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第15回 「新聞購読・読書の重要性」


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皆さんこんにちは。静岡県で、高校1年生の少女が母親に毒物を与えたという衝撃的事件がありました。詳しい分析は今後関係者によってなされるはずですので、私があれこれここで分析するつもりはないのですが、一点だけ気になっていることがあります。彼女の元同級生がテレビで語っていた、「定期テスト後など、この間違いが気に入らない、などと言って、長時間職員室の前にいたり、先生にずっと質問していた」という話です。

私の教えている生徒でも、似た形で抗議をする者がごくまれにいます。「これは正解ではないのですか」と言って、教えていない内容(かといって、別解答とも認められない内容)を書いた答案を持って、騒ぐのです。頭の中で作った理想や自分に対する過大評価が、このようにさせるのでしょうか。こういう生徒は、たいてい、見過ごせない心の問題を抱えているものです。今回の事件を起こした生徒の話は、真実かどうかも私にはわかりませんので、これ以上立ち入ることは差し控えます。また、このような生徒についての問題は、改めてまた書けたら、と考えております。

今回は、「新聞購読・読書の重要性」について考えます。
 最近、特に小さいお子さんや小学校低学年のお子さんのいる家庭で、「新聞を取っていない」という話を耳にすることが多くあります。育児や仕事に追われ、ゆっくり新聞を読む暇がないから、ということなのでしょう。また、その分のお金を教育費などにあてているのかもしれません。

ですが、このことは、子どもの教育にとって、「百害あって一利なし」だと私は断言したいです。国語教員のひとりとして、強くそう感じています。

生徒と話をしていると、「家では新聞を取っていない」という生徒が、まれにいます。これは、その生徒の家庭が自営業などで、保護者が「事務所(会社、診療所など)で取っているので、二重になるから、家では取らない」という理由が多いようです。経済的理由で取っていない、という理由もあるかと思います。

私は、授業で、新聞を使った課題を、さまざまな形で出すように心がけています。記事を題材に文章を書かせることもあれば、あるテーマに基づいて自分で関連する記事を探してくるように、ということもあります。また、生徒の作文などを見ていて、その子のニュースの取り上げ方を通じて、社会へのまなざし、家での社会との関わり方が見えることもあります。

以前、非常に驚いた内容の作文がありました。このような趣旨だったと記憶しています。
 「○○乳業の、牛乳の消費期限の嘘をついていた事件は、“自民党にその会社が寄付金を出さなくなったので、自民党が怒って、かばってやらなくなった。だから、世の中にばれたのだろう”と、両親が家で言っていた。私もそう思う」

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この生徒は、家での両親の噂話のレベルと、ニュースでの話の信憑性のレベルが違うことに気づいていないのです。「両親の会話=世間の常識」と思っているようでした。この生徒の家庭は、新聞を取っていないことを私は思い出し、驚きながらも納得したものでした。

このケースは極端かもしれません。でも、「活字を追わない」、「社会への関心がない」ことが当たり前になると、どうなるでしょう。自分から積極的に情報を探すことなどできないでしょうし、就職活動で初めて新聞を読んで、自分(家庭)の常識と社会の常識との落差にがく然としてしまうかもしれません。また、チェーンメールやデマを簡単に信じてしまう大人になるかもしれません。
  更に、いきなり必要な記事を読め、と言われても読めず、「ギャー、活字が追いかけてくる、活字オバケ!!」とでも思って、活字を拒絶してしまうかもしれないのです。

また、「国語の成績がどうしたら上がりますか」と聞いてくる生徒が毎年必ずいますが、そういう生徒は例外なく、日常生活で活字を追っていません。そういう生徒にも、私は、新聞を使った指導をすることがあります。このような生徒の場合、学校や塾で、教科書や問題集だけで勉強しても、「活字に慣れていない=基本的な文章理解力が弱い」ので、効果はなかなか上がらないからです。ですから、遠回りなようでも、「活字に慣れさせて、基本的な読解力をつける」ことが肝心なのです。

こういった生徒が「大学受験に小論文がある」なんて言い出したら、もう大変です。新聞などで情報を得ておらず、また、こちらが詰め込みで情報を教えたとしても、自分の意見と情報を整理して述べることもできないので、まず合格は厳しいのが現実です。いくら高偏差値の学校の生徒でも、自分で深く考える習慣のない生徒には、小論文で入試を突破することはできないでしょう。(以前そのような生徒を実際に教えました)

では、家庭でどうやったら良いのだろうか、と悩まれる方もいると思います。ご自宅(または経営している会社など)で、購読している新聞で構いません。また、地域の公民館や図書館で新聞は定期購読しているはずですので、そこへ出かけてコピーする、という手段もあります。次のようなことを心がけてみてください。

最近は大手各誌が、毎週1回「子どものためのコーナー」や、投書欄で10代の若者向けのコーナーを設けたりして、若者に新聞を読ませる工夫をしています。   そういった記事や、お子さんの興味がありそうな記事を目にした時など、「こんな話題が出ているね」と言って、ご家族の誰かが紙面を示すと、お子さんが興味を示すかもしれません。この際、週末など、お子さんに時間がある折を見計らうのが良いでしょう。

また、慣れてきたら、同じニュースを取り上げた、複数の新聞社の記事を用意して、見比べて考えさせても良いでしょう。今はインターネットで複数の新聞社の記事が手軽に読めるのですから、こういった手法はぜひおすすめしたいです。こうすると、「新聞社によって記事の書き方に違いがあること」や、その理由を考えることもできます。

こういったことに授業で取り組んでいると、最初は興味がなさそうだった子どもでも、次第に興味を示して、世の中に関心を持ってくることがあります。そうすればしめたもの、あとはひとりでも自然と関心が持てるようになるのではないでしょうか。

(手前味噌ですが、私は、このような手法で帰国子女も指導して、全く小論文が書けなかった生徒を、半年で難関大学に合格するまで指導したこともありますし、「日本語は話せるけれど、文章としては書けない」子どもの国語力を養ったこともあります。ただ、もちろん、これらは、生徒のやる気と努力が素晴らしかったのは言うまでもありません)

生徒と話をしている際に、こんな言葉が出てくることがあります。
「親にね、もっと本を読みなさい、って言われるの」
この言葉を聞くたびに、私は非常に不安になります。

というのも、保護者が身をもって「活字を追うことは、こんなに楽しい」、「活字を追うことで、自分の世界が広がる」といったことを示している家庭の子どもは、こう言われなくても、中学生程度にもなれば読書をする子が多いからです。逆に言えば、恐らく、「保護者が活字を読む姿を見せていないのに、子どもに読め、と言っている」ことをこの発言は意味しているのです。それでは子どもが活字を追うようになるのでしょうか? まず無理ではないかと思います。

文庫本で構いません。保護者が家で休日に本を読んでいれば、「それは何?」と言って子どもが興味を示すのではないでしょうか。その本を子どもに読ませて、感想を話し合っても良いですし、親子で一緒に興味がありそうな本を探してみるのも良いと思います。

なお、現在、特に小学校で「朝の10分間読書」をすすめているところも多いようですが、これも、10分間だけではなくて、その後読んでいるか、また、読むように学校や家庭全体で指導していかねばならないでしょう。

これからは「自分で考えて行動できる」人が生き残れる、私はそう考えて日々指導をしています。誰かの言いなりで大手企業に就職すれば安泰、という時代は終わりました。たとえ勉強が苦手でも、自分のことをよく知り、また、周囲と相談しながら行動できる人になれれば、明るい未来が待っているのではないでしょうか。

そのためには、まず、「世の中を良く知り、考える」ことが肝心なのです。新聞や読書は、それに最適なツールのひとつです。どうしたら良いのか不安をお持ちの方は、ご遠慮なく私に相談なさって下さい。

2005.11.10 掲載

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