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第20回 勉強重視の学校について


皆さんこんにちは。皆さんのおかげで連載も20回目を迎えることができました。心よりお礼申し上げますと同時に、今後ともご愛顧をお願い致します。
  日本では、お正月が過ぎると、センター試験に始まり、大学受験から中学・高校まで、日本は受験一色に染まります。そんな中、この冬は、経済格差を反映してか、東京では電車が人身事故で遅れることが非常に多いです(恐らく自殺によるものでしょう)。在校生はもちろん、大学受験に行く生徒、また、受験のために訪れる生徒のことを案じる日が続いております。

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あちこちで言われていることと思いますが、時間には充分すぎるほど余裕を持って出かけて下さい。早く着いても、たいていどこの学校も受験者のために控え室を用意しています。また、使い捨てカイロはほとんどの方が持っていくと思いますが、天気の悪い日は換えの靴下や靴なども用意しましょう。足が冷えては試験に集中できません。

さて、今回は、「勉強重視の学校」について考えます。
  最近、「塾に行かなくても、学校だけで大学受験に対応できます」、「厳しく勉強を指導して、有名大学に合格させます」などの、学校の宣伝を見かけることが増えました。もっと単刀直入に、「東大クラス」、「難関大学コース」などとうたって生徒を募集している学校も現れています。

この場で、そのような学校の方針自体をとやかく言うつもりはありません。ただ、非常に気になることがあります。それは、「こういった学校に子どもを通わせることの意味を、保護者が本当にわかっているのか」ということです。

保護者の多くは「学校が勉強を親身に見てくれる」、「塾代が安く済む」、「塾への送り迎えがなくて便利」といったことから、このような学校を選んでいるのではないでしょうか。

ですが、このような学校に通わせると、外からは決して見えない「独自の問題」があることに次第に気づいていくはずです。

例えば、「修学旅行には行かない。その分夏休みなどに合宿勉強をする」といった方針の学校があります。合宿、と言っても、(北海道なら別でしょうが)恐らく学校に泊まるのではなく、涼しくて勉強をしやすい土地に行くのでしょう。

この場合、行き先の土地では息抜きの行事もあると思いますが、基本はあくまでも「勉強」で、それ以外のことはおまけ的な存在になってしまうのではないでしょうか。

また、勉強中心の学校では、主要教科は基本的に能力別のクラス編成をする場合があります。私立校では英語や数学で能力別クラスを実施しているところが大半です。でも、ホームルームの結びつきがあまり見られない状態で、能力別編成を重視すると、「周囲はみなライバル」ということになり、友人ができにくくなってしまう恐れがあります。

人にもよりますが、おおむね、中学や高校時代の友人は、「人生でのよき友」となることが多いです。その期間に「周囲がみなライバル」という生活を送ると、もともと独立心・自立心の旺盛な生徒なら問題ないかもしれませんが、その後の人生で、影響を大きく受けてしまう生徒もいることでしょう。

また、勉強中心の生活が子どもに与える、強いストレスも見逃すことはできません。
  この数年急速に進学実績を伸ばしている、ある学校では、生徒が学校内の備品をしょっちゅう壊している、と、かつて聞いたことがあります。勉強をあまりにも強制され、生徒はストレスがたまっているのでしょう。でも、学校への不満を、そのような形でうっぷんばらしするしかないのかと思うと、かわいそうでなりません。

さらに、多くの学校で行なっている、ミュージカルや歌舞伎などの「舞台鑑賞」の時間もないこともあります。「そんな時間があれば、勉強させる」ということでしょう(東京の私立校では、たいてい、劇場に行って観劇する機会を設けています)。

思春期に本物の芸術に触れると、何らかの影響を受けることも多いでしょう。また、大人になってそれらの舞台をまた見たい、という気持ちになるかもしれません。芸術は、人の人生を豊かにするものなのです。家庭でそのような機会がある場合は別ですが、そうでなければ、思春期に芸術の素晴らしさに触れることもできないかもしれません。

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こういった形で、「勉強、勉強」と追い立てられると、在学中はもちろん、卒業後も学校に愛着がわかなくなることも考えられます。
  学校に愛着があるのが素晴らしい人生、とは限りません。でも、卒業後も母校に遊びに行きたいと思わないばかりか、母校の思い出を罵詈雑言(ばりぞうごん)の限りを尽くして話したり、甲子園(野球)、花園(ラグビー)、国立競技場(サッカー)などで、母校の生徒が活躍しても、なんの関心も持てない状態になることは、悲しいことかもしれません。

勉強中心の学校の立場から見れば、生徒を「進学実績のための道具」と見る傾向が強いでしょう。「生徒は有名大学に送り込めればいい」ということです。ですので、「勉強以外の礼儀作法やマナーは軽視されたり、または、教えてもらえない」ということになったり、極端に言えば、「生きていく柱になる指針」について考える時間を持たせてもらえないということになるかもしれません。

そして、これが生徒の側に間違って伝わると、「勉強さえできれば他のことは何もしなくてもいい」とか、「勉強さえできれば世の中すべて許される」という誤解を生み出すことにもなりかねません。それは正しいのでしょうか。

勉強ができても、ひとりで生活できる能力がなければ、大人になった時、困ることに山ほど直面するのではないでしょうか。保護者が一生子どもに「お手伝い」代わりとして家事をする、あるいは、一生お手伝いを雇い続けるように資金を残す、とでも言うのなら困らないかもしれませんが、それは非現実的な話ではないでしょうか。

中学・高校時代は特に、「その人の生きていく上での指針となるもの」を身につける期間だと私は考えています。勉強はもちろん、部活や趣味などに打ち込むことで、たとえその道のプロにならなくても、大人になってつらいことに耐えていく精神力を養うことができたり、人生をともに過ごす「財産」を見つけることができます。そして、これは、思春期に行なうことが大事で、大人になってから取り戻して行なうことは困難です。思春期に勉強にばかり重きを置いていると、他の大事なことを見落とす悲劇も生みかねません。

勉強重視の学校に限らないのでしょうが、子どもの成長に際しては、本人が「生きる柱」を見つけられるよう、また、マナーなども身につけられるように周囲がフォローすることが肝心です。特に、勉強を重視している学校にお子さんが通う場合、保護者や周囲の大人が、学校の方針を真に理解し、学校が手薄になりがちな面で、お子さんへのフォローを行ない続けることが大事なのではないでしょうか。

2006.2.10 掲載

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