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第49回 「生活常識の伝え方」について


皆さんこんにちは。
  最新号の「AERA」('08.3.3号No.10)で、「子どもを『盆栽』に 選良化教育の罠」という、ショッキングな記事が載っています。幼児期からエリート教育を施す弊害について指摘している内容です。少子化、また、核家族化で、誰に聞いたら良いのかわからず、「とりあえずエリート教育を施して安心している」、という保護者もいるのかもしれません。

でも、エリート教育ではなく、小さいうちこそ遊んだり、また、他に身につけるべき大事なことがあります。今までも私はそのようなことについて考えてきましたし、今後も、考えていくつもりです。

今回は「生活常識の伝え方」について考えます。
  もうすぐひな祭り、桃の節句ですが、この日には散らし寿司などとともに、「はまぐりのお吸い物」を食べるのが古くからのならわしとされています。

はまぐりは、もともと対になっている貝がら以外に、他に合う貝がらがない、というところから、「女の子の将来の、伴侶との末長い幸せを願って」食べるものです。はまぐりは、平安時代から「貝合わせ」と言って、ひとつの貝を2枚に分け(それぞれが対になるように美しく色を塗ります)、片側の貝がらを並べ、入れ物に入れた、もう片側の貝がらの中から、対になるものを探す遊びがありました。そこから変化して今の風習になっているのだと思います。

このようなことを、家庭科の授業などで教えたりしているようなのですが、男子はちんぷんかんぷん、女子でもわからない生徒が結構います(生徒の話や試験内容などでわかります)。

その反面、「節分で、豆以外に食べるものは何か」、「土用の丑の日に、夏ばて防止で食べるものは何か」といった質問は、驚くほどよく答えられます。答えはそれぞれ、「恵方巻」、「うなぎ」ですが、恵方巻はもともと関西の風習で、東京で広まったのはこの数年のことで、コンビニの作戦で急速に市民権を得たものです。

恵方巻もうなぎも、コンビニやスーパーで「簡単に買い、食べる」ことができます。ところが、はまぐりは、砂抜きなどをしなければ食べることができません。つまり、「買ってそのまま食べる」わけにはいかないものです。

コンビニやスーパーの販売戦略で、「簡単に食べられる」ものが日本の風習として全国的に定着しつつある一方、「簡単に食べられない」ものが、千年以上続いてきた伝統もむなしく、消えていくかもしれない状況にあるのだ、という事実をつきつけられた思いがしました。

ひな祭りで「はまぐりのお吸い物」を食べると気づかなかった女子の生徒の家庭では、ひな祭りに何を食べているのでしょうか。桃の節句当日に、保護者が仕事で忙しくてひな祭りができなくても、週末にするとか、工夫の方法はあるはずです。

また、母親は黙って「はまぐりのお吸い物」を出していたとしても、「その由来」を話さなければ、子どもは理由がわかりません。洋食で「ひなまつりパーティ」でも良いでしょうが、スープには、はまぐりを入れてほしいものです。

そして、家に男の子しかいない家庭でも、母親がいれば、その家の「女性」なのですから、ぜひ「はまぐりのお吸い物」を食べ、自分と夫の幸せ、そして、「息子の将来の幸せを願う」ことをしていただきたいものです。

他に、七五三も、現在、特に女子は「写真館でお姫さまのようなドレスを着て写真を撮る」ことが先決になってしまっていますが、そもそもは、幼いうちは抵抗力が弱く、病気や事故などで大人よりも死亡率が高かったことから、「子どもの無事な大人への成長を願って」近所の神社などに参詣に行く、というのが本来の意味です。

かわいらしい衣装も結構ですが、何らかの形で「子どもの無事な大人への成長を願う」ことを実行していただきたいと思います。

このような風習はそもそも、「わが子の健康と幸せ」を願うものとして始められ、現代にまで伝えられているものです。昔からの風習すべてをしてほしい、とは言いませんので、その家庭でできる範囲で構いませんので、実行して下さい。そういったことも、保護者の愛情を子どもに伝えるひとつの大事な手段になるのですから。

このような風習に限らず、たとえば、社会常識のひとつ、「結婚式の招待状の返事の書き方」、などを高校生に教える時にも驚くことがあります。ある程度知っている生徒もいる一方、「こんなの見たことがないからわからない」と、まったくお手上げの生徒も珍しくありません。ひどい場合、「親の宛名になっているのはおかしい」と言って、勝手に友人の名前に書き換えたり、「ハガキを書いたことがないから、メールで返事を出してはいけないのか」という生徒が出ます。

こういったことも、親戚や仕事関係の知人から招待状が届いた際に、保護者がさっさと書いて出してしまうのではなく、子どもが小学校高学年〜中学生くらいになったら、子どもの見ている前で「こうやって書くんだよ」と、日曜日などに見せつつ書くのが良いのではないでしょうか。大人になって、書き方を知らないで、困るのは子ども本人なのです。

私事ですが、先日、近所に転居してきたご家族がいました。週末の夕方、ごあいさつにいらしたのですが、私がお会いして驚いたのは、ご夫妻だけでなく、小学生のお子さんまでご一緒だったことです。

「本当はこの子の下に、もうひとりいるのですが、さっき寝てしまいまして…」
そう、ご夫妻はおっしゃいながら、皆さんで「よろしくお願いします」と言われました。
  (ああ、こうやってきちんと勉強だけでなく、生活に必要なことも教えていらっしゃる)
私はそう気づき、ご夫妻だけでなく、小学生のお子さんに向かっても、
  「よろしくお願いしますね」
そう、笑いかけました。

こういったことをどこまで教えるべきか、同僚と話をすることがありますが、その中でよく、「常識の範囲ですよね」という言葉が出ます。「常識の範囲だから、家庭で」ということを言いたいのでしょう。

確かにその通りだとは思います。でも、たとえば、「父親が日本人、母親がアジア系外国人」などで、一見すると国際結婚だとわからないような家庭の子どもが、今、日本にも多くいます。そのような家庭では、もちろん、「家庭なりの常識、お母さんの味」といったものがあると思いますが、「日本の社会常識」を子どもに教える機会がないと、子どもは社会に出て困るのではないでしょうか。また、シングルペアレント、低所得者などの家庭で、そこまで教える余裕がない場合も多いと思います。

先ほど、結婚式の招待状の話を書きました。親の世代も親戚が少ないので、このようなことを子どもが目にする機会もどんどん減っているのが現在の日本です。「18歳になるまで、お葬式にも結婚式にも1度も出たことがない」子どもだっています。そのような場合、「家庭で何もかも教える」というのは、ある意味不可能なのではないでしょうか。

ですので、家庭の風習を大事にするのはもちろんですが、「学校でも最低限のことを教えていかねばならない」というのが、私の考えです。そのような生徒たちに、勉強以外に何も教えず、そのまま社会に出すことは、ある意味「非常識な若者」を、大人が生み出す手伝いをしていると言えるのではないでしょうか。

もちろん、このようなことを教えるのは、教員だけの負担にするのではなく、児童館の取り組みや、地域の大人が土曜日や夏休みなどを利用して教える機会を作る、といった機会を作ることもできるでしょう。

少子化で、多くのことを大人がしてくれる中で子どもは育っている、現在の日本です。そのような中で、「大学生だから(大人だから)自分で考えなさい」と急に言われても、できるはずがありません。大学生に、大人になった時に困らないように、少しずつ教えていくのが、大人の役割ではないのでしょうか。私はそのように考えて、日々仕事をしています。


【今回のまとめ】
  1. 古くからの風習は、「わが子の健康と幸せ」を願うために始められ、伝えられているもの。その家庭でできる範囲で、「由来を話しながら」実行してほしい。それが、親から子どもへの愛情を伝えるひとつの行為にもなる。
  2. 結婚式の招待状など、子どもの目に触れる機会が少ないものは、ある程度の年齢になったら、届いた時に目の前で見せながら書いてほしい。
  3. 大人が何もかもしてしまい、子どもに教えないと、子どもが成長した時に、突然「ひとりでしなさい」と言われても、どうしたら良いかわからない。それは、ある意味「非常識な若者」を、大人が生み出す手伝いをしていることになる。
  4. 家庭が多様化している現在の日本では、「家庭で生活常識をすべて」教えるのは難しい。だから、このような常識を教員だけが教えるのではなく、地域の大人などが教えたりしていく取り組み、工夫も必要。

2008.3.1 掲載

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