていません。悩みがあるのなら、必ず救いの道は見つかります。だから、誰かの命を奪うことで、自分の悩みの引き換えにしないで下さい。
今回は「18歳成人制度の是非」について考えます。
この問題に関しては、今年2月に大きく取り上げられたのでご記憶に新しい方も多いと思います。「憲法改正の国民投票が18歳以上」とされたことに伴い、審議が開始されました。また、西欧では基本的に18歳が成人なので、それに倣う、という考えもあります。現在議論されている内容は、
1.法務省のwebサイトから「審議会等情報」をクリック
2.「現在審議中の部会情報はこちら」をクリック
3.「民法成年年齢部会」をクリック
以上の手順で、審議の内容を確認することができます。
※法務省webサイト http://www.moj.go.jp/
この問題に関し、結論から言えば、私は引き下げに反対です。
理由は、「少子化の中で、親が何でも子どもの代わりに考えてしまう風潮が強い中、精神的に未熟な若者が多い」と感じるからです。もし引き下げるのであれば、「教育内容を根本から見直し、子ども自身の、さまざまな問題について考える力を、幼少期から養う」ことを実行しなければならない、と考えています。
この問題は早かれ遅かれ議論になると考えていた私は、以前、高3の生徒に、「18歳は大人だと思うか」という内容で、簡潔に自分の意見を述べてもらいました。その結果、興味深い内容となりました。
しっかりしている生徒は、「もうすぐ大人になるのだから、子どものつもりでいてはいけない、私たちは大人に近づいているという自覚を持って行動しなければならない。ある意味もう大人の仲間だ」といった意見を述べるのです。
ところが、自分の意見をきちんと持っていない生徒は、「まだ大人ではない」、極端な場合は「子どものままでずっといたい」などと書いていました。両者とも、回答に、特に男女間で差はありませんでした。
つまり、育てられ方、置かれている境遇(家庭、部活動など、その生徒を取り巻くすべて)で、如実に差が表れたのです。
この欄で私は繰り返し指摘していますが、子どもはいずれ親の元を巣立ちます。それまでは愛情をたっぷり注ぐのは大変素晴らしく、重要なことですが、それは、「親が子どもの代わりに受験先を考えたり、進路を決めたりする」ことではないはずです。それでは、子どもは永遠に親に代わりに決めてもらわねば、ものごとを実行できなくなります。
「親が大学に行けって言うから、勉強が嫌いだけれど大学に行く」生徒がいる時代です。そのような生徒が4年間で変わることができるか、と言いますと、よほどのできごとがない限り、正直言って厳しいです。
「この先も勉強、アルバイト、サークル活動、なんでも精いっぱい取り組めば、必ず自分の生きる道が見つかるよ」と言っても、「じゃあ、そんな努力するのは面倒くさいから、自分は就職できない、フリーターでいい」と、大学に入る前に言う生徒がいるのです!こういう子どもに学費を払う価値を、保護者はもう一度考えていただきたいものです。
一方で、「いずれ自立する」ことを周囲からさまざまな形で教えられ、また、部活動や家庭で、その年齢・役割なりの、責任ある立場をまっとうして来た生徒は、若いゆえの未熟さはあるのですが、立派な考えを持っています。「自由とは責任を持って行動すること」ということを知っており、大人とは自分で何でも決められる自由があるけれども、その代わり背負う責任が大きいことを、次第に理解しつつ成長していっています。
ですので、そのような若者が数多く生み出せる教育を実施すれば、18歳で成人ということにしても良いと思います。それは、家庭や心ある教員の取り組みだけに任せるのでは限界があります。日本の教育制度、入試制度すべてを含めた改革を伴わなければならないでしょう。親が子どもの代わりに何でも決めたり、「親が大学に行けと言うから行く」という子どもを出さない教育にするのです。
そのためには、学校で学ぶことはもちろん、自分の意見を考えて述べさせたり、ニュースなどを広く学んだり、大人の生きる姿を通して、仕事や自立する意味を考えたり、と、あらゆることが必要となります。責任ある行動を取れるために、たとえば、悪質商法に騙されないような教育も必要でしょう。今もそのような教育を施している方はたくさんいますが、どうしても学校間、家庭間で格差が出ています。
このような状況を改めないで「18歳を成人」とした場合、どのようなことが起きると考えられるでしょうか。たとえば、未熟な若者でも成人と認めることで、暴走を許し、また、ネット詐欺などにあっても、今は未成年なら保護者が守ってくれますが、「自己責任」として重い責任を背負わねばならなくなってしまいます。これはあまりにも危険で、また、若者が気の毒です。
このような若者を出す前に、大人がすべきことは山のようにある、それが私の結論です。
【今回のまとめ】
- 18歳成人制度については、教育内容を根本から見直し、子ども自身の、さまざまな問題について考える力を、幼少期から養うことを実行しない限り、教育現場にいる者として、賛成できない。
- 子どもはいずれ必ず自立する。何でも親が決めていては、「いつまでも自分で決められない」大人を生むことになる。
- 大人とは自分で何でも決められる自由がある、その代わり背負う責任が大きいことを教えていく必要がある。
2008.4.5 掲載
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