第30回 「勉強以前の重要なこと」について
皆さんこんにちは。残暑お見舞い申し上げます。おかげさまでこの連載も30回を迎えることができました。連載に関わる編集部スタッフの皆さま、そして、読者の皆さまのおかげです。どうもありがとうございます。今後もよろしくお願い致します。
さて、夏本番ですが、水の事故など、悲しい事件があとを絶ちません。埼玉県でのプールの事故は、水泳が趣味の私にとっても大きなショックでした。亡くなったお子さん、ご遺族の皆さんに心よりお悔やみ申し上げます。
ご両親のコメントの中で、亡くなったお子さんが「パパ、ママ、 大好き。どうしたらママみたいに上手にできるの」とよく言って、お手伝いなどをしていた、というものがありました。これほど親御さんを敬愛し、また、親御さんも恐らく大事にしていたはずのお子さんが、こんな形で命を絶つことになってしまい、ご遺族のおつらさはどれほどかと思います。このコメントを見るたび、私も涙がこみ上げてきます。
私も普段から、泳ぐ時は排水口の位置を確認するようにしていますが、ふたが外れている、というのは想定外のことです。事件の背景には、仕事に携わっている人多くの、ずさんな仕事ぶり、また、「何でもコスト削減のため下請けに丸投げすること」などがあるようですが、そのような風潮で良いのか、いま一度私たちは考えるべきではないでしょうか。
さて、今回は「勉強以前の重要なこと」についてとりあげます。
夏休みだからでしょうか、「これで一流校に受かる!」、「効果的学習法」などという雑誌の見出しが目につきます。夏休みはだらけてしまいがちですし、「塾の宿題があるから、学校の宿題が少ない」(なんとも本末転倒な話だと思いますが…)などの実態もある現在では、家できちんと学習をさせる習慣づけは大事だとは思います。
ですが、このような「勉強が大事」という意見がエスカレートし、本末転倒な事態になっているケースを見かけます。
私が日ごろ接する生徒の中には、「テストさえできれば、提出物は一切出さなくてもいい」、「授業は一切聞かず、友だちとしゃべっていても、テストさえ乗り切れば何をしてもいい」などという考えを持っている者がいます。
当然、このような考えは認められないので、担当しているほぼ全教員からクレームが出ますし、担任を中心に、改善するよう指導することになります。クラスの他の生徒から「先生、うるさくて迷惑だからなんとかして」と、訴えが来ることもあります。
高校までの場合、授業に出席する、というのは、「座っていれば何をしてもいい」ということではなく、その生徒なりに意欲を持って参加しなければならないはずです(大学などで、担当教員が「授業の出席は取らない、テストの点数のみで成績をつける」と言っているのなら話は別ですが)。私立中学生、義務教育ではない高校生が、どうしても「出席してまじめに取り組みたくない」、というへりくつをごね続け、何度注意しても改善できないのなら、「本校の方針に合いません」と言われ、他の学校への転校を勧告されるかもしれません。
このような場合、保護者を呼んで、話し合いをするのですが、大きく分けて、保護者もどうして良いのかわからなくてうろたえるケース、保護者も「うちの子は悪くありません」と開き直るケースのふたつがあるようです。
こういった生徒を見ていて、共通することがあると感じます。それは、「自分が絶対正しい。周囲のクラスメートは支配すべき存在」、「周囲は自分が都合よく利用するための存在」などと考えているようだ、ということです。
ですので、まじめに授業を聞いている友人のノートを取り上げても当たり前ですし、別の機会に、その友人が困っていても手を貸さないのも当たり前、となります。周囲の友人も、最初はそばにいても、自分がいやな思いをするばかりなので、どんどん離れていくことになります。
そのような状況が続いて孤立しても、「自分が悪くない」と生徒が叫び続ける光景は、教員から見て奇異ですし、また、「今の状態のまま、この生徒が社会に出たら、あちこちでトラブルを起こすだろうな」とも感じます。ですので、それを見越してこちらも注意するのですが、本人に自覚がないと、注意した教員を逆恨みするケースも珍しくありません。
このような考えは、ある日突然起こるのではないはずです。たとえば、「家庭でその生徒が大事にされすぎるあまり、何でも周囲が言うことを聞くのが当たり前」な状態になるとか、「自分の考えが正しい、と家庭で言われ続けてきた結果」、また、「小さい頃は親子関係がうまく行っていたのに、思春期に入り、保護者がどう接して良いのかわからなくなったこと」などが原因ではないか、と私は考えています。あるいは、第9回連載でも取り上げたような、保護者の「履き違えた放任主義」のなれの果てかもしれません。
このようなことに限って言えることではないかもしれませんが、私の信条のひとつに、「当たり前」ということは世の中には存在しない、というものがあります。
親が愛情を持って子どもの世話をすること、安心して子どもが幸せな生活を過ごせること、子どもが元気で育つこと…それらは全て「当たり前」なのでしょうか。日本国内、そして世界中を見渡せば、親に虐待されたり、貧困などで学校に行く機会も奪われている、かわいそうな子どもがたくさんいます。また、病気などにかかっても薬が足りず、幼いうちに命を落とす子どもも数多くいるのです。そして、保護者が愛情を持って育てていても、不慮の事故、戦争やテロなどで命を落とすことだってあるのではないでしょうか。
また、両親揃っているのなら、パートナーが、働いたお給料を家へ入れること、家事をすることなどは「当たり前」なのでしょうか。そして、子どもの祖父母やベビーシッターなどに子どもの世話の一部を頼んでいるのなら、手伝ってくれるのは「当たり前」なのでしょうか。また、子どもが成長して、手伝ってくれるようになったら、それも「当たり前」でしょうか。
前置きが長くなりましたが、人は、生きていく上で、何らかの形で他人と協力し合わなくてはなりません。自分、そして他人の思いやりや協力があり、「持ちつ持たれつ」の関係で世の中はうまく回っていくはずです。それを、誰かが何かしてくれるのは「当たり前」と思って生活していると、いずれ必ず、足元をすくわれることに出くわします。そうやって足元をすくわれた人を、私はこれまでの人生で何人も見てきました。
また、他人とは、自分と考えが違うこともよくあり、それらと折り合いをつけつつ、うまく協調していくことが大事なはずです。子どもとは、そのようなことを家庭、学校、そして、子どもの関わる多くの場で学び、大人になっていくのではないでしょうか。中学生から高校生くらいになると、そのようなことをわかってくる生徒もいますが、全くわからない生徒もいるのが実態なのです。
私はこう生徒に言うことがあります。「注意してもらえるのは、子どものうちだけなんだよ。大人になると、あの人はおかしいね、と言われて、誰にも相手にされなくなるんだよ。だから、注意されたら、冷静に受け止めて、どうしたら良くなるか考えないといけないよ」と。
育児・教育において、これらはとても難しいのですが、実は勉強以前に重要なことではないでしょうか。勉強が苦手でも、好きなことで天職について生活することはできますが、「何でもやってもらって当たり前」、「自分が正しい、だから周囲を支配する」という考えを持っていては、周囲とトラブルばかり起こして、自分に協力してくれる理解者は現れないのではないでしょうか。それではうまく世の中を渡っていけないと、私には思えます。
このような重要なことを教えるのには、時間と根気が必要です。「今の自分の生活が、当たり前だと思ってはいけない」という意味で、世界中で起こっている事件について、テレビなどを一緒に見ながら考えたり、また、自分と立場や意見が違う人も世の中にはいる、という意味で、新聞の投書欄などを活用し、「このような考えの人もいる」ということをわからせていく、などの方法を取るのが良いように思います。
また、もっと身近なことで言えば、家庭内でも、大人が自分以外の者に何かをしてもらった時に「ありがとう」などと言っている姿を見て、年齢に応じてその意味を教えていけば、子どもは何かを感じ取っていくはずです。
また、一度そのようなことを教えたら終わり、というのではなく、子どもが「今なら素直に聞けそう」だというタイミングを見計らい、継続して話をする必要があると思います。
勉強さえできればあとは知らない、という保護者は多くないとは思うのですが、たとえ一流校、と言われる私立校に入れたとしても、人間関係でトラブルを起こし続けたり、通用しないへりくつを並べ続けていれば、学校にいられなくなります。中学時代は在籍させてもらえても、改善がなければ、高校に進学させてもらえない、ということもあります。
一流校を目指して勉強に励むのは結構ですが、このことはよく覚えておかれるほうが良いのではないでしょうか。
また、今回取り上げた「友人を支配したい」、といった生徒がお子さんの周囲に現れた場合、お子さんが振り回されていやな思いをすることがあるかもしれません。こういう生徒も最近はいるようだ、ということを、保護者の皆さんはぜひ頭の片隅に留めておいて下さい。
さて、個人的なことですが、ただ今、教育関連の相談サイトを開設すべく、準備をしております(詳しくは8/5付の私の個人ブログをご覧下さい)。そちらの準備などもある都合上、申し訳ありませんが、次の更新は9/10とさせていただきたいと思います。サイトが正式に開設しましたら、この連載、また、個人ブログで改めてお知らせ致します。
皆さま、暑い日が続きますので、どうぞご自愛下さいますように。
【参考】「こんにちは、つきのみどりです」2006/08/05記事URL http://tsukinomidori.cocolog-nifty.com/happy/2006/08/post_d670.html
2006.8.14 掲載
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