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第12回 「花札」(安土桃山〜)


島国である日本にとってお隣の国と云えば韓国。その韓国との繋がりについては今更語るまでもなく、サッカー、バレーボール、野球などのスポーツや、音楽、映画、TVドラマなどの芸術、芸能に関する交流の中にも強く感じられる近年です。日本においては、昨年辺りより韓国TVドラマの大ヒットから始まった一連の韓国文化の流れを「韓流ブーム」と呼び、社会現象として認識され、その勢力は存在として既にグリーン・カードさえ所有しているのではないかと感じられるほどです。かくゆう僕もマスコミやネットを賑わす情報に大いに感化され、大久保の韓国料理店などに足繁く通い、その味覚に舌鼓を打っている一人であったりします。

日本で生まれ育った人間にとっては、突然怒涛の如く流れ込んできた韓国文化ばかりを意識してしまいがちなのですが、僕が聞き及ぶところによれば、実は韓国においても近年は日本発の芸能文化が非常に好まれ、多くの人々に受け入れられているという話です。きっとこれほどまでに両国の人々が親近感を持てるようになった時代は過去になかったでしょう。

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今回のテーマとなっている『花札』とは日本のカードゲームであり、綿々と受け継がれる日本の伝統文化でもあります。ただ博打としての用途もその一面にある為に、どうしてもあまり良いイメージを抱けないという方が多いと思います。花札発祥の起源は古く安土桃山時代にあり、ポルトガルから持ち込まれたトランプがその元になりました。当時の花札は「天正かるた」と呼ばれていました。やがて皇族が自分たちの子供に日本の花鳥風月を教える為の教育用カルタとして変化してゆきます。四十八枚というカードの数は、当時のポルトガルのトランプが10を除いた1〜13までの数字を使った四枚十二組(合計四十八枚)という形で構成されていたことに起因するそうです。また現在の花札のようなデザインになったのは江戸時代中期頃からだと云われています。

花札は、日本にある美しさを味わい、楽しむことが出来る優雅な遊びです。一月は睦月「松に鶴」、二月は如月「梅に鶯」、三月は弥生「桜に幌幕」、四月は卯月「藤に不如帰」、五月は皐月「菖蒲に八橋」、六月は水無月「蝶に牡丹」、七月は文月「萩に猪」、八月は葉月「芒に雁」、九月は長月「菊に盃」、十月は神無月「紅葉に鹿」、十一月は霜月「小野道風と柳に蛙」、十二月は師走「桐に鳳凰」・・・・といった具合に、十二の月の風物が十二組に分けられ美しい図柄で描かれてあり、そこには紛れもなく「和の心」というものがあるのです。

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中には一見不思議に見える図柄もあります。十月の「紅葉に鹿」の鹿はソッポを向いており、その図から無視することを「シカト(鹿十)」と呼ぶようになったという話もあります。十二月の「小野道風と柳に蛙」では、平安時代初期の漢学者であり歌人であった小野篁(おののたかむら)の孫で和洋発達の基礎を築いたと云われる書家、小野道風は、ある時柳に飛びつこうと何度も挑戦している蛙の様を見て発心し、書道に専念するようになったという逸話をモチーフに描かれています。この逸話が史実かどうかは不明なのですが、江戸時代中期の浄瑠璃「小野道風青柳硯」から広まったと一般には考えられているようです。

さて、現在もNHK総合で放送されている「オールイン」という韓国ドラマの中では、主人公が賭博場でカードゲームをしているシーンが登場していました。よく見てみるとそのカードは紛れもなく日本の花札。また劇場で公開中の映画「四月の雪」においては、ペ・ヨンジュン扮するソヨンが恋人のインスとホテルの一室のベッドの上で花札をしているシーンが出てきます。恋人役を演じたソン・イェジンはこの映画の撮影エピソードについて、「何回か遊んでいるので撮影中につい手首のスナップを使ってしまい、監督からキャラクターに合わないと指摘されてしまった」と話しています。

誰でも気軽に遊べて夢中になれる花札。韓国では「ファトゥ」と呼ばれています。主に「ゴー・ストップ」という遊戯方法がポピュラーです。葬式の席では喪主がお金を渡して来客に遊んでもらうこともあるそうで、そこには旅立つ者を賑やかに送り出そうという意味合いがあるのだと聞きます。

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しかし韓国人が抱く『花札』は、そんな和やかなイメージだけではないということも事実のようです。花札は朝鮮開国の1876年前後に対馬の商人たちにより韓国に伝えられ、1910年の韓国併合の後、韓国全土に普及しました。その時、韓国の人々に伝統的なモラルを破棄させ堕落させる目的で、日本から花札が持ち込まれたという主張をする人もいます。つまり一部の人々の中では、『花札』は「日帝」の象徴として捉えているということなのでしょう。実際のところ、人々があまりに花札に熱中して仕事をしなくなり、生活苦に陥る家庭が増えてしまった為、政府によって規制されてしまったということもありました。日本から持ち込まれたきっかけについては兎も角、ただひとつ僕に云えることは、数あるカードゲームの中で共に面白いと感じるものが花札だったということです。花札の図柄には、日本人の持つ「侘び」「寂び」が込められています。それらは僕が現在の韓国のドラマや映画、音楽の中に感じるものでもあります。そういったものに関して共有できる感性が互いにあるということではないでしょうか。またそのことの現れのひとつが日本における「韓流」であり、韓国における「日流」なのだと僕は思っています。これからもこうした相互の流れを止めてしまうことなく更なる交流を重ね、良い意味で互いの存在に対する意識を高めながら、共に歩むことが出来る道を模索して行けたらと思います。確かに韓国と日本には、過去の問題点やこれからの在り方などについて、国家間レベルでの協議を重ね解決してゆかなければならないことがまだまだあるでしょう。しかし一人一人が問題意識を失わずにより良い関係を願ってゆくならば、いつかはもっと理解し合える日が来るのだと思います。

もしあなたが花札について少しでも興味を持てたならば、いつか実際に遊んでみませんか?隣国の友人たちと、花札の「日韓交流戦」を開催してみるのもいいかもしれません。
やがては、日本の文化の象徴である花札の素晴らしさが世界中に広まり、「日韓共催―花札―ワールドカップ」にて多くの人々が集える日が来るかもしれません。その時には、花札というゲームが何処で生まれたかなんてことはきっとどうでも良いことになっていることでしょうね。

2005.9.27 掲載

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