第16回 「宇宙戦争」〜S・スピルバーグとO・ウェルズ〜
(2005年、1938年)
― 1938年10月30日午後8時 ― 当時、アメリカ国民にとって一番身近な娯楽であったラジオから、落ち着いた口調の低い声が流れてきました。『みなさん、今晩は。オーソン・ウェルズです。20世紀初頭から、この地球が人間よりも知力の優れた者たちに監視されていることは周知の事実です。彼らは不死ではないまでも、人類より遥かに高度な知能と文明を持っています。私たちは多忙な毎日を送っていますが、その間にも彼らに監視され続けているのです。そう、私たちが顕微鏡で一滴の水の中に群がる生物を観察するように、彼らも私たちを研究しているのです』この耳慣れないナレーションの後、ラジオからはいつものように天気予報が流れ、音楽番組「マーキュリー劇場」へと続いてゆきました。その日はニューヨーク、パーク・プラザ・ホテルからの中継でした。ラテン・ミュージックの生演奏が流れる中、突然のニュースが飛び込んできました。『臨時ニュースを申し上げます。ただいま当CBSネットワークに速報が入りました。中央標準時8時20分前、イリノイ州シカゴ、マウント・ジェニングス天文台のファーレル教授が、火星で白熱光を伴う定期的なガス爆発を観測しました。分析の結果、ガスは水素ガスであることが判明しました。光は現在、非常に速い速度で地球に向かっています。この件に関しましては続報が入り次第、みなさまに御報告致します。それまでラモン・ラケーロの音楽をお楽しみ下さい』この後、生演奏の間に数回の臨時ニュースを織り込むという形で聴くものに強烈なリアリティを与えながら、やがて番組は、地上に墜落した隕石から現れた三本脚の物体に次々と襲われてゆく人々や、崩壊してゆく街の様子を生中継する番組へと変わってゆくのでした。こうして、アメリカ全土を震撼させたラジオ番組「宇宙戦争」は放送されたのです。
このラジオ版「宇宙戦争」のプロデューサーであったオーソン・ウェルズは1915年生まれ。当時、若干23歳の才能溢れる青年でした。十代の頃、彼はアイルランドを放浪する画家でしたが肝心の絵は売れることはなく、貧乏な暮らしを続けていました。彼はダブリンに辿り着いた時、街の劇場でブロードウェイの経験があると詐称をして、舞台の主役を得ます。そこで俳優としてひとつの成功を収めた彼は、それからアメリカへ渡り、本当にブロードウェイの舞台へと進出してゆくのでした。そうして掴んだCBSラジオのプロデュースの仕事に就きながら、次なる夢であるハリウッド進出を虎視眈々と狙っていました。そんな彼の野望としたたかな計算を基にして制作された、このラジオ版「宇宙戦争」は、アメリカ放送の長い歴史の中でも特異と言えるほどの大反響を呼び起こしました。放送内容を現実のものと勘違いしたリスナーはラジオに釘付けになり、やがてその恐怖はラジオを聴いていなかった者にも伝えられ、瞬く間にアメリカ全土が大パニックへと陥りました。余談ではありますが、後年この「事件」がきっかけとなり、アメリカにおける放送倫理規定が改正されることとなります。
この時代アメリカ国民の多くは、1929年の大恐慌で受けた大きな傷からまだ立ち直っていませんでした。加えてヨーロッパが戦争へと向かってゆくという世界情勢への不安感が、人々の心を強く捉えていました。そんな最中の侵略的放送だった故、中には自殺を図る者もいました。また町では暴動が多発し、大変な被害も出ました。これは後に大きな損害賠償請求訴訟にまで発展する大問題となり、ひと騒動を企てたウェルズはこのラジオ番組がフィクションであったことを公表した後、暴動の矛先を自身にも向けられ、しばらくの間、身を隠さねばならないほどの状況に陥りました。結局のところ、彼は裁判で負けることなく望み通りにハリウッド・デビューを果たし、その後の1941年に公開された映画「市民ケーン」などの制作により、ハリウッドにおける名監督、名脚本家、名優としてその名を残したのでした。これら一連の出来事は、1970年のTVセミドキュメンタリー番組「アメリカが震撼した夜」という作品の中で詳しく観ることが出来ます。
スティーブン・スピルバーグが「宇宙戦争」のリメイクを思い立ったのは今から約12年前。ウェルズのラジオ版「宇宙戦争」の音源を聴き、名画「カサブランカ」の作者でもあるハワード・コックの手によるその脚本を読み、そこにH・Gウェルズの小説「宇宙戦争」のエッセンスの凝縮を感じたスピルバーグは、この映画に対するアイディアを長い年月の間にじっくりと練り上げてきたのだそうです。
今回のスピルバーグの映画版では、トム・クルーズ扮する一人の市民の立場から観た形で「宇宙戦争」が描かれました。人伝に聞こえてくる噂やメディアを通じて知らされる断片的な情報が錯綜する中で、彼は、誰が何の目的で残虐な行為を続けているのかも解からないまま、ただ家族を守りたいという思いだけを胸に、死の恐怖と背中合わせの困難な場面を瞬時の判断で切り抜けてゆくのです。それらの演出は、彼が何より大切にしている存在やそのものに対する愛情を浮き立たせる、非常に大きな効果を生み出しているように感じられます。
「家族愛」ということの他に、この映画では「侵略と戦争」という大きなテーマも取り扱っています。異星人は無慈悲にも残虐に人類を殺戮し、制圧した地には自分たちの縄張りであることを示すかのようにレッド・ウィード《赤い雑草》を蔓延らせてゆきます。それはまるで大きな国家がじわりじわりとその勢力を根付かせてゆく様子にも似ており、生々しく脈づくその赤い血管網の描写には、知的生命体が持つ、どす黒い欲望を意識させられます。またトライポッドに襲われながら逃げ惑う人々の上に降りかかる《死の白い灰》は、さながら9.11のテロで崩れて行ったビルの様子や、原水爆実験の映像を初めて見たときの衝撃を僕の中に呼び起こさせました。スピルバーグはそのリアリティを観客に伝えたいがあまり、ラストシーンでの過剰な演出や派手な結末を捨てるに至ったようで、そのことが、この映画にいわゆるハリウッド製SF映画的な痛快さを求めた一部の観客を失望させたようではあります。この映画にとってSFという表現方法はひとつの仮の形態にしか過ぎず、すべては今、地球上で実際に起こっている由々しきこと、また過去の人類の歴史を通じて続いてきている争いの場面とその悲惨さを写し出し、伝える為の手段となっているのです。テロリズム、そして巨大国家の行う侵略と戦争に対しても強烈なメッセージを打ち込んだこの映画は、ある意味、平和を訴え続けるスピルバーグの集大成的作品であり、また彼の最高傑作とも呼べる作品でもあると僕は思います。
H・Gウェルズの「宇宙戦争」という一遍の小説から始まり、ラジオ、テレビ、映画などに亘る作品たちを制作した多くの人たちが共有するメッセージとユーモアの象徴として、ラジオ版「宇宙戦争」の最後にO・ウェルズが語ったナレーションを書き添えておきたいと思います。『みなさん、私がオーソン・ウェルズです・・・・(中略)。それではみなさん、おやすみなさい。せめて、明日の夜ぐらいまでは、今夜学ばれた教訓を忘れないで下さい。そうです。これは、大人のためのハロウィーンだったのです』
2005.12.1 掲載
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