第24回 殴られ屋からの手紙
すべてを失った・・・・。そう思い込んでしまった人間は、目にするもの、耳にするものから積極的に何かを受け取ろうとはしなくなる。すべてのものが空虚に感じてしまうようになる。当然の如く、心の深い所で感動をするなどということも無くなってしまう。それどころか自分の心が何処にあるのかさえも定かではなくなる。そして、痛みを感じる心自体が無くなってしまえばどれほど楽になるだろうかと考え始める。少なくともあの頃の僕はそうだった・・・。
その日の夕刻、僕は中華料理屋の隅のテーブル席にいた。昼間の派遣での仕事の後、夜から朝までのバイト、そしてまた昼間の仕事をやっとの思いでこなした後だった為、既に心身共に疲れきっており、すぐにでも部屋へと戻り、少しでも多くの休息を取りたいという願望があった。しかし昨夜から何も口にしていないというのも体には悪かろうと思い、手頃そうな店に入ってみたつもりだった。
しかし、壁に張り出された品書きの中には自分の心を捉えるものが見つけられなかった。普段なら、火に掛けられたごま油の香りが漂ってくるだけでも何かしらのインスピレーションが起こるはずなのだが、無気力な今の自分には何も感じられないようだった。注文を取りに来た店員を前にしても尚、自力では決めあぐねていると、店の何処かで他の客の注文する声が聞えた。
『僕もその特製ラーメンってやつをお願いします』。注文を終えて何気なく店内を見渡すと、天井近くにテレビが設置されてあった。油で汚れきった画面に映し出されている一人の男の姿が、僕の目に入ってきた。それは何かの特集番組だったらしく、ナレーションがその男の経歴を簡単に説明していた。男は元ボクサーで、引退後に会社を立ち上げたが上手くは行かず、やがて倒産。その後は多額の借金を返済することと家族との生活を守る為に、繁華街で「殴られ屋」なる商売をしているのだと言う。『自分もそれで助けられることだし、世の中の人にも溜まったストレスを解消してもらえたら嬉しいなと思う・・・・』そんな話が聞えてきた。一分間殴られ続けて金千円を頂くのだと言う。そんな商売でどれだけの数の人間に殴られたなら一億以上もあるという借金が返せるのだ。僕は心の中で呟いた。『馬鹿げてる・・・・。まあ、僕には関係の無いことだ・・・』。
部屋に戻った僕は冷えたシーツの上に横たわり、安いビジネス・ホテルの煤けた天井を見つめながらぼんやりと考え事をしていた。いつもの如く、しばらくの間はもう戻せるはずのない過去への感傷にどっぷりと浸っていたのだが、やがて目を瞑ると、僕の脳裏にはテレビ・カメラに向けられた、あの「殴られ屋」の男の腫れ上がった顔が現れた。そしてその口から吐かれた言葉は渦を巻き、僕の周囲を回り始めた。どういうわけかそれは僕の心に少しだけ安らぎを与えてくれたようだった。それからの一昼夜、不眠気味だった僕は泥のように眠り続けることが出来た。
その頃、僕がしていた仕事はふたつあった。ひとつは携帯電話を使い過ぎて利用料金の支払いが出来なくなり、強制的に解約措置を取られてしまった顧客に対して料金の回収を試みるというもの。解り易く言えば、それは体の良い「取り立て屋」みたいなものだ。何故その仕事を選んだのかと言えば、それはズバリ給料が高額だったからだ。僕の家族には、長年に亘って背負ってきた巨額の借金に対する返済というものがあった。また僕自身にも、家族とは別に自分が守りたいと願う生活があった。それらを守れるのであれば、仮にそれが人々の嫌う仕事であっても率先してやりたいと僕は思っていた。
しかしその後、守りたいと願う生活そのものが無くなってしまうと、そんな意欲も急激に下落してしまった。もうひとつの仕事というのは大きなホテルでの「皿洗い」。これは、守りたいと願った生活を失うと同時に僕に訪れてしまった難民生活を何とかして凌がねばと、当座の生活費を捻出する為に選んだ即日払いの短期の仕事だった。この仕事を入れたおかげで寝床を失うという危機は回避出来たのだが、その代わりに睡眠時間をほとんど失い、常に生命の緊迫状態が付きまとうという状況に自らを置くことになってしまった。生き延びる為に身を削る・・・そんな生活を続けている状況においてさえも、人というものは何かを求めずにはいられない・・・いや、そんな状況だからこそ、新たな希望となるものが必要なのだと我が身を持って知ったのだった。
ある日の午後、僕は新宿歌舞伎町にいた。普段ならば自分から好んで来る場所ではなかった。しかし疲れた心と体を引きずり、あても無く彷徨っているうちに辿り着いたのはこの街だった。滅多には来ない街だからこそ、もしかしたら何かが見つかるのではないかという期待が少しだけあったのかもしれない。
そんな思いとは裏腹に伏せ目がちで歩いていると、突然、複数名の嬌声が僕の耳に入ってきた。ふと視線を上げてみると、20メーター程先の場所で群れる人の輪があった。何事かと少し近寄ってみると、それは何かを囲むような状態で2、30人くらいの人々が集まり、輪の中にいるものに対してしきりに囃し立てている様子だということが判った。僕は急にその輪の中心にあるものが何であるか知りたくなり、群れの淵へとさらに足を進めていった。すると人垣の間から二人の男の姿が目に入ってきた。一人はサラリーマン風のスーツ姿の男。そしてもう一人の男は・・・・。
それは数日前のテレビで観た、あの「殴られ屋」本人だった。「殴られ屋」はヘッドギヤを着け、サラリーマン風の男の繰り出すパンチを受けながら、ひたすらに耐えていた。最初は遠慮気味だったサラリーマン風の男のパンチも、群集の囃し立てる声に徐々にエスカレートしてゆく。そのうち突発的に『部長の馬鹿野郎!』などと叫びながら放った拳が、「殴られ屋」の構えたグローブ越しにその顔面を思いきり捉えた。どんな気持ちで耐えているのか・・・僕は彼の気持ちを知りたかった。借金の返済の為なら、そして大切な家族を守る為ならば・・・、そうした気持ちが僕には痛いほど解る。けれども実際、ひたすらに殴打されるばかりの人間を目の当たりにすると、それはあまりにも酷過ぎる光景ゆえ、仕事としようなどという発想自体が、既に僕の理解の範疇を遥かに超えていると感じてしまう。
サラリーマン風の男が終わると次々に客が続いた。大学生風の男。OL風の女。管理職風の年配の男。それぞれに心の内に溜めた思いを自分の拳に込めて吐き出しているようだった。僕は「殴られ屋」になったつもりで、じっとそこに居続けた。その一分間が僕にはとてつもなく長く感じられた。それでも次々と繰り出されるパンチを受け止めている彼を見ていると、それまで失くしたものばかりをただ数えて過ごしてきた自分自身を恥ずかしく感じてきた。もはや僕は、その場を立ち去ることが出来なくなっており、それはまるで棒立ちになったまま殴られ続ける、KO寸前のボクサーのような気分だった。そして客が途絶えるまでの間、異様なその空間に釘漬けになっていた。
しかしその場にしばらくいて感じたことは、最初の瞬間に感じた「酷いだけ」という感覚とは明らかに違っていた。それは一分間の「殴り放題」を終えた客の一人一人が、立ち去る前に「殴られ屋」に対して『ありがとうございました』と感謝の気持ちを伝えていく様子を見たからだった。それぞれに生きる環境や立場や望むことが違っていても、各々が互いの存在に励まされ、助け合って生きていることを実感しているかのように僕の目には映ったのだ。つまりこれは「暴力」ではなく、彼一流の「癒し」なのだと思えてきた。不眠気味だった僕を眠らせてくれた理由もそこにあったのかもしれない。
『殴り放題、千円!』。人々に元気に声を掛けるその男をずっと見続けているうちに、『生きていればきっと良いこともある。無用な人間はいないものさ。生きいるだけでOK!それだけで充分なんだよ』と優しく語りかけてくれているかのように感じた。そしてその瞬間、荒んでしまったはずの僕の心の中に、大きな虹が掛かった気がした。きっといつかまた誰かに優しくなれる、誰かと一緒に生きてゆける時が必ずくる、そういう自分の未来を僕は素直に信じることが出来た。
あれから何年もの時間が流れ去った。そして先日、不思議な縁で僕は、「殴られ屋」をしていたあの男と再会することが出来た。彼はとうに「殴られ屋」を廃業していたのだが、今は「殴られ屋」をしていた頃の後遺症で大きな苦しみを抱えているのだという。それでも彼は懸命に生きている。
殴られ屋よ、あなたは運命という拳に何度も殴られながらもそのすべてを受け止め、踏み止まってきた。そしてあなたはこれからも、あなたが描いた「夢」というリングの上で、燃え尽きるまで生き続けてゆくのだろう。でも僕はそんなあなたにひとつだけ忘れないでいて欲しいことがある。それはあなた自身がみんなに伝え続けてくれた言葉。
― この世界にはあなたがあなたらしく生きているだけで勇気を受け取る人がいる ―
2006.5.25 掲載
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