WEB連載

出版物の案内

会社案内

揺れ動く日本語~MOVIN'JAPANESE

著者プロフィールバックナンバー

第100回「高輪(たかなわ)ゲートウェイ」(2)


前回から続く
筆者はこの名を聞いて、まず「高輪ゲートウェイ」という高層ビルでも造る予定なのかと思った。筆者の地元、名古屋駅近くにゲートタワー名古屋という高層ビルが存在するのもその連想を助けたのだが、そうでもないようだ。

古くからの鉄道の駅名としては「~口」という駅名がある。「篠山口(ささやまぐち)」(JR西日本・福知山線)、「宮島口」(広島電鉄)などであるが、どういうわけか愛知以西の西日本ばかりである。

「~口」の趣旨は二通りあり、ひとつは昔からの街並みに鉄道を敷くことができなかった場合(篠山口)、もう一方は市街地や観光地への入り口(宮島口)と言った意味合いである。

「高輪ゲートウェイ」駅が出来る場所は明治5年(1973年)の鉄道開通の際、海上に築堤を造ってレールが敷かれたところだ。明治新政府内で鉄道建設に賛否両論があり、兵部省が旧薩摩藩邸敷地にレールを敷くことを認めなかったからだというのが定説だ。

当時は海上だったから当然駅は造られなかったが、もし後年に駅が計画されたとしたら、「高輪口」となった可能性は高い。「宮島口」とは逆に海から陸地への入り口となる。そして、それを現代的に今回「高輪ゲートウェイ」としたという理屈は通らないこともない。

しかし、待ち合わせなどの時に口にするのは長すぎる駅名である。どう省略するか? 若者は「たかなわ」ではなく、「たかゲー」であろう。

*このエッセイは今回の第100回で一区切りとして最終回といたします。
長い間、ご愛読ありがとうございました。

photo
ここも高輪の「ゲートウェイ」なのだが・・・

[参考文献]
■2005久保田博『日本の鉄道史セミナー』グランプリ出版
■2018年12月4日付 JR東日本ニュース「田町~品川駅間の新駅の駅名決定について」PDF
■川上幸義の東海道本線創業史
■写真でひもとく町の成り立ち:東京・芝

2019.2.15 掲載

著者プロフィール
マーク秋山[MARK AKIYAMA] : 1975年、早稲田大学商学部卒業後、日本楽器製造株式会社(現ヤマハ)に入社。楽器用ソフトの企画制作、出版物編集、著作権・法務関連のリーダーを務めた。小学校の壁新聞時代から一貫して、言葉、表記、レイアウトに大きな関心を持つ。定年退職後、日本語学、日本語教育学を学び、現在は愛知国際学院非常勤講師としてアジアからの留学志望者に日本語を教えている。会社員時代からオールディーズ系のバンドで演奏活動を行い、エレキベースを弾く。
上に戻る