第9回 夏休みの過ごし方について
皆さんこんにちは。6日に開幕した夏の甲子園の高校野球で、「開幕直前の出場辞退」が起こってしまいました。辞退した学校の生徒たちは、どんな思いで宿舎を引き上げたのでしょうか。私も胸が痛みます。事件の経緯を報道で見ていると、「私立校として、視点が内向きになり、事件が起きたときは何でも内部で済ませるのが当たり前になっている」ことと、「強豪校としてのおごり」がちらちら見えます。
今回のことは、学校所在地の県の高野連へ、外部からの告発の投書が届いたことで明らかになったそうですが、外部から「おかしい」と言われて、マスコミ沙汰にならなければ(これが重要なポイントです)、どんなに「黒い」ものでも「白」と言い切るのが、私立校の非常に問題なところです。全ての私立校関係者や、運動部の関係者は、今回の事件を「他山の石」とし、二度とこのような悲劇が起きないようにしてほしいと、痛切に感じました。
さて、今回は「夏休みの過ごし方」について取り上げます。受験勉強や家の手伝いなどの躾(しつけ)、様々な切り口があると思いますが、「子どもとの対話」について考えます。
夏休み明け、久しぶりに顔をあわせた生徒の中には「悪い意味で、びっくりするような変化をしている」、と感じることがあります。制服の着方が急にだらしなくなったり、髪の毛を染めてきて、指導しても聞く耳を持たなかったりします。極端なケースでは、ボーイフレンドができて、その影響で歌手顔負け(!!)のアフロヘアにして、結局数ヵ月後に退学、ということもありました。
これは私の個人的見解ですが、アフロヘアに変えても、本気でR&Bの歌手を目指している、とか、理由があれば良いと思うのです。でも、単に「彼氏の言うことを聞いている」だけでは、その後自分の意志がないまま、彼の言うことにずるずる流されていく、という結果にもなりかねません。
こういった悪い変化をしていく時、私が気になるのが、各家庭の子どもを取り巻く環境や社会情勢への関心の低さ、あるいは「履き違えた放任主義」です。女子生徒が遊びの相談をしているのを聞いた時など、こんな会話になる時があります。
「あんまり遅くならないように帰りなさいね。遅くなると危ないのよ」
「私の家ね、門限ないの。だから大丈夫」
「だめよ、今はね、女子高生を狙っている大人はたくさんいるのよ!遅くなるとそういう人がたくさん寄ってくるから、危ない目にあうかもしれないでしょう」
「はーい」
何が何でも19:00には帰りなさい、と言うつもりはありません。でも、「門限がない」、「携帯電話があるから、何をしていても平気」と言う保護者は、いったいどういうつもりなのかと問いただしたくなります。未成年が罪を犯したり、犯罪に巻き込まれれば、保護者の監督責任も問われることを知らないのでしょうか。それとも、「うちの子は大丈夫」という、根拠のない思い込みがあるからでしょうか。
私が中・高生だった頃と比較しても、子どもを狙う犯罪や事件が増えていますし、また、社会の治安も悪化しています。今の中・高生の保護者の世代と比べれば、なおのことです。それなのに、今の状況を知ろうともせずに、「履き違えた放任主義」のもと、何も教えずに、また、知ろうとせずにいると、子どもに悪い変化の兆し、たとえば、タバコを吸ってみた、薬物や万引きなどの悪いことを教える友人ができた、などのことが起きても、気づかないかもしれません。そして、そのままそれを放置していると、前回の連載で書いたような、停学や退学など、あるいは犯罪沙汰にまでつながるかもしれないのです。
でも、厳格な門限を保護者が一方的に決める、とか、携帯電話を即刻取り上げる、といったことで、子どもの悪い兆しが摘み取れるわけではありません。子どもはそのような態度に不信感を持ち、保護者には細かい話をしなくなるでしょう。また、子どもが「みんな持ってるから買って」と言って物をねだるのに対し、ぽんぽん買い与えるのも良くありません。子どもが言う「みんな」とは、自分の周囲だけかもしれないからです。
結局のところ、子どもと日ごろからよく話し合い、「携帯電話は月○○○○円まで親が払い、それを越えたらお小遣いから差し引く」、「基本的には○時までに帰る」など、お互いに納得できる点を見つけていくしかないのではないかと思います。子どもが小さいうちは、保護者は体力的に大変だと思いますが、思春期になるとこういった精神的な葛藤で大変になると思います。
でも、今は「友だち親子」がいいから、と、ろくに注意もせず、注意は学校でしてくれ、とか、子どもだから注意してもわからない、などと言う保護者もいます。これこそ、「親であることの放棄」だと私は考えます。思春期は、葛藤や対立があって当然で、これを乗り越えていくからこそ、子どもは大人になれるのです。これを何もせずに通過してしまったら、大人になって「自分の言い分を周りが聞いてくれるのが当たり前」と思ったり、「自分中心に世界が回っている、自分さえ良ければいい」というカン違いにもなりかねません。
高校3年生くらいまでその状態で来てしまうと、次第に友達も少なくなりますし、社会に出てから、協調性に欠け、仕事でもプライベートでも苦労するだろうと、教員には手に取るように見えます。このような時、学校だけで指導をしても限界があり、家庭との協力が必要不可欠になってきます(家庭が「うちの子は悪くありません」と言ったら、お手上げなのですが)。
その後、社会に出て改心する場合もあるでしょうが、それには「自分にも非があるのかもしれない」という客観的視点が必要で、思春期までにこのような視点が養われていないと、これはなかなか難しいものです。
話し合いの過程で困ったら、もちろん、教員やカウンセラーなどのプロの手を借りていただいて構いません。少なくとも私は、「思春期の子どもと向き合う」ことにやりがいを見出していますし、同じように、いいえ、それ以上の情熱を持って仕事をしている教員は全国に数多くいると思います。このようなプロの手は、積極的に借りてください。それはなんら恥ずかしいことではありません。
夏休みだからこそ、子どもときちんと向き合う時間を作っていただきたいです。長い目で見た時に、それは必ず子どものためになるのですから。
2005.8.10 掲載
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