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第28回 「子どもにとって効果的なほめ方」について


皆さんこんにちは。今回は更新が遅れまして申し訳ありませんでした。
  連日、子どもを取り巻く様々な事件が続いていますが、秋田の児童殺害事件は、近所の母親が逮捕されるというショッキングな結末を迎えました。ご遺族の皆さんの無念さはいかばかりかと思います。改めてお悔やみを申し上げます。

このような事件が起こるたびに思うのが、「容疑者を糾弾するのは簡単だけれど、それだけでは何も解決しない」ということです。今回の容疑者はどういう育てられ方をしたのかわかりませんが、「子どもを虐待する親の大半は、虐待されて育ったので、同じように子どもに接してしまう」という話は一般的に知られています。ですが、それでは負の連鎖しか生み出しません。負の連鎖の中で苦しむ親子を見たら、糾弾するのではなく、救い出せるような道を示すのが、教員はじめ周りの者の務めではないのでしょうか。

さて、今回は「子どもにとって効果的なほめ方」についてとりあげます。
  子どもをほめる時、特に幼いうちは「大げさなくらいにほめる」ことを心がけていただきたいものです。ほめられて嬉しくない人はいないはずだ、私はそういう信念に基づいて仕事をしています。

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勉強、スポーツ、友人への思いやり…どんなことでも、その子が何か良いことをした時、「えらかったね」、「よくがんばったね」などの言葉と笑顔、そして、頭をなでたりすることでほめていただきたいのです。一日のうち、ひとつは子どもの何かをほめる、くらいの気持ちでいらしても良いと思います。

毎日の小さな、そのようなことの積み重ねが、子どもに自信をつけさせます。そして、「自分は努力すれば何かができる」、「他人の役に立つことができる」といった気持ちを子どもの内面から生み出し、そして、それが子どものやる気の原動力になっていくのです。

 今は少子化で、お子さんを「保護者がそばでじっと見つめている」状態が続いているご家庭が大半でしょう。そのように、近くで見すぎることで、かえって「お子さんの良いところ」に気づかなくなってしまっている場合があります。
  ですので、教員や習い事の指導者はもちろん、たとえば祖父母や親戚の方など、「近くにいる周りの大人」にほめてもらうことも、時には有効な手段となるでしょう。

 ビジネスの世界で、「部下を注意する時には直接、ほめる時には他人を通じて間接的に」というセオリーがあると聞いたことがあります。これは教育、育児にも当てはまるものではないでしょうか。私も、ほめる時には、その生徒の上級生に「○○さんは一生懸命やっているよね。先輩の□□さんがしっかり教えているからだよね」という形で告げることがあります。

ほめるだけでなく、日々取り組んでいることは、子どもにもはっきりわかる形で評価をしていただきたいものです。
  特に小学校低学年までは、子ども部屋やリビングの壁に紙を貼り、約束が守れたり、何か課題をクリアできたら、シールなどで「見える」評価をすることも有効です。「こんなに出来た」という達成感と、更に上を目指そう、という目標が立てやすくなるのではないでしょうか。そして、「○○まで行ったら、ごほうびを買う」という約束をしても良いと思います。明確に目標があることで、子どももやたらに何かを欲しがらなくなる、という効果も期待できるのではないでしょうか。

私は小学生時代、漢字テストで、大相撲の番付に似せた表を作って下さった先生に習ったことがあります。規定のテストをクリアすると、どんどん番付が上がるのが楽しかったものです。

また、努力していく過程で、周囲の友人が気になってくることもあるでしょう。特に、自分と同程度のレベルの子に出会ったら、お互いに気になる存在になるのではないでしょうか。

そのような時には、「△△くんも、同じようにがんばっているんだよ」と教えていただきたいものです。努力しているのは自分だけではないと気づかせ、また、足を引っ張るのではなく、自分が正々堂々と努力して困難を乗り越えることの大事さを教えることが重要です。 そうすれば、大人になっても、「誰かの足を引っ張って、自分が成功する」というアンフェアな気持ちを抱くことはないだろう、そう私は考えるからです。アンフェアな人物は、たとえ成功しても、周囲の助けを得ることはできません。学校でもそのような生徒には「それはいけないことである」と指導しているはずです。このようなことを平気でしていると、いずれ身を滅ぼすことにもつながりかねないのではないでしょうか。

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ほめることも叱ることも、保護者や教員には「一貫した信念」が求められます。日によって言うことが違う、というのは論外ですが、「なぜ良いと思うのか」、「なぜ叱るのか」、明確に理由を説明できないと、子どもは「なにが良いことで、何が悪いこと」なのか、判断することはできません。判断できないと、外でトラブルを起こしたり、自分自身の中に「生きて行く上で大事な価値観」を養えなくなることにもつながっていきます。これは子どもの人生にとって、非常に大きな問題です。

教員も保護者も、いきなり一人前になるのではなく、時間をかけて子どもと同じように「成長」していくものだと思います。でも、慣れないながらも、真剣に子どもの言うことや気持ちに向き合って、一緒に泣き、笑い、そして、問題解決をしていこう、という姿勢が子どもに伝われば、子どもは必ず信頼してついてくるものです。

逆に言えば、子どもの本質を見ていなかったりすると、(前回の連載にも書きましたが)思春期に何らかの形で問題となってきます。それは、子どもの立場から見れば「もっと自分を見て、真剣に向き合って!」という心の叫びなのではないでしょうか。

保護者や教員は、一人前でなくても、自分で責任を持って判断をしていかねばならないことばかりで、大変ではないでしょうか。ですので、困った時にはご遠慮なく先輩やプロの手を借りていただいて良いのです。私も、数限りない失敗をし、そのたびに多くの方に助けていただいたり、お知恵をいただいたりしてきました。

まだ私も勉強することばかりですが、この場が、ひとりでも多くの方にとって、何らかのヒントとなれば、こんなに嬉しいことはありません。

2006.6.14 掲載

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