第36回 「教育現場で重要なこと」について
皆さんこんにちは。長らくお待たせして失礼しました。2007年最初の更新です。本年も、どうぞよろしくお願い致します。
2007年は、団塊世代の大量退職が始まる年でもあります。そのことに伴い、教員の採用にも変化が起きつつあります。
たとえば、小学校の教員採用の倍率が、特に都市部でこの数年低下しています。つまり、「きちんと採用試験のための勉強をしていれば、合格する」状況になっています。
でも、これは、「採用試験の勉強をした」結果です。小学校の教員も、大学に入る際は、「数学」、「国語」など、自分の得意科目を選んで力を入れて勉強し、入学しています。センター試験で一定の得点は得ていても、不得意科目がある人もいるでしょう。つまり、教員採用試験の合否は、「小学校の教員として、全教科の勉強が問題なく教えられる」ということとは別問題で、「苦手な教科があっても、合格する」ことにつながってしまっています。
しかも、現在は、「中学の教員免許を持つ者」が、大学で1、2年程度勉強し、小学校教員に必要な科目を履修して「小学校教員免許」を取得する場合もあります。このようなケースでは、教育実習は、既に免許を持っているので行なう必要がありません。勉強の年数は、教員経験があるかといったことで左右されます。
ですので、「小学生と接したことがないまま、教壇に立つ」人も出ているのではないでしょうか。
(以上のような状況を踏まえ、「小学校でも教科担任制(中学校以上のように、教科ごとに教員が変わること)を導入すべき」と考える方もいるようです。ただ、小学生、特に低学年はひとりの教員が常に指導することのメリットが大きいので、実施しているところはほとんどないのが実態です)
お子さんが現在小学生の方は気をつけていただきたいのですが、「子どもが学校の授業を理解していない」という場合、教員の経験・力量不足から来ている場合があります。
ただ、新任の教員にストレートに苦情を言うと、教員が追い込まれ、心を病んだり自殺するケースもあります。そのような場合、第2回の連載をご参考にしていただけたら、と思います。
今回は、「教育現場で重要なこと」について考えていきます。
昨年秋から、教育問題を取り巻く多くの隠れていたことが明らかになりました。いじめ問題、未履修問題…今年に入り、福岡市では、小学校教員採用試験の問題漏れが明らかになり、原因は、教育委員会の委員が元校長に漏らしたこと、という話も伝わってきました。
また、会社組織をめぐる問題では、ある老舗菓子メーカーの「消費期限切れの材料で製品を作ったり、細菌検査で出荷できないと結果が出たものを出荷したりしていたこと」が明るみに出て、会社存亡の危機にまでなっています。
このようなことを見聞きしているうち、あることを私は強く感じるようになりました。それは、「教育現場で本当に重要なことは何か、忘れている人が多いのではないか」ということです。
会社でしたら、「消費者」が大事な存在のはずで、「消費者にとってもっとも良い形で商品を提供し、情報を公開すること」が重要なはずです。それが、どこかですりかわり、「社長・会社を守るため」などの名目で、「組織」の保身のために、消費者がないがしろにされてしまうと、今回のような事件が起きるのではないでしょうか。
学校で基本的に重要なのは、「子どもたち」が「生きる上で必要な知識や教養などを得て、集団生活のマナーやルールを身につけ、他者との接し方を学ぶこと」ではないかと、私は考えています。これらは、大人になって社会に出た時に、学びなおそうと思っても難しいものです。そして、小学校での目標、中学校での目標、高校での目標とそれぞれ違いもあるはずです。
これらを子どもに理解させるのには、ほめたり、注意したり、といったことが欠かせないと思います。
ですが、「苦情が来たら、こちらが悪くなくても謝ってほしい」と教員に指導する校長や、「うちの子どもと、仲の良くない子どもを別々のクラスにしてほしい」という無理難題を言ってくる保護者、また、「子どもが注意されているのに、うちの子は悪くない、と開き直る保護者」などがいる、という話が現場で出ています。
また、最近大きく報道されたのは、「払える余裕があるのに、給食費を払わない」保護者が多いことです。その中には「義務教育だから給食費も無償だ」と、筋の通らない理屈を言う方もいるようです。
「悪くないのに学校側が謝る」ということは、「子どもが悪いことでも悪い、と思わなくなる」恐れがあります。これは校長の「問題を起こしたくない」という、自己保身以外の何者でもありません。
「仲の良くない子どもとクラスを別々に」と言うのは、保護者の実社会での経験をお考えになれば、通じる話かおわかりになるはずです。社会に出れば、自分と考えの合わない人も多くいるはずで、そのような人とうまく折り合いをつけていくことも大事なことではないでしょうか。いじめなどの深刻な問題が起きているのなら別ですが、単に「不仲なので別のクラスに」と言うのは、聞き入れてもらえないと思います。
給食費の問題に関しては、「払う義務があるものでも、言い逃れしていれば、払わずに済む」と子どもが思う恐れがあります。(払う余裕のない家庭には、就学援助などの方法があるので、これを徹底させればある程度解決するはずです)
このようなことをそのまま放置していると、「子どもが身につけねばならない、大事なこと」を身につけさせていないことになります。
そして、その時は「子どものためになった」と思っても、長い目で見れば、身につけるべきことがついていませんので、「子どもにとって良くない」のではないでしょうか。そのような子どもは、社会に出て、必ず苦労するでしょう。注意されても「うちの子は悪くない」という家庭の子どもは、例外なく周囲と人間関係のトラブルを起こしたり、提出物などの提出状況が悪く、ほとんどの担当教員に注意される事態を引き起こしています。
中には、教員にも、注意するのが面倒だから、と、大事なことを何も指摘せず、クラスの秩序がなくてもお構いなし、という人も明らかに存在します。そのような中で育つ子どもは、その場では楽かもしれません。
でも、「直さねば、今、そして、将来困る」ということを根気強く訴え続けていくと、中学・高校生活を通して、「注意してもらえる機会はありがたい」ということを理解していく生徒もいます。
ですが、そのようなことがまったく理解できず、また、周囲の友人たちに指摘されても理解しようとしない生徒もいます。彼らは家庭の中で注意されたことがなく、「自分はいつも正しいので、誰かに何かを指摘される必要はない」と思っているのかもしれません。
無論、注意の仕方は工夫すべきですし、時間をかけて説得することも必要だと思います。ただ、根本的に「注意されることは不要だ」と思ってしまっていると、それを変えるのは難しいものです。
保護者の方は「お子さんを通して、ご自分も注意されている」ということで不愉快なのかもしれません。ですが、この連載でも何度か書いている通り、「子どもとは失敗しながら成長していく」ものです。保護者の皆さんにとっても同じです。失敗しても、それを糧にして、次の段階に進んでいければ良いはずです。
注意とは愛情のひとつの表れで、子どもにそのことが伝わるように「大事だから言うんだよ、直したほうがもっと素晴らしい人になれるよ」というメッセージを送り続けることが大事ではないでしょうか。
電車内などどこでも座る、成人式で暴れるなど、マナーのない若者が問題化していますが、彼らは愛情を感じるような注意をされたことがないのかもしれません。
子どもにとって本当に大事なことは何か、信念を持って伝え続けていくことが大人には求められています。私も信念を持って、この場はもちろん、より多くの場所で、皆さんに「伝えるべきこと」をお話していきたい、そう心に誓いたいと思います。
また、そのような場をいただけましたら、お話ししたり、原稿を書かせていただきますので、どうぞよろしくお願い致します。
2007.2.1 掲載
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