第6回 教員の実態
皆さんこんにちは。この数日、高校生が日ごろの恨みが積もった結果、学校で爆弾を爆発させたり、親兄弟に刃を向ける事件が立て続けに起きてしまいました。
こういった痛ましいことが起こるたびに感じることですが、今の子どもは以前と比較して精神的に幼いケースが増えている気がします。以前は高校生にもなれば、生徒が精神的にかなり成長しているので、いじめなどの問題は少なかったのではないでしょうか。でも、現在の高校生には、以前の中学生が抱える悩みや問題を抱えているケースが目に付きます。指導する立場の者がこのことを頭に入れておらず、以前同様の扱い方をしていると、生徒が発している「心のSOS」を見逃してしまうのではないでしょうか。人間は時代に応じて変化するのですし、今の子どもの実態に即した指導をしなければならない、と感じます。
さて、今回は「教員の実態」について取り上げます。
学校、特に私立校にいると、長年同じ空間にいて、視点が内向きになっているため、「自分たちの社会的役割とは何か」がわかっていない教員が多いと感じます。わかりやすく言えば、以下のような人です。
どこでも通用する、基本的な学力の指導をしなければならないのに、「テストさえ通過すればいい」、「自分の趣味の授業をしていればいい」など、基本的な指導をおろそかにする。テスト前に「これを勉強しなさい」など、試験と似通った問題の載ったプリントを生徒に渡す者さえいる
「受験指導をするのが面倒」、「技術的に受験指導の能力を持ち合わせていない」など、受験については指導せず、能力のある教員、または塾や予備校に任せている
このような教員、学校の実態に危機感を抱いた一般企業の方の中に、学校経営に乗り出す方が出始めています。それ自体は「開かれた学校」、「今までの概念を変える学校」への第一歩として、すばらしいことだと思います。
ただ、私が強く訴えたいのは、「ビジネスの論理を学校にそのまま当てはめることには無理がある」ことです。
たとえば、首都圏の某私立小学校では、授業後も夕方、教員が塾に「営業」として毎日のように行くそうです。また、別の私立校では、放課後、教員が週に何日か、理事長の経営するお店で深夜まで「研修」として労働を強いられているそうです。
これらは、学校関係者以外には普通のことに見えるのかもしれません。でも、教員の私の目から見れば、大きな落とし穴があると感じます。
それは、「教員には教材研究の時間が必要」ということです。教材についてよく調べ、また、ポイントを確認し、「どう教えるか」ということについて、最低でも授業と同じくらいの時間をかけなければ、良い授業をすることはできません。
ですので、授業のない「空き時間」や放課後は、主にそういった目的のためにあります。また、教員には半日または1日、「研究日」として、教材の研究の時間が確保されているところも多いです。それなのに、授業を研究すべき時間に「研修」と称して、連日のように外回りに行かされたり、深夜まで働かされたりしたら、いったいいつ教材研究をすればよいのでしょうか。これでは、授業の質そのものが落ち、レベルの低い授業しかできなくなってしまいます。また、こういった環境に嫌気がさして、若い教員の多くは早々に他校や公立校への転職を考えるでしょう。
塾回りの「営業」や、お店での「研修」も、たとえば夏休みの何日かになら実施しても良いかもしれません。ただ、毎週のようにそれを強いてしまえば、絶対に「良い授業」はできなくなります。当然、生徒にもそれは伝わり、「この学校の先生は、疲れていて良い授業をしてくれない」、「期待したけれど中身の濃い授業じゃないから、来なければ良かった」といった話が出回るようになります。実際そういった学校の中には、志願者を減らしているところもあります。
ですが、今のように「質の低い」、「内向きな」授業をしている教員を放置して良い、ということは絶対にありません。そのためには、「授業・指導力の質が上がるような」研修を実施すべきなのではないでしょうか。たとえば、「予備校で、教師用の“指導力アップ講座”を受講する」、「カウンセリングの基礎を学び、生徒との対話に生かす」などです。
お子さんの学校選びの際、また、教員志望者の面接の際などに、「教員の研修はどのような形で実施されていますか」と尋ねてみると、学校の本質的な考え方が必ず見えてきます。これからはぜひ「教員の研究の実態」が、もっとオープンになり、「より良い授業のため」どのような教材研究が良いのか、活発に話し合いされるべきではないでしょうか。
2005.6.28 掲載
|